2008年11月

2008年11月26日

生存…。

NHK番組ネタで申し訳ないですが。

夕方の番組だったとは思いますが、なにげに観ていた教育番組。
教室にゲストを迎えて話を聞いたりするようなものだったと思います。
その日のゲストは、聴覚と視覚に障害を持った人でした。
(ちらっと横目で見ていただけなので詳細は分かりません)

ただ、その方の話をしている様子がとてもそういった障害を持っている方のようには見えなかったことも少し私の関心をひきました。
後から分かりましたが、隣の通訳の方がその方の手をキーボードのようにして言葉を伝えているのでした。それがあまりに自然で、分からないんですね。

子どもたちが質問をする場面でした。

「生きてきて一番うれしかったことは何ですか?」という問いに、しばらく考えてから…
「生きていることです」と応えたように思います。
そして、「生きていることを感じることができるのは、人とのコミュニケーション。コミュニケーションが一番大切」と応えられました。

コミュニケーションという言葉があまりに軽々しく使われ、表面的なツールのように成り下がっているように感じる今の社会で、改めて、その彼からのコミュニケーションという言葉は重みをもって聞こえました。
あまりに当たり前のことなんでしょうが。

そして、最後に「もし、目が見えたら何を見たいですか」という問いに対しては「…見えなくてもいいかな」といったことを応えられていたように思います。

こういう番組では、障害者ががんばって生きている的なメッセージが強くて、健康な人はもっとがんばらないといけない的なものが多くて、胡散臭いと思ってしまうし、そういう面はあります。

ただ、この一瞬見た番組での彼の言葉に、今を生きるときにもう一度、耳を傾けるべきことがあるのかもしれないと思ったのでした。

ほんのつぶやきです。

蛇足ながら、今朝のNHKニュースでは、東京のビジネス街では仕事で疲れた身体をなんとか維持し働かせるために、休憩時間などの10分間に、医師の診断を受けて「点滴」を打つというのが流行っているそうです。
ビジネスマンが並んで点滴を打つ様は、おぞましくも恐ろしく光景でしたが。
もちろん、NHKは決して批判的に流してはいません…朝からこんなこともできるんですよーみたいな…(-_-)








uimaki1957 at 09:46|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 組合活動 

2008年11月23日

やっぱ本人訴訟でしょ!

タイムリーと言えばタイムリーな原稿依頼があって、こんなことを書いていました。判決前はできるだけ、判決関連をアップしていこうっと!

『季刊ピープルズプラン44』何のための司法「改革」?


やっぱ本人訴訟でしょ!−裁判の王道を行くために−                          

現状の上塗りとしての司法「改革」

学校現場に内心の自由を求め「君が代」強制を憲法に問う裁判、これが通称「ココロ裁判」という私たちの本人訴訟を現すたいそうなネーミングである。本件の発端と言えば1985年中曽根内閣の下、当時文部省文部次官高石邦男が全国一斉の「日の丸・君が代」実施調査(「君が代」徹底通知)であり、このとき北九州市教委は「国歌斉唱時には起立して、心を込めて正しく斉唱すること」との1項目を含む全国でも異例の「4点指導」をなし、その後「着席」した教職員へ懲戒処分が出され続けることとなった。
当時、「着席」という行為で異議申立をする教職員は北九州市内に点在する形でしかなかったが、そんなものたちが寄り合いその処分の取消と学校長の職務命令への損害賠償を求め本裁判の原告に至っている。今、司法「改革」は、国旗国歌調査と同時期に中曽根内閣により着々と進められてきた新自由主義的改革路線の総仕上げのようなものとして、既に司法の場で実体化したものを「改革」というまやかしで塗り込めようとしている。

 さて、その司法「改革」をテーマにした特集で原稿依頼され、9月15日締め切りの直前が本件弁論(9月8日)の日であったので、「弁論が終わってから書こう」なんて呑気に構えていたら、この日が本裁判の控訴審結審という「記念すべき日」となってしまったというわけ。

