Ring Of Angels〜葛城早苗の物語〜

レッスルエンジェルスを題材にしたプロレス文ブログです。アメプロ好きにしか分からないネタも混じりますが、無害です。

0時31分から本気出す

相変わらず更新は0時31分という半端な時間です。
31がラッキーナンバーなのです。3月1日生まれなんでね(ダービー弟風ウソ)。

ライブドアの設定いろいろいじっていたら、遅くなってしまったんでコメント返しだけ。

>エーイチさま

なんともったいないお言葉…。
なるべく隔日で更新していくので、またお付き合いいただければ幸いです。

6月から本気出す

Ring Of Angels〜葛城早苗の物語〜の次章を6月1日からやります。
http://blog.livedoor.jp/unagiken-roa2/ここでやります。
タイトルは「Ring Of Angels 供廚任后
とうとう葛城さんの名前が抜けてしまったが致し方なし。

時系列的には、
Three Birds〜レッスルエンジェルス 三馬鹿珍道中〜の再終話直後。
つまり、武藤、ディアナ、スイの3人がWARSのトリオ・トーナメントに出場。
決勝まで進むも、龍子、石川、小川のWARS勢にROA王者の武藤がピンフォール負けを喫した後の話です。
王者のプライドをズタボロにされた武藤は龍子との王座戦を望むも、
GMの霧子はそれを許可するわけもなく…。

はたして、武藤と龍子の決着は?
葛城さんは本編に登場できるのか?
物語の幕開けまでしばしお待ちください。

――Ring of Angels Another Story――This Is The Last Time その6(終)

 地鳴りのような大歓声の中を、中森は瞬間を味わうかのようにゆっくり進む。リング上ではすでに秋山が待ち構えており、女子プロレス界に名を残す偉大なレスラーに、観客と一緒になって拍手を送っていた。
(ずっとこうしていられればいいのに)。鉄階段を上り、ロープに手をかけた中森はしばらく立ち止まる。だが、それも束の間だった。
 時間は流れなければいけない。自分は衰え、未来を担う者たちに場所を譲るべき時が来た。言い聞かせ、ロープをくぐる。
 これが、レスラーとして立つ最後のリングだ。そう思うと足を踏み出す感触さえ愛おしい。使い古したレスリングブーツが立てる摩擦音を、しばらく楽しんだ。
「お願いします!」
 秋山は両手で握手を求めてくる。いい目をしている。先輩を倒してやろうと気合十分だ。
「負けませんよ」
 微笑み、握り返す。コーナーに下がり、ゴングが鳴るまでの間に客席を見渡していた時、ふと見知った顔に気付いた。
 南側、前から3列目の左端。身を乗り出して試合開始を今か今かと待ち受けている観客とは雰囲気が違う少女がいる。彼女は中森の視線に気付くと、目深に被った帽子のつばを右手で掴み、わずかに頭を下げた。
 葛城だった。右肩のケガで長期休場を余儀なくされ、一年以上も欠場を続ける彼女は、完治するまで団体の誰とも会わないと公言していた。もちろん、今日の興行にも名前はなかったが、今夜だけは特別だと足を運んでくれたらしい。
 彼女が来てくれたことを、みんなに伝えるべきだろうか。浮かんできた考えをすぐさま打ち消す。
 いや、自分だけが知っていればいい。ほかのレスラーには伏せておいてほしかったからこそ、ファンに交じってこっそりと観戦しているのだろう。
 中森はわずかに親指を立て、感謝を伝える。周囲にばれないためだろう。葛城はそれ以上アクションを起こさず、静かにリングを見守っていた。
 大きく息を吸い込み、中森は天井を見上げる。長かったのか、短かったのか分からない道のりだった。振り返れば一瞬だが、幾多もの思い出が残った。
 これで終わりだ。試合開始と試合終了を告げるゴングの間だけが、残されたプロレスラーとしての時間だ。
 早くも泣き出しそうな秋山を見て、自然と笑みが浮かぶ。そういえば、自分はリングで泣いたことなど一度もない。もしかしたら、試合後に感涙しているのだろうか。
 まあいい。試合が終われば、なるようになる。今はただ、残り時間を楽しみたかった。
「さあ、いきましょうか」
 様子を見守っていたのだろう。レフェリーがタイミングよくゴングを要請する。まばゆいスポットライトの中心に、中森は颯爽と飛び出した。

