Ring Of Angels Ⅱ

1カ月半休みなしというとち狂った どうかしてる あれな仕事状況により挨拶が遅れましたが、
これにてROAⅡは完結となります。
ROAⅠからお付き合いいただいた方、Ⅱだけでも見ていただけた方、
間違えてこのページを開いてしまった方々に御礼を申し上げます。

前作は最初から最後まで葛城さんが主役でしたが、
今作では特に誰が中心ということもなく、全員がそれぞれの
ストーリーを持てるようにと進行しました。
それでも、話の主軸としてはやはり秋山vs.優香の元黄金タッグの抗争がメインでした。
TNAのファインプレーでもあるジェフ・ハーディーのヒールターンに影響を受け、
絶対的ベビーの優香をヒール化。
ROHで最も好きなユニットであるエイジ・オブ・ザ・フォールの名前を借り、
同じくROA屈指の激しい抗争となったケビン・スティーンvs.エル・ジェネリコのストーリーを辿り、
イス攻撃で始まりイス攻撃で終わる相棒同士の死闘と相成りました。
葛城さんやら武藤やら、喧嘩っ早いROAレスラーの中で数少ない
心のオアシスであった優香のヒールターンはなかなか心苦しい出来事でしたが、
もし楽しんでいただけたなら幸いです(気に入らなかったらすんません)。

さて、この後の話は、今のところはまったく考えていません。
ディアナの王者時代とか、南と霧子の最凶タッグの動向とか、村上姉妹のベビーターンとか……、
いろいろとやりたいことはあるのですが、とりあえず今回は完結ということで。
繰り返しになりますが、お付き合いいただきありがとうございました。
もしまた目に触れる機会があれば、よろしくおねがいします。