本裁判は、1996年11月22日に福岡地裁に提訴、33回の口頭弁論を経て2005年4月26日に一審判決、そして控訴審では先日の第11回弁論が結審、判決は13年目今年の12月15日という年月を経ており、原告団や貴重な支援者の方々にとっては、「エンドレスの裁判」のような錯覚すら抱かせてきた。その裁判の結審を迎え、やはり裁判には「終わり」が来ることを改めて実感するような、「改革」とはほど遠い空気すら漂う法廷だった。ということで、「ココロ裁判」とは「本人訴訟」とは何かを伝える序章として、先日の結審の様子を少しだけお知らせしたい。

裁判長よ、何を恐れているのか

 結審した日の開廷前。「今日はいきなり判決言い渡し日を言い渡されるかも」などと冗談ともつかない「読み」をしながら11回弁論に臨んだ原告団はじめ全国や地域から集まった支援者らを、数名の廷吏が少し離れたところから監視するともなくうろついていた。前回もそうだった。何か「重大な」決定を言い渡すときに、しかも原告らにとっては不利な決定のとき、こういった風景は見られる。前回「証人申請を却下します」と言って逃げるように立ち去った裁判長の形相から察すれば、この日もさもありなんではあった。

しばらく打ち合わせをしていると既に定刻を過ぎていたのか、書記官が「裁判長が入廷されましたので、法廷に入ってください」と声をかけられてしまった。午後4時という開廷定刻きっかりに「裁判長が入廷している」というのだ。ぞろぞろと10数名の原告団と20名くらいの傍聴者が法廷に入ると既に裁判長、裁判官が定位置に鎮座しており、そのままだらだらと開廷する。開廷とともになされる「起立」「礼」といった儀式もない。始まっているのか分からないまま原告の出欠を確認し、裁判長が提出書面を確認し、事前に伝えてある原告の陳述や準備書面の口頭での弁論が、裁判長より促される。午後4時開始も異例だが、弁論のみで1時間という枠をとっているのも超異例だ。

高裁で11回目の弁論というのに、原告が2名各7,8分の陳述をして、私が書面の説明と称して言いたいことを言い放つこと15分。その後、裁判長が被告にまるで形だけの「原告らの証人申請に対するご意見はこれでいいですね」といったことを確認して、「次回判決言い渡しは…月 日…です」と言って逃げ去ったのだ。はっきり言って結審は予想していたので、判決日時くらいもっとよく聞こえるようにしっかりと言って欲しかった。

 裁判長よ!いったい何を恐れているのか?法廷を出て傍聴席から見えた裁判長は、ずっと緊張しこわばった顔のままだった。大法廷を仕切り、すべての審理指揮の権限を一手に握る裁判長が、一体何を恐れるというのか。真っ当な審理指揮による判断をなしていれば、何も後ろめたいこともなかろうにと思う。最後まで被告の立証を認めないままに終結を宣言した裁判長は、とにかく「終わる」ことのみに必死で半端な英断をするために緊張を強いられたのだろう。これも司法改革とやらの「裁判の迅速化」という強迫観念からだろうが、一般的な民事裁判で3年以上係争しているものなど数少ないのが現実である。

なぜ、本人訴訟なのか

 いくつか裁判や人事委員会、労働委員会といった法廷闘争をやってきて、それらはほぼ弁護士をつけない本人訴訟だから、今となっては弁護士を介しての訴訟ができなくなっている。

なぜ、本人訴訟なのか、誤解を恐れずに端的にその理由を挙げるならば、私たちが手がける訴訟は勝訴する可能性が限りなく「0」に近いからだ。反天皇制運動のなかで、1990年福岡で国民体育大会が行われ即位直後の天皇がやってきたとき、その国体の違法性を問うために住民訴訟を提起したのが、私の本人訴訟の始まりだ。天皇相手に勝つはずがない。ココロ裁判も同様、「君が代」の「君」相手に勝てる見込みはないどころか、異議申立することそのもに同意を得られない空気が蔓延していた。しかし、1989年最初の懲戒処分が出てこれに異議申立をなさないわけにはいかなかった。法律など全く分からないまま人事委員会闘争へ突入した。

