2024年10月9日、第3回オンライン憲法塾を、オンライン(Zoom)で開催しました。テーマは「日本国憲法と旧教育基本法」で、報告者は、森田道雄氏(福島大学名誉教授、教育学専攻)です。31名が参加しました。冒頭の機械の不調のため、再度、新たなURLを送ることになり、再入室できなかった方がおられましたら、心からお詫びします。
メールにて寄せられたご感想・ご意見は、次の通りです。
参考にしていただけると幸いです。今後とも、よろしくお願いします。
(2024.10.11 補充訂正)
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★短時間で新旧教育基本法の全体像や変更の要点等をご教授いただき大変勉強になりました。
感想・意見として、以下の2点について教えていただければ幸いです
1)最高法規としての現行憲法がまだ改定されていないのに教育分野では基本法が改定されてしまったことに伴う法理上の「ずれ」「乖離」「不整合」はどう論議されたのか。どう扱われ。どう議論されていたのかという問題。
2)改定にあたって世界各国の教育に関する基本法の在り方や変化の動向との比較や関連はどの程度検討されたのか。(I.S.)
⇒上記ご質問に対して、報告者の森田道雄さんから、以下のような回答が寄せられましたので、ご紹介します。
☆さてご質問への回答ですが、まず第一のご質問で、会議中にもふれましたが、教育関係法規には、連動した改定がおこなわれており(あるいは先だって改定されていて)、問題は聞いておりません。参考文献にあげた官僚の書いた逐条解説には、そういう問題意識すらありません。もし不都合があっても行政解釈で、乗り切っていくのではないでしょうか。現憲法との齟齬については、どういう問題が起こるのか、私にはわかりません。というか、退職後の研究的フォローをいっさいしておりませんので、回答不能とお断りするほかありません。
第二のご質問も同様ですが、諸外国では、教育法規に抽象的、理念的な文言を書き込むということは避けられています。教基法のような条文は、戦前の教育への断絶を明示するための特殊日本的な現象のようです。文科省や国会で、諸外国の教育法規にかかわる比較検討は、していないのではないかと推察します。
以上、大変雑ぱくな回答で、申し訳ありません。よろしくお願いします。
★子どもに関わる仕事をしていますが、子どもたちの教育について法律の側面から考えたことがあまりなったので、とても勉強になりました。
教育権が、子どもの「学習し発達する権利」である、という言葉が腑に落ちました。
子どもたちがなぜ学ぶのか、それは自らが発達したいという要求が本来あるからであり、誰かのため、社会のため、に学ぶのではないのだと思います。それでも、学ぶことにより、よりよい社会・平和な社会を作り出していくこともできるようになるのだと思いました。
旧教育基本法では「真理と『平和』を希求する人間の育成」を目指しているのに、新法では『平和』という言葉が無くなっていて、少し残念な気持ちになりました。
このような学びの場を与えていただきありがとうございました。(Y.K)
★憲法の理念に基づいて旧教育基本法が制定されたのが1947年。そして1980年代初頭、中曽根政権が成立し、米国・レーガン政権、英国・サッチャー政権とともに市場原理・競争原理を基調とする新自由主義が大きく広がっていった。それはあらゆる分野での民営化路線へのシフトをもたらした。2006年新教育基本法の制定はそのような背景を色濃く持ったものであることを改めて学んだ。
私の専門とする住宅政策分野でいうと同じ2006年、「住生活基本法」が制定されている。
限られた知識から推測すると、およそ「基本法」は大きな時代の転換点に制定されたり改定されるのではないかと考えている。戦中・戦後の混乱期の貧困な住宅事情から出発した住宅政策は住宅建設計画法に基づく8期に及ぶ住宅建設5か年計画(1966~2005年)が基本であった。しかし上記のような新自由主義の台頭が住宅政策においても大きな転換点となり「住生活基本法」の制定になった。市場原理に基づく住宅政策、そこからこぼれ落ちる人々は「セーフティネット」ですくい上げることが前提になった。豊かな住生活の実現を目指し、居住権の確立を求めてきた住宅運動はさらに新たな格差と分断の課題に取り組むことになっている。東日本大震災をはさんで招かれた教研集会では、これらの住宅運動の課題とともに原発災害からの復興の課題-生活・生業の再生、地域社会・地域経済の再建、原発事故の収束と地域環境の保全、などを訴えてきた。
憲法改悪をもくろむ政権は、閣議決定を優先させた安保法制の制定などによって、武器の製造や輸出、軍事基地の沖縄などへの押し付けなどを進めてきており、憲法9条を実質的に踏みにじってきている。憲法9条を守る闘いはいよいよ正念場を迎えている(HS)。
★法律に無知であり、学ぶこと、初めて知ることが多かったです。
直接責任性の削除の意味について、や、憲法97条の削除の案があることなど、知らないうちに憲法や教育基本法が変わり、教育を通じた国家の支配に戻っていくことに、もっと知って敏感であらねば、と思いました。
わからないこと、難しいことも多いのですが、また参加したいと思います。(M.S)
★現代の定説では「教育権」は、子どもの「学習し発達する権利」であるとの話がありました。