 扉に張られた「面会謝絶」の文字を見つめ、秋山は悲しげに視線を落とす。それでも自ら頬を叩いて気を取り直すと、明るい表情を作って扉をノックした。
「ねえ……優香、いるんでしょ。ちょっと話せないかな」
 祭典終了から2週間が経ち、すでに新シーズンの興行がスタートしている。新ROAタッグ王者となったコバウチには、前王者の伊達・みこと組が再戦を表明。近く、王座戦が行われることとなった。
 新ROA王者のディアナの対戦相手は、前王者の武藤が再戦権を破棄したため、第一挑戦者決定戦の開催が予定されていた。
 龍子に惜敗した葛城は、リング上で改めて敗北を謝罪し、リベンジを宣言。そこに富沢、永原、金井によって結成されたフリーユニット「スリーバーズ」が乱入してきたが、葛城に軽く一蹴されていた(のちに中森から説明されたが、彼女たちは契約の切れたWARSに代わり、しばらくROAに参戦するそうだ)。
 これまでの抗争に区切りがつき、新たな火種が発生するいつも通りの祭典後の光景。だが、そこに優香の姿はなかった。
 祭典の死闘後、優香は会場にも、道場にもその姿を見せなかった。団体からはケガの治療のためとアナウンスはあったものの、それが欠場の理由でないことは暗黙の了解だった。
 エイジ・オブ・ザ・フォールのリーダーとして、団体を混乱に陥れたことへの責任。団体内から彼女の復帰を拒む声はなかったが、優香自身が負い目を感じていることは確かだった。
 気の早いファンからは退団、もしくは引退という説も囁かれている。優香の真意を確かめたかった。
 もう一度ノックするも返事はない。このまま待っていてもらちは明かないだろう。秋山は部屋の中に向けて話し始めた。
「あのね……今日、優香のところに行くって言ったら、みんなに伝言頼まれちゃったんだ。メモしてきたから全部読むね。えっと、まずは遥さん。『優香ちゃんがいなくて寂しい。早く帰ってきてね』。次はディアナさんね。『みんなで待っています。また、一緒に戦いましょう』。えと……『復帰したらいつでもベルトに挑戦させてあげるわよ』……あ、これは希さんね」
 一人ひとり、メッセージを読み上げていく秋山。しかし部屋の中はシンと静まり返ったままだ。
「最後はエミリーさん。『レスラー人生ではいい時も悪い時もあるわ。一人で背負いこもうとしないで。そのために仲間がいるんだから』……これで……全部かな」
 優香に悟られないよう、そっと鼻をこする秋山。チームメイトたちは誰もが優香を心配してくれている。温かい言葉に、自分の方が感動してしまった。
「なんか恩着せがましくてごめんね。でも、知ってもらいたかったんだ。みんなが優香に復帰して欲しいって思ってるんだって。あなたの帰りを待っているのは私だけじゃないって」
 そのとき、ようやく変化が起こる。扉の曇りガラス越しに人影が現れ、ドアの前に移動してきたようだった。もちろんそれは優香だろう。辛抱強く待っていると、彼女の小さな声が聞こえてきた。
「ありがとう、美姫。みんなにもありがとうって伝えて。それと……ごめんって」
 ドキンと胸が高鳴る。動揺を悟られないよう、平静を装って聞き返した。
「『ごめん』って、なにに?」
「もちろん、エイジ・オブ・ザ・フォールの騒動でいろいろ迷惑かけちゃったこと。それと…」
 長い沈黙。この先の言葉は想像できる。だが、回避するすべはなかった。
「私、ROAにはもう戻らないから」
 一瞬で心が重くなる。時間をかけて落ち着きを取り戻すと、秋山はドア越しに話しかけた。
「それ……プロレスを辞めるっていうこと?それとも、他の団体に移籍するの?」
「……分からない。もうちょっと考えてから答えを出そうって思ってる。けど、プロレスを続けるにしろ続けないにしろ、ROAには戻らない。うぅん……戻れないよ…」
 曇りガラス越しに。優香が顔を伏せたのが分かる。声を震わせながら優香は続けた。
「みんなに励ましてもらったのは嬉しかった。本当だよ。こんなバカな私を許してくれるなんて。でも、多分みんな誤解してると思う」
「なにを?」
「……顔にペイントして暴れ回ってるとき、私は心から楽しんでた。らぎっちのお母さんを罠にはめて団体から追放したときも。相手を袋駄叩きにしているときも。そして、美姫を裏切って、椅子で頭をぶん殴ったときも……私は喜んでやった。別に正気を失ってたわけじゃない。あれも、私の一部なんだよ」
 顔を覆う優香。彼女の苦悩が伝わってくるようで、秋山は思わずドアに身体を寄せ、手を置いた。
「ペイントを始めたのは、龍子さんとのラダーマッチだったよね。ラダーマッチには何度も出てるけどさ、やっぱり怖いんだよ。でも、ふと顔にペイントしてみたら、力が湧き上がってくるような感じがしたんだ。まるで自分が自分じゃなくなったような、凄い力が出せる感じで。相手を痛めつけてやりたいって暴力的な気持ちになるんだ」
 気味悪がられそうで、誰にも話せなかった秘密。本当は誰かに打ち明けたかった。
「ファンに楽しんでほしくて体張ってたのも私だよ。でも、エイジ・オブ・ザ・フォールの時も別にキャラ作ってたわけじゃない。自分と同じように人を傷つけたいっていう気持ちも、心のどこかにずっとあったんだと思う。私は、みんなが思ってるような明るくていい子じゃない…!」
――抱きしめてやりたい。秋山は心の底からそう思う。だが、それでは意味がない。自分からドアを開けてくれない限り、彼女の心はずっと閉ざされたままだろう。
「優香…」
「復帰しても、また同じことを繰り返すと思う。私を好きになってくれた人を傷つけて、ファンを裏切って……。そんな私、いない方がいい。だから、ごめん。みんなにも、誰よりも、祭典でこんな私を助けてくれた美姫には本当にごめん。私、ROAを辞めるよ」
 意志は固いだろう。2週間苦しみ抜いた末に出した結論だ。簡単に否定することなどできない。額をドアに押し当てた秋山は、優しく語りかけた。
「分かった。それが優香の出した結論なら、私は受け入れる。私は優香に答えを見つけて欲しかっただけ。ROAに復帰するだけが全てじゃないと思うから」
「………ありがとう」
 ほとんど消え入りそうな優香の声。ドアから離れそうになる気配を感じ、秋山は慌てて呼び止めた。
「待って、もう一つ伝言があったんだ。あのね……」
 大きく息を吸い込むと、今まで以上に声を張り上げた。
「『私、待ってるから。例えあなたが隣にいなくても、ずっとあなたと一緒に戦っている。あなたが帰ってきてくれる日を信じて』」
「え……?」
 優香が立ち止まる。彼女に見えなくとも、秋山は微笑みながら話した。
「今のは、私から。祭典でも言ったでしょ?私は優香を諦めないって。どんなに時間がかかっても、ずっと待ってるから」
「え……え…?」
 狼狽する優香。上ずった声が返ってくる。
「でも……美姫、許してくれたじゃん。私がROA辞めるの」
「うん。優香を止める気はないよ。でも、待ってるのは私の勝手でしょ?」
 優香はどんな顔をしているだろうか。怒っているのか、それとも呆れているのか。
「……そんなの……そんなの、ずっこいよ」
「ずっこくない」
「……ずっこい」
「ずっこくない」
 それ以上、優香は返してこない。秋山は苦笑してさらに続ける。
「分かった、認めます。こんなのずるいよね。でも、もう迷わないって決めたから。私は優香に帰ってきてほしいし、他の人がどう思うかなんて関係ない。もう一度優香と組めるなら、いつまでも待ってる」
「………」
「復帰を非難する人がいたら、私が言い返してあげる。また暴走しそうになったら、私が身を挺して止める。あなたは、私が守る」
「……どうして」
「ん?」
「どうして……そこまでしてくれるの。私は美姫を裏切ったんだよ。なのに、なんで…!」
「そんなの、当たり前じゃない。だって……私は優香のパートナーなんだから」
 これを伝えたかった。彼女の行動が正しかったのか、それとも間違っていたのか。そんなことは関係ない。たとえ団体の全員を敵に回しても、自分だけは優香の味方だ。
「愛してる。私のパートナーはあなただけだよ、優香」
 自然と口を突いて出た言葉に、改めて実感する。彼女と再びリングに立ちたい。それが全てなのだと。
「じゃあね。また……来るから」
 言い残し、踵を返そうとする。と、ドアが開く音とともに小さな声が聞こえた。
「待って…」
 高鳴る動悸を抑えるように、わざとゆっくりと振り返る。そこにいたのは紛れもなく、自分のたった一人の相棒だった。
「行かないで……お願い…!」
 すがりついてくる優香を、秋山は迷うことなく抱きしめた。
「辞めたくないよ……ROAも、美姫のパートナーも…。どっちも大好きだもん…」
「優香…」
 大声で泣き始める優香。秋山も涙を流しながら、彼女に回した手に力を込める。
 相変わらず小さな身体だ。だが、この中にはとてつもないエネルギーが秘められていることを知っている。彼女はどんな困難にも勇敢に立ち向かってきた。今回も、きっと乗り越えてくれるだろう。
 それに何よりも、自分がついている。自分たちは最強のタッグだ。2人が組めば、不可能なことなんてない。
「もう一回、最初から始めよう。入団した時みたいに。きっとうまくいく。前よりも、ずっとずっとうまくいくと思うから」
「……ありがとう、美姫。ありがとう…」

 震える華奢な体を抱き留めながら、秋山は何度も「大丈夫」とつぶやく。気休めではなく、言葉にするたびに体の底から力が湧き上がってくるようだった。



 私たちは弱い存在だ。
 私は親友のたった一度の間違いで再起不可能なまでに落ち込んだし、優香も暴走する自分を止められなかった。
 きっとこれからも何度も失敗を繰り返し、その度に歩みを止めてしまうのだろう。
 だけど、いつも隣に支えてくれる人がいる。どんなぬかるみにはまってしまっても、力強く引き上げてくれる人が。
 そして、自分も彼女を支えていく。いつか力尽きてしまうとしても、その時も彼女と一緒だ。
 だって――。
 だって、私たちはパートナーなのだから。



