宿題がたまる一方のわがブログだが、
ソーダ氏の炎上ツイートで浮上したファシズムの問題についても
ちょっと言及してみたい。
前エントリーほど構想がまとまっていないので
軽く概略を述べるにとどまる。


さて、これが例の炎上ツイートだ。






ソーダ氏のファシズム定義に対して
「違うよ。これが正確なファシズムだよ」
とやったところで水掛け論にしかならず、埒が明かないと思うので 
私は変わった角度からソーダ氏の急所を突いてみたい。

それはファシズムを生み出す動機の方面である。
百歩譲って安倍政権がファシズムであるとして
では、安倍政権は何のために個人から自由を奪い
全体主義社会を強力に推進しようとするのか?

こうなると総じて歴史主義を欠いている
日本のサヨク知識人のボロが出てくる。
ファシズムにせよ過去の植民地支配や侵略戦争と
呼ばれるものについてもいえることだが、
歴史的な流れにおいて、その発生および発展過程を
掴むことができない。

※ソーダ氏は権威主義的な「反動政治一般」
ファシズムと理解しているようである。
ならば、ムッソリーニ以前においても
反動政治であればすべてファシズムになる。
フィレンツェ共和国のコジモ・デ・メディチ
ナポレオンおよびルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)
ビスマルク
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世
イラン・
パフラヴィー王朝のレザー・ハーン
メキシコ皇帝マクシミリアン
袁世凱
など、世界史はファシズム支配で埋め尽くされる。





ゆえにソーダ氏の急所とは、
ファシズム発生の動機を説明できないということである。
権力者は、とかく悪さをするものだという漠然とした性悪説があり、

※時代劇の影響か?
「越後屋、お主も悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」


だからこそ個人の自由が尊重される社会を守るために
市民が厳しい監視の眼を光らせることによって
権力の暴走を抑止しなければならない

といった以上の認識が出てこない。

※裏付け取れました!2017年11月3日




ファシズムを生み出す原因の部分は
ブラックボックスになっていて
ラブ・ストーリーは突然に

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のごとく、
悪はどこからともなく現れてくる


歴史事象として発生したファシズムについては
以下の見解がある。共産主義者による見解なので
多少割り引いて考える必要もあるが、
日本のサヨク知識人によるファシズム観ほど
幼稚・素朴ではない。

※つまり「不安」とか支配者のサディズム(加虐嗜好)とか
曖昧な内面的心理分析で説明しない



『ファシズム論』
パシュカーニス、エルコリ 吉野次郎 萬里信一郎 訳 希望閣
昭和7年1月

ファシズムの本質は屢々誤って定義せられた。
その理由の一部分は、イタリーに於てファシズムが發生した
政治条件が非常に複雑してゐた爲であり、
一部分は多くの觀察者の見解が混亂してゐたが爲である。
ファシズムは或は地主共によりて率ゐられたテロリスト運動である
と謂はれ、或は單に興奮し易い青年士官達の向う見ずな振舞ひだと謂はれ、
或は戰爭によりて、零落したる小ブルジョア的分子の絶望的發作である等
と謂はれた。どの觀察者も、ただ運動の一面ばかりを見て、而も之を最も
重要なるものと考へた。
だが、ファシズムにとつて、何が本質的決定的であるかといふことは、
觀察者の眼は最初に映じたるものによりて、とりも直さず、
金權政治反對の小ブルジョア的デマゴギーによりて、
決定せらるるものでもなければ、又地主黨員擁護の行動によりて、
決定せらるるものでも決してない。今日に於ては、
ムッソリーニの獨裁が小ブルジョアの獨裁及び地主黨員の
獨裁ではなくして、大産業資本及び金融資本の獨裁であることは
如何なる觀察者の眼にも明かである。
その充分に明白な證據の一つはファシスト政府の全經濟政策である。








↓ ★以下は覚え書である。気が向いたときにまとめようと思う。

まずはファシズム発生の土壌、物質的基礎の方面である。
ファシズムと共産主義が相関関係を有していることについては
論を俟たない。
どちらも資本主義の変質、独占資本主義の段階における
社会的諸矛盾に対応した思潮
だからである。
いついかなる時代においても普遍的に現れる政治形態ではない。
その発生の条件は歴史的に規定されている。


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※ファシズムは共産主義に敵愾心を燃やし、執拗につけ狙う形で歴史は展開する。
その国際的な決着の前哨戦はスペイン内戦(1936)でヤマ場を迎える。



狭義のファシズム=イタリア・ファシズムについて



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シンボルマークは、斧と一緒に十数本の杖を皮の紐で束ねたもの。
ファスケス(fasces)といってファシズモ(fascismo)の語源である。
古代ローマで高位官職者の周囲に付き従った護衛(リクトール)が持っていた。

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その意味するところは 権威 防禦 結束。
国民が上意下達の指導体制の下に一致結束して
国家の非常事態を乗り切ろうという意図を持った
国難打開のイデオロギーであると解釈しても的外れではないだろう。
全体主義、国家主義はイタリア・ファシズムの一大特徴である。
では、国難とは何なのか?


