2012年02月13日
まさか中三の女の子が読んでくれていたとは予想もしていませんでしたが、私のブログを読んで足立高校へ行くのが不安になったとのコメントをいただきましたので、もう少し付け加えておきます。
まず、私の都立高校の勤務年数は、もう廃校になってしまったI商業高校が7年、総武線新小岩駅が最寄り駅のK岩高校が9年、足立高校が11年、S田川高校T校舎(廃校)が3年(廃校になる最後の3年のみ勤務)、男子の腹筋が割れている率9割を誇るJ東高校(5科目で平均80点を取ると入れますからまあまあの進学校ですね)が4年、最後に葛飾区にあるK商業高校が4年となっています。その6校を経験した中での足立高校の記憶ということになります。
私が足立高校からよそに転勤したのは、転勤命令が出たからではなく3年×3回、フルに学年担任をして、もう十分かな、と思ったからです。いようと思えばもっと長く勤めることができたということです。私のとって足立高校は、とても居心地の良い学校でした。本当は永遠にここに勤めていたいと思っていたくらいです。ただそれは教員同士が競い合って高めあうという雰囲気が全くなく、それぞれが自由に(悪く言えば好き勝手に)勤めることができたからです。私は私のやりたいようにやって、毎回大学進学率を前年度の倍以上にしてきました。私に出会わなければ大学へ行くという気持などまったく起こらなかったと言い切る卒業生が何人もいました。そうした生徒は宝くじに当たったようなものですね。
今都立高校では生徒を集める為にさまざまな宣伝活動をしています。足立高校の先生もあなたの中学に宣伝に出向いたはずです。しかし、あのホームページを見る限り、どこまで本気で生徒を集めようとしているのか、思わず疑ってしまいます。ホームページは都立足立高校で検索すればすぐに見つかりますので、私が書いたことが本当かどうか、ご自分の眼で確かめてみてはいかがでしょうか。もし足立高校の先生もこのブログをご覧になっていればあわててホームページを更新したかも知れませんが、まあその可能性は低いと思います。
足立高校がいい学校か悪い学校かというよりは、あなたに足立高校が合うかどうかということを優先して考えてみるのが正しいやりかただと思います。足立高校はどちらかというと「ゆるい」学校です。ホームページのいい加減さを見る限り、恐らく今でも「ゆるい」ままだろうと思います。したがって、過ごしやすさという点では、生活指導をやたらに細かく厳しくするわけではないので、他の学校よりも過ごしやすいと感じると思います。おそらくあなたの中学と比べたら、100分の1くらいの厳しさに感じるはずです。あなたがその「ゆるさ」を好む性格の人なら足立高校は日本で最高の高校です。しかし、ゆるいとそれに流されていい加減になってしまう人なら、他の高校へ行った方が良いと思います。また、足立高校から大学へ進学するには、学校を当てにせず予備校に全てをかけるつもりでないと目標を達成することはできないでしょう。
そんなわけで、細かく指導を受ける方が良いのであれば、点数が足りるならお隣の江北高校へ進むことをお勧めします。しかし、ひたすら楽しい高校時代を送りたいというのであれば、足立高校へ進むのが正解です。
最後に不良ですが、それはいますね、他の学校と同じ程度には、確実に。ただ、あなたが真面目な生徒であれば、足立高校の不良はあなたには一切手を出したりはしません。その不良のために授業にならないということもないと思います。とにかく、そういう意味でも「ゆるい」学校なのです。そこで結論:のんびりと平和な高校時代を送りたいなら足立高校へ。自分を伸ばすために厳しくきたえてもらいたいならほかの高校へ!ですね。
まず、私の都立高校の勤務年数は、もう廃校になってしまったI商業高校が7年、総武線新小岩駅が最寄り駅のK岩高校が9年、足立高校が11年、S田川高校T校舎(廃校)が3年(廃校になる最後の3年のみ勤務)、男子の腹筋が割れている率9割を誇るJ東高校(5科目で平均80点を取ると入れますからまあまあの進学校ですね)が4年、最後に葛飾区にあるK商業高校が4年となっています。その6校を経験した中での足立高校の記憶ということになります。
私が足立高校からよそに転勤したのは、転勤命令が出たからではなく3年×3回、フルに学年担任をして、もう十分かな、と思ったからです。いようと思えばもっと長く勤めることができたということです。私のとって足立高校は、とても居心地の良い学校でした。本当は永遠にここに勤めていたいと思っていたくらいです。ただそれは教員同士が競い合って高めあうという雰囲気が全くなく、それぞれが自由に(悪く言えば好き勝手に)勤めることができたからです。私は私のやりたいようにやって、毎回大学進学率を前年度の倍以上にしてきました。私に出会わなければ大学へ行くという気持などまったく起こらなかったと言い切る卒業生が何人もいました。そうした生徒は宝くじに当たったようなものですね。
今都立高校では生徒を集める為にさまざまな宣伝活動をしています。足立高校の先生もあなたの中学に宣伝に出向いたはずです。しかし、あのホームページを見る限り、どこまで本気で生徒を集めようとしているのか、思わず疑ってしまいます。ホームページは都立足立高校で検索すればすぐに見つかりますので、私が書いたことが本当かどうか、ご自分の眼で確かめてみてはいかがでしょうか。もし足立高校の先生もこのブログをご覧になっていればあわててホームページを更新したかも知れませんが、まあその可能性は低いと思います。
