
大鰐町の中心街のはずれにあるトンネルを潜り抜けるとこの交差点にたどり着く。

この付近一帯にはいまだに懲りることなく、「大鰐リゾート」と名前が付けられているようである。 坂道を自転車で登って行ってみることにした。

高級宿泊施設、星野リゾート 界。
星野リゾートは明治に軽井沢で温泉旅館を開業したのが始まりである。 北海道のトマムリゾートや小牧温泉 青森屋、奥入瀬渓流ホテル、リゾナーレ熱海などを運営している。
リゾナーレと聞いて思い出した。平成5年(1993)、弘前市の城東地区に建てられたデパート、「ビブレ弘前」の4階フロアーに「リゾナーレ・メラ スパ・イルマーレ」というホテルと温泉、プールの複合施設があった。平成16年2月に閉鎖され、いまは「ホテルさくら野温泉(リコルソ)」になっている。それと星野リゾートとの関係はわからないと言っておこう。

道路のかたわらにあった石碑。「南津軽 錦水」と刻まれている。 藤田観光が経営してあった高級宿泊施設で、一泊ひとりで3万5千円〜5万円ぐらい取られたと思う。いまは錦水が界に替わっている。

星野リゾート 界の脇にある道路を登っていく。

大鰐町では観光産業を充実させるため、昭和62年(1987)に温泉を利用した大規模リゾート施設 『 スパガーデン 湯〜とぴあ 』 を阿闍羅山麓に建設し、周辺のスキー場などのレジャー施設との複合利用による総合開発を行った。

そしてバブル景気が崩壊する直前の昭和64年(1989)にオープンし、タウン開発という会社がデベロッパー(開発業者)、藤田観光がパートナーとなり、大鰐町を含む第三セクターが設立され運営にあたった。

この藤田観光という会社は、東京の椿山荘や全国チェーンのワシントンホテル、さらには箱根小涌園、つまり現在のスパリゾート施設 「ユネッサン」 を運営する会社である。

オープン2年目には、15万人の観光客を誘致し、たいそうにぎわいを見せたのだが、翌年の1991年2月に始まったバブル景気の崩壊からは利用者が大幅に減少していった。

その結果、平成7年(1995)に 『 スパガーデン 湯〜とぴあ 』 は閉鎖することになる。

田舎に突如出現する大規模施設。流れる8の字温水プール、波の出る屋外サーフプール、ゴムボートで滑り降りるウォータースライダー(スプラッシュ・キャニオン)、斜面に沿って点在するコーヒー風呂・酒風呂・ワイン風呂、さらにはゲームセンターに温室熱帯植物園などなど。いまとなっては、すべてが夢まぼろしとなってしまったのである。

大鰐地域総合開発(山田年伸社長)および、大鰐町開発公社(外崎俊一理事長)は平成23年12月2日、青森地裁弘前支部へ破産を申請した。
負債額は大鰐地域総合開発が約67億8000万円、大鰐町開発公社が約29億9000万円。2社の負債合計は約97億7000万円。大鰐町の人口を11,000人とすると、一人当たり88万円の借金で、4人家族ではじつに352万円の借金となる。
これだけの事件を起こしながらいままで処分された関係者はひとりもいない。しかも2010年6月に行われた町長選挙では青森県内の市町村長選挙の歴史で初めてのくじ引き抽選が行われ町長が決まっている。 もちろん公職選挙法に基づいての結果なのだが、これでは負債を他人事のように考えている行政や議会もさることながら、首長を選ぶ一票の権利を持っている大鰐町民の総意の結果と受け取られても仕方がないだろう。
〜参考〜
※大鰐町 - Wikipedia

廃墟と化した巨大建造物。
この開発利権に群がって甘い汁を吸った連中は今、何処にいるのだろうか。それとも誰もいないと言うのか。
当時、大鰐の蔵館地区に住んでいたボクの義父は晩酌をやって酔うといつもこう言った。
『 川向こうにばっかり金を使いやがって 』 と・・・・・。
※顛末の詳しくは、『自治体クライシス〜赤字第三セクターとの闘い』 伯野 卓彦 著 講談社
弘前図書館で閲覧できます。 355/ハ

で、泳がなかったのですか?せっかく無料なのにー