2018年10月16日

高度経済成長とは・・・




フリーターユニオンの通信誌35号がまたしてもなんとかかんとかやっとのこさで発行できました。
年に3回だけど、死守しています(笑
今号には、大阪で教員をしている洋子お姉さまの特別寄稿もあります!素敵!
はい、これを読んでるあなた次は原稿依頼されるかもですよ。

今回のテーマは、「高度経済成長とは何だったのか」ということで、あらためて現在の経済成長をどう見直すかのためにふりかえるようなこととなりました。
しかも、それは、団塊世代の組合員が加入して、その戦後の復興といわれる時期に生まれ、高度経済成長期をまんま生きてきたことを語ってもらったことからの問題意識でもありました。

果たして、今、その恩恵とは??みたいなことを、出会うシリーズをやるなかで、世代の違うなかで、意見を交換したりするなかで、生まれたテーマです。

日本人ががんばったからみたいな見方ではない、史実や本来の経済的意味などを少しでも追究できたらと。


下記は私のいつもの駄文、穴埋め的原稿。通信全体を読んでみたい方はご連絡くださいね、フリーターユニオン福岡まで。


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繁殖し続ける労働組合運動を、経済成長なき今こそ
                               
谷間の世代 竹森

 資本主義か社会主義かの二者択一は、すでにこのグローバル世界において成立しないし、私たちはイデオロギーのためにそれをかざして運動をするわけではない。私自身、しいて主義主張を問われれば,労働組合運動主義とこたえるだろう。資産も地位も名誉も持たないわれわれ(「持たざるものたち」)は、賃労働で食っていくしかないのが現在の資本制社会の現実であり、この社会を生き延びるに必要なのは労働組合運動だという考えである。たかだか60年しか生きてない、さほど遠い将来を見据えることもできない私の後を生きる「持たざるものたち」へ受け継ぐべきものとしてである。

 今回[「組合員と出会うシリーズ」では、団塊世代の田中さんはじめ、その10年ほど後の4人が語ることとなり高度経済成長が自分の生き方にどう影響したかを振り返る機会となった。団塊世代の田中さんの加入は、直球で若い組合員と議論に加わってくれることで刺激となった。田中さんは、いわゆる学生闘争を目の当たりした世代であり、勉強などせずとも就職先は引く手あまたで大企業に入社し、そこには当たり前のように職場に労働組合が存在していたという印象をいまだ持たれていた。労働組合というつながりが、職場のなかに見えたということは、すなわち同僚とのつながりがあり、生活、娯楽のようなものまで含めて会社の中にあったのだと感じた。労働組合的つながりと見えていたものが、企業会社の論理に巻き込まれ、「敵」の見えない場となっていったのだろう。

 さて私は、戦後直後の「飢え」にも会わず、高度経済成長という消費生活にそこそこ順応はしたが、リーマンショックの「被害」を避ける程度の知恵で食いつないできたし、大学さえ出ればそれなりの就職先を得ていた年代であり大量採用で私のようなものも教員になれた。一方で、その1980年代は労働組合運動の闘う姿が消えていく過程であった。日教組に加入しながらもそこには何も期待するものはなく、「君が代」強制という国家が学校を支配し、それ以上に意思のある労働組合員を潰し、分断していった。私はその「君が代」強制(=処分)と抗う教員とともに労働組合を結成して最高裁まで闘うという四半世紀の道のりを歩むこととなった。しかし、教員だけで結成したそのちっぽけな労働組合はその後をつなぐことはできないままだ。この時点で多くの希望を失っていたともいえるだろうが、2003年以降、私はこのフリーターユニオン福岡の結成へ向かっていた。
 
 労働組合は衰退したのかという問題提起さえ見えない今、戦後労働運動(ざっくり言えばGHQにより与えられた労働組合)は高度経済成長とともに沈没したと私は強く思う。草の根的に地べたから生まれ育てたものではなかった大企業や官公労中心の企業内労働組合は、企業と一体となって生まれそのまま企業に飲み込まれていったのだ。気づいたら、非正規雇用が半数を超えそうな雇用状況で、組合員の組織率など10パーセント程度のものだろう、労働組合という「文化」が匂わなくなって久しいのだ。

