2013年09月01日

バカッターについての雑感

未だ四半世紀しか生きていない青い僕ですら、2年の年月が経つのは非常に
早いものだとこのブログの編集画面を見て実感しております。

もちろん、最後に更新をした時から日常生活の中で「このテーマで文章を書こう」とか
「こういう表現を使いたいな」ということを考える一時は両手では数え切れないぐらいに
あったのだけど、いざデスクの前に座ると違うことを優先してしていたというのが現実で
なし崩し的に今まで何もしてこなかった訳です。

いつか書いたことがあるけど、Twitterが何も考えずに投稿できてしまう上にその割に
ふぁぼやRTをされてしまうのを見ると自己顕示欲や承認欲求を満たすのに最適な
ツールすぎるなと。

当たり前の話で更新をしていないブログに人が来るわけは無いんですが、
必死こいて文章を綴って推敲を重ねた上で公開したのにカウンターが1桁しか回ってない
なんて現実を直視してしまうとTwitterの旨味を知っている分、手軽に結果が出る方に
傾いてしまうのは仕方の無いことなのかなぁと思うんです。

更新頻度を上げ、他人のブログにコメントをしにいって、相互リンクを貼ってもらい
地道に行動してやっとPVが3桁まで行って喜んでたのに今じゃフォローボタンを押しまくる
だけでフォローバックがあって、それだけで数百人のTLに自分の投稿が流れる訳ですからね。

文章も絵や音楽と同じように創作活動の産物だと思っているので、書き終えて一定の満足感を
得られるのは間違いないんですが「多くの人に見てもらいたい」「良し悪し問わず反応が見たい」
という気持ちを絶対に抱くのが人間の性だと思うんです。

TwitterやPixiv、Youtubeやニコニコ動画といったツールが登場したことで「創作活動」
の壁が一気に低くなって誰しもがアーティストになれる環境になりました。

上の例はソフトに関してだけども同様にハードの面においても数万円で購入できる
高性能なスマートフォンがあることで、写真や動画は綺麗に撮影、加工まで出来るようになり
様々な方法でネットの海に放流することが可能になった訳です。

ペンタブやキャプチャーボードといった機材も5年も前はある程度の可処分所得がある
社会人にしか買えないぐらいの価格でしたが、今では高校生でもお小遣いを少し貯めれば
手が届くまでになっています。

ハードが高性能かつ安価で手に入るようになったこと、ネットサービスの登場で
アーティストの間口が広がったことは上記の通りですが、何故これほど普及したのか
その部分について自分なりの考えを書き連ねたいと思います。

といってもそれほど大層に語るものでは無く、冒頭で挙げた「自己顕示欲」と「承認欲求」
が簡単に満たされるからこそ、これほど普及しているんじゃないかと。

「そんなこと当たり前だろ(笑)今更仰々しく言ってんじゃねーよ^^」という
声が聞こえてきそうなんですが、それを改めて文章化するのが難しいだよ死ね。ということです。

承認欲求とはー

世界一信用できる情報源であるwikipediaのページは長々としているのでまとめると
承認欲求とは「他者から認められたい」という欲求のことです。

その中でも誰に認められるかという部分で2つ種類があります。
‖昭埔鞠Б他人に認められたい
⊆己承認→自分の理想通りになりたい

また、どのように認められるかについてもタイプ分けができ、
‐絨名鞠Б他人より上と認められたい、例(ナルシスト)
対等承認→人並みに認められたい
2式名鞠Б人に蔑まれたい、例(マゾヒスト)

という3種類があります。どのタイプも自身の抱える劣等感だったり性格上の
問題に起因してこれらの承認欲求を持つということみたいです。

心理学者のマズローは人間の持つ基本的欲求を5つの階層に分けました。
これに関しては説明がめんどいのでグーグル先生に聞いて欲しいんですが
最低次の欲求として「飯食いたい、寝たい、セックスしたい、うんこしたい」という
生理的な欲求が存在し、段々とに安全な寝床が欲しいとか恋人が欲しいと
ランクアップしていくという感じです。

