2012年04月01日
はじめに
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このブログはゴミクズが水たまりに一石を投じようというブログです。
でも川で水切りも好きです。
ucla99(うくら)と言われていますが、別にどうでもいいです。
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このブログはゴミクズが水たまりに一石を投じようというブログです。
でも川で水切りも好きです。
ucla99(うくら)と言われていますが、別にどうでもいいです。
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2011年05月05日
世のリア充は全員鯉のぼりになればいい
やあやあお久し振りです。
今日はGW最終日だけども、未だにこの糞まみれのブログを見に来るような
趣味の悪いキモオタ共は毎日が日曜日だと思うのであまり関係無いよね。
ちなみに俺は普通に授業だったのでマジ勝ち組。
人が遊んでる間に勉強する背徳感といったら布団の中で仰向けで自慰活動に励むが如きよ。
そんなどうでもいい話はさておき、久しぶりに自分の中の自己顕示欲が
Twitterでは発散できないぐらいになってきたので憂さ晴らしというか、溜まったものを放出しようという次第。
去年の11月ぐらいに書いたものを手直しした。
相変わらず冗長で特に面白く無いけど暇ならどうぞ。続きを読む
2011年01月19日
寝起き物語(リハビリ)
「ジリリリ」というけたたましい音が意識にフェードインしてくる。
火災報知器かと思うほどの大音量のベルの音が耳元で、不快な音を奏で続ける。
うるせぇ。その音に反応してまるでそうプログラムされたかのように目がパッと開かれた。自分の意思とは無関係に。
目の前には白い壁紙、周りの明るさがぼやっとではあるが感じられる。
枕元のどこでも火災報知器、もとい携帯を手に取るといつも通りの時刻を表示していた。
何時に寝たんだろう、おぼろげな記憶を辿るとどうやら3時間半の睡眠しかとっていないと分かった。
もうちょっと体調に考慮して柔軟な働きをしろよ。
携帯を揶揄してみたところで、別に何の意味もないのだけれど。
自動で目を開けるというプログラムをした人間はとんだ無能か、デスマーチを恐れてトンズラこいたんだろう。
目は開くのだが、それ以降は何も動かない。動けない。
どうやらここからは自分の意思で動かなければならないらしい。
睡眠不足の所為だろうか、体が5割増しで重く感じられる。頭は枕に固定されて動かない。
体が上手く動かないので思考を巡らせてみようとしたが、ハッキリと脳細胞にお断りされた。
「ごめんなさい、ヘモグロビン君が私には必要なの」
なんだか意味は良く分からないけど、時期早尚だったようだ
。
気を抜くと瞼が落ちてきて、暗闇がこんにちは。「楽園にいらっしゃい」と見えない何かに誘われる。
現代人の、1日における戦いの第一ラウンドが幕を開けた。対スイマ。
一進一退の攻防の末、紙一重の差で勝利した。今週は1勝1敗。
昨日は完全にやられ、目が覚めたときのは2時間後だった。
瞼はもう落ちてこない、意識もハッキリしてきた。それなのに。金縛りかこれは。
第二ラウンド開始の鐘が鳴った、気がした。己との壮絶な戦いが再度始まった。
真冬の起床、というのは人生における修行の一つなんじゃないか、と思えるほどに苦しい。