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これ以外に考えられない。
資本主義の独占的段階、帝国主義的段階に応じて
プロレタリアート側の反抗としてより過激で尖鋭化した
マルクス主義(共産主義)が現れ、
当時の世界を震撼させる象徴的な出来事が起きた。
この流れが中欧(ドイツ、ハンガリー)に波及する過程において
イタリア・ファシズム運動は発生している。


↓ファシズム支配の特色を表しているが、何のためにこのような
権威主義的な支配が現れるのか?ということ。その答えは歴史にある。


大きな破局(欧州大戦)があり、革命があり、社会生活の崩壊があり、
個人の自由尊厳よりも
何よりもまず社会全体の秩序回復が優先された時代であるということ。

繰り返しになるが、日本のサヨク知識人には、
総じてこの歴史主義の姿勢がない。


行き過ぎた個人主義は社会(共同体)生活を崩壊させる。
イタリア・ファシズムはその救済を、失われた紐帯の回復を
倫理的価値の体現者たる国家に求めた。


織部くんも何気に意味深なことを言っている。


新興の社会的勢力が、民衆を扇動して既存の政治体制を転覆させるのを
ファシズムと定義すると、共産主義とファシズムの違いが曖昧になる。


身内の不正を庇う仲間意識をファシズムの大きな特徴と定義すると、
主水さんに対するリンチ事件が外部に漏れないように隠蔽し
発覚後は理屈にもならない理屈を捏ねて李なんとかさんを必死に庇う
パヨクしばき隊)も、アンチファ(anti-facismを標榜しているにもかかわらず
ファシズムの大きな特徴を有していることになる。

スポーツ評論家?の谷口源太郎氏によると
オリンピックをオールジャパンでという空気は
容易にファシズムに転換する危険性を孕んでいるという。
確かに全体主義の外観を呈するので、見た目的にはファシズムといえるだろう。


素朴な表現だが、鋭い。



権力を握ったならず者が「オレの言うことを聞け、殺すぞ」
みたいな支配の形式一般をファシズムと認識しているソーダ氏に
煎じて飲ませたいクスリのような見解である。
上からの権威主義的支配がある一方で下からの大衆的基礎も有しているのが
ファシズム支配の特色。










国際金融資本が共産主義のスポンサーという世界観(ユダヤ陰謀論)は
ナチズムの民族的世界観の解明にとって、とても重要な要素である。
但し、ナチズムとイタリア・ファシズムを同じファシズムと定義するのは
共産主義者側のレッテル、誹謗中傷表現なので注意が必要だ。





没落の過程にある中間層が、昔日の良き夢 Gute alte Zeit を期待して
藁をも掴む思いでファシズム(この場合はナチズムが適切)にすがる。
これはよく言われていることである。
では、どうして中間層が没落するのか?
これはどうしても個人のやる気の無さとか努力不足の問題ではなく
経済(過去の例では資本主義の変質、独占段階に達した資本主義)の在り方に
原因を求めなければならない。



ボナパルティズム(狭義ではナポレオン3世の支配体制)とファシズムには
共通性がある。どちらも市民階級と労働者階級の対立の調停役として現れてくる
支配の形式である。





























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 ブログの更新は滞っていても
興味深く為になる記事を書こうという意欲は持ち続けている。
今回のネタはこれ、小菅さん。




















これら小菅さんのツイートの全内容に必ずしも同意しているわけではないが、
彼女はヒトラーの行動、目指していたものの動機の部分を
決して悪、否定的なものと捉えていない点に非凡さを認めたのである。
常識の考えでは、人が何か悪いことをしたら
それは邪(よこしま)な動機に基づいている
と判断するのがふつうだからである。

だから


ヒトラーとは何だ?
ナチスとは何だ?
どうしてホロコースト、ヘイトクライムは起きたのか?