足立高校がいい学校か悪い学校かというよりは、あなたに足立高校が合うかどうかということを優先して考えてみるのが正しいやりかただと思います。足立高校はどちらかというと「ゆるい」学校です。ホームページのいい加減さを見る限り、恐らく今でも「ゆるい」ままだろうと思います。したがって、過ごしやすさという点では、生活指導をやたらに細かく厳しくするわけではないので、他の学校よりも過ごしやすいと感じると思います。おそらくあなたの中学と比べたら、100分の1くらいの厳しさに感じるはずです。あなたがその「ゆるさ」を好む性格の人なら足立高校は日本で最高の高校です。しかし、ゆるいとそれに流されていい加減になってしまう人なら、他の高校へ行った方が良いと思います。また、足立高校から大学へ進学するには、学校を当てにせず予備校に全てをかけるつもりでないと目標を達成することはできないでしょう。
そんなわけで、細かく指導を受ける方が良いのであれば、点数が足りるならお隣の江北高校へ進むことをお勧めします。しかし、ひたすら楽しい高校時代を送りたいというのであれば、足立高校へ進むのが正解です。
最後に不良ですが、それはいますね、他の学校と同じ程度には、確実に。ただ、あなたが真面目な生徒であれば、足立高校の不良はあなたには一切手を出したりはしません。その不良のために授業にならないということもないと思います。とにかく、そういう意味でも「ゆるい」学校なのです。そこで結論:のんびりと平和な高校時代を送りたいなら足立高校へ。自分を伸ばすために厳しくきたえてもらいたいならほかの高校へ!ですね。
「恨」ここはひとつ「はん」と読んでいただきたく思います。良く、韓国人の国民性を表す言葉として使われるものです。単純な「恨み」とは違って心の奥底にじっとりと淀んでいる、もっと奥深いものであるそうですが、韓国ドラマのねちねちとした嫉妬・裏切り・報復の連続や、1,000年たっても日本を許さないぞという構えなどを考えると、それほど哲学的なものでもないような気がします。ちょうど日本がせまい国土のなかでちまちまとした庭園を作り上げておいて、「わび・さび」と高尚な解釈をつけているのと似たようなものではないかと私は思っているのですが・・・・。
それでも、これは確かに「恨」だ!と私が驚嘆するものがひとつだけあります。残念ながら韓国にではなく日本にです。故人になりますが、かつて「鶴田浩二」という俳優がいました。東映ヤクザ映画の全盛期を背負って立っていた俳優です。役者としての位置付けは、高倉健より数段上の扱いでした。彼は確かな演技力を持っていたように思いますが、その後高倉健が一般の映画で生き延びスターになったにもかかわらず、鶴田浩二はその道を選びませんでした。
しかし鶴田浩二の本領が発揮されているのは、実は「歌」の世界においてです。鶴田浩二なんか知らないという若い人も多いでしょうが、彼の歌を聞いたことがない人はおそらくいないはずです。右翼が黒塗りの街宣車で、大音響で軍歌を流しながら街を流している時、その時流れている軍歌は十中八・九、鶴田浩二が歌っているはずです。
彼は海軍予科練・特攻隊の生き残りです。多くの友人が次々と敵艦に突撃して若い命を散らしたにも関わらず、自分は結局生き残ってしまったことを生涯の負い目として生きました。そのせいでしょうか、鶴田浩二の軍歌を聞いても、少しも気持が高揚してはきません。逆に深い悲しみに襲われるような気がします。(街を流している右翼の皆さんがこの事に気づいているのかどうかは知りませんが。)
鶴田浩二の歌は、聞く者を深い鎮静の世界にいざないます。いや、もっとはっきり言うなら、彼の歌を聞けば聞くほど気持が落ち込んでしまいます。私の場合、死にたくなります。これがいわゆる「恨」の世界でなくてなんでしょうか。もし私が将来何らかの理由で自ら命を絶たなければならないような事情に追い込まれるようなことがあったら、その時は鶴田浩二の歌を流しながら落ち着いて事を運ぶことになると思います。彼の歌はそれくらい「恨」の世界を体現しています。
しかし今のところ、私は彼のレコードもCDも一枚も所有していません。以前は数枚持っていたのですが、彼の歌を持っているとなんだか長生きできないような気がして捨ててしまったのです。
それでも、これは確かに「恨」だ!と私が驚嘆するものがひとつだけあります。残念ながら韓国にではなく日本にです。故人になりますが、かつて「鶴田浩二」という俳優がいました。東映ヤクザ映画の全盛期を背負って立っていた俳優です。役者としての位置付けは、高倉健より数段上の扱いでした。彼は確かな演技力を持っていたように思いますが、その後高倉健が一般の映画で生き延びスターになったにもかかわらず、鶴田浩二はその道を選びませんでした。
しかし鶴田浩二の本領が発揮されているのは、実は「歌」の世界においてです。鶴田浩二なんか知らないという若い人も多いでしょうが、彼の歌を聞いたことがない人はおそらくいないはずです。右翼が黒塗りの街宣車で、大音響で軍歌を流しながら街を流している時、その時流れている軍歌は十中八・九、鶴田浩二が歌っているはずです。
彼は海軍予科練・特攻隊の生き残りです。多くの友人が次々と敵艦に突撃して若い命を散らしたにも関わらず、自分は結局生き残ってしまったことを生涯の負い目として生きました。そのせいでしょうか、鶴田浩二の軍歌を聞いても、少しも気持が高揚してはきません。逆に深い悲しみに襲われるような気がします。(街を流している右翼の皆さんがこの事に気づいているのかどうかは知りませんが。)
鶴田浩二の歌は、聞く者を深い鎮静の世界にいざないます。いや、もっとはっきり言うなら、彼の歌を聞けば聞くほど気持が落ち込んでしまいます。私の場合、死にたくなります。これがいわゆる「恨」の世界でなくてなんでしょうか。もし私が将来何らかの理由で自ら命を絶たなければならないような事情に追い込まれるようなことがあったら、その時は鶴田浩二の歌を流しながら落ち着いて事を運ぶことになると思います。彼の歌はそれくらい「恨」の世界を体現しています。
しかし今のところ、私は彼のレコードもCDも一枚も所有していません。以前は数枚持っていたのですが、彼の歌を持っているとなんだか長生きできないような気がして捨ててしまったのです。