もはや苦行と言っていいレベルに達している気がしてならない。
寝起きが悪い、というとすぐに「気合が足りない」という人がいるけど生憎、脳みそはゼリー状であって決して筋肉ではないという考えになのでそんな考えには至らない。
とはいえ、「低血圧だから」の6文字で済ませようとする姿勢にも問題はあるとは思う。
そもそも「朝に強い低血圧」っていう人はいるんだろうか、是非弟子入りしたい。
血圧が低いのはもちろん関係しているのだけど、精神的な弱さもそれなりに起因しているという自覚もある。
だからといって、素晴らしい解決のアイディアがあるわけでもない。
「早めに寝ましょう。自慰行為は控えめに。」
考え付く限りで最善の方法だ。経験者は語る。
おめめパッチリ、目は冴え冴えとはいかずボーっとしたまま時が経つ。
意を決してガバっと起きるのか、もう少しこのままでいるかという自己問答を繰り返していると、窓がガラガラと開けられた。強制起床の合図。
「寒いんだよ、くそが」と低血圧にも関わらず血の気タップリの独り言が出てしまう。
朝は静かに、緩やかに始動したい、というのがモットーなので突然の変化はイライラの原因となる。
ひゅうっと繊維の隙間を抜けて真冬の風が背中に当たる。暖かい布団でこさえた寝汗が一気に冷やされる。
帰りたい、マイホームに。布団の中に戻りたい。起きたことを後悔する。
布団の中で寝たような状態でいたところで数分後には布団を剥がされるので結果的には同じなのだけど。
それでも、1秒でも温まっていたいというのが本質なんだと声を大にして言いたい。
やらない後悔よりやってする後悔の方がいい、誰かがそんなことを言っていた気がする。
完全に布団を剥がし、ボキボキと、腰をひねって歪んだ間接を簡易矯正。
首も左右90度に曲げて、ゴキゴキ。明らかに神経が歪んだ骨々で圧迫されてる気はするが、気にしない。
痛気持ちいいというのはこういうことを言うのだろう。準備完了。
地を足につけ、大地を踏みしめる。薄いカーペットだけど、下は冷たいコンクリだけど。
舞台は北海道の十勝平野。目の前に広がる広大なジャガイモ畑。ばかじゃねーの。
現代人と比べると幾分遅いものの、1日が始まる。
希望もない、ルーティンワークをこなすだけの毎日はもうごめんだ。
明日が待ち遠しい、ワクワクして眠れない、そんな日々を送る時が来るんだろうか。
今は勝ったり負けたりしてる、スイマなんか楽勝でなぎ倒せるようになった時がその時なのかもしれない。
答えはいつも一寸先。一寸先は闇。闇を照らす一筋のジャガイモに、なりたい。
お粗末さまでした。
火災報知器かと思うほどの大音量のベルの音が耳元で、不快な音を奏で続ける。
うるせぇ。その音に反応してまるでそうプログラムされたかのように目がパッと開かれた。自分の意思とは無関係に。
目の前には白い壁紙、周りの明るさがぼやっとではあるが感じられる。
枕元のどこでも火災報知器、もとい携帯を手に取るといつも通りの時刻を表示していた。
何時に寝たんだろう、おぼろげな記憶を辿るとどうやら3時間半の睡眠しかとっていないと分かった。
もうちょっと体調に考慮して柔軟な働きをしろよ。
携帯を揶揄してみたところで、別に何の意味もないのだけれど。
自動で目を開けるというプログラムをした人間はとんだ無能か、デスマーチを恐れてトンズラこいたんだろう。
目は開くのだが、それ以降は何も動かない。動けない。
どうやらここからは自分の意思で動かなければならないらしい。
睡眠不足の所為だろうか、体が5割増しで重く感じられる。頭は枕に固定されて動かない。
