2016年11月

大幅に加筆・修正して仕切り直し。
トランプについて、まずは自身のツイッターの関連つぶやきを
時系列的に追ってみることにした。


私がトランプなる人物の存在をはじめて知ったのは、昨年の暮れである



そして、なんと!私は今年の元旦にトランプ大統領の当選を予言していたのである


3月のつぶやき
古谷氏宛てのリプライ



5月のつぶやき
いまではブロックされている清義明氏へのリプライ
それにしても、清氏の辛口トランプ評は侮れない



同じく5月。トランプをネタにしてふざけている
この頃からニュースやツイッターでこの人物が脚光を浴び始めたことが伺える



6月のツイート
ざらすとろ氏宛てのリプライ



英国のEU離脱の国民投票の結果をうけて
何かを悟った様子



8月のつぶやき


安倍とヒトラーとの類似を言いふらす愚かなサヨクを一蹴するツイート


9月のつぶやき
米国留学中の立命館大学生宛てにリプライ
結果論として、彼は自身の政治的立場に反する
最悪な歴史の瞬間を迎えることになってしまった!



10月のつぶやき
ヒラリー、トランプ、どちらの候補者にも冷ややかであることが伺える



トランプが国際政治に与える影響について



ソーダ氏を斬る!!!


ここでホンネがポロリと出る
私がトランプを応援する理由とは・・



そして、ここからが私が最初に発表したエントリーにつながるわけである。


今まで民主主義が正しく理想的な政治の在り方であると
無批判的に信じてきた人たち、
特に「国民が主人公だよ♪」みたいな陳腐な宣伝文句に乗せられやすい
パヨクのように天真爛漫なバカが
民主主義の意外な急所、すなわち民意(多数者の意見)に基づいて
政治的に物事を決めることの危険性を思い知ったのが
今回のアメリカの大統領選挙だったと思う。

私はリベサヨのインテリたちと同様に
今回の米国の大統領選挙をポピュリズム(大衆迎合、劇場型政治)の
典型的な見本と見なしており、大衆蔑視の政治的立場を取る。

http://blogos.com/article/197613/
トランプ大統領で世界は「ポピュリズム化」する

ただ、私と彼らの決定的な「違い」は、

私は一貫して「衆愚」の見方から民主主義の在り方に否定的なのに対し、
リベサヨのインテリたちは自分たちの望んだ選挙結果が得られず、

自分たちの心地よい夢がぶち壊された「腹いせ」でポリュリズムだの何だの
と大衆の政治的判断力を見下しているだけであって、
もし仮にヒラリーが当選したならば、
米国の国民は移民排斥の差別・排外主義の扇動に惑わされずに
賢明な選択をした!民主主義の勝利だ!民主主義万歳!
とやる変節で御都合主義の汚い人たちである、という点にあるのだ。






私の一貫した「衆愚」の見方とは???

2011年9月12日
逮捕者が続出した素人の乱の「原発やめろデモ」についての見解
彼らが世間一般人から「悪人」と評価される理由が書かれている



2011年11月13日
いわゆる「底辺ネトウヨ」批判



2012年1月18日
多数者(大衆)の被操作性について



2012年11月14日
大衆は理性的な判断力に欠ける代わりに
下等動物と同様に本能(危険察知能力)が発達しているために
自分たちに降りかかる災いを「将来に対する漠然不安」という形で予知できる




2012年12月4日
これも同じく多数者(大衆)の被操作性について



2013年3月18日
世論について



2013年10月10日
靖国参拝の茶番について



2013年12月26日
舫をトップ当選させた有権者について



2014年1月8日
舛添都知事について



2014年1月15日
有権者の投票行動について



2014年3月31日
衆愚にならない秘訣



2014年4月2日
天才が世間から認められない理由



2014年4月25日
大衆の理解力について



2014年6月18日
日本共産党の大衆掌握術(選挙戦術)



2014年9月27日
レイシスト・カウンターについて



2014年11月7日
民主主義は人間を「量的に」考えるシステム


2015年8月11日
昭和天皇の大衆観を高く評価



2015年9月10日
大衆においては歴史的教訓が生かされることはない



2015年11月5日
民主主義ってなんだ









川東さんも民主主義を否定w



多数者(大衆)は常に間違う。

もう少し言葉を補うなら、
人間は孤立・孤独の状態にあっては人によって程度の差こそあれ、
冷静に理性的に正しく物事を考えることができるのだ。
これは構造的には自己の内面に沈思黙考するためである。
ところが多数者(大衆)の場合は、※多数者(大衆)=集合人、群れる人たち
自分がどう考えるかよりも、まわりの人たちがどのように考えているかが
物事の判断の基準になる。
なぜなら、多数者(大衆)は孤立や孤独、自分が周囲から浮いてしまうことを
何よりも恐れるからである。
⇒寄らば大樹の陰、勝ち馬に乗る、巨人ファン・自民党支持の心理

