知られざる佳曲

   一. クラシックを中心とした音楽が好きです。
   二. 素人ですが、著作権や著作権法について考えたり、情報検索について書いたりしています。
   三. アマゾンの深層webや物流に関心があります。

タグ:梅田望夫

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IMSLP




ウィキペディアYouTube がすっかり我々の生活に溶け込んだように、クラシック愛好家にとってもパブリックドメインの楽譜を閲覧できるIMSLP(国際楽譜図書館プロジェクト)は既に無くてはならないものになっている。




そのIMSLP には、今まで日本語ページが無かったが、ようやく出来た。

日本語メインページ

もし英語版トップに入ったとしても、左上にある「日本語メインページ」をクリックすれば、日本語版に入ることが出来る。



これで、今まで何となく縁遠く感じていた人も入りやすく感じるだろう。



by カエレバ




子供の頃、21世紀にはこんなことができるようになるという「未来予想図」が本に出ていた。家に百科事典が無くても何でも知ることが出来る。レコードが無くても音楽が何でも聴ける。家の中から世界中の風景が観られる。

それらはブロードバンドになってもなかなか達成できなかったが、ようやくいくつか現実になってきた。ウィキぺディアや、YouTube 、グーグルマップのおかげである。

IMSLPのお陰で、家の本棚に楽譜が無くても曲が弾けるようになった。

例えば、こんな風に。これが21世紀のスタイル
楽譜をノートパソコンのモニターで表示させて譜面台に置く。

誰もがいつでも芸術に触れることが出来る。

これが、ユビキタスなんだ。


ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

梅田 望夫 筑摩書房 2006-02-07
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このエントリーは梅田望夫氏に捧げたい。

氏は自らが推薦した本への大量の批判的なブックマーク(それは同氏が役員を勤める会社が運営するものだったが)を非難して、後日、日本のネット社会全体を腐す発言をした。

それは、およそ氏が我々に訴えた言葉からはかけ離れた態度に見えた。

直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。

私も一連の発言にがっかりしていたが、それは氏に過剰に期待していたからだと思う。多くの人もまたそうだったと思う。

氏が多くの著作で提示した未来は、子供の頃に見た夢を思い出させてくれるものだった。また、我々に夢を見させてほしい。


天下
「ウェブ進化論」を書いたのは梅田望夫だが、
「ウェブ進化論」を作ったのは――――

ある無名の筑摩書房の女性編集者だった。



それを横浜逍遥亭の亭主taknakayama さんから聞いた。正確には、教えていただいた新聞「週刊読書人」に寄せた梅田望夫の文章を読んだ。


見知らぬ人から「出版企画提案」というタイトルが付された一通のメールが届いた。そこには、詳細な本の構成案も添付されていた。本を書く気など全くなかった私は、すぐにお断りの返事を書こうと思いつつ、そのメールを読み始めた。しかし一読して、私の心は大きく変化した。添付された構成案の秀逸さに驚き、なるほどこれなら本が書けるかもしれないぞと思ったのである。

梅田望夫「『苦手』を克服して――本というメディアのパワーに驚く」
「週刊読書人」平成19年1月5日号より


メールの差出人が当時、筑摩書房の編集者だった福田恭子さんで、あとは皆さんの知るとおり。福田さんは、あちら側からこちら側への橋渡しをし、梅田望夫に天下を取らせたのである。

4480062858ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
梅田 望夫
筑摩書房 2006-02-07

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その福田さんが12月のシュンポシオンに来られると言う。
福田さん、ゲットです




また、「ウェブ進化論」の宣伝方法も、とても「それらしい」ものだった。本を読んだブロガー達の書評を使ったのである。本の広告手法は、その本の理想であり、実践であった。これには恐らく天下の梅田も唸ったに違いない。

当の福田さんは、この記事に当惑し、迷惑しているかもしれないが、書かずに入られなかったので、お許しいただきたい。

福田さんを平成の黒田官兵衛(Kuroda, 1546-1604)と呼ぶことにする。

「官兵衛、恐るべし」


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友よ、悲劇は終わった

Hope in a Prison of Despair
前回からの続き

本書に限らず、梅田の著作は「楽観的すぎる」と批判されることがある。そのことに触れながら、この感想を書き終えたい。

池田信夫は自身のブログの中で「日本の現実への言及がほとんどない」と批判しているが、そうだとしても、「日本の現実は、著者の目には入らない」とまでは思わなかった。むしろ梅田は現実を踏まえた上で、単なる現状への愚痴に終わることなく進むべき道を指し示したと思う。池田がどのような論拠を示すか楽しみにしていたのだが、「15分で読める」という批判だったのはとても残念だ。