――Ring of Angels Another Story――This Is The Last Time その5

 迎えた中森の引退興行。普段のバックステージでは見られない豪華な顔ぶれがそろっている。ロイヤル北条やRIKKAら、大先輩を前に、ROAのレスラーはいささか緊張気味だった。
「よう、元気そうじゃないか『仕事人』。お前はいつまでも地味にやってくもんだと思ったが、まさか先に引退されるとは思ってなかったよ」
「あなたはあと何年やるつもりですか?『地獄の番犬』。いつまでも出張っていると煙たがられてしまいますよ」
「とっくに邪魔に思われてるさ」
 中森と軽口を交わし、がははと豪快に笑うのはガルム小鳥遊。日本屈指の重量級レスラーとして広く顔を知られる彼女もまた、中森と親交があった。
「寂しいもんだね。吉原も引退しちまって、あとは理沙子と六角くらいかい?この業界を苦労して開拓したのはあたしらなのに、新参者に大きな顔されるのは気に食わないんだけどね」
「そう悲観する必要はありません。私はこの団体に来て、時代は変わるものだと受け入れることができました」
 目を細める中森。招待選手に忙しく挨拶をしている秋山を見つけると、手招きして呼び寄せた。
「紹介します。後輩の、秋山美姫さんです」
「こ、こんにちは!」
 丁寧に頭を下げる秋山に顔を上げるように言い、ガルムは顎に手を当ててまじまじと観察した。
「知ってるよ。こんなにかわいい顔してるんだから、派手な技使えばもっと人気出るだろうに。あまりこいつを心酔するなよ。お前も地味地味になっちまうぞ」
「ご心配なく。美姫さんはタッグ王者ですし、すでに実績では私より上です。もちろん、人気もありますから」
 大先輩に冗談を言われ、まごつく秋山に中森が助け舟を出す。意地悪くガルムが笑っていると、どこからか会場中に響くような元気な声が響いた。
「お〜い、あずみ!久しぶりだな!」
 ぶんぶんと腕を振り回し、タックルするような勢いで突進してきたのは、中森の旧友のフォクシー真帆。久しぶりの再会に、真帆はガルムや秋山などお構いなしに中森に抱きついた。
「なーなー、どうして真帆があずみの相手じゃないんだ?もう一回あずみと戦いたかったぞ!」
 無邪気に尋ねられ、中森は言葉に窮する。どうしたものかと思案している間に、秋山が口を開いていた。
「今夜の興行は、私がマッチメイクさせてもらいました。意志に添えていなかったら、ごめんなさい」
「ん?ということは、あずみと試合できないのはお前のせいか?っていうかお前、今日あずみと戦う奴だろ!」
 髪の毛を逆立出せながら真帆が唸る。彼女の言う通り、今日のメインイベントは中森と秋山の師弟対決だった。マッチメイクを任された秋山が下した決断は、自分が中森の最後の相手を務めることだった。
「ずるいぞお前!真帆だってあずみと戦いたかったぞ!」
 子供のように頬を膨らませる真帆。中森は場をとりなそうと割って入りかけるが、ふと動きを止める。普段の秋山なら申し訳なさそうに頭を下げていただろうが、この時は力強い表情で真帆を見つめ返していた。
「ごめんなさい。でも、絶対に譲りたくなかったんです。私は、あずみ先輩を心から尊敬しているから…」
 蚊帳の外のガルムは、興味深そうにやり取りを見つめている。
「む〜…『ソンケイ』とかよく分かんないぞ!もっと分かりやすく言え!あずみのこと好きなのか、好きじゃないのか、どっちだ!」
「へ?そ、その…」
「真帆はあずみのことが大好きだぞ!お前はどうなんだ?」
 困ったように中森を横目で見る秋山。しばらく口ごもっていたものの、意を決したように叫んだ。
「だ、大好きです!私は、中森さんのことが大好きです!」
 ガルムが口笛を吹いてはやし立てる。眉間にしわを寄せていた真帆だったが、あっさりと笑顔に戻った。
「なら、仕方ないな。あずみはいい奴だから、早いもん勝ちだな」
 納得したのか、一人頷いている。真っ赤になっている秋山に親指を立てると、満面の笑みを浮かべた。
「おいお前!変な試合したらただじゃおかないからな!ガンバレよ!」
 一方的にまくしたてると、どこかへ行ってしまう。呆気にとられている秋山に苦笑しつつ、中森は彼女の肩をたたいた。
「悪く思わないでください。真帆は、思ったことをすぐ口に出してしまうのです。本当は明るく、楽しい性格なのですが」
「いえ、いい人だというのは分かりました。それに、納得もしてもらったみたいですから」
「愛の告白もできたしな」
「へ?ええぇ!?」
 ガルムに突っ込まれ、秋山はあからさまに狼狽してしまう。苦笑いした中森は、ポンと弟子の頭に手を置いた。
「あまりからかわないでください。この子は真面目なんです」
「はは、照れるな照れるな。おう、秋山とやら。遠慮して勝ち星譲るんじゃねえぞ。未練残さず引退できるよう、きっちりぶちのめしてやれ」
 物騒ながらも優しい口調に、秋山は思わず首を縦に振る。ガルムは一笑したあと、「じゃあな」と別れを告げ、どこかに歩み去った。
「まったく、いつまでもあの人は変わらない。一度くらい泡を食わせてみたかったものですね」
 苦笑を浮かべる中森。広い背中を見送った秋山は中森に向き直ると、ぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい……あずみ先輩」
「どうかしたのですか?」
 不思議そうに聞き返す中森を、秋山は真剣な眼差しで見つめた。
「フォクシーさんもガルムさんも……いえ、今日の興行に出てくれる人たちはみんな、あずみ先輩を好きでいてくれる人たちです。みんなあずみ先輩と戦いたかっただろうし、あずみ先輩もみんなと戦いたかった。でも、私は自分の気持ちを優先して、みんなの願いを叶えようとしませんでした」
「それは大げさです。それほど私を慕ってくれている選手など…」
「いえ、本当のことです。だからこそ、私は全力を尽くします。みんなの気持ちを背負って、120%で戦います。だから、私のことは心配しないでください。最後の時間を、思う存分に楽しんでください!」
 熱っぽく語る秋山を、中森は驚いたように見つめる。いつも冷静で思慮深い彼女が、ここまで感情的になるのは珍しかった。
 彼女がどれほど自分を慕ってくれていたか、改めて感じる。そして引退するまでに彼女と巡り合えたことに心から感謝した。
「『試合を楽しめ』……ですか」
「あ……ご、ごめんなさい!生意気でした…」
 頭を下げかける秋山を手で制すると、中森は嬉しそうに微笑んだ。
「そんなことを言ってもらえたのは、ずいぶん久しぶりな気がします。私はずっと言う側でしたから」
 思い出す。あれはいつのことだったろうか。憧れていた大先輩と初めて試合が組まれたとき、そう声をかけてもらった。ただただ緊張し、かちこちになってしまっていたが、その一言に救われた。そして誓ったのだ。自分も同じことを言ってあげられるようになりたいと。
 何人もの対戦相手を務め、何試合も名勝負を生み出した。信頼を得、いつしか「仕事人」と呼ばれるようになった。だが、その役目ももう終わりだ。
 自分に「試合を楽しめ」と言ってくれる人がいる。これからは、秋山が地位を築いていくだろう。
「…誰でもいいと思っていました。最後の試合でも、果たすべき役割は変わらないと。ですが、今はあなたが対戦相手でよかったと思っています。あなたなら、私のすべてを任せられる。あなたのような後輩を持てたことを心から誇りに思っています」
「あずみ先輩…」
「私が追い求めてきたプロレスを、あなたとなら体現できる。私が過ごしてきたこれまでの日々の集大成をお見せしましょう。ファンと、そしてあなたに」
 どちらからともなく手を差し出すと、しっかりと握手を交わす。
「それでは、リングで」。中森は短く言うと、旧友たちの元に歩いて行った。
 ぬくもりが残る右手を、秋山は胸の前でギュッと握る。まるで、身体に中森の思いを刻み込むように。