また、考えることで自分に不利な結論が導かれそうなときは
考えることを拒絶し、自身の内面的な理想に反する
醜悪な現実と直面せざるを得なくなったときは、
相対主義(人それぞれ)を持ち出してその現実を否定する。
彼らの「現実認識」はいわば願望に過ぎない。
⇒快、不快といった感情が正しい考えの基準
ツイッターでブロック、ミュート機能に頼るユーザーを見よ



だから、いくら高学歴のインテリであっても
多数者(大衆)的資質を持つ者は現実を把握することができず、
将来の見通しも利かず(当たり前!)、
知的ではあるもののトンチンカンな分析をして大恥をさらすことになるのだ。






このような多数者(大衆)の心理状態はデマゴギーの理想的なターゲットになる。
劣情をあおる扇動者によって意のままに操作される結果、
常に間違いを選択することになるのだ。


※レイシスト・カウンター = パヨク = しばき隊 は
操作される大衆の典型的なサンプル








大衆の軽挙妄動性については『シオン賢者の議定書』において
的確に描写されている。


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第一議定

(中略)

(民衆—無政府主義)

反抗と云ふ事は、例令それが無意味に見えやうとも、
淺薄な判斷しか出來得ない大衆にとつては面白いものであるが、
かやうな反抗の可能性が民衆に與へられてゐる時、
其民衆を理性的根據や厚意的説得によつて、うまく治める
と云ふやうな事は、筋の通つた健全な考え方をする人ならば
決して期する事はない。
専ら淺薄な情熱、迷信、習慣、傳統、多感な説教によつて
動かされ易い大衆と云ふ者は、黨派的精神に迷はされ易い
ものであるが、此黨派的精神なるものは、健全な動機に基いて
なされる意思の疎通をもすべて不可能にしてしまうものである。
大衆の決定はすべて偶然的な多數或は人工的に集められた
多數によつてなされるものであるが、此多數なるものは、
政治上の權謀術策に通じない爲めに馬鹿氣切つた決議に
驅り立てられ、斯くて政治の中に無政府主義が芽を萠さしめる。


(中略)

(大衆は—盲目なり)

我々の活動に對する有効な計畫を立てやうと欲するならば、
われわれは大衆が下賤、無定見、無節操であることを
認識しなくてはならぬ。

のみならず彼等が自己の生活や幸福の諸条件を諒解し、
また批判する能力を缺いてゐることをも考慮に入れなくては
ならない。尚ほわれわれは、大衆の力は盲目で、非理性的で、
判斷力が無く、從つて左にも右にも耳を傾けるものであることに
注目しなくてはならない。

盲人が盲人達の案内役を勤める時、必ずや皆を滅亡の淵に陥れる。
從つて大衆の中の者共又は人民の中からの成上がり者は、
如何に多才の者であろうとも、一たび政治に喙を容れ或は
指導者として登場する時には、必ずや全國民を滅亡の淵に
陥れないではおかぬのである。

年少の時から自主獨立の教育を受けた者のみが、
政治のイロハから成立つてゐる之等の言葉を理解し得るのである。

或國民が自分自身に、換言すれば大衆の中から選ぶ成上り者に
身を委せる時、その國民は、權力と名譽との爭奪によつて
生み出される黨爭及びこの黨爭から生ずる騒擾によつて自滅する。
大衆が平静にまた嫉妬なしに判斷したり、或は個人的利害との混同を
許さぬ國運を導くといふ如きことが可能であらうか。
また大衆は外敵に對して國を禦ぐことが出來るであらうか。

そんなことは思ひも寄らぬことである。
群衆の頭數と同じ數の部分に分裂した出師計畫は統一を失つてしまひ、
遂に譯の解らぬ實行不可能のものとなつてしまふからである。

獨り獨裁君主のみが國家行政上の諸計畫を明確に處理して、
國家機關の機構の總てを正しく區分して秩序を仕上げることが出來る。
從つて一國の最も適切な國家形式が見出されるのは、
責任ある一個人の手に國家行政が委ねられる處に於てゞある。
絶對的權力なしには文明は存續し得ない。
文明は大衆に依存するものではなくして、如何なる人間であらうと、
兎に角彼等の指導者となる者の事業である。
大衆はあらゆる機會に自己の個性を發揮する野蠻人達より成立つてゐる。
大衆は自由を手中に握るや否や、それを無政府状態に變へてしまふが、
これは野蠻の最頂點をなすのである。









