短歌結社☆うどん屋(ほぼ農的ブログⅡ)

きわめて更新頻度にムラのあり、ほぼ道楽農の様子を書くだけの、ためにならないブログです。一部肺がん情報、短歌情報あり。

成果上がらず

週間予報では、今日からの三日間は晴れのマークがついている。この三日の間に作業の遅れを取り戻したいが、そのうちの二日間は来客があるので、農作業三昧というわけにもいかない。ともかく畝上げをすることが、今、俺に課せられた最大で、最低のミッションである。これさえ終われば、定植や種まきは、天気に左右されないし、作業を始めれば、ほぼ計算通りどんどん進む仕事なので、畝上げの堰を、何としても、早急に超えなければならない。隙を見つけて、筍採りもしなければならないし、ほかの仕事が畝づくりがまだ間に合っていないのに、きのうコメリで、サツマイモの苗を見つけたら、我慢できなくてなって買って、つい買ってしまった。しかも、萎れかけた劣化苗が半値で売っていたものだから、こっちにも手を出してしまった。劣化苗でも、活着さえすれば、もうこっちのもの。俺には秘策がある。劣化苗再生の新手法も編み出したので、今朝試しにやってみたが、結果が出たら報告しよう。。・・・と、ここまでは朝の出がけに書いたもの。

一日の仕事を終えて、今帰ってきた。葉物野菜用の畝を一本だけ完成。残念ながら、仕上がりが美しくない。出来れば明日二畝くらい完成させたいが、さて、どうなる。耕運機はやっぱり調子が悪い。クボタに修理を頼んでも、何時になるかわからないしなあ。あれもこれもと、気をもんだところで、事は運ばぬ。明日は明日の風が吹く。たぶん順風が吹いてくれるだろう。下の写真は、能登半島地震のときに、波けしブロックに打ち上げられて、はまってしまった流木。一生ここで暮らさなければならぬかも。PXL_20250410_022257257

今年はやっぱり「裏年」

✒ 寸分の狂いもなく、ばっちり立てた計画が、天気のせいだったり、急な野暮用のためだったりで上手く運ばず、次の予定にも悪影響を及ぼす。これもまた、世の常、世の流れ、人生は・・・、などと、 俺らしくもないしかつめらしいことを言ってみたくなるような、そんな数日を過ごしていた。その間、ブログもさぼってしまった。ちょっとでもペースが狂うと、ルーティンもおざなりになってしまうのは俺の悪いクセだ。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、この悪癖、なかなか治らない。 とはいえ、真摯に反省して軌道修正するという良習も、どうにか持ち合わせている。一応、バランスは取れている……はず。 晴れを見込んで畑の計画を立てれば雨が降り、雨を予想して別の計画を立てれば、天気は晴朗。そんな塩梅である。 畑仕事は、計画より10日ほど遅れており、順調に進んだのは馬鈴薯の植え付けくらい。 いや、筍のための電柵張りも一応は済ませた。なかなか難儀な作業だったが、「すごい集中力!」とお褒めの言葉もいただいた。 ところが、その電柵に瑕疵があったらしい。 三日前、竹林に偵察に行ってみたところ、なんと、やられていた。筍を猪に食い荒らさた痕跡――三か所に皮が散乱していた。その三か所以外には筍の姿は見えない。予想されていた「裏年」とはいえ、貴重な三本を失ったのは痛い。 完璧を期したつもりだったが、電柵のどこかに欠陥があったようだ。 一通り見回ってみたところ、古く朽ちた竹が放電線の上に倒れており、そのせいで放電線が地面に接して、バッテリーが放電してしまったらしい。そういえば、前日に大風が吹いていた。 これはもう不可抗力だ。俺のせいじゃない、とかあちゃんには報告しておいた。 そして翌日、再びかあちゃんと竹林へ行ってみたところ、貧弱な筍がいくつか顔を出していたので、猪に採られる(盗られる)前に、すべて採取。去年は収穫初日で30本くらいは採れたはずだ。明らかに「裏年」である。しかも、量だけでなく質も悪い。 去年の筍は、根元が太く節間は短く、ずんぐりむっくり。相撲取りでいえば、いかにも腰が据わったような風格があった。ところが今年の筍ときたら、初土俵を踏んだばかりの序の口力士のようだ。 数えてみれば9本あったが、束になってかかっても、去年の1本に敵わないだろう。予想はしていたが、やっぱりがっくりである。 とてもお裾分けするほどの量ではない。ありがたいことに(?)、処分に悩むことはなさそう。 数年かけて蓄えた養分を使い果たし、昨年は子だくさん。今年の不作は、その反動なのだろう。 とはいえ、まだ10日ほどは収穫できるはずだ。諦めるには早い。これからに期待しよう。なにせわが家の「筍女」は筍が不作の年は、残りの半年間は機嫌が悪い。
去年詠んだ歌: 【竹林に 次から次へと 子が生まる 日本国よ 羨ましかろう】
✒きょうは午前中天気がもったので、キャベツとナス、ピーマンをを植える予定の畑に、たい肥、石灰、肥料を蒔いた。しかし、午後からは雨。しかも、耕運機の調子が悪い。明日以降晴れ間を見て、耕運機を直した後、五本の畝を立てる予定だが、予報が、あまりよくない。しょうがないね。PXL_20250430_033419955
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風もなく、雲もなく、晴れ渡る空百姓日和ってもんだ。