――Ring of Angels Another Story――This Is The Last Time その4

 内田と話した翌日、秋山は中森を誘い、合同練習を行った。引退間際とはいえ、中森の動きはROAレスラーの中でもそん色ない。スピードは落ちたが、一瞬一瞬の鋭さはむしろ増しているように思えた。
――引退するのはもったいない。
 絶えないファンの声も納得できた。それでも中森が決意した以上、秋山には反対する気はなかった。
 三時間みっちり鍛え、へとへとになって練習を終える。中森にタオルとスポーツドリンクを渡すと、さりげなく隣に座った。
「お疲れ様です。もうすっかり歯が立ちませんね」
「そ、そんなことないです。私なんてまだまだです」
 笑顔の中森を見ると、ドギマギしてありきたりのことしか言えなくなってしまう。汗を拭う振りをして、慌てて視線を逸らした。
「ところで、私の引退後の去就をまだ話していませんでしたね」
「フロント入りして、ROAで働くんですよね?」
 何気なく答える秋山に、中森は悲しそうに首を振った。
「いつかは、と考えていますが、すぐに働くわけではありません。しばらくはこの業界と関係ない場所で、静かに暮らそうかと考えています」
「え……そう、なんですか?」
「はい。距離を置いて見えることもあるでしょう。色々な知識を蓄え、もっと役に立てるようになってから、団体にお世話になるつもりです」
 秋山は「そうですか」と返事をするものの、気落ちした様子だ。重くなった場の空気をごまかすように咳払いし、中森は話題を変えた。
「それはさておき、私の引退興行の準備は順調ですか?困ったことがあったら何でも言ってください」
「はい。……あの、聞いてもいいですか?」
 問いかけに、中森は肩をすくめて応える。なるべく普段通りの口調を心掛けながら、秋山は尋ねた。
「引退を決めたきっかけって、何かあったんですか?もし私があずみ先輩の立場だったら、自分から辞めようなんてなかなか言い出せないと思って…」
「それは、あなたがまだまだ伸び盛りだからですよ」
 穏やかに笑う中森。
「私も、あなたの年齢のころは自分の引退などまったく想像できませんでした。いえ、正直に言えば、引退と向き合えたのはここ2、3年の話ですね」
「本当ですか?」
「えぇ。それまでは自分の衰えを認めながらも、踏ん切りはつけられませんでした。ですが、次第に身を引くべき時が来たと思えるようになったのです」
「どうしてですか?」
「反対に尋ねますが、あなたはどういう時、引退を考えると思いますか?」
 突然質問を返され、秋山は戸惑い気味に答える。
「え、えと……大怪我をしてしまった時…ですか?」
「それも一例かもしれませんね。ですが、私は故障を負ってはいませんよ」
「あ、そうですね。じゃあ……情熱を失ってしまった時?あ、でもこれも、あずみ先輩には当てはまらないか…」
 難しい顔で考え込んでしまう秋山に笑いかけ、中森は先を継いだ。
「私たちは、引退する運命から逃れることはできません。『生涯現役』という場合もありますが、それも言葉だけのこと。肉体が衰えれば、全盛期の動きとは程遠くなります。それは、時に恐怖心を伴う事実でした」
 懐かしそうに目を細める中森。
「誰しもがいずれは直面することです。そして、誰しもがそれぞれの方法で引退と向き合っていく。必要ないと言われるまで業界にしがみつく。あるいは強敵に挑み、華麗に散っていく。私の場合は、あなたがいてくれたことが一番の要因でした」
「私……ですか?」
「後継者……と言うと、おこがましいですね。そうですね、理解者とでも言いましょうか。あなたは私のスタイルに共感し、多少なりとも受け継いでくれた。私とて、この業界で生きた証を残したいという人並みの欲求はあります。ですが知っての通り、私は色々な団体を渡り歩きましたが、主要なタイトルに絡んだことはありません。引退したとして、5年後、10年後に私を覚えていてくれる人はいるのか。そう悩んだ時期もありました」
 初めて聞く師匠の告白に、秋山は真剣に耳を傾けた。
「あなたは私のことを忘れないでいてくれる。もしかしたら、あなたを通し、私のことを思い出してくれるファンがいるかもしれない。そう思うと、引退する恐怖はなくなりました……もっとも、あなたにとっては迷惑な話かもしれませんが」
 珍しく饒舌に話した中森は、反応を窺うように弟子を盗み見る。秋山は手にしたスポーツドリンクを飲むのも忘れ、呆けたように視線をさまよわせていた。
「迷惑と言えば、あなたに引退興行のカードを任せた趣旨も説明しておくべきでしたね。ROAに入団してからは、私はマッチメイクに関わることが多くなっていました。久しぶりに、全くカードが分からない状態で興行に参加したいというわがままです。ですから、私のことをそれほど深く考える必要はありません。あくまでもファンのため、盛り上がる興行になるよう意識してください」
「はい…!」
 秋山は力強く頷く。彼女の中で、何かが吹っ切れたようだった。