2012年02月12日
橋本さんという人が人の心を理解しない人だという印象をもっていることは昨日も書きました。弁護士という肩書のこの方、現役弁護士時代はどういうことを専門にしていたのか、知りたいと思いました。私が現在通っている東亜学院のクラスには現役の弁護士が二人、弁護士事務所に勤めている人が一人います。総勢13人のクラスでこの確率はかなり高いと思いますが、いや、それはそれとして、話を聞くと、刑事事件を扱うのは弁護士の業務のほんの一部に過ぎず、主たる仕事は法人と契約しての仕事なのだそうです。(具体的な内容はどうせ聞いても分からないので聞きませんでしたが。)従って弁護士の仕事の多くは(心)に関わるような仕事ではないのです。どうりで橋本さんがあれほどわからんちんなのも納得が行きました。
昨日も書きましたが、教員が日本で下から二番目の給料であれば生徒の成績も全国で最下位でなければそれで十分対価に対する仕事はしていることになると私は思います。仕事というのはそういうものです。大阪の教師の皆さんは決して橋本さん風情の口先に負けてはいけません。
私が最も恐れるのは、上からの締め付けはそのまま下への締め付けと転化されていくという、人間心理の真実です。橋本さんはこんなこともご存じありますまい。橋本さんが教員を締め付ければ、人情の常として、教員は生徒を締め付けるようになります。何しろもっと厳しくやって成果を上げろというお達しなのですから、教師としては精一杯頑張るしかありません。学力テストで成果をあげる為にはまずは生徒の素行を正すことから始めなければなりません。生活指導は今までになく厳しいものとなり、その中で頑張り続けていくうちに、徐々にどつぼにはまった教員たちは、枝葉末節の事柄を取り上げて全精力を傾けるようになります。生活指導はより完璧な生徒を作り上げるべく、潤いのないものへと変化していくのです。
もともと家庭に問題がなく、経済的にも恵まれている生徒はどんなに校則が厳しく適用されても痛くもかゆくもありません。もとから校則違反などしないように育っているからです。これといった屈折をともなわないで成長してきた子は自然と枠の中に収まっていますから、厳しい指導を始める前と始めた後で、特に変ることはないのです。
問題は、ただでさえエスカレーターに乗れずにふてくされたりいじけたりしている子どもたちです。自分たちの人生が保障されていないことを既に知ってしまっている子供たちにとって、いわゆる「良い子」たちと同列の扱いを受けるのは公平なようでいてやりきれないものです。彼らは、真面目に良い子になっていても自分たちには特に利益がないことを知ってしまっているからです。
橋本さんの締め付けによって厳しい指導を強制された教師たちは、ちっとも指導に乗ってこない「恵まれない」生徒たちに悩まされ、彼らを厄介者扱いし、敵視するようになるでしょう。かくして社会的弱者たちは更に追い込まれていきます。その上、今の待遇と締め付けでは厄介者と化した生徒たちを扱いきれるような教員は大阪には集まらないことでしょう。橋本さんのやり方では、もしかしたら大阪のアウトローの数を現在より増加させる道を開くことになるかも知れません。
それにしても、大阪市民の感性が私には理解できません。昔タコの物まねが売り物の漫才師が市長に当選したのも大阪でしたね。大阪の皆さん、スタンドプレーに走る芸人に拍手喝采をしているうちに、何か大切な物を失うことになるかもしれませんよ。橋本さんも結局はテレビ番組が生み出した虚像だということに、早く気がついた方が良いと思います。
昨日も書きましたが、教員が日本で下から二番目の給料であれば生徒の成績も全国で最下位でなければそれで十分対価に対する仕事はしていることになると私は思います。仕事というのはそういうものです。大阪の教師の皆さんは決して橋本さん風情の口先に負けてはいけません。
私が最も恐れるのは、上からの締め付けはそのまま下への締め付けと転化されていくという、人間心理の真実です。橋本さんはこんなこともご存じありますまい。橋本さんが教員を締め付ければ、人情の常として、教員は生徒を締め付けるようになります。何しろもっと厳しくやって成果を上げろというお達しなのですから、教師としては精一杯頑張るしかありません。学力テストで成果をあげる為にはまずは生徒の素行を正すことから始めなければなりません。生活指導は今までになく厳しいものとなり、その中で頑張り続けていくうちに、徐々にどつぼにはまった教員たちは、枝葉末節の事柄を取り上げて全精力を傾けるようになります。生活指導はより完璧な生徒を作り上げるべく、潤いのないものへと変化していくのです。
もともと家庭に問題がなく、経済的にも恵まれている生徒はどんなに校則が厳しく適用されても痛くもかゆくもありません。もとから校則違反などしないように育っているからです。これといった屈折をともなわないで成長してきた子は自然と枠の中に収まっていますから、厳しい指導を始める前と始めた後で、特に変ることはないのです。
問題は、ただでさえエスカレーターに乗れずにふてくされたりいじけたりしている子どもたちです。自分たちの人生が保障されていないことを既に知ってしまっている子供たちにとって、いわゆる「良い子」たちと同列の扱いを受けるのは公平なようでいてやりきれないものです。彼らは、真面目に良い子になっていても自分たちには特に利益がないことを知ってしまっているからです。
橋本さんの締め付けによって厳しい指導を強制された教師たちは、ちっとも指導に乗ってこない「恵まれない」生徒たちに悩まされ、彼らを厄介者扱いし、敵視するようになるでしょう。かくして社会的弱者たちは更に追い込まれていきます。その上、今の待遇と締め付けでは厄介者と化した生徒たちを扱いきれるような教員は大阪には集まらないことでしょう。橋本さんのやり方では、もしかしたら大阪のアウトローの数を現在より増加させる道を開くことになるかも知れません。
