オンライン憲法塾

 福島県九条の会が主催するオンラインでの憲法問題について学習し、討議を広げる場です。

2024年10月

                                  2024.10.10

 

4回 オンライン 憲法塾

      (主催:福島県九条の会)

 

 日 時  2024116日(水)

 1830分~1930                

 

テーマ 「 象徴天皇制をめぐる諸問題」

 

報告者  阪本 尚文 氏 (福島大学准教授、行政政策学類)

     

☆☆☆☆☆☆☆

  *新型コロナウイルス感染拡大予防のため、オンライン(zoom)で開催します。

  *参加希望者は、tkonno67@gmail.com までご連絡ください。

202411518:00申込締切)

     (氏名(都道府県・市町村名)・メールアドレスを付記して下さい。)

当日(116日)午前中に、URL等を連絡します。

    (お名前は、フルネーム(都道府県名含)で、アクセスお願いします。)

  *録音・撮影等はご遠慮ください。

  *パソコン(カメラ・マイク付き)・スマホ等、受信のための通信装備の用意が前提

ですが、不明な点があれば、ご連絡ください。

  *無料です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(連絡先) 福島県九条の会

 < tkonno67@gmail.com(今野)>

       福島県九条の会・オンライン憲法塾

                 https://www5a.biglobe.ne.jp/~tkonno/online-kenpou.html

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


(2024.10.12)
 憲法塾での教基法の話の補遺 時間が足りなくて端折った部分などを補完しておきます。十分な説明にはなっていません が、ご参考になれば、と思います。(憲法塾で教基法の話の補遺)
 
 ご質問に関わって、世界各国での基本法のような事例を参考したのかということで、 ブログには「諸外国では、教育法規に抽象的、理念的な文言を書き込むということは 避けられています。教基法のような条文は、戦前の教育への断絶を明示するための特 殊日本的な現象のようです。」と手短に回答いたしました。
 教育法令にかぎらず、法条文には、定義が曖昧な、あるいは多義的な文言は使わな いようにしているようです。条文違反が問題にしにくい、あるいは恣意的な解釈が横 行するなどの問題があるからだと思います。
 たとえば、スライドに書いておきました例で、政府答弁書に「教育勅語の学校での 使用はあり得る」などというのは、衆参両院での排除、失効決議を無視した暴論です が、勅語の徳目は教基法に違反しないという解釈論があるからだと、思われます。(推 測に過ぎません、官僚はそういう突っ込まれるようなことは、隠し通すからです)。
 そこで問題を広げて、旧教基法が教育の理念、目的、方針を書き込んだことの意味 について、学者間でも論争的な問題になっていることを紹介します。ここには、次元 の違う二つの問題があります。そもそも、法令に理念的、抽象的な用語を使うべきで はない、という問題です。この主張の代表例は、山住正己という教育学者です。これ は法律論としては正しい主張だと思われます。しかし、他方では、教基法の成立時上 の特殊性、つまり、敗戦後の日本の教育の方向を憲法の精神で指し示すことが必要で あり、それをしないと、戦前教育の復活を来しかねないという懸念です。
 教刷委の田中耕太郎文相は、「私は個人的には、国家が法律を以て間然するところ のない教育の目的を明示することは不可能に近いことと考える・・・それは国家の目 的を法律的に示すことが不可能なのと同様である。」と述べ、「憲法前文に民主憲法の 政治理念を宣明しているにとどめているごとく、教育基本法も第一条、第二条は前文 的のものとして、第三条から始まるものとする方がよかった」という趣旨の発言が、 それを代表しています。つまり田中は、「法が教育の目的や方針に立ち入ったのは、 過去において教育勅語が教育の目的を宣明する法規範の性質を帯びていた結果とし て、それに代わるべきものを制定し以て教育者に拠り所を与える趣旨」だったという わけです。<引用は鈴木英一『教育改革と教育行政』勁草書房1995p36からの重引、 原文は田中『教育基本法の理論』有斐閣1961から>
 もう一つの問題は、法律学の教育法学者、兼子仁が『教育法』(有斐閣63年)とい う著作の旧版では、教育基本法の、つまり教育制度改革の法原理として「民主主義と 平和と心理の教育」を掲げていたが、新版(78年)では「これは訓示規定に過ぎず、法 的拘束力がなく、法原理ではない」と改めている点です。それは「学校制度的基準の 範囲でのみ法的拘束力を有するにすぎないと解さなければ、国民の教育と学習の自由 の保障に抵触する」からだというのです。たしかに、教育内容にまで法原理が介入す- 1 ることは、権力の恣意的運用を非難できなくなり、教育と学習の自由は実践レベルで 保障されるべきであるというのは、それなりに理屈が立つものと思われます。ただ、 鈴木はこれを批判し、平和と民主主義の価値は、悲惨な戦争体験を契機として、戦前 戦中の教育を根本的に改めるとともに、長期の展望に立って戦後教育の未来を切り拓 く指針として制定された」と言って批判しているのです。<引用は鈴木英一『現代日 本の教育法』勁草書房1979pp2-3>
 ここでは、教育法学者間の見解、意見の相違があったというとこで終わって良いのです が、問題は、現行教基法の過度の理念、目標の書き込みであります。全体に問題にすべき 文言が多いのですが、特に注意すべきは、第二条の「教育の目標」であって、それは、大 幅に旧法の該当箇所を書き換えているだけでなく、まったく異質の目標規定になっている ことです。実はこの二条の5つの項は、かつての学校教育法の目的規定を教基法に格上げ し、かつ変質させている点に注意すべきです。かつての学校教育法では、次のように書か れていたので引用しましょう。
 ○ 学校教育法旧法 第18条 小学校の教育目標
 小学校における教育については、前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標の達成に努めな ければならない。
 一 学校内外の社会生活の経験に基き、人間相互の関係について、正しい理解と協同、自主及び自立の 精神を養うこと。
 二 郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。
 三 日常生活に必要な衣、食、住、産業等について、基礎的な理解と技能を養うこと。
 四 日常生活に必要な国語を、正しく理解し、使用する能力を養うこと。
 五 日常生活に必要な数量的な関係を、正しく理解し、処理する能力を養うこと。
 六 日常生活における自然現象を科学的に観察し、処理する能力を養うこと。
 七 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること。
 八 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸等について、基礎的な理解と技能を養うこと。

