2008年12月06日

そろそろ漫画とアニメは切り離して欲しい  

 「ジャンプでヒット作を狙う」と言っている以上完全否定するわけではないが、『バクマン。』のサイコーとシュージンの目指すことの一つで連載第一回目から違和感を感じているのが「アニメ化」て目標。「ジャンプでの成功」の明確な形の一つでもあるし、声優を目指す亜豆との接点を生むためにも必要な要素であることはわかってるにしても、それでも「漫画とアニメは別もの」だと強く思うぼくからするとサイコーとシュージンは純然たる(大げさ)「漫画家」を目指しているとは思えないのだ。
 勿論、ジャンプに限らず、これまでヒットした漫画の殆どがアニメ化されているかも知れない。CG、SFX、VFXなどの技術が向上し、アニメだけでなく実写ドラマや映画やゲームなどにもメディア展開されて来た。相乗効果で原作である漫画の知名度や人気が更に上がることもあっただろう。だから一概に否定出来るものでもないし、他メディア化と言うのはそれぞれの表現において相互に影響を与え合い発展もすると言うメリットも十分にあっただろう。しかし、「漫画」と言う形態そのものに絶大な魅力を感じるぼくとしては、ヒット=アニメ化などと言う構造に「作品としての発展」を安直に感じることは出来ない。

 アニメ化の際に期待すべきことは、「漫画のイメージをアニメで再現する」などでは決してなく、「あくまでも原作漫画をモチーフとした結果どんなアニメが仕上がるか未知数で、面白いかどうかは結果を観なければわからない」程度に留まる。声優やその他関係するスタッフや制作会社に詳しいものならば、ある程度功績を踏まえた期待もするかも知れないし実際その期待に応える成果が出ているかも知れない。けれど、「動き」や「音」や「間」を読者ひとりひとりの個性的な想像力で楽しめるのが漫画であるのに対し、アニメを作った人間達の個性的な想像力の結集で唯一の結果でしか「動き」「音」「間」を再現出来ないのがアニメである(ま、リメイクとかは置いといて)。それ以前に作画も違うし構図も違う、場合によってはストーリーまで変わる点で、原作者の表現とは異なってくる。それに加え、原作者が読者の想像に委ねていた部分すらも別の人間の手が加えられてしまっては、ますます別ものでしかなくなって来る。
 と言ってもアニメそのものを真っ向から否定したいわけでもない。たとえば「原作者や読者がイメージしていたであろう」表現をアニメ独特の表現で再現された場合、または「漫画読んでてもアニメ版の声優の声で脳内再現してしまう」程の強烈な印象を刷り込ませた場合、その結果を称える原作者や読者もいるだろう。アニメはアニメで工夫や努力をしている。原作つきアニメに関わる人間だって、原作つきかアニメオリジナルかの選択が容易な立場ばかりでもなく、原作ありなし無関係に目の前の仕事に従事している。単純にコスト削減と言うのもあるだろう。更には、読者のみならず原作者や漫画出版社の希望に沿うことだってあるんじゃないかとも思う(他メディア展開全てにおいてもね)。

