2006年08月07日

★離れて分かること★

昨日のこと。

私は毎年、この日は朝早く起きるようにしています。
この日が晴れると嬉しくもあり
胸が痛くもなります。

今年はつい、寝坊してしまって、8時45分に
いつものように空を見上げました。
今年も空が綺麗でした。

毎年、この日に聴く曲があります。
この曲を聴くと人の温かさを知ります。
初めてその心に気付いた時
私は自分のことだけじゃなく
人の気持をおもんばかれる人になろうと思った。
聴くたびに、この歌を知った10年前と
同じ感覚を呼び起こす。
一言でいうと、衝撃的。

この曲を知るまでは今より少し
自分勝手だった気がする。
自分の事を大切にすることと
自分勝手の差を知りました。

昨日、20年ずっと続けてきたさだまさしさんの
コンサートが最後の歌を終えたそうです。
ただの夏祭りにしたくなかったからだそうです。
一度「生活の一部」になっていた習慣を
離れることで想ってみたいのだそうです。
思うところは色々在りますが
やっぱりこの人の感性は一歩も二歩も先を行くんだなあと。
尊敬せずにはいられません。

最近、世界遺産である原爆ドームのまわりに
背の高いビルが立ち並び始めて
小さく、存在感のないものになってしまっている
ような気がしてなりません。
61年も前のことを思うことはとても難しいことだし
子供の頃に感じていた「平和」への照れや反発みたいなのは
今でも微かに心の中にあり続けていますが
「広島の空」に流れる愛やいたわり、
人として忘れてはならない何かを感じることは
決して恥ずかしいことではないのではないかと
思わずに入られません。


a443dc8e.jpg







※もし気になって歌を調べてみた人がいたとして
よく分からなかった人がもしいたら
地図で「稲佐山」の場所を調べてみてください。




Posted by ubiquitous777 at 10:08│TrackBack(0)

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この記事へのコメント
山口もそうなのかな?
小学校高学年くらいから親の転勤で広島県に住んでいた頃は夏休みの全校登校日が必ずこの時期で
原爆の映画を見せられて育ってきました
それは毎年とても厭なことだったのだけどこうすればこうなるって判らない人が核兵器について語るのを見るにつけ
知らないってことは怖ろしいことだ
厭でも目を背けずに知らなければならないことがあるのだ
なんて思うときもあります
Posted by ささがぁ at 2006年08月07日 11:18
広島は映像でしか見たことがなく
本当の意味での多くはわからないなぁと感じてしまいます。
沖縄戦争について習った時も現地に行って
実在していたものや現場を見て感じた気持ちは
学校では決して分からなかった事だと思います。

ちゃんと大学生になれたら広島、長崎に行っておきたいです。
原爆の恐ろしさを知っている日本人になって
新しい世界に向かいたいです。

今井さんの感じたような気持ちを
私も育てて生きたいですね。
Posted by 千博 at 2006年08月07日 11:39
たとえ原爆ドームの存在が目立たなくなっても、
原爆の被害にあったという事実は、人の心にずっと残り続ける物だと思います。

私は広島には行ったことはないので、こんな事を言える立場ではないのですが
時がいくら経ったとしても、原爆による甚大な被害が
あったという事実を忘れずに強く生きたいです。
Posted by 高瀬 at 2006年08月07日 11:59
戦後大分経ってから生まれた自分にとって、
戦争は身近に感じられるものではなく、
学校の授業や祖父母から伝え聞く程度の「知識」でした。
今も残る映像や写真などの資料でもその傷跡は十分わかっている「つもり」です。

しかし、実際に目にしたものは地元に残っていた防空壕くらいなもので、
やっぱり自分の五感で触れないと分からないところってありますよね……

「つもり」じゃいけなんだよな、と思いつつもなかなか機会がないのも現状……
ちょうど、夏休みが取れたら西日本方面に行こうと思っていたので、
広島まで足を伸ばしてみるようにプランを練り直してみます。
先日雑誌でみた高層マンションに埋もれる原爆ドームをこの目で見て、
なにか得られるものがあればいいな、と思ってます。
Posted by zappy at 2006年08月07日 12:49
あとは、今を生きる自分たちがいわゆる"平和ボケ"しすぎないことも大切ですよね。
この国で生活しているとなかなか気づきにくいと思いますが、
世界情勢(主にアジア全域)はかなり緊迫しているようですし……

