一匙の異常

物書き志望の公務員が綴る、何とも下世話な日常。

カテゴリ: 小説

一人の少女が部屋の中
明かりの舌に触れている

窓の外には墨が満ち
子供の群れが揺れている

皮膚は鋭い湿りを帯びて
濡れた床下まで伝う

子供は拳を握り締め
肉と骨まで血で洗う

玩具の小人は腹が裂け
断たれた手足を掴んでいるが

少女は視線を送らない
瞳の先は鉄扉の向こう

貧しい食事に果ては無いが
食器の端には子供の指先

青い叫びは鼓膜を通し
脳の芯まで根深く絡む

救いを乞うて声を絞るが
汚れた壁が飲んでいく

足は力も残っているが
浅い傷には子供の体液

粘りを帯びた白い印は
窓の闇にも差し込み始める

子供の群れは列を成し
彼方の奥へ溶けていく

醜い猫が鈍く這い寄り
少女の背中を愛撫した

消えた他人は明かりへ還り
少女の歪んだ手を照らす

切断し終えた道具は朱く
鉄の臭いを漂わす

扉の向こうで誰かが一人
少女の眠気を待っている



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足元の小さな排水溝が、私の新鮮な血を律儀に飲み込み続けている。

数え切れない湿った毛髪を絡ませているその小さな暗い穴の奥には、名前も知らない男の精液が執拗にこびり付いているはずだが、私は極力気に掛けないことにした。

痛みを覚えるほどの冷水を浴びながらも、傷を生んだ左の手首は鈍い熱っぽさを帯び続けている。
爆ぜる勢いで鼓動する心臓に合わせ、それは他人の所有物のように凛々しく震えていた。

