昨日、久しぶりで知人のお兄さんに会いました。丁度その日に、
大学院に行っている息子さんの就職が内定したと話して下さいました。
息子さんは小さいときから動物が大好きで、小さいときは獣医さんに
なりたいと言っていたそうです。その次に動物の餌に興味を持ち、
その餌からバクテリアに興味を持ち、最終的にはそのバクテリアを
顕微鏡で見たいという話になり大学院に進んだそうです。そして
最終的に彼が選んだのはバクテリアから人間の健康に興味を持ち、
食品関係の会社に進むことでした。
そんな息子さんに対しお父さんである知人のお兄様は、好きな動物の
ことを語れる人間ではなく、動物が好きな自分を語れる人間になれと、
小さいときから言い続けたそうです。
自分を客観視できることの方が好きなものや好きなことを語るより
重要だということを教えたかったようです。
息子さんが選んだ会社は息子さんの友人達が選んだ知名度の高い
会社ではなく、名前を聞いても全く知らない会社だったそうです。
でも「面白そうなので行きたい」と言い出したとき、ご両親は大賛成
したそうです。しかし、弟さんの知人の税理士さんの話では、大企業
ではないが食品の世界では有名な会社だそうですが。
そんな皆さんの話を聞きながら、何故か連想ゲームのように
表現の授業で先生が学園生達に言っていた「話しかけても返事を
しなかったり無視する人は、言葉の暴力をふるっているのと同じだと
思う」という言葉を思い出し、何となく一人一人の学園生のことを
考えておりました。
3月末に中学2年生の時にほんの短期間在籍し、その後高校へ。でも
色々考えることがあったようで高校を中退して学園に入り直して来た
学生がいます。
少々大人っぽくなって戻ってきましたが、中学で出会った時にも感じていた
素直で純粋な彼は健在で、それを知ったとき、とても嬉しく思いました。
17歳の終わりの彼でした。
そんな彼が醸し出す暖かさや、恥をかくことを恐れず何にでも挑戦しようと
する姿勢が他の学園生の個性と相まって、今までとはまた一味違う学園が
始まりました。そんな3人のやりとりを見ていると思わず顔がほころんで
しまいます。
みつみん、おがちょ、そしてコバリン(又は、トントンちゃん)そんな愛称を
つけた3人が学ぶ春学期の授業。従来のレギュラー授業に加えて、文章を
書くが復活。それに仏教・水・絵本の英訳など等。その授業の合間に田植に
行ったり、こんにゃく作りと筍採り。その食材を使っての第二回「毒だし
パーティー」。初夏頃にやる第二回「心が喜ぶ音楽会」の練習。そして
タイの高校へ日本語を教えに行く準備等、大忙しの春学期。学生生活を
謳歌すると同時に、色々体験をする中で、自分は何者なのか。何を考えて
いるのか等が、自分の言葉で語れるようになって欲しいと、知人のお兄様と
同じように私も思いました。