きっかけは、
たまたま目にした森奈津子さんのツイートでした。




そのときはエビって何だろう?
と不可解に思っただけですが、
なんとなく事情がわかってきました。

エビとは、
エビデンス evidence 根拠 証拠 のことなのだ。





こんなハッシュタグも出来上がっていた。

#私がエビデンス
#私もエビデンス


この方面の理論家?によると、こういう考え方らしい。






当然、反発も出てくる。







エビ側の反発












およそ知的な要素とは無縁の、
どんなにつまらない人間であっても
何か一貫性のある考えを主張しているならば、
その根底には必ず何らかの哲学があり、
それが反映されていると言いたいのである。

そして、その哲学は、
われわれの意識(心)と周囲の世界(物)との関係を
どのように扱うか?によって
必ず唯物論と観念論の二大陣営に分かれる。



もし、その哲学が観念論ならば、
外界(客観的実在)の存在を疑う、
もしくはそれを知り得ない(不可知)という立場をとる。


都合の悪い現実を認めたくない人が
どのような哲学を有り難がって奉ずるかについては
いうまでもないことである。



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ツイッターのTLを眺めていると、
共産主義ほど定義がいいかげんで、
またテキトーな意味で書き散らされているワードはないと思う。
よくありがちなのが、共産主義はすべての人間が平等になる社会の建設を
謳っているのに、ぜんぜんウソじゃないか?というものである。
また「ネトウヨ」と同様に、
自分が嫌いだと思う対象(個人や団体、国家等)への便利な中傷表現として
安易に用いられる傾向がある。
























ところが、いまから200年ぐらい前にドイツの文豪が書いた戯曲のなかに
定義としてはドンピシャな叙述があるのでそれを紹介する。


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『ファウスト』第4幕 高山 には
こんなくだりがある。


メフィスト

久しぶりに汗をかきましたよ。
ところで、いったい何を思いついたんですか。
こんな無気味な山の上の、恐ろしい岩の裂け目が
大きな顎(あご)をあけているところで、雲から降りるなんて。
わたしのよく知っているところですが、ここへ降りてはいけません。
そもそも、ここは地獄の底だったのです。

ファウスト

馬鹿げた作り話に事を欠かないといって
それをここでまた始められるのはごめんだ。

メフィスト(くそ真面目に)

むかし神さまが天空からまっさかさまに、
われわれを下界のどん底に落としたとき
—そのわけは申しますまい—
まんなかには灼熱した火がどんどん燃えて
永遠の焔がまっかな火の柱をたてていました。
わたしたちはまわりが明るすぎるので、片隅のほうにかたまり
押し合い圧し合いして窮屈がっていたのです。
悪魔どもは、とうとう耐えかねて、みんなで咳をしました。
上からも下からも、ゴホンゴホン、ふうふうです。
地獄は硫黄の臭気と硫酸でいっぱいになりました。
そのガスが莫大なものになって、国々の平たい地盤を
—地盤といえば大した厚みにきまっていますが—
突き破って爆発したのです。
そこで上と下が逆に入れ代わって、地底の部分が山の頂きになりました。
世の中もこれにならって、最低が最高と取って代わる
結構な理論を発明しましたね。

とにかく奴隷のように押し込められていた、熱い穴から逃れ出て
自由の空気が支配する新天地を開いたのはわたしどもです。
こういう重大な秘密は、大切にそっとしまってありますから
人民どもには後になるまでなかなかわかりません。

(大山定一 訳)

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つまり、ツァーリズム(ロシアの専制政治)における
底辺と頂点の関係を
上下さかさまにする理論と実践、両者の統一
これが 共産主義 である。


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底辺と頂点がひっくり返ると、頂点にいた人たちの末路は・・

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ならば、戦前に日本の特高警察が
血眼になって共産主義を取り締まった理由も
頷けるはず。























五・一五事件と二・二六事件、事件の性格が異なるとはいえ
実行犯に対する処罰が後者に厳格すぎるのは
思想的な背景を疑われたためか?


