東日本大震災・浪江町請戸の災害者応援Blog

2011年3月11日、東日本大地震の災害地である福島県双葉郡浪江町請戸の被災者を応援します。

今回の東日本大地震で、
大きな被害を受けたにも関らず、
あまりにも請戸の情報が少ないため、
被災者初め、その親族の方々の
情報交換にしていけたらと思っています。

また現地情報やブログに掲載してほしい
メッセージがあれば対応しますので
直メールはshin_miwa0518★yahoo.co.jp
(★を@に変えてください)
まで、気軽にメッセージください!

誹謗中傷、心無い発言に関しては
削除いたします。

頑張れ福島!頑張れ浪江!頑張れ請戸!

希望の牧場~吉沢さんの声









浪江町で生まれた




福島 津波で不明の消防団員葬儀

福島 津波で不明の消防団員葬儀



大地震の直後、避難を呼びかける活動中に津波にのまれ、
今も行方が分かっていない福島県浪江町の消防団員の
男性の葬儀が営まれました。浪江町では、
東京電力福島第一原子力発電所の事故で
沿岸の地区などに避難指示が出され、
そのまま警戒区域として立ち入りが制限されたため、
津波で行方不明になった人たちの捜索活動を
十分に行うことができませんでした。

福島県浪江町の消防団員、渡辺潤也さん(36)は、大地震の直後、
沿岸部で住民に避難を呼びかけているときに津波にのまれ、
現在も行方が分かっていません。

葬儀は親族や消防団の仲間など400人余りが集まって二本松市で営まれ、
弔辞を述べた浪江町消防団の紺野栄重団長は「消防団の活動中に
逃げ遅れたことを大変申し訳なく思う。潤也さんの活躍は町の消防団の歴史に刻み、
永遠に伝えていきたい」と述べました。

続いて長女で中学2年生の紗彩さんと長男で小学5年生の桐惟くんが

「寂しいけれど、見守っていてください」
「早く帰ってきてね。いつまでも待っています」

とお別れの言葉を述べました。

浪江町では、東京電力福島第一原子力発電所の事故で
沿岸の地区などに避難指示が出され、
そのまま警戒区域として立ち入りが制限されたため、
津波で行方不明になった人たちの捜索活動を十分に
行うことができませんでした。

潤也さんの母親の昭子さん(62)は、避難してから
一度も息子を捜すことができずに、いつ戻ってくるのかという思いを
持ち続けていたといいます。

葬儀を終えた昭子さんは

「原発事故のために探しに行けなかったことが悔しいです。
でも、きょうで気持ちに区切りをつけて前を向いて頑張っていきます。
潤也もきっとそう願っていると思います」

と話していました。



最後の姿は


昭子さんは、最後まで一緒に活動していた消防団員の荒川勝己さんと9日、
町の許可を得て警戒区域に指定されている自宅近くに向かいました。

潤也さんと荒川さんは大地震のあと、沿岸部の請戸地区で住民たちに
大津波警報が出ているので高台に避難するよう呼びかけて回っていました。

そのうち津波が住宅地にも流れ込み、2人で濁流にのまれそうになっていた
大学生を救助したあと、潤也さんは自宅の前で荒川さんと別れました。

その直後、津波が押し寄せてきて、潤也さんの行方が分からなくなったということです。

荒川さんが、最後に潤也さんと別れたのは自宅の裏口のすぐ近くだと説明すると、
母親の昭子さんは、家のあった場所に花や潤也さんが好きだったたばこなどを供えました。

昭子さんは

「助けてあげられなくてごめんね。早く帰ってきて、と伝えました。
見つからないのは悔しいですが、あすは区切りをつけて
前向きになれるかなと思います」

と話していました。

また最後まで一緒に消防団の活動を続けた荒川さんは

「自分が潤也さんを消防団の車に乗せて行かなければ、
こんな目に遭わなかったかもしれないとずっと葛藤していました。
ただ、潤也さんがどれくらい頑張っていたかを伝えられてよかったです。
でも、震災の翌日に捜索ができれば、もっと助かった命はあったと今でも心残りです」

と話していました。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120310/k10013629541000.html



我が・ふるさと浪江請戸地区

浪江町の復興を祈願して







浪江わが故郷(ふるさと)~がんばっぺ!福島 浪江町!~





浪江町・安波祭2010・童女達の手踊り






浪江町・安波祭2010・樽御輿町内巡幸



東日本大震災・あの日から1年

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明日3月11日、あの震災から1年が経とうとしています。

このブログは本日の更新で
開始から360日が経ちました。

このブログに訪問してくださった請戸区の皆さん、
また、ご親族、ご友人の皆さん・・

元気にお過ごしでしょうか?