 ただ、いろいろ事情や需要があるにせよ、それでもやっぱり漫画家には、漫画を書いているときだけは漫画表現だけに集中を向けていて欲しいと願う。「これがアニメになったら面白いだろう」「これはあの声優に演じて欲しい」と言うのは二の次であって欲しい。そのようなことを考えたとしても、漫画単体で読む読者のことを忘れては欲しくない。
 手元に該当の雑誌がないのでうろ覚えで申し訳ないが、コミッカーズ1998年4月号での安野モヨコインタビューで『ハッピーマニア』のドラマ化に対し「できるもんならやってみろ」的は発言をしていたと思う。「尿!」とかどう再現出来るんだよとか、そんな感じだった気がする。
 『べしゃり暮らし』6巻では、カバー折り返しでの森田まさのりのコメントが興味深い。『ROOKIES』のドラマ版への「感謝」、そして「漫画」には出来ない表現への「嫉妬」だ。「嫉妬」の中には音楽も含まれる。音楽を題材にする漫画は数あるが、果たして漫画表現で「音」がどれだけ伝わるものだろうか(作者や読者の技量にも大きく左右されるが)。だがしかし、森田まさのりは最後に「でも同じくらい、いやそれ以上に漫画は漫画でしか表現できないものがあるんですけどね。負けないように頑張ろうと思います」と締め括る。とても大切で、当たり前のことでもある。
 そして今回この記事を書くきっかけになったのがあずまきよひこ.com: ENTRY [よつばとアニメ]なのだが、「アニメ化しないのかを説明するっていうのは」と躊躇うのが、「漫画家」としては至極当然の反応だ。本来ならする必要もないくらいの当然の理由(の中でも僅かな部分だろう)も述べてある。森田まさのりと同じようにメディア別得手不得手を指摘しつつ「漫画をそのままやっても「よつばと!」になりません」と、安直なアニメ化を牽制している。アニメ化する側だって「そのままやってる」なんて言葉でも語られたくないかも知れない。それくらい、作品に対しての愛情と覚悟を試されるのが、他メディア化なのではないかと思う。あとは「漫画はまんがだよ?途中じゃないよ?」も心に留めておきたい一言。一時的な売り上げ向上を狙う為か、完結してもいない=作品としての完全な評価が出来ない漫画を、いとも容易く他メディア化してしまう。更には、テレビなり映画なりの「尺」に沿って話を編集し(改竄に近いこともある)オチを沿えて終わらせる。料理中なのに、別の料理人が途中で交代して、勝手に完成させてしまうようなもんだろう。あまりにもばかばかしいことが平然と行われていると感じる(映画『デトロイト・メタル・シティ』のように「映画としてのエンタテイメント性」を踏まえながら「敢えて原作とは違う別解を出した」好例もある)。物語と言うのは完結してこそ物語たりえるし、それが最初から最後まで作者の意図に沿わなければやはり別ものになってしまうだろう。※追記参照↓

 2008年12月時点において、「他メディア化されていない+他メディア化して欲しくない+漫画そのものだけで十分」なぼくの好きな「漫画」は、『神戸在住』、『SKET DANCE』、『へうげもの』、『べしゃり暮らし』、『よつばと!』、『レベルE』、『鈴木先生』あたり。「他メディア化される程人気がない」かどうかはともかくね。たとえそうでも、最近は猫も杓子も漫画が使われまくっているからなあ。ここでは主に漫画→アニメ化について書いて来たけど、ぶっちゃけ今は「実写ドラマ/映画化」の方が増えて来ている印象があるね。先に述べた映像技術の進化で「漫画」ならではの表現すら「実写」が可能にして来ている面もあれば、対象層を同一に括られ易い「アニメ&漫画」に負けじ劣らず、「実写ドラマ/映画」と「漫画」とに対象層の差が減って来たてのも理由ではあるんだろうが。

 冒頭の『バクマン。』に戻るが、「アニメ化」の一点に関しては、新妻エイジに大いに期待している。彼は「嫌いなマンガを一つ終わらせる権限が欲しい」などと発言するが、単に「自信家」「自己中」「横暴」な性格を現していると言うよりは、漫画を愛するが余り「(彼が思う)つまらない漫画が掲載されている事実を許せない」のであろう。そこまで「漫画」に執着出来る彼が、果たして「アニメ化」などを想定するだろうか? いや、もしかしたら「面白い漫画を書けばアニメ化されることだってあり得る」と思っているかも知れないが、それは自分が漫画を書き続けることに対しさして意味のあるものだと感じていないのではないだろうか。
 あくまで想像によるところが多いが、サイコー&シュージンとの比較として、期待したい予想ではある。今はまだ「勝負にもなっていない」両者であるが、その内連載作家同士として争う未来があるだろう。そんな時、「アニメ化」などと余計なことを考えてながら「打倒新妻エイジ」を、ましてや「日本一」などを目指せるだろうか?

 余談1:まあ「日本一」をどう定義するかでもまた違ってくる話ではあるんだが。新妻エイジはそんなことすら考えていない気もする。お金を稼ぐことも人気作を生み出すことも副次的なことでしかなく、「書きたい漫画を書きまくる」行為のみで満たされているとも見えるからだ。まさに「天才型」で、「変人」。「分析型」で「一般常識人」が同じ土俵で「勝負」を挑めるかどうか、前提すら危うい。