それにしても、大阪市民の感性が私には理解できません。昔タコの物まねが売り物の漫才師が市長に当選したのも大阪でしたね。大阪の皆さん、スタンドプレーに走る芸人に拍手喝采をしているうちに、何か大切な物を失うことになるかもしれませんよ。橋本さんも結局はテレビ番組が生み出した虚像だということに、早く気がついた方が良いと思います。
2012年02月11日
橋本大阪市長が教員の給料を引き下げるという決定を下したそうですが・・・。教員の組合との協議なんか、はなから考えていないようですね。どうやら教員など人間とも思ってもいないようです。教員はろくに仕事もしないダメなやつらなんだから、あんなに給料をやることはない、思い切り下げてやれ!という理屈のようですが、こうなるとほとんど感情論にしかなっていません。
大阪の教員の給料は全国でも下から二番目です。これをさらに引き下げるそうですね。生徒の学力が大変低いのがけしからんとか。厳密に言うと、全国どこでも少数の例外を除けば金持ちは学力が高く、貧乏人は学力が低いのです。私に言わせれば、金もなく塾へも通うこともできず大学の入学金すら工面できないほど家が貧しかったらまずは就職して金を稼ぐことを第一に考えるのが当たり前で、勉学にやる気など出るわけがないのです。私はそういう地域のそういう子供たちを相手に教員をやってきたので、その状況をいやというほど知っています。問題は大阪には貧しい人たちがたくさんいて、その人たちがそのまま放置されているということなのです。ポイントは教員の資質の問題ではないのです。
現在、お金さえ出せばだれでも入れる大学が山ほど(と言ったら大げさですが)出現しています。中には受験に来てくれれば往復の飛行機代は大学負担で、しかも受ければ必ず合格させると確約する大学があったくらいです。それでも大学に行かないのはやはり資金がないからです。こうした経済的状況を改善しない限り、子供たちの学力の向上などあり得ません。あの橋本という人、やたらに切れまくり吠えまくるだけで、本当は何にも分かってはいないのです。
また、人の心も分かっている人なのかどうかもはなはだ疑問ですねえ。教員の待遇が悪すぎるから大阪で教員になろうとする人がきわめて少なく、そこには競争の原理が働かないので、必然的に教員の質は下がるはずです。ではどうすれば良いのですか?大阪の教員採用試験に競争の原理を働かせることです。競争の原理を働かせるためには、大阪の教員の給料を日本一高くすればよろしい。橋本さんは教員に対する締め付けを思い切り厳しく強化する方針のようです。でしたら同時に給料も思い切り奮発しなさい。これくらい初歩の初歩の知識だと思いますよ。
大阪の教員の給料は全国でも下から二番目です。これをさらに引き下げるそうですね。生徒の学力が大変低いのがけしからんとか。厳密に言うと、全国どこでも少数の例外を除けば金持ちは学力が高く、貧乏人は学力が低いのです。私に言わせれば、金もなく塾へも通うこともできず大学の入学金すら工面できないほど家が貧しかったらまずは就職して金を稼ぐことを第一に考えるのが当たり前で、勉学にやる気など出るわけがないのです。私はそういう地域のそういう子供たちを相手に教員をやってきたので、その状況をいやというほど知っています。問題は大阪には貧しい人たちがたくさんいて、その人たちがそのまま放置されているということなのです。ポイントは教員の資質の問題ではないのです。
現在、お金さえ出せばだれでも入れる大学が山ほど(と言ったら大げさですが)出現しています。中には受験に来てくれれば往復の飛行機代は大学負担で、しかも受ければ必ず合格させると確約する大学があったくらいです。それでも大学に行かないのはやはり資金がないからです。こうした経済的状況を改善しない限り、子供たちの学力の向上などあり得ません。あの橋本という人、やたらに切れまくり吠えまくるだけで、本当は何にも分かってはいないのです。
また、人の心も分かっている人なのかどうかもはなはだ疑問ですねえ。教員の待遇が悪すぎるから大阪で教員になろうとする人がきわめて少なく、そこには競争の原理が働かないので、必然的に教員の質は下がるはずです。ではどうすれば良いのですか?大阪の教員採用試験に競争の原理を働かせることです。競争の原理を働かせるためには、大阪の教員の給料を日本一高くすればよろしい。橋本さんは教員に対する締め付けを思い切り厳しく強化する方針のようです。でしたら同時に給料も思い切り奮発しなさい。これくらい初歩の初歩の知識だと思いますよ。
2012年02月09日
昨日はちょっとあからさまな事実を書き過ぎたかもしれません。「えー?!先生ってホントはそんななのお?幻滅う!」」という悲鳴を上げた人がいなかったでしょうか。いや、書こうと思えばもうすこし「深い」話も書けるのですが・・・・・・。これくらいに留めておいた方が良さそうです。あまりきわどい方に話を突っ込まないようにしながら、また思い出したら教師シリーズを書いてみることにします。昨日の話でも、現役時代に書いたら、「戒告処分」くらいは頂戴したかもしれません。
2012年02月08日
なんだか過去に対する恨み事の連発のようなシリーズになってしまいましたが、事実に反することは書いていませんので念のため。主観に偏らないように細心の注意もしています。
大人になればやっても構わないこと、一昔までは大人なら誰でもやっていたようなことでも、未成年がしてはいけないとされ、退学の対象となることは多々あります。喫煙などはその最たるものだと思います。私は教員として初めて担任を持った2年目、24歳にして全教員を相手に回し、喫煙による退学を撤回させたことがあります。どう考えても、「あんた達がいつもやってることで生徒を退学させるのはおかしいだろ?今タバコを吸っているあんた、あんたは本当に20過ぎてから初めてタバコを吸ったのかい?」という疑問がどうしても拭い去れなかったからです。当の生徒にも親にもそのことで感謝されなかったのは癪でしたが、まあその程度の生徒にその程度の親だったのですからそれは仕方ありません。
