ケチャップだった。マヨネーズもあったと思う。だって、プラスチックのケースがあちこちに落ちているのがみえたもの、、。大量にまいたのだ。床が層になる程まいたのだ、、、、。
「お客さま、、。」
そしてその上を歩いたのだ。でなきゃ、あんなさざ波のような床にはならない。裸足で歩くのだろうか??
まっすぐ立ったら頭は蜘蛛の巣の中だ。足はくるぶしまでケチャップの中だ。
何の為だ???何の為にそんな事をする。
「お客さま。」
食べるのか??パンでも買って来て床にすりつけて食べるというのか??大体あの不自然な天井は何だ?
もう既に、もしかして、誰かがすでに、あの巨大な、蜘蛛の、、
「お客さま!」
「は、はい、すみません。ああ、、コーヒー下さい。あ、ホットいやアイスコーヒーを下さい。」
僕は考えをまとめて落ち着く為に近くのファミレスにいた。上がりっ放しだった両腕も何とか今は膝の上にある。
隣が既に愛すべしオラウータンではないことには薄々気付いてはいた。だが自分に危害が加わる程ではないと思っていた。もしかしたら認識が甘かったかも知れない。
存在の意味不明、、その点に於いては、超度級だった。
幾ら考えても考えがまとまらなかった。あらぬ事ばかりに意識が飛んだ。
ほっておくと、ただ謎の液体が自分の足にまとわりつくいやなイメージを想像してしまって、当然それは気分の良いものでは無く。ああ、でもこの感覚どこかで体験した、、。
これは、そう、ウナギだ!たらいに入ったウナギを仕分ける時のあのたらいの、、。僕は遠い夏の日を思い出していた。
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渋谷の道玄坂に鮒忠という鰻屋があった。関東に根をおろしたチェーン店なので、どこかで利用された事がある方もおられるかと思う。ただ理由は知らないが道玄坂店はもうかなり昔に閉めてしまった。今はその場所にはプライムとかが建っている。
僕は学生の頃そこで良くバイトをした。良くと言ったのは、季節労働で雇ってもらっていたからだ。夏休みの間とか年末の忙しい頃とか、店にとって人手が足りない時期と学生の僕がバイトをしたい時期が合致していた。最初はバイト情報誌で探して面接を受けたのだが、どこをどう気に入ってもらったのかは知らないがそれ以降は「今週頼める?」といった風に向こうから依頼してもらえるようになっていた。交通費を含めると時給が1000円に届いたので当時では破格だった。僕はいっぱしのウナギ屋のゲンちゃん気分で二つ返事で飛んでいったものだ。
ゲンちゃんの仕事は何の事はない、接客、皿洗い、配膳、等々。その日人手の足りない所で頑張る。もちろんウナギなんか捌かせてもらえないし、レジも任されていない。
でも、今日することが出かけるまでは分からないというのが僕の性には合った。来る日も来る日も皿洗いというよりは全然良いのだ。
「店長今日は?」
「たらい綺麗に洗って、うなぎ全部それに移しといて。」
「はーい!わくわくわくわく。」「うわー足にまとわりつく〜!」
輸送されて来たウナギを箱から出してたらいに移す作業なんか本当に楽しい。。。♥うふふ
「店長今日は?」
「その前に一匹逃げた、皆と探せ!」
「はーい!わくわくわくわく。」
逃げたウナギを探して道玄坂を彷徨う経験なんかそう簡単に得られない。。。♥うふふ
ウナギは皆海でうまれる。川や池では生まれない。稚魚の間は海で育ち、成魚になってはじめて各地にやってくるのだ。にもかかわらず、奴らは日本全国津々浦々まで生息地を広げている。
川にも繋がっていないような、池や田んぼでさえ彼等は良くみかけられる。どうやって来たんだろう?それこそ昔からの謎だ。雨の日移動するのだとか、地面を掘り進むのだとか色んな説があるが、ウナギ程生態が把握されてない生き物もあまり無いのだ。海の何処で生まれるかさえ良くわかっていない。
唯一僕が知っている事は、道玄坂で逃げたウナギはまず見つからないということだ。あの人ごみの中、どうやって彼が姿をくらますのかは分からないが、いつも追跡は不可能だった。後日、隣の店に隠れている所を捕まったとか、息絶えたウナギを109の前で発見したといった話しはついぞ聞かなかった。
僕は下水を下って神田川に入り、井の頭公園の池でゆったりと暮らした後、海に戻って産卵する無敵のウナギ君を想像したものだ。
なにはともあれウナギは、って、、、う〜んだめだ、そんな事を考えている場合では無い。
「お客さん」
「はい?」
「お下げしてよろしいですか?」
飲み干したアイスコーヒーのカップはとっくに氷が溶け、だらしなく水に戻っていた。
次号 蜘蛛の巣城5 見えない城