2014年02月
2014年02月27日
お手軽に
歯医者、原稿、DVD…
仕方がない、抜くか。骨が溶けるとか言われたらねぇw
自分が書いた原稿を読み直すことほど苦痛なことはない、というほど大げさなことではないけれども、書き殴ったらあとは字数を合わせるだけになる自分、半端に締め切り1週間延びてしまって、見直さなきゃいけないみたいで、嫌だな(笑
書くまでも嫌だなとか思うけど、書くということで書きたいことを考えるわけですから、何を考えているかのかを整理することはできるわけですね。
文字にしてみると、やっぱり大したことは考えていないことが分かるので、見直したくないのですね。
早く送ってしまおう。
で、DVD4本借りの2本目、3本目をついつい観てしまいました。
『暗闇から手をのばせ』
『樹海のふたり』
二本ともすごく良かったです!4本借り、1000円、安いわ。
お手軽に生きる意味を教えていただきました、すぐ忘れるけど。
2014年02月26日
『嘆きのピエタ』
2,3日前に歯の銀歯が外れてしまって特に支障もなにもないので、ほっときたかったけど、やっぱ仕方なく歯医者さんに行きました、2年半ぶりか。
特に行きつけの医者とかないので、最近近くにできた新しい歯医者さんに行きましたが、なんとも部屋のインテリア(?)に違和感あり。バレンタイン直後とはいえ、歯医者なのに、いたるところにチョコレートを飾ってるってこれなに?ですよね。
歯医者嫌いなんです、と医者に言ったけど、歯医者だけじゃなくて、病院すべてが嫌いなんだな。
別に医者すべてを信用していないわけではなく、行ったら行ったでその気になって治療しまくることにしました。
さて、3800字の原稿の目処がついたので(ホンマカイナ)、4000字以上、字数だけは確保(笑)したので、昨日DVDを借りに行きました。いつもの4本借り。これって、安いのかどうか?
『嘆きのピエタ』
キム・ギドク監督・脚本による2012年の韓国映画である。消費者金融の取り立て屋の男とその母親を名乗る女の不思議な関係が描かれる。第69回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門で初上映され、金獅子賞を受賞した。 初公開: 2012年9月6日 (大韓民国)
キム・ギドクすごいですね。
気になりつつ、やっと観ましたが、愛ではなくつまるところ「貧困」というか「階級」問題じゃないの。
2014年02月25日
こじれた先にあるものは
なにげに携帯電話にメール、「私の職場にもいじめがあった」。
そうよね、昔あったよね、とか軽く返信していたら、だんだん話が具体的になってきて、結局今現在のことでした。
年末に事務所内の片づけをしてロッカーを整理したので、もうロッカーはなくなったと思っていたら、新しいロッカーができていたらしいことに、誰も教えてくれなかったとのこと。
つい最近、冬物のコートなどを入れるところもないので、できるだけ薄手のものを着ていき、小さな防寒具は机の引き出しに入れたりしていたとのこと。
説明すれば、すごくややこしいと言えばそうなんですが、新しいロッカーを備えたときに、なぜか彼女のロッカーはなかったということは事実のようでした。
帰り際に、年下の正社員が「あ、Sさんのロッカーないですね」と係長に伝えたら、係長が下を向いて顔を歪ませていたので、それ以上突っ込まずに帰ったらしい。
なんで?そこで、下を向く?説明しろよって話だけどね。
金曜日のことだったので、土日明けて月曜日に行くと、「Sさん、6番使ってね」となにげに言われたという。
これまでロッカーがなかったことの説明は?ない?
これは分かりやすい嫌がらせというかいじめというかですね、そうなんですけど、こんな分かりやすいことしていいんですかね?