 見られるようにこれは旧教基法の文言を使いつつ、第二項以下では、社会科や国語、 算数、理科、体育などの教科の目標を書き込んでいるようにも見られ、それ自体不要とい う見解もありますが、妥協的には許される範囲と言えなくもないでしょう。しかし、これ がなくなって、現行教基法の第二条は、これに似てはいるけれど、俄然「徳目」化した内 容表現になっているのです。成嶋隆によれば、「これらの徳目規定が文部科学省告示であ る学習指導要領の「道徳」の項目を法律規定に「格上げ」したものになってい」て、法定学習 指導要領が大手を振って闊歩することになる、というのです。これは戦前日本が「修身」を 筆頭科目としていたのと同様に、教育を道徳教育に一元化していく志向が明らかだと、批 判しています。もちろんそのほかにも、第二条の愛国心条項についても鋭く成嶋は批判し ています。その眼目は「それが思想・良心の自由と国家の価値中立性の原則を定めた憲法 一九条に真っ向から抵触する」というわけです。(「世界」2006/7)
 このように、法律に教育的価値に関わる文言を書き込むことは、非常に大きな問題を抱 えています。しかし現行教基法では、行政は価値中立的であって、「条件整備」すなわち、 金とモノを提供することに徹すべきという方向性とは真逆で、金とモノは徹底的にけちり、 内容にずけずけと介入し、支配するという構造に転換してしまったと考える次第です。
 なおついでに言えば、学校教育法の旧一八条は、現行法では二一条に一〇項目に増やさ れ、そして能力・技能のほかに態度を養うということが最初の3項で強調されています(条 文引用は省略)。これは、まさしく「規範意識」を入れ込もうという意思表明と批判されて も仕方ないでしょう(さらに学校評価の基準として見なされ、子どもに降りてくるのでは ないか)。これらは、法的規範ではなく、訓示規定として拘束力のない条項として慎重に 運用されるべきです。教育はそもそも法律という権力作用とはなじまない非権力作用であ り、学校、教員の主体性が尊重されるべきです。

