ほぼ農的ブログ

趣味と若干の実益を兼ねた豆、芋、米づくりの農業風景を上えちごの限界集落から発信する予定でしたが・・

秋進む

まずは、13日の検診の結果について。判定は「セーフ」であった。
予後のチェックのため、退院後はツキイチで画像診断や血液(特に腫瘍マーカーの)検査を受けていたが、特に懸念される兆候もないことから、途中からは「二カ月ごとでいい」と言われたが、右胸や背中に痛みを感じることがあったため、小心者の私は「二カ月の間にステージが一挙に進んだらどうしよう」との不安から、主治医に願い出て,再びひと月ごとの検診に戻してもらっていた。しかし、13日の検診で「原発がんの右肺の空洞もだんだんと小さくなってきていること」「転移がんの左リンパ節にもそれらしい影が見当たらないこと」「腫瘍マーカーの数値も基準値以下で安定していること」と理由をあげて「次回からは3ヵ月ごとの検診でいいでしょう」と主治医から告げられた。状態が好転したというよりは「退院後の9カ月が比較的安定した経過をたどっているので、今後急激に悪化することはないだろう」との診たてによる措置のようだ。さらに主治医が言ったのは、今の状態は、安全圏に逃げ込んだというわけではありません。一応の目安としての5年を経過するまではあらゆる可能性を含む不安定な状態が続くと考えた方がいいです。肺がんの場合は5年を過ぎたからと言って安心はできませんが、まずは5年を目指しましょう」必ずしも安心のできる話が聴けたわけではないが、まずは、少しばかり前進したと考えてもいいようである。
再発にビクビクしながら生活するのもばかばかしいので、畑仕事ももう少し先を見据えた長期的な計画に基づいた作業もするつもりでいる。その第一弾として、きょうは少し遠回りの畑へのアプローチをショートカットするために土手に杭を打って階段をつくってみた。これで大幅に時間の節約ができる。10秒くらいだけどね。雪が降る前に、畑での冬越え野菜のソラマメやエンドウ豆、イチゴの定植をしなければなりません。豆類とイチゴは今年の作はほぼ全滅状態だったので、捲土重来を期して、気合を入れて植えよう。獲れたてのソラマメのほくほく感は、なんとも魅力的で、牛乳とともに一気に胃へ流し込むんだぞ。どうだ、美味そうだろう。体力もつけなければね。ナイスデイ




居間の西方の窓越しに見える景色。この岬(鳥が首岬)を回った向こう側で事件が起きた。子供のころからのころから「海岸に漂着した不審物には手を触れるな」と言われ続けていた。
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私が生まれる2年前の出来事であるから、まだサンフランシスコ条約が結ばれていない時代で、リアルタイムではこの事件を知らないが、今ならこんなに犠牲者は出なかっただろうに。P1000290続きを読む

家にいて、猫とじゃれあっているだけなら、季節を感じることもないが、野や山へ出かけると、ここかしこ、どこを眺めてみても、秋が転がっている。野山は新緑の季節も好いが、風情とともに実りの多い秋はなおさら好い。

マリ
ブロッコリー

「出されたものは食べ残すことなく、すべて食べつくす」がわたしの食卓心得の第一条であったが、その禁を破り、大量に食い残したのが、「安い時期に大量に買い入れて冷凍保存している」との噂があり、ほぼ毎日院食に添えられていた無味の茹でブロッコリーである。生まれながらにして性の合わなかったブロッコリーであるうえに、抗がん剤で食欲が失せていた私にとっては、トラウマにもなりかねないほどの強烈なブロッコリー体験であったため、許されるものなら、退院後はブロッコリーとの関わりを断って余生を送りたい、と願っていたが、しかし、「選り好みせずまんべんなく野菜をつくるべし」を野菜づくり心得の第一条としていたので、つくるだけなら問題ないだろうと、収穫しても「食うもんか」と思いつつキャベツの横の畝にブロッコリーを10株植えた。ところが運の悪いことに、ものの本によれば、ブロッコリーは免疫力を上げる食材として第一に挙げられているから、収穫してくれば、当然のごとく食卓に上り、相方から「食べろ、食べろ」と強要される。しょうがないからわたしは目をつぶって無理やり胃へ送り込むことになる。ところがどうだ。「収穫の適期を過ぎて花蕾が黄変し始めている虫食いだらけの」のブロッコリーが、意外と食えるのである。否、うまいのである。かと言って、念のために申し添えれば、我が家のシェフが手の込んだ極上の料理を提供してくれたわけではなく、院とおなじく「ゆでて食いやすい大きさに切り分けてドレッシングをかけた」だけのブロッコリーであるから、これはひとえに、謙遜気味に言っても、食材の勝利である、と言わなければならない。見てくれはともかくわたしの野菜はなんだかんだいっても、うまいのである。さあ、うなずけ、マリモ。
今度の月曜日は8回目の検診の結果が出るだ。何事もなく通過したい関門である。まだソラマメを植えなきゃならないしね。続きを読む