しかも、ここはお役所の現場なんですけど。
この出来事自体は単純に見えるけれど、なぜこんなわかりやすい嫌がらせともつかないことをするのかとなると、事はややこしくこじれているのだ。
そもそも、このSさんはこの役所に嘱託職員として入ってすでに17年。
3年契約の仕事だったのですが、この職種の嘱託はほぼみな自動的に更新され、20年以上も定年になるまで継続して雇用されているのです。
このこと自体が、問題なわけですが、ほぼ福岡市の嘱託職の「常識」となっています。
今でこそ、有期雇用問題の更新や雇い止めが法律でかなり規制されていますが、もうずっとこんなことが放置さされているわけです。
要するに必要な仕事であるにもかかわらず、有期雇用の嘱託という非正規職員にずるずるとその専門的な仕事をさせておきながら、正規職員よりも悪い待遇で働かせているということですな。
待遇は悪いし、正規ではないということで、まあ、ちょっとした差別的な対応は多々存在してきたとわけです。そもそも、給料安いことが差別的ですけどね。
ところが、嘱託の方が長くその専門的な仕事を継続することとなっているため、実際にその仕事ができるのは、正社員の管理職的な人ではなく、嘱託の人であったりするわけです。
ま、そんなこんなでこじれますよね、いろいろ人間関係的にとか。
こういうデタラメなシステムがまかり通っていることなんて、あんまり誰も知らないですよね、お役所仕事ってことですけど。
2014年02月24日
2014年02月23日
いいやつばかりじゃないけど…
先日発行したfuf通信の自分の書いたもの。
小林多喜二が言ってることと、ブルーハーツと同じようなこと言ってるんかなあと思って…(笑
井上ひさしさんの最後の戯曲「虐殺」に出てくる、小林多喜二の台詞「絶望するには良い人が多すぎる、希望を持つには悪い人が多すぎる」ということばだ。1930年代の日本での抵抗の精神を現した台詞だそうで。
―「不正」とか「ブラック」とかの本質−某介護事業社の営業停止を巡って
弱い者たちが夕暮れ〜さらに弱い者を叩く♪とは、1988年のブルーハーツのフレーズだが、25年後の今や「たたき易いものだけを徹底してたたく」社会で、労働組合運動が目指すべき闘いは何か、それがfufの課題である。
昨夏の某零細介護事業社(N社)事件を巡ってその課題を悩んでみたい。事案の終結からから半年以上が過ぎたが、停止処分をなした行政の一番の「被害者」となったのは、最初に相談に来て積極的に会社の「不正」を糾そうと、自ら労基署その他の行政機関へと奔走した組合員Aさんではないかと、今改めて思う。
N社の経営や雇用実態は、夜勤を含む連続勤務をはじめあまりに場当たり的なもので、社会保険料の天引きがまちまちであったり、気まぐれで賞与を出して手書きで領収書をわたすなど、素人経営丸出しで、「ブラック」という名に値するような恣意的な違法状態とは考えにくかった。しかし、行政はそれを介護報酬の「不正」受給と名指して営業停止処分へ向けて調査を強行していた。そこで働く者にとってそのような不穏な空気の流れる会社は、それまで信頼していた社長さえ180度「悪」のように見えてきたのだろう。いたたまれなくなったAさんをはじめ7名が、自ら退社を申し出、この「不正」を許せないと組合に相談に来たのだった。目線を変えれば、小さな事業所だけにアットホームな形で一人ひとりの入所者(障害者)へ思いのままの介護もできるし、働く側のペースで動くこともでき、利用者や労働者にとっての居心地は悪くはなかっただろうし、双方にとって生きるために不可欠な場であった。それが、行政の監査によってすべて無にされたとも言える。
労働組合として、最低限の夜勤などの未払賃金や慰謝を請求し弁護士との交渉を行ったが、すでに行政から非難のレッテルが貼られた事案であるがために、未払などの精算は労基署も、派遣会社も認めざるをえず迅速事は進んだ。N社側の弁護士と意見の一致したところは、新たな障害者介護事業への助言もせず「不正」という面だけに焦点をあてて、処分だけを先行する「行政の怠慢」についてであった。