 それでもなお、労働組合運動主義を貫くのは、資本(企業、国家)という敵を見据えて他者とつながること、自ら自分たちの知恵で組織づくりをすることというごく人間としての当たり前のことを、それが備えているからだ。裏を返せば、その当たり前のことができなかった上から与えられた労働組合運動の反省を促すことで、当たり前の労働組合運動を再生することだ。それは経済成長のない現社会で働きすぎることなく、稼ぎすぎることなく、「怠ける」権利を、ともに支えあいながら、じわじわと繁殖し、生き延び続けることである。人間らしく!

uimaki1957 at 08:28|PermalinkComments(0) 組合活動 

2018年10月11日

幼子われらに生まれ



wowow映画。


『幼子われらに生まれ』

田中麗奈ちゃん、久しぶりの貫禄。素晴らしい演技。
ま、ぐちゃぐちゃでも、親子でも親子でなくても、一緒に育っていくもんなんでしょ、親子のように、親子として、人として。と言うような映画でした。




『彼女の人生は間違いじゃない』

瀧内公美という女優を知らなかった。
3.11後、いくつか福島を撮った映画があったが、すでにそれさえもなくなっていた、そういう意味ですごくがんばってる映画だとは思う。
現実、こうとしか生きられない、そういう意味なのか。
間違う自由もない、この国。

uimaki1957 at 17:28|PermalinkComments(0) 観たり読んだり系 

2018年10月10日

虫の知らせ



自分の住んでいるマンションですら20年もいても、民生委員などをしなかったらほぼお年寄りや一人住まいだからといって知り合いになることはなかったでしょう。
いわんや、隣の町内となれば、子どももいない、お祭りのようなイベントにも参加しない私のようなものは、まず、知り合いなどいないものです。
しかも、自分のマンションからテニスコートのある運動公園までの道のりを、ただ真っ直ぐ自転車で突っ走るだけで、しかもその距離ほんの2分程度ですから。

その運動公園までの道のりの傍らにその町内はあるけですが、その路地のなかに足を踏み入れる用事など、まったくないわけですからね。
その路地のなかは、本当にたくさんの民家が立ち並び、ふるくからの家のなかに、新しいアパートのようなものも数々立ち入っていて、いったいどこにだれが、どのような家族が、お一人住まいが住んでいようが、それはただの隣の町内に過ぎないわけです。

民生委員は、その見知らぬ町内も担当ということになっています。
未だに、今ひとつその路地のなかの様子は未知の世界でしかなくて、たまあにお食事会やバスハイクのお誘い、御餅を配ったりとかその程度。

今日は、初めてのお一人様を訪ねてみようと、ちょっと自分なりにひとつのハードルをあげてみました。
路地のなかを、歩き回って、玄関をきょろきょろ見て回るなんていう行為がなんとなくうしろめたいような気持ちにもなりますが、これも慣れなんでしょうね。

「ピンポン」と鳴らしたその1件目で、出てこられた女性は、私を待っていたかのような出会いでした。
入院していて、やっと退院したばかりで、一人で食事もままならない、体力も弱って、精神的にも落ち込んでいたということを、私の顔をみるなり話してくださりました。

これを「虫の知らせ」というのか、なんというのか。
初めて出会った私を信頼して頼ってくださったことは、本当にラッキーではありました。
即座にその場で、いきいきセンターに連絡をして、さっそく面会していただく段取りをしました。