体が上手く動かないので思考を巡らせてみようとしたが、ハッキリと脳細胞にお断りされた。
「ごめんなさい、ヘモグロビン君が私には必要なの」
なんだか意味は良く分からないけど、時期早尚だったようだ
。
気を抜くと瞼が落ちてきて、暗闇がこんにちは。「楽園にいらっしゃい」と見えない何かに誘われる。
現代人の、1日における戦いの第一ラウンドが幕を開けた。対スイマ。
一進一退の攻防の末、紙一重の差で勝利した。今週は1勝1敗。
昨日は完全にやられ、目が覚めたときのは2時間後だった。
瞼はもう落ちてこない、意識もハッキリしてきた。それなのに。金縛りかこれは。
第二ラウンド開始の鐘が鳴った、気がした。己との壮絶な戦いが再度始まった。
真冬の起床、というのは人生における修行の一つなんじゃないか、と思えるほどに苦しい。
もはや苦行と言っていいレベルに達している気がしてならない。
寝起きが悪い、というとすぐに「気合が足りない」という人がいるけど生憎、脳みそはゼリー状であって決して筋肉ではないという考えになのでそんな考えには至らない。
とはいえ、「低血圧だから」の6文字で済ませようとする姿勢にも問題はあるとは思う。
そもそも「朝に強い低血圧」っていう人はいるんだろうか、是非弟子入りしたい。
血圧が低いのはもちろん関係しているのだけど、精神的な弱さもそれなりに起因しているという自覚もある。
だからといって、素晴らしい解決のアイディアがあるわけでもない。
「早めに寝ましょう。自慰行為は控えめに。」
考え付く限りで最善の方法だ。経験者は語る。
おめめパッチリ、目は冴え冴えとはいかずボーっとしたまま時が経つ。
意を決してガバっと起きるのか、もう少しこのままでいるかという自己問答を繰り返していると、窓がガラガラと開けられた。強制起床の合図。
「寒いんだよ、くそが」と低血圧にも関わらず血の気タップリの独り言が出てしまう。
朝は静かに、緩やかに始動したい、というのがモットーなので突然の変化はイライラの原因となる。
ひゅうっと繊維の隙間を抜けて真冬の風が背中に当たる。暖かい布団でこさえた寝汗が一気に冷やされる。
帰りたい、マイホームに。布団の中に戻りたい。起きたことを後悔する。
布団の中で寝たような状態でいたところで数分後には布団を剥がされるので結果的には同じなのだけど。
それでも、1秒でも温まっていたいというのが本質なんだと声を大にして言いたい。
やらない後悔よりやってする後悔の方がいい、誰かがそんなことを言っていた気がする。
完全に布団を剥がし、ボキボキと、腰をひねって歪んだ間接を簡易矯正。
首も左右90度に曲げて、ゴキゴキ。明らかに神経が歪んだ骨々で圧迫されてる気はするが、気にしない。
痛気持ちいいというのはこういうことを言うのだろう。準備完了。
地を足につけ、大地を踏みしめる。薄いカーペットだけど、下は冷たいコンクリだけど。
舞台は北海道の十勝平野。目の前に広がる広大なジャガイモ畑。ばかじゃねーの。
現代人と比べると幾分遅いものの、1日が始まる。
希望もない、ルーティンワークをこなすだけの毎日はもうごめんだ。
明日が待ち遠しい、ワクワクして眠れない、そんな日々を送る時が来るんだろうか。
今は勝ったり負けたりしてる、スイマなんか楽勝でなぎ倒せるようになった時がその時なのかもしれない。
答えはいつも一寸先。一寸先は闇。闇を照らす一筋のジャガイモに、なりたい。
お粗末さまでした。
2010年09月26日
クズ・・・!