「承認欲求」はその中で4番目に位置しています。4番目までの欲求が満たされないと
人は緊張や不安になるとされています。

誰しもが承認欲求を持ち、中でも「他人に認められたい」という思いを持ちながら
生活していた。ただ、それを満たすにはあまりにも多くの時間や費用が掛かるので
「割にあわないなぁ」と判断して行動に移す人は少なかっただろうと。

「文章」を承認欲求を満たす道具として見た場合だと、テキストサイトの時代は
自分でHTMLタグを手打ちしてHPを構築して、サーバーもレンタルする必要が
ありました。

ブログの登場でHPの構成はテンプレートを選べばいいし、記事のタイトルと
文章を埋めるだけで良くなり、Twitterに関しては知っての通り140文字以内で
何かを書けば誰かの必ず目に触れるというものです。

承認欲求を満たすことが簡単になった、簡単になりすぎたと言った方が
正しいかもしれないなと思っています。

最近、話題になっている「バカッター」という現象がまさに簡単になりすぎた
弊害なんだろうと。

承認欲求を満たすということは他人の目に触れて反応をもらうということですが、
ネットサービスの普及に対して「どのレベルの行動まで公開したらダメなのか」
ということを教える環境が全く無かった為にアイスケースに入ったり、醤油差しを
鼻に差した写真を不特定多数の人間に公開してしまったんだろうと。

インターネット世界における道徳的な部分は誰かに教えてもらうというよりも
自分で学ぶしか無いのが現状のように思えます。「半年ROMってろ」と言われるのは
まだマシな方で、基本的には自分自身で積み上げる必要があるんじゃないかと。

こういった悪事自体は昔からあって、「若者が凶暴化」とかってのは見当違い
だと思うんですね。

僕が10代だったころは前略プロフィールだったり、招待制のmixi
だったりと完全に身内しか見ない環境しか存在しなかったので、何かやらかした
としても同じ学校の中だったり、大きくても隣の学校ぐらいにしか広がらなかった
ように思えます。

その中だったら「あいつはおかしい」って蔑まれるぐらいで済んだんですが
そのノリというか、認識のままでTwitterに投稿しちゃってるんだろうなと。

バイト先の冷蔵庫に入ったり食材で遊ぶ事自体は反吐が出るほどクソな
行動だというのは間違いないです、「彼らもネットの被害者だ」なんて
擁護する気は甚だありません。

学校を退学させられて人生がおかしくなっても「メシウマww」「ざまぁww」
としか思わないぐらいのクズなんでそこはブレないんですが、反面教師にする
必要はあるかなと。

TwitterやFacebookのSNSが依存とは言わないにしても生活に必要不可欠な
存在になっているのは間違い無いし、その中で自分がバカッターの仲間入り
をしないための教訓として夏休みのバカッター事件を眺めてもらえるきっかけ
となればと思って色々と書き連ねた次第です。

まともに長文を書いたのは2年ぶりなのでお見苦しいかとは思いますが
最後までありがとうございました。

そんな感じでまた何かしら書きます。


ucla99 at 19:08|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2011年05月05日

世のリア充は全員鯉のぼりになればいい


やあやあお久し振りです。

今日はGW最終日だけども、未だにこの糞まみれのブログを見に来るような
趣味の悪いキモオタ共は毎日が日曜日だと思うのであまり関係無いよね。

ちなみに俺は普通に授業だったのでマジ勝ち組。

人が遊んでる間に勉強する背徳感といったら布団の中で仰向けで自慰活動に励むが如きよ。

そんなどうでもいい話はさておき、久しぶりに自分の中の自己顕示欲が
Twitterでは発散できないぐらいになってきたので憂さ晴らしというか、溜まったものを放出しようという次第。

去年の11月ぐらいに書いたものを手直しした。

相変わらず冗長で特に面白く無いけど暇ならどうぞ。続きを読む

ucla99 at 23:27|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2011年01月19日

寝起き物語(リハビリ)