最近、前川喜平著『権力は腐敗する』(毎日新聞出版2021)を読んでいて、コロナの時に、安倍政権下で行われた全国一斉休校が、日本中の子どもたちの学習権と生存権を侵害する重大な人権問題だったとの指摘に注目した。26条の「教育を受ける権利」は、25条の保障する生存権と一体をなすものであり、子どもたちが学校で無償の普通教育を受けることは、まさに彼らにとって「健康で文化的な最低限の生活」の重要部分を構成する。また学校は、学習の機会を提供するだけでなく、子どもたちに安全・安心かつ安定した生活環境を提供するという点でも彼らの生存権を保障する機能を有している。子どもたちから学校教育と学校生活の機会を奪う休校(学校の臨時休業)は、彼らの生存権と学習権を侵すことになりかねない、という。
コロナの重大性のあまり、子どもたちの教育を受ける権利を軽視してしまったなと反省しているが、最近、必要性を増している病児保育・病後児保育も、単に、親の就労継続のためというよりも、子どもの「発達する権利」「教育を受ける権利」の観点から、考えなければならないと痛感させていただいた。(T.K)
★この講演会(オンライン憲法塾)に今回初めて参加させていただきました。「日本国憲法と旧教育基本法」と題し、森田道雄氏から報告がありました。
私は、同氏が福島大学で教員として勤務されていたときに委員会等でご一緒させていただきました。ご専門である教育学に関してこれまでお話を伺ったことはありませんでしたが、先生は非常に幅広い知識や見識をお持ちの方だと敬服しておりました。
当初、この講演会に参加すべきか悩んでおりました。実際、事前に配布された資料を拝見すると、そこに記された文章をただ読むだけではほとんど理解できなかったからです。しかしながら、怖いもの見たさという好奇心もありとりあえず参加させていただくことにしました。
憲法に関しては、かつて行政社会学部に所属していた経験もあり、少し勉強した程度です。加えて、教育学や教育基本法に至ってはまったくの素人です。最初は戸惑いながらもお話を伺っていくうちに、同法と憲法が戦後から現在まで論争を繰り返しながら議論されてきた経緯をおぼろげながら理解することができました。
小学校から大学まで教育に関しては深く考えることなしに学習してきたように思います。憲法に関してもしかりです。改正前後の教育基本法の比較に関するレジュメがありますが、その中で使用された文言や表現に関して意図や解釈も深い考察が必要であることを認識した次第です。
森田先生は「退職後かなりの年月がたっているので話し難かった」という趣旨の発言をされ、謙遜されていましたが、幅広い見地からのご講演、ありがとうございました。そして、どこかで再度お話を伺えたらと願っております。(A.N)
★教育基本法の改正の問題点をあらためて確認しました。
しかし、基本法が変わったとしても、基礎は憲法にあると考えたいと思います。国民の教育権なのか国家の教育権のなのかのせめぎ合いの問題です。
参加者から指摘のあった、「上からの教育が通じない社会」、「国家の教育からの逃避」になっているという問題は、深く考えてみる必要があると思います。(T.S)
★同じ町内の先生のお話、大変スッキリしました。退職して23年になりますが、住民運動として何か役に立ちたいと、今も民間教育運動に関わっています。教育は本当に政治に深く関わっている、と言うより、中心を占めていることが今になって実感しています。「教育基本法」の改正前後の比較の部分、プリントアウトして読み直しています。ありがとうございました。(K.W)
★森田先生のご報告により、教育基本法は、「教育憲法」、「教育の権利宣言」、「憲法の付属法的意味」などと言われ、教育法学では「準憲法的性格」と言われていることの意義が理解できました。教育立法の勅令主義を否定し、日本国憲法のもと法の支配原則を体現したものであることの意義は、非常に大きいと実感しました。
また、私は教育基本法の児童観に着目しています。同法の児童観は非常に豊かであり、教育内容も義務教育にとどまらない広がりがあるものとして考えられているのが素晴らしいと考えています。
日本国憲法において、すべての国民は基本的人権をもつとともに主権者であることを確認されています。ここに児童が含まれることは言うまでもありません。そして、すべて国民は教育を受ける権利を有することを確認しており、児童も教育を受ける者と位置づけられています。
教育基本法を通じて示される児童観は、さらに豊かです。児童は、教育によって将来的に「人格の完成」が目指され、平和な国家および社会の形成者として期待されています。教育はあらゆる機会に、あらゆる場所で実現され、その目的のために、学問の自由が尊重され、実際生活に即し自発的精神を養う者として期待されます。さらに、児童は人種や性別、社会的身分等を理由に、教育を受けられないことはあってはならず、その教育の内容は義務教育にとどまらず、社会教育、政治教育、宗教教育まで視野に入れられています。このことから児童は、戦前の天皇の臣下としてなく、主権者として豊かな教育内容を学ぶことが期待されているのであり、また将来の平和な国家および社会の形成者として期待されています。
このたびは森田先生のご報告によって、教育基本法の意義と2006年改正の問題点を勉強させていただきました。ありがとうございました。(SS)

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