みなさんこんにちは。
この間の日記で啖呵を切ったのはいいんですが、全くといっていいほど更新意欲がわかない状態。
「ブログ更新」=「ある程度まとまった分量で、それなりにテーマがあることを書かないといけない」という堅い考えに支配されていて、中々書くまでに辿り着きません。
そういう面ではツイッターはなにも考えなくても適当にアホなこと書いてもタイムラインずっとは残らないってことで気兼ねなくできるのが良い所。
どう考えても1日の大半を家で過ごすことに問題があるのは間違いないんだけど、今のところこれはどうしようもないんだよな・・・
そのうち外に出て社交的になろうとする時期があるので、そのころにはもう少し違ったことも書けるんじゃなかろうか、と思っています。
とりあえず、なんだか1日数人でも見に来てくれる人に悪いので、自分のツイッターのまとめブログみたいなシステムのページを張っておきます。
クズのつぶやきまとめ
2010年09月07日
クズの生き方
久々の更新である。みなさん覚えているだろうか、クズが帰ってきました。
最後に僕がこのブログの更新画面を開いた時から約1年が経過した。
この場に足を踏み入れ、更新することを待ちわびていた人がこの世に3人くらいいたのかもしれないが、その数少ない同志、もといクズな人間たちも時間の経過と共に消えていった。
消えていったという言い方はおかしいのかもしれない。責任はこちら側にあるのだし。
水が流れないところに川はできない、ってことでしょう。
元々、何の経歴も実績も無い一介の受験生、大学生であった人間のブログに読者は何を求めていたのか。
一言でいえば「くだらなさ」ではないだろうか。いささか抽象的ではあるが、インターネット上に存在するクズとして、僕はくだらないコンテンツをこの場に展示していたということである。
日常的に起こった出来事を、その中で感じたことをあらん限りの表現を尽くし、時間をかけてブログのエントリを書いていた。
人によってはそれがイラストであったり、動画であったりするのだけど僕の場合はたまたま文章として、ブログというサービスを通して皆さんの目に触れるようにしていたということだ。
そういう書き方をすれば聞こえは良いが、元来そういうものを発表したいと思う人間は自己顕示欲の塊なのである。
「こんなに素晴らしいものができた!これを自分の中で完結させるのはもったいないじゃないか!ぜひ多くの人に見てもらいたい!俺ってマジすげぇwww」
お分かりいただけただろうか、ブログを書く、イラストを描く、動画を作る、そしてそれらを公の場に載せるという行為は自己満足という点において所詮、オナニーとなんら変わりはないということを。
また、多くの人間は
「コメントありがとうございます!」
「見に来ていただいて嬉しいです^^」
などと謙遜し、あたかも自分が控えめな人間だということをアピールしがちだ。
読者の方は覚えておいてほしい、僕を含む彼らの本心を。
「なんでこんなにアクセス数少ないんだよ・・・」
「あいつより俺のほうがおもしれーだろうが!くそっ・・・・」
何度も言うが僕らは自己顕示欲の塊である。誰もがその欲を内に秘めている。
髪形をいじること、服をコーディネイトすること、これらもまた自己顕示欲を満たす行為なのではないだろうか。
自己満足、というのは自己顕示欲を満たすこと、言うなれば「他人から見られる(と自覚する)ことで得られる充足的な感覚」だと思う。
自己満足を得るための手段が、たまたまブログを書くことであっただけで、自己顕示欲を満たそうとしているという点において、僕らは街を歩くオシャレ(またはオシャレしようとしている)な人間となんら変わりはない、ということを強調しておきたい。
そしてたまたま、インターネットの世界が「アンダーグラウンド」だと認識されていたからこそ僕らは「クズ」であったということ、世の中のオシャレな人間が「かっこいい、すごい」という羨望の眼差しを受ける存在であるということを覚えておいてほしい。
自己弁護などではなく、本質的な比較では「カジカジ」に載る読者モデルと「1000PV/日」を叩き出すブログの管理者はイコールだと言えるのである。
僕たちは「クズ」であった。なぜなら世の中においてマイノリティだったからだ。