世界唯一の被爆国として、あんなことは二度と起こさないように喚起していきましょう。
いわずもがなですけど「平和」がいちばん!ですよね。

それでは、長文失礼しました。
Posted by zappy at 2006年08月07日 12:51
とりあえず
「わかる」という漢字が違うのはツッコム所ですか??

まあ確かに色々考える時期ですね
この国は加害者でもあり被害者だしね
近隣に対しては加害者だし…
難しい立場ですね…
首相は見た感じ疎かにしてますがね

それにしても暑い……
Posted by FZ-250 at 2006年08月07日 13:09
私は保育園の時に原爆の映画を何度か見た覚えがあります。終わったあと、後で先生達が感動して泣いていたのを覚えています。

今の日本はまだ平和ですが、世界で起きている戦争や、過去に日本で起きた悲劇…。実際に私達が体験したわけではありませんが、次の世代、また次の世代へ語り継ぐことが大切ですね。

忘れてはいけないんです。

猛暑の日が続きますが、皆さん熱中症などにお気をつけください。
Posted by (・A・) at 2006年08月07日 13:34
もうそんな季節なんですね。
この時期になると亡くなった祖父の事を思い出します。

子供の頃にいろんな体験談を聞きました、
衛生兵として戦場に赴いた祖父が見聞きしたもの…
そこには脚色のない、リアルな世界がありました。

それぞれに事情があって戦わなければならないけれど、
向こうも同じ人間なんだ、それを忘れてはいけない…
子供心にそう刻まれたのを良く覚えています。

先人達の足跡があるから、僕等はここにいる訳で、
しかし、無慈悲な争いによって閉ざされた未来も多くある訳で。

僕等の"現在"があることに感謝しつつ、それを未来に繋ぐためにも
過去を振り返り、考え、伝えていかなければ…と思います。

日々に流されて忘れかけてた想いを呼び起こしてくれたミンゴスに感謝を。
Posted by 風見オサム at 2006年08月07日 13:45
一昨年ぐらいでしたか、出張で広島へ行く機会があったので空いた時間に原爆ドームも見て来ました。
夕暮れ時だったせいもあるのかもしれませんが、「見る」というよりも「体験する」と言う言葉がふさわしい場所でした。
碑文に書かれた、静かな力強いメッセージには胸をうたれるものがありました。

来年は「今頃は、誰かさんもこの空を見上げているのかな」って思うことにします。
そんな想像力が、きっと大切なんだと思います。
Posted by 八雲 @LOVE & Peace at 2006年08月07日 14:25
僕達が生まれる随分前、この国を含め、
世界で大きな戦争が起きた。

この戦争で、多くの命が消えた

そして、多くの物語が生まれた。

僕達は、平和な時代を生きている
それは、「昔」を生きた人達が作り上げてくれた代物
彼らは十分働いてくれた
だから、次は僕達が働く番だ

だけど、『平和』を祈るだけじゃ駄目だ
ただ、『平和』が大切だ と言えば言い訳じゃない
先の大戦での悲惨さを伝え続ければ平和が続く訳じゃない

平和な『状態』を維持する為には何をするべきなのか
戦争という『行為』を行わない為には何をすべきなのか

臆病で、見栄っ張りで、格好つけていて、甘えていて、
我侭で、姑息で、けちで、スケールが小さいけど
僕達は、今の状況を作り上げてくれた彼等に感謝し
恩を返さなければならないと思っている
何をすべきなのか僕だけでは答えに辿り着けないけど
皆と一緒ならば、答えに辿り着けると信じて
Posted by 七式 at 2006年08月07日 18:41
稲佐山、広島の空。

