29日付読売新聞編集手帳に、堀辰雄の小説「風立ちぬ」の冒頭、主人公の口を衝いて出る「風立ちぬ、いざ生きめやも」は誤訳だったということが書かれています。
 もともとこれはフランスの詩人バレリーの「風が起きた。生きねばならない」という意味の原詩を堀辰雄が文語調に翻訳したものです。
 それが、国語学者の大野晋さんによれば、「生きめやも」だと「生きようか、いや断じて生きない、死のう」の意味になるというのです。
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 編集手帳は中央公論新社「日本語で一番大事なもの」からの引用として書いていますが、私もこの話は以前、何かで読んだことがあります。
 ただし、堀辰雄自身はそのことを十分知っていて、誤っていることを承知であえてこの表現にしたという説があるそうです。なぜならそれは、編集手帳が言うように「いざ生きめやも」が非常に「流麗」なので、「生きねばならない」という意味合いにスッと解釈しても違和感がないからです。

 「生きめやも」がたとえ文法的には「死のう」という意味であったとしても、「風立ちぬ」の世界を愛する多くの読者にとっては「生きよう」という意味に取りたいのです。
 おそらく、堀辰雄はそうした読者の気持ちをよくわかっていたのだと思います。
 
 「生きねばならない」という迸(ほとばし)るような「生」への意欲が、その美しい語感とあいまって、文法の約束事を圧倒してしまった稀有な例だと思います。

 「風立ちぬ」については、「世界の中心で、愛をさけぶ」特集で触れよう思って自分の宿題にしているのですが、まだ書けていません。
 編集手帳で話題にしているので、取り上げてみました。