うえろく株式会社 相談役ブログ

医療・高齢者福祉の分野で事業を営んでいます。すべての業務が困っているお客様に直結した現場に密着しています。経営者といえども経営マターの中に現場の話題が飛び込んできます。現場に踏み込みすぎると振り回され、純粋経営業務を行うのであれば比較的平穏な業界と思います。疾患も介護もすべての人に何らかの係わり合いのある世界、是非覗いてみてください。

田舎暮らし

IMG_1270[1] 田舎に暮らそうとするアクティブシニアが増えているように思います。 知人にこの話をすれば『そういえば友人が一人田舎に引っ込んだよ』という答えが返ってきます。 ここでいう田舎とは都市部に対抗する言葉で、本文では過疎地として理解してください。 過疎地の定義はというと人口密度が低いうえに人口流出が続いていている所です。

 私は若い時から都市部に暮らしてきたので漠然と自然の残る過疎地に暮らすことに憧れを抱いていました。 その感覚の延長線上で山登りやオートバイの過疎地でのツーリングを趣味としてきました。

 自分以外の人で同様な行動をする人について木原武一氏著の『老年よ、わがままに生きよ』、『よく生き切った人たちの物語 人生最後の時間』、『孤独の研究』を読むと古今東西著名な人たちが人生最後の時をどのように生きたか書かれていて、幾人かは田舎暮らしをしています。 登場する人は著名な人、少なくとも私は著名な人ではないので彼らのように社会のわずらわしさに悩まされることはありません。 人により最後の人生を楽しみ、人により退屈な余生を送られています。

 高齢者介護の仕事をしていてリタイアした人が余生を退屈している人に多く出会いました。 時間の有り余る余生は趣味に生きようとしてゴルフや釣りや登山や将棋など余生になってもできる趣味に没頭できる経済力があっても没頭している人にはほとんど出会えません。

 思うに趣味は職業と違いいつでもできでいつでもやめる事が出来ますから毎日やり続けると飽きてしまいます。 登山が好きで山岳雑誌に寄稿し、原稿料で暮らすなら年間200日山にこもることもできるでしょう。 釣りが好きで田舎に暮らして漁業権を取得し、毎日漁に出て生活の糧にするなら余生の人生でも楽しく暮らす事が出来ます。

 ヒントは趣味が所得を生むこと、その所得がなくては生活に余裕がない事だと思います。 生活に余裕がないから頑張らなければならない、そしてうまく行けば所得に余裕が生まれる、それが生きがいにつながるという構図です。

 そのようなライフスタイルをなぜ過疎地でやらなければならないか、過疎地の家や土地が安く変えること、うまく行けば漁業権など買う事が出来る、都市固有の誘惑や支出が少ない、自然が豊かで環境が変わることなどメリットとして考えられます。

 不便と考える人は多いでしょう。 過疎地をオートバイで走っていて、例えば能登半島ではコンビニがほとんど見当たりません。 そんなところでもクロネコヤマトのトラックが来るので本当は不便は少ないと思います。 

 

ふるさと納税 山梨市礼品

IMG_1017 以前このブログでも紹介しましたが、2か月後に腐ったブドウが送られてきて文句を言ったというお話です。 友人が送付先であるふるさと納税を地誘拐している『さとふる』にクレームの電話をしてその返事が『傷んでいて申し訳ありません。 再送しますので傷んだものも食べていただいて結構です』と返事を受け、腐った礼品の写真を撮って『こんなものが食べられるか!』と再びクレームを言った話です。

 さとふるは仲介して利益を稼いでいる会社、礼品に関する取引は振替納税者である私と山梨市です。 さとふるから私にも電話があり、謝罪の跡業者に問い合わせたこと、輸送途中でよくあること、という説明を受けましたが『私はその業者と直接取引したわけではなく、山梨市はどのように対処するのか?』と聞くと同様の返事、宅急便が何日もかかってブドウが腐るならともかく到着直後に腐っていたのでは配送時点で腐ったものを送付しているのは想像できます。

 『山梨市の担当に写真を見せたのか?』、『業者にも山梨市にも写真は転送していません』とのことでした。 見もしないでよくあることと言われても釈然としないし、何日もたってそれをしていないことからどうもクレーマーに思われたような気がします。 であるならこの振替納税サイトや山梨市への振替納税をやめるのが賢明、このような苦情対応はデパートで同じ問題が起こればせ誠実に対処してくれるでしょうが役所とその下請け業者のやること、さらに振替納税者にしてもお金を出して買ったわけではなく振替納税の礼品といったあきらめもあるのでしょう。

 そのような構図にはまった問題なら山梨市への振替納税はやめるべきで山梨市産農産物の不買運動くらいしか対処は無いと思います。

反省するより悔い改める

IMG_1217 私は64年生きてきて、蓄積した過去を思い出すことが将来を考えるのと同様に多くなってきました。 『あの時のあの言い方はない』とかです。 多くは詩文の悪癖、直せばその後は同じ後悔はしません。

 生活環境や立場は日々変化し、応用問題が出てきたときに同じ悪癖をしてしまいます。

 悪癖を善悪の判断をすれば普遍的に悪いこと、つまり罪悪につながる悪癖があります。 他人を意味なく傷つける等ハライスメントの類と空気を読めなかったなど悪意は無くても相手に不愉快な思いをさせてしまったような発言は程度にもよりますが罪悪とは言えないでしょう。

 身近にいる記憶力の良い人で、会議などで他人の発言に対し付帯関連することをしゃべらないと気が済まない癖があります。 討議の方向と違うことを事実であっても今喋る必要がないといくら言っても治りません。 会議でのマナーの問題です。 出席者は本人に悪意のないことは判っていて注意もしません。 そのことの問題はちょっとした忍耐で済むからです。

 なぜわからないのか、言葉にして注意しても改まりません。 本人はそれが良いと思っているのでしょう。 もしくは私がその癖に嫌悪感を抱きすぎているのかもしれません。 本人の価値観で好ましくない癖であると認識しなければ治りません。 本質に気づくこと、善悪の問題のように法律があり誰もが共通認識になっていることでない悪癖は善意に裏打ちされていればいるほど厄介です。
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