学校の授業で習ったこと。
はだしのゲンを観て感じたこと。
広島のピカという絵本を読んで、色々な感情が渦巻いて気分が悪くなったこと。
実際に広島の原爆ドームと長崎の原爆資料館に行って思ったこと、感じたこと。

確かに当時の記録は凄惨で、僕らはどれだけ「分かっているつもり」でいるのか分からないけれど。
2度と起こってはいけない事だという事だけは間違いのない
事で。
風化させちゃいけない事でもあるわけで。

前に広島で千羽鶴を燃やしたり、原爆慰霊碑に傷を付けた人がいたそうですが・・・正直涙が出てきます。
奇麗事かもしれないけど、いつかもう1度広島に行ってあの黒焦げになった弁当箱を見てこようと思います。
せめて僕、僕らが忘れない事で広島の空を感じることが出来るなら。
Posted by たまねぎ at 2006年08月07日 19:42
毎年、8月6日は朝のサイレンの音で目が覚め、
広島に原爆が落とされた日だったと思い出します。

記録映像、写真、文章でしか知らない出来事。でも
「歌でなければ伝えられないこともある」と思います。

「平和」を後世に語り繋いでいく力、
それは、形こそ違え誰でもが持っているはず。

私は何の力で語り繋いでいけるのだろうか。
考えてみます。
Posted by ネリー at 2006年08月07日 20:10
はじめましてです。

原爆ドームと平和記念公園には10年以上前ですが、中学の修学旅行で行った事があります。あの時感じた、罪悪感にも似た色々な感情はこの先忘れることが出来そうにありません。知識としてしかなかった「戦争」という出来事の真実に触れることができたと、今更になって気が付きました。

最近中東でのイザコザが毎日報道されてますが、このようなことが起こるたび、ありきたりではありますが「どうして同じ人間同士が傷付けあわないといけないんだろう?」と考えてしまいます。争いのない世界、いつの日かそんな世界になることを願って、戦没者の方々のご冥福をお祈りします。長文失礼しました。
Posted by 流矢 at 2006年08月07日 20:47
1995年11月。
17歳の私が修学旅行で広島の原爆ドームを見たときの感想。
「人間は同じ人間をこのような残酷な兵器で殺戮したというのか!?」

原爆博物館の後半部分の原爆被害の惨状は私の心を打ちました…。

影だけを残し死んでいった人…、熱線にやられて皮膚がただれた人…。このような兵器はあってはならないと心から思いました。

今も各地では戦乱が起きていますが、意味のない殺戮はあってはならないと思います。
戦いは憎しみしか生みません。

あなたに家族がいるように、相手にも家族がいるのです。
あなたが人を傷つければ、新たな怒りが生まれるのですから。

みんな、分かりあえる気持ちを持ちましょう。

…スイマセン、偉そうな文になりまして…。
Posted by 闇商人 at 2006年08月07日 21:15
あるアニメでこんなセリフがありました。

「殺されたから殺して、殺したから殺されて。それで最後は本当に平和になるのか?」と。

戦争は憎しみの連鎖です。

そんなに容易く断ち切れるものではないのは、分かっています。でも、誰かがたえなければ、平和は来ないのです。

そして、その悔しさ、切なさ、悲惨さを後世に伝えなければいけないのです。日本のように…。

いつかきっと平和になることを信じて…。
Posted by 聖天の蒼翠石 at 2006年08月07日 21:34
私も原爆についての資料・漫画などを人並みに読み、
小学校の修学旅行も長崎の平和記念館でしたので時の止まった柱時計や被爆者の写真も見ました。
確かに皆様の仰る事も感じました。ただ、やはりリアル感に欠けるのです。
私の感じた戦争に関するリアル・・・
[小学3年で習うべき君が代を当時の担任の主義で削除された事]
[戦争の(アニメ)映画で防空壕にてアメリカ兵が降伏を求めて沖縄の人達が日本兵の制止を振り切り
そのアメリカ兵に抱きつくシーンを「アメリカの兵隊は優しい」という女子生徒の感想を担任が
「そんなことは無い!!」と冷たく言い放った事]
凄く小さくチープな事と思われるでしょう。でもこれが私が味わったリアルな戦争の影響。
その当時だけでなく未来まで深い闇を抱える戦争・・
声高らかに「戦争反対」と言えるこの国の伝統を守っていかなければいけませんね。
意味の纏らぬ文で大変申し訳ございません。
Posted by ぷっちぃ at 2006年08月07日 22:00
亡くなった祖父に岩国で見たという原爆の話を
聞いたときはあまりピンとこなかったのですが、
学生の頃に広島平和記念資料館に行って色々と
見たときはいろんな意味でショックでした。
それこそ夜夢に出るくらいに。