風俗へ行ったことをブログで公開してしまい、退学勧告を受けたとある少年、ブログに書いてしまったのが運のつきなのですが、ではこれがどこまで「悪い」ことをしたのかというと、簡単には言い切れない問題が残ります。
一般に風俗へも行ったことがないような男性は、人間として幅がないくらいの見方も依然として存在します。(その意味では私も幅がない人間の一人です。)
とある教師は教職について間もなくだったと思いますが、生徒が授業を聞いてくれないことから心を病んで4階から飛び降り自殺を図りました。が、背骨の骨折までしてしまった彼が退院後真っ先にしたことは、風俗の店へ駆け込むことでした。
またとある教師は、校長からも高く評価され、同僚からの信頼が厚く生徒からの尊敬も集めている立派な人物なのですが、電車の中で40代の真面目な独身男性教師に向かって、「今度風俗(もう少し具体的な表現でしたが)へ連れて行ってやろうか?」と車両中に聞こえるような大声で話しかけていました。同じ車両のなかには副校長もいればPTA役員のお母さんたちも大勢いたのですが、そんなことはお構いなしでした。
教師は風俗へ行くべきでないのか、学校という職場を離れれば行っても良いのか、私には判断がつきません。ただひとつ言えることは、風俗の店に入って行くところを生徒に目撃されたら、その人の教師生命は絶たれたも同然だということです。したがって、好ましいか好ましくないかというレベルの判断になれば結論はただ一つ。不可!なのではないでしょうか。
それでも風俗へ行く教師は風俗へ行くのです。喫煙する教師が喫煙する生徒を裁く理不尽さと同様の理不尽さを感じないではありません。恐らく、喫煙する教師や風俗へ行く教師には、私のような「幅のない人間」の気持ちを理解することは不可能だと思いますが。
あ、忘れていました。先述の「自殺→風俗」の先生、私なんかと違って最後はしっかり校長先生にまで出世していました。はい。
大人になればやっても構わないこと、一昔までは大人なら誰でもやっていたようなことでも、未成年がしてはいけないとされ、退学の対象となることは多々あります。喫煙などはその最たるものだと思います。私は教員として初めて担任を持った2年目、24歳にして全教員を相手に回し、喫煙による退学を撤回させたことがあります。どう考えても、「あんた達がいつもやってることで生徒を退学させるのはおかしいだろ?今タバコを吸っているあんた、あんたは本当に20過ぎてから初めてタバコを吸ったのかい?」という疑問がどうしても拭い去れなかったからです。当の生徒にも親にもそのことで感謝されなかったのは癪でしたが、まあその程度の生徒にその程度の親だったのですからそれは仕方ありません。
風俗へ行ったことをブログで公開してしまい、退学勧告を受けたとある少年、ブログに書いてしまったのが運のつきなのですが、ではこれがどこまで「悪い」ことをしたのかというと、簡単には言い切れない問題が残ります。
一般に風俗へも行ったことがないような男性は、人間として幅がないくらいの見方も依然として存在します。(その意味では私も幅がない人間の一人です。)
とある教師は教職について間もなくだったと思いますが、生徒が授業を聞いてくれないことから心を病んで4階から飛び降り自殺を図りました。が、背骨の骨折までしてしまった彼が退院後真っ先にしたことは、風俗の店へ駆け込むことでした。
またとある教師は、校長からも高く評価され、同僚からの信頼が厚く生徒からの尊敬も集めている立派な人物なのですが、電車の中で40代の真面目な独身男性教師に向かって、「今度風俗(もう少し具体的な表現でしたが)へ連れて行ってやろうか?」と車両中に聞こえるような大声で話しかけていました。同じ車両のなかには副校長もいればPTA役員のお母さんたちも大勢いたのですが、そんなことはお構いなしでした。
教師は風俗へ行くべきでないのか、学校という職場を離れれば行っても良いのか、私には判断がつきません。ただひとつ言えることは、風俗の店に入って行くところを生徒に目撃されたら、その人の教師生命は絶たれたも同然だということです。したがって、好ましいか好ましくないかというレベルの判断になれば結論はただ一つ。不可!なのではないでしょうか。
それでも風俗へ行く教師は風俗へ行くのです。喫煙する教師が喫煙する生徒を裁く理不尽さと同様の理不尽さを感じないではありません。恐らく、喫煙する教師や風俗へ行く教師には、私のような「幅のない人間」の気持ちを理解することは不可能だと思いますが。
あ、忘れていました。先述の「自殺→風俗」の先生、私なんかと違って最後はしっかり校長先生にまで出世していました。はい。
2012年02月07日
どうして教員関係の思い出って、ろくなものがないんだろう・・・・。
このところ雪国や北の国ではまれに見る大雪のために住民の皆さんが非常に困っていると報道されています。地球温暖化ではなかったんでしたっけ? もしも実は寒冷化が正しいのだとすると、このていどの冬では済まなくなるはずですが、念のため国としても準備をしておかなくても良いのでしょうか。それでなくともインドネシアあたりで大噴火があれば、気温の1度や2度は下がってしまうのですが。
しかし今日のテーマ「雪の思い出」は、やはり教員シリーズの続編です。38年間も教師をやってきたわけですから、その間雪が降ったことも一度や二度ではありません。雪が降れば道路は滑ります。さすがに道路の除雪まではできないものの、正門から昇降口までくらいは除雪するような気がしませんか?
