2018年07月20日

竜泉 一葉記念館を見学

CIMG4904CIMG4912お歯黒どぶ跡を後にして歩くこと約3分で一葉記念館に到着でした。一葉記念館の入口で入館料300円を払って同館の見学開始でした。何故ここに一葉記念館があるかというと樋口一葉が龍泉寺町にしばらく居をかまえたことがあり、また、彼女の代表作である「たけくらべ」の舞台でもあったことから昭和36年(1961)に開館したとのことですが、平成18年(2006)に現在の建物に改築されたとのこと。同館の中では樋口家の家族の様子、24歳の短い生涯を過ごした過程と処女作「闇桜」、代表作「たけくらべ」等に関する原稿等の資料、師の半井桃水にあてた手紙等も見ることができました。小学高等科を首席で卒業しながら母親の強い反対で進学を断念しながら、父親、兄の死去により、一葉が家計を支えなければならなくなり、小説家の道に進んだようです。そして、持ち前の能力をいかんなく発揮し、歴史に残る小説家として活躍したことは皆さんもよく知っていることだと思います。五千円札を見ながら一葉の24年の濃密な人生に思いを馳せました。  
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千束 吉原公園でお歯黒どぶ跡を見る

CIMG4903老舗の天麩羅屋さんを後にして、また、吉原大門から交番のところに行きそこから右折すると2、3分で吉原公園に出ました。同公園のところでお歯黒どぶ跡を見ることができると聞いていたのですが、それらしきものは見つからず公園内で立往生していると地元の人がお歯黒どぶ跡の場所を教えてくれました。昔は吉原遊郭を囲うようにお歯黒どぶと呼ばれる堀が造られ、遊郭への出入口は吉原大門のみだったようです。その遺構がこの吉原公園の石垣のところで見ることができるとのことで、確かに公園の反対側の石段を下りるとほ低くなった細い道に出ました。これがお歯黒どぶのとのことで、その遺構も公園の石垣自体のようでした。しかし、何の表示もされていないので、地元の人の説明を聞かなければ見過ごすところでした。是非とも、説明書きが欲しいと思いました。説明してくれた地元の人に感謝でした。  
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2018年07月19日

日本堤 老舗の天麩羅屋さんで天丼を食べる

CIMG4895CIMG4896待つこと約20分、やっとのことで店の中に入ることができました。この日はこの店の看板メニューである穴子の入荷がないため、それ以外のメニューから選択しました。その結果、キス、イカのかき揚げ、海老2本、獅子唐の天丼とナメコ汁を注文しました。御飯は少なめでお願いしましたが、それでも多いように感じました。行列のできる店だけあって天丼もナメコ汁もおいしくいただきました。待った甲斐がありました。ご馳走様でした。次回来るときは是非、穴子の天丼を食べたいものだと思いました。  
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日本堤 老舗の天麩羅屋さんで順番待ち

CIMG4886吉原大門の交差点から道路を渡ると歩いて約1分で「土手の伊勢屋」という老舗の天麩羅屋さんに到着でした。写真の通り見るからに歴史を感じる建物でした。それもそのはず、この建物自体が文化庁から「登録有形文化財」に指定されているとのこと。「土手の伊勢屋」は非常に人気があるらしく、11:45頃、到着したにもかかわらず、長蛇の列ができ順番待ちの状態でした。この日は陽射しもあり、雨は降っていませんが日傘用に待っている客に傘を貸し出していました。順番待ちをしていても楽しくなる老舗の天麩羅屋さんでした。
  
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2018年07月18日

千束 吉原大門で見返り柳を見る

CIMG4881吉原大門のところには見返り柳を見ることができました。説明書きによれば、「旧吉原遊郭の名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の柳を模したという。遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、「見返り柳」の名があり、 きぬぎぬの うしろ髪ひく 柳かな 見返れば 意見か柳 顔をうち など、多くの川柳の題材となっている。」とのこと。かつてはべつのところに植えられていたようですが、区画整理等により現在の場所に移されたとのこと。ですので、今見ることのできる柳は何代目かわかりませんが、何回も植え替えられたもののようです。柳にもいろいろな歴史があるようですね。  
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千束 吉原大門を見る