ただ、最近はこの日があまりに政治的に利用されているのを見ると正直嫌になってきています。すぐ近くにある脅威に目をつぶって、自分達ばかり責める姿を見ていると…。

無論戦争をするということは最悪の手段ではあるのですが、「日本が戦争を捨てても 戦争は日本を捨てない」という言葉を思い出してしまいます。
平和を守るためには時として覚悟がいるのかもしれませんね。
Posted by 木田太郎 at 2006年08月07日 22:23
初めてコメントを入れさせていただきます。

私にとってこの時期は、自分が今生きていることに感謝する日々です。
61年前の8月9日、もし九州の天候が少し違っていたら自分は生まれていなかった…

それだけではなく、生まれてから今までいろいろな偶然、幸運に恵まれて今生きている。
ときどき、物事がうまくいかなくて人生やめたいとか思ってしまうけれど、
いま自分が生きていることがどれほど幸運なことか考えると、それも吹き飛びます。

平和を願い、守ると同時に、今を生きる自分の命をも大切にしたい、と思います。
Posted by ぱそ at 2006年08月08日 00:18
お久しぶりです。

自分の場合も資料と漫画で知ったようなものでしたね。
しかし・・・それだけです。
最近は授業や講演会でもない限り話はふれられません。
それこそ「原爆の日」としてニュースで報じられるくらいです。
僕の地方ではとある私立の学園が原爆の炎を大切に保存しています。
その学校では必ず広島に行くことになっています。
でもやはり・・・・・この学校だけなんです、戦争を意識しているのは。
もちろん僕のような年代がそのような話をするはずもありません。

それでもただ一つ分かること。
語り尽くせないほどの惨劇があったということ・・・
二度とこんな最悪ともいえる過ちを犯さない為にも、
もっと戦争反対への意識を高めるべきですよね。

今日本に戦争は無くとも、世界を見てみれば民族紛争。
いつかは二度と兵器で人が死ぬことの無いように願いたいものです・・・。
Posted by みぃ〜や at 2006年08月08日 00:46
そのコンサートには行ったことがないけど
毎年テレビで見ています。
その歌もそこで聴きました。
歌詞を読み直してみて
これからも必要な歌だと思います。
忘れがちな僕にとって。
Posted by ごん at 2006年08月08日 01:09
はじめまして。ミンゴス♪                                          僕も原爆のことはおばあちゃんから聞いたことがあります。すごくひどかったらしいです・・・            これからも、戦争なんか起こさないようしっかりしてほしいですね。                       
                                             
Posted by mni at 2006年08月08日 02:20
少しミンゴスの話題から反れますが
ご容赦願います。
戦争は反対。これは同意します
しかし、当時の日本は
戦争を起こした。のではなく
戦争をしなければならない状況に
各国から追い込まれた。

我々(私含む)は事実を捻じ曲げられた
歴史を学んでいる。
ソースは↓
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

某ボクサーの件も似たような事例だが
メディアや政府によって
なんらかの圧力によって歴史から抹消されたり
捻じ曲げられている。
Posted by スカーレット at 2006年08月08日 03:12
広島や長崎の出来事が
忘れてはならない事だとしても
それに対し、同情はしない。
あの出来事がなければ今の日本はない。
同情はしないが、感謝したい。
私が張ったURLも真実かどうか
定かではないが
習った出来事が必ず正しいというものでも
ないのですよ。って事
少し視野を広げて見て
私はこちらを信じた。

