ほぼ農的ブログ

趣味と若干の実益を兼ねた豆、芋、米づくりの農業風景を上えちごの限界集落から発信する予定でしたが・・

マリモ代筆

PC
😸このまま父さん任せにしていると、ブログの更新がいつになるか分からないので、父さんがその気になるまで、あたしがブログを書くことにした。あたしはマリモ、年齢不詳、ただいま風邪気味のメス猫である。日ごろから口うるさい母さんは、ブログなんかろくに読んでもいないのに、「短くてもいいから何か書いたら」と父さんにハッパをかけているのだけれど、なんだかんだと言い訳ばっかの父さんは、いっこうにパソコンに向かおうとしない。いや、パソコンに向かうのはちゃんと向かうのだけれど、最後まで記事を書き上げる根気、集中力がなく、途中で投げ出して「井上ひさしだって遅筆だったんだぜ」とエラそーに言い、さらに、「俺は今活性がさがっているから、生きているだけで精いっぱいなんだ」と訳の判らぬことを言う。年明けのころから右胸や背中の痛みが強くなってきて「痛い、痛い」を連発して、病院からもらった痛み止めを常用するようになり、「再発だ!再発だ!」と騒いでも、母さんはちっとも取り合わないし、寝込むほどにQOLが下がったわけでもなく、あたしには、単なる無気力病にしか見えず、そもそもが無趣味な父さんは、畑仕事のできないこの時季はなんにもやることがなく、「食う寝る」だけの生活で、世の中のためになることや、生産的なことは何もせず、無駄に基礎代謝をするだけで、これを称して父さんは「活性が下がった」といっているのだ。川
とはいっても、終日トローンと死んだ目つきで過ごしているのも事実で、あたしの目からも、「活性下がり」は重症のようにも見える。本当にじきに死ぬのかもしれないな、と思ったところに、一月半ばにドカ雪。さすがの父さんも必死の除雪。雪に埋もれている買って早々にドアをへこましてしまった軽トラの救出に汗を流す。家の前だって大変だ。ばあちゃんのデイホームのお迎えの車のスペースを確保せねばならぬ。うつろな目つきも一挙に吊り上がり、「俺、肺病やみだからすぐに息切れがするんだよな」と言っても、誰も聞いてくれないから、仕方なしに川までエッチラオッチラと排雪作業。鮭の上る川も雪で埋もれた。あたしは出窓で高みの見物。
ホットミルクで一息入れた父さんは、「俺、活性上がったかも」と「活性上がり宣言」だ。そして何を想ったか父さんは「俺、週末に東京へ行って、青春の軌跡をなぞってくる。二泊三日だ」と突然言い出し、箱根から一人で帰ってきたことに自信を持ったようで「東京なんてスイスイさ」と、頻尿の薬を携えて、カッコよく出掛けて行った。(この項つづく)・・とここまではひと月前の話。話が長くなりそうなので、ここで時系列をひっくり返す。
😸2月19日、三カ月ぶりの診断日、前日から父さんは「6:4でクロだね。もしシロと言われても、俺は医者を信用しない。」と盛んに言って予防線を張っている。雪がひと段落したとたんに「ちょっと活性が落ち気味」だと言っていた父さんも、女子500Mの小平選手の優勝に大騒ぎ、高揚の気分を引きずって父さんと母さんが上越病院へこの間の検査の結果を聞きに出かけて行った。
雪の軽トラ
😸病院から帰ってきた父さんは診断の結果を友達に知らせたり、この間東京へ行ったとき姪のお誕生会に飛び入り参加して世話になった妹に「俺は医者を信用してないんだけど、シロだってよ。そんなはずないのだけどな。マーカーも画像も問題ないってよ」と報告していた。久し振りなんだから、隠れていないで父さんもひとこと位言ったらどうよ。
ご無沙汰すまぬ。

がん宣告記念日

明日は私の「がん宣告記念日」です。早いもので、がんの宣告を受けてから1年が経ちましたが、正直に言えば、「5年生存率20%」といわれている「ステージⅢB」の診断が下された時点で、ほぼ年単位で生きつづけることはあきらめたのですが、私が思うより人間の身体はしぶとい。1年たった今も、普通に畑仕事なんかをしながら、ちゃんと生きています。儲けものです。
がんに病み己が身体の危うさと強さ脆さと不可思議を識る
次の検診日、2月19日まであと約2カ月ありますが、その間何事もないことを願っています。
それにしても、甘やかすと際限のない食欲が、今の私の最強の敵です。
レジ横の豆大福とあんまんと栗まんじゅうとああ!ようかんも