 余談2:漫画から他メディア化についてばかり語ってるが、どのメディアからどのメディアになる場合も全部同じように考えてます。

(追記)
 ※下線部分は、コメント欄でのご指摘の通り誤読しておりました。「まんがだよ」と「途中じゃないよ」の繋がりに違和感を覚えていたのですが、単にぼくが読み取れていなかっただけですね…。申し訳ありません。ただ、「完結していない作品が他メディア化されてしまう」ことに対する意見としては書いておきたいことでもあったので、そのままにしておきます。

コメント
ああ、なるほど。
バクマンに感じてた違和感の一つが解決した気がする。感謝。
天才型じゃなく計算型を主人公にしてるのがバクマンの最大のオリジナリティだと思うので、彼らの目標がアニメ化(しかも女のため)っていうのはピッタリの設定だと思います。
まあ純然たる漫画家を目指してないという事でしょうね・・・

簡単に王道に転換したことからも、二人はプライドなんて持ってないのでは。
何が何でも売れることを第一に考える主人公、という事なら、
その目標は何らおかしくないかと。

少なくともそれが邪道である事は作者側は理解して描いているように見えます。
そう考えると、この漫画の連載に踏み切ったジャンプ編集部の思惑が透けて見えるような気も。
アニメ化を目指して漫画を…という、漫画を「手段」にしている現状は、そのまま「そういう甘い夢を見て漫画家になろうとしている輩が後を絶たない現実」の皮肉だと思います。ジャンプで連載して一山当てようという。

ただ、それで終らせないで、漫画を手段でなく「目標」にする、アニメ化や日本一になることより、漫画をただ描く…漫画家としての誇りに気づく転機が訪れるか否かで、この漫画の最終的な評価は決定すると思います。
>「漫画はまんがだよ?途中じゃないよ?」も心に留めておきたい一言。一時的な売り上げ向上を狙う為か、完結してもいない=作品としての完全な評価が出来ない漫画を、いとも容易く他メディア化してしまう。更には、テレビなり映画なりの「尺」に沿って話を編集し(改竄に近いこともある)オチを沿えて終わらせる。料理中なのに、別の料理人が途中で交代して、勝手に完成させてしまうようなもんだろう。

途中じゃないよ?ってそういう意味ではなくて、
「アニメを作る作業工程の一工程として漫画があるんじゃないよ」って意味だと思うけど。
アニメ化しそうもない漫画を応援してる俺カッコイイ、ですね。
コメントありがとうございます!

>空白さん
ぼくは『バクマン。』自体に違和感を覚えたと言うよりは、単純にサイコーやシュージンの現状の思いに、ですね。

>空白さん
最大かどうかはわからないんですが、オリジナリティであり必要な設定である、と言うことについてはわかってるつもりです。物語上必要な機能ですからね。

>口さん
ときどき、純然たる漫画家を目指しているような発言もあるんですが、あくまでも心意気で、言葉の意味をじっくり考えてるふうではないんですよね。それでも、彼らなりに出来うる最大限の邁進をしていることは伝わるので、現状での不足を感じる前にエイジの存在に着目してしまいますね今は。
編集部の思惑はまだちょっとわかんないなあ。と言うかいつも最初から最後までわからないです、ぼくは。どこまで考えてヒットさせてるのかとか。どうにもヒットしそうにない作品が連載してすぐ終わっちゃうこともあるし…。

>空白さん
なるほど。結構アニメ化と言う夢を思う漫画家志望者はいるということでしょうか。まあいても別に良いとは思いますが、どっちかと言うと『バクマン。』を物語として読んでるぼくとしては、存在をあまり感じない「輩」に対しての皮肉より、エイジとの関係性とかのほうが気になっちゃいますね。
「誇りに気づく転機が訪れるか否か」など、まだまだ『バクマン。』の最終的な評価に繋がる未知要素は多いですね。この記事もあくまで現在での素人ツッコミなので、あっさり覆してくれるような展開をまだまだ期待しています。

>空白さん
おお、本当ですね…。お恥ずかしい、全くもってその通りですね。ご指摘ありがとうございます。本文中に反映させて頂きますね。

>空白さん
そういう話ではないですよ。そもそも、「アニメ化しそうもない漫画」なんてなかなか見つからないのが現状じゃないかなあ。
自分は主人公二人じゃなく新妻エイジのが好きなんですが、理由はこの辺りにあるんでしょうね。

動機はなんであれ、あれだけ努力できる主人公二人も凄いですけどね。
純然たる漫画家=好きだから漫画描いてるだけってのは、ハッキリ言って創作系同人作家と次元が同じです。
それは『プロ漫画家』とは呼べません。