昨夏アベノミクス「効果」を上げるため、生活保護や小さな介護事業所などへの不正受給への行政による取り締まりは強まっていた。福岡においても保護課職員の不正や事業所の不正を始め、保護申請への引き締めは強まった。原発事故後の避難者が生活保護申請手続きの場で、傷害罪をでっち上げられて有罪が確定した事件があるくらいだ。介護事業の現状を語る紙幅は許されていないが、ブラックと言うのであれば全国のどの介護事業所もブラックといえる低賃金で労働者は働いている。しかも、長時間の拘束である。当然離職率は高く、これを改善する展望は見えてこない。家賃をのぞけば10万を満たすこともない生活保護、時給800円を割っている介護ヘルパーの賃金、最低限の生活を営むためにぎりぎりの「絆」で事業所と労働者と利用者がつながっているものを、国がばっさりと「不正」と鉈を振るうのだ。
Aさんは、職を失ったまま次の仕事が見つからず日雇いなどを続けた末、体調を崩し手持ちの金もなくなった今、生活保護を申請することになった。これを「自己責任」と誰が責めることができるのだろうか。「不正」と名指して処分すれば事足りるとても言いたげな行政(国)の対応こそ「貧困」を生み出すということがぐるぐると転げ落ちるように巡っている。
「ここは天国じゃないんだ、かといって地獄でもない、いいヤツばかりじゃないけど、悪いヤツばかりでもない」と、今はなかなか言えないかも。
2014年02月22日
小春日和
小春日和ではなく、もうほんものの春が来ているわけなんでしょうね。
朝からテニスコートへ行けば、一歩踏み出したときは風が冷たく感じましたが、気温はぐんぐんと上がっていたようで日射しがもう温かく、みんな「暑い、暑い」と言ってるわけで(笑
たしかに今年の福岡は穏やかな気候のようです。
こうやってたぶん何事もないかのようにまた季節は巡り春は来るのでしょう。
あっという間に週末だなあと思いつつ、今週は何か気ぜわしさが増していました。
どうでもいいけど、長年使っていたプリンターがどうも調子悪く、印字はとてもきれいなんだけど、送りが今ひとつで、とうとう一枚ずつしか送れない状態になってどうにもこうにも具合が悪いのでした。
こういう機器について、私はとても疎いので、こういうことにもとても詳しいというか超人的に使いこなしている(笑)Pさんに教えてもらって買った物が多くあります。ああ、このプリンターもそうだったなあ。
っと、これはとても使いやすいので、アマゾンというものだけはついつい使いこなしてしまうようになった私は、これと、全く同じものを探して中古品で(中古しかない)買い求めますというと、ワンクリックしただけで、その日から二日も待つか待たないかのうちに私の手元に届いたのです。
中古と言っても全然遜色のないものであり、同じ物だからつなぎ変えるだけで、簡単に元通りに使えるという…(実はつなぎ変えてもしばらくなかなか使えずしばらくは悩みました)ホントにこんなに簡単に手に入っていいのかというようなことでした(笑
いやあ、私がパソコンをワンクリックした時点から果たして如何なるルートで私の家の玄関まで届くのかと言うことを考えただけで気が遠くなりますが、このプリンターは千葉から来たんだっけ…
しかも中古品ですから、もともとだれかが使っていたものが、いつからかアマゾンさんのところへ寄せ集められて、それが私の所へと届いたわけですから…なんてことを考えただけでもアマゾンさんは凄いけど、どんだけの人の手をどう使い回しているのでしょうかと考えると気が遠くなりますね。
ということで、プリンター問題は何とか解決したのですが、今は、新しい相談が二つ重なっていて、さてさてこれをどうすべかといことで、相手のあることであり、当事者のあることであって、刻々と時間との勝負という面もあったりするわけでして、どうやって攻略していくのかということで頭が結構忙しかったのですな。
もちろん、今も忙しいけど、そんなときこそ、テニスとばかりに思い切りボールのみを追い続けておりました。
ま、相手のあること、当事者のあることだからこそ、何とかなるやろ。ホンマカイナ。
2014年02月20日
ヘイト・スピーチはなぜ悪い?