秋湿りを嘆いているうちに、季節は移ろい、雪がちらつき、
畑はうっすらと雪化粧。いよいよ畑仕舞いの季節がやってきました。やり残しの仕事もあるにはあるが、雪には適わぬから、じたばたせずに鍬も仕舞うことにします。最後の仕事として、タクアン用の大根を収穫して干しました。雪干し大根
門徒ではありますが、クリスマス間に合うように漬け込むつもりです。クリスマスケーキにはタクアンが良く似合います。
そういえば3年ほど前にこんな歌を詠みました。

初出しの沢庵食めば豊穣に小糠のかほる聖夜の宴
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秋進む

まずは、13日の検診の結果について。判定は「セーフ」であった。
予後のチェックのため、退院後はツキイチで画像診断や血液(特に腫瘍マーカーの)検査を受けていたが、特に懸念される兆候もないことから、途中からは「二カ月ごとでいい」と言われたが、右胸や背中に痛みを感じることがあったため、小心者の私は「二カ月の間にステージが一挙に進んだらどうしよう」との不安から、主治医に願い出て,再びひと月ごとの検診に戻してもらっていた。しかし、13日の検診で「原発がんの右肺の空洞もだんだんと小さくなってきていること」「転移がんの左リンパ節にもそれらしい影が見当たらないこと」「腫瘍マーカーの数値も基準値以下で安定していること」と理由をあげて「次回からは3ヵ月ごとの検診でいいでしょう」と主治医から告げられた。状態が好転したというよりは「退院後の9カ月が比較的安定した経過をたどっているので、今後急激に悪化することはないだろう」との診たてによる措置のようだ。さらに主治医が言ったのは、今の状態は、安全圏に逃げ込んだというわけではありません。一応の目安としての5年を経過するまではあらゆる可能性を含む不安定な状態が続くと考えた方がいいです。肺がんの場合は5年を過ぎたからと言って安心はできませんが、まずは5年を目指しましょう」必ずしも安心のできる話が聴けたわけではないが、まずは、少しばかり前進したと考えてもいいようである。
再発にビクビクしながら生活するのもばかばかしいので、畑仕事ももう少し先を見据えた長期的な計画に基づいた作業もするつもりでいる。その第一弾として、きょうは少し遠回りの畑へのアプローチをショートカットするために土手に杭を打って階段をつくってみた。これで大幅に時間の節約ができる。10秒くらいだけどね。雪が降る前に、畑での冬越え野菜のソラマメやエンドウ豆、イチゴの定植をしなければなりません。豆類とイチゴは今年の作はほぼ全滅状態だったので、捲土重来を期して、気合を入れて植えよう。獲れたてのソラマメのほくほく感は、なんとも魅力的で、牛乳とともに一気に胃へ流し込むんだぞ。どうだ、美味そうだろう。体力もつけなければね。ナイスデイ




居間の西方の窓越しに見える景色。この岬(鳥が首岬)を回った向こう側で事件が起きた。子供のころからのころから「海岸に漂着した不審物には手を触れるな」と言われ続けていた。
P1000671-001
私が生まれる2年前の出来事であるから、まだサンフランシスコ条約が結ばれていない時代で、リアルタイムではこの事件を知らないが、今ならこんなに犠牲者は出なかっただろうに。P1000290続きを読む

家にいて、猫とじゃれあっているだけなら、季節を感じることもないが、野や山へ出かけると、ここかしこ、どこを眺めてみても、秋が転がっている。野山は新緑の季節も好いが、風情とともに実りの多い秋はなおさら好い。