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天城心中の悲話で知られる愛新覚羅慧生(1938-1957)は
大学進学の際に哲学科を希望したが、哲学はアカに染まりやすい
心配した親族の反対に遭って断念せざるを得なかった。


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日本では有名な極左暴力過激派集団だが、
思想的な背景はあまり無さそう・・








最近、中国はヒップホップを禁止した。
しかし、中国共産党が本当に怖れているのは
共産主義という
下と上をチェンジする理論の蔓延のほうのはずである。








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宿題がたまる一方のわがブログだが、
ソーダ氏の炎上ツイートで浮上したファシズムの問題についても
ちょっと言及してみたい。
前エントリーほど構想がまとまっていないので
軽く概略を述べるにとどまる。


さて、これが例の炎上ツイートだ。






ソーダ氏のファシズム定義に対して
「違うよ。これが正確なファシズムだよ」
とやったところで水掛け論にしかならず、埒が明かないと思うので 
私は違った角度からソーダ氏の急所を突いてみたい。

それはファシズムを生み出す動機の方面である。
百歩譲って安倍政権がファシズムであるとしても
では、安倍政権は何のために個人から自由を奪い
全体主義社会を強力に推進しようとするのか?

こうなると総じて歴史主義の姿勢を欠いている
日本のサヨク知識人のボロが出てくる。
ファシズムにせよ過去の植民地支配や侵略戦争と
呼ばれるものについてもいえることだが、
歴史的な流れにおいて、その発生および発展過程を
掴むことができない。

※ソーダ氏は権威主義的な「反動政治一般」
ファシズムと理解しているようである。
ならば、ムッソリーニ以前においても
反動政治であればすべてファシズムになる。
フィレンツェ共和国のコジモ・デ・メディチ
ナポレオンおよびルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)
ビスマルク
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世
イラン・
パフラヴィー王朝のレザー・ハーン
メキシコ皇帝マクシミリアン
袁世凱
など、世界史はファシズム支配で埋め尽くされる。





ゆえにソーダ氏の急所とは、
ファシズム発生の動機を説明できないということである。
権力者は、とかく悪さをするものだという漠然とした性悪説があり、

※時代劇の影響か?
「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」


だからこそ個人の自由が尊重される社会を守るために
市民が厳しい監視の眼を光らせることによって
権力の暴走を抑止しなければならない

といった以上の認識が出てこない。





※本職の政治学者までもが、こんな雑な定義をする







ファシズムを生み出す原因の部分は
ブラックボックスになっていて
ラブ・ストーリーは突然に

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のごとく、
悪はどこからともなく現れてくる


歴史事象として発生したファシズムについては
以下の見解がある。共産主義者による見解なので
多少割り引いて考える必要もあるが、
日本のサヨク知識人によるファシズム観ほど
幼稚・素朴ではない。

※つまり大衆の「不安」とか支配者のサディズム(加虐嗜好)とか
曖昧な内面的心理分析で説明しない



『ファシズム論』
パシュカーニス、エルコリ 吉野次郎 萬里信一郎 訳 希望閣
昭和7年1月

ファシズムの本質は屢々誤って定義せられた。
その理由の一部分は、イタリーに於てファシズムが發生した
政治条件が非常に複雑してゐた爲であり、
一部分は多くの觀察者の見解が混亂してゐたが爲である。
ファシズムは或は地主共によりて率ゐられたテロリスト運動である
と謂はれ、或は單に興奮し易い青年士官達の向う見ずな振舞ひだと謂はれ、
或は戰爭によりて、零落したる小ブルジョア的分子の絶望的發作である等
と謂はれた。どの觀察者も、ただ運動の一面ばかりを見て、而も之を最も
重要なるものと考へた。
だが、ファシズムにとつて、何が本質的決定的であるかといふことは、
觀察者の眼は最初に映じたるものによりて、とりも直さず、
金權政治反對の小ブルジョア的デマゴギーによりて、
決定せらるるものでもなければ、又地主黨員擁護の行動によりて、
決定せらるるものでも決してない。今日に於ては、
ムッソリーニの獨裁が小ブルジョアの獨裁及び地主黨員の
獨裁ではなくして、大産業資本及び金融資本の獨裁であることは
如何なる觀察者の眼にも明かである。
その充分に明白な證據の一つはファシスト政府の全經濟政策である。


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↓ ★以下は覚え書である。気が向いたときにまとめようと思う。