バクマンの二人が目指しているのはあくまで『プロ漫画家』、つまりは漫画描いてお金を儲けてそれで生活する人達であって、趣味で好きだから漫画描いてるってだけの人達では決して無いのです。
そこを混同しているから違和感を感じるのだと思います。
アニメ化すれば、経済的観点から見れば間違いなく“儲かっている”のですから、それは『プロ漫画家』としては、紛れも無く成功なのです。

特にサイコーの方は叔父が一時でもプロの漫画家であり、そしてそこから転げ落ちていく様を見ているわけですから、尚更『プロ』つまりは商売として成功する事に拘っているのでしょう。

好きだから、では上手いアマチュアにはなれてもプロにはなれんのです。
特に今週の新妻エイジを見ていて思ったのが、
彼は『プロ漫画家』ではなく、『プロ並の実力を持ったアマチュア漫画家』なのだという事です。
雑誌に載せる、しかも連載作品に、打ち合わせとは全然違う漫画を描いてきて「これ載せろ」なんて無茶苦茶な事リアルでやったら、余程大御所の漫画家さんでも無い限り、「もう結構です。さようなら」です。
漫画だって商売です。編集にだって社会人としての事情がある。人付き合いもある。
そういう事もロクに考慮しないでただ漫画が描きたいというだけなら同人でもやってれば良い。

バクマンがそこら辺にいくらでもある、単に漫画家を目指すというだけのありがちな物語ならアニメを意識する必要は無かったでしょう。
バクマンの面白いところは、ただの漫画家ではなく“プロ”漫画家を目指している、というところにあると思います。
>料理中なのに、別の料理人が途中で交代して、勝手に完成させてしまうようなもんだろう。

この例ちょっとおかしくないですか?
漫画描きとアニメ製作が別物だって言ってるのに、例の方は料理→料理と行為が変わってないです。
これだと同じ漫画を途中から違う作者に描かせるみたいなことになっちゃうのでは・・・。
コメントありがとうございます!

>空白さん
努力する主人公二人も応援したいし、天然で才能溢れるエイジも見ていて面白いです。ぼくも断然エイジのが興味深い!

>空白さん
ぼくは別に「趣味で」「好きだから」みたいなことは言っていないんですが…。プロとアマチュアの違いの話をしているつもりは微塵もないです。
「アニメ化すれば、経済的観点から見れば間違いなく“儲かっている”」は確かにそうですが、アニメ化しなくとも漫画だけで食べていければそれで「プロ漫画家」と言えるでしょうし。と言うか、本文中でも話しているんですが、アニメ化自体を否定しているんではないんですよ。

>空白さん
記事の作成日時を見ていただければわかるように、「今週の新妻エイジを見ていて」書いてるわけではないので、その話をされても困ります。あくまでも、記事を書いた時点での感想ですので、ご考慮ください。そもそも「今週の新妻エイジ」にしたって、まだまだ「同人でもやってれば良い」と言ってしまえるほど結論の出せる展開ではなかったと思いますが…。導入部なので、あの言動が吉と出るか凶と出るか、まだまだ楽しみにしてていいと思います。
>バクマンがそこら辺にいくらでもある、単に漫画家を目指すというだけのありがちな物語なら
と言われても、どの物語を指しているのか全然わかんないですし、意味のある比較とは思えないです。また、一つ上でも書いてますが、プロとアマについて話してはいないですよ。

>空白さん
「料理→料理」ではなく、「ある料理人の作るはずだった料理→別の料理人が作る料理」と言う変化を指しています。それは料理として出て来るものの名前からして違うかも知れないし、味付けだけ異なっているのかも知れないけれど、前者と後者の料理人が同じものを作ることはないですよね? と言っているのです。
>純然たる漫画家=好きだから漫画描いてるだけってのは、ハッキリ言って創作系同人作家と次元が同じです。
 >ぼくは別に「趣味で」「好きだから」みたいなことは言っていないんですが…。

