ゲストの皆様こんばんは
久屋歯科室、受付の服部です。
今季最強寒波がやってきた1週間でしたが、皆様ご無事でしょうか
(既製品の為、敬称の省略をご容赦くださいませ)
来年も皆様どうぞよろしくお願い申し上げます
久屋歯科室、受付の服部です。
今季最強寒波がやってきた1週間でしたが、皆様ご無事でしょうか
名古屋も珍しく雪が積もりました
写真は月曜日の朝に撮影したものです
写真は月曜日の朝に撮影したものです
お昼前には溶けてしまったのが残念です
素敵な雪景色を堪能出来た事を喜びつつ、今週は名古屋駅の高島屋10階催事場で開催されている「生誕120周年 杉原千畝展 〜命のビザに刻まれた想い〜」をお伝えします(以下敬称略)
第二次世界大戦中、リトアニアの日本領事館の領事代理として、ユダヤ人を始めとした迫害から逃れる多くの難民に日本の通過ビザを発行し続けた話、別名「命のビザ」が有名ですので、ご存じの方も多いと思います
第二次世界大戦中、リトアニアの日本領事館の領事代理として、ユダヤ人を始めとした迫害から逃れる多くの難民に日本の通過ビザを発行し続けた話、別名「命のビザ」が有名ですので、ご存じの方も多いと思います
今回の催し物は、お隣の岐阜県出身で、かつ転勤族だった為に少年時代を名古屋で過ごした杉原千畝の生誕120周年を記念して開催されました
写真は幼少期の家族写真で、後列の左側が千畝です
(会場内は写真撮影不可でしたので、公式HPからお借りしています)
服部にとっては、小学校時代の教科書に掲載され、学校の図書館に伝記があった人物なので、「今回は」下調べなしで堂々と入る事が出来ました
写真は幼少期の家族写真で、後列の左側が千畝です
(会場内は写真撮影不可でしたので、公式HPからお借りしています)
服部にとっては、小学校時代の教科書に掲載され、学校の図書館に伝記があった人物なので、「今回は」下調べなしで堂々と入る事が出来ました
一通り見て回った感想としては、千畝の生涯がかなり細かく、それでいて丁寧にまとめられていたので、「今日初めて名前を聞いた」と言う方がふらっとお入りになっても(下調べなしでも)楽しめると思います
一例を挙げると、千畝のエピソードの中でも有名な、千畝を医者にさせたい父親の思い通りの人生を歩むのが嫌で大学入試の答案を全教科白紙提出した話もしっかりパネルで説明されていました
一例を挙げると、千畝のエピソードの中でも有名な、千畝を医者にさせたい父親の思い通りの人生を歩むのが嫌で大学入試の答案を全教科白紙提出した話もしっかりパネルで説明されていました
因みに千畝はその後、勘当されてアルバイトで生活費を稼ぎながら早稲田大学に入学したり、将来外務省で働くのを条件に公費で英独仏の3ヵ国語を学び、26歳の頃にはそこにロシア語も加わって、5ヵ国語(日本語含む)をマスターします
この話は千畝の伝記にも載っているエピソードなので、初めて聞いた話ではなかったのですが、何度聞いても
会場では千畝が発給した実物のビザが展示されています
他にも、寝る間を惜しんでビザを発行しながら書いた、日本政府との書簡もありました
(先に申し上げると)この時の書簡の字はかなり汚い字で、ものによっては日本語なのに全く読めません
その一方で、会場出口付近に展示されていた帰国後の手記の字はとても綺麗でした
その2枚を見ただけでも、戦時中がどれだけ逼迫した、切羽詰まった状態だったのかが伝わってきました
戦後にイスラエル政府から賜った勲章(「ヤド・バシェム賞」)やビザによって命を救われた避難民のメッセージ映像などもありました
「多くの人」の一言で片付けられない程の人達が救われ、その功績は同じ日本人として誇らしいです
その一方で、(千畝本人も理解していましたが)日本政府の命令に背いており、尚かつ発行したビザはあくまで「日本を通過出来る」ビザであって、その後は他人に丸投げ状態であった事も事実です
答えの出ない難しい問題に、自分程度の人間に何が出来るのか考えさせられた服部でした
とりあえず、開催最終日の1月9日までに親類縁者を引きずって・・・誘おうと計画中です
早いもので今年もあと1日となりました
一足早いですが、皆様への沢山の感謝とご挨拶をとら君に届けてもらいます早いもので今年もあと1日となりました
(既製品の為、敬称の省略をご容赦くださいませ)
来年も皆様どうぞよろしくお願い申し上げます