暑いと前振りを考えるのも億劫になります。
なのでさっさと本題に入りたいと思います。

今日の「プロレス〜今日は何の日〜」は今から54年前の1954年(昭和34年)8月7日のお話しです。
この日、日本プロレスの田園コロシアム大会で力道山vs.ミスター・アトミックのインターナショナル選手権試合が行われました。
この年に開催されて爆発的な人気を得た「第1回ワールド・リーグ戦」を大いに盛り上げたのが、ミスター・アトミックでした。
4選手同点の決勝トーナメントで力道山に反則勝ちを収めるもダメージが大きく決勝戦を辞退したアトミック。
結果的に決勝戦でジェス・オルテガを破って優勝した力道山にとっても決着をつけないといけないアトミックとの決着戦がこの日のタイトルマッチだったわけです。
「第1回ワールド・リーグ戦」の追撃戦シリーズのエースとして各地方興行を潤したアトミックですが、アメリカでは素顔あるいは別のマスクマンとしてファイトしていて、ミスター・アトミックはプロモーターの力道山がアイデアを出した日本限定マスクマンでした。
そのため帰国してからは使えないキャラクターにアトミックも未練はなく、試合が2−0と力道山のストレート勝ちに終わると、力道山は躊躇なくマスク剥ぎを行って観客の溜飲を下げて因縁にケリをつけました。

現代のような情報化世界では考えられない事ですが、この時代はアメリカにおいても一つの州、一つのテリトリーで起こった因縁や結末は他テリトリーではほぼ知られる事はありませんでした。
まして遠い異国の日本でマスクマンになろうが日本人レスラーに負けようが、キャリアに傷が付く事はなかったので、安心して日本限定マスクマンにも変身でき、マスク剥ぎも甘んじて受けれたわけです。

余談ですが、力道山はマスク剥ぎが大好きで後年も超大物レスラーのビル・ミラーをミスターXに変身させてマスクを剥いでいますし、アメリカでも著名だったゼブラ・キッドのマスクまで剥いでいます。
ただし、さすがにザ・デストロイヤーのマスクにだけは手をかける事はありませんでしたけどね。