そして、その10人程度が集まって日教組から独立した組合を結成したが、当初はさまざまな不当労働行為もあり、これらに対して訴訟を起こした。組合委員の名誉を傷つける発言を「名誉毀損」とした損害賠償請求も起こしたが、まあ、勝てるはずない。とにかく弁護士に相談する手前で「勝ち目なし」の裁判を快く受けてくれるなんてことすら思いつかなかったというのが実情だ。
国や行政相手に裁判を起こすことは当然憲法で保障されてはいる。しかし、「良き国民」でしか足を踏み入れられない空気の裁判所という土俵へ上がるとき、「天皇に異議」「君が代に異議」「少数組合の異議」が、裁判所という法廷にどう乗るのか、乗らないのか、そこからがスタートであり、国家とどこまで対等になれるのかのせめぎ合いであり、それこそが「本人訴訟」なのだ。

民意の悪用をさせないために

 本末転倒であると思われるが、代理人弁護士をつけることが裁判の「王道」であって、本人訴訟は亜流であり「お遊び」「興味本位なもの」といった裁判所をはじめ「世間」の常識がある。しかし、いわゆる一般的な裁判とは、ほんの2,3分で書面陳述をしたことにして次回期日を決めるだけである。私たちココロ裁判は、原告らの仕事や住む地域に合わせて弁論時刻を大幅に下げ、1時間の枠で、準備書面すべてを口頭で読み上げ、一審でも二審でも全員が意見陳述だけで弁論10回は行った。しかも開廷時にだれも起立も礼もしないのだから。

冒頭書いたが、なぜ弁論が33回も継続したのか。あまりの被告及び被告代理人弁護士の体たらくは置くとしても、私たちのこの本人訴訟が「お遊び」や「興味本位」ではないことの証としての準備書面や書証、証人申請といった当然のことをきっちりやってきたという面もある。そして、その公開の口頭弁論主義の原則を全うするために、本人の表情と声をもって自ら事実や思いを陳述することによって、裁判所の「まず行政の主張ありき」の姿勢を変えることができた。裁判所は原告の生の声を聞けば聞くほど、弁論を継続せざるを得ないのだ。聞いてしまったことを無かったこと無視することは、「裁判所の良心」にかけてもなかなか難しく、法律や判例だけに忠実であることや憲法判断を迫られることも避けられない。そのことをどこまでも真正面から裁判所へ突きつけていくことこそが、裁判の「王道」であるだろう。

 本人訴訟についてまだまだ言い尽くせないが、三権分立というタテマエ上の司法権力との闘いを、私たちはもう一つの行政権力と向き合うために、「法」と言う名の武器を駆使してきた。そしてそれは決して多数決に依らないという意味において、司法「改革」という名の「民意の悪用」をさせないという大きな威力をもつものなのかもしれない。

uimaki1957 at 17:26|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 組合活動 

2008年11月20日

近くや遠くを!

昨日は遠くの親愛なるお方と1年ぶりにおしゃべりして幸せな気分になりました(笑)

そのお方から「老眼克服法をブログに書け」と言われたので、早速書きます。

『人差し指を目の前10センチメートルくらいのところに差し出してできるだけ焦点を合わせる。次に、遠く5〜6メートルくらいのところに見えるものを特定して焦点を合わせる。この二つの動作を、交互に3秒ずつくらい繰り返し、これを1分ほどやる』

「たったこれだけのことを毎日やればいいよ」と言いましたら、「毎日っていうのがダメやね」と意気投合(笑)

で、お互い「老眼鏡」を購入してこれをもって、自分の見えたい距離=世界をクリアにして生きていっています。

やはり、世界は広い方がいいし、近くも遠くもできるだけクリアに見えた方がいいし、見ないようにしてしまうっていうのは、あな恐ろしきことですので、毎日の「遠近訓練」などもたまにはやりながら、世界を狭めないようにして生きていこうと思います。

そんな彼女と少しだけ判決の日のことを話していましたら、私が「判決が気にならない」と同じようなことを言っていたら、「判決を読んだらきっとまたムラムラとくるよ」と言われました。

はい、その通りですね!
自分の判決でなければ、きっとそういうことを冷静にアドバイスしている自分なのでしょうが、それを言われて「はっ」とするのは、まだまだですね。

ちゃんと「老眼鏡」を忘れずに持っていって、クリアに判決文を読み、また新たなムラムラと共存して生きましょう!