と問われたら、殺戮や破壊への衝動(=意志)に駆られたから
と回答するのがふつうだし

では、どうしてそのような暗黒の衝動に駆られたのか?
という動機の部分を明らかにしようとすれば、
日本における典型的な俗物である

しばき隊・男組(パヨク)界隈からは
きっとこのような解釈が出てくるにちがいない。

ヒトラーは田舎者であった。
→劣等感が形成される

青春時代はウイーンという大都会で
描いた絵を売って糊口をしのぐような
乞食同然の暮らしをしていた。
→金ナシ彼女(恋人)ナシで欲求不満

ウイーン美術アカデミーの受験にも2度も失敗した。
→劣等感が形成される




その結果、劣等感と欲求不満の蓄積によって
ルサンチマン(怨念)の塊となった。
その一方で、そんな自分を尻目に羽振りを利かせる
ユダヤ人たちのまぶしい姿を見て
自分の人生がうまく行かないのはこいつらのせいだ
と筋違いな逆恨みをするようになり、
社会的マイノリティーの彼らに対して
ヘイトスピーチを吐き、ドイツ(オーストリア)から
叩き出そうと差別排外主義極右政治家になる決意をした。

そして、類まれな弁舌と扇動の才能を生かして政治権力を握り、
悲願のヘイトクライムを実行、
つまりユダヤ人を強制収容所に送ることで積年の恨みを晴らした。

だから、もしもヒトラーが
都会の裕福な家庭に生まれて何不自由なく育ち、
恋人と同棲して満たされたセックス・ライフを謳歌し、
美大受験にも成功してどこかの教授か評論家におさまって
安泰・盤石な人生を送っていたとしたら
劣等感が形成されることも、欲求不満を抱えることもなく
ホロコーストも第二次世界大戦も起きなかった。

したがって、人生とは金とセックスである

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金とセックスの「量」が人間の幸福を決定する。
金とセックスの「欠乏」が人間の暗黒面を構成する。

こういうポリシーを象徴的な率先者にあやかって
ノイエホイエ主義と呼ぶのもよかろう。

※このような心理的・生理学的人間分析の欠陥は
客観的な要素、歴史や社会的諸関係を無視することである。


※しばき隊(パヨク)の理論的ご意見番に
精神科医の香山リカ氏がいる。
彼女の知的バックボーンに
ジークムント・フロイト(1856-1939)
があることについてはまず間違いない。

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フロイトをして、ブルジョアジーの衰頽期の一定段階の
豫言者たらしめたものは、二つの契機である。
その一は、明瞭な意識の上層界から、
闇黒な「下層意識」と闇黒な衝動との下層界の中に沈没せることである。
又同時に、それを辯護せること、即ち平凡な俗人を引搔いたら
現はれてくるものの名誉恢復を試みたことである。
第二は、性欲的なものを世界の廻轉軸と認むる點である。
この點に於いてフロイトは、殊に、道楽なウイーン人たるかの俗物の友人であった。
總べて俗物の特性は、その私的生活と、それに關する熱情、衝動、表象を世界の
中心點に移すことにある。


『左翼社會民主主義批判』 タールハイマー 白揚社(1928) P101




しかし、青年時代のヒトラーの実像については
アウグスト・クビツェクという
当時のヒトラーとリンツの歌劇場で知り合い、
ウイーンで共同生活を送っていた親友が
回想録を残しており、詳細はその著書に譲るとして
青年ヒトラーが単なる感官の満足
牛飲馬食や姦通といった素朴で原始的な快楽を
ひたすら追い求めて、それらが満たされなかったために
憎悪の塊になったという
しばき隊・男組(パヨク)が好みそうな精神分析は

どうも当たっていないことが明らかになるはずである。

※意志は快楽(幸福)を目的として働くものなのか?
古くから哲学者に突っ込まれているテーマである。

もしもYesであれば、意志は自律的なものではなく
快楽(幸福)によって振り回され、操縦される
他律的なものとなる。
そのような受動的原理は、そもそも意志としての務めを
果たすことができるのだろうか?


それどころか
ヴァーグナーの歌劇を鑑賞するために食費まで削ったり
(食欲という生理的欲求を抑えてまでも優先されるものがあった)
美術館めぐり、図書館通い、街の散策といった彼の日常、
パンのための仕事(定職)に就くことを嫌い、むしろ
芸術家として大成したいと願ったヒトラーの超俗的な人生態度から
彼の非現実的・非実際的(=理想主義的)傾向が浮かび上がってくる。

ここで現実主義と理想主義という
ふたつの対照的な人生観、世界観、価値観が
哲学の問題として問われてくるのである。

現実主義とは、平たく言えば
客観=自分の「心の外側」の世界に基点を置いて
実利を追い求める人生態度で
理想主義はその正反対、
主観=自分の「心の内側」の世界に基点を置いて
人格、人間の尊厳といったものを求める人生態度である。

※立脚地が異なる

これは個人だけの問題に限らず、
全体としての社会にも当てはまることで
現実主義の風潮が行き過ぎると、
その反動で理想主義が出て来たり、
今度は理想主義に対する反動で現実主義に傾いたりする。
欧州の哲学史はだいたいこんな感じである。

ということで、この2つの対照的な思潮と
ドイツという風土に花開いた特殊な精神の変遷を追うことで
多読によって世界観を培ったというヒトラーの人間性なり、
内面の部分を垣間見ることが
可能になるわけである。