うーーん、まだ出会わぬ、求める人が、この路地の中にはいらっしゃるのだろうか・・・・ああ、そう思うとちょっと気が重いな。ま、またそのうち出会うでしょうという程度で気楽に訪問しましょう。




uimaki1957 at 15:10|PermalinkComments(0) 雑感 

2018年10月09日

マイバースデー



10月8日は、マイバースデーでありました。
その前日に朝から小倉のSさんが、町内の運動会が延期になったので、わざわざ出てくるというので、てっきり私のバースデーを祝ってのことかと勝手に思っていたら、そうでもなかったのが笑えましたが、隙を見て私とおしゃべりしに来てくれることを私は大歓迎。
Sさんは、町内の体育委員長の役回りでとっても大変そうでした、その日に終わりたかったのにまた1週間延びたみたいなです。
ま、そんなバースデー前日でしたが、二人とも誕生月だったのでお互いに祝い会うことができて、良かったよかった。


最近はフェイスブックなんぞができているものですから、他人の誕生日なんてほぼ忘れているのが普通であるにもかかわらず、ちらっとパソコンを開けば、だれだれの誕生日です、お祝いしましょうみたいなおせっかいなことになっているので、パソコンを開けばだいたい友達らしくつながっている人のバースデーがわかってしまう仕組みであります。

それでもまあ、さして友達が多いわけでもなく、わざわざ「おめでとう」を言ってくれるのは、ほんの一握りの奇特な方ばかりでこざいます。

それでも、うれしい!!!
うれしい方ばかりがメッセージをくれるので、なんとなくそれはそれでいい気分です。
日頃会えない友人も多いですからね。みなさん、ありがとうございます!
私が忘れていても怒らないでね(笑

当日は、朝からテニス。
ここでも朝出かけていくとみなさんから「おめでとう」なんていわれて、まんざらでもない自分。
昨年が還暦だったもんで、なぜか生まれて始めてのサプライズバースデーとなったことが、いまだトラウマ(?)となっていて、微妙に期待していたり(嘘)

このテニスの場も長いおつきあいとなり、私としてはテニスではなくおしゃべりに行ってるようなもんですからね。
何をか私をテニスの上手いスポーツマンと勘違いしてる人は、ここではっきりと改めてくださいませ。
私の仕事はコート予約。これこそが私のルーティン。
ラケットはおまけみたいな?

ということで、ご愛想でもなんでも、「おめでとう」といわれて嫌な人はいません、ちゃんちゃん。







uimaki1957 at 07:45|PermalinkComments(0) 生き方おしゃべり系 

2018年10月07日

虐げられたものたちは



私が朝鮮学校にかかわるのは、学ぶべきことがたくさんあるからにほかならない。
逆に言えば、学ぶべきもののないところへはいきたくない、もう60歳を過ぎたしね。

朝鮮学校の校長先生が、「朝鮮学校は挑戦学校です」「チャレンジです」と言い切りました。
そして、学校はぼろぼろでも、心はチャレンジなんだと。

そうですね、私自身が失いつつあるものです。

虐げられたものだからこそ、本当に希望を見ようとすることができるのではないでしょうか。
絶望を知るものだからこそ、希望を求めることができるのではないでしょうか。

そして、虐げられたものたちだからこそ、ともにつながり合おうとできるのではないでしょうか。

「虐げられる」という言葉が、あまりに哀しい言葉に思えますが、それは、理由もなく、いわれのない差別であり、国家による弾圧にほかなりません。
その正体がなんであるのかを、必死で見極め、考え、追い求めることで、人は成長して生きていけるのでは。

それが生きる意味なのでは。

昨日は、朝鮮学校の体育館で、「一人芝居」が公演され、台風が去るか去らないかわからないというような状況で、それはしみじみ成功裡に終わりました。
「日本人」の主催する「在日」朝鮮人による芝居を、朝鮮学校の体育館で、初めて朝鮮学校に足を踏み入れる日本人が集まるという機会にもなりました。