 
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今回のエントリーは、大将軍のつぶやきがきっかけだ。


何のことだろう?と思って追ってみたら
現在こんな事態が進行中だそうな・・




んで、このツイートにつながった。


外債とは何であるか、外債がどうしてヤバいのか、
巷(ちまた)に流布している情報ではその正体を掴めないどころか
ファイナンシャルプランナーや銀行の窓口のところに相談に行けば
超低金利時代の有利な金融商品として購入を勧められるだけであろう。

ところが、いまから100年以上前に
ロシア帝国の内務省警察部警備局(オフラーナ)によって偽造された
とされる文書では、
その危険な本質が巧みなまでに描かれているのである。
それを紹介しよう。


PIC_2279


 

『世界顛覆の大陰謀 ユダヤ議定書』 エス・ニールス著 久保田栄吉 訳 
破邪顕正社 1939年

※原文のまま

第二十議定

(中略)

あらゆる國債は、當該國が不良な行政を行ひ、
またその主権を正しく行使することを知らない明瞭な證據を
暴露するものである。

國債はダモクレスの劔のやうに非猶太人の頭上に懸つてゐる。
此の主權者達は、臣民に臨時税を申付けると云ふ方法に依つて
自分の需要を
充すことをせずに、嘆願の手を差し延べながら
我々の猶太資本家に泣付いて來る。

外債は國家の身體に吸ひついてくる蛭の如うなもので、
自分から落ちるか、
或は國家が無理にもぎとらぬ限りは、
離すことの出來ない代物である。

所が非猶太人國家には、それをもぎ取るだけの力はない。
のみならず之等の國々は益々多くの蛭を身に吸附かせるので、
結局は自分が好きで招いた出血がもとで
死ぬより外に道もないのである。


國債、殊に外債と云ふものは、
實際自ら進んで國家の身體に施す放血法に外ならない。
國債とは利息支拂の約束を含むところの國家の借用証書のことである。
利率は調達の要ある元金の高に應じて變動する。
若し五分利附とすれば、國家は二十年間に利子の形で
借りた金額と同じ額の金を
無益に支辨しなくてはならないし、
四十年後には利子だけで元金の二倍、
六十年後にはその三倍を支拂ひ、
而も元金は依然として元の儘といふことになる。


この計算から出て來ることは、
國家は人頭税の名義で貧民納税者の最後の一文までも
巻き上げるが、それは債權者たる外國の金持に支拂ふ爲めであつて、
自分の用に
使ふために無利子の金を集めてゐるのではない
と云ふことである。

國債も内債に限られてゐる間は、
非猶太人もその國債政策によつて貧民の懐から
富豪の財布に
金を流入させた丈けであるが、然し我々が有力な連中を買収して

外債の採用を實現させてからは、國家の富の全部は
間違ひなく我々のポケツトに
流れ込んで來たのである。
それ以來あらゆる非猶太人は我々に隷從することになつた。

國家の貨幣制度及び租税制度の、
あらゆる問題に於ける非猶太人主權者の軽率と
單純、爲政者及び
最高官吏等の収賄的瀆職と無能とは、非猶太人國家全部を

我々の奴隷的債務者としてしまつたので、
もはやそれ等には自由の身になる見込は
すべて失はれてしまつた。
然しかうなる迄我々が拂つた勞力と金錢上の犠牲が如何に
厖大なものであつたかを諸君は忘れてはいけない。

我々は一刻たりとも金融が停滞するのに堪えられないから、
定率利廻附長期國債は
すべて廃止してしまふ。
其の代り我々が許可する唯一の國債は一分利附短期大蔵證券である。
かやうな低利ならば、國力を吸取せんとする大資本家のみの餌食に
委せないで
すむ。
定率利廻附長期證券の発行權は、大工業會社にのみ許可するであらう。

大工業會社ならばその利益から容易に利子を拂ひ得るが、
之に反する國債は、
借りた金を必要な支出に使用するのであつて、
經濟的財寳の生産費に使用する
のでないから、
その借金で利得を得られないのが當然である。


我々の主權下では國家もまた産業債券を買ふであらう。
それによつて國家は利益配當に與るが、之に反して以前は、
債務の重荷のために
壓しつぶされになつてゐたのであつた。
此處置は金融の梗塞を除き利子生活者の
寄生根性及び怠惰を除くであらう。
非猶太人が舵を取つてゐた間ならば、