✒きのうは不要不急ではない用事で、一日つぶれた。今日は朝から晴れ渡っていて、ここのところ強かった風もない。百姓日和ってもんだ。午後からは、月に一回の歌会があるから、仕事は午前中だけ。お発ちのコーヒーを飲んだら、畑へと、さあ出発だ。もうそろそろイノシシが嗅ぎつけるといけないので、馬鈴薯畑に電柵を張る予定。竹林に比べればチョロいもんだ。いつも多すぎる計画を立て、計画倒れになるきらいがある。”電柵張り”まずはこれだけを全うしよう。
✒、今歌会から帰ってきた。午前の予定「芋畑に電柵を張る」は予定通り、難なく終了。まだかな、と思っていた馬鈴薯の芽が、ポツラポツラと顔を出していた。慌てることはないけれど、芽欠き、土寄せをしなければならない。砂地で保肥力がなく、なおかつ初作物だから、追肥も必要だろう。草取りも。いずれも砂地であるゆえの利点で、作業は容易だ。馬鈴薯の芽は、普通なら、四つ、五つ出てくるところを、ふたつくらいに芽を欠いてやらなければならないが、俺の場合は、いわゆる芽を下にした「逆さ植え」をしているから、勢いのない芽は地表に顔を出すまでに、力が尽き、芽欠きをするまでもなく、淘汰される。元気がよくて、根性のある芽だけが地表に顔を出すから、あえて芽欠きをせずとも、ほぼ適量の芽になるはず。…ということで、馬鈴薯はまずは順調である。昨年の雪辱ができそうだ。明日はメインの圃場を耕し、夏野菜、トウモロコシの畝づくりの準備をしよう。しばらくの間は、気温も上がるということだから、育苗の方も、調子を出してくれるだろう、たぶん。PXL_20250426_022749716PXL_20250425_235939216

特養へ

予報によれば、今日から4.5日の間は晴れるらしい。畑仕事も今までは、助走のようなもの、畑の春本番はこれから始まる。もうすでに想定したより遅れている作業もあるし、何よりも、蒔いた種が、なかなか発芽してくれないのが、モチベーションを下げている。が、この好天予想で一気に挽回する気がするので、さあ、馬力をかけて、仕事に立ち向かおうと・・・、思ったが、 今日は母の施設転所手続に行って来なければならなくなった。今現在は、いわゆる「老健」の施設にいるが、今度の転所先は、特別養護老人ホーム(特養)である。どこがどう違うのか。大雑把に言って、「看取りをする」か「しない」の違いである。一日の過ごし方に大差ははないのだそうで、判断能力のない本人も、家族も、特に転所を希望したわけではない。数か月前のある日、今現在入所中の施設(老健)から呼び出しがあり、妻と駆け付けたところ、母の体調が思わしくなく、(この時たまたま体の痛みを訴えていたが、「痛い」以外の細かいニュアンスを他人にえることが出来ず、原因もわからずじまいだった。)と言って、今すぐどうこうするというほど、ひっ迫しているわけではないが、歳が歳だから(98歳)、いつ何時最悪の状態が訪れるか予想がつかない。この施設は原則として、「看取りはしない」ことを考えると、今から特養に申し込んでおいて、施設に空きが出たら、そちらに入所してもらった方が、本人も家族も安心していられる。という理由で、「特養」への入所申し込みを強く勧められた。どこの施設も順番待ちで、予め申し込みだけしておいて、「空きが出来次第転所する」手筈を取っておいてくれないか、という話であった。こちらには強く拒否する合理的な理由もないし、即刻、「特養」に申し込んでおいたところ、昨日、施設から「空きが出来た」の報せがあっての今日の来訪であった。実際の転所は来月になるようだ。実はこの二つの施設は、同じ福祉法人で、同一敷地内に、並んで建っているから、「隣」へ引っ越すだけのこと。施設の人に母の様子を尋ねたところ、「いたって快活で、元気によくしゃべる」状態だそうで、息子の顔も判別できず、精神的に不安定な母であるが、今日は、ときどきおとずれる「きわめて躁」の状態であるとのこと。ひとまず悪い状態でないことだけは確認できて、ほっとしたが、今日の手続きで、一歩先へ進んだ感が否めず、かつては、家か、病院で診取ることが多かったが、老人のための施設が増えた現在は、いざという場合の最後の看取りはどうなるのか、そこまで聞く気にはなれなかった。ぎりぎりまで妻と二人で自宅で介護をしてきたつもりであったが、最後の最後は、結局は、システムに乗っかる形になってしまいそうだ。さて、俺はどうなるのだろう。選べるなら、尊厳死というのも悪くはないかな。