まずはファシズム発生の土壌、物質的基礎の方面である。
ファシズムと共産主義が相関関係を有していることについては
論を俟たない。
どちらも資本主義の変質、独占資本主義の段階における
社会的諸矛盾に対応した思潮
だからである。
いついかなる時代においても普遍的に現れる政治形態ではない。
その発生の条件は歴史的に規定されている。


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※ファシズムは共産主義に敵愾心を燃やし、執拗につけ狙う形で歴史は展開する。
その国際的な決着の前哨戦はスペイン内戦(1936)でヤマ場を迎える。



狭義のファシズム=イタリア・ファシズムについて



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シンボルマークは、斧と一緒に十数本の杖を皮の紐で束ねたもの。
ファスケス(fasces)といってファシズモ(fascismo)の語源である。
古代ローマで高位官職者の周囲に付き従った護衛(リクトール)が持っていた。

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その意味するところは 権威 防禦 結束。
国民が上意下達の指導体制の下に一致結束して
国家の非常事態を乗り切ろうという意図を持った
国難打開のイデオロギーであると解釈しても的外れではないだろう。
全体主義、国家主義はイタリア・ファシズムの一大特徴である。
では、国難とは何なのか?


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これ以外に考えられない。
資本主義の独占的段階、帝国主義的段階に応じて
プロレタリアート側の反抗としてより過激で尖鋭化した
マルクス主義(共産主義)が現れ、
当時の世界を震撼させる象徴的な出来事が起きた。
この流れが中欧(ドイツ、ハンガリー)に波及する過程において
イタリア・ファシズム運動は発生している。


↓ファシズム支配の特色を表しているが、何のためにこのような
権威主義的な支配が現れるのか?ということ。その答えは歴史にある。


大きな破局(欧州大戦)があり、革命があり、社会生活の崩壊があり、
個人の自由尊厳よりも
何よりもまず社会全体の秩序回復が優先された時代であるということ。

繰り返しになるが、日本のサヨク知識人には、
総じてこの歴史主義の姿勢がない。


行き過ぎた社個人主義は社会(共同体)生活を崩壊させる
イタリア・ファシズムはその救済を、失われた紐帯回復
倫理的価値の体現者たる国家に求めた。


織部くんも何気に意味深なことを言っている。


新興の社会的勢力が、民衆を扇動して既存の政治体制を転覆させるのを
ファシズムと定義すると、共産主義とファシズムの違いが曖昧になる。


身内の不正を庇う仲間意識をファシズムの大きな特徴と定義すると、
主水さんに対するリンチ事件が外部に漏れないように隠蔽し
発覚後は理屈にもならない理屈を捏ねて李なんとかさんを必死に庇う
パヨクしばき隊)も、アンチファ(anti-facismを標榜しているにもかかわらず
ファシズムの大きな特徴を有していることになる。

スポーツ評論家?の谷口源太郎氏によると
オリンピックをオールジャパンでという空気は
容易にファシズムに転換する危険性を孕んでいるという。
確かに全体主義の外観を呈するので、見た目的にはファシズムといえるだろう。


素朴な表現だが、鋭い。



権力を握ったならず者が「オレの言うことを聞け、殺すぞ」
みたいな支配の形式一般をファシズムと認識しているソーダ氏に
煎じて飲ませたいクスリのような見解である。
上からの権威主義的支配がある一方で下からの大衆的基礎も有しているのが
ファシズム支配の特色。










国際金融資本が共産主義のスポンサーという世界観(ユダヤ陰謀論)は
ナチズムの民族的世界観の解明にとって、とても重要な要素である。
但し、ナチズムとイタリア・ファシズムを同じファシズムと定義するのは
共産主義者側のレッテル、誹謗中傷表現なので注意が必要だ。





没落の過程にある中間層が、昔日の良き夢 Gute alte Zeit を期待して
藁をも掴む思いでファシズム(この場合はナチズムが適切)にすがる。
これはよく言われていることである。
では、どうして中間層が没落するのか?
これはどうしても個人のやる気の無さとか努力不足の問題ではなく
経済(過去の例では資本主義の変質、独占段階に達した資本主義)の在り方に
原因を求めなければならない。



ボナパルティズム(狭義ではナポレオン3世の支配体制)とファシズムには
共通性がある。どちらも市民階級と労働者階級の対立の調停役として現れてくる
支配の形式である。





























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