かやうな惡徳も我々には有利であつたが、
我々の支配の下ではそれを長く

そのまゝにしておく事は出來ない。

非猶太人のすべてに於ける動物的頭腦、
殊に經濟的無能さの證據としては、

彼等が高利附國債を我々に求め乍ら、
結局は同額の金を高い割増利子附で
返濟せねばならぬ事などは、
考へても見なかつたと云ふ事實にまさるものがあらうか。
一體其必要金額を直ぐ自分の臣民から取り、
そして利息を節約した方が
餘程簡単ではなかつたろうか。

我々神の選民の主權の卓越した智能は、當に次の點に現はれてゐる。
即ち我々は國債の問題を非猶太人にいゝ方面のみ説明して、
國債を採用することが反つて彼等に有利であると
思ひ込ませるやうにする程に
巧妙な遣り方をしたのである。


ロシア語原文

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永淵一郎氏の『ユダヤ人とクレムリン』 新人物往来社 1987 の訳文を参考に
現代語風にアレンジしてみた。


第20議定

(中略)

あらゆる国債は、その国が誤った行政を行い、
権力を正しく行使しなかった明白な証明である。
ダモクレスの剣のごとく
国債はゴイム(豚ども)の為政者の頭上に
ぶら下がっているのである。

彼らは国民に臨時税を課せばいいのに、
われわれユダヤの銀行家に泣きついてくる。

そして外債を募るのだが、外債というものは、
国家に食いついた蛭(ひる)のようなもので、
これはなかなか払い落とせない。
この蛭を振り払う力は、
すでにゴイム(豚ども)の政府には残っていないし、
ついには
たくさんの蛭に血を吸い取られて失血し、
死んでしまうほかなくなるだろう。


国債、ことに外債は、吸血動物以外の何物でもない。
わかりやすくいえば、国債は利息を払う約束で振り出した
国の借用証書だが、

その利率は調達しようとする元金の額に応じて変動する。
仮に5%とすれば、20年で元金と同額の利子を払うことになり、
40年なら元金の2倍、60年で3倍、
しかも元金はそのまま残る勘定になる。


こうした計算からわかることは、
国は人頭税の名目で貧困な納税者から
最後の一銭まで捲き上げて外国の資本家に貢いでしまうが、
自らの所要のために無利子の金を用立てているのではない
ということである。

国債も内債ならまだマシなほうだ。
というのは、貧民の懐から集めた金の利息が
金持ちのポケットに流れ込むというだけだからである。

ところが、これもわれわれが政府高官を買収して
やらせたのだが、
外債募集をそそのかした。
そのあげく各国の富は、川が流れるように

われらのポケットに流れ込んできた。
それ以来、あらゆるゴイム(豚ども)は
われらに隷従することになったのだ。


国の貨幣経済、租税制度のあらゆる面での
ゴイム(豚ども)の政府の軽率さと
見通しの悪さ、
それに加えて高級官僚の収賄体質と無能ぶりは

ゴイム(豚ども)の国家そのものを、
われらの奴隷的債務者にしてしまった。

もう彼らはとうてい自由の身にはなれないだろう。
それにしても、ここまでくるのにわれらが払った努力と費用は
大変なものだった。


われらは一刻でも金融の停滞を許さない。
だから定率利回りの長期国債は
すべて廃止して
1%の短期証券しか許可しない。

この程度の低利なら国力が蛭のような大資本家の
餌食にならなくて済むだろう。

もっとも長期債の発行は、大工業会社には許してもいい。
彼らなら利益金で楽に利払いができるだろう。
だが、国債の場合は借りた金を必要に応じて使うのであって
経済的財貨の生産のために使うのではないから、
その借金で利益を得られないのは当然である。


しかし、政府自身が産業債を買うことはいっこう構わない。
現在のように国債を発行して利払いに苦しむのではなく、
逆に産業債に投資して

利益配当を受けようというのである。
こうすれば金融停滞はないし、
寄生的生活や怠惰もなくなるだろう。

ゴイム(豚ども)が天下を取っていた時代には
このような悪徳はわれわれにとって有利であったが、
われらの支配の下では放置しておくことはないであろう


ゴイム(豚ども)の低脳ぶりは、まったくお話にもならない。
元金と同額にものぼる高利を返済するのに、
われらに頭を下げる。

必要金額を無利子でどうして国民から取立てなかったのか。
そのほうがよっぽど簡単だったのに。
これは実はユダヤ民族の天才的知能を証明するものである。
彼らに国債の話を持ち込むとき、
いかにもそのほうが得なようにだましたのであった。








 
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