ちっぽけな営みの積み重ねが挑戦であり、希望であるのだと。そう思いたい。
そんな一日でありました。



uimaki1957 at 10:39|PermalinkComments(0) 『市民』運動 

2018年10月06日

借りるだけの読書




読みもしない読書、図書館でリクエストしたり、予約したりしては、返すだけの読書。ま、これを暇つぶしという。

岩波からこんなシリーズが出ていて、ぱらぱらとめくってみる、企画はいいなあと。
戦後のひとびとの精神史というものをさまざまな切り口で集めているけど、それはいわゆる「戦後民主主義」チックな市民といわれる人々のような。
フリーターユニオンでは、もっと市民でもなく、労働者でもなく、棄民とまでもいかないけど・・・そんなシリーズをやってますが、企画としてはこんな感じかな、いや、レベルは全然違いますけど(笑

『ひとびとの精神史』岩波書店

■ 刊行にあたって
本企画は,第二次世界大戦の敗戦以降,現在に至るまでのそれぞれの時代に,この国に暮らすひとびとが,何を感じ考えたか,どのように暮らし行動したかを,その時代に起こった出来事との関係で,精神史的に探究しようとする企てである.
ここでいう精神史とは,卓越した思想家たちによる思想史でもなければ,大文字の「時代精神」でもない.市井のひとびとが,暮らしの中で感じ考え,振る舞い行動したこと,言い換えれば,生き方の姿勢としての精神の運動を探究すること.自分一個の「体験」でなく,他者との相互関係を含み,広い可能性に開かれた,精神の強度をもつ「経験」を記録すること.それが,「ひとびとの精神史」の課題である.
2011年3月11日以降に起こった出来事,東日本大震災と福島原発災害は,危機の進行のうちに,この社会がはらむ根元的な矛盾を一挙に噴出させ,あらゆる分野に潜在していた深刻な問題群を露わにした.1945年8月15日という日付がそうであったように,3月11日も「あなたはどのように生きるか」という問いを私たちに突きつけている.3月11日の「経験」は,私たちが今まで「経験」の中に十分に繰り込むことができず,したがって「経験」を精神のあり方に連結することができないでいることへも,探究の視座を広げることを促している.それらは,以下のような問題群として,当企画の構成に組み込まれる.戦後史を一貫して,私たちの暮らしが戦争と深く関わりをもってきたこと.出来事にアメリカの世界支配が影を落としていること.出来事の「経験」にアジアとの深い関わりがあること.経済成長至上主義,「富国強兵」,天皇制,植民地主義,公害,差別と社会的排除など,連続する問題があること.沖縄,東北,九州,水俣,釜ヶ崎,福島など,「受苦」の場所でのひとびとの「経験」と精神のあり方が,「失われたもの」と「いまだ実現しないもの」との間に橋を架ける潜勢力をもつこと.
時代の底に押し込められてきて,今生まれつつあるものが,眼に見えるものへと形を現わすことに力を添えることをも,当企画の更なる課題としたい.
2015年春
編集委員一同









日本国内のメディア情報やSNS的狭い情報で生きてると、やっぱ元気にはなりません。
日本から一歩でも出てみれば、違う空気には触れられる、まだまだね。本というツールなら、その範囲はまだ広げられるのかも。

『立ち上がる夜』社会評論社



“左翼発祥の地”パリ。フランス革命からおよそ230年間、左翼は脈々とパワーを保ってきた。ところが2017年のW選挙で社会党は大敗、マクロンが率いる中道政党が議席の大半をさらって行った。そして社会党は崩壊の危機に陥っている。

 ところがその一方で、混迷の中から新しい左翼も生まれていた。彼らは政党や労組などの既存組織に失望し、夜毎に数千人が共和国広場に集まり自分たちで討論会を開くようになった。

 「立ち上がる夜」と名づけられたこの運動は「隷属することを拒否し、立ち上がろう」というメッセージを持つ。事実、「立ち上がる夜」はとてつもない潜在力を持ち、2017年の大統領選挙でもあと一歩で独自の大統領を生み出す直前にまで至っていたのだ。