――Ring of Angels Another Story――This Is The Last Time その3

 それからは寝ても醒めても、中森の引退興行について考え続けた。第一試合は美沙に場を温めてもらい、第二試合は優香と小早川のハイスピードバトルを――そんな風に考えていたが、すぐに思考がストップしてしまった。
 ふと気づいたのだが、メインが決まらない限り、他のカードの組みようがないのだ。興行の流れや、選手配置を考えると、最注目である中森の引退試合を最優先し、そこから組み立てていくほかない。まずは興行の核となるメイン戦を組む必要があった。
「あずみ先輩の最後の試合かぁ…」
 もし自分だったらと想像してみる。やはり、最後は優香とともに戦いたい。同じコーナーでも、あるいは、反対側のコーナーでもいい。
 そう言えば、中森に盟友と呼べるレスラーはいるのだろうか?フリーのフォクシー真帆とは仲がいいという話を聞いたことがある。実際、中森から渡された招待選手のリストの中にも入っていたが、特にいいポジションで使ってくれるようリクエストを受けたわけでもない。
 プロ入りする前は一ファンだったこともあり、中森の試合の大半は見てきたが、ライバルやパートナーと呼べるようなレスラーはいなかったような気がする。誰とでも抗争し、誰とでもタッグを組み、相手を引き立ててはまた違う組み合わせに移る。どの団体に行っても、中森の立ち位置はずっと変わらなかった。
「仕事人」という二つ名を受けたのも、そのあたりの働きを評されてのものだろう。私情を殺し、団体の求めるまま働く。
 そんな彼女にとって、引退試合は最初で最後の、自分自身のための興行になるだろう。
「プレッシャーだなぁ…」
 ベッドに仰向けになり、ぼんやりと天井を見つめる。
 若いレスラーが集まるROAでは、これまで引退試合が行われたことはほとんどない。過去に行われた唯一の試合は、ミミ吉原がラッキー内田と行った一戦のみ――。
「そうだ」
 ハッと身を起こす秋山。次の瞬間には携帯電話を手にしていた。


「んで、私のアドバイスが欲しいってわけ?」
 そう問いかけ、コーヒーをすする内田に、秋山は頷いてみせる。二人がいるのは道場の近くにあるとあるカフェの一室。昨夜、秋山が電話をかけたのは、団体でただ一人引退試合を経験している彼女だった。
 プライベートでは眼鏡を使用している内田は、理知的なルックスがさらに強調され、とても魅力的だ。以前、似合っていると褒めたことがあったが、本人は気に入っていないのか、嫌な顔をされてしまった。
「はい。吉原さんと戦った内田さんなら、いいアイディアがあるんじゃないかと…」
 内田に声をかけたのは、彼女がミミ吉原の対戦相手を務めたからだった。師弟関係にあった二人の戦いは、内田の勝利で終わり、ミミは業界から身を引いた。
「でも、私の時とはちょっと違うでしょ。泉さんは私と試合して、負けたら引退することになってただけで、初めから辞めるつもりじゃなかったし」
「あ……そうか。そ、それでも、聞きたいんです。ミミさんと試合して、どう感じたとか」
「そうね」。内田は唇に手を当てて考え込む。「やっぱり、気合は凄かったわね。全身全霊こめてる感じ。技を受けてると鳥肌が立ったわ」
 秋山はフムフムと頷くと、手にしたメモ用紙に『鳥肌が立つ』と律儀に書き込む。それは何かの役に立つのかと突っ込みたくなるのをこらえつつ、内田は続ける。
「それと……私が意識してたのは、『泉さんのすべての技を出させてやる』ってことかな。試合終わった後、『あの技出しておけばよかった』なんて後悔して欲しくなかったし」
「なるほど……あ、でも…あずみ先輩の場合…」
「ん?……あ〜」
 思い当り、頷く内田。中森はその持ち技の多さから、『千の技を持つ女』との異名を取っている。馬鹿正直に一つ一つ披露していけば、試合時間が一時間あっても足りないだろう。
「ま、まあ……そういう意気込みで戦ったってことよ。どうせ秋山が相手務めるんでしょ?お互い悔いの無いように…」
 話を進めようとする内田を、秋山が遮った。
「あ、違いますよ。あずみ先輩の引退試合は、他の人にやってもらおうと思ってます」
「へ?そうなの?中森さんからリクエストあったの?」
「違います。でも、私とあずみ先輩が知り合ったのはここ数年のことですし、私よりずっとふさわしい人がいると思うので」
 無欲に微笑む秋山を、内田は呆れたように眺めた。
「あんた、どんだけお人よしなのよ。中森さんはあんたの憧れだったレスラーでしょ。一世一代のチャンスを、他の奴に譲るってわけ?」
「この興行は、私のものじゃありません。あずみ先輩が一番喜んでくれるような引退興行にしたいんです。そう考えると、メインに立つのは私じゃないかなって…」
 ジッと見つめると、秋山は不思議そうに首を傾げる。どうやら謙遜ではなく、本心から話しているようだ。
「人が良すぎるってのも、それはそれで嫌味よね…」
「へ?何か言いました?」
「何でもないわ」
 首を振りつつ、内田は大きく息を吐いた。
「ねえ、秋山。遠慮しないで、中森さんに誰とやりたいか聞けば?サプライズで喜ばせたいのは分かるけど、大すべりしたら元も子もないと思うんだけど」
「それはそうなんですけど……やっぱり、任されたからには自分の力で何とかしたいんです。きっと、あずみ先輩もそれを期待してると思うから」
「秋山……あんた、注文多すぎ」
「ご、ごめんなさい!」
 顔を真っ赤にして頭を下げる秋山。相変わらず、中森のこととなると性格が変わってしまうようだ。
「まあ、いいわ」。苦笑しつつ、内田は眼鏡を外す。「とにかく一度、中森さんと話してみたら?別に希望の対戦相手を直接訊かなくても、引退決めたきっかけとか、今までで一番思い出に残ってる試合とか雑談すれば、少しはヒントが見えるんじゃないかしら」
「そうですね」。頷き、秋山はぺこりと頭を下げた。「あの、ありがとうございます。相談に乗ってもらって。ずっと悩んでたから、楽になりました」
「別にいいけど…」。内田は一口コーヒーをすすると、人差し指を立てた。
「一つアドバイス。今度の興行は確かに中森の引退記念だけど、あんたにとっても最後になるのよ」
「え?私はプロレスやめませんけど…」
「違う。そうじゃなくて…」。ため息を吐き、内田は秋山を見つめた。「あんたが中森さんと一緒に出場する、最後の興行だってこと。メイン戦が終われば、もう二度とタッグを組むことも、戦うこともできない。そのことちゃんと分かってる?」
「……はい」
「私の知る限り、あんたが自分の名前をメイン戦に置いたとして、文句を言う奴は一人もいない。もっとも、私は中森さんのこと詳しく知らないし、事情があるのかもしれない。けど、ただ遠慮してるだけなら馬鹿馬鹿しいわ。たまには、わがまましてみたら?」
 素っ気ないながらも優しい言葉に、秋山は黙って頷いた。