批判されるのを覚悟して
コメントしたが
これも一つの意見ってことで・・・。

話反れ&長文スマソ
Posted by スカーレット at 2006年08月08日 03:13
こんなに平和な時代だからこそ、平和を考える事は大切だと思います。
こう書くと「今は物騒じゃないか、戦争だらけじゃないか」と言う人がいるかもしれません。
けれど、そんな争いを体験せずに済んでいるほど平和なのは事実なのです。
この平和を大切に、その思いを大切に、生きていきたいですね。

余談ですが、さださんの歌で『案山子』と言う歌があります。
私が小学生時代に流行った歌ですが、聴くといまだに涙腺が緩みます。
恐らくミンゴスの言っている曲も、私の好きな曲の一つです。
彼の歌は、心に刺さります・・・。
Posted by もあいし at 2006年08月08日 03:13
こんにちわ、鈴野翼です。

さだ氏とは別の某歌手の歌の歌詞にこんなのがあります。

『誰もが笑顔になる花火と、何もかもふっ飛ばす爆弾は
同じようなもので出来ている』

火薬に限らず、同じような物を使って、良いことにも、悪いことにも使える物は、この世の中にたくさんあります。

だったら良いことに使っていきたいですよね。
そういう考え方をする人が増えていくことこそが
世界が平和になる一番の近道かも知れませんね。

なを、鈴野の好きな歌に『ヨイトマケの唄』があります。
古い唄ではありますが、本当にいい唄です。
Posted by 鈴野翼 at 2006年08月08日 05:13

戦争…


戦争によって多くの人々が亡くなりました
関係のない人まで巻き込んで…
その頃は「平和」という言葉を知らない、「戦う、勝つ」としか考えていなかったのでしょうね…

しかし昔があるから今があるのでして
昔の戦争が無ければ、今のような平和は訪れなかったのも事実です


人間は罪深き生き物ですね…

Posted by 春楓 at 2006年08月08日 07:02
問題はそのとき誰が良かったのか?とか悪かったのか?
あるいは仕方がなかったのか?とか必要だったのか?とかそんなことではなく

落とせばこうなることが判っている今でも必要だったり仕方なければ使ってしまうのですか?

ってことなんだと思います
Posted by ささがぁ at 2006年08月08日 09:55
ブログ内容から逸脱しますが常々思うのは[平和のための戦争なんて1度たりとも起きてない]ってことです。
かのアンリ・クロードはこう言いました。

「ウォール街資本家の冨は、第一次世界大戦の死者1千万人、第二次世界大戦の死者3千万人」の上に築かれた」と。

結局、彼らにとっては世界規模のゲームだったのです。

戦争を起こす人間は愚かだがそこで流される血を見て僅かながら反省できる。
だが自分の手を汚さず戦う事はもはやゲーム。ゲームに成り下がった戦争は娯楽である。

こんな下らないゲームの為に人の命が露と消える事に嫌悪感を私は隠しきれません。

明日は長崎原爆投下の日・・人の理性をただ信じるのみ。
Posted by ぷっちぃ at 2006年08月08日 12:43
戦争を起こす人間はいつも安全なところでのうのうとしており、死ぬのは大衆です。原爆で殺された人々は大抵一般市民です。戦争で得をする人間がいるというのは耐えられないことです。自分は広島生まれで、長崎のほうにも親戚がいたので、その惨事はよく聞きました。自分はミンゴスと同年代ですが、下の世代にもこの流れが続くように
Posted by 永遠なれ74 at 2006年08月08日 18:29
8/6は決して忘れてはいけない日ですね。ただ、悲しいのは同じことが8/9に長崎で起きたというのに飽くまで広島のことをメインにされてしまっているということ
確かに広島の方が被害は大きかったのかもしれない。けど長崎での被害が全く無かったわけではないですよね?

来年も再来年もその先もずっと。このことはずっと語り継がれ、記憶から歴史から消されないようにすることがこれからの自分たちの使命だと思います

――忘れることは簡単だけど、忘れたら何の意味も無い。忘れずに語り継がれていくことがこれからの自分たちを強くしていく
のではないでしょうか?