 フランス政界はまだまだ大きな変動が今後起きるだろう。その時、鍵を握るのは「立ち上がる夜」に参加した人々に違いない。哲学者、画廊主、映画助監督、公務員、経済学者、IT起業家、書店主、デザイナー、ジャーナリスト、学生、映像作家など、「立ち上がる夜」に参加したこれらの人々を訪ね歩き、個性的で魅力あふれる一人一人の物語を描き出す。本書は現代フランスを体験したい人々のための新しいガイドブックとなるだろう。



uimaki1957 at 08:45|PermalinkComments(0) 観たり読んだり系 

2018年10月04日

バス遠足



昨日は、社会福祉協議会主催の「おひとりさま」バス遠足でした。
昨年やったので、まあ、だいたいの要領は得ていましたので、お気楽気分でバス遠足に臨みましたが、反省すべきは6名中お二人が朝になって来れなくなったこと、お一人は誘いに行くとは約束していたものの、その時間に目覚めたばかりというようなことで、でがけにちょっとどたばたしました。

まあ、それでも、バスが出発してしまえばなんてこたあないし、来れなかったからどうってこともないという程度の出来事と思えるところがお気楽ですね。

もちろん真面目で責任感のある私としては、来年に向けての反省点であり、お年寄りとはそのようなものであるとか、まあ、あれこれお勉強にもなりましたけど。

バスのなかは、ほぼ女性。
お一人様が原則なので、家ではおひとり。このようなバス遠足の時間というのは、どこに行こうが、何を食べようが、思春期の娘さんのように、楽しいものであるのではないかというような遠足でした(笑

バスのなかでもどこでも、ずっとおしゃべりが絶えず、道の駅での買い物も、なぜか大根とか重いものを買って帰るというような意気込みがすごいです。

買い物とおしゃべり、これが生きるエネルギー。

そして、みんなで食べるお昼ご飯。
けっこうな量と品数だったような気がしますが、みなさん完食、途中下車したところでもまたアイスを食べたり・・・・。

いやあ、平均年齢70代後半だと思いますが、元気。

これですべて200円で1日遊べるのだから、まあ、こんな一日もあっていいよね?みたいなです。
雨の心配もなく秋晴れのバス遠足日和でした。

しかし、お目当てのコスモスはまだというかなぜか咲いていなかった・・・・暑すぎる気候のせいでしょうか。
そんなこんなもまったく気にも留めず、おしゃべりの続く楽しいバス遠足でしたとさ。



uimaki1957 at 07:47|PermalinkComments(0) 生き方おしゃべり系 

2018年10月01日

シャラポア




9月末の週末土日が、台風ということでじっと家の中にいました。
すべての用事をキャンセルしてというのは嘘で、ま、晴れてたらテニスコートに行ってたというくらいかな。
台風は、幸いにも福岡をスルーして、四国、東海と抜けて北のほうへ。

さすがに台風一過というかなんというか、今朝は暦も10月で秋晴れの気配。
夏の疲れが出たりもする頃、みなさん体調管理などお気をつけくださいませ。


私はなんだかんだ全米オープンから、デビスカップだなんだとwowowで放映されるテニス観戦、そして今日から楽天オープン。時差なしでテニス中継を観るしかない(笑

雨の日は、読書とばかりに読んだのはこれまたこれです。

『マリア・シャラポア自伝』

ごく最近出版されたようで、図書館でリクエスト。

テニスを知らない人でも、シャラポアとフェデラーくらいは知ってるよねえみたいな選手だけど、トップアスリートのその人生というのはほぼ過酷なものなのではないでしょうかね。
テニスというのは、個人プレーの色が濃い面もあり、親子でその道を歩んできたというのも多いような気がします。

それでもシャラポア自伝を読んで、あらためてその生き方にその意味の深さに気付かされました。

よく知られていることかもしれませんが、彼女はロシアベラルーシの生まれで、チェルノブイリ事故の後に生まれています。母親の胎内にいるときの事故だったかな。

決して金持ちではない家柄で、若い父親と二人でアメリカにわたり、ただひたすらテニスの才能だけを持って行ったのです。
内容は読んでいただければいいので、ここで下手糞なあらすじを書くことはありませんね。