「ジリリリ」というけたたましい音が意識にフェードインしてくる。

火災報知器かと思うほどの大音量のベルの音が耳元で、不快な音を奏で続ける。

うるせぇ。その音に反応してまるでそうプログラムされたかのように目がパッと開かれた。自分の意思とは無関係に。

目の前には白い壁紙、周りの明るさがぼやっとではあるが感じられる。

枕元のどこでも火災報知器、もとい携帯を手に取るといつも通りの時刻を表示していた。

何時に寝たんだろう、おぼろげな記憶を辿るとどうやら3時間半の睡眠しかとっていないと分かった。

もうちょっと体調に考慮して柔軟な働きをしろよ。

携帯を揶揄してみたところで、別に何の意味もないのだけれど。

自動で目を開けるというプログラムをした人間はとんだ無能か、デスマーチを恐れてトンズラこいたんだろう。

目は開くのだが、それ以降は何も動かない。動けない。

どうやらここからは自分の意思で動かなければならないらしい。

睡眠不足の所為だろうか、体が5割増しで重く感じられる。頭は枕に固定されて動かない。

体が上手く動かないので思考を巡らせてみようとしたが、ハッキリと脳細胞にお断りされた。

「ごめんなさい、ヘモグロビン君が私には必要なの」

なんだか意味は良く分からないけど、時期早尚だったようだ

気を抜くと瞼が落ちてきて、暗闇がこんにちは。「楽園にいらっしゃい」と見えない何かに誘われる。

現代人の、1日における戦いの第一ラウンドが幕を開けた。対スイマ。
     
一進一退の攻防の末、紙一重の差で勝利した。今週は1勝1敗。

昨日は完全にやられ、目が覚めたときのは2時間後だった。

瞼はもう落ちてこない、意識もハッキリしてきた。それなのに。金縛りかこれは。

第二ラウンド開始の鐘が鳴った、気がした。己との壮絶な戦いが再度始まった。


真冬の起床、というのは人生における修行の一つなんじゃないか、と思えるほどに苦しい。

もはや苦行と言っていいレベルに達している気がしてならない。

寝起きが悪い、というとすぐに「気合が足りない」という人がいるけど生憎、脳みそはゼリー状であって決して筋肉ではないという考えになのでそんな考えには至らない。

とはいえ、「低血圧だから」の6文字で済ませようとする姿勢にも問題はあるとは思う。

そもそも「朝に強い低血圧」っていう人はいるんだろうか、是非弟子入りしたい。

血圧が低いのはもちろん関係しているのだけど、精神的な弱さもそれなりに起因しているという自覚もある。

だからといって、素晴らしい解決のアイディアがあるわけでもない。

「早めに寝ましょう。自慰行為は控えめに。」

考え付く限りで最善の方法だ。経験者は語る。

おめめパッチリ、目は冴え冴えとはいかずボーっとしたまま時が経つ。

意を決してガバっと起きるのか、もう少しこのままでいるかという自己問答を繰り返していると、窓がガラガラと開けられた。強制起床の合図。

「寒いんだよ、くそが」と低血圧にも関わらず血の気タップリの独り言が出てしまう。

朝は静かに、緩やかに始動したい、というのがモットーなので突然の変化はイライラの原因となる。

ひゅうっと繊維の隙間を抜けて真冬の風が背中に当たる。暖かい布団でこさえた寝汗が一気に冷やされる。

帰りたい、マイホームに。布団の中に戻りたい。起きたことを後悔する。

布団の中で寝たような状態でいたところで数分後には布団を剥がされるので結果的には同じなのだけど。

それでも、1秒でも温まっていたいというのが本質なんだと声を大にして言いたい。

やらない後悔よりやってする後悔の方がいい、誰かがそんなことを言っていた気がする。

完全に布団を剥がし、ボキボキと、腰をひねって歪んだ間接を簡易矯正。

首も左右90度に曲げて、ゴキゴキ。明らかに神経が歪んだ骨々で圧迫されてる気はするが、気にしない。