判決当日は、彼女の初めての書き下ろし本の出版だそうです。
今はまだヒミツですが、傍聴に来てくださるみなさんには、必ずよいお土産になるかと思いますので、どうぞお買い求めくださいね。
(お土産といってもタダではない)











uimaki1957 at 10:02|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生き方おしゃべり系 

2008年11月15日

判決まであと一ヶ月です。

【反天連ニュースあにまる ネットワークより転載】


ココロ裁判で獲得したものー軽やかな心を忘れないー
                    
 控訴審判決を前に、「ココロ裁判はすでに勝っています」と吹聴してまわっている。さらに吹いてみせれば、勝訴などというのは宝くじで当たるようなものであり、めっそうもなく、頂いてしまえば不運が舞い込んでくるだけだ。最近も2億円が当たった女性が殺害されていたりして、私は絶対に宝くじには手は出さない(笑)

「判決は水もの」とか言われたりもするが、真正面からの違憲判決なんてものは、裁判長が「自死」覚悟で出したとしても宝くじの勝率より低いのではないだろうか。そんな判決を、ご大層にありがたがって頂くことを夢見て私たちは裁判をやってきてはいない。なんて、少し開き直った書き出しになってしまったが、今回の控訴審判決を前に、この「心構え」はまんざら嘘ではないし、そういう境地に達しているのだ。それは、ココロ裁判によって法廷内外で獲得してきたことがあまりにたくさんありすぎて書ききれないが、「判決」という司法判断が取るに足らないもののように思えるのは本当のことなのだ。

とはいえ、提訴は今から丸12年前、処分と向き合ってから20年、確実に時は流れ歳をとってきたそのことによって、やむを得ず失ったものもある。本裁判の「お手本」となった京都「君が代」訴訟を中心で担われていた岡村達雄さんが亡くなられたことは、公教育支配と抗うものたちへ衝撃と悲しみを確実に与えた。私もその一人である。

そして、つい最近、共に闘う大阪教育合同労組の田中律子さんも病によって命を絶たれた。彼女は、北九州市での処分がなされ始めた頃、「日の丸」も「君が代」もなかった大阪の高校の卒業式で、校長の独断で校庭に上げられた「日の丸」を下ろした。北九州市では、「日の丸」はステージ中央に掲げられ、校庭にも門前にも「日の丸」だらけ、そして「君が代」をピアノ伴奏で起立して心を込めて斉唱することを「強制」されており、「ただ黙って座る」しかできなかった私たちにとって、その潔い行動は羨ましい限りであった。「引きずり下ろして、たったの文書訓告?」と冗談交じりに言い合ったものだ。(今は東京では「黙って座る」だけで免職かという局面ですからね)

 その彼女を福岡の集会で話してもらったときのこと。彼女は人前でとうとうと誰かに何かを教え伝えるような人ではなく、ぽつりぽつりと自分の中から出てくる言葉を大切に絞り出していた。「ありがたいお話」のようなものを期待している参加者にとって、わたしたちの闘いや彼女の話はなにがしか物足りなかったようで、「裁判をなぜ楽しんでやるのか?教師として闘う意味は?」といった質問というより批判の声がああった。彼女はそもそも教員ではなく図書館司書だったが、こう言った。「『子どものために』という言葉に、一番嘘が入りやすい」と。さらに「自分の生き方は、自分がやるぞということが大切。人がなるほどと納得することではない」とも述べた。裁判では、弁護士によって「思い」を理論化することで自分の感情から離れていくことを悩んだようだが、裁判闘争を継続するなかで「闘えない人を受け入れられる自分に変化した」ことを得たのだとも述べていた。

 ココロ裁判控訴審について語るつもりが「昔話」になっただろうか。言いたいことは、こうだ。20年前、私たちは目の前の「君が代」強制に対して「黙って座る」ことしかできなかったが、彼女は「日の丸」を下ろすことしかできなかったのだ。その行為は、それぞれにぎりぎりの抵抗であったと思う。裁判のなかで、そのぎりぎりの思いを13年にわたって法廷で述べてきたことの結果が、「判決」というただの紙切れだけでないことは明らかだし、人がなるほどと納得するような「ありがたいお話」でもない。

どのような判決がなされようと、2008年12月15日、これまで闘ってきた日々を経た私たち原告ら自身が、どのような思いで、どのような「言葉」を持てるのか。そこだけが問われるに違いない。私たちは誰かのための判決など求めてはいないし、今も尚ぎりぎりの抵抗を示すことができる軽やかなココロだけが求められるのだから!