――Ring Of Angels Ⅱ 完――

 すべての対戦カードが終わり、一通りの取材も終えると、ディアナはすぐに会場を飛び出した。彼女には待っていてほしいとメールを送った。だが、返信はなく、待ち合わせ場所に来てくれているという確信はない。
 奪取したベルトが入ったキャリーバッグを引きずり、駆け足で指定した公園に走るディアナ。団体の至宝を粗末に扱うなと中森に小言を言われそうだが、今回ばかりは見逃してもらうほかなかった。
 興行終了から1時間は経っているため、ほとんど人影はない。息を切らせながら目的の場所に駆けこんだが、そこもやはり閑散としていた。
 あちこちを見渡すが、目当ての姿はない。やはり来てくれていないのか。落胆しかけたところで、背後から声がかかった。
「遅い」
 ハッと振り返ると、そこには見慣れた仏頂面がある。荷物をその場に残し、ディアナは思わず彼女に抱きついていた。
「めぐみ…!」
「ち、ちょっと……ディアナ!」
 マスコミに見られるとまずいと思ってか、武藤は慌てふためいている、今日、ベルトを懸けて争った2人が密会していたとなっては格好のスクープネタだろう。だが、そんなことに気を取られたくはなかった。
 それでも、武藤は接触を避けたいようだ。手を伸ばして身体を離すと、冷ややかな視線を投げてきた。
「言ったでしょ。ジェネレーション・ネクストは解散だって。今の私とあなたはもうチームメイトじゃなくて、“前王者”と“現王者”なんだから」
「違いまス!めぐみは言ったじゃないですカ。『ジェネレーション・ネクストは今日を持って解散する』っテ。まだ、『今日』だかラ、ワタシたちはチームメイトでス!」
 言葉遊びだと言いたくなったが、それを指摘したところで状況は変わらない。ディアナがこうなってしまうと説得はできないと、武藤はよく分かっていた。
「それで、何の用?」
 そう言いながらも、武藤はこの場を離れたがっているようだった。彼女の振る舞いに違和感を覚えながらもディアナは明るく返した。
「用事って……ただ、めぐみと話したかったノ。これまでのこととか……これからのこととか」
 てっきり賛同してくれると思っていたが、武藤は顔をしかめて背中を向けてしまった。
「やめてよ、そういうの。私たちは敵になるんだから。馴れ合いとかやめようよ」
「え……」
 言葉を失うディアナ。これまでとは全く異なる武藤の対応に、内心パニックに陥ってしまう。
「めぐみ…?」
「こんなことで呼び出さないで。それと、もう連絡もしないで。いいわね」
 一方的に言い放ち、歩み去ろうとする武藤。ディアナは慌てて彼女の肩を掴むと、強引に振り向かせた。
「待っテ!ワタシは…」
 言いかけるが、ハッと口を噤む。こちらを向いた武藤の瞳には涙があふれんばかりに溜まっていた。
「めぐみ…」
「だから……嫌だって言ったのに」
 しかめっ面のまま慌てて目元を拭う武藤だが、次から次へと溢れ出してくるしずくを止めることはできなかった。
 予想外の展開に呆気にとられるディアナ。解散を発表した時も、彼女は屹然とした表情を崩さなかった。すでに迷いは吹っ切れていたと思っていたのだが。
「あなたと過ごした日々、本当に楽しかったよ。ディアナと出会えて、一緒に戦えて……本当に良かったって心から思う。でも……ごめん。このままじゃいけないって思ったの。私たちならもっと高く飛べる。最高のライバルになれるって思ったから、だから…!」
 声を詰まらせる武藤。ディアナはそっと彼女の両手を取り、優しく握った。
「アリガトウ……めぐみ。あなたが言ってくれなかったら、私はずっとあなたに甘えていタ。多分、ROA王者じゃなくなっても、めぐみと一緒にリングに立てていたら、それで満足していたでしょウ」
 おそらく、今日がプロレス人生で最良の日になっていたはずだ。なぜなら、祭典で武藤とROA王座を争う以上の目標などなかったのだから。
「でも、今は違ウ。ワタシはもう一度、エンジェルスオデッセイでめぐみと戦いたい。ROA王座を懸けて……今度はちゃんと、メインイベントで!」
 厚っぽく語るディアナ。武藤も手を握り返し、力強く頷いた。
「そのためにも、ベルトを守り抜きまス。ROAチャンピオンとしてしっかりレベルアップして、丸め込みじゃなくてもめぐみに勝てるように、強くなりまス!」
「私こそ、次は負けない。今日みたいな勝ち方、二度と通用しないんだから」
 負けじと言い返す武藤。睨み合っていた両者だが、やがて手を取ったまま吹き出してしまう。それでも涙は止まらず、半べそをかきながらケタケタと笑い合った。
「それで……家族には報告したの?」
「ハイ!みんな『おめでとう』って言ってくれましタ…」
「そう……良かった…」
 ついに本格的に涙腺が決壊し、とうとう声を上げて泣き出してしまう。チームメイトとして過ごす最後の夜を、2人は一秒一秒を惜しむように過ごした。

