2017年03月24日

京都 六角堂到着、そして参拝(3日目:最終日)

CIMG3674CIMG369514:25頃、錦市場を後にして小雨の降る中、歩いて約15分、14:40頃、六角堂に到着でした。説明書きによれば、「紫雲山頂法寺と号する寺で、本堂が六角宝形造であることから一般に「六角堂」の名で人々に親しまれている。開基は聖徳太子で、四天王寺建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。早くから人々の崇敬を受け、弘仁13年(822)には嵯峨天皇の勅願所となり、また長徳2年(996)には花山法皇の御幸があり、西国三十三所観音霊場(現十八番の札所)となったと伝えられる。建仁元年(1201)、親鸞聖人が当寺に100箇日間参籠して霊告を受け、後に真宗を開宗する根源となった。」とのこと。五角形の建物がペンタゴンですからこの六角堂はヘキサゴンとでもいうのでしょうか。兎も角、面白い形に魅せられ、ひきつけられるように本堂に参拝しました。  
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京都 錦市場の茶寮カフェで休憩(3日目:最終日)

CIMG3664ゑびす神社から雨の降る中、徒歩で四条河原町に向かい新京極から錦小路通りを通り、錦市場でいろいろなお店を見て回り、茶寮カフェの錦一葉というお店で休憩をとりました。正月の名残のせいでしょうか。和服を着た若い女性達がお客さんとしてカウンターに座るとこの茶寮カフェの雰囲気が更に華やいだものになりました。私は白玉あんみつ(950円)を注文し、少し疲れているせいでしょうか、それこそおいしくいただきました。  
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京都 ゑびす神社本殿左に回って再度、参拝(3日目:最終日)

CIMG3642CIMG3643ゑびす神社本殿参拝後、本殿を左に回ったところに賽銭箱が置かれ、多くの人が拝殿の一部の板になっているところをたたいて参拝していました。「優しくトントンと叩いてください」と注意書きがあり、福笹を持ちながら参拝していました。トントンと軽く叩くのは神様にお知らせをするという意味だそうです。私もそれに倣ってご利益を期待しつつ優しくこの板を叩いて参拝しました。格子の中を覗いてみると、今年の干支の酉を描いたレリーフの瓦が置かれていました。これで本殿と拝殿で参拝したのですから今年はいいことが期待できそうです。ゑびす様は商売繁盛の神様ということは有名ですが、交通安全の神様としても活躍しているとのこと、今年は金運、交通安全に恵まれますように。  
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2017年03月23日

京都 ゑびす神社で舞と囃子を鑑賞(3日目:最終日)

CIMG3638ゑびす神社の本殿左の舞殿というのかづかは定かではありませんが、舞殿らしきところお囃子に併せて 巫女の舞を見ることができました。この日の1月8日は十日ゑびすの宵戎で8日は招福祭、この行事の一環でお囃子と舞が披露されていたのではないかと思いました。見ているだけでお正月気分が満載でした。  
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京都 ゑびす神社到着、先ずは参拝(3日目:最終日)

CIMG3632csCIMG3640cs旧前川邸を11:30頃、後にして、これまた、タクシーを利用してゑびす神社に向かいました。雨のせいでしょうか、四条通りは河原町付近で大渋滞、しかも、この日は十日えびすの招福祭が行われており、車でゑびす神社に行くのは大変なようでした。結局南座のところでタクシーを降り、後は雨の中、歩いてゑびす神社のところに12:05頃、やっとの思いで到着でした。ゑびす神社は西宮神社 (兵庫県西宮市)、今宮戎神社 (大阪市)と並び日本三大えびす神社の一つに数えられておりどんな神社か見学、参拝するのが楽しみでした。ゑびす神社といえば「商売繁盛で笹持ってこい。」という掛け声が有名ですが、それでお馴染みの「福笹」の発祥の地ともいわれています。この日は1月8日でしたが8日、9日は十日ゑびすの宵戎で8日は9:00から23:00まで招福祭の催しが行われているとのこと。早速、本堂に参拝させていただきました。これで少しは金運が開けてくれるとありがたいのですが・・・。  
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京都 新撰組屯所であった旧前川邸を見る(3日目:最終日)

