犬新聞

日常の出来事や趣味のサーフィン、格闘技、料理などなど、気の向くままに綴っています。

種からの挑戦 収穫3号

そら豆に続いて、グリーンピースが獲れ始めた。
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豆類は、食べられない部分が多いのが欠点で、そら豆ほどでは無いが、こちらも鞘は廃棄だ。
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それでも豆ご飯二回分くらいはあるだろう。まだまだ収穫できるから、今回の分は冷凍しておく。

フィンは大事

今回は、サーフィンをしている人なら誰でも知っていることを、敢えて記事にしてみようと思う。
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フィンは、ボードが直進するときに水中で進行方向に固定されテイルが左右に回転しようとする動きを抑え、ターンするときにはテイルを中心とする回転運動の起点となる。サーフボードはフィンを中心に進んだり曲がったりするものであり、フィンがなければ水中で踏ん張りが効かずにクルクルと回ってしまう(そういう楽しみ方もあるのだが)。

現代のサーフボードはレイルの形状やロッカー(反り)に工夫がこらされ、ボード自体に直進性や回頭性が加味されている。したがってボードのレイル形状やロッカーを見れば、そのボードがどのような乗り方を目指して作られたのかがある程度想像できる。ロッカーが抑えられアウトラインが並行で、レイル形状が50:50、あるいはテイル付近がアップレイルのボードならば、ノーズライディングを基本としたクラシカルな乗り方が想像できるし、ロッカーが強く丸っこいアウトラインでテイル幅が絞られ、レイル形状がダウンレイル、しかもテイル付近にエッジが施されているボードならばショートボードのような激しい動きをする乗り方が想像できる。

ボードの性能や特性を考慮しながらフィンを選ぶのは愉しいものだ。同じボードでもピヴォットターンを多用するのか、ドライヴの効いた深いターンをするのかでフィンの形状は変わってくるし、取り付け位置(ボードの中心寄りなのかテイル寄りなのか)を変えるだけで乗り味は大きく変化する。様々なフィンを試すことにより、ボードの性能や特性をより深く理解できるようになるし、自分なりの乗り方(スタイルと言えるほど上手くない)を模索することができる。必然的に、決して安価とは言い難いフィンが何枚も蓄積されていくのだが……。

個人的には同じボードでオンフィン(始めからフィンが固定されているもの)とボックスフィン(フィンの交換が可能なもの)を乗り比べてみるのが良いと思う。オンフィンの良さは、造り手(シェイパー)が理想的な形状のフィンを理想的な位置にセットした状態を意味し、ボードの性能や特性が100パーセント引き出せるようになっていることである。取り付け位置をオンフィンに合わせて様々なフィンを試せば、フィン形状による乗り味の変化が手にとるように解るはずだ。ショップに勧められたフィンを使い続けるのも良いが、ある程度上達してきたら自分なりの乗り方を模索して、試行錯誤してみるのも更なる上達を促す原動力になると考える。

最近はフィンを選ぶのが面倒でオンフィンにばかり乗っていたが、サーフィン自粛が解禁になった暁には久しぶりにフィンを取り替えながら波乗りしようと考えている今日この頃。


種からの挑戦 収穫2号

昨年の12月中旬に種を蒔いたソラマメが、やっと収穫できた。これからしばらく、ソラマメの収穫は続く。

それと並行して、夏野菜の種蒔き計画も進行中だ。
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武漢コロナ禍におけるサーフィンと地元へのちょっとした配慮

昨年末より中国の武漢を発生源とする新型コロナウィルスの世界的な蔓延によって、海外では『都市封鎖』、日本でも7つの都府県に対して緊急事態宣言が出された。経済活動は麻痺し、リーマンショック以上の打撃が予想されている。

日本の緊急事態宣言には、海外のような法的拘束力が無いために所謂『自粛要請』にならざるを得ないが、海外並みの秩序を保持しているのは、勤勉な日本人為せる技であろう。ここ館山でも緊急事態宣言以来、地元の人を含めた車の往来はめっきり少なくなっているし、レジャー施設や一部のペンションを除いた宿泊施設も軒並み休館となっている。それでも週末になると他府県ナンバーの車が散見されるのは、此方に別荘を持っている人々がやって来るからだろうか? さらには波があれば海に出掛けるのがサーファーというヤツで、先週の前半にはチラホラと波乗りに来ている他府県ナンバーの車が見られた。