 龍子の言葉通り、霧子の姿は駐車場にあった。乱れて息を整えるためにしばらく物陰に隠れ、動機が静まってから中森は彼女に歩み寄った。
「こんばんは、霧子さん。いらっしゃっていたのですね。声をかけてもらっていたらVIP席を用意していたのですが」
 霧子は驚いた様子もなく中森に視線を向ける。その目付きはエイジ・オブ・ザ・フォールを率いていたころから比べるとずいぶんと穏やかなものだった。
「見させてもらったわよ、あなたが仕切る初めての祭典を。良かったじゃない、大成功に終わって」
「レスラーが全力を尽くしてくれたおかげです。みな、最高のパフォーマンスを見せてくれました」
 否定も肯定もせず、霧子は遠くに目を向けている。彼女の様子を窺いながら中森は切り出した。
「時折考えるんです。エイジ・オブ・ザ・フォールの騒動が団体にどんな影響をもたらしたのかと」
「へえ…」
「あの事件で団体は傷つき、疲弊しました。ファンに背を向けた優香さんの復帰への道のりは、困難なものとなるでしょう。龍子さんに敗れた葛城さんも、ひどく傷ついたはず。これまで築き上げてきた者がすべて破壊されてしまったような気分ですよ」
 やはり霧子は表情を変えない。「ただ」と前置きし、中森は続けた。
「事件前のROAに閉塞感があったのは事実です。ROA王者に武藤さん、ROAタッグ王者に秋山さんと優香さんという状況が長らく続き、流れは停滞していました。そんな中、他団体の龍子さんが参戦するという前例のない事態が起き、さらにROA王者を奪われるという衝撃的な出来事もありました。他団体との交流が希薄だった所属選手たちにとっては目の覚めるような戴冠だったでしょう」
 思い返せば、ベルト流出がそもそもの発端だ。団体の至宝を奪い返すために優香は龍子にラダーマッチを挑み、過激な試合を展開したことで精神のバランスを失っていった。
「その後、秋山優香という絶対的なタッグの頂点も崩壊。さらにはエイジ・オブ・ザ・フォールが出現し、否が応でも団体は変革を迫られました。結果的に、GMもあなたから私に変更。今回の祭典ではディアナさん、内田さん、小早川さんの3人が初戴冠と、この1年間で団体は大きく変容しています。私が聞きたいのは……この変化が偶然おこったものかどうか、ということです」
 中森はじっと霧子の目を見据える。
「率直に言いましょう。すべては前社長の葛城浩子さんと、あなたが描いたシナリオ通りなのではないでしょうか。団体の鎖国制を解いたのも、GMが私に替わったのも。あなたたちは閉塞したROAを変革したかった。そのためには、まずトップの自分たちが退こうと考えた。ただその座を明け渡しただけではつまらない。そこで、ファンの注目を集める騒動を企てた。それがエイジ・オブ・ザ・フォール騒動の真実――私はそう考えているのですが」
 こちらのカードは切った。あとは相手が勝負に乗ってくるかどうか。数秒間の沈黙の後、霧子はわずかに口角を上げた。
「それは団体を追放された私に対する皮肉かしら?私の意図は以前リングで説明した通りよ。ROAを潰し、私が理想とする団体をつくる。それを阻まれた結果、私は居場所を失った。それがすべてよ」
 真意を問うように、中森は霧子から視線を外さない。それでも霧子は笑みを崩さなかった。
「そう……ですね。私がどうにかしていました。あなたは自分のことしか考えられない身勝手な元GM。それでいいんですよね」
 当然とばかりに頷く霧子。それ以上の追及を諦め、中森は溜息を吐いた。
「ただ、これだけは言わせてください。あなたの行動は確かに団体に革命をもたらしました。結果的に、団体は良い方向へ向かっていると思います」
「皮肉にも、ね」
「ええ、皮肉な結果です」
 観念したように中森も微笑む。そう、すべては終わってしまったのだ。例え誰かの思惑通りだとしても、もう確かめる術も必要もない。自分がやるべきことは団体が良い方向へ進むように導くだけ。
「それで……これからはどうするのですか?もし望むのなら、ROAに復帰しませんか?反発するものもいるでしょうが、あなたの能力は誰もが認めているはず。できれば力を貸していただきたいのですが」
 意外な申し出に霧子は興味深げな表情を見せる。だが、すぐに首を横に振った。
「悪いけど、次の働き場所は決まっているの。ある人と組んでビジネスをしようと思っているわ」
「ある人?」
「ええ、もうそろそろ来るころなんだけど…」
 霧子が口にした途端、遠方からエンジン音が聞こえてくる。やがて大型バイクに乗った何者かがこちらの姿を見止め、目の前でバイクをストップさせた。
「あら、中森じゃない。久しぶり」
「あなたは…」
 固まる中森。ヘルメットを取ったその人物は、かつて『毒蛇』と呼ばれ、ROAを我が物顔で支配していた団体史上最凶のレスラー――南利美だった。
 初代ROA王者でもある彼女は数年前にROAを退団。新女に移籍し、そこでも変わらずに猛威を振るっていた。まさか、霧子の言う人物とは――。
「紹介するわ。私が個人マネージャーを務める南さんよ。これからは2人で組んで色々とやっていくつもりだから」
 こともなげに言い放つ霧子。だが、中森は呆気にとられている。霧子と南――ROAを苦しめた両者が手を組んだ。見ているだけでめまいがするような凶悪コンビだった。
「どうして…」
「『どうして』?マネージャーを雇うのにあんたの許可が必要なの?ROAを追放されてヒマだって聞いたから、組んだら面白いだろうなって思っただけよ。ああ、安心して。しばらくは新女との契約も残っているし、あっちで活動するから」
 南はにやりと笑う。ROAでも様々なレスラーを苦しめてきた邪悪な笑みだ。
「ま、そろそろ同じ場所で戦うのも飽きてきたころだし、次はどうなるか分からないけど。葛城も私がいなくなって調子乗ってるみたいだし、復帰するのも面白いかもしれないわね」
 葛城が聞いたらどんな顔をするだろうか。この場に彼女がいないことを、中森は心から感謝した。
「というわけだから。私のことはご心配なく。あなたのGMとしての働きぶりを楽しみにしているわよ。もし、つまらないことをやっているようなら、いつでも盛り上げに行ってあげるから」
 脅迫めいた言葉を残し、霧子は南から受け取ったヘルメットをかぶりバイクにまたがる。「それじゃあ、またね」と言うと、南とともに走り去っていった。
 いつの間にか浮かんでいた冷や汗を拭い、中森はフウと息を吐く。
「肝に銘じておきますよ。井上霧子」
 もはや姿の見えない前GMに向けて、中森は小さく呟いた。