インターネットの世界で不特定多数に向けて日記を書く、動画を配信するということに一般の人々(以下パンピー)は「怪しさ」や「気持ち悪さ」を抱いていた節があった。
というのも僕は今から4年前、高校1年生の時からブログというものをやっているが高校時代は「俺ブログやってるんだけど・・」など口が裂けても言えなかった。
それに関しては書いている内容が低俗、かつ頭が悪いとしか言いようがないものだったので「リアルの知り合いにそれらを知られたら休み時間はうつ伏せになって寝たふりをする生活を3年間送り続けなければならない」という危惧があったということもあるが、もし単純に受験生活の記録をしていたものであったとしても、それでもやはり大っぴらにはできなかったと思う。
しかし時代は変わりつつある。ミクシィが普及したことで今や日本人の6〜7人に一人はごく限られたコミュニティ内ではあるが、日記を書くようになった。
そしてツイッターである。平たく言えば、ブログの文字制限が140字になっただけものでなんらブログと変わりはない。
ツイッターの人気はこの数年で自分が今何をしているか、何を思っているか、という今までに自分の内部に留めていたことを多くの人に向けて発信するという行為が当たり前になってきたということを切に表している。
自己満足の手段が多様化した、ということになるだろうか。
時代の流れにより僕らの様な人間は「マジョリティ」になった。
卑下され、侮蔑される対象から脱却した。
しかしながら未だに僕は「クズ」である。それはなぜだろうか。
みんながこんなに自己顕示欲を満たすための行為をしている、みんな同じはずなのに・・・・
答えは単純だ。内容に問題があるのではないか。
今までに書いたエントリを見直してみた。1年半前、リクルートスーツを着た女性が性的対象としていかに魅力的なのかということを延々説いている自分がいた。
あまつさえ、具体的なアダルトなビデオのタイトルが、あった。これが、俺か・・・・
僕はそっとブラウザを閉じ、今まで低俗な記事しか生み出してこなかった自らの頭を豆腐の角にぶつけて死のうと思った。
しかし家に豆腐がなかったのであきらめることにした。
冷蔵庫の中を見回すと、そこには紫の太くて婉曲した、ナスが鎮座しておられた。
そして僕は思い出した。中学時代の友達が話していたことを、
「俺の姉ちゃんの友達がさぁ!ナスでやってたんだよ、アレを。そしたらそのナスが途中で折れちゃったんだよねwwんで母親に頼んで救急車を呼んでもらったらしいぜwww」
これを今度ブログに書こうと思った僕はやはりクズだった。
またこれからクズらしく生きていきます。更新もする。今回は詐欺じゃない、と思う。
ではまた。
最後に僕がこのブログの更新画面を開いた時から約1年が経過した。
この場に足を踏み入れ、更新することを待ちわびていた人がこの世に3人くらいいたのかもしれないが、その数少ない同志、もといクズな人間たちも時間の経過と共に消えていった。
消えていったという言い方はおかしいのかもしれない。責任はこちら側にあるのだし。
水が流れないところに川はできない、ってことでしょう。
元々、何の経歴も実績も無い一介の受験生、大学生であった人間のブログに読者は何を求めていたのか。
一言でいえば「くだらなさ」ではないだろうか。いささか抽象的ではあるが、インターネット上に存在するクズとして、僕はくだらないコンテンツをこの場に展示していたということである。
日常的に起こった出来事を、その中で感じたことをあらん限りの表現を尽くし、時間をかけてブログのエントリを書いていた。
人によってはそれがイラストであったり、動画であったりするのだけど僕の場合はたまたま文章として、ブログというサービスを通して皆さんの目に触れるようにしていたということだ。
そういう書き方をすれば聞こえは良いが、元来そういうものを発表したいと思う人間は自己顕示欲の塊なのである。
「こんなに素晴らしいものができた!これを自分の中で完結させるのはもったいないじゃないか!ぜひ多くの人に見てもらいたい!俺ってマジすげぇwww」
お分かりいただけただろうか、ブログを書く、イラストを描く、動画を作る、そしてそれらを公の場に載せるという行為は自己満足という点において所詮、オナニーとなんら変わりはないということを。