 なお一言補足します。国際的規範としての「子どもの権利条約」の教育条項は、二八条 で「教育への権利」として機会の平等を基礎として達成すべきことをのべ、子どもの人間的 尊厳に適合する方法で条約が運用されるべきと規定しています。そして二九条「教育の目 的」では、世界人権宣言や国連憲章の原則を尊重すべきなどの規定がありますが、これら の規定は、個人、団体の教育機関の自由を妨げるものではない、と書いています。これは いわば、国際的良識と言えましょう。
 やはり日本の教育法規の特殊性は、旧教基法の下では戦後の憲法的価値の精神に適合し たものではありましたが、その民主的な価値は権力に敵視され、空洞化され、改正教基法 に至って、特殊性を逆手にとって、権力的介入、行政的管理を強化することに役立てられ てしまうという状況にあります。そしてそれらの具体的な施策が、いじめ不登校、ひきこ りなどの子どもへのストレスを強化し、教員に過度の多忙化、管理主義が高じて、教員の なり手を失っていくという、悲惨な現状をもたらしています。教育勅語のもとで戦争に突 っ走り、教育が崩壊しましたが、いまや、教育の国家による管理主義がそれとは別の「崩 壊」の危機をもたらしているように思われてなりません。

 日本の教育は、権力的介入が横行し、競争主義のもとで子どもと教師の自由を奪い、い まや崩壊の道を走っているかのようです。この問題を克服する道はただ一つ、教育(学校、 教室)に自由の空気を取り戻し、行政はその自由を見守るということに尽きます 。


2024109日、第3回オンライン憲法塾を、オンライン(Zoom)で開催しました。テーマは「日本国憲法と旧教育基本法」で、報告者は、森田道雄氏(福島大学名誉教授、教育学専攻)です。31名が参加しました。冒頭の機械の不調のため、再度、新たなURLを送ることになり、再入室できなかった方がおられましたら、心からお詫びします。

メールにて寄せられたご感想・ご意見は、次の通りです。

 参考にしていただけると幸いです。今後とも、よろしくお願いします。

  (2024.10.11 補充訂正)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

★短時間で新旧教育基本法の全体像や変更の要点等をご教授いただき大変勉強になりました。

感想・意見として、以下の2点について教えていただければ幸いです

 1)最高法規としての現行憲法がまだ改定されていないのに教育分野では基本法が改定されてしまったことに伴う法理上の「ずれ」「乖離」「不整合」はどう論議されたのか。どう扱われ。どう議論されていたのかという問題。

 2)改定にあたって世界各国の教育に関する基本法の在り方や変化の動向との比較や関連はどの程度検討されたのか。(I.S.

 

 ⇒上記ご質問に対して、報告者の森田道雄さんから、以下のような回答が寄せられましたので、ご紹介します。

 ☆さてご質問への回答ですが、まず第一のご質問で、会議中にもふれましたが、教育関係法規には、連動した改定がおこなわれており(あるいは先だって改定されていて)、問題は聞いておりません。参考文献にあげた官僚の書いた逐条解説には、そういう問題意識すらありません。もし不都合があっても行政解釈で、乗り切っていくのではないでしょうか。現憲法との齟齬については、どういう問題が起こるのか、私にはわかりません。というか、退職後の研究的フォローをいっさいしておりませんので、回答不能とお断りするほかありません。

第二のご質問も同様ですが、諸外国では、教育法規に抽象的、理念的な文言を書き込むということは避けられています。教基法のような条文は、戦前の教育への断絶を明示するための特殊日本的な現象のようです。文科省や国会で、諸外国の教育法規にかかわる比較検討は、していないのではないかと推察します。

以上、大変雑ぱくな回答で、申し訳ありません。よろしくお願いします。

 

 ★子どもに関わる仕事をしていますが、子どもたちの教育について法律の側面から考えたことがあまりなったので、とても勉強になりました。

教育権が、子どもの「学習し発達する権利」である、という言葉が腑に落ちました。

子どもたちがなぜ学ぶのか、それは自らが発達したいという要求が本来あるからであり、誰かのため、社会のため、に学ぶのではないのだと思います。それでも、学ぶことにより、よりよい社会・平和な社会を作り出していくこともできるようになるのだと思いました。

旧教育基本法では「真理と『平和』を希求する人間の育成」を目指しているのに、新法では『平和』という言葉が無くなっていて、少し残念な気持ちになりました。

このような学びの場を与えていただきありがとうございました。(Y.K

 