私は割と早めに出勤する方だったので、雪の日も余裕を見て早く到着します。しかし、生徒たちのために除雪作業をする教員の姿など一度も見たことがありません。まあ、除雪作業は教師の業務とは言えませんから、しかたないのですが、一人や二人、見かねて出てくる教師がいても良いとは思いませんか?
一昔前までは私も体力に自信があり、始業前に雪かきをしたくらいではウオーミング・アップ代りにちょうど良いくらいでしたので、雪が積もっているとみれば、率先して雪かきを始めたものです。いや、率先という言葉は適当ではありません。率先という言葉は、後に続く者がいて初めて意味をなす言葉ではありませんか。次々と出勤してくる教師たちは、私が雪かきした道を通って玄関へと向かいますが、ただの一人として戻ってきて雪かきに協力してくれた人はいませんでした。これは転勤して学校が変わってからもまったく同じことでした。最初は、会議で厳しい発言をしたりしている自分が嫌われているから、私と一緒に作業するのが嫌なんだろうと思っていました。しかし、私に対して友達面をしている教師たちもただの一人も出てきてくれないところを見ると、要するに余計なことはやりたくないというのが本音だったのではないかという気がしています。
前に書いた足立高校の例はあまりにも極端でしたが、本音のところは皆そう変わらないのかも知れませんね。教師という仕事は、相当手を抜いてもどこからか表だって非難されるということはありません。それどころか、頑張ってしまうと、密かに迷惑がられたりもします。そのバランスが実に難しいのです。私はとうとう退職までバランスよく仕事をすることができませんでした。
このところ雪国や北の国ではまれに見る大雪のために住民の皆さんが非常に困っていると報道されています。地球温暖化ではなかったんでしたっけ? もしも実は寒冷化が正しいのだとすると、このていどの冬では済まなくなるはずですが、念のため国としても準備をしておかなくても良いのでしょうか。それでなくともインドネシアあたりで大噴火があれば、気温の1度や2度は下がってしまうのですが。
しかし今日のテーマ「雪の思い出」は、やはり教員シリーズの続編です。38年間も教師をやってきたわけですから、その間雪が降ったことも一度や二度ではありません。雪が降れば道路は滑ります。さすがに道路の除雪まではできないものの、正門から昇降口までくらいは除雪するような気がしませんか?
私は割と早めに出勤する方だったので、雪の日も余裕を見て早く到着します。しかし、生徒たちのために除雪作業をする教員の姿など一度も見たことがありません。まあ、除雪作業は教師の業務とは言えませんから、しかたないのですが、一人や二人、見かねて出てくる教師がいても良いとは思いませんか?
一昔前までは私も体力に自信があり、始業前に雪かきをしたくらいではウオーミング・アップ代りにちょうど良いくらいでしたので、雪が積もっているとみれば、率先して雪かきを始めたものです。いや、率先という言葉は適当ではありません。率先という言葉は、後に続く者がいて初めて意味をなす言葉ではありませんか。次々と出勤してくる教師たちは、私が雪かきした道を通って玄関へと向かいますが、ただの一人として戻ってきて雪かきに協力してくれた人はいませんでした。これは転勤して学校が変わってからもまったく同じことでした。最初は、会議で厳しい発言をしたりしている自分が嫌われているから、私と一緒に作業するのが嫌なんだろうと思っていました。しかし、私に対して友達面をしている教師たちもただの一人も出てきてくれないところを見ると、要するに余計なことはやりたくないというのが本音だったのではないかという気がしています。
前に書いた足立高校の例はあまりにも極端でしたが、本音のところは皆そう変わらないのかも知れませんね。教師という仕事は、相当手を抜いてもどこからか表だって非難されるということはありません。それどころか、頑張ってしまうと、密かに迷惑がられたりもします。そのバランスが実に難しいのです。私はとうとう退職までバランスよく仕事をすることができませんでした。
2012年02月06日
毎日真面目に勉強しています。このところブログも両方別々の内容で書いてきたので、目に負担がかかりすぎて、かなり痛いです。というわけで、本日はこちらのブログはお休みさせていただきます。
2012年02月05日
本当に若いころのことです。組合活動家の教師が「数は力なりだよ。」と言ったのを受けて、商業科の教師ですが哲学書を読むのが大好きなある教師が言った言葉:「組織は大きくなったらいったん潰さなきゃいけない。」
活動家の教師はバリバリの共産党員でした。まだ日本でも共産党が勢いを失っていなかったころのことです。私はと言えば、もともとが小・中といじめられっこで育ったので、数は暴力だという意識を持っていましたから、後者の意見に近かったのではないかと思います。「徒党を組んで」と言いかえればその本質がわかると思いますが、数を頼みにする人を私はあまり信用しません。
30歳ころでしたか、校内の組合(分会といいます)のまとめ役(分会長)に選出いったい何を考えてるんだ?と思ったものです。おそらくは職員会議そのものでは活発に発言していたので、どこかで皆さんが錯覚を起こしていたのでしょう。
その翌年、今度は自分から分会長に立候補しました。それまで進んで立候補したものなど皆無でしたので、これは大きな反響を呼んだようです。そして何が起こったかというと・・・・私を嫌う一団が結束して(私はその一団を軽蔑していて、かつその人たちが組合代表をしており、常に私の意見を黙殺していたために組合の会合を拒否していたのですが)ひそかに候補者を立て、推薦者が候補者を連れて教師たちのところをこっそり投票依頼に回り始めたのでした。正式に立候補を表明したのは私一人。彼らは立候補もせずに裏で切り崩しを図ったのです。これが「徒党を組む」ということでなくてなんでしょう。彼らの意識としては、学園を破壊する恐れがある梅●に組合代表者の座を渡すわけにはいかないという崇高な使命感からの行動だったようです。もちろん当選したのはこの私ですが。