「ねぇ、まだ生きてる?」

断続的に飛び散る硬質の水音に包まれた中で、不意に背後の扉の向こうからYの不鮮明な声が億劫気に響いた。

「大丈夫だよ。何だか少しだけ頭がボーッとしてきたけど」

「どれくらい溜まった?」

私は血の混じった弱々しい水飛沫を浴び、朱い水玉模様に彩られた浴槽に眼を移した。

Yは浴槽を私の血で一杯にして欲しいのだ。
しかし、私は左手首から尚も溢れ出る血を排水溝に落とし続けた。

「結構溜まってるよ。もう少し待ってて」

「楽しみだなぁ。一度で良いから、真っ赤に染まったお風呂でアヒルのおもちゃを泳がせてみたかったんだよね」

朦朧と霞む意識の中で、私は右手で無感覚に握り締めている錆びたカッターナイフの刃を限界まで押し延ばした。

「このカッターだと、なかなか切れなくてさ。他に良いモノある?」

「そういうのは、早く云ってよ。しょうがないなぁ、ちょっと探してみる」

輪郭の曖昧なYの姿が扉から離れるのをガラス越しに認め、私は殆ど力の無い唇を怠惰に動かしながら自分に云い聞かせるように呟いた。

「ごめんね。私もそっちに行って一緒に探すから」

私は濡れた髪を掻き揚げ、掠れる思考回路を懸命に働かせた。Yの喉頸を如何に深く素早く一刺しするにはどのように近づけば良いかを思案しながら、私は重い扉を押し開けた。

暗緑色のリノリウムを張った狭い廊下は、光が乏しく湿っぽい不快な空気が充満していた。

僕の重苦しい感情は、澱のように溜まっていた。粘着質の吐き気が、喉元で嫌らしく蠢き続けている。

浮ついた刻み足で奥へと進む僕を先導するのは、痩身の老いた看護婦だった。

彼女は古びた懐中電灯で鈍い獣脂色の弱光を照らしながら、極めて事務的な足取りで正確な足音を響かせるのだった。

それでも、老看護婦は顔を振り向けず不意に掠れた細い声で僕に話し掛けることがあった。

彼女は主に僕の過去や人間関係の浅い表面について尋ねた。感情の色彩を帯びていない平板な調子で。

その度に僕はぶっきらぼうに応酬し、投げやりの態度を露骨に示した。

下らない嘘も何度か吐いた。

不毛な会話が間歇的に展開されたところで、老看護婦が泰然と身体の向きを変え立ち止まった。

「で、その友人は今どうしてるの?」

彼女の眼の前には、重厚な鉄扉が設けられていた。

返答を期待している小さな醜い顔が、薄闇の中でこちらに向けて仄かに浮かび上がっている。

「夢は叶ったの、彼?」

「それより、ここですか? “傍観者”がいる部屋というのは」

「中に入ったら、余り大きな声を出さないでよ。聴覚が鋭い上に、最近は神経過敏なんだから」

老看護婦の殊勝気な表情が、狭く開かれた扉の内側へと消えた。

彼女の後に続き、僕は腰を屈めて忍び入るように部屋の中へ足を踏み入れた。



(#雑記2へ)

生温い残照が、ゆっくりと街を蝕み始めていた。
僕は家路を辿る自分の足が、無意識のうちに刻み足になっている事に気が付いた。

不愉快な気分に苛まれたまま立ち止まり、群がるビル群の間から頭を覗かせている、一際高くそびえている尖塔を仰ぐ。
ケロニカはこうしている今も、入会を拒んだマトモな人間達をこの世界から削除しているに違いない。

僕は曖昧に育った苛立たしい感情を吐き捨てるように、小さく舌を打った。

「もしもし、そこの学生君ッ?」

幼い少女の快活な声が不意に背中に投げられ、僕は不機嫌に顔を振り向けた。

「君は今、幸せに人生を生きているかなッ? もしそうじゃないなら、ボク達と一緒に蛙様の教え子になって、幸運の力を授けて貰わないッ?」

真っ赤なランドセルを背負った少女が、人形のように幼さ気な顔に人工的な笑みを浮かべながらこちらを見上げていた。頭には、例の白いカエル型帽子を乗せている。

「お前も、ケロニカの勧誘員か?」

「それ、ケロニカ製フロッグ・ソーダだよねッ。美味しいでしょ?」

少女の無機質に輝く視線が、僕の握っている極彩色のジュースに向けられた。

「それに、君は今あのケロニカの聖堂を羨ましそうに眺めてたよねッ。入会したいんでしょッ?」

「あの趣味の悪い建物の中で、今日もお前みたいに頭の狂った連中が真面目腐った顔をしながらカエルの物真似に耽ってるのか?」

「ふーんッ。君、幸せになりたくないんだッ?」

木の実のように丸い少女の眼が、途端に鋭い蔑みの色を滲ませた。

「少なくとも、平気で人殺しをする宗教団体の信者になる位なら、さっさと削除された方がマシだな」

「入会を拒否しちゃったただの人間はね、ボク達にとって無益なだけじゃなくて、むしろ有害な存在なんだよッ。だって、蛙様の御告げに従わない人間の存在は、ケロニカの目指している世界の幸福実現を阻害するからねッ」

「そんな虫の良い話が、通用するか。宗教に関わらなくたって、ちゃんと幸せになれる人間はたくさんいる。お前らは、それが判っていない」

「君さぁ、人間符号の話は訊いてるッ? 結局、あれは初めから人間の運命がプログラミングされているって事なんだよッ」

少女が腕を組みながら、呆れたように露骨に溜め息を漏らした。
その大人びた挙動が癪に触り、僕の言葉は半ば気色ばんで紡がれた。

「何云ってるんだ? どういう事だよ」

「ボク達は、神頼みでもしない限り絶対に幸せになんかなれない人種って事ッ。ケロニカは、その種に該当する人間にしか声を掛けないんだよッ」

「そんな事、実際に生きてみないと判らないだろうが? 第一、幸せの形なんてのは本人の捉え方次第でどうにでもなる。放っておいてくれ」

「削除された人間達の常套句だねッ。君は嫌でもケロニカに入会しない限り、不幸に満ち溢れた人生を歩む羽目になっちゃうよッ?」

「うるさい、余計なお世話だ。子供は早く家に帰って寝てろ」

「せっかく垂らしてあげた救いの糸を、切り捨てるつもりなんだねッ? それなら、明日にでも君の削除手続に着手させて貰う事にするよッ」

少女が機械的に小さな顔を綻ばせながら、クルリとランドセルを向け泰然と歩き出した。
次第に遠ざかっていく少女の細い影を恨めし気に眺めていたところで、彼女は見透かしたように不意にこちらを振り返った。