痛気持ちいいというのはこういうことを言うのだろう。準備完了。

地を足につけ、大地を踏みしめる。薄いカーペットだけど、下は冷たいコンクリだけど。

舞台は北海道の十勝平野。目の前に広がる広大なジャガイモ畑。ばかじゃねーの。


現代人と比べると幾分遅いものの、1日が始まる。

希望もない、ルーティンワークをこなすだけの毎日はもうごめんだ。

明日が待ち遠しい、ワクワクして眠れない、そんな日々を送る時が来るんだろうか。

今は勝ったり負けたりしてる、スイマなんか楽勝でなぎ倒せるようになった時がその時なのかもしれない。

答えはいつも一寸先。一寸先は闇。闇を照らす一筋のジャガイモに、なりたい。

お粗末さまでした。













ucla99 at 15:52|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2010年09月26日

クズ・・・!


みなさんこんにちは。

この間の日記で啖呵を切ったのはいいんですが、全くといっていいほど更新意欲がわかない状態。

「ブログ更新」=「ある程度まとまった分量で、それなりにテーマがあることを書かないといけない」という堅い考えに支配されていて、中々書くまでに辿り着きません。

そういう面ではツイッターはなにも考えなくても適当にアホなこと書いてもタイムラインずっとは残らないってことで気兼ねなくできるのが良い所。

どう考えても1日の大半を家で過ごすことに問題があるのは間違いないんだけど、今のところこれはどうしようもないんだよな・・・

そのうち外に出て社交的になろうとする時期があるので、そのころにはもう少し違ったことも書けるんじゃなかろうか、と思っています。

とりあえず、なんだか1日数人でも見に来てくれる人に悪いので、自分のツイッターのまとめブログみたいなシステムのページを張っておきます。

クズのつぶやきまとめ

ucla99 at 15:06|PermalinkComments(2)TrackBack(0)日常の戯言 

2010年09月07日

クズの生き方

久々の更新である。みなさん覚えているだろうか、クズが帰ってきました。

最後に僕がこのブログの更新画面を開いた時から約1年が経過した。

この場に足を踏み入れ、更新することを待ちわびていた人がこの世に3人くらいいたのかもしれないが、その数少ない同志、もといクズな人間たちも時間の経過と共に消えていった。

消えていったという言い方はおかしいのかもしれない。責任はこちら側にあるのだし。

水が流れないところに川はできない、ってことでしょう。

元々、何の経歴も実績も無い一介の受験生、大学生であった人間のブログに読者は何を求めていたのか。

一言でいえば「くだらなさ」ではないだろうか。いささか抽象的ではあるが、インターネット上に存在するクズとして、僕はくだらないコンテンツをこの場に展示していたということである。

日常的に起こった出来事を、その中で感じたことをあらん限りの表現を尽くし、時間をかけてブログのエントリを書いていた。

人によってはそれがイラストであったり、動画であったりするのだけど僕の場合はたまたま文章として、ブログというサービスを通して皆さんの目に触れるようにしていたということだ。

そういう書き方をすれば聞こえは良いが、元来そういうものを発表したいと思う人間は自己顕示欲の塊なのである。

「こんなに素晴らしいものができた!これを自分の中で完結させるのはもったいないじゃないか!ぜひ多くの人に見てもらいたい!俺ってマジすげぇwww」

お分かりいただけただろうか、ブログを書く、イラストを描く、動画を作る、そしてそれらを公の場に載せるという行為は自己満足という点において所詮、オナニーとなんら変わりはないということを。