それ以後私はきれい事をぬかす連中を簡単には信用しなくなりました。裏でどんな策略を練っているか分からないぞう・・・と。
教師は基本的に1人では責任を負おうとはしないと言って差し支えないでしょう。できるだけ生徒部なら生徒部、学年なら学年の意見や立場として集団で行動し、個人には責任が及ばないようにします。その結果何が起こるかと言えば、喧嘩の強い人の意見が集団の一致した見解であるかのように、通って行くことになります。ここでいう喧嘩が強いとは、動員できる人数を抱えているということです。考え方が正しいかどうかはこの際関係ありません。まあ、こんなことは学校に限らず日本全体、もしかしたら人類全体の行動様式なのかもしれませんが。
こうなると、結果として何が起こるかというと、ある問題に対処する時に、何が本質的に正しいかではなくて、何がその集団の利益にかなうかが最も重視されるものとなります。今回Kさんが提示された問題にしても、このことが大きく関わってきます。純粋に考えた場合、あの選手がお世辞にも好ましいとは言えない行為を行ってしまった時、本質的に正しいのは、彼の間違いを正してやり、考え方を修正して卒業させてやることです。彼は今回の行為で特定の誰か、たとえば同じ部活なり同じクラスの生徒に何か被害を与えたというわけではないようです。あくまで学外でちょっと羽を伸ばし過ぎた、というに過ぎません。ましてや我がK君のように警察の御厄介になり長期拘留されたというわけでもありません。
この問題については、おそらく「高校生にあるまじきいかがわしい行為に走り、それを公表することによって本校の名誉を汚し、そのため他の生徒も同じような偏見の目にさらされることとなり、来年度からの生徒募集にも悪影響を与えかねない。」というのが学校側の主張であると思います。こうなると、「あんたの息子の存在自体が迷惑なんだよ!」という理屈になってしまうので、妥協の余地は残されていません。大人になれば大勢の人がやっているようなことをちょっと早めにやってしまっただけだというのが本人の意識なのだろうと思います。しかし組織の論理と個人の論理とは、どこまで行っても平行線で噛みあうことはありません。第一、組織の論理から外れた立場に立とうとしたら、その人は教師生命を失うことになるでしょう。まして私立高校であれば・・・・。
活動家の教師はバリバリの共産党員でした。まだ日本でも共産党が勢いを失っていなかったころのことです。私はと言えば、もともとが小・中といじめられっこで育ったので、数は暴力だという意識を持っていましたから、後者の意見に近かったのではないかと思います。「徒党を組んで」と言いかえればその本質がわかると思いますが、数を頼みにする人を私はあまり信用しません。
30歳ころでしたか、校内の組合(分会といいます)のまとめ役(分会長)に選出いったい何を考えてるんだ?と思ったものです。おそらくは職員会議そのものでは活発に発言していたので、どこかで皆さんが錯覚を起こしていたのでしょう。
その翌年、今度は自分から分会長に立候補しました。それまで進んで立候補したものなど皆無でしたので、これは大きな反響を呼んだようです。そして何が起こったかというと・・・・私を嫌う一団が結束して(私はその一団を軽蔑していて、かつその人たちが組合代表をしており、常に私の意見を黙殺していたために組合の会合を拒否していたのですが)ひそかに候補者を立て、推薦者が候補者を連れて教師たちのところをこっそり投票依頼に回り始めたのでした。正式に立候補を表明したのは私一人。彼らは立候補もせずに裏で切り崩しを図ったのです。これが「徒党を組む」ということでなくてなんでしょう。彼らの意識としては、学園を破壊する恐れがある梅●に組合代表者の座を渡すわけにはいかないという崇高な使命感からの行動だったようです。もちろん当選したのはこの私ですが。
それ以後私はきれい事をぬかす連中を簡単には信用しなくなりました。裏でどんな策略を練っているか分からないぞう・・・と。
教師は基本的に1人では責任を負おうとはしないと言って差し支えないでしょう。できるだけ生徒部なら生徒部、学年なら学年の意見や立場として集団で行動し、個人には責任が及ばないようにします。その結果何が起こるかと言えば、喧嘩の強い人の意見が集団の一致した見解であるかのように、通って行くことになります。ここでいう喧嘩が強いとは、動員できる人数を抱えているということです。考え方が正しいかどうかはこの際関係ありません。まあ、こんなことは学校に限らず日本全体、もしかしたら人類全体の行動様式なのかもしれませんが。
こうなると、結果として何が起こるかというと、ある問題に対処する時に、何が本質的に正しいかではなくて、何がその集団の利益にかなうかが最も重視されるものとなります。今回Kさんが提示された問題にしても、このことが大きく関わってきます。純粋に考えた場合、あの選手がお世辞にも好ましいとは言えない行為を行ってしまった時、本質的に正しいのは、彼の間違いを正してやり、考え方を修正して卒業させてやることです。彼は今回の行為で特定の誰か、たとえば同じ部活なり同じクラスの生徒に何か被害を与えたというわけではないようです。あくまで学外でちょっと羽を伸ばし過ぎた、というに過ぎません。ましてや我がK君のように警察の御厄介になり長期拘留されたというわけでもありません。
この問題については、おそらく「高校生にあるまじきいかがわしい行為に走り、それを公表することによって本校の名誉を汚し、そのため他の生徒も同じような偏見の目にさらされることとなり、来年度からの生徒募集にも悪影響を与えかねない。」というのが学校側の主張であると思います。こうなると、「あんたの息子の存在自体が迷惑なんだよ!」という理屈になってしまうので、妥協の余地は残されていません。大人になれば大勢の人がやっているようなことをちょっと早めにやってしまっただけだというのが本人の意識なのだろうと思います。しかし組織の論理と個人の論理とは、どこまで行っても平行線で噛みあうことはありません。第一、組織の論理から外れた立場に立とうとしたら、その人は教師生命を失うことになるでしょう。まして私立高校であれば・・・・。