 ★憲法の理念に基づいて旧教育基本法が制定されたのが1947年。そして1980年代初頭、中曽根政権が成立し、米国・レーガン政権、英国・サッチャー政権とともに市場原理・競争原理を基調とする新自由主義が大きく広がっていった。それはあらゆる分野での民営化路線へのシフトをもたらした。2006年新教育基本法の制定はそのような背景を色濃く持ったものであることを改めて学んだ。

私の専門とする住宅政策分野でいうと同じ2006年、「住生活基本法」が制定されている。

限られた知識から推測すると、およそ「基本法」は大きな時代の転換点に制定されたり改定されるのではないかと考えている。戦中・戦後の混乱期の貧困な住宅事情から出発した住宅政策は住宅建設計画法に基づく8期に及ぶ住宅建設5か年計画(19662005年)が基本であった。しかし上記のような新自由主義の台頭が住宅政策においても大きな転換点となり「住生活基本法」の制定になった。市場原理に基づく住宅政策、そこからこぼれ落ちる人々は「セーフティネット」ですくい上げることが前提になった。豊かな住生活の実現を目指し、居住権の確立を求めてきた住宅運動はさらに新たな格差と分断の課題に取り組むことになっている。東日本大震災をはさんで招かれた教研集会では、これらの住宅運動の課題とともに原発災害からの復興の課題-生活・生業の再生、地域社会・地域経済の再建、原発事故の収束と地域環境の保全、などを訴えてきた。

憲法改悪をもくろむ政権は、閣議決定を優先させた安保法制の制定などによって、武器の製造や輸出、軍事基地の沖縄などへの押し付けなどを進めてきており、憲法9条を実質的に踏みにじってきている。憲法9条を守る闘いはいよいよ正念場を迎えている(HS)。

 

 ★法律に無知であり、学ぶこと、初めて知ることが多かったです。 直接責任性の削除の意味について、や、憲法97条の削除の案があることなど、知らないうちに憲法や教育基本法が変わり、教育を通じた国家の支配に戻っていくことに、もっと知って敏感であらねば、と思いました。 わからないこと、難しいことも多いのですが、また参加したいと思います。(M.S

 

 ★現代の定説では「教育権」は、子どもの「学習し発達する権利」であるとの話がありました。

 最近、前川喜平著『権力は腐敗する』(毎日新聞出版2021)を読んでいて、コロナの時に、安倍政権下で行われた全国一斉休校が、日本中の子どもたちの学習権と生存権を侵害する重大な人権問題だったとの指摘に注目した。26条の「教育を受ける権利」は、25条の保障する生存権と一体をなすものであり、子どもたちが学校で無償の普通教育を受けることは、まさに彼らにとって「健康で文化的な最低限の生活」の重要部分を構成する。また学校は、学習の機会を提供するだけでなく、子どもたちに安全・安心かつ安定した生活環境を提供するという点でも彼らの生存権を保障する機能を有している。子どもたちから学校教育と学校生活の機会を奪う休校(学校の臨時休業)は、彼らの生存権と学習権を侵すことになりかねない、という。

 コロナの重大性のあまり、子どもたちの教育を受ける権利を軽視してしまったなと反省しているが、最近、必要性を増している病児保育・病後児保育も、単に、親の就労継続のためというよりも、子どもの「発達する権利」「教育を受ける権利」の観点から、考えなければならないと痛感させていただいた。(T.K

 

 ★この講演会(オンライン憲法塾)に今回初めて参加させていただきました。「日本国憲法と旧教育基本法」と題し、森田道雄氏から報告がありました。

私は、同氏が福島大学で教員として勤務されていたときに委員会等でご一緒させていただきました。ご専門である教育学に関してこれまでお話を伺ったことはありませんでしたが、先生は非常に幅広い知識や見識をお持ちの方だと敬服しておりました。

 当初、この講演会に参加すべきか悩んでおりました。実際、事前に配布された資料を拝見すると、そこに記された文章をただ読むだけではほとんど理解できなかったからです。しかしながら、怖いもの見たさという好奇心もありとりあえず参加させていただくことにしました。