夜中にフィギュアのショートなんたらがあったようで、朝からそればっか。
真央ちゃん騒動にもかかわらず、真央ちゃんはなかなか登場しないという結末だったようで、分かりやすい。
あまりに消費しつくされた真央ちゃんが、なんとも哀れな感じですが、それも勝手な思い込みですかね。
オリンピックが消費の極みになっているのも、日本はとりわけでしょうか?
金が何個とかばっか言ってるもんね(笑
さてさて、火曜日は「ヘイト・スピーチに対する法規制、法制策の可能性について」と題して、fufで山口大学の講師である若手刑法学者Sさんの登場でした。
予想通りというかそれ以上に、しっかりとした報告で、問題意識が伝わってきて、共有できました。
さすが、研究者やなあとか言ったら怒られますけど(笑
30代前半で、いやだからこその切れなんでしょうね。
鉄は熱いうちに打たなきゃ。
ところで、ヘイト・スピーチななぜ、何が悪いのか?
と、問われてどう答えるのか、どう考えるのか、そのことの真のコンセンサスを追求することこそ求められるのではないかと改めて学習しました。
何事もそですが、「人殺しはいけない」なんてことを簡単に言いますが、では「なぜ」「何が」悪いのかについて、他者に伝えられるものを私たちはきちんと持っているのかということに尽きる問題でもあります。
自分の問題としてその答えを求め出していく努力こそ求められるのではないかと思います。
表面的なヘイト・スピーチの捉え方では、単なる悪口とか、口の悪い人の問題とか、そういうレベルに成り下がることはないにせよ、案外とそういう面もなきにしもあらずかもしれません。
ある意味、口の悪い人がそんな悪人であるのかと言えばそうではないだろうし、それを悪人として処罰すれば事足りるという発想そのもののほうが社会的には悪ではないかと…ちょっと単純化して言えばそういうことにもなります。
差別のない社会、人権を尊重する社会などと口当たりのいいことだけをふりま行政ポスターで、何かが変わることがないようにです。
「公共の秩序に対する罪」であり、「公共の平穏」を追求していくことこそ、その本質はあるのではないかということ、少しだけ見えてきましたね。
つづく。
2014年02月19日
働きづらさ
今年の福岡は、ほとんど雪がない。
全国的に大雪だとの情報に申し訳ないくらいです。
厳しい寒さというほどでもなく穏やかな天候が続いていると言ってもおかしくないほどだと思います。
そんな天候だけでもまあありがたいと思うしかないのかどうかよく分かりませんが、そんな殊勝な気持ちが湧いてくるほど心安らかなわけでもないですが。
まあ、あらためて、しみじみと、つくづく若い人(いったいどこまでが若い人かというか、若い人だけではないのだけれども、概ね若い人)の働き方は大変なことになっていると思わされることだらけです。
いくつかの労働相談やfufの仲間たち、それぞれどのような職種であれ、雇用形態であれ、なんであれ、同じような意味において、働くことが大変、わざと難しくしているというか、無駄に難しくしているというか、不毛なことばかりで大変さを増しているというのが実感なわけですね。
どんな職種であれ、その仕事の中身そのもので苦労したり、努力したり、失敗しては経験を積みということであれば、そんなことは「大変」なことでも、「難しい」ことでもないし、そういう大変さは必ず報われるわけですからね。
まずは、やはり有期雇用という細切れの雇用、正規雇用だけがいいというわけではないけれども、正規も有期も同じことを求められるのであれば、なんでみんな正規雇用にしないんだということですからね。
正規雇用と同じだけの職能などを求められ、給料は安いにもかかわらず、3ヶ月とか、半年とか、1年経ったときに、「もう、要りません」と、大した理由もなくさくっと「雇い止め」となるわけです。
ならないとしても、なるのではないかという不安とか恐れとかそういう気持ちで働かなければならないのです。
そんな思いを抱えて働くだけで、それはもう大変なわけでしょ。無駄にです。
やっと正規雇用で働き始めたかと思えば、その部署は「要らない」から専門でない仕事でもやってください的なことになったりもする、そしてその「要らない」という理由にまったく合理的な根拠がなく、もし理由があるとすれば、「お上」の言うとおりにしないとお金がおもらえないんだよて的なことでしかないのです。
真面目に自分の専門とする仕事をやろうと張り切って正規の仕事に就いたかと思えばそういう事態にまきこまれていくという、それは若い人たちへしわ寄せがくるのです。
何十年かそこで働いている人(若くない人)は「まあ、もう、いっか」的な感じで言いなり。
そこで自らの意見を言ったところで「のれんに腕押し」的にスルーされるだけなのだから、もう自分を失うような気持ちになるのではないでしょうか?