 毎年、祭典が終わった当日には試合に出場したレスラーや裏方が一堂に会し、1年間の労をねぎらうパーティーが開催される。今年もホテルの大広間を貸切にした豪勢な会が開かれたが、その光景は例年と比べて幾分寂しいものだった。
 龍子に敗北した葛城が出席を拒否。氷室、エミリー、美沙のフォーチュンメンバーもそれに従った。セミ、メイン戦に出場した武藤、ディアナ、優香、秋山も欠席し、大会の主役とも言うべきレスラーの姿がなかったからだ。
 まあ、それも詮無きことだ。それぞれに事情があり、無理にパーティーに出席しても空気を悪くしてしまうことだろう。しっかり心身を整え、次回の興行で普段どおりの姿を見せてくれればいい。
 GMとなって初の祭典を無事に終え、重圧から解放された中森が一人物思いにふけっていると、背後からポンと肩を叩かれた。
「よう、何考えてるんだ?」
 問いかけてきたのはWARSのリーダー・龍子。祭典の成功にしてくれたWARSの面々ももちろん、このパーティーに招かれていた。
 フリーの期間が長かった中森は、WARSにも参戦したことがあった。旧知の仲ということもあり、龍子の口調もくだけたものだった。
「いえ……あなたに敗れた葛城さんのことを」
 皮肉を含めて返すが、龍子は豪快に笑い飛ばした。
「ははっ、あいつは心配なんて必要ないだろ。一度負けたからと言ってへこむような奴じゃないさ。今日にでもトレーニングしてるんじゃないか?」
 いつになく饒舌な龍子に、中森は不思議そうに尋ねる。
「やけに機嫌がいいのですね」
「まあな。あんな大会場で試合させてもらったのは初めてだ。ウチの連中にもいい経験させてもらったよ。葛城や武藤……同年代の連中と戦えて、小川と真田も刺激を受けたようだ。それと…」
 龍子はニヤリと笑う。
「美味い飯も食わせてもらってる」
 龍子の視線の先には、皿に溢れんばかりの料理を山盛りにし、次々に平らげていく真田がいた。ROAメンバーと談笑する石川や小川も、すっかり場に馴染んでいるようだ。
「悪いな。私らまで呼んでもらって。たらふく食べさせてもらったよ」
「いえ。出席者が足りずに余るものでしたから。むしろ助かっています。それより…」。話題を変える中森。どうしても聞いておきたいことがあった。
「なぜ、エイジ・オブ・ザ・フォールに味方したのですか?彼女たちの手段を選ばない戦い方は、あなたの理想からは程遠かったはず。それだけがどうしても分からなかったのです」
 質問された龍子は生返事を返し、困ったように頬を掻く。しばし言いよどんだ後、ため息を吐いて頭をかいた。
「団体の恥だからあまり言いたくないんだが……まあ、説明する必要はあるだろうな」
 仕方なさそうに龍子は話し始めた。
「ROA参戦の話があったのは半年くらい前か。実はな、その当時、私たちはリングを買おうとしていたんだ。今まで使ってた奴が古くなっちまってな。それで、真田に注文を任せて業者から買ってきてもらったんだが、選んだ業者がとんだ食わせ物でな…」
 顔をしかめつつ、龍子は続ける。
「何回か練習で使っただけで使い物にならなくなっちまったんだ。いやあ、困った困った。文句つけようにも電話はつながらないし、新しいの入れるために古いリングも処分しちまったからな。にっちもさっちもいかなくなってきたときに、どこから情報仕入れたのか、お宅の井上霧子が声かけてきたってわけだ」
「なるほど」
 それなら合点がいく。なぜ、龍子が霧子の言いなりになっていたのか。さすがの龍子も、窮地での高額オファーには逆らえなかったということだ。
「霧子が勝とうが、お前らが勝とうがどっちでもよかったんだが。結果的にはこれでよかったのかもな。エイジ・オブ・ザ・フォールが勝ってたらどうなってたのやら」
「ええ、全くです」
 賛同する中森。と、龍子がふと思い出したように眉を上げた。
「そうだ。さっき、井上霧子を見たぞ」
「本当ですか?」
 思わぬ名前に身を乗り出す中森。団体から追放されたとはいえ、一応は団体の元GMだ。祭典とこのパーティーの招待状を出していたのだが、彼女から返事は来なかった。
 中森の龍子は腕を組み、頭を廻らせる。
「確か……駐車場にいたはずだ。誰かを待っているみたいだったが」
「……分かりました。申し訳ありませんが、少し席を外します」
 言うが早いか、中森はそそくさと会場の外に行ってしまう。残された龍子は肩をすくめ、手にしたグラスの中身を一気に飲み干した。

――あり得ない。
 叫びそうになるも、舌が乾いて言葉が出ない。とっくに体力の限界は超えており、病院送りになっていてもおかしくないダメージを与えたはずだ。それでも、彼女は動き続けている。
――私ができることは、信じ抜くこと。そして、諦めないことだって。だから……最後まで戦い抜くよ。
 秋山の言葉が蘇る。腹部には無数のみみずばれが走り、頭からは今もなお出血し……そんな惨状でも、彼女は敗北を拒んでいる。
「来るな……来るなよ!!」
 拒んだのは彼女か、それともこれまでに犯してきた罪の数々か。半狂乱になって叫ぶ優香はとうとう頂上までたどり着いた秋山にひたすらエルボーを打ち込む。ぐらついたところで片腕を首の後ろに回すと、ブレーンバスターの体勢に入る。
 技は変わったが、この高さから机に叩きつければひとたまりもないはずだ。持ち上げようと力を込める優香だったが、寸前で秋山にこらえられ、腹部にエルボーを打ち込まれると怯んでしまう。
 危機を脱した秋山は、優香片腕と首をひとまとめにしてロックし、最上段の足場に立つ。
 目がくらみそうになる高さだ。5万人規模の大観衆が集う客席全てを見回すことができる。
 大きく深呼吸して意を決した秋山は、足場を蹴って優香とともに宙に躍り出た。
 一瞬の出来事のはずが、これまでの優香との思い出が頭の中を駆け巡る。出会い、戴冠、裏切り……。すべてが、昨日の出来事のように鮮明だ。失いたくない。彼女を、彼女との思い出を。
 ラダーからのサイドエフェクト。フラッシュが瞬く中を落下した秋山と優香は机を粉砕して激しくマットに叩きつけられる。熱狂的な歓声が響く中、机の破片を払いのけた秋山は優香に覆いかぶさった。
「ワン……ツ…!」
「ガアアアアアアァッ!!!」
 咆哮し、カバーを跳ね除ける優香。まだ体力が残っているのかと誰もが目を疑うが、立ち上がろうとした優香はその場で崩れ落ち、頭からマットに突っ伏した。
「ハァ……ハァ…」
 疲労困憊の身体に鞭打ち、最後の力を振り絞る秋山。転がっていた椅子を拾い上げると倒れる優香に歩み寄る。
――反対だ……あの時と。
 思い出すのは、優香が今の姿に豹変してしまった日のこと。決別の言葉代わりに、自分は椅子で頭をかち割られたのだ。
 優香はヒザ立ち状態で、虚ろな瞳でこちらを見上げている。すでに体力は底をつき、戦意を失ってしまっているのだろう。勝負は決した。だが、けじめをつけなければいけない。
 抗争は終わったと、エイジ・オブ・ザ・フォールの騒動に巻き込まれたすべての人たちに証明する必要があった。
「優香……」
 元相棒の名前を呟きつつ、秋山は椅子を頭上に振り上げる。優香はすべてを受け入れたかのように、ぼんやりとそれを見つめていた。
「……愛してるよ…優香」
 頬につっと涙が流れる。目をつぶると、椅子を全力で振り抜いた。
 固い衝撃音が響き、次いでどさりと優香がマットに倒れる音が聞こえる。大の字になった優香の足を抱え、秋山はカウントを求めた。
「ワン……ツー……スリー!試合終了!!」
 団体史に残るハードコアマッチについに終止符が打たれる。同時に、好試合が続いた祭典にも幕が下ろされた。