――Ring of Angels Another Story――This Is The Last Time その2

 それから数日後――。
「たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへーん!!」
 どこかで聞き覚えのある言葉に、優香は手にした雑誌から視線を上げる。案の定、数秒もしないうちに秋山が飛び込んできた。
「大変なの、優香、大変!」
「変態がどしたの?」
「変態じゃなくて、大変だってば!」
 いつもなら苦笑して突っ込むところだろうが、その余裕もないのか、息を切らしてこちらの両手を握ってきた。
「あのね、あずみ先輩に言われたの。『私の引退興行のマッチメイクは、全てあなたに任せます』って」
「あ、そう。よかったじゃん」
「よくない!全然よくないよ!」
 絶叫し、首を絞めんばかりにぶんぶんと相方を振り回す秋山。優香は目を回しながら、必死に待ったをかけた。
「ストップ!すと〜〜っぷ!!マジでくらくらするから!」
「あ、ご、ごめん…」
 ようやく解放され、優香は頭を振って目の前の星を追い払う。やっと視点が定まり、もう、と頬を膨らませた。
「これ以上バカになったら美姫が困るっしょ。責任とってくれるの?」
「ごめん、混乱してて…」
 深呼吸して心を落ち着かせる秋山。彼女がこれほど取り乱すのはめったにないことだった。
「んで、あずみさんの引退試合のマッチメイク任されたんだっけ?いいじゃん。好きな試合組めるんでしょ?めっちゃ楽しそうじゃん」
「そんな無責任なこと言わないでよ。あずみ先輩が出場する最後の大会なんだよ。どんなカード組んだらいいのか、分からないよ…」
 一応、中森が呼びたい選手には彼女自ら声をかけてくれるそうだ。招待する選手の名簿を渡され、ROAメンバーも加えた全員が出場できるようカードを組めばいいのだが、十六夜美響や八島静香等、大ベテランの名前を見ると萎縮してしまう。
 さらに問題なのが、中森の最後の一戦の対戦相手も指名しなくてはいけないということだった。
「仕事人」の二つ名を持つ中森は、その名の通り、一切の私情を挟まずリングに上がり続けた。時には若手の引き立て役として、時には伸び悩む中堅の後押しとして、その場その場で望まれる役割に応えてきたのだ。彼女との試合を希望するものは多いだろうが、彼女が自分から他のレスラーを指名したことはない。誰が中森の引退試合の相手にふさわしいのか、さっぱり想像がつかなかった。
「ってかさ、なんで美姫がマッチメイク任されたわけ?」
「それは……みんなをまとめたりとか、霧子さんとのやり取りとか、あずみ先輩が今までやって来たこと、私に引き継ぎたいって言われて。自信がないって言ったら、『物は試しだ』って話になって…」
「それで、引退試合のカード決定任されたの?ふえぇ〜、あずみさんも結構思い切ったことすんなぁ」
 もちろん、まだ第一線で活躍中の秋山がマッチメイクを行うことはない。だが、いずれはその任を務めさせたいという中森のメッセージだろう。自分の引退興行ならROA本体とは関係が薄く、失敗してもいいという気遣いもあるのだろうが、秋山にとっては逆効果だった。
 尊敬し、憧れる先輩の最後の大一番を自分の決定が左右してしまう――そのプレッシャーに、秋山は押しつぶされそうになっていた。
「でもさ、やっぱ、あずみさんのこと一番分かってるのは美姫だと思うよ。だからあずみさんも美姫にやらせたかったんだと思うし。私にもできることあったら手伝うから、最高の引退興行になるように、全力尽くしてみようよ」
「うん……そう、だね」
 優香に励まされ、ようやく秋山に笑顔が戻る。
「うん。頑張るよ、私。あずみ先輩が心置きなく引退できるように、私がしっかりしないと!」
「おっし、その意気だよ、美姫!」
 不安は大きい。だけど、自分が頑張れば、恩師に最高の花道を用意することができる。
 プレッシャーを感じながらも、秋山は同時に高揚している自分に気が付いた。