また、多くの人間は

「コメントありがとうございます!」

「見に来ていただいて嬉しいです^^」

などと謙遜し、あたかも自分が控えめな人間だということをアピールしがちだ。



読者の方は覚えておいてほしい、僕を含む彼らの本心を。

「なんでこんなにアクセス数少ないんだよ・・・」

「あいつより俺のほうがおもしれーだろうが!くそっ・・・・」

何度も言うが僕らは自己顕示欲の塊である。誰もがその欲を内に秘めている。

髪形をいじること、服をコーディネイトすること、これらもまた自己顕示欲を満たす行為なのではないだろうか。

自己満足、というのは自己顕示欲を満たすこと、言うなれば「他人から見られる(と自覚する)ことで得られる充足的な感覚」だと思う。

自己満足を得るための手段が、たまたまブログを書くことであっただけで、自己顕示欲を満たそうとしているという点において、僕らは街を歩くオシャレ(またはオシャレしようとしている)な人間となんら変わりはない、ということを強調しておきたい。

そしてたまたま、インターネットの世界が「アンダーグラウンド」だと認識されていたからこそ僕らは「クズ」であったということ、世の中のオシャレな人間が「かっこいい、すごい」という羨望の眼差しを受ける存在であるということを覚えておいてほしい。

自己弁護などではなく、本質的な比較では「カジカジ」に載る読者モデルと「1000PV/日」を叩き出すブログの管理者はイコールだと言えるのである。

僕たちは「クズ」であった。なぜなら世の中においてマイノリティだったからだ。

インターネットの世界で不特定多数に向けて日記を書く、動画を配信するということに一般の人々(以下パンピー)は「怪しさ」や「気持ち悪さ」を抱いていた節があった。

というのも僕は今から4年前、高校1年生の時からブログというものをやっているが高校時代は「俺ブログやってるんだけど・・」など口が裂けても言えなかった。

それに関しては書いている内容が低俗、かつ頭が悪いとしか言いようがないものだったので「リアルの知り合いにそれらを知られたら休み時間はうつ伏せになって寝たふりをする生活を3年間送り続けなければならない」という危惧があったということもあるが、もし単純に受験生活の記録をしていたものであったとしても、それでもやはり大っぴらにはできなかったと思う。

しかし時代は変わりつつある。ミクシィが普及したことで今や日本人の6〜7人に一人はごく限られたコミュニティ内ではあるが、日記を書くようになった。

そしてツイッターである。平たく言えば、ブログの文字制限が140字になっただけものでなんらブログと変わりはない。

ツイッターの人気はこの数年で自分が今何をしているか、何を思っているか、という今までに自分の内部に留めていたことを多くの人に向けて発信するという行為が当たり前になってきたということを切に表している。

自己満足の手段が多様化した、ということになるだろうか。



時代の流れにより僕らの様な人間は「マジョリティ」になった。


卑下され、侮蔑される対象から脱却した。

しかしながら未だに僕は「クズ」である。それはなぜだろうか。


みんながこんなに自己顕示欲を満たすための行為をしている、みんな同じはずなのに・・・・

答えは単純だ。内容に問題があるのではないか。


今までに書いたエントリを見直してみた。1年半前、リクルートスーツを着た女性が性的対象としていかに魅力的なのかということを延々説いている自分がいた。

あまつさえ、具体的なアダルトなビデオのタイトルが、あった。これが、俺か・・・・

僕はそっとブラウザを閉じ、今まで低俗な記事しか生み出してこなかった自らの頭を豆腐の角にぶつけて死のうと思った。

しかし家に豆腐がなかったのであきらめることにした。

冷蔵庫の中を見回すと、そこには紫の太くて婉曲した、ナスが鎮座しておられた。

そして僕は思い出した。中学時代の友達が話していたことを、

「俺の姉ちゃんの友達がさぁ!ナスでやってたんだよ、アレを。そしたらそのナスが途中で折れちゃったんだよねwwんで母親に頼んで救急車を呼んでもらったらしいぜwww」


これを今度ブログに書こうと思った僕はやはりクズだった。


またこれからクズらしく生きていきます。更新もする。今回は詐欺じゃない、と思う。


ではまた。


ucla99 at 14:25|PermalinkComments(4)日常の戯言