この1年、皆さんにとって早い1年でしたでしょうか。
それとも長い1年でしたでしょうか。

私にとっての、この1年は、なんだか、とても早かったけれど
色々な意味で自分の周囲が少しずつ、少しずつ、
良くも悪くも変わっていった1年だったと思います。

本日3月10日、二本松で、未だ行方不明の、いとこの潤也の
葬儀が行われています。

私は都合により参加しない代わりに、
贈り物を送らせて頂き、今日は葬儀が始まる午後1時を前に
潤也の冥福を遠い神奈川より祈らせてもらうために
先ほど、花と菓子を買ってきました。

あとは、幼き頃から双子のように育ってきたので
しんみりと、かしこまるよりは、一緒にタバコでも吸おうかと。
不謹慎かと思いつつも、灰皿を花と一緒に用意しました。

潤也は、まだ帰ってきていませんが、去年10月に
死亡認定を受けたそうなので、きっと、まだ、どこかに居るのだと
思う気持ちがありながらも、あいつを送り出してやらないことには
何も先に進めないのかなと思ったので、

私なりに冥福を祈ることにしました。


3月7日の福島民報に潤也の事が掲載されていて
随分、いい顔をした潤也の遺影が見つかったなと思い
潤也の母ちゃん(昭子叔母)に聞いたところ、
津波に流された家財の中からアルバムが見つかったらしく
ボランティアの方がキレイにして役場に届けてくれていたそうで。

子煩悩な潤也が愛娘を抱き上げている写真や
潤也の大人になった姿が、そこに残され、また、それだけが
あの中から見つかった事は、ある意味、何にも変えがたい感謝です。

ボランティアさん方々、本当に有難う御座いました。

潤也、ありがとう。

お母ちゃんと子供達のこれからを
天国から、ちゃんと見守ってやるんだよ。

潤也は1度だけ、お母ちゃんの枕元に立って
「母ちゃん、ごめんな」って謝りにきたんだってね。
お母ちゃん「おかあさんの子供でありがとう」って思ったって。

子供達も請戸の田植踊や野球、潤也が見てくれてるから続けてるって。

だから、ちゃんと見守っていてあげてね。

大人になってから少し疎遠になってたけど
潤也と一緒に水着を着て請戸の海で遊んだ夏休みが私の思い出の全てで
夏休みが終わる頃、浪江駅で、まるで永遠の別れかのように
東京に帰る私を2人で毎年、泣き泣きバイバイしたのが私の思い出の全てですわ。

互いに1人子だったゆえ、仲良く育ったけど
私は、その思い出だけで十分です。

潤也、最後に津波第一波で流された人を助けた後に消息を絶ったんだってね。
その優しさが、私の知る潤也です。
ので、最後は、潤也ありがとうで、送り出したいと思います。




明日3月11日は・・震災から1年が経ちます。

明日は、潤也、そして燐家の山田さん、そして橋本さん、
母が家族のように大事に育てていた愛犬チャッキー達、
請戸の助けてあげられなかった方々の、ご冥福を心よりお祈りしたいと思います。

3月11日、午後2時46分

停電で真っ暗になった室内で何度も母に電話をし繋がらず
充電の出来ない携帯を何度も車に持って行き夫と2人で
車から充電を取りながら、母の安否を心配したこと。

夜が明けてテレビが映り、岩手、宮城、福島の沿岸部の被害を目の当たりにし
尋常じゃない出来事を知り、真っ先に請戸の情報が欲しいと動いたこと。

母と、やっと連絡がつき、そこで潤也、そして愛犬達、その他の人たちが
まだ見つかっていない事を知り涙が止まらなかったこと。

そして原発爆発、津島の親戚の家から福島市に移動した親族は
避難所にいたわけじゃないから、支援が届かず、
神奈川から食料や衣類を届けたくても、都会では買占め騒動で何も買えず
あちこちのスーパーを毎日、ハシゴしたこと。