 12月15日(月)午後3時福岡高裁501号法廷 原告らが一体どんな言葉を吐くことができるのか、よかったらみなさん出かけてきて見届けてくださいませ!


uimaki1957 at 18:16|PermalinkComments(3)TrackBack(0) 組合活動 

2008年11月13日

定額給付金

「定額給付金」?
あまりに幼稚であほくさいのでコメントするのもなんなんですが。
ここまで納税者や勤労者をバカにする「施策」とも言えない「愚策」を放置して、ああでもないこうでもないとバカ騒ぎしている空気もいい加減にしろと言いたいですけどね。

税金も納めずまともに賃労働もしてない非国民が言うことじゃないって?
まあ、そういうことですが、そういう人間だからこそ、言いたいことが山ほどあるってわけで、こういう事を言うしかやることないしね。

一人頭12000円という額がどこからどうひねり出しのかよく分かりませんが、子どものお年玉でも、その程度かよって感じですよね。

まあ、お年玉程度なら麻生君の私有財産というもの?ポケットマネーで賄ったらどうなんでしょうか。

えらそうに「血税」を使って金をばらまくことの恥知らずな政治家、一国の首相がやはり今も尚、ぬくぬくと生き延びているわけですよ、要するに。

しかしまあ、こんな子供だましのようなことを、本当に各地方自治体任せでやることもまた信じられません。

「申請書」を各世帯に郵送して、役所で「申請」して、振込先を伝えた後、ふりこまれるそうです。住民票の確認が必須だそうで!
そんな面倒なことするだけで、どれだけの金が動くのでしょうかね?
(それにまた公務員の雑務が増えることも目に見えてきますけど…)

近代資本制というものが、目に見える形で破綻することもなくずるずると金の亡者に仕立て上げられてしまったこの国の人たちなので、まあ、あれこれ不平不満をつぶやいても、たかが12000円の金でももらえるとなれば、そそくさと役所に行って申請でも登録でも署名でもするのでしょうか?

もちろん金は必要です。
何百ぺんの政治家のだまし文句よりは、現金のほうがマシなのかもしれませんが。やはり、ここで黙って手に入れて良い金と悪い金はあるんじゃないでしょうか?

これで「すべてチャラ」と言われているに等しいわけですからね。
そういうことって、これまでもずっとずっとあったわけでしょ?

生きていくのに金が要らないなんて決して言いませんし、また、温かい人間関係さえあれば人は豊かに暮らしていけるなんてことも言いません。

しかし、しかしです!
「貧乏人」のプライド=魂が失せたら残るものは?

そう思わずにはいられない今日この頃なんです…。
アタシはいらんよ!低額で低脳な定額給付金やら。


 




uimaki1957 at 22:16|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 組合活動 

2008年11月12日

「アヒルと鴨のコインロッカー」

アヒルと鴨のコインロッカー
このタイトルでどんな映画を想像できるのかとか思っただけで少し楽しいけど。
原作小説を知ってる人以外は…。

私にとっては、なぜかタイムリーな映画でしたけど。




アヒルと鴨のコインロッカー

uimaki1957 at 18:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 観たり読んだり系 

2008年11月10日

遊びすぎ

なんだか最近遊びすぎている気がします(笑)

だいたい普通に働いていないのですから、基本は引きこもってお金をかけずに昼寝とか昼メロとか観て遊んでいるわけですけど。

テニスのことばっか書いてるのでテニスばっかしているじゃないかという「お怒り」の方もいらっしゃるかと思われますが(誰が?)、テニスは必死で行っても、雨が降ったり、暑かったり、寝坊したりするので、週に1回行けたら御の字程度ですし。

映画とかだって、毎月一日とか水曜日は1000円だから行こうと思ってますが。
平日でもいつでも行ける私はいつもで行けるじゃないかとか思われる方もいらっしゃるかと思いますが、これもそうはいってもなかなか、観たい映画とタイミングと気分が合わずに、言うほど映画館にも通っていませんしね。

ま、DVDをまとめて借りまくって観るということもないことはないのですが、借りてもふと見忘れて3本借りて一本観ずに返したりとかですね(笑)

まあ、わざわざ遊ぶというのもなかなか大変なんですわ…(笑)

それにしても24時間拘束されずに毎日が日曜日の生活は、やっぱ暇ですからねえ。

ところでこの前、朝は早くから「古本市」というものに出店して、一日「お外」で本売り(?)をして遊んで帰って、その夜からナイターテニスをして、その次の日には市民体育館で卓球しました…!