私が一番に思ったのは、彼女のアイデンティティというものを形作っているのは、やはり生まれ育ったロシアという民族性であるのだなということでした。
人間の誇りというものが、かたちづくられるには、やはりどこでどのようにして生まれ育ったか、そしてどのように育てられたのかであったりするし、そこに民族というものによって、迫害を受けたりすることによって、それはさらに自覚的に目覚めるものなのだと。

母親は、その伝統や言葉や、文字、文学というものを娘に教えてきたようです。ほぼ、学校というものに通わなかったテニス人生ですから。

っと、台風でじっとしていたので、テニスできなくてシャラポアに感情移入していた私でした(笑



uimaki1957 at 09:41|PermalinkComments(0) 観たり読んだり系 

2018年09月28日

コンビニ外国人



「コンビニ外国人」

ここでこの本を紹介したかどうか忘れましたが、いまや街のいたるところに外国人がいること自体なにも珍しくないけれど、私たちの目の前に現れないところでは、もっともっと外国人が・・・多くの様々な国の外国人が働き生活してるということを知らなさ過ぎます。

コンビニというものが、わたしたちの生活のなかで大きな比重を占めていることにも改めてびっくりするわけですが。
私自身は、コンビニ世代ではないので、食材などをはじめ生活に必要なものをコンビニで買うことに罪悪感さえかんじるので、買わないようにはしているのですが。最近は、スーパーで買うのもコンビニで買うのも値段的にも大して変わらなかったり、コンビニに行けばいろいろ用事がすまされるというようなことも含めて、やはりスーパーよりも近くにあるコンビニを利用するようになってしまってることもありますな。

ちょっとコピーをするとかいうことがないと、基本、行かないのだけれど、名島橋の手前にできたセブンイレブンに行くと、当然のことながらレジに外国人がいます。

白人ではなく、中国人でもない外国人がですね。
もう、どこから来てるのか予想もできなかったりしますが、なかなかイケメンのお兄ちゃんがいて、ネームプレートを見ると、ひらがなで「らでぃん」と書いてありました。

「ふーーん、ビンライディンさんか」と思いつつ、その流暢な日本語と丁寧な対応に感心。

次に行ったとき、ラディンさんはいなかったけど、やはり中東系の方かなと思って、「どこからですか?」とたずねると、「バングラディッシュです」とのこと、「知らないでしょ」といわれたので、「一応知ってます」と答えて「らでぃんさんは?とたずねると「ネパール」とのこと。

日本に来てまだ1年ほどだそうです。
あまりに優秀なんで、「優秀ですね」と言ったら、「ありがとうございます」と日本人のように受け答えされました(笑

コンビニで働くこともできそうにない自分ですが、日本から出て行って、コンビニで働くなんて、まずできないな。
ただひたすら、感心。
まずは、この現実から始めるしかない。



uimaki1957 at 13:10|PermalinkComments(0) 雑感 

2018年09月26日

気軽に、気楽に



昨日は、敬老の日にちなんでマンション自治会主催の「おしゃべりサロン」。
前は敬老の日の年に1回だけの集まりだったのを、昨年末から、年に3.4回ほど集まりを持つようになりました。

1年ほどやると、なんとなく慣れてきて、気軽に声をかけて、集まれるようになってきました。
多くのご高齢者が、このような集まりを楽しみにされているのだなあとうことが分かって、なんてないことだけですが、それはそれでやってよかったなあと思えたりします。

あまり、難しいことを考えず、ただ集まって、お茶して、おしゃべり。
それだけでいいのです。
毎回、同じようなことを話していても、それでいいのです。

「元気にしてるよ」という顔を見せ合うことが、80歳をも越えてくれば、とても大切なことなんだなあと、実感。

気楽に声かけ、気楽に集まり、気軽におしゃべり・・・・・。

主催する側はそれなりに忙しかったりするけど、それもこれも気軽にやれるようになり、気軽に楽しめるようになってきたかな。
いいな、この程度の気軽さ。

uimaki1957 at 12:50|PermalinkComments(0) 生き方おしゃべり系