ウェブ時代をゆく(池田信夫blog)


とは言え、池田による批判はまだ良いほうで、この世は酷い言説で満ち溢れている。言うなれば、それが日本の現実である。社会への不満は大事だが、酒場の悪口ではないのだから、挙げ足取りや煽動ばかりでは、これからどうしたら良いか分からない。こうした内部抗争ばかり続けていては、やがて日本は新撰組のように内側から崩壊していくだろう。

今の現状を見て思い出すのは、90年代初頭の頃である。その頃はまだまだ「バブル景気」という言葉もあまり一般的でなかった。まだ深刻な不況の実感に乏しかったからだ。

当時、ソ連から始まったペレストロイカ(改革)によって、東欧にも民主化の波が押し寄せ、89年にはポーランドの自由選挙、汎ヨーロッパ・ピクニック(ハンガリー)、ベルリンの壁崩壊、ビロード革命(チェコスロバキア)、ジフコフ辞任(ブルガリア)、チャウシェスク処刑(ルーマニア)と「革命」が立て続けに起こった。そして革命の熱狂から醒めると、東欧諸国では深刻な経済不振に直面することとなった。

その状況を伝えるニュースキャスターはこう感想を漏らしていた。「社会主義経済からの転換は大変ですねぇ」安堵した様子で話していたところを見ると、「対岸の火事」であること以上に「日本は資本主義経済だから大丈夫だ」と言いたかったのだろう。



それなのに、なぜ長期間に渡って「出口の見えない不況」に覆われたのだろう。私には度を越えた悲観主義がその原因の一つであるように思えてならない。「出口の見えない不況」はその実態以上に、「出口の見えない閉塞感」となったのではないか。勿論、深刻な問題であったし、安易な楽観主義は禁物である。しかし、同様に根拠の無い悲観主義も日本社会に大きな害を及ぼしたように思われる。もう悲劇は充分に観ました。もういい加減終わりにしませんかと世の論客たちに言いたい。

この問題は日本人の生真面目さに関わってくる問題なので、なかなか改善できないかもしれないが、世界にはもっと悲劇を抱えながら希望を捨てずに頑張っている国がたくさんある。まるで明日にも国家が崩壊するだとか、円が暴落して無価値になるとか、叫ぶ「識者」の口車に乗ってはいけない。「ノストラダムスの予言」はどこへいったのか。

しかし悲しいことに、そうした煽動に煽り立てられる国民が多いのも事実だ。例えば、年金問題がある。若者は「どうせ貰えやしない」と嘯く。不思議に思うのだが、それで何も動かない。挙句の果てには「年金制度は崩壊している」とか「数十年後に日本が無くなっている」とか言い出す。どうして「社会を変えよう」とか「俺たちが何とかしよう」とか考えないのだろう。彼らは70歳になっても80歳になっても働くつもりなのか。「貯金をする」と言う若者は利子率すら知らないのだろう。

私は、著者の言動を支持し、ブログを読んでいるが、実は言いたいこともある。こんな日本ではあるが、こんな国だからこそ、日本から良くして欲しい。梅田が進める日本人1万人シリコンバレー移住計画は結局アメリカ社会に貢献するだけで、日本社会への貢献になるのだろうかと疑問を感じる。野茂やイチローが活躍して勇気付けられた日本人は多いだろうが、日本球界は果たして活気付いただろうか。いまや日本のプロ野球はテレビから消えようとしている。ここは野球にも明るい梅田の意見を聞いてみたい。



さらに、この本とは直接関係しないが、昨年の河合隼雄(1928-2007)の死に寄せるブログ記事に対しても疑問を持った。

取り返しはつかない

元々は養老孟司(1937- )が書いた記事への梅田の賛意なので、養老に言うべきかもしれないが、少なくとも河合は自らの意思で科学技術庁長官就任を決めたはずなのだから、長官の役割への過度の侮蔑は、勢い余って河合への最大級の侮蔑に繋がりかねない。勿論、養老も梅田もそんな意図は無いはずで、「わずらわしい政官界」を腐す気持ちは充分わかるのだが、度を過ぎれば日本社会全体を腐してしまうだろう。