ヨーロッパにおける理想主義は18世紀中頃のドイツにまで遡る。
イギリス発祥の啓蒙思想が、フランスを経てドイツに伝わり
それが受容される過程で発生している。
いかにも英国人気質な、経験に基づいた
浅薄皮相で功利主義的な考え方が
人間の内面の部分、価値を蔑ろにしているとして
どうも当時のドイツの民族的な傾向・希求に
そぐわなかったらしいのである。

そしてこの理想主義はドイツにオリジナルなものではなくて
古代の理想主義が新しい衣装をつけて現れたものである。
その古代の理想主義とはギリシア理想主義である。

「ドイツ的なるもの、ドイツ精神は古代ギリシアの模倣・コピーである」
これは覚えておくといいかもしれない。



古代ギリシア理想主義を何と定義するかは
ずいぶん難しい問題であるが、
その根本的な特徴を挙げると
経験(感覚)の世界に対して
理性(理念)の世界が対置されていることである。

この理性の世界が
小菅さんの言っている真善美のことで
プラトンに言わせればイデア
カントに言わせれば経験に先立ち、経験を基礎づけるもの
である。

さて、理性の世界とは表記してみたものの、
これが経験(感覚)の世界と同様に

時間、空間の形式においてどこかの宇宙空間に場所を占めている。
そういうふうに捉えているとしたら、それは誤解である。

正確には「理性の世界」は、実在(存在)ではなく価値である。
だからこそ、物事の真偽や善悪や美醜を判断する際の基準
となりうるわけである。

※基準だからこそ不変不動であり、永久に自己同一を保つ(不滅)

「理性の世界」が経験(感覚)の世界には還元されないと
あくまでも両者を峻別するのにはわけがある。

外界から得られる印象は常に変化し、
また同一の対象であっても人による見方は千差万別である。
したがって、経験(感覚)から得られるものは
すべて相対的で、蓋然性(=確からしさ)を有するのみで
絶対とか必然とか普遍妥当の性質を帯びるものではない。

ゆえに、「理性の世界」が経験(感覚)世界の一部であり
経験(感覚)世界から抽象して得られるようなものにしてしまうと、
ちょうど「人間は万物の尺度」であると言った
有名なソフィスト(詭弁学徒)、プロタゴラスの考え方になる。
各人にとって真理と思えることが真理である。
すべての判断は真理であり、そしてまた虚偽でもある。
これでは「理性の世界」はまず価値基準としての意味をなさないであろう。

それで今度は理性とは何であるか?という話になるのだが、

これは霊魂と同じものである。
そして理性には、その働きによって
(理知)(感情)(意志)という3つの側面がある。

※魂の三分説

日本でもどういうわけか古来から肉体は滅びても魂は死なない
という
観念が通俗的な形で広く普及し、
人間は死後も頭に三角頭巾をつけて足のない状態で生き続ける
と信じられてきたが、この霊肉二元論の発想は

古代ギリシア人の宗教的世界観に起源を有するものである。
以前の記事「エリート支配 その発想の源流」においても
言及したように、
人間は生まれ出ると物質世界の一部になるが
霊魂(=理性)があるために
かつて所属していたイデア(=真善美)を想い出し、
懐かしみ、
恋い慕う(エロース 
Ἔρως )という話である。

知・情・意は、それぞれ真・美・善という対象に向かって働く。
つまり、理性(知情意)はイデア(真善美)を志向する。
この宗教的世界観の主にいわせると、
理想主義、完全な在り方を求めるのは
人間の本性に基づいているというのだ。

そしてこの理性の開発、人間の道徳的改良を
自身のライフワークにしていたのが
あのソクラテスとプラトンで
これ以降の西洋における理想主義の哲学はすべて
彼らの発想を根柢に持っているのである。


※未完
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最近のツイッターランドでは抵抗勢力と名乗る者が台頭してきている。
※ツイッターランド → TL(タイムライン)の誤読らしい

新自由主義(グローバリズム)がもたらしている社会風潮に批判的で
従来の右派・ネトウヨが手控えてきた政権批判、自民党批判を
公然とやるようになった点に彼らの独自色がある。


白ふくろう氏、彩瀬潤氏、まいこぅみ氏が代表格である。








では、このひとたちはネトウヨなのか?といえばちょっと微妙である。
ネトウヨと同じく同じリベラルサヨクを相手に戦っているとはいえ、
主要テーマは反フェミニズムだから
朝鮮関連で「差別主義者」「レイシスト」と罵られているグループとは
東部戦線と西部戦線ぐらいの違いがある。

ということで、引き続き情報を集めたい。

抵抗勢力系アカウント


















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