October 16, 2010

そう、そのはじめから強烈な

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いのちがもつ力というのを、改めて、というかこんなにビビッドには初めて、感じている。
無力であるとか、守ってあげないといけない弱い存在なんかでは決してない。
むしろ、周囲の人間を大きく巻き込んで、思わず明るい顔にさせ、腕まくりさえさせてしまうほど、周りの人間の見慣れた日常さえぱっと照らしてしまうほど、得たいのしれない力をもった存在なのだと思う。
指一本うごかさず、そんなことをやってのけるのだから大変なものである。
権利とか、権力とか、心を動かす言葉なんかつかわなくたって、自分の生をまわりの人間が思わず総出で支えて、応援してしまう。
これが、人間のいのちがもつ力の原点かと思い知る。

生まれてから時間を重ねるなかで、自分ではいろいろなことを学んできて、たくさんのことができるようになったという気がしているけれど、ある意味ではもともともっていた力を失っていく道を歩いてきたのかもしれない。
あれこれできるような気がして、一人でも生きていけると勘違いすることで、実は周りの人が思わず近寄って手を出さずにはいられないような、あの強烈な力をどんどん失っていくのだ。
未熟な存在として生まれて、成長を重ねてやがて成熟し、そしてさらに年を重ねると衰えやがては死を迎える。
そんなストーリーは、身体の強さとか労働できる力などを基準にしたごく一面的なものなんだろう。
いのちはそのごく最初の瞬間から、「成熟した」大人なんかより遥かに強烈なパワーをもっている。
「パワーを秘めている」なんてことではなくて、もうフルに行使して生きている。

いま、ひとつのいのちの力の渦のなかにいる。

ukanso at 16:09|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!essay 

November 08, 2007

見えないことに気づくこと

わたしたちはきっと、望ましいものや心地良いものを切り出してきて、それだけを見続けることに長けている。
逆に言えば、望ましくないものや心が乱されるようなものを見ないでおくことが得意なのだ。
だから、ぱっと眺めたときに目に入るものはなかなか優れたものばかりになり、それが「普通」で「常」であるかのように思い込む。
ときに望ましくないものがごく近くに現れると、どうしてこんな「普通」じゃないものが生じてしまったのかと「災難」を嘆く。

けれど穏やかで優しいものがあれば、激情や冷淡が必ずあるはずだ。
幸せがあれば、嘆きのときもある。
豊かさがあれば、当然まずしさもある。
生まれるときや盛りがあれば、まったく未熟の停滞期や朽ちるときもある。
ごく「まとも」な判断があれば、狂気に近い過剰な知性や、ぼんやりとした判断もある。
秩序を乱す動きがあれば、同じものがときには「平和」を求め秩序を維持・強化につとめることもある。

「なぜこんなことが」と負の側面に驚き、それにおびえ悲しむのなら
それらを再び排除しよう、いつもの「正常」な世界を維持しようとしても、実はらちがあかないのだろう。
見たいものだけ見ていないで、正負・善悪・快苦ひっくるめた全体をみようとすること。
それば無理なら、自分は見たいものだけ見える都合のよい眼鏡をかけてしまっていることをせめて知ること。
きっと、そこから有意義な一歩がはじまる。

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November 07, 2007

お気に入りの喫茶店

今日も朝からゼミ。ランチのチキンははずれ。残念。

夕方、大学前のいつもの喫茶店へ。
いつものように、マスターがにこにこ顔で迎えてくれる。

スピーカーの近くに座って、クラシックを聴きながら読書、メモ。
音のある空間はやはりよいなあ。
実家から今の部屋へ引っ越すときに、音の鳴るものを置いてきてしまったので、いまはイヤホンで聴くか、PCのちびスピーカーで鳴らすのみ。
そろそろどうするか考えないと。
詳しい方にこんど相談して教えてもらおう。

夕食は家でふたたびチキン。絶品。


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ひきうける

今日は大学で院ゼミ。確率の解釈など。

内田樹ブログに人生はミスマッチという話がのっていて、面白く読んだ。
わたしにぴったりなものは何かしらとさまよえる人びと、わたしも含め同世代にたくさんいる。
さずかったものをひきうける、ということも大事なんだろうなとおもう。

ukanso at 00:15|PermalinkComments(2)TrackBack(0)clip!diary