私には科学技術庁長官の職務がそんなに意味の無い仕事だとは思えない。確かに河合の能力を生かせる仕事では無かったかも知れない。それでも学者が公官庁のトップに就く事はそんなに無意味な事だろうか。政官界に問題がないなどとは間違っても言えないが、安易な大衆迎合主義への接近を感じて、私は怖れを感じた。もしも、梅田が大衆に迎合し権力を目指し始めたら、何でも出来るようになるだろう。


このような意見を少しでも書くと、「お上ベッタリ」とブロガーにとっての死刑宣告を出されるので、書きたくなかったのだが、政治家や官僚の悪口を言えば事足れりとする大衆迎合主義は現代日本の病理であると、私は思っている。重要なことは彼らが何をしているかのチェックであり、悪口を言って酒飲んで寝て忘れてしまうのは、却って彼らに好都合だろう。

それでも不満がある方には、「政治を軽蔑するものは、軽蔑すべき政治しか持つことはできない」というトーマス・マン(Mann, 1875-1955)の言葉を返しておこう(「魔の山」から)。振り回した刀の刃は、実は自分に向けられているのだ。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)




と、私も批判ばかりになってしまったが、本書には全面的に賛同する。フロンティア(まだ見たことの無い土地)への希望に溢れているからだ。「ここではないどこか」と言い換えてもいい。そういう希望が、梅田望夫の一連の著作に爽やかな風となって吹き抜けている。


私が「ウェブ開拓論」を考えたのも、この本を知ったことが大きなきっかけになった。「あちら側」、「アメリカ」、「もうひとつの地球」と様々な形で変奏される梅田の曲の主題はこの「希望」である。東に「日本経済にもう成長の伸び白はない」と断言する者があれば、「ウェブのあちら側」にはまだ開拓すべき土地が広がっていますよと訴え、西に「大企業に就職できなかった」と嘆く者がいれば、「今は違う生き方でも充分に食べていける」と謳う。やはり、このポジティブさが今の日本には必要なのだ。

「ウェブ時代をゆく」を十文字以内で要約せよと言われたら、私は32頁に出てくるこの一文をあげる。

未来は創造するものだ


おわり


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前回からの続き

「もうひとつの地球」をそのものとして理解してみる

地球

ウェブ時代をゆく」には、「もうひとつの地球」というキーワードが頻繁に登場する。





ネット空間は「知と情報」に関しては「リアルの地球」と同じくらい大きな「もうひとつの地球」とでも言うべき存在へと発展していくだろう。(10頁)


インターネット上に開かれた新しい世界の比喩であるこの概念を、私は額面どおりに受け取ることにした。グーグルマップなどのインターネット上に展開する各種の地図サービスや、グーグルアースを「もうひとつの地球」として捉えた。ウェブ上にある情報を、地理ごとに地図上に整理して、そのネットワークを地球儀みたいに現してみる方法である。

これは「リアル」と違って、自宅に居ながらにして味わえる「地球」である。明日出かける予定の場所を前もって調べたり、恐らくは一生行くことの無い秘境を上から眺めたりできる。さらに重さのない情報であるが故に、「もうひとつの地球」は自宅の外へ持ち歩ける利点がある。

考えて欲しい。自分が一番情報を必要としている時はどんな時だろうか。

それは、見知らぬ土地に一人で居る時だ。

さすらい人

地図や、地図の代わりになるものが無ければどうにもならないはずだ(注1)。目印となる建物や地形を見て、自分がどこに居るのかを知り、それから地図で目標との位置関係を把握し、最終的に目的を達成し、安全に家へ帰らなければならない。



私が「もうひとつの地球」をそのものとして捉えようと思った理由は、どんなに情報化が進もうとも、相変わらず人類は初めての土地でまごつくのだろうという単純なものだった。見知らぬ土地で不安な時、「もうひとつの地球」を持ち歩くことが出来ればどんなに心強いだろう。科学がどれほど進歩しても、恐らく物理的な移動の制約はゼロにはならないはずで、誰もがどこへでも行けるわけではないから、やはり地理情報の有用性は今後も揺るがないだろう。