そして、その夜にドイツから一時的に帰国したSさんの「お帰りなさい会」をしましたが、まあ、そのSさんが思い切りドイツを絶賛するわけですな。
「ドイツに行きたい」と何億回も叫んだ挙げ句の果てにそれを貫徹して、1年間も滞在しておったSさんですから、それくらい絶賛されてもそれはそれで全然ナイスなことなのですけど!

「立て板に水」のように聞かされたドイツ自慢でしたが(笑)、Sさんは日本にいても働いていたわけではないですし、ドイツでも働くことを前提に行ってそこで「辞めさせられて」働かずに生活しているわけですから、まあ、なんとも言いようがないのですが、同じ働かない状態でも、ドイツが生きやすいという結論なわけです。

私は海外へ飛び出そうなんて発想のまるでない人なので、それだけでなんだか羨ましいというか、それだけを単純に「いいじゃない」と肯定してしまいますが。

Sさんの全身丸ごとで感じた「生きやすい空気」の濃度というのが、ドイツにはきっとあったのでしょう。

世界中が壊れつつある今、貧民がそれほどどこでも生きやすいわけではないでしょうが、とりあえず「働かない」人にとって、身体を締め付けられたり息苦しくなるというような空気濃度は、まだまだ日本の比ではないのだろうなということは感じました。

働かないことも自己責任なら、せめて好き勝手に貧乏させてくれと言いたい空気のこの国です。

とうの昔に「正規雇用職員」をドロップアウトした私でも、やっとこの頃「遊んでもいいかな」と思えるようになったくらいですし(嘘!)

ああ、ナイターテニスもいいけど、卓球もまたやりたいな(^_^)v


夕方



uimaki1957 at 16:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 生き方体育会系 

2008年11月03日

いのちを生きる

私の数少ない「タダ友(ホワイトプラン)」であり、私の拙いブログにいつもコメントをしてくれる犬のファンさん。
今日は、その彼女の心や体の心底から紡ぎ出された文章を自慢気に掲載します。

ブログというような安易な媒体に載せてしまっていいのかと悩みましたが、どうしてもいろんな人(?)に、じっくりと読んで欲しいと思ってアップしました。



風前の灯火なのだ  長谷川洋子(犬のファン)


 8月明細表を見て力が抜ける。約27000円下がっているではないか。くそー。
 大阪府は、今年8月から人件費削減を実行し、17日、府の公務員は、管理職11.5%、管理職以外9.5%下がった。
 病休で休んでいても、給料が半分貰える公務員の権利は確かに得難くありがたい。そんな私が文句を言って良いのか、と思われる人もあるだろう。開き直って悪態をつくのは、今働いている教員についてである。

この文章は、夏休み中に書いている。しかし、私の働くT市は二学期制を実施しているので、すでにほとんどの学校は授業日だ。去年の今頃、二学期制について書かせていただいたが、今年は去年より夏休み中の授業日が増えている。加えて、新しい学習指導要領にもとづいて、小学校英語科が導入される。そのための研修もフルタイムで行われたという。巷では「先生は夏休みがあっていいねえ」といまだに言われているが、この際「休みはお盆だけです」と、校舎に垂れ幕でも降ろしたらどうだろう。

 私がわからないのは、労働量が去年より増え、給料は激減した。それなのに、何故みんなは文句も言わず黙々と働いているのかということだ。某市の校長が「10tトラックに乗って、府知事公舎につっこみたい」と言ったと風の便りに聞いたが、自分がペナルティーを犯した訳ではないのに減給されたら、その理不尽に怒る方が当然だろう。怒りを外に出さない私の仲間たちにかえって危惧をいだくのだ。