「そのジュースは幻覚作用があるから、辛くなったらたくさん飲んで気を紛らすと良いよッ」

僕は嘲りに歪んだ表情の少女を無視し、そのまま舗道脇のゴミ箱へジュースを投げ捨てた。

(#4へ続く)

甲:女子高生。青髪パッツン。現実主義。
乙:背広に身を包んだ男。時代錯誤のカイゼル髭。


◯夕暮れの駅前。甲が携帯電話を取り出し、狼狽える乙。

乙「わ、判った判った! いかにも、私は怪しい人間だ。その事実は認めようじゃないかッ! 頼むから、警察に通報する事だけは止め給えッ」

◯訝し気な色を浮かべた視線を、携帯電話から乙へと向ける甲。

甲「通報はしません。しませんが、今あなたの仰った事が上手く飲み込めなかったんです。あなた、何て云いました?」

乙「だから、“別れさせ屋”にならないか、と云ったのさッ!」

甲「それ、勧誘ですか? やっぱり呼びます、警察を」

◯死に物狂いで片手を伸ばし、甲の腕を勢い良く鷲掴みする乙。

乙「全く、聞き分けのない娘だな君はッ! この仕事が、どれほど魅力に溢れた素晴らしいビジネスであるか知らないんだろう?」

甲「と云うと?」

乙「他でも無いッ、他人の不幸は蜜の味! 周りの恋人達の未来を、我々の手によって破滅させてやろうじゃないかッ! 独り身の君にとって、角砂糖並みに甘ったるい奴らの恋愛は憎悪の対象でしかあるまいッ?」

甲「余計なお世話ですよ。まあ、周りで付き合ってる連中を見てて、抗い難い殺意に駆られる事は良くあるけどね」

乙「それ、見た事かッ! いやいや、やはり私の眼に狂いは無かったッ。不審者扱いの危険を犯してまで、君に声を掛けた甲斐があったよッ!」

甲「ところで、あなた自身はどうなんですか?」

乙「ん? それはどういう意図の質問だ? 解釈の仕様が無いんだがッ」

甲「とぼけないで下さい。あなたも悲しい独り身の人間なんですか、って意味に決まってるじゃないですか? むしろ、高校生のあたしより余程気にすべき問題だと思うんだけど」

乙「ノーコメントだ」

甲「判りました、いらっしゃらないんですね」

乙「失敬な口だなッ。そんな事は一言も云ってないぞ? とにかく、君が本気でその気なら、明日からでも早速別れさせ屋の仕事を任せてあげようじゃないかッ! 勿論、報酬は相当に支払うさッ」

甲「報酬って、どれ位なんですか?」

乙「別れさせ方の内容にもよるが、大体一組のカップルにつき三万円前後と考えて貰えれば良いッ」

甲「たったそれだけ? 良く知らないけど、こういう裏の仕事って大金がドサッと入るのが普通じゃないんですか? 何か、やる気が失せたなあ」

乙「今時の若者は、ホントに強欲だなッ! 考えてもみろ。極端な話だが、君があるカップルの彼女から彼氏をホイホイ誘って略奪するだけでも、三万円が手に入るんだぞ?」

甲「あたしにそんな事が造作無く出来たら、そもそも独り身の苦労なんて味わってないと思うんですけど?」

乙「なるほど。鋭い意見をありがとうッ。しかしだな、方法や金額はともあれ他人の恋愛を粉々に砕いた上にお金を貰える仕事というのは、惹かれずにはおれまいッ?」

甲「その後が怖いんですよ。相手が砕かれた恋愛の破片で、あたしの心臓を一突きするような事にでもなったら、と考えると」

乙「その点は、心配ご無用ッ! 後のゴタゴタした泥沼の悲劇は、私一人の手で見事に処理してやると誓おうッ!」

甲「恋愛経験が少ないに違いないあなたが、そんな風に如才無く立ち振る舞う事が出来るとは思えないんですが?」

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