CIMG3628壬生寺から歩いて2、3分のところに新撰組屯所であった旧前川邸を見ることができました。前川邸は文久3年(1863)から約2年間ほど、新撰組の屯所であったとのこと。中は居住者が開放していないので見ることができませんでした。屯所とは兵士などが詰めている所ということで、新撰組屯所となれば新撰組隊士が主はく場所として使用していたところだと思います。この辺りには他にも八木邸等の屯所もあったとのことで、新撰組のゆかりの地といえるところだと思いました。  
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2017年03月22日

京都 近藤勇之像を見る(3日目:最終日)

CIMG3616壬生寺の放生池の中島には新撰組隊士のお墓とともに近藤勇之像を見ることができました。新撰組は京都守護職の会津藩主松平容保の配下となって活動した武力集団で文久3年(1863)この壬生の地で結成されました。近藤勇は新撰組を組織し、後に隊長となり活躍した新撰組を代表する人物です。当時はこの壬生寺が兵法の訓練場として利用され、新撰組の活動拠点だったようです。そのようなことから昭和46年になって俳優の故・上田吉二郎氏が発起人になりこの近藤勇之像が建立されたとのこと。新撰組隊士も近藤勇も当時の権力者の駒として利用されたに過ぎなかったのではないかと思いました。でも、新撰組、近藤勇等は幕末を語る上で必ず登場する組織及び人物であり、それらに関連する池田屋事件等は何だったのかを改めて考えてしまいました。  
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京都 壬生寺旧本堂の狛犬瓦を見る(3日目:最終日)

CIMG3612壬生寺阿弥陀堂の地階では旧本堂の狛犬瓦を見ることができました。説明書きによれば、「昭和37年に焼失した壬生寺旧本堂の大屋根に掲げられていた狛犬瓦である。焼け跡から発見された。制作されたのは江戸時代・文化年間(1804~18)初頭とみられる。」とのこと。ガラスの反射で見づらいですが、よく見るとなかなか精悍な顔つきをした獅子像(狛犬)でした。思わず写真にパチリでした。  
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京都 壬生寺阿弥陀堂を見る(3日目:最終日)

CIMG3607壬生寺境内では阿弥陀堂を見ることができました。説明書きによれば、「建保元年(1213・鎌倉時代)に、平宗平により創建された。本尊は阿弥陀如来三尊像で地階・壬生歴史資料室には、京都十二薬師第四札所本尊歯薬師如来が祀られている。江戸時代に前川五郎左衛門の尽力により復興されたが、御堂に倒壊の恐れが出たため、平成14年(2002)7月、現在の御堂が完成した。」とのこと。道理で日本建築でありながら現代風の建物だと思いました。雨は降っていますが、早速、中に入って見学開始でした。  
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2017年03月21日

京都 壬生寺狂言堂を見る(3日目:最終日)

CIMG3602壬生寺本堂のすぐ近くに狂言堂を見ることができました。その名の通り狂言をする舞台がここにありました。とくにここで演じられる狂言は壬生狂言正しくは壬生大念仏狂言というそうです。大念仏狂言は教にいくつか残っているようですが、その中でも最も有名なものだそうです。この壬生狂言は鎌倉時代、壬生寺の興隆に大きな役割をした円覚上人により創始されたと伝えられていいます。また、狂言堂は安政3年(1856)の再建ですが、綱わたり芸の「獣台」や鬼などが飛び込んで消える「飛び込み」などの装置を見ることができました。見る人を引き付け喜ぶような舞台装置を作っていたのには驚きでした。また、狂言堂では伊藤若冲奉納のお面も見ることができました。デスマスクのようで少し気味が悪かったです。  
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