こうしたサーファーの本能とも言うべき行動にいち早く待ったをかけたのが、オリンピックのサーフィン競技会場となる千葉県の一宮町であった。海岸沿いの有料駐車場を閉鎖の実施、緊急事態宣言が出された都府県からのサーファーの来訪の自粛要請を、町長が自らTwitter上で行ったのだ。この要請の背景にはいくつかの要因が考えられる。先ずはサーファー同士の接触によるウィルスの拡散で、海の上はもとより駐車場などで複数の人が集まって談笑することでの拡散が危惧される。次に、 一宮町が最も恐れたのが、他府県のサーファーが飲食店で食事をしたり、商店で買い物をしたりすることによって地元の住民にウィルスを拡散してしまうことだろう。平時であれば、サーファーを含めた観光客が地元に落としていく売上は貴重であり重要な収入源である。しかしながら、町を上げてウィルスを抑え込もうとしているところへ外から持ち込まれることによって感染が拡大してしまっては泣くに泣けない。

遅かれ早かれ、こうした一宮町のような対応が他のサーフスポットでも行われるなると思われる。既に所謂『千葉北』と呼ばれる九十九里方面では、一宮町の対応に呼応する動きが見えている。千葉や神奈川でこうした海岸の閉鎖が行われると、緊急事態宣言が出されていない静岡や茨城へ遠征するサーファーが増えることは当然考えられる。ウィルスという見えない脅威は、人を疑心暗鬼にさせる。館山に住む人の中にも都市部からやって来るサーファーとの接触を怖がっている人がいることは紛れもない事実で、都市部のサーファーが遠征先でトラブルに見舞われることがないとは言い切れないだろう。

閉鎖されたスポットに路上駐車してまで入る(こういうことをするサーファーが少なからずいる)ことはもっての外だが、閉鎖されていないスポットに入ることは、ボクは全く問題ないと思う。サーフィンは格闘技のような『濃厚接触』が前提のスポーツではないし、海に入る前後の駐車場などで注意を払っていれば、近所で散歩やジョギングをすることと違いはないと思う。

ただ先に述べたように、行った先の地元の人々との接触は極力避けるべきだろう。食べ物などを持参することで実現可能だし、追加で飲み物を購入する際もコンビニエンスストアではなく自動販売機を利用するようにしたい。こうしたちょっとした『配慮』をすることで、地元の人々から反感を買わずに、或いは不要なトラブルを避けることができる。

何れにしろ、こうしたご時勢に遊びに出かける訳だから、自分は『招かれざる客』なのだと心づもりをして人様に迷惑をかけないようにしてサーフィンを楽しみたいモノである。

種からの挑戦 2020 収穫1号

プランターに蒔いたほうれん草が、サラダとして食べ頃になったので収穫した。少しずつ摘んで長く楽しむ所存。
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種からの挑戦 vol.2

種から育て始めたソラマメとグリーンピースを植え付けした。今回グリーンピースには、この家を入手したばかりの頃に門扉替わりに張っていたネットを使ってみた。どちらも上手く育ってくれることを切に願う。
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プランターで育てているホウレンソウも順調だ。惜しむらくは、もう少し種の間隔を開けて蒔けばよかったくらいか?  こちらは育ち過ぎる前に収穫して、サラダにしようと考えている。
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今年は色々な作物をやってみようと思っている。種も買い込んであるので、今から楽しみである。