マリ
ブロッコリー

「出されたものは食べ残すことなく、すべて食べつくす」がわたしの食卓心得の第一条であったが、その禁を破り、大量に食い残したのが、「安い時期に大量に買い入れて冷凍保存している」との噂があり、ほぼ毎日院食に添えられていた無味の茹でブロッコリーである。生まれながらにして性の合わなかったブロッコリーであるうえに、抗がん剤で食欲が失せていた私にとっては、トラウマにもなりかねないほどの強烈なブロッコリー体験であったため、許されるものなら、退院後はブロッコリーとの関わりを断って余生を送りたい、と願っていたが、しかし、「選り好みせずまんべんなく野菜をつくるべし」を野菜づくり心得の第一条としていたので、つくるだけなら問題ないだろうと、収穫しても「食うもんか」と思いつつキャベツの横の畝にブロッコリーを10株植えた。ところが運の悪いことに、ものの本によれば、ブロッコリーは免疫力を上げる食材として第一に挙げられているから、収穫してくれば、当然のごとく食卓に上り、相方から「食べろ、食べろ」と強要される。しょうがないからわたしは目をつぶって無理やり胃へ送り込むことになる。ところがどうだ。「収穫の適期を過ぎて花蕾が黄変し始めている虫食いだらけの」のブロッコリーが、意外と食えるのである。否、うまいのである。かと言って、念のために申し添えれば、我が家のシェフが手の込んだ極上の料理を提供してくれたわけではなく、院とおなじく「ゆでて食いやすい大きさに切り分けてドレッシングをかけた」だけのブロッコリーであるから、これはひとえに、謙遜気味に言っても、食材の勝利である、と言わなければならない。見てくれはともかくわたしの野菜はなんだかんだいっても、うまいのである。さあ、うなずけ、マリモ。
今度の月曜日は8回目の検診の結果が出るだ。何事もなく通過したい関門である。まだソラマメを植えなきゃならないしね。続きを読む

里芋の誕生日

里芋の誕生日は10月15日だ。畑友のクボタのおばあさんが教えてくれた。「芋は誕生日に掘りり上げなければならない」のだそうだ。「なぜ?」と聞いたら「昔からそう決まっている。早すぎても遅すぎてもだめだよ」と答えてくれたが、そう言う本人は誕生日前に芋を掘ったようで「大豊作だったよ」とのたまう。
誕生日が近づいてきたので、わたしも里芋を一株だけ試し掘りをすることにした。仕事が間に合わず、この辺の平均植え付け日よりだいぶ遅い植え付けだったせいもあり、作柄がパッとしない。芋が小さく、数も少ない。残りの芋はもう少し時間を置いてから掘ることにしよう。期待していた虎豆、大豆がツルボケで全滅状態のうえに、小豆は植え付けが遅すぎて、今頃になってやっと鞘が付き始めているが、実が成熟することはないだろう。ダメだな,これも。サツマイモ、秋作の葉物類もいまいちだが、これから少しは挽回できるのか。ダイコン、野沢菜、ホウレンソウくらいは良い作になってほしいな。わたしは今、
今年の不作を踏まえ、来春の作付けの作戦を練っている。まずはそれぞれの野菜の植える畑を変えてみよう。お陰様で、畑はタップリあるのだから。来春用に燻炭づくりも始めた。
わが集落が正式に限界集落に認定されたようだ。65歳以上が集落人口の半分を超えると認定されるのだ。集落は私の住む浜通りが8所帯、町内会館や田畑が集中している山間の地が13所帯の計21所帯である。総人口は50人に満たないくらいだが、9月14日に84歳のホソカワのおばあさんが亡くなった。畑への行きかえりや移動にはセニアカーに乗っていて、私の姿を見つけると「おとうさん、キュウリはあるかね。ナスはあるかね」と声をかけてくれ、無いと答えると軽トラの荷台に野菜をを投げ入れてくれたものだ。一人亡くなるだけでも集落の人口が2%以上減る。そして、ひと月後の10月14日にミヤザキのおとうさんが亡くなった。61歳である。わたしより5歳若い。田植えの終わった昨年の6月にミヤザキさんは肺がんの宣告を受け、半年後の12月に、私が種類の違う肺がんの宣告を受けた。一時的に同じ病院でいっしょに抗がん剤治療を受けたこともあったが、わたしより抗がん剤の副作用が少なく、しかも早々退院して、仕事に復帰していった。ちょうどそのころ、抗がん剤の副作用でのたうち回っていたわたしは「退院できていいなあ。しかも仕事に復帰できるのか」と羨ましく思ったものである。後を追ってわたしが退院した直後の5月ごろ、田んぼで代掻きをしているミヤザキさんを見つけ、わたしの退院の報告をしたとき、疲れた様子も見せていたが、表情は明るかった。「おたがいしぶとく生き抜こう」とエールの交換をしたが、稲刈り時には、田んぼで姿を見ることがなかったので、心配していた矢先の訃報であった。今日の葬儀では、棺に向かって「俺はもう少ししぶとく生き抜くから、今度会えるのはだいぶ先になりそうだ」とぼんやりと思いつつ合掌した。このひと月でわが集落の人口が4%以上減ってしまった。燻炭里芋里芋
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