また、多くの人間は
「コメントありがとうございます!」
「見に来ていただいて嬉しいです^^」
などと謙遜し、あたかも自分が控えめな人間だということをアピールしがちだ。
読者の方は覚えておいてほしい、僕を含む彼らの本心を。
「なんでこんなにアクセス数少ないんだよ・・・」
「あいつより俺のほうがおもしれーだろうが!くそっ・・・・」
何度も言うが僕らは自己顕示欲の塊である。誰もがその欲を内に秘めている。
髪形をいじること、服をコーディネイトすること、これらもまた自己顕示欲を満たす行為なのではないだろうか。
自己満足、というのは自己顕示欲を満たすこと、言うなれば「他人から見られる(と自覚する)ことで得られる充足的な感覚」だと思う。
自己満足を得るための手段が、たまたまブログを書くことであっただけで、自己顕示欲を満たそうとしているという点において、僕らは街を歩くオシャレ(またはオシャレしようとしている)な人間となんら変わりはない、ということを強調しておきたい。
そしてたまたま、インターネットの世界が「アンダーグラウンド」だと認識されていたからこそ僕らは「クズ」であったということ、世の中のオシャレな人間が「かっこいい、すごい」という羨望の眼差しを受ける存在であるということを覚えておいてほしい。
自己弁護などではなく、本質的な比較では「カジカジ」に載る読者モデルと「1000PV/日」を叩き出すブログの管理者はイコールだと言えるのである。
僕たちは「クズ」であった。なぜなら世の中においてマイノリティだったからだ。
インターネットの世界で不特定多数に向けて日記を書く、動画を配信するということに一般の人々(以下パンピー)は「怪しさ」や「気持ち悪さ」を抱いていた節があった。
というのも僕は今から4年前、高校1年生の時からブログというものをやっているが高校時代は「俺ブログやってるんだけど・・」など口が裂けても言えなかった。
それに関しては書いている内容が低俗、かつ頭が悪いとしか言いようがないものだったので「リアルの知り合いにそれらを知られたら休み時間はうつ伏せになって寝たふりをする生活を3年間送り続けなければならない」という危惧があったということもあるが、もし単純に受験生活の記録をしていたものであったとしても、それでもやはり大っぴらにはできなかったと思う。
しかし時代は変わりつつある。ミクシィが普及したことで今や日本人の6〜7人に一人はごく限られたコミュニティ内ではあるが、日記を書くようになった。
そしてツイッターである。平たく言えば、ブログの文字制限が140字になっただけものでなんらブログと変わりはない。
ツイッターの人気はこの数年で自分が今何をしているか、何を思っているか、という今までに自分の内部に留めていたことを多くの人に向けて発信するという行為が当たり前になってきたということを切に表している。
自己満足の手段が多様化した、ということになるだろうか。
時代の流れにより僕らの様な人間は「マジョリティ」になった。
卑下され、侮蔑される対象から脱却した。
しかしながら未だに僕は「クズ」である。それはなぜだろうか。
みんながこんなに自己顕示欲を満たすための行為をしている、みんな同じはずなのに・・・・
答えは単純だ。内容に問題があるのではないか。
今までに書いたエントリを見直してみた。1年半前、リクルートスーツを着た女性が性的対象としていかに魅力的なのかということを延々説いている自分がいた。
あまつさえ、具体的なアダルトなビデオのタイトルが、あった。これが、俺か・・・・
僕はそっとブラウザを閉じ、今まで低俗な記事しか生み出してこなかった自らの頭を豆腐の角にぶつけて死のうと思った。
しかし家に豆腐がなかったのであきらめることにした。
冷蔵庫の中を見回すと、そこには紫の太くて婉曲した、ナスが鎮座しておられた。
そして僕は思い出した。中学時代の友達が話していたことを、
「俺の姉ちゃんの友達がさぁ!ナスでやってたんだよ、アレを。そしたらそのナスが途中で折れちゃったんだよねwwんで母親に頼んで救急車を呼んでもらったらしいぜwww」
これを今度ブログに書こうと思った僕はやはりクズだった。
またこれからクズらしく生きていきます。更新もする。今回は詐欺じゃない、と思う。
ではまた。