 憲法に関しては、かつて行政社会学部に所属していた経験もあり、少し勉強した程度です。加えて、教育学や教育基本法に至ってはまったくの素人です。最初は戸惑いながらもお話を伺っていくうちに、同法と憲法が戦後から現在まで論争を繰り返しながら議論されてきた経緯をおぼろげながら理解することができました。

 小学校から大学まで教育に関しては深く考えることなしに学習してきたように思います。憲法に関してもしかりです。改正前後の教育基本法の比較に関するレジュメがありますが、その中で使用された文言や表現に関して意図や解釈も深い考察が必要であることを認識した次第です。

 森田先生は「退職後かなりの年月がたっているので話し難かった」という趣旨の発言をされ、謙遜されていましたが、幅広い見地からのご講演、ありがとうございました。そして、どこかで再度お話を伺えたらと願っております。(A.N

 

 ★教育基本法の改正の問題点をあらためて確認しました。

しかし、基本法が変わったとしても、基礎は憲法にあると考えたいと思います。国民の教育権なのか国家の教育権のなのかのせめぎ合いの問題です。

参加者から指摘のあった、「上からの教育が通じない社会」、「国家の教育からの逃避」になっているという問題は、深く考えてみる必要があると思います。(T.S

 

 ★同じ町内の先生のお話、大変スッキリしました。退職して23年になりますが、住民運動として何か役に立ちたいと、今も民間教育運動に関わっています。教育は本当に政治に深く関わっている、と言うより、中心を占めていることが今になって実感しています。「教育基本法」の改正前後の比較の部分、プリントアウトして読み直しています。ありがとうございました。(K.W)

 

 ★森田先生のご報告により、教育基本法は、「教育憲法」、「教育の権利宣言」、「憲法の付属法的意味」などと言われ、教育法学では「準憲法的性格」と言われていることの意義が理解できました。教育立法の勅令主義を否定し、日本国憲法のもと法の支配原則を体現したものであることの意義は、非常に大きいと実感しました。

また、私は教育基本法の児童観に着目しています。同法の児童観は非常に豊かであり、教育内容も義務教育にとどまらない広がりがあるものとして考えられているのが素晴らしいと考えています。

日本国憲法において、すべての国民は基本的人権をもつとともに主権者であることを確認されています。ここに児童が含まれることは言うまでもありません。そして、すべて国民は教育を受ける権利を有することを確認しており、児童も教育を受ける者と位置づけられています。

教育基本法を通じて示される児童観は、さらに豊かです。児童は、教育によって将来的に「人格の完成」が目指され、平和な国家および社会の形成者として期待されています。教育はあらゆる機会に、あらゆる場所で実現され、その目的のために、学問の自由が尊重され、実際生活に即し自発的精神を養う者として期待されます。さらに、児童は人種や性別、社会的身分等を理由に、教育を受けられないことはあってはならず、その教育の内容は義務教育にとどまらず、社会教育、政治教育、宗教教育まで視野に入れられています。このことから児童は、戦前の天皇の臣下としてなく、主権者として豊かな教育内容を学ぶことが期待されているのであり、また将来の平和な国家および社会の形成者として期待されています。

 このたびは森田先生のご報告によって、教育基本法の意義と2006年改正の問題点を勉強させていただきました。ありがとうございました。(SS

 


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

03

3回 オンライン 憲法塾

      (主催:福島県九条の会)

 

 日 時  202410 9日(水)

 1830分~1930                

 

テーマ 「 日本国憲法と旧教育基本法」

 

報告者  森田 道雄 氏 (福島大学名誉教授、教育学専攻)

     

☆☆☆☆☆☆☆

  *新型コロナウイルス感染拡大予防のため、オンライン(zoom)で開催します。

  *参加希望者は、tkonno67@gmail.com までご連絡ください。

202410818:00申込締切)

     (氏名(都道府県・市町村名)・メールアドレスを付記して下さい。)

当日(109日)午前中に、URL等を連絡します。

    (お名前は、フルネーム(都道府県名含)で、アクセスお願いします。)

  *録音・撮影等はご遠慮ください。

  *パソコン(カメラ・マイク付き)・スマホ等、受信のための通信装備の用意が前提

ですが、不明な点があれば、ご連絡ください。

  *無料です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(連絡先) 福島県九条の会

 < tkonno67@gmail.com  (今野順夫)>

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

↑このページのトップヘ