堅くなりました。申し訳ございません
Posted by 九羅香P at 2006年08月08日 23:31
8月の晴天の下、禍々しい炎に焼かれた人達の
無念はどれほどであったでしょう。

その無念、痛み、悲しみが私たちに『平和』を
与えてくれている。

その重みを実感し忘れないこと、それが私たちが
『平和』に払う対価ではないでしょうか。
Posted by そんぎり at 2006年08月08日 23:50
広島と長崎……
戦争での一番の被害者は子ども達ですね…。
何気ない日常がある日、悪い夢をみているかのように儚く砕け散って行く…。
心に傷を負いながらも懸命に生きている…

幸せを奪う権利は誰にも無いんだよ!
…っと、言ってやりたいです。
Posted by リグP at 2006年08月09日 00:44
空の写真にけっこう惹かれましたw

すっきりとして澄んだ青。
なんというか自分の心がどこかで満たされた感があります。

"歴史は繰り返す"
なんて言葉があるけれど、こういった惨劇はもう繰り返してほしくはないですね。

こうやってのほほ〜んとブログを眺めてたりする日常の一コマがかけがえのないものだったりするのかな〜。

追伸
URLのユビキタススリーセブンってありますが、
ミンゴスさんはパチスロ好きなんですか?
Posted by ビアンカ at 2006年08月09日 20:40
戦争に関してはあの時代の(日本も含めた世界の)事情やら
そうそう簡単に言えることもないので口をつぐむことにして。

写真の雲、ハート型してますね。
空と言うか自然って、やっぱり粋なものだと思います。
Posted by へれ at 2006年08月09日 23:05
追加事項ですが、修学旅行で広島に行ったとき、実際に被爆された方のお話を聞くことが出来ました。資料だけでは知ることの出来ない、貴重な体験でした。その方はその後TVなどで拝見することがあったのですが、最近は見かけないのでもしや・・・と思って調べてみたらまだまだお元気のようで、安心しました。

https://www.chugoku-np.co.jp/abom/04abom/04hiroshima_miraidengon/050101_01.html
被爆された方々と、私たちの世代の方々との対談を読むことが出来ます。何かの参考になれば幸いです。
Posted by 流矢 at 2006年08月10日 00:35
何かを求めて、その代償に何かを傷つける。
身勝手なことだ。

時には「それが人間ってものだ」
で片付けられることもあるかもしれないけど、
限度を超えてしまえば「身勝手」は凶器となる。

それをしてしまったモノが人間であれば、
また、それを悲しい事と思うのも人間。

そしてその悲しみは、今もこの空の下のどこかで続いている。

でも、その悲しみを止められるのも、きっと人間しかいない。


…僕たちは戦争を知らない。

でもだからこそ、
主義や主張を唱える前に、
僕たちは同じ空の下で生きているということを忘れてはならないと思う。

うまくいえないけど、「平和」を願わない人なんていないはずだから。
Posted by P at 2006年08月10日 00:53
今井さんがコメントしていた曲は持っていなかったので、CD買ってきました。
さだまさしさんのCDはベスト版しか持っていなかったんですよね。

忘れてはいけない、繰り返してはいけないこと。
でも、私は忘れていたのかも知れません。
もう過去のことだから、と。

考える機会をくれたあなたに感謝いたします。
ありがとうございます。
Posted by PAL at 2006年08月11日 00:39
ミンゴス はじめまして
様々な思惑や事情でおこされた争い。それによって、多くの人生が中断を強いられた。何度も繰り返されて、続いている現実。戦争に限らずおきている悲しみ。誰も他人の人生を断つことなんて許されないんだよ。当たり前のはずなのに、それが忘れられてしまうことがある。欲望に負けてしまうことがある。寂しい事だと俺は思います。忘れてはいけないよね。きちんと伝えていきたいよね。
青臭く偉そうに見えたらごめんなさい。
Posted by TAKA at 2006年08月11日 05:53