――Ring of Angels Another Story――This Is The Last Time その1

「たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへーん!!」
 いったん言葉を切った優香は、大きく息を吸い込み直すと、再び駆け出しながら先ほど以上の大声で叫ぶ。
「たいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたいへんたーい!!」
 蹴破らんばかりの勢いでドアを開く。ビックリした様子でこちらを振り返っているのは、パートナーの秋山美姫だった。
「へんたいだよ、美姫!へんたい!!」
「へ、変態?どこどこ?」
 恐る恐るあたりを見回す秋山。きょとんとした優香は、息を切らせながら首を横に振った。
「あ、違った。大変の間違い」
「なんなの、もう…」
 にゃははと笑いながら頭をかく優香。と、突然泣きそうな顔になると、すごい勢いで突進してきた。
「って、そんな場合じゃないよ、美姫!大変なの!大変!!」
 猫の目のように、忙しくテンションの変わる彼女に慣れっこになっている秋山は、特に動じた様子もなく問いかける。
「落ち着いて、優香。何が大変なの?」
「あずみさんが、来月に引退するって!」
 てっきり、大声を上げてうろたえるだろうと身構える優香だったが、秋山の反応は予想していなかったものだった。
「うん。知ってる」
「……へ?」
 ぽかんとする優香に、秋山はさらに重ねて言った。
「知ってるよ。この前、あずみ先輩に相談されたもん」
 肩透かしを喰らった優香は、「なんだー」と安どのため息を吐きながら、手近にあったイスに腰掛けた。
「心配して損した。錯乱して、奇声上げながら素っ裸で外に飛び出すかと思ったのに」
「それこそ変態でしょ…」
 冷静に突っ込みを入れてくるところを見ると、やせ我慢などではないようだ。優香は不思議そうに首を傾げた。
「んでも、相談されたって、いつされたの?」
「ん〜、一週間くらい前かな。話があるって言われて、一緒にご飯食べに行って…。そこで教えてもらったの」
 秋山は中森にあこがれてプロレスの世界に飛び込んだ。紆余曲折ありつつも師弟関係を結び、深い信頼関係にある。中森が転機を迎えていたなら、秋山に話をしているのも頷ける話だった。
「『引退を考えてるけど、反対か』って聞かれたから、いいえって答えたの。あずみ先輩の思うようにしてくださいって」
「ええぇ〜!?引き止めなかったの?」
「うん」
 すっきりした表情で笑う秋山。
「だって、今まで私のためにいっぱい時間もらったもん。これ以上、あずみ先輩に迷惑かけちゃいけないと思って」
「んも〜!乙女心を分かってないなぁ、美姫は。わざわざそんなこと訊くんだから、引き止めて欲しかったに決まってんじゃん。美姫だってホントはもっとあずみさんと一緒に試合したかったっしょ?」
「優香に乙女心を語られるとは思ってなかったな…」
 したり顔で説教してくるパートナーに苦笑いし、秋山は首を横に振る。
「そりゃあ私だってあずみ先輩ともっとチーム続けたかったけど、仕方ないよ。あずみ先輩は自分が続けたかったら、私にそんなこと言わなかったと思うし。聞いてくれたのは、本当に私のことを気遣ってくれたからだよ」
「そうなのかにゃ〜。ま、あずみさんのことは美姫が一番よく知ってると思うし、美姫が思うんならそうなんだろうけどさ」
 詳しいことは明かされていないが、フロント入りを期待されている中森は、将来に備え、マッチメイクなどの試合以外の役割を担っていた。そういう立場から、あまり特定の選手と距離を近づけないように心がけているようだったが、秋山だけは別だった。それは、互いに神経質なほどに公私の区切りに気を使い、一線を越えない信頼関係を築いているからだろう。
 誰よりも周囲に気を使うくせに、不器用なくらい自分には厳しい。思えば、よく似た二人だった。
「憧れの選手だったあずみ先輩と、いっぱい同じ時間を過ごせた。だから、それでいいんだ。後悔なんて一つもないよ」
「ふ〜ん。まあ、私は美姫がいいんならそれでいいよ。てっきり落ち込んでるかと思ったけど、大丈夫そうで安心した」
 にゃははとおどけて笑う優香。彼女と、中森と三人でユニットを結成していた。中森の引退を惜しんでいるのは、優香とて同じなはずだ。それでも、真っ先に自分の心配をしてくれる。
 中森の相談を受けとめられたのも、彼女がいてくれたおかげかもしれない。彼女がいてくれる限り、一人ぼっちになることはない――そう思えたから。
「んにゃ?どったの?」
 ぼんやりしている秋山に、不思議そうに首を傾げる優香。
「ううん、なんでもない」
 慌てて瞬きし、秋山はにこりと笑った。

――Ring of Angels Another Story――Coming Home その5(了)

「ったく、あそこまで本気になることないでしょ。痛てて…」
 ぶり返してきた頭痛に顔をしかめつつ、手にしたグラスを傾けているのはエミリー。年齢以上に幼く見られる童顔のあちこちに絆創膏が貼られ、見るも無残な状態になっている。その真正面に座った見事な体格の女が、「ふっふっふ」と低い笑い声を漏らした。
「お前と戦うのが久しぶりだったのでな。嬉しくてつい張り切ってしまった」
「よく言うわ」
 悪びれず嘯くのはカオス。エミリーはプイと横を向いて、不機嫌に呟いた。
「そう怒るな。ともかく、これで私はヒールターン。お前はリングから離れなくてはいけないほどの大ケガを負ったわけだ」
「ストーリー上は、ね」
 そう。全てはタッグ解消、そしてカオスのヒール化と、エミリーのWWCAからのフェイドアウトを行うため、2人で仕組んだ騒動だった。もちろん、社長や永原すら企みには気付かず、カオスの暴走と思っているはずだ。
 計画を練り始めたのは、カオスと口論になりかけた日。言い過ぎたと反省したエミリーは彼女のもとを訪れ、謝罪したのだが、その際に氷室を心配していることを打ち明けたのだ。
 黙って聞いていたカオスは、話し終わるのを待って短く結論を出した。「ROAに移籍すればいいと」。
「悪いわね。汚れ役押し付けちゃって」
「構わないさ。たまにはヒールをやってみたかった。それに、私は十分にお前と共に戦えた。残された時間は、ヒムロやカツラギと過ごすべきなのだろう」
 エミリーが引退間近なことは、カオスもよく分かっていた。タッグ王者となったエミリーが、WWCAで果たすべき役割はなく、ただ時間を浪費するよりは、盟友たちの元に戻る方が良いだろうと判断したのだった。
「ねえ、カオス。私、あなたのことが大好きよ」
「どうした?急に」
 エミリーは顔を伏せ、申し訳なさそうに声を落とす。
「単なるわがままなんだけど……カオスより、紫月や早苗の方を選んだって言う風には、思って欲しくないの。私にとっては、みんな何よりも大切な友達だから。カオスにはWWCA復帰の手助けをしてくれて、タッグ王者にもなれて、本当に感謝してる。ROAに帰るのは自分勝手なことだって、ちゃんと分かってるつもり、だから…」
「せっかく一仕事終わったのに、辛気臭い顔をするな。私のことなら気にする必要はない。どこの馬の骨かもわからない男に奪われるならともかく、ヒムロとカツラギなら私もよく知っている。お前が幸せになってくれることが、私の喜びだ」
「カオス…」
 テーブル越しに身を寄せるエミリー。カオスの広い背中に手を回し、抱擁を交わした。
「あなたと出会えてよかった。どんなに忙しくても、私のこと忘れないでね」
「忘れるわけないだろう。私のタッグパートナーはお前だけだ」
 カオスと別れるのはこれで2度目だった。だが、喧嘩別れだった初回と違い、これでよかったのだと、疑うことなく思えた。
――次に会うのは、私の引退試合ね。その時は、私とあなたが組んで、紫月・早苗チームと戦うのはどうかしら?
 胸の中で呟きながら、エミリーはカオスの胸に顔をうずめた。