「ただいまの試合の勝者は――秋山美姫!」
 勝ち名乗りを受けた秋山はレフェリーに手を挙げさせられるも、すぐに振り払い、優香のもとに駆け寄る。強烈なイス攻撃を浴びた彼女は完全に失神しており、目を覚ます気配はなかった。
「優香…」
 涙ぐみながら、秋山は彼女を抱きしめる。分からない。自分は正しい行動をできたのか。彼女が元に戻る手助けをできたのか。
 今はただ、祈るばかりだ。全てがうまくいってくれるように。
 秋山は優香の身体に手を回すと、そっと抱き上げる。ロープ近くでいったん降ろしたのち、先に場外に降りると、再びお姫様抱っこで抱える。
 改めてリングを振り返ると、悲惨なありさまだった。我ながらよく戦ったものだ。祭典のメイン戦にしても、きっと及第点は取れただろう。
 ホッとすると途端に両肩に疲労がのしかかるが、メインを張ったレスラーとして最後までファンにレスラー然とした姿を見せなければ。
 秋山は優香とともに堂々と花道を歩く。試合を見届けてすべての観客が、果敢に戦った2人にスタンディングオベーションを送った。
 秋山は入場ゲートの前で歩みを止め、満員の客席に視線を向ける。
――優香と一緒に祭典のメインを飾る。その夢が実現したのだ。
「ありがとうございました!!」
 深々と頭を下げる秋山に、もう一度大歓声が降り注いだ。

 優香が振るってきたチェーンを頭を下げてかわした秋山は、フライングネックブリーカーで先手を奪う。優香がダウンしている隙にラダーを引っ張ってくると、リング中央に寝かせたまま設置した。
 中腰になって待ち受ける秋山。フラフラとこちらに寄ってきた優香を持ち上げると、ボディスラムでラダー上に投げつけた。
「――ッ!」
 背中を弓なりに逸らした身悶える優香。秋山はすぐ足を抱えるが、カウント2でキックアウトされる。すぐさまもう一度お見舞いしようとするが、今度は脱出し、背後に着地した優香にフェイスクラッシャーに切り返され、顔面から梯子に突っ込んでしまった。
「あぐぅっ…!」
 金属製のフレームに頭を打ち付け、さらに出血が激しくなる。そのまま突っ伏していると、言いようのない殺気を感じ、とっさに横に転がった。
「ぐあぁっ!?」
 聞こえてきたのは優香の悲鳴。サイドロープを蹴った彼女は、スプリングボード式の450スプラッシュで押しつぶそうとしてきたのだ。間一髪で身をかわして自爆を誘ったが、遅れていれば梯子と優香の身体に挟まれ圧殺されていたところだった。
 ホッと胸をなでおろしている暇はない。秋山は転げ回る優香をリング中央に引っ張ると、この試合2度目のシャープシューターを極めた。
 もう村上姉妹の乱入はない。獣の咆哮のような優香の悲鳴を止める者は誰もいなかった。
「ぐあああぁっ!!」
 髪を掻き毟る優香。マットに爪を立てて這い進み、ボトムロープに手をかけるもロープブレイクの声はかからない。反則裁定のないこの形式では、自力でサブミッションを解くしか脱出方法はないのだ。
 優香の顔に絶望の色が走り、客席から大歓声が上がる。手を頭上に挙げ今にもタップしそうになる優香だったが、ボトムロープの下に身体を通すと、上半身をリング外に投げ出す。
 背を向けている秋山は状況が分からず、優香をもう一度リングに引きずり込む。技をかけたまま移動したために、緩んだロックをかけ直そうと後ろを振り返ったところで、思いもかけない物体が眼前に突き付けられた。
「へ…?」
 次の瞬間、目の前を白い霧が覆い、完全に視界を奪われてしまう。優香が持ち出したのは消火栓。先ほど、リング下から凶器を取り出した際に一緒に場外に投げ出されていたものだった。
 射出口から噴出された消火剤をまともに浴び、秋山は悲鳴を上げて思わず優香を解放してしまう。辺り一面が白く染まり、自分がどの位置にいるのかすら分からなくなってしまった。
「くっ…!」
 消火剤で視力の落ちた目を凝らし、急いで辺りを見回す。白い霧の向こうにボンヤリ動く人影を見つけて組みかかるも、それは優香ではなくレフェリーだった。
「わ、私は違う!」
「ご、ごめんなさい!」
 混乱している隙に優香はパイプ椅子を持って背後に回る。がら空きの背中にイスを振り落すと、うつ伏せにダウンしたところにさらにイス攻撃を加える。
 気が触れたかのように何度も何度も椅子を浴びせる優香。秋山が反応する体力もなくし、ぐったりしてもなお攻撃を続け、終いには椅子が曲がって使い物にならなくなってしまうほどだった。
「数えろ!」
 レフェリーを呼び寄せ、この試合で初めてカウントを求める優香。
「ワン……ツー……ス…!」
 カウント2.9。ギリギリでキックアウトする秋山。苛立ちを見せる優香は再び椅子を構えると、今度は腹部に強烈な一撃をお見舞いした。
「がふっ…!」
 咳き込み、身体を折る秋山。優香は彼女の上に椅子を乗せると、自らはコーナートップに上る。
「終わりだ!!」
 吠えると、ロープを蹴って高く跳躍する。空中で身体を丸めて回転力を増すと、唯一無二の大技、630で椅子ごと秋山を押しつぶした。
「――ッ!!」
 固い椅子が背中に食い込み、マットを蹴って痛みをこらえる優香。払った代償は大きかったが、与えたダメージはそれ以上だ。技を喰らった秋山はだらんと四肢を投げ出し、完全に気絶しているようだった。
 痛む身体を引きずり、優香は秋山の胸に腕を乗せる。さんざん手こずらされたが、これで終わりだ。この試合も、秋山との関係も。
「ワン……ツー……ス…!」
「……ッ!」
 愕然と目を見開く優香。仕留めたはずの秋山の肩が、確かに高々と挙げられている。いまだ一度もフォールを返されたことがない630を、しかも椅子のおまけつきで喰らいながら、なぜキックアウトできるのか。
「アアアァァッ!!」
 苛立ちと混乱から、優香は叫びながら暴れ回る。散らばった凶器を手当たり次第に虚空に向かって振り回し、フラストレーションを爆発させた。
「終わらせてやる……!二度と、顔を見なくて済むように…!」
 うわ言のように呟きながら、まずはテーブルを拾い上げる。足を立ててリング中央に設置すると、続いて得意武器のラダーをその横に置いた。
 大技の予感に、観客たちは総立ちになり様子を見守る。優香は秋山をテーブルの上に寝かせると、彼女に背を向けてラダーを上り始めた。
 過去にROAで行われたラダーマッチは4度。その全てに参戦している優香はラダーの使い方を熟知しているスルスルと足場を上り、あっという間に頂上に辿り着いた。
 あとは旋回式の630で息の根を止めるだけ。目標の姿を探して背後を振り返り――異変に気付いた。
 テーブルから秋山の姿が消えている。まさかと思い視線を下げると、まさにラダーを上り始めようとする敵の姿があった。