折しも、グーグルマップに「マイマップ」の機能が搭載された。誰もが自分の地図をネット上に作成し、公開できるようになった。これは個々人が持っている情報、例えばその土地に関するブログ記事であったり、お薦めの店舗情報だったり、何でも良い。そうしたものを土地ごとに整理できるようになったことを意味している。


4480063870ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
梅田 望夫
筑摩書房 2007-11-06

by G-Tools






「ウェブ進化論」から何度も言及されているが、情報は「構造化」されて初めて意味を持つ。言語による構造化だけでない、全く新しい地理(地図)による「土地ごとの」構造化がマイマップによって可能になるだろう。個々人が持っている情報をマイマップに落としていくことで、まず一つ一つの情報と地理(場所)が関連付けれられ、ひいては情報どうしの「位置関係」が明瞭に分かっていく。

情報を地球という入れ物で整理すると言えば、いいだろうか。例で示すと、「有楽町」に関する情報は地図を使うことで、東京の地理に詳しくない人でも「東京駅」や「銀座」の情報と近いという事が分かる。そして、有楽町のエリアの北のほうにあるお店は東京駅からも近いのだと気付くことができる。そして、さらに「丸の内」が東京駅の西口に相当することや、有楽町が「日比谷」とほぼ重なることも直感的に分かるはずだ。

情報をマイマップに落としていくことで、「もうひとつの地球」を組み立てていくのである。情報どうしが複雑な網目のように絡み合って出来る地球である。


マイマップは誰もが見ることができる。だからと言って、「人のために」作るものではない。自分の個人的な備忘録として残しておいたもの、レストランが宣伝のために作った写真入のマイマップがそこを通る旅人に有益な情報を与えることだってあるだろう。それは神の「見えざる手」であり、恩寵である。


上にも書いたが、誰もがどこへでも行けるわけではない。しかし、だからこそ他人の作った情報の有益性が際立ってくる。たとえ、ある人にとっては自宅周囲の見慣れた情報であっても、その情報が必要とする誰かに読まれるならば、見飽きた自宅周辺の情報は「探検記」と成り得る(注2)。

かくして、21世紀は誰もが「探検家」となる。




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次回へ続く



【追記】「ウェブ開拓論」として、鎌倉探検記を載せてみました。
建長寺から西御門へ通じる道は確かにあった

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社会
 「あちら側」を「こちら側」に位置付ける

ウェブ時代をゆく」は、人生論と仕事論について書かれた本である。そして、その人生論と仕事論はどのような目的を持って書かれたものか。

極々単純化すれば、「あちら側(新しい生き方をする人たち)」を「こちら側(一般的な産業界)」に位置付けるためのものだと、私は感じた。


2006年に発行された「ウェブ進化論」からこの「ウェブ時代をゆく」へ至る道は、広くIT業界などの新しい「あちら側」の世界を、既存の社会を形成してきた大企業などの「こちら側」の世界の人々に紹介し、最終的に「こちら側」の中へ組み込み、位置付ける道だったのだと、私は思う。

ここでは、著者が用いるのとは違う意味で「あちら側」と「こちら側」という言葉を使ってみた。まだまだネット関連企業そのものが一般の人々にとって、縁遠い「あちら側」の存在なのだと感じたからだ。
もしくは、本書で使われている「新しい職業」と「古い職業」と言ってもいい(著者も言っているが新旧に優劣の差は全く無い)。

パソコンを毎日使う人にとっては想像できないことかも知れないが、ネットを利用しなくても人は充分生きていける。たとえ仕事でだって、上司の言うことに逆らうことが出来る人なら、パソコンを使わないことは可能だ。

だから、大企業の重役がパソコン、ネットに疎いことは充分想像できる。上役から「エクセルでグラフを作れ」などと命令されないからだ。「そんな人なんて一握り」と高を括ってはいけない。社会の中で決定権を握っているのはそういう人たちだ。いつの時代も世の中は単純に多数決で動くことはない。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
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書評/ライフスタイル



社会を動かすためには、媒体はパソコン雑誌でなく、「新書」という形態を取らねばならなかったろうし、その出版元も筑摩書房新潮社(『ウェブ人間論』)などの古くからの権威ある出版社でなければならなかったはずだ。新興の出版社では古い頭を持った人を振り向かせられない。