横からすみません。元は多分ムーさんへではなくて、コメント欄3番目口さんに対するコメントだと思います。
「純然たる漫画家」という語句が一致しますし。

それを踏まえて…
漫画家が漫画を描く理由に、読者がプライド・誇りを求めるってのは鈴木先生6巻の「大人は子供の手本にならなきゃ」理論と同様に当事者(漫画家)側が持つものであって、読者側が押し付けるのは傲慢だと感じます。
動機はなんだっていい。大ヒットした大御所だって初めは一攫千金を狙っていたなんてよく聞く話だったりします。

本文のテーマとずれた話題で失礼しました。
コメントありがとうございます!
あ、ぼくに対してではなかったのですかね。どうもよくわかんなくなっちゃいますね、名前も空白さんが多いし、混乱してしまう。
うーん、ぼくがこうやって発言することが「押し付け」なのでしょうか。自分でも説明し辛いですが、何も必ずしも漫画家の目に留まるようにとか、そう言う意図があってこうやってサイトをやっているわけでもないんですよね。かと言って、じゃあ誰に向けて発信しているんだと言われれば答は特にないですし、ぼくが書いたことに何かしら誰かの利益になれば良いなあとかそれだけの行為だとも思ってるんで…。
そもそも、「大人は子供の手本にならなきゃ」はあくまで道徳的な話だと思っていますので、娯楽の提供者と消費者との関係とはちょっと違うのではないでしょうか? 娯楽に触れている存在として、読者もまた当事者ではないかと思うのですが。提供者(当事者)が、消費者(当事者)の反応を楽しみにしている場合もありますよね。
他の方も指摘してますが、「漫画」マンガなのに、アニメが目的&動機で手段が漫画なんですよね、バクマンて。
普通の作品でしたら、最初は違う動機(目的)で始めても、途中で主人公が手段の筈だったものの面白さに気付くという展開があるのに
(例えば、最初は女の子を振り向かせる為だけに野球部に入部したけれど、やっているうちに野球に対する情熱が芽生えて…など、スポーツ漫画の典型的展開)
バクマンはいまだに漫画を手段としてみている側面が強い。
「1位を取るにはやっぱり王道じゃないと駄目だ!」も、要は王道を手段としてしか見ていない発言ですし…

いつまでも女の子だけが目的でスポーツやっているスポーツ漫画があったら、それはそれで面白いかもしれないけれど、スポーツ漫画と呼べない気がします。
バクマンも割り切って、「漫画」マンガの皮を被ったサクセスストーリーマンガとか青春マンガとして見れば良いのかもしれませんが…
やっぱり何か物足りなさを感じてしまいますね。
『漫画を描くって、凄く面白い…!』とか、
『俺、こうやってお前と、一生漫画描いていたいな…』とか、
小豆の誘いを前に『ごめん、でも俺…今は〆切があるから…!』とか、
ベタかもしれませんがこういう展開が欲しいですね。

既に作品中には死ぬまで漫画を描き続けたという最高のおじさんのような、漫画に素晴らしい情熱をかけている人が居るのに、
いまいち甥っ子達にはその情熱が受け継がれていないのが…
確かにこれは、バクマン連載当初から感じていたことですね。
話のテンポは良いし、主人公達も応援してあげたくなるのですがどうしても一抹の不安を抱いてしまう理由が『アニメ化に対するこだわり』にあった気がします。

ただ、ひょっとしたら小畑&ガモウのリアルバクマンコンビに自分みたいな『漫画』にこだわりのある読者は既に乗せられてるだけなのかもしれません。
アニメ化アニメ化言ってるのは、実は主人公達挫折の布石で、本当に大切なことはそんなことじゃないんだ、と。
もしそこまで布石を組んだ上で声優志望の小豆と恋愛させてるというのであれば、やはり計算型漫画家コンビ恐るべし!と思わされます。
まだ単行本すら出てない作品ですから、今後の展開に期待ですね。

最初、新妻エイジが「連載を一つ終わらせる権利」とか言い出したときは、主人公達が上手くいったらエイジがひがんで終わらせる
なんてことがあるのかと思ってましたが、最近の新妻エイジの描かれ方を見ていたらそういうみみっちいキャラではなさそう。
そうなると、記事でも書かれてるように主人公達の『アニメ化ありきの漫画』に対するアンチテーゼとして使われるかもしれませんね。

ただ単純に、ジャンプ漫画らしい友情・努力・勝利って図式を漫画家に置き換えただけの作品になるか
現代の漫画界、特にジャンプ漫画に一石を投じる作品になるのか。
バクマンの今後に期待です。
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