都会は被災していないのに、自分の車にガソリンすら入れれなかったこと。

でも、道路が寸断され、放射能問題もあり届ける術がない事を知ったとき
更に遠い大阪の親族が「被爆する前に餓死してまうやろが!」と
大阪からトラックを走らせ、2日がかりで福島に食料を届けてくれたこと。

あの頃の、あの数日の出来事は、今でも走馬灯のように蘇るけれど
あれから1年、まだ1年、されど、もう1年も過ぎてしまったのかと思います。


3月14日は、私の母と潤也の母、双子2人の誕生日です。

去年の誕生日には、ちょうど震災の前日に花屋に頼み
大きな花を2人分と、あと東京で有名な銘菓を14日に届ける手配をしていましたが

「お届け先がありません」

と、菓子屋と花屋から連絡が来るまで2人の誕生日のことすら
忘れてしまっていたほどでしたが

今年の誕生日には、あの時、届けられなかった大きな花を、もう1度予約しました。

1年が経ち、少しずつ、「生きる」ための生活の形も出来上がってきた反面
まだまだ被災者は解決しきれない問題も抱えているし、想定外の問題も
あったりするので、本来、安心して安住の地につくまでの時間は
きっと、もう少し必要なのかもしれないけれど、

たぶん、腹立つことも、悲しいことも、理不尽なことも
まだまだあるだろうし、良いことなんて、ほんの少しかもしれないけど、

でも、ありきたりな言葉だけど、頑張って生きていくしかないのだと思います。

世の中、生きている人達には、皆、平等に明日は来るので、
後戻りも後悔もできないのだから。



震災から1年。

今日よりも明日が、皆さんにとって
少しでも、穏やかで幸せな1日であることを今日も願っています。










写真で残す、あの頃の浪江町

テーマ:写真で残す、あの頃の浪江町

http://archive.shinsai.yahoo.co.jp/theme/8.html


ぜひ、ご覧ください。

ファイト!

更新のお休み


はじめに。

コメント欄に掲載依頼がありましたので
以下、添付します。


「ふじさき☆きょうた」ちゃん、探しています。

「ばあばあ」より H23.3.11(金)の東日本震災の時に、福島県双葉郡浪江町両竹字近道原9番地・地区内にて津波にあい、6/30日現在、今だに行方不明となっております。私は、「きょうた」の祖母ですが、何か情報があれば、どんなに小さな事でも結構ですので、ぜひ、お知らせください。お願い致します。


http://kyouchan.o-oi.net/



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更新が大幅に遅れました。

閲覧してくださった方々、本当に申し訳ないです。

ブログを更新しない間、短い梅雨があけ

連日の猛暑が続いておりますが、

新しい生活を始められた方々、

また避難所にて生活をされてる方々

いかがお過ごしでしょうか?

体調などは崩されていませんか?