2012年02月03日
ある方からのご質問にお答えする形で、「退学勧告」と「退学処分」の違いについて説明してみます。一般の方にはこの違いがわかりにくいと思います。生徒本人にしてみれば、「どっちも結局退学じゃん。」という気にもなると思いますが、
「退学勧告」とは一般に「君は大きな問題を引き起こしたので、この先本校に在籍して学業を続けることは事実上不可能です。退学届を自主的にお出しになり、自主退学をされてはいかがですか?」と極めて強力に勧めることを言います。実際退学勧告を出しても保護者が納得せず、ずるずると話が長引いたこともなくはありません。ただし最終的に退学しなかったという事例も私は知りません。
一方の「退学処分」とは、「君は学生にあるまじき由々しき問題を起こしたので、もう学校に置きません。○月○日付で学校から籍を削除します。以後君は本校の生徒ではありません。名簿にも名前がなくなるので、登校することはできません。」という命令のようなものです。
一見「退学勧告」の方は首がつながっているように見えないこともありませんが、事実上は無期停学処分と同時に「退学勧告」が出されるのが普通です。この場合の無期停学は、様子を見て解除するものではなく、永遠に停学が続きます。したがって、退学して他の場所に活路を見出すしか道は残されていません。
退学勧告を受けて自主退学をした場合、高校は卒業したいという意思があれば、他校への編入の道を選ぶことになります。この場合、「退学勧告」を受けていても、「個人的な事情により自主退学」という扱いになりますから、他校への編入試験を受けることは可能です。「退学処分」を受けた場合は書類上このことを隠ぺいすることはできませんので、編入への道は極めて遠いのではないでしょうか。(相手校に提出する書類にその旨記載されることになりますので。)あのK君の場合は通信制高校への編入の道を選びましたが、KTSで2年生までの単位をすべて取得してあったので、取得合計単位数の関係で、卒業までの年数は同級生だった子たちと同じ1年でした。学年末ぎりぎりの退学勧告であれば、1、2学期の成績と3学期の出席状況によっては運が良ければ次の学年に編入できる可能性もなくはありません。ただし卒業間近で「退学勧告」を食らった場合には、どうしても他校に入れてもらって、後1年頑張るしか道はなくなります。
こんな説明で納得していただけたでしょうか。たとえ「退学勧告」を出しても、学校を移って学業を続けたいという希望があれば、学校の方も協力してくれるはずです。この場合平穏に学校をやめていただくことが学校側の願いでもありますので、協力は惜しまないはずです。
なお、私の38年間の教員生活の中で、「退学処分」は一件もありませんでした。事例はたくさんありましたが、すべて「退学勧告」という形を取っていました。したがって「退学勧告」とは受ける側にとっては「退学処分」と変わるところはないかもしれません。ただその後の道を閉ざすことのないように配慮したものが「退学勧告」だと思っていただければと思います。
「退学勧告」とは一般に「君は大きな問題を引き起こしたので、この先本校に在籍して学業を続けることは事実上不可能です。退学届を自主的にお出しになり、自主退学をされてはいかがですか?」と極めて強力に勧めることを言います。実際退学勧告を出しても保護者が納得せず、ずるずると話が長引いたこともなくはありません。ただし最終的に退学しなかったという事例も私は知りません。
一方の「退学処分」とは、「君は学生にあるまじき由々しき問題を起こしたので、もう学校に置きません。○月○日付で学校から籍を削除します。以後君は本校の生徒ではありません。名簿にも名前がなくなるので、登校することはできません。」という命令のようなものです。
一見「退学勧告」の方は首がつながっているように見えないこともありませんが、事実上は無期停学処分と同時に「退学勧告」が出されるのが普通です。この場合の無期停学は、様子を見て解除するものではなく、永遠に停学が続きます。したがって、退学して他の場所に活路を見出すしか道は残されていません。
退学勧告を受けて自主退学をした場合、高校は卒業したいという意思があれば、他校への編入の道を選ぶことになります。この場合、「退学勧告」を受けていても、「個人的な事情により自主退学」という扱いになりますから、他校への編入試験を受けることは可能です。「退学処分」を受けた場合は書類上このことを隠ぺいすることはできませんので、編入への道は極めて遠いのではないでしょうか。(相手校に提出する書類にその旨記載されることになりますので。)あのK君の場合は通信制高校への編入の道を選びましたが、KTSで2年生までの単位をすべて取得してあったので、取得合計単位数の関係で、卒業までの年数は同級生だった子たちと同じ1年でした。学年末ぎりぎりの退学勧告であれば、1、2学期の成績と3学期の出席状況によっては運が良ければ次の学年に編入できる可能性もなくはありません。ただし卒業間近で「退学勧告」を食らった場合には、どうしても他校に入れてもらって、後1年頑張るしか道はなくなります。
こんな説明で納得していただけたでしょうか。たとえ「退学勧告」を出しても、学校を移って学業を続けたいという希望があれば、学校の方も協力してくれるはずです。この場合平穏に学校をやめていただくことが学校側の願いでもありますので、協力は惜しまないはずです。
なお、私の38年間の教員生活の中で、「退学処分」は一件もありませんでした。事例はたくさんありましたが、すべて「退学勧告」という形を取っていました。したがって「退学勧告」とは受ける側にとっては「退学処分」と変わるところはないかもしれません。ただその後の道を閉ざすことのないように配慮したものが「退学勧告」だと思っていただければと思います。