里芋の誕生日

里芋の誕生日は10月15日だ。畑友のクボタのおばあさんが教えてくれた。「芋は誕生日に掘りり上げなければならない」のだそうだ。「なぜ?」と聞いたら「昔からそう決まっている。早すぎても遅すぎてもだめだよ」と答えてくれたが、そう言う本人は誕生日前に芋を掘ったようで「大豊作だったよ」とのたまう。
誕生日が近づいてきたので、わたしも里芋を一株だけ試し掘りをすることにした。仕事が間に合わず、この辺の平均植え付け日よりだいぶ遅い植え付けだったせいもあり、作柄がパッとしない。芋が小さく、数も少ない。残りの芋はもう少し時間を置いてから掘ることにしよう。期待していた虎豆、大豆がツルボケで全滅状態のうえに、小豆は植え付けが遅すぎて、今頃になってやっと鞘が付き始めているが、実が成熟することはないだろう。ダメだな,これも。サツマイモ、秋作の葉物類もいまいちだが、これから少しは挽回できるのか。ダイコン、野沢菜、ホウレンソウくらいは良い作になってほしいな。わたしは今、
今年の不作を踏まえ、来春の作付けの作戦を練っている。まずはそれぞれの野菜の植える畑を変えてみよう。お陰様で、畑はタップリあるのだから。来春用に燻炭づくりも始めた。
わが集落が正式に限界集落に認定されたようだ。65歳以上が集落人口の半分を超えると認定されるのだ。集落は私の住む浜通りが8所帯、町内会館や田畑が集中している山間の地が13所帯の計21所帯である。総人口は50人に満たないくらいだが、9月14日に84歳のホソカワのおばあさんが亡くなった。畑への行きかえりや移動にはセニアカーに乗っていて、私の姿を見つけると「おとうさん、キュウリはあるかね。ナスはあるかね」と声をかけてくれ、無いと答えると軽トラの荷台に野菜をを投げ入れてくれたものだ。一人亡くなるだけでも集落の人口が2%以上減る。そして、ひと月後の10月14日にミヤザキのおとうさんが亡くなった。61歳である。わたしより5歳若い。田植えの終わった昨年の6月にミヤザキさんは肺がんの宣告を受け、半年後の12月に、私が種類の違う肺がんの宣告を受けた。一時的に同じ病院でいっしょに抗がん剤治療を受けたこともあったが、わたしより抗がん剤の副作用が少なく、しかも早々退院して、仕事に復帰していった。ちょうどそのころ、抗がん剤の副作用でのたうち回っていたわたしは「退院できていいなあ。しかも仕事に復帰できるのか」と羨ましく思ったものである。後を追ってわたしが退院した直後の5月ごろ、田んぼで代掻きをしているミヤザキさんを見つけ、わたしの退院の報告をしたとき、疲れた様子も見せていたが、表情は明るかった。「おたがいしぶとく生き抜こう」とエールの交換をしたが、稲刈り時には、田んぼで姿を見ることがなかったので、心配していた矢先の訃報であった。今日の葬儀では、棺に向かって「俺はもう少ししぶとく生き抜くから、今度会えるのはだいぶ先になりそうだ」とぼんやりと思いつつ合掌した。このひと月でわが集落の人口が4%以上減ってしまった。燻炭里芋里芋

