長尾政景

謙信の姉(仙洞院)婿。北条氏との戦いで軍功をあげた。

嫡子景勝は謙信の養子になった。



宇佐美定行

上杉家において諸事に通じ昔かたぎのの武士で軍功も多い。

武勇・智謀にすぐれ、一生に数十の手柄を立てた。謙信に軍学を教える。

永禄七年七月五日信州野尻湖で長尾政景とともに横死。



新津将監

新津・金津家は越後では古い名家である。

侍大将たるにふさわしい人物でまれにみる仁者である。



石川為元

上杉家代々四家老の一人。長尾、石川、千坂、斎藤が四家老になる。

謙信の幼年期から永禄中期まで謙信に仕えて功績があった。



金津新兵衛

越後では歴史の古い武門の出。

謙信に忠誠をつくし、吉江、本庄とともに越後春日山の城代として留守居役をつとめた。


北条長国

武勇に優れ数多くの戦場を踏んだ。その武勇を鼻にかけるところもあった。

腰に差す指物には白い布地一巾の四分の一に六寸の熊蟻を墨でかたどって紋にしていた。



本庄慶秀

武勇、智謀、大力の男である。謙信の馬廻りとしてたびたび軍功があり心も強かった。



本庄繁長

幼少のときから気性が剛強で無双の勇士だった。謙信の七歳年下。

永禄十一年の秋、繁長は謀反を起こす。最後には和解する。



色部長実

武勇の将で一代のうち数回高名をあげ謙信、景勝から感状を授けられた。



甘糟清長

もともと上杉譜代の将士ではない。越後上田の出で、長身であったため召抱えられ、

たびたびの戦で高名をあげ、軍法に明るく誠実な武士だったので謙信の若いときから

取り立てられた。川中島では武田方の馬場信房、山県昌景の二勢三千六百と午前八時から午前十一時まで千五百の兵で引き分けに持ち込んだ。



杉原親憲

謙信が勝ち戦のときは一言も発せず、旗色が悪くなると大声で敵をそしった。

味方の士気をあげる役目を担っていた。

乱舞、連歌をよくし、茶湯の数奇者で人々の話題になることの多かった武士である。


鬼小島弥太郎

謙信が幼少のときから奉公した。謙信諸国巡見のとき四人の供侍の一人になり、

信玄に使いに行った時、猛犬に噛み付かれたが何事もないかのように口上を述べ、

片手で犬の頭を割っていたという話が残されている。



斎藤朝信

武道に通じ、発想力に富む戦術家。

謙信は強敵と思われるところには朝信を差し向けた。

朝信は忠義、仁愛の心が深く、士卒をいたわり、百姓をいつくしんだので万人から慕われた。

安田順易

小男で顔にも手足にも手傷の跡があった。眼に光があり誰が見ても大剛の侍大将とみえ、
鋭く誇り高い武将である。

高梨頼包

大剛の大将で十三才のときから大将格となった。
謙信の北国での戦いのときが十三才で敵に後ろを見せなかった。

柿崎景家

剛強な大将で手柄もある。謙信はあまり重用はしていない。
思い込めば鉄をも通す一徹さを持ち合わせていた。

千坂清胤

上杉家代々の四家老の一人である。判断力と創意に富み、言葉が巧みで人品も良かった。
子息が二人あったが、嫡子は病弱でものの用にもたたず、次男は愚か者で家門断絶に追い込まれた。

直江実綱

幼少のときから謙信の左右に仕えて多くの事件にあたった。
川田、吉江とともに頭角をあらわしたものである。
直江家は越後では歴史のある名門である。

竹股頼綱
川中島の戦い以前から北国、関東の戦いに一度も遅れをとらず、汚れなき名将の名をとった。
なかでも川中島の戦いでは馬を下りて長刀を振ったそうだ。
秘蔵の刀で竹股兼光と号した大業物を所有していた。謙信に献上したが、川中島では大きな鉄砲の筒をばっさり切り落としていることからこの刀の事が噂になるほどだった。

大熊朝秀

この大将の武勇は知られていたが、忠孝の心が薄かった。
謙信が幼い時、栃尾城では本庄、宇佐美とともに忠義を尽くして軍功を上げた。
越後の名家であるが、武田信玄に仕えることになる。

岩井経俊

信州飯山の城主。謙信の小姓から身を起こしすばらしい男で並みの大将ではない。
気位が高く、才知判断に優れた名高い武将であったが、謙信の下知にも逆らってたびたび批判したほどだった。
茶道の数奇者でもあった。

中条藤資

古い家柄で、大身でたびたび多くの事件にあった。

山本寺孝長

代々越後不動山城主でたびたび軍功があり、上杉家礼式の上席にある高家。

長尾景秋

上州白井の住人。上杉の一番家老。先祖からたびたび軍功があり忠節の誉れが高い。

吉江定仲

上杉家代々の旧臣である。

志田義分

父、義時は川中島で討死している。

大国頼久

謙信が幼少のときから軍忠をあげ、戦場の場数を踏んだ大将で一生敵に背を見せなかった。

加地春綱

下越後を領し上杉家代々に軍功があった。

直江兼続
木曽義仲卿の四天王の一人、樋口兼光の末裔。景勝、定勝代まで万事国の政治、裁判を一人でやりとげた。
学問があり広い知識と判断力に富んでいる上に武功も重なったので、世人の評判も良い上に信用も厚く、
豊臣秀吉公、徳川家康、秀忠両公にもお目をかけられた。

上杉景勝
大柄な面立ちで眼光が鋭かった、生まれつき大剛で一大将軍である。
日頃は言葉が少なく、一生のうちに笑顔を見たものはまずいなかった。




以上 『謙信軍記 上杉二十五将  中村晃 勉誠社』 からの要約。