ふるさとのことば

【ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中そを聴きにゆく】・・・石川啄木
【ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し】・・・寺山修司

寺山の歌は、啄木作品の本歌取りだろう。

岩手と青森、両者とも東北出身である。おそらく彼ら自身も、かなり強い訛りを持っていたのだろう。啄木の作品は、ふるさとを離れて都会で暮らす者の心情を巧みに表現していると思う。だがそこには、やや演出過剰とも思える啄木独自のレトリックがあり、「啄木らしさ」を強く意識して詠んだ歌なのではないかと感じる。実際のところを考えると、歌に描かれてい行動にどこか嘘くさい響きがある。

自分自身に照らしてみても、「ふるさとの訛りを聞きたくて、わざわざ停車場へ行く」などということはしない。懐かしさとは、もっと偶然に出会うものではないか。たとえば、畳をはがしたら十年ほど前の新聞が敷いてあり、ふと目に留まった相撲の星取表に、今は亡き異能力士の名を見つける――そんなときにふと蘇る感情。あるいは、床屋の有線放送で流れてきた、思い出深い青春映画のテーマ音楽に触れた瞬間。懐かしさとは、そうした不意の出会いの中にこそ宿るものではないだろうか。

そう考えると、啄木の歌にはどこかリアリティが欠けているように思える。

一方、寺山の歌も、実際に体験したことをそのまま詠んだというよりは、「ふるさと」というテーマをもとに、どこかからの依頼で詠んだ歌である可能性が高い。おそらく彼の中で、ふと思い出した啄木の一首を、いかにも寺山らしいテイストに仕立て直した作品なのだろう。そこには「斜に構える寺山」を強く打ち出した作意が感じられる。

「文は人なり」とはよく言われるが、「文は平気で嘘をつくこともできる」という側面もまた然り。文には、常に二面性があるのだ。創作とは、そういうものである。メディアの発達により、文化や気質など、様々な点で、ちいきさがなくなってきた。平準化が進んだのである。言葉もその例には漏れず、標準語化(東京キー局のテレビ語化)が進んだ。しかし一方で、地方ことばはしぶとい。平準化の波にのまれそうでいながら、どっこい、どの地域にも地域独特の訛りはしぶとく生き残っている。俺自身、相手が東京語圏の人ではないのに、なんとなく東京語を使っているが(ブログだってそうだ。)、地域の人同士で気安く話すときの地方言葉は捨てられない。

✒今日の天気は雨が時折ぱらつく程度で、畑へ行こうと思えば、行けたのであるが、ともかく寒い。ブルブル蒔いた種の芽もなかなか出てこない。それでも家に閉じこもり、トレイへの種まきだけはした。トウモロコシ、バジル、坊ちゃんカボチャ、ほっこり何とかというカボチャも。本来は直播するべき小松菜もトレイに。エート、おおまさりという落花生もだ。狭い裏庭が、トレイややポットで、足の踏み場もなくなってきた。はよ、あったかくなれ!

俺にだって得意技はある


一昨日の記事に寄せられた佐平次さんからのコメントはこうだ。

> 「やりましたね! 。 すごい集中力、敬服の至りです。 エアコンの掃除すら日々先延ばしにしている自分が情けないない。」

これに対する俺の返答は、率直そのものだった。

> 「佐平次さん、私がこの世で集中力を切らさずに成し遂げられる仕事は、石拾いと電柵張りだけです。」

佐平次さんの自らへのおおいなる謙虚な言葉と私への過度な評価には、面映ゆい気持ちになったが、世の中には、スーパーマンのように何でもこなす人もいれば、超ダメ人間もいる。しかし、大多数の人間は「ちょっと得意な分野」「超得意な分野」「ちょっと苦手な分野」「超苦手な分野」を持ち合わせている。 俺の場合は、何の因果か、「開墾事業における石拾い」と「傾斜地での電柵張り作業」という、唯一無二の得意分野を持ってたということ。自分のことはそれ以上言及しない。佐平次さんの評価はまさに核心をついているとも言える。

こうした個々の能力の偏りが、面白さとなって互いに絡み合って世の中が回っているのだろう。これも、神様、、いや、仏さまの配慮かもしれない。しかし、世の中には、理不尽なことも多いが、すべてを仏さまのせいにしたのでは罰が当たる。最終的には、人間自身が自らの手で乗り越えなければならない現実がある。宗教講話みたいになったので、この話はここでおしまい。

昨日は午前中はトウモロコシ畑に予定している畑の縁から伸びだしている葛の蔓を、さっぱり散髪してやった。放っておくとじきに葉が展開する。そうなったら始末が大変だから、機先を制しておいた。午後からは農家組合長会議があったが、農業の現状を映し出していて、この上もなく熱のない会議。会議のための会議と言った態である。 今日は歯医者の予約日。麻酔をかけての歯石取り終了後、つい俺の口から洩れたのは、「もし、人生をやり直せるとしても、歯の手入れだけは、幼少時から、絶対に怠らないことにします」と言ったら、歯科助手は「ぜひそうしてくださいね」と約束を交わした。


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