種からの挑戦 2020

昨年は台風などもあって我が家で育てた野菜たちは、ハラペーニョを除くと、それほど食生活に貢献したとは言い難い。今年こそはそれなりの物を収穫したいと思っている次第。

2020年最初に種蒔きしたのは以下の物どもである。

空豆。本来は11月半ばまでに種蒔きが終了していなければならないのだが、大幅に遅れて最初の種蒔きが12月の下旬であった。寒い時期の発芽は遅く、年明け頃から芽が出始めたが。第二弾として年明け早々にも種蒔きしたが、こちらはまだ発芽していない状況だ。収獲を2度楽しめるように時期をズラしてみたのだが、どうなることやら……。最初の収獲は5月下旬ごろを予想している。
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グリーンピース。空豆の第2弾とともに、上の画像の手前3つと別のポッドに計13種蒔きしてみた。こちらは初が仕掛けたポッドを1つ確認したのみで、予断を許さない状況。

ほうれん草。種蒔きの時期は空豆の第2弾と同じ。最も発芽が危ぶまれたが、見事にほぼすべての種が発芽した。こちらはプランターでの栽培となる。
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もう少し育ったら間引きしなければならないが、プランター2つ分あるので、1回か2回位は食卓に上ることを期待している。

春に向けて様々な野菜を検討しているが、今まで無農薬に拘ってきたが、アブラムシやカメムシがあまりにも蔓延るため、今年は殺虫剤の使用を考えている。何はともあれ、多品種を目標に頑張ってみるつもりである。

謹賀新年

遅れ馳せながら、新年のご挨拶を。

年の瀬に悲しい出来事があったが、平穏な信念を迎えております。

昨年は極端に更新が滞っておりましたが、今年は頻度を増やしたいと思っております。

今年もご贔屓賜りますようお願い申し上げます。

デイジー逝く

2019年12月20日 18時23分、我が家の長女デイジーが永眠した。15歳と6ヶ月、7ヶ月目に入ったところで、まさに大往生と言えるだろう。

前回、彼女について触れた『店仕舞?』では歩く意思表示をしていたが、その後更に筋力の低下が進み、歩くことは愚か自力で立っていることもできないようになっていく。それでも食欲は旺盛で、生きる気力は十分にあった。可哀相だったのは、自力で寝返りが打てないことによって腰回りの褥瘡(床ずれ)が酷くなってしまったことだ。右側の傷が良くなってくると、下になっていた左側が出血するという鼬ごっこを繰り返し、これが最後まで彼女を苦しめることとなった。

もう一つデイジーを苦しめていたのが、10歳を超える頃から持病となっていた膀胱炎である。尿に血が混じるようになると抗生剤を服用することを繰り返していたのだが、館山での生活が始まる頃から常用するようになっていた。元々、若い頃から原因不明の炎症(血液検査にあらわれる)や体調不良に見舞われることが多く、その度に濃厚な抗生剤で抑え込んできた。館山の病院で尿を採取しての抗体検査では、抗生剤への抵抗力がついてしまい、効く薬がほとんどない状態になっていることが判った。それでも今年の9月くらいまでは何とか症状を抑えることができていたのだが、徐々に薬の効果が薄れ始めていることも確かであった。膀胱炎が発症すると尿が酷く臭うようになり、膿が混じってくる。10月に入ってこのような症状が出始めたことから、もっと強い薬や薬の量を増やすことも検討されたが、腎臓への負担が大きいことから、現状維持で様子を見ようとなった。

現状維持の投薬の状態で騙し騙し続けていたのだが、11月の3周目、水曜日の夕方に血尿が出た。経過を観察したが出血の量が増えてくる。おそらくかなり辛い思いをしているのだろう、デイジーの食欲がみるみる落ちた。わすか2日ほどで1キロ以上体重が減ってしまう。思い切って金曜日の晩から抗生剤を倍量服用させてみることにした。効果はてきめんで、土曜の夕方には尿に血液が全く混じらなくなった。食欲も回復したが、固形物をほとんど受け付けなくなってしまったため、高栄養価の流動食を自作してシリンジで摂取することとなった。