――分からない。なぜ、秋山を助けるような真似をしたのか。
 村上姉妹に羽交い絞めにされる秋山を見て、反射的に身体が動いた。試合を終わらせるには絶好の機会だったはずだ。それをなぜみすみす逃した。
 はっきり覚えているのは、村上姉妹に対して“怒り”を感じたということだ。
 乱入してきたことに?違う。最優先は秋山に勝利することで、方法はどうでもいい。最高のお膳立てをどうしてフイにした?
 頭を廻らせるほど、混乱して吐き気が催してくる。自分のものとも思えない叫び声が喉を突くのを、止めることはできなかった。
 苦しむ優香は頭を抱えながらふらりと立ち上がる。転がるように場外に降り、またもやリング下を漁り始めた。
 テーブル、ラダー、椅子……ありとあらゆる凶器をリング内に投げ入れる優香。スタッフが村上姉妹を片付けている間に、リングは戦場のような有様になった。
「う……うぅ…」
 呻きながら目を覚ます秋山。物騒な凶器が散乱したリングの様子にぎょっとしていると、ちょうどリングに戻ろうとしていた優香と目が合った。
 これまでとは何かが違う。自信を無くし、何かに怯えているようだ。
 それが吉兆なのか、凶兆なのかは分からない。だが、試合を経て、優香の心には変化が起きつつある。
「優香…」
 最後にチェーンを掴むと、優香はリングに上がった。
「お前が悪いんだ……お前さえいなくなれば、全部元通りになる」
 ブツブツと言いつつ、拳にチェーンを巻きつける優香。その顔は流血で真っ赤に染まっていた。
「消してやる。私の手で」
 ここが正念場だ。自分に言い聞かせ、秋山は優香と対峙した。
「あのね、優香。私、気付いたの。私には優香を助けることはできないって」
――当然のことを言うな。そう言いたげな優香を制し、秋山は先を続けた。
「あなたを助けられるのは……あなた自身だから。私ができることは、信じ抜くこと。そして、諦めないことだって。だから……最後まで戦い抜くよ」
 優香の反応はない。だが、彼女の心には届いているはずだ。額からは流血し、身体のあちこちに生傷ができている。それでも、優香の手助けになるならどうってことない。
(負けないよ、優香)
 自らを奮い立たせ、親友に突っ込んでいった。