普段、ネットやITに興味を持たない勤め先の上司が『ウェブ進化論』を読み、急に「ロングテール」と言い出した、なんて話がネット上の掲示板に載っていた。他愛もない話だが、それまでネットに興味を持っていなかったはずの人までが引き摺り込まれたのだとしたら、社会に対する影響力は大きかったのだと言わざるを得ない。

この『ウェブ時代をゆく』もtaknakayama さんの職場(平成19年当時)の役員が「読むように」と言ったという。

役員が『ウェブ時代をゆく』に言及した


少し前に居酒屋でこんな声が聴こえてきた。「ライブドアとかいろいろ騒いでいたけど、最近は静かになっちゃって、ITなんてそんなもんだよなぁ。日本人は新しいものにすぐ飛びつくからさぁ〜」と話している声の主は、どうやらこの本の著者と同じ歳くらいのネクタイを締めたサラリーマン風の男性だった。仕事帰りで同僚と飲んでいたようだ。案外社会全体ではこんな感想を持っている人が大半なのだろう。


全ての人が実感しなければ、「維新」が来たことにはならない。


「ウェブ進化論」を手に取ってから、この本を読み終わるまでの間に、既に「新しい生き方」をしている方が大勢いることが分かった。単にIT産業とかインターネットビジネスと言う言葉ではうまく表せないような多様な世界である。あるいは古い世界に暮らしている私が理解出来てないだけなのかも知れない。

新しい生き方をする人々は、ただ紹介されるだけでなく、承認される事を欲している。本屋を少し見渡してみるといい。いつでも人生論と仕事論の本が幅を利かせていることにすぐ気付くだろう。それらの有効な道具を使って、著者は新しい「あちら側」に暮らす全ての人々の身元保証書を書いたのだと思う。

次回へ続く

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新刊「ウェブ時代をゆく」11月6日刊行


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梅田望夫氏の新著「ウェブ時代をゆく」刊行記念プレゼントキャンペーンの「ウェブ時代をこう生きてみたい」テーマ記事コンテストで、10名の中に選ばれました! 応援してくださった皆様のお陰です。本当にありがとうございます。

対象記事:ウェブ時代をこう生きてみたい(もう一つのブログで書いています)

キャンペーンページ:「ウェブ時代をゆく」欲しい!

記事で書いた「ウェブ開拓論」の根幹は、

1. 皆が利用できる地図を、皆で作っていこう
2. およそ人が足を踏み入れる全ての大地の写真を撮っていこう

という考え方です。
そして、全ての土地を写真情報で残すことから、逆に情報という側面から見れば、

3. 写真情報を緯度経度に従って地球という入れ物で整理し直そう

という野望になります。


まだまだ考えが纏まらないのですが、少しずつ書いていきたいと思います。


4480063870ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
梅田 望夫
筑摩書房 2007-11-06

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「ウェブ時代をゆく」いよいよ発売です。


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※男













【写真】※男(左)と、はてなちゃん


ご存知のように、はてなから自力検索の質問と回答を纏めた「幕府を作りたいのですが」が出ましたが、そこに、はてなちゃんの相棒として登場する「※男」に注目が集まっています。名前は「こめおとこ」と読むようです。


でも、一体どういう人物なのでしょう。名前も記号から始まるなど不自然です。はてなちゃんの「?」髪形と合わせるかのように、帽子に「!」マークを付けていますが、それなら「びっくり男」という名前でも良かったはずです。

どうせ白泉社の中の人がやっているんだろといった声もありますが ブログも続けているようです。

「※男」の最新の日記から ご案内


推理してみました。名前は「コメント男」の略なのだろうか(ただし、質問につくコメントと回答は全く別の物である)? それとも・・・そして、驚くべき結論に達しました。

※は「米印」、つまり米です。言うまでもなく、米はお餅の原料です。

こめおとこ・・・もちおとこ・・・「もちお」・・・!


どうやら「※男」は、はてな非常勤取締役でもある、かの梅田望夫(もちお)氏と何らかの繋がりがあるのではないか。仮に、多忙な梅田氏が「※男」その人であったとしても、はてなちゃんに教えるくらいの時間はあるだろう。
↓梅田氏のブログ「My Life Between Silicon Valley and Japan」から
はてな取締役会音声、社員に全部公開した


それにしても、はてなの最高機密に触れてしまったかもしれない・・・どうしよう。「横浜逍遥亭」はもう気付いておられるのだろうか・・・


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