最近は若年留学生が大流行した十数年前とは違い、若年留学生どころか、大学生でも留学したがらないようです。その理由が「外国にまで行って苦労はしたくない」ということだそうです。
しかし、学問をさせる大学というより就職予備校化している大学としては、学生を無事に就職させたい。そのためには、企業が希望する「英語の出来る学生。」「グローバルに仕事が出来る学生」に育てようと苦労しているようです。それも、外国まで行って苦労したくない学生のために、学生に負担のかからないように便宜を図りながら。
ある大学で新しい海外留学プロジェクトが始まると新聞記事で読みました。その大学では、留学前に英語能力テストの一定基準点を満たし、留学している間に留年しないように留学先の大学で当たり前ですが、英語で授業を受け、単位を認定してもらい留年を回避させていたそうです。しかし、それだと学生にとってあまりにもハードルが高いのでそれをやめて、まずは海外に出て語学力やグローバルな視点の必要性を体感させるために留学させることにし、旅費とホームステイ代だけ学生に負担させ、授業料は大学側が負担。また、留年を避けるために学生と一緒に教員を滞在させ、学生は英会話や英語のプレゼンテーションを現地の先生から学びながら専門科目は同行した教員が、日本語で教えるというプロジェクトにしたそうです。期間は4ヵ月半。
たったの4ヵ月半の短期留学で、そこまで手厚い保護をするのは何故なのでしょうか。そこまでして海外に行かせる意味があるのでしょうか。大学が考える国際人とはどんな人を指すのかは分かりませんが、学生全員が国際人になる必要があるのでしょうか。よく分かりませんが、きっとあるとお考えなのでしょう。
確かに、海外に出て語学力やグローバルな視点の必要性を体感させるのは間違っていないと思います。但し、語学は別にしてグローバルな視点(?)とはどういう視点でしょうか。またグローバルな視点でものをみる方法を知らない学生にとって、それが4ヵ月半で体験できるのでしょうか。あらゆることがお膳立てされ、外国という借景の中で“日本をしてくる”としか思えないプログラムの中で。
日本人の学生だろうが、留学生だろうが年齢を重ねれば重ねるほど重くなる“責任”という名前の“義務”。苦労等は普通の出来事になるこの人間社会で、何事からも逃げずにどう自分らしく生きていくかが学べるせっかくのチャンスを、大人の理屈で潰しているとしか思えないことが多いと感じるのは、私だけでしょうか。
上田学園も来年から夏休みの宿題として、必要だと思える学生達をイギリスの大学のサマーコースに入れることを考えております。それは、日本の学校教育と海外の学校教育の求めるものの違いと、その違いを構成している社会はどんな社会なのかを授業を通して実体験することで、自分の立ち位置をどう確保していくかを考えて欲しいと考えたからです。そして、日本の考え方の物差しにプラスして、色々な国の長さの違う物差しを出来るだけ体験しながらたくさん持つことで「それもいいけれど、私はこういう理由で同意しない」と、誰に対してもしっかり自分の意見が言える人間になって欲しいと願ってのことです。その最初の試みとして17歳の学生が9日から2週間渡英しました。
つづく