 今、日本は朝の9時ごろだろうか。どうせ出ないだろうと諦め半分でボタンをプッシュする。案の定、留守番電話につながるが、気落ちすることなくメッセージを残す。
「紫月?私、エミリーよ。今日はいい知らせがあるの。聞き終わったら、ROAのみんなに伝えて」
 自然と顔がにやけてしまう。大きく息を吸い込み、力強く宣言した。
「帰るわ。私のホームに。エミリー・ネルソンが、ROAに復帰するわよ!」

――Ring of Angels Another Story――Coming Home その4

 永原がWWCAにやって来てから一週間後、次シリーズの予定カードが発表された。メールに添付されたデータを開いた途端、思わず手が止まってしまった。
「うそ…」
 一発目の興行。そのメインイベントに、「ダークスターカオスvs.エミリー・ネルソン」の文字があった。


「どういうことですか?私とカオスは何の因縁もないじゃないですか」
 翌日、社長室に乗り込んで抗議するも、社長は椅子にふんぞり返ったまま、悪びれなく告げる。
「カオスからの対戦要望だ。パートナー対決、面白いじゃないか。開幕戦のメインなんだから、しっかり盛り上げてくれよ」
 無責任に話し、まるで犬でも追い払うかのようにしっしと腕を振る。エミリーは顔をしかめると、叩きつけるように扉を閉めた。
(話にならないわ……あのバカ社長!)
 話題性があると判断すれば、後のことは考えずに飛びつく性格だ。カオスに発案され、二つ返事で了承したのだろう。相変わらず、話題集めのためなら何でもやらせる社長だ。
 憮然として歩いていると、永原とすれ違った。
「あ、エミリーさんちわっす。おかげさまで、次から私も出してもらえるみたいですよ」
「そう」
 能天気に笑う永原に付き合う気にならず、気のない返事を返す。
「ねえ、最近カオスに何か聞かれなかった?例えば……ROAのこととか」
「へ?そういや……エミリーさんが氷室さんに連絡取ろうとしてることとか聞かれたような…。ひょっとして私、余計なこと喋りました?」
 よほど怖い顔をしていたのか、おずおずと永原が尋ねてくる。首を振り、エミリーは笑みを浮かべて安心させてやった。
「ううん。ちょっと事情があって。気にしなくていいわ」
「ならいいんですけど」
 ホッとしたように微笑む永原。結局、試合を変更させることはできず、そのまま問題の興行日を迎えてしまった。