水分補給などを行って熱中症には十分、注意してくださいね。




実は私事になりますが

個人的に身近な方から

このブログの公開について

良く思っていない方がおりまして

単なる、私の住む近所の方・・などでしたら構わないのですが

実際に今回、震災に会われた方が、このブログによって

不快感を持っているとの事でして。



そんなこともあって、少しブログの更新を

止めさせて頂いていました。



ただブログ自体は、本当に沢山の請戸の方々の想いが

詰まっていると思っていますので記録として残しておきたいと思いますが

しばらくの間、更新自体はストップしようと思っています。



また、落ち着いたら、必ず、今度は「請戸の未来」を

更新したいと思います。

このブログのタイトルどうり・・・

このブログは請戸の方々への「応援ブログ」です。




がんばろう福島。

がんばろう浪江。

がんばろう請戸。



それでは、また、必ず更新する日まで
少し、更新お休みしますね。


毎日、見てくれていた方々、ありがとうございました。




★片倉美和★

なんともいえない心境です。

落日


と、言うタイトルのブログを知り合いから

紹介頂き、拝見しました。

浪江町にある、ある酪農家の記録が書かれた内容のブログ。

http://ameblo.jp/uchino-toramaru/entry-10932997684.html

↑悲しい写真も含まれます。


無念。

人の辛さももちろんのことですが

動物愛護活動の姿勢を見つめ

応援し、自身も取り組んできた身としては

これも、また、無念でなりません。

自分の力では、どうしようもないけれど

それでも、助ける術はなかったのかと

それを想います。



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今回の震災で、被災者となった方々から

本当に沢山の話を聞きました。

沢山の人とのつながりもできました。



けれど、震災から3ヶ月以上が経過し、

莫大な遺産と様々な補償金を貰い

総額1億近く手にする人もいれば

そうじゃない人もいる。

新居を購入し、悠々自適に暮らす人もいれば

未だ、仮設住宅に入るにしても生活の見通しが

立たない為に避難生活を送る人もいて。

自治体が用意してくれた住居に入り

仕事を失った中、アルバイトをしながら

ギリギリの中で、なんとか暮らしている人もいる。


今までの生きてきた暮らしや、蓄えや

様々な事情も人それぞれなので均等にと言うのは

難しいのかもしれないけども

でも、そんな格差が生じていていると言う真実は

なんとも言えない心境にもなるのです。



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震災から、3ヶ月以上が過ぎ

やっと被災した母親に会うことができました。

母親が24日の日に一時帰宅をして

浪江駅前の母の店「彩」から座布団など

使えそうなものを持ってきてくれました。

幸い、うちの店の中は、ボトルや食器が割れた程で

大きな倒壊には至りませんでしたが、

浪江が封鎖された以上、戻る事は今のところ

考えていません。

我が家もこれから、コツコツと頑張りながら

これからの将来を考えようと思います。

震災から3ヵ月後の請戸動画

まず初めに、

浪江、請戸のyoutubuに投稿された
最新の映像になると思います。

撮影日6月7日です。

瓦礫の撤去を行った場所も多いようです。









また先日書きましたが
警戒区域の家畜や犬猫などの問題には
全国の獣医師の方々の協力の元で動いていますが
それでも現状は、獣医師の方々も苛立ちを感じているようです。

宮崎の口蹄疫問題でも動いた獣医師の方々も
参加されていますので、やはり、なかなか行政と国との
狭間で動く事の難しさも垣間見れます。

>>最近分かったのですけど、警戒区域に関しての今回の犬や猫の一時帰宅に関しての活動の担当者さんが2週間に一度変わります。ってことで、先日、担当者さんが変わりました。2週間の間、特に何も進展がありませんでした。

と、現地での情報をブログに綴ってくださっている
新庄動物病院の獣医師さんのブログはこちら↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/shinjo_ah/folder/1511653.html

↓福島第一原発の動物達の記事一覧
http://blogs.yahoo.co.jp/shinjo_ah/folder/1511653.html

※先日の記事について
写真の自宅所有の方からコメントがつきました。


この家に住んでいた者です。みなさんのコメント有り難うございます。一時帰宅で我が家を見てホッとしたのもつかの間の出来事でした…

政府の発表は正に嘘でした。何年も大切に育ててきた牛は、見るも無惨な形で取り残されていました。どっかの豚に牛舎は荒らされ、納屋や家の周辺は酷い事に…

この現実をマスコミやテレビでは知らされない事実です!是非、この現実を他の方に拡散し警戒区域の酪農家の気持ちを知っていただきたいのが私の気持ちです。





髙邑 勉議員のブログにも取り残された家畜や犬猫の実態が
書かれています。


↓犬、ネコの保護・救出活動について~新しい提案と行動する責任
http://www.takamura-tsutomu.com/archives/1483239.html

↓野口健さんと向かった南相馬市の家畜の実態の記事
http://www.takamura-tsutomu.com/archives/1483256.html



そんな中にも・・・

神奈川の動物愛護団体・社団法人UKCジャパンさんが
浪江町南津島中下30つしま茶屋前付近で保護してくれた
ワンちゃん・・・

保護した後、妊娠していた事が発覚。

保護先で、7匹の子犬が誕生しました。

http://ameblo.jp/dog-rescue/entry-10926510000.html

たとえ動物でも、あの誰もいなくなった町から救出され
そして新たな命の誕生。

なんだか少しばかり優しい気持ちになれました。

またUKCジャパンさんでは
浪江町から多くの犬を救出し現在、神奈川の
UKCジャパンさんの保護施設で犬達は暮らしています。

保護犬の写真が以下から一覧で見れますので
もし情報をお持ちの方がいましたら是非、宜しくお願いします。

UKC JAPAN 飼い主さんを探している保護犬一覧
http://ukcjapan.exblog.jp/


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