――パンッ……!パンッ…!
 一定のリズムで聞こえてくる衝撃音。その度に、ヒッと喉奥で悲鳴を押し殺す痛切な叫びが漏れる。それが1分近くも続き、ようやく音が途切れた。
「まだ認めないの?『私が間違ってました』って、一言いえば楽になれるのに」
 マイクを片手に邪悪に微笑むのは優香。もう片方の手には竹刀が握られている。その彼女が話しかけているのはもちろん秋山だった。
 秋山は見るも無残な状態だ。頭上に掲げられた両手首には手錠をかけられ、リングポストに引っ掛けられた身動き取れない状態でいる。がら空きになった腹部にはいくつものみみず腫れが走り、凄惨な拷問の様子を物語っていた。
 ダメージの大きさからか、秋山はがっくりとうな垂れたまま反応できない。その瞳は虚ろで、心身ともに憔悴しきっているようだった。
「つまんないな。悲鳴でも命乞いでもいいからさ……なんか言えよ!!」
 叫ぶなり、優香は秋山の横腹目がけて竹刀をフルスイングする。幾条にも走った傷がさらに増え、秋山の身体が大きく跳ねた。
「ねえねえねえねえねえねえ!後悔してるでしょ!?私と出会ったこと、私と組んだこと、私に挑んだこと!認めなよ、あんたは無力だって!あんたに私は救えない!」
 狂気を感じさせる優香の言動に、場内はシンと静まり返る。額からは流血し、腹部を内出血で青黒く染めながらも、秋山は絞り出すような声を出した。
「……そんな……こと…な…」
 だが、最後まで言い切ることはできない。優香はその言葉を叩き潰すかのように、何度も何度も竹刀を振るいまくる。打ち付けすぎたために中結が千切れ、竹刀自体が壊れてしまうような衝撃だった。
 数えきれないほど竹刀を振り続けた優香はようやく攻撃の手を止めると、肩で息をする。グロッキー状態の秋山に歩み寄り、ささくれ立った竹刀を首元に突き立てた。
「これが最後の警告ね。二度と私にはかかわらないって言うなら、許してあげる。もし、くだらないこと言うのなら…」
 含みを残し、優香は秋山の口元にマイクを当てる。
「……よ…」
「ん?」
「……あきら……め…ない……よ…」
 優香の顔が憤怒で真っ赤になる。マイクをかなぐり捨てると、今度は頭部にお見舞いしてやろうと、竹刀を真後ろに振り上げた。
「――ッ!」
 途端、秋山は無防備になった優香の腹を蹴り付け、場外フェンスに激突させる。
「あぐっ…!」
 優香が体勢を立て直すより早く手錠をポストから外すと、両手を組み、金属部分で優香の頭を殴りつけた。
 手錠が裏目に出たか、威力は通常のダブルアックスとはけた違いだ。吹き飛ばされた優香の額からは血が流れ、彼女もまた流血に追い込まれた。
「ハァッ……ハァッ…」
 激痛の走る腹部を抑えながら、秋山は先ほど優香が覗いていたリング下に潜り込む。すると案の定、手錠のカギが見つかり、ようやく両手が解放された。
 ホッとする間もなく、秋山は急いで立ち上がる。優香はまだ頭から血を流したまま、起き上がれていなかった。
 優香を引き起こしてリングに投げ入れると、リングポストに乗って待機する。立ち上がろうとしたところに飛び掛かり、ブルドッキングヘッドロックで顔面からマットに押しつぶした。
「カバー!」
 ようやくこの試合初めてのカウントを求める秋山。だが、2で返されてしまう。すぐに追撃しようとしたが、失血のためか立ちくらみしてしまう。
――このままじゃ持たない。消耗を感じた秋山は試合を決めにかかる。倒れ伏す優香をリング中央まで引っ張ると、必殺技のシャープシューターを完璧に極めた。
 中森に伝授してもらった伝家の宝刀だ。優香がいくら暴れようと離すつもりはなかった。
「ぐあああぁっ!!」
 苦痛に呻く優香。ロープに向かって這い進もうとするが、秋山にどっかと腰を落とされビクともしない。髪を掻き毟ってこらえるものの、限界は刻一刻と迫っていた。
 と、そのとき、客席が急にざわめき出す。それがブーイングに変わった途端、場外フェンスを縫って2人の女がリングになだれ込んできた。
「……ッ!」
 現れたのは、エイジ・オブ・ザ・フォールで優香と組んでいた村上姉妹。狙いは分からないが、彼女たちが味方だったことは一度もない。秋山は技を解いて迎撃態勢を取ろうとするが、それよりも早く2人が襲い掛かってきた。
 タックルされ、なすすべなく引きずり倒される秋山。ストンピングで全身くまなく蹴りつけられ、見る見るうちに弱っていく。さんざん痛めつけられた後、二人がかりで羽交い絞めにされ、無理やり引き起こされた。
 突然の乱入に客席からブーイングが飛ぶ。村上姉妹は気にした様子もなく、ニヤニヤと笑ってファンを見渡した。
「うるせえよ!てめえら、よく見てやがれ!これが新生エイジ・オブ・ザ・フォールの誕生だ!あたしらが簡単にくたばると思ったか?もう一度この団体に地獄を見せてやるよ!あたしらと、優香でな!」
 声高に宣言する千春。祭典のメインをぶち壊しにする蛮行に、四方から罵声が浴びせられる。
「ゆ、優香……どうして…」
 やはり彼女は悪に染まり切ってしまったのか。だが、予想外の乱入だったらしく、優香も村上姉妹の登場に驚いているようだった。
「やっちまえ、優香!こんな奴、さっさととどめ刺しちまえ!」
 千秋は秋山の髪を背後から鷲掴みにして顔を引き揚げつつ、持ち込んだパイプ椅子を優香に向かって蹴飛ばす。足元に転がってきたパイプ椅子を拾い上げた優香は、血走った瞳で秋山を見つめた。
「ダメだよ……優香…」
 秋山の口調は弱々しい。目の前まで歩いてきた優香が椅子を振りかぶると、観念してギュッと目を閉じた。
 直後、会場に響き渡る衝撃音。続いて、どさりと誰かが崩れ落ちる音が続いた。
「……え?」
 恐る恐る目を開ける秋山。目の前には両手で椅子を構える優香。背後には、大の字になっている千春。
「ゆ、優香……!てめぇ!」
「邪魔を……するなァ――ッ!!!」
 狂ったように叫んだ優香は、唖然とする千秋の頭にも椅子を振り下ろす。ノックアウトされた村上姉妹に囲まれ、秋山は呆然と呟いた。
「ゆう……か…?」
――助けてくれた?タッグパートナーの絆を取り戻してくれた?
 熱いものがこみ上げ、秋山は涙ぐみながら親友に駆け寄る。
「優香!」
――グシャ!
 パイプ椅子を顔面にお見舞いされた秋山がマットに突っ伏す。三人目の犠牲者を出した凶器を手にしたまま、優香は自らの頭を掻き毟った。
「ウアアアアアアァァァッ!!!」
 秋山をフォールすることもなく、身体を折って叫び続ける優香。苦痛と混乱の入り混じった悲痛な声に、会場は言葉を失っていた。

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