「本日のメインイベント――ダークスターカオスvs.エミリー・ネルソンを行います」
 アナウンスを受け、エミリーは顔を強張らせて花道を歩く。歓声に応じる心の余裕はなく、腰を落として盟友を待ち受けた。
「続きまして、ダークスターカオスの入場です」
 重低音が響く物々しい入場曲と共に、カオスがのっそりと現れる。マスクに隠れて表情は分からないが、決して好意的な雰囲気でないことは察せられた。
 初めて見る、「恐い」ダークスターカオス。これまで宿敵にしか向けられなかった視線が、自分を捉えている。
「カオス…」
 言葉を発しようとして、口の中がからからに乾いていることに気づく。何とか続けようとしたが、それを拒絶するかのようにカオスは掌をこちらに向けた。
「弁解しなくていい。お前の考えていることは分かっている」。淡々と、それでいてドスの利いた低い声で話す。「お前とナガハラを会わせたのは間違いだったようだ。日本が恋しくなったか?」
「なに……言ってるの?」
「とぼけるな。こそこそとナガハラにROAのことを聞きまわって、復帰を打診するつもりだったのだろう?WWCAの何が不満なのだ?お前のようなレスラーがタッグ王座を獲れたのだ。それで十分だろう」
「なっ…!」
「本当のことだろう?お前がWWCAに復帰できたのも、タッグ王者になれたのも、すべて私のおかげだ。それを裏切り、お前は日本に戻ろうと企んでいる」
 全身の筋肉が盛り上がり、身体が一回りは大きくなったように見える。無意識のうちに、エミリーは一歩後退していた。
「お前には失望した。それほど移籍したかったら、私を倒してからにしろ。もっとも、試合が終わった後も動ければ、だがな」
 言い終わると同時に、丸太のように太い腕が横なぎに飛んでくる。タッグを組み、癖を知っていたからこそ間一髪かわすことができたが、まともに喰らっていればKO寸前になっていたかもしれない。
「ま、待って!話を聞いて!」
「問答無用だ」
 本気だ。耳元で唸りを上げる豪腕が、彼女が本気であることを告げている。バランスを崩し、転げて距離を置きながら、エミリーは必死に懇願した。
「やめて…!あんたとは、戦いたくない!どうして私たちが戦わなくちゃいけないの…?ねぇ、カオス!?」
 悲痛に叫ぶも、カオスは会話を続ける気は無いようだった。仕方なく、エミリーもようやくファイティングポーズをとる。
(カオスのバカ!私には移籍する気なんて…)
 本当になかったのか?ふと湧いた疑問に、思わず足が止まる。ROAに復帰し、氷室のそばにいてやる。カオスに遠慮して言えなかっただけで、本当はそうしたかったのでは?
 足が止まったところに、カオスが突っ込んでくる。回避する余裕はなく、強烈なショルダータックルで軽々と吹き飛ばされた。
「あぐっ!?」
 したたかに後頭部を打ち付け、目の前で星が回る。立ち上がれないでいると、近づいてきたカオスに頭上に持ち上げられる。
「くっ…」
 身をよじって抜け出すと、カオスの背後に着地する。振り向かせざま得意のヨーロピアンアッパーを打ち込むも、全く動じた様子はない。むんずと首根っこを掴まれると、怪力でリング外まで投げ飛ばされてしまった。
「あうぅっ!?」
 場外フロアに身体をぶつけ、苦痛の悲鳴を漏らす。リングから降りてきたカオスに引きずり回されると、乱暴に観客席に投げつけられてしまった。
 盛大にパイプ椅子を巻き込みながら、エミリーが転がる。タン夏パートナー対決だと思っていた観客たちも、次第にカオスの尋常ならぬ様子に気付き始めていた。
「どけ!」
 行く手に立ち止まっていた観客を押しのけ、カオスがエミリーに迫る。床の上にパイプ椅子を何層にも重ねると、ボディスラムで投げ捨てた。
「――ッ!?」
 背中を押さえ、転げ回るエミリー。だんだんと大きくなり始めたブーイングに威嚇する仕草を見せ、カオスはリング内に戻った。
(痛い……本気でやられた)
 仰向けに転がり、エミリーは荒く息を吐く。すぐに立ち上がることができず、情けなくもごろごろ転がってリング脇に辿り着いた。どうにかボトムロープに手を引っかけ、身体を引き上げる。ようやく起き上がった途端、突っ込んできたカオスに串刺しボディプレスを浴びせられる。
「キャアッ!?」
 倒れたところに巨体がのしかかってくる。カウント2で返すが、すでに息も絶え絶えだった。
「ハァ……ハァ…」
 立ち上がれず、引きずられるようにしてコーナーにもたれ掛けさせられる。対角線上まで下がったカオスは、再び突進してきた。
「このッ…!」
 間一髪、ロープの間からエプロンに逃げて回避する。無人のコーナーに突っ込み、カオスが反動でよろめいている間にリング内に戻ると、サイドロープで反動をつけてのジャンピングヨーロピアンアッパーで顎を打ち抜いた。
「ぐぅ…!」
 全体重を掛けた一撃に、さすがのカオスも怯む。エミリーはリングに走ると、身体ごとぶち当たるように渾身のランニングヨーロピアンアッパーをお見舞いした。
 ドウという音とともにカオスの巨体が崩れ落ちる。やっとの思いで覆いかぶさるも、カウント1で跳ね返されてしまった。
「くぅ…、どうやって倒せって言うのよ」
 カオスの鋼のような肉体には、自慢のヨーロピアンアッパーが通用しない。かといってこの体重差では投げ技を決めることは難しく、ダメージソースが著しく制限されてしまう。今までタッグを組んだことしかなかったが、敵にすると恐ろしいレスラーだった。
「このっ…!」
 早くも起き上がろうとしているカオスに気圧されながらも、攻撃を重ねようと試みる。片手を取り、ショートレンジクローズラインを喰らわせようとするが、カウンターでショルダータックルを喰らい、ほとんど一回転して吹き飛ばされてしまった。
「あうっ…」
 後頭部を打ち付け、頭が真っ白になる。蓄積したダメージのせいで身体が動かず、うつ伏せでカオスの足元にすがりついた。
「言え。WWCAに残ると。そして、ROAと縁を切ると」
 歯を食いしばり、エミリーは親友を睨みつける。反抗的な態度にイラついたか、カオスはエミリーの頭をブーツで踏みつけ、何発もストンピングをかました。
 容赦ない攻撃にますますブーイングが大きくなる。腰をかがめたカオスは、エミリーの胸ぐらを掴んで無理やり引き起こした。
「なぜ、あいつらを選ぶ?ここにはお前が望むすべてがある。金も、名誉も。これ以上何を求めると言うんだ?」
「変わったわね、あんた…」
 口の中を切ってしまったか、血の混じった唾を吐き、エミリーが唸る。
「私がWWCAに復帰したのは、お金のためなんかじゃない。あんたと一緒に戦える――だから、ここに帰ってきた。それが分からないのなら、私がROAに行きたい理由も理解できないわ」
「……認めるんだな。ROAへの移籍を望んでいると」
「あ…」
 しまったというように口を押えるエミリー。カオスは唇の端を吊り上げ、邪悪に笑った。
「裏切り者には、粛清が必要だな」
 エミリーを蹴り飛ばすと、カオスはグルグル腕を回して中腰に構える。
「くっ…!」
 立ち上がったと同時に襲い掛かってきた右腕をかいくぐったエミリーは、カオスの背後に回りながらスクールボーイで必死に丸め込む。
「ワン……ツー…!」
 あと少しでピンフォールを奪えたが、怪力で跳ね返されてしまう。体勢を立て直すよりも先にラリアットが飛んできて、首が吹き飛ばされるのではというくらいの勢いでかち上げられた。
「がっ…!?」
 ほとんど助走のないショートレンジラリアットだったにも関わらず、身体中が痛む。踏みつけ式の体固めは意地で返したが、それが精いっぱいだった。
「終わりだ」
 次いで繰り出された正調式のダークスターハンマーを真正面から喰らい、エミリーの意識は途切れた。

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