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「まだ半分あるぞ」
これは50%という意味だけではない。
30%、1%でも半分である。
いくつになっても、いつでも、どこでも「まだ半分あるぞ」なのである。
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DISCONT。
今年もこれでゆこう。
元気いっぱいになる思想である。

 <図3>は、名護市を中心に描かれた魚眼マップである。
この地図を見わたすと、海は広い広い自由空間。
「海辺のとらや」は、まだまだ無限にありそうだ。
それぞれの海辺のとらやで正月を祝っていることだろう。 
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大切なのは空間である。
空っぽの空気の部分である。
空間で営まれる行為、暮らしが千変万化しているのだ。
建築物が有機的なのではない。空間が有機的なのだ。
良い建築は有機を誘発する。

建築家(と呼ばれる人々)は実体、建築物、不動産 を考え、描くことに熱中し、
姿形がどうの、柱があるかないかなどにうつつを抜かしている。

線は空間と物との境界を示す。
建築では、建物の内と外との境界を示すことが多い。
線一本の性質をよく考えて描くこと。
沖縄の基地のフェンスをどう描くか?
見える境界はまだよい。
国境、村境などは勝手に地図上に描かれているが、実際にはない。
だが、一歩間違えると銃弾が飛んでくる。

人体では、内外の境界は皮膚である。
吉阪が「胃の中は外か内か」と 問うたことがあった。
確かに外の空気は、消化器系では口から入り、胃腸を抜けて肛門から外に出る。 
トポロジーの世界だ。
ドーナツあるいは浮き輪(トーラス)の表面に穴を開けてひっくり返すと、またドーナツになる。
どこまでが内で、どこからが外か。
人体をひっくり返すとどうなるのだろう、
少しはマシな人間になれるのか。

有形学世界へようこそ。

半外部。
日本の軒下、濡れ縁、ヨーロッパのコロネード。
外でも内でもない、外でも内でもある空間。
一本の線では描けない空間のグラデイション。
白から黒への墨絵のように。
今の世の中では最も大切な空間だ。
一枚のガラス壁で外を遮断するのをやめよ。

「海辺のとらや」の理想の空間では、領域は確定されていない。
空間は日々刻々、収縮、膨張をくりかえす。


吉阪は新宿百人町にバラックを建てる。

バラックは皮膚の感覚、感触を持つ。
清々しく、時には生めかしい。
そこにある材、あり合わせの素材で最小限の空間をつくりあげる。
しわ、しみ、割れ目、板のゆがみ等、人体と同じように複雑である。

バラックは究極の建築だ。

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<図4>は「バラック装飾社」「考現学」の今和次郎のスケッチ。
<図5>は吉阪本人のスケッチ。
共に、バラックを愛してやまない線に満ち溢れている。 
p88バラック
吉阪は1955年、同じ土地に自宅「ある住居」を建てる。
コンクリートバラックの名作である。
一階はピロティにより開放する。

「大地は万人のものだ」

二階居間は親しい人たちにどうぞ。
当時、屋上からは隅田川の花火を楽しめた。

二つのバラックは街中で、海辺にはない。
まあ、目を閉じて海を想像することだ。

ついでに吉阪は登山家。
山好きで、海は好きではなかった。
Sketch

今年は再度、バラックに立ち返ることから始めよう。
超高層 、国立競技場など、知恵も工夫も新技術もない巨大な粗大ゴミをつくるなんて愚の骨頂だ。
権力の犬のやることだ。


正月も、過剰、誇大妄想、大常識に決まっている。

皆様 明けましておめでとう 

幸せになるんだよ