前置きが長くなった。「燃え尽きる」ことについて語りたい。 

 去年から団塊の世代の退職が始まった。就職した時、罵声を浴びせながらもいろいろ教えてくれた直近の彼らに、私は、親しみとコンプレックスと暑苦しさを抱いてつきあってきた。「彼らがいなくなったあと、職場はどうなるのだろう」という不安を漠然と持ち続けてきたが、団塊に続く年代のひと達も数多くいて、彼らがいるから一緒にやっていけると思って安心していた。

 ところが、団塊世代の大量退職の年と前後して、そのちょっと下の親しい教員達も櫛の歯が欠けるように辞めはじめたのだ。別天地で新しい生活を始めるひと達もいるが、一番の理由は体力・精神面の限界だ。悩ましいのは、かれらが教育も組合活動も真摯にやっていた熱心な先生だということだ。
 気持ちはわからぬでもない。納得できない事が次から次へと降ろされ、抗って声を上げても周囲は反応しない。次第に周囲に不信感を抱き、怒りと無力感にとらわれる。
冒頭の人件費削減も一例だ。「この削減はおかしい」と叫んだら、「これだけの赤字があるから仕方がない」と99人の人が答える。「府知事の後ろには僕ら味方がついてるからな」と反論する若者さえいる。

 私にとって残りの一人はスペイン語の先生だった。彼は「君たちが悪いことをした訳じゃないんだろ?どうして給料が減らされるのだ?」と驚き怒った。ヨーロッパ人が見る社会の対立構図と、日本人のそれはどうやら違うらしい。
 職場内は、20代が圧倒し、40代が極端に少ない。素直に体制に従う若い彼らに戸惑い・違和感を覚えながら、50代は遅くまで職場に残り、彼らをフォローアップしなければいけない。なまじっか仕事ができ真面目な彼らだけに、治らない金属疲労が早く進んだのだろうか。

 大きな見当違いだった。これでは、私が職場復帰した時、まるでウラシマ太郎状態になるではないか。「長谷川さん、職員会議で意見なんか言っていいんですかぁ?」と、若い子に真面目な顔で聞かれたりするのだろうか。

 無理はしなくていいけど、開き直って生き残ろうよ!

「50代前半には生き抜く力がないのか?」と団塊の世代に言われるのがイヤなのであえて言うが、私は開き直り働き続ける。高額な治療費を捻出し続けなければならないからだ。笑ってしまうほど人生の見通しがたたない。いつ死ぬのか?貯蓄がなくなるのとどっちが先か? 不安定材料が多すぎて思考の続行が不可能だ。

「ま、いいか、今日生きてる。たぶん明日もきれいな朝の空気が吸える」いつもここで思考が終わるのだが、パンドラの函の底にグズグズ残っていた希望は、私に寄り添ってくれている。




uimaki1957 at 15:56|PermalinkComments(2)TrackBack(0) 生き方おしゃべり系 

2008年11月01日

風景を変える

麻生帰ってこい1







夜の天神ど真ん中


警察権力によって身柄を拘束されるということがどういうことなのか、といったことへの想像力はどかから生み出されていくのでしょうか。

逮捕とか、弾圧とか、公安警察とか、物騒な言葉は自分とは関係のないことだと思うことができるのでしょうか。

「ただ歩いていただけで逮捕される」ということが、自分とは関係のないことであると思いたいだけではないでしょうか。

もちろん、誰も身柄を拘束されて、あらゆる社会から断絶されて孤独になることがどれほど怖いことなのかを、本当はだれもがよく知っていると言うことなのかもしれません。

東京での不当な弾圧に抗議の声を上げようと、10人足らずの仲間で一生懸命準備をするなかで、一人一人が自分も拘束されるかもしれないということを、どこまでも自分自身のこととして考えながら、プラカードを描き、楽器を準備し、トラメガを持ち、ビラをまきました。

ただ「おかしい!」という声を上げるだけのために。

そして、天神という都市の風景を少しだけ変えることができました。
そのとき、一人一人の「孤独」も変わったように思いました。



fUfのブログ
ここに写真あります。






uimaki1957 at 22:25|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 路上にて