もうじき10カ月

きょう10月2日、ひと月ぶりの診察があった。主治医からは2か月ごとの検診でいいといわれていたが、私の胆力では、2か月もの間、要らぬ心配をしながら健やかに過ごすことなどできず「以前のようにひと月ごとの検診にしてほしい」といってあった。芋や豆の作を心配しながら身体のことをも心配するのは大変なんである。結果はセーフ。がんは「治る」という概念がないから、再発がなければ「セーフ」ということになる。それも腫瘍マーカーと画像だけの判断だから「多分はセーフだと思いますよ」という程度のものであるが、退院してから7カ月目の検診も主治医の診断は「多分はセーフだと思いますよ」であった。
そもそも
「肺がんの中でも扁平上皮癌は抗がん剤が効きにくい」と言われているし、手術が出来なくて、抗がん剤だけがんが消えてしまう(あくまでも画像上だけの話だが)例はあまりないはずであるから「セーフ」「セーフ」の今の状態がわたしは信用できない。主治医にこの疑問をぶつけてみた。「がんにもいろいろの例があって、これもその例の一つです」と言われたが、わしにはいまいちよく解らんが、まあ、いいか。これからの生活も「好きなことをおおいにやってください。何かやってましたよね」と聞いてきたので「畑仕事」と答えておいた。昨年の12月8日にステージⅢBの評価を受け、5年生存率20パーセントのデータのなか、ともかく10カ月生き延びて、荒れ地の石拾いをしている今を素直に喜びたい。
前回のエントリーでも書いたが、明治の時代に行ったきりで、ほぼ100年ぶりの旅に箱根まで出かけてきた。歌会が目的である。上越からの仲間が何人かいたのであるが、交通ルートの違いで,結局は一人旅になってしまった。看板を見て、パンフレットで調べて、人に訊いて、迷子にもならず、心細いままにやっとの思いで帰郷できた。100年ぶりの旅とは言えど、何人も見かけた外国人がスイスイと電車を乗り継いで、異国の地を旅している姿を見るにつけ、日本人の俺が何たることかと、へこんでおりまする。
 

 





ヤッホー


ばあ様(母)を起点に家族全員風邪をひいちまった。大トリを務めた私が貧乏くじを引き、一番の長患いになってしまい、医師の「薬は出すが、ひたすらに養生せよ」の命に従い、さらには、風邪の前後に、葬式(東京)や歌会(なんと箱根で)があったため、日常業務(野良作業)ができず、本日ほぼ10日ぶりに畑へ出勤して,白菜、キャベツ、大根のご機嫌を伺ってきた。キャベツ、白菜、レタスは
まるまると肥え、防虫ネットからはみ出しそう。とは言え、収穫にはまだ早い。芽だし菜が込み入っている大根や直播きの白菜も間引きしなければならないが、ここのところ、食卓はすぐり菜前線が停滞していて、今日も昨日も一昨日も一昨昨日も、一昨昨昨昨日も、菜っ葉、菜っ葉の日々が続き、菜っ葉を家へ持ってかえっても、シェフからは嬉しい顔をされない。
遠路はるばる出かけた箱根で歌会に提出した歌は
くちびるに艶やかなれと紅をひき案山子一体野畔にたてる


そして、久し振りの畑への出勤であっても、ヤッパリ石が気になって、無意識に拾い始める。まずは一個二個と始めた石拾いも、あと一個、もう一個と、惰性が惰性を呼び、ついには惰性の快感にひれ伏してしまい、あっという間にかごに1杯2杯の石ころのコレクションとなる。「そんなことやっている場合かよ」チャリを入れるもう一人の私もいるにはいるが、イチゴの子株獲りやとう菜の播種、夏作の跡かたずけなど、やるべきことは山ほどあるのについ石拾い遊びに興じてしまう。優先順位の判断ができないわたしはおバカなんですね。
私と同性同姓で草刈り機も耕耘機も完璧に使いこなす八十半ばの畑友イタガキさんが骨折で畑を休んでいて、広い里山で、野畔にぽつねんと立つ、ちょっとくたびれかけている艶っぽい案山子とふたりだけは、ちょっと寂しい。
もともとは風邪を引きにくい体質のはずで、半生の風邪歴をすべて思い出せるくらいである。風邪で仕事や学校を休んだことがないはずである。やっぱり免疫力が低下しているのだろうな。それはそうとと、10月2日にひと月ぶりの検査結果が出る。総じていえば、風邪はともかく、体調は悪くない。結果が出たら、お知らせします。


我は今ステージ三の途上にて迷いの果てに軽トラを買う大根大根
石軽トラ
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