自分を失い、存在を否定されたような職場で働き続けることの苦悩はそれこそ大変の極みでしょう。
しかもその仕事が人に関わるようなことであればなおさらでしょう。
今はもうそんなことがありとあらゆるところに蔓延っています。
そして、さらにもう働けないように身体も心も硬直してしまっている多くの若者がいると感じています。
「賃上げ」なんて、若者は関心ないですよ、安倍さん。
2014年02月18日
プレミアムシアター
テニスサークルで敬愛する大先輩女性、一回りくらい年上だから、私もまだまだがんばらないとかなと、コートでベンチでお慕い申しているお方から、めっちゃ美味いお米をいただきました。
炊きたてご飯の甘い舌触り…なんか久しぶりにこんな美味い米食べたような(笑
こういう頂き物って本当にうれしいです。
米、味噌、酒、大根…などなど…告知しました(笑
さてさて、テレビはソチオリンピックで、なんだかなあで、モップで床をごしごし磨いている場面がずっと流れていても面白くないので、BSで連続して観ました。
『スタンドバイミー』『リトルダンサー』子どももの2本。
何度観てもいいなあ、この映画。
少年が青年になっていく、人として大人になっていく…豊かさがある。
日本映画でこれに抜擢するのはなんだろ?
あれなんだっけ?宮沢りえちゃんが子どもの頃の映画、『僕達の七日間戦争』か、あったね。ちょっと違うな。
2014年02月17日
『解』
月末までに3800字書かないとなあというのが、頭の片隅に貼り付きつつ…やってることも考えていることもバラバラな感じな自分(笑。
標記『解』は、いわゆる「秋葉原無差別殺傷事件」の加害者当事者である加藤智大の書いたもの。
読んでみてここに何かこの社会の「解」があることは確かだと直感しています。
中島岳志の『秋葉原事件 加藤智大の軌跡 (朝日新聞出版)』をさらっと読んで、そのずっと前に大森立嗣監督映画『ぼっちゃん』を観ていました。
多くの(?)人がこの秋葉原事件に関心興味を持ち、書かれ、撮られてきたんだなあと思います。
そして、最近加藤智大本人の著書を読むことになって、当然ながら客観的に書かれ撮られたものとは違うショックを受けました。
これについても、さらに最近『解+』として書き直したものが出されていますので、読んでみようと思います。
簡単に答を出してはいけないからこそ、『解+』を読んでみたいと思います。
※このような出版や映画が一定の評価を受けて世に出されることは、「救い」なのか、果たして、こういう事件を起こすことになってしまう社会は「救えないのか」というところまで来ているのだろうとは思いますが、現代社会において多くの(?)人が、きっと知りたい『解』があるではないかと思うのです。
しばらく考えてみます。
3800字、なんか書かないといけないしな…。