堕落論 佐野眞一(以下・佐野、敬称略)はドキュメント「東電OL殺人事件」の冒頭、坂口安吾の「堕落論」「続堕落論」(いずれも角川文庫「堕落論」に所収)の一部を引用しています。
 佐野はここで、殺された東電OLは「安吾のいう、人間が生きるということは結局堕落の道だけなのだということを文字通り身をもってわれわれに示した」と書いています。
 しかも、彼女は堕落するということの「すごみ」をみせつけ、そこには「潔さ」さえあったといいます。
 「堕落」という言葉は、同書にも、また続編の「東電OL殺人事件症候群(シンドローム)」にもこの後、ひんぱんに出てくるキーワードです。

 はたして「堕落」とは何なのか。彼女は本当に「堕落」したのか。
 「堕落」について2回にわたって考えていきます。
 まずは安吾が語る「堕落」について…。
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日本の「虚構」を糾弾

 坂口安吾が「堕落論」を発表したのは終戦直後の昭和21年4月、「続堕落論」は同年12月。時に安吾40歳。
 言っていることは同じです。日本人への「堕落の勧め」です。
 ただ「堕落」にも、ちゃんとした理由があります。
 
 空襲によって焼き尽くされた東京の姿を、彼は「偉大なる破壊」と捉えました。
 「偉大なる破壊」によって武士道が滅び、軍部が滅びたことを自分の目で確認した安吾は、それまで日本という国を支えてきた「虚構」を糾弾します。
 
 国家によって国民が統制されていた戦時中の日本こそ、「虚構」も最(さい)たるものであり、「嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた」にすぎないとしました。
 安吾に言わせれば、そんなものは「人間の真実の美しさではない」のです。

「嘘をつけ!」吼える安吾

 安吾は、8月15日の終戦は「日本臣民」が「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで陛下の御命令に従って負けた」形にしたのだと考えました。それを「演出」したのは軍部です。
 安吾は吼えます。
 「嘘をつけ!嘘をつけ!嘘をつけ!」「国民は戦争をやめたくて仕方なかったのではないか
 
 「何というカラクリ」「歴史的大欺瞞」。安吾はそこに日本人が総体として作り出した人間の「狡猾さ」を見るのです。
 だからこそ、人間の正しい姿、すなわち、好きなものを好きと言い、イヤなものをイヤと言う「赤裸々な心になろう」と言うのです。
 それこそが安吾の「堕落の勧め」です。

安吾流「人間解放の理論」

 「真実の人間への復帰」こそ「堕落」であるという、安吾流の強弁は確かに爽快感すらあります。
 「まず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己の真実の声をもとめよ
 
 しかも、中途半端な「堕落」ではダメです。
 「堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ
  
 まるで「堕落教」の教祖のごとく、阿修羅の形相で安吾は叫んでいます。
 「道義退廃、混乱せよ、血を流し、毒にまみれよ
 
 安吾によれば「堕落」という「地獄」の先にあるものこそ「天国」です。
 そこにこその「真の人間的幸福」があると言うわけです。
 いわば安吾流「人間解放の理論」。「堕落論」の要諦はそこにあると私には思えます。

松岡正剛氏の評「真理を衝いた暴言」

 松岡正剛氏「千夜千冊」第873夜で安吾の「堕落論」を取り上げています。

 松岡氏は「ぼくは『堕落論』の半分は当たっているとおもう。いや、もう少し当たっているかもしれない」と言います。
 ここで松岡氏が若干の留保を持たせたのは、あまりにも先鋭的過ぎ、なおかつあまりにも毒っ気があり過ぎたからだと思います。

 その辺のところを松岡氏は「真理を衝いた暴言」と巧みな表現で評しています。
 それゆえに「この程度の病原菌こそ日本には必要」であり、こうした暴言を相手にして「初めて、日本を問題にすることができる」とも述べているのです。
 
 私も安吾の「堕落論」を、触れば猛毒に侵されそうな「取り扱い注意!」の考え方だと思います。
 しかし、だからこそ、魅力があるのです。触れたくなるのです。

「堕落」に吹き込まれたポジティブな「命」

 いわば「魔性(ましょう)」の「人間解放の理論」…。
 
 実は、安吾自身も「堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎない」と述べています。
 
 堕落とは辞書的に言ってもネガティブな言葉であることに間違いありません。
 我らが「新解さん」によれば
  癖教で)仏に仕える、ひたむきな心を失って、俗人と同じような、欲に満ちた生活をすること。「堕落僧」
 生活の規律を乱し、品性が卑しくなること、とあります(新明解国語辞典第4版)。
 
 しかし、安吾が「つまらぬもの」「悪」と言っても、安吾自身がこの「堕落」という言葉に新しい命を吹き込んだのです。
 ネガティブだった言葉をポジティブにしてしまったのです。

 そして、もしかしたら東電OLもまた、「堕落」という言葉に新しい命を吹き込んだのかもしれません。(<堕落>[察

次回は、<堕落>◆〆缶遒痢崚貪釘錬婿人事件」「東電OL殺人事件症候群(シンドローム)」に沿って東電OLにとっての「堕落」の意味をあらためて考えます。 

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●●安吾は漱石も小林秀雄もぶっ飛ばした!●●

 かくも魅力あふれる安吾。
 角川文庫「堕落論」には「堕落論」「続堕落論」のほかに、松岡正剛氏がこれを読まずして日本文化を語るなかれと言った「日本文化私観」をはじめ、安吾思想のエッセンスがぎっしり詰まっています。
 「デカダン文学論」では我が敬愛する(!)漱石をはじめ島崎藤村や横光利一を批判し、「教祖の文学」では我が尊敬する(!)小林秀雄を批判しています。
 よろしい、相手にとって不足はない。安吾さん、今度じっくりお相手しよう、などと気取ってみてもしょうがありませんが、ぜひ、機会をつくってこれら安吾流文学論について書いてみたいと思います。坂口安吾を読むのがまたまた楽しくなりそうです。

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