「親子をやりなおしたいと思います」。
ご相談にみえる方が必ずつぶやかれる言葉です。
学生達をお預かりしている一介の教師である他人の私でも、
学生のことは心から可愛いと思いますし、大切に思います。
また、心配で眠れないときも多々あります。それだけに、
ふとつぶやかれるその言葉から、親御さんの切ない
お気持ちが伝わってきて思わず泣きたくなります。
合わないサイズの靴を無理やり履かされ悲鳴を上げている
子供を無視し、自分の理想のサイズを押し付けるような
「子供の心、親知らず」のケースをたくさん見てきました。
それと同じように「親の心、子知らず」もです。そういう私も、
親の気持ちを本当に理解していたかというと、理解して
いなかったように思います。親が私たち兄妹をどれだけ
慈しんでくれたか、理解していたつもりでも全く分かって
いなかったと、気づかされております。
今月の25日で、母が天国で新しい人生を始めて3回目の
誕生日が来ます。
母が逝ってしまってから色々なことを通して気付かされたことは、
私は「親の心、子知らず」の典型だったということです。また、
普段あまり親しくしていない方から「貴女のお母さんは、本当に
善い方でしたね」等と生前の母について聞かして頂くと、
母のことは何にも知らなかった自分に、自分で驚いたりして
おります。
昔の人は、「『孝行したいときに、親はなし』だから、後で後悔
しないように親が元気なうちに孝行をしておきなさい」とよく
言っておりました。それは本当のことでした。そして親が居なくなって.
改めて気づかされたことは、「親の背中を見て子は育つ」という
ことをです。
困難なことに出会うと、無意識に母がしていたようにして困難に
立ち向かおうとする自分に気付かされます。楽しいことに出会うと、
母がしていたようにその楽しみを周りの人に少しでもお裾分けしたくて、
バタバタと動き回っております。そして、少しでも喜んで下さる方や、
楽しそうにして下さる方がいると母のように、やらせて頂けて
「よかった!」と独り言を言う私がいます。
明日は母の日です。カーネーションを一本買って仏壇に飾るつもりです。
そして、母だけに何かをすると父が淋しがるので、天国で10回目の誕生日を
迎えた5月5日に父にしたように、もう一度イチゴのショートケーキを買い
「お父さん、おかあさん、ごめんなさい。私一生懸命頑張ります」と
謝るつもりです。
親子であっても、血がつながっていても、個は別です。その上、厄介なことに
関係が近ければ近いほど、他人以上に期待をかけてしまいます。また、期待
通りにならないと、関係が近いだけに必要以上に傷つきます。でも、それが
関係の近い証拠なのでしょう。
時期が来ればどの子供も親を乗り越えて行くように、どこかで親の心を
しっかり理解し、くみ取れる時期がくると思います。そのために、自分達の親が
自分達にしてくれていたように、子供に振り回されることなく、親は親業と
社会人業を只々無心にしていけばいいのだと思います。