鉄町には庚申幢と言われる物が4つある。このうち二つが青面金剛像である。四つの内三つは
社の中に安置されpm2.5や酸性雨から守られているが、一つの青面金剛像だけが現在野ざら
しになっている。
庚申信仰とは何か
江戸時代の初期から民間で盛んに行われてきた庚申信仰は、中国より伝来した道教に由来する
もので人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視している
と言う。三尸の虫は60日に1回来る庚申の日の夜寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを
報告し、罪状によっては寿命をちじめられると言われていた。そこで三尸の虫が天に登れない
ようにするため、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。これを庚申講と言う。鉄町には庚申
幢の数から多くの方が庚申講に入り庚申信仰をしていたものと推測致します。
令和2年12月に竹やぶの中に放置されていた石塔を社を作りこの中に安置した。この石塔は
寛文9年己酉(つちのととり)2月17日と刻印されていた。従って今から350年前のものです。
町内の方からのご寄進により出来たものです。
下の写真は放置されている青面金剛像です。


社の中に安置されpm2.5や酸性雨から守られているが、一つの青面金剛像だけが現在野ざら
しになっている。
庚申信仰とは何か
江戸時代の初期から民間で盛んに行われてきた庚申信仰は、中国より伝来した道教に由来する
もので人間の頭と腹と足には三尸(さんし)の虫がいて、いつもその人の悪事を監視している
と言う。三尸の虫は60日に1回来る庚申の日の夜寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを
報告し、罪状によっては寿命をちじめられると言われていた。そこで三尸の虫が天に登れない
ようにするため、寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。これを庚申講と言う。鉄町には庚申
幢の数から多くの方が庚申講に入り庚申信仰をしていたものと推測致します。
令和2年12月に竹やぶの中に放置されていた石塔を社を作りこの中に安置した。この石塔は
寛文9年己酉(つちのととり)2月17日と刻印されていた。従って今から350年前のものです。
町内の方からのご寄進により出来たものです。
下の写真は放置されている青面金剛像です。


鉄町の沿革
*1868年(慶応4年)廃藩置県により 神奈川府を設置神奈川府都筑郡鉄村になる。
*1868年(明治元年)神奈川府が 神奈川県になる神奈川県都筑郡鉄村になる。
*1889年(明治22年) 都筑郡中里村大字鉄となる
*1939年(昭和14年) 横浜市に編入し、 横浜市港北区鉄町となる。
*1969年(昭和44年) 横浜市緑区鉄町になる
*1994年(平成6年) 横浜市青葉区鉄町になる。
鉄町は古くは黒金村と書いたと言われていますが、書状などで記録が残されているだけで実際の証拠がない。
書状では、歴史・民俗学者の金子勤先生から、"「麻生物語」とカッパ伝説"という先生が
最近講演された時の資料を先生から頂きました。
この中の一説に鉄町の語源と図が描かれている。その内容を抜粋すると、
くろがねの初見は、戦国時代・秀吉神奈川県の小田原城攻めの時、書状が既出
小島佐渡守(川崎市麻生区の元川崎市市議会議長 小島一也が二十二
代目の子孫に当たる)の家にあり、黒金と書かれている。当時は現在の行政区域
とはまったく違い、村堺などあったかどうかわからない。
今の鉄町が「黒金村 駒之丞」(くろがねむら こまのしょう)であったと言う証拠
が出てきた。鉄町の墓石を調べていたら墓石に刻まれていました。駒之丞と言うのは
幼名にも使われていますが、ここでは字名か何か不明です。
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*1868年(慶応4年)廃藩置県により 神奈川府を設置神奈川府都筑郡鉄村になる。
*1868年(明治元年)神奈川府が 神奈川県になる神奈川県都筑郡鉄村になる。
*1889年(明治22年) 都筑郡中里村大字鉄となる
*1939年(昭和14年) 横浜市に編入し、 横浜市港北区鉄町となる。
*1969年(昭和44年) 横浜市緑区鉄町になる
*1994年(平成6年) 横浜市青葉区鉄町になる。
鉄町は古くは黒金村と書いたと言われていますが、書状などで記録が残されているだけで実際の証拠がない。
書状では、歴史・民俗学者の金子勤先生から、"「麻生物語」とカッパ伝説"という先生が
最近講演された時の資料を先生から頂きました。
この中の一説に鉄町の語源と図が描かれている。その内容を抜粋すると、
くろがねの初見は、戦国時代・秀吉神奈川県の小田原城攻めの時、書状が既出
小島佐渡守(川崎市麻生区の元川崎市市議会議長 小島一也が二十二
代目の子孫に当たる)の家にあり、黒金と書かれている。当時は現在の行政区域
とはまったく違い、村堺などあったかどうかわからない。
今の鉄町が「黒金村 駒之丞」(くろがねむら こまのしょう)であったと言う証拠
が出てきた。鉄町の墓石を調べていたら墓石に刻まれていました。駒之丞と言うのは
幼名にも使われていますが、ここでは字名か何か不明です。
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我が家のツツジとソメイヨシノが同時に咲きました。珍しいことです。
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