CIMG4899CIMG4880吉原神社を後にして道なりに歩いて行くと日本一といわれる吉原の風俗街に出ました。珍しらしげに目をきょろきょろさせていると交番の前にでました。交番前には「よし原大門」と書かれた赤いポールや夜間用の照明と監視カメラが設置されていましたが、これが吉原大門跡とのこと。もっと立派な門を期待したのですが、期待外れでした。また、更にそこから歩いて行くと「吉原大門」の交差点があり、現在はこちらが「吉原大門」ということのようでした。我々が行ったのは真昼間でしたので、あまり人通りもありませんでしたが、夜間になるとまた雰囲気もガラッと変わってくるのではと思いました。写真左が吉原大門跡、写真右が現在の吉原大門です。  
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2018年07月17日

千束 吉原神社参拝

CIMG4874新吉原花園池跡を後にして道なりに歩くこと2、3分で吉原神社に到着でした。吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達等の神様とのこと。元和3(1617)年、徳川幕府の命により、江戸市中各地に散在していた遊女屋を日本橋葦町あたりに「江戸元吉原」の廓として統合し、その後、明暦3(1655)年の大火の後、千束村に移転を命ぜられ、造られたのが「新吉原」とのこと。新吉原遊郭には古くから鎮座している玄徳(よしとく)稲荷社と、廓内四隅の守護神の榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九朗助稲荷社が祀られておりましたが、この五社を明治5年(1872)に合祀することになり「吉原神社」として創建されたとのこと。そのようなことから吉原神社は廓の鎮守の神として古くから崇められてきたようです。吉原神社そのものが吉原遊郭の歴史を物語っているようでした。兎も角、参拝させていただきました。  
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千束 新吉原花園池跡を見る

CIMG4861鷲神社を後にして少し裏道を通ると新吉原花園池跡を見ることができました。説明書きによれば、「江戸時代初期までこの付近は湿地帯で、多くの池が点在していたが、明暦3年(1657)の大火後、幕府の命により、湿地の一部を埋立て、日本橋の吉原遊郭が移された。以来、昭和33年までの300年間に及ぶ遊郭街新吉原の歴史が始まり、とくに江戸時代にはさまざまな風俗・文化の源泉となった。遊郭造成の際、池の一部は残り、いつしか池畔に弁天祠が祀られ、遊郭楼主たちの信仰をあつめたが、現在は浅草七福神の一社として、毎年正月に多くの参拝者が訪れている。」とのこと。また、ここには大正12年(1923)の関東大震災の際にこの池に逃れてきた人の多くが溺死したという悲劇があり、その供養のための観音像もありました。そのようなことから少し近寄りがたい雰囲気を持つ新吉原花園池跡でした。  
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2018年07月16日

千束 鷲神社境内で樋口一葉ゆかりの碑を見る

CIMG4839CIMG4841鷲神社境内では樋口一葉文学碑と樋口一葉玉梓乃碑といった樋口一葉ゆかりの碑を見ることができました。樋口一葉文学碑では代表作の「たけくらべ」の一部が石碑に書かれ、その中で鷲神社について触れていました。また、樋口一葉玉梓乃碑では
樋口一葉の師である半井桃水に宛てた未発表の書簡文が石碑に書かれているとのことでした。鷲神社で樋口一葉ゆかりの碑を見ることができるということは、それだけ樋口一葉の文学に影響を与えたことではないかと思いました。なお、写真左が樋口一葉文学碑、写真右が樋口一葉玉梓乃碑です。  
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千束 鷲神社境内で叶鷲を見る

CIMG4851鷲神社境内では叶鷲(かないどり)という写真のような可愛い鷲の人形を見ることができました。願い事を紙に書いてそれを鳥の人形のお腹の中に納め、誰にも見られずお願いをするとその願い事を大神様に 届けくれるとのこと。沢山の人の願い事をいつでも届けることができるように沢山の叶鷲が「わしが願いを叶えよう。」といいながら待機しているようでした。  
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