おそらくデイジーの中では、この頃から『この世とオサラバする』準備を徐々に始めていたのかもしれない。鶏肉やブロッコリーを流動食と並行して食べていたのだが、12月に入るとそれを拒否し、流動食のみの食事となった。それでも体重は徐々に増え、膀胱炎の症状が治まったことから体調は良さそうだった。体重の上下は、毎日抱き上げて外まで連れ出し排尿排便させているから、敏感に感じ取ることができた。デイジーの『準備』を明らかに感じ取ったのは、12月10日以降のことである。外で排便しているときに今までは片手で支えられていたのが、四肢の力感が乏しく、両手で支えなければならなくなってきたのだ。16日になると定量の流動食を摂取するが、舌の動きが活発さを失い、イヤイヤ食べている雰囲気が感じられる。19日になると、朝晩とも定量の流動食を摂取したが、体調が良くないらしく苦しそうな息遣いをするようになる。さらに体温が大きく下がり始めた。

20日になると、朝から流動食を完全に拒否するが、水分は活発に補給する。午前中に3回に分けて大量の排便をする。この頃から腹の中で何かが起こっているらしく、唸るように呼吸し、時折、痛い苦しいと鳴くようになる。14時から15時にかけて血便と排尿を断続的に5回ほどする。血便が出切ってしまうと、ああ楽になったとでもいうように暫し泥のような眠りに落ちる。以後は水分の補給も完全に拒否するようになる。苦しそうだった呼吸も正常に戻ったが、身体中のものをすべて出し切ってしまったためにその身体はペタンコに萎んでしまっていた。

16時45分頃目覚めたデイジーは、何か訴えかけるような目(今にして思えば別れの挨拶だったのかもしれない)でボクを見つめていたが、17時頃突然呼吸を止めた。これでおしまいか? と天を仰いだが、数分で呼吸が戻った。しかしそのときにはすでに意識はほとんどなく、呼吸も1分間に5回ほどに減っていた。17時30分頃にも呼吸が止まり、それからは1分間に3回ほどの呼吸となり、体温も徐々に下がり始めた。朝のうちにデイジーの急変を知らせ、今頃こちらに向かってすっ飛んできているであろうお母さんを待っているかのようであったが、粘りに粘った甲斐もなくとうとう力尽きたのである。お母さんが到着したのは、それからわずか30分ほど後のことであった。

17時以降、ボリュームを徐々に絞っていくような、まさにフェイドアウトしていくような最期であった。

翌日、火葬場で窯に入る直前に計った体重は13.46キロ。16日にはボクの体感で15キロ以上あったはずだから、最後の数日で随分軽くなってしまったものである。窯に火が入って20分くらいは煙突から盛んに煙が出ていたが、それもあっという間に消え、本当に天に登っていってしまったんだなあと実感した。

今は彼女が使っていたものをすべて処分し、少し部屋の模様替えをし、痕跡をなるべく残さないような雰囲気を作ったが、やはり喪失感は大きい。この一年半あまりを振り返って、デイジーに対してやってきたことは『余計なこと』ではなかったか? やらなかったことは『もっとできること』があったのではないか? と後悔することしきりである。それでも、ボクの腕の中で手を握った状態で看取ることができたのがわずかばかりの慰めである。

デイジーが最初に呼吸を止めた際、顔に毛布を被せてタバコを喫いに外に出て、戻ってきたら呼吸が戻っていたとき、骨壷に彼女の頭を入れる際、落として鼻を欠いたとき「お父さん、酷いわよ!」という声が耳元で聞こえたことは内緒である。

収穫第5弾

苗から植えたもの、種からの挑戦シリーズも含めて、最後の作物となるハラペーニョを収穫した。
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ツヤツヤで肉厚、いかにも辛そうな面構えである。今回の3つは、最初に咲いた花からできたもので、この後咲いた花からも順調に実ができている。さすがにこれは冷凍できないので、収穫が終わるまで冷蔵庫の中で待機してもらう。すべての収穫が終了した時点で『ピクルス』にする予定だ。大抵のハラペーニョのピクルスは輪切りの状態で酢に漬けこまれているが、今回は微塵切りで漬けるよていだ。それというのも、我が家では輪切りのピクルスを微塵きりにして調理するから、手間を省こうとおもている次第。

ピクルスの作り方も調べたし、漬け込む瓶も入手済みである。今から楽しみにしている。
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