911ジェネレーション岡崎玲子 「9・11」同時多発テロ事件当時、アメリカの高校に留学していた岡崎玲子さんが書いた本が「9・11ジェネレーション―米国留学中の女子高生が学んだ『戦争』」(集英社新書)。
 岡崎さんは、「9・11」以後、アメリカが《戦争》に突き進む姿を《内なる視点》から見ています。自由な言論国家なのに、国策を支持しないのは非国民だ、といわんばかりの空気―。彼女は「9・11世代」としてそこに素朴な《矛盾》を感じます。
 純粋な若い目で見た《戦時下》のアメリカ批判は、従順に追随する日本への批判にもなっていますが、全体にどこか優等生的な意見という感じもします。
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※岡崎さんの写真は同書の帯より

政治や外交に関心を持ち、自分なりの形で参加する■

 岡崎さんが留学していたのは、J・F・ケネディ大統領らの人材を輩出したアメリカのプレップスクール(寄宿制私立高校)のチョート校です。チョート校は「多様性の尊重」というアメリカの国家理念そのものを教育の根本に置いており、岡崎さんは自由な校風の中、ネットで膨大な資料を渉猟し、クラスメートと「命がけのディベート」を重ねて行きます。
 
 彼女らを「9・11ジェネレーション」と名づけたのは、チョート校で「9・11」をテーマにした講演をしたクリントン政権時代の国連大使、ビル・リチャードソン氏です。 リチャードソン氏は、「政策が市民と違う次元で進められてはいけない」とし、「9・11」の衝撃を直接受けた彼女ら若い世代に「政治や外交に関心を持ち、自分なりの形で参加することが、何よりも大切」と訴えました。

「他者を認めない」「正当な戦争」

 岡崎さんは、アメリカという国家を「大人が対等に接してくれる、ダイナミックで開かれた社会」と信じ、その「懐の深さ」に魅力を感じていたといいます。
 たしかに、多民族国家であるアメリカは、何よりも他者の存在や個性を認めるところから出発しているはずです。
 
 しかし、その一方でアメリカは《神の絶対性》に基づき《文明の恩恵》を世界に広めるという使命感を持っている国でもあります。岡崎さんが書いているようにそれは「対立相手をも包み込む博愛主義というキリスト教の基本姿勢」を考えると「何とも皮肉」です。 アメリカ軍を「現代版十字軍」だと自負し、イラク攻撃を「正当な戦争」だと位置づけることは、つき詰めればイスラム世界という「他者を認めない」ということです。

いま目の前で起きている事象を、いま検証

 イラク攻撃後、出征した戦士の故郷では家々に黄色いリボンが取り付けられ、国民は皆、兵士たちを国家のために勇敢に闘う《英雄》に祭り上げています。メデイアもこぞって《愛国的》となり、「政府に対して反対意見や鋭い質問で突くことのできない雰囲気が間違いなく存在した」と岡崎さんは述べています。
 国策を支持しないのは非国民だ、といわんばかりの空気は「おかしい」。そう思う感受性を彼女は持っています。

 だからこそ彼女は、いま目の前で起きている事象を、いま検証すべきだと主張します。「おかしい」という空気を感じないまま、検証を後の時代に先延ばしすることは、人類にとって「知恵を蓄える意味」を無化することになる、というわけです。

戦争を《悪》と考えない国・アメリカ

 しかし、彼女自身が気が付いているように、武力による独立戦争を勝ち抜いたアメリカは「武力行使は目的達成のための一手段」と考えており、戦争を《悪》とは考えていません。「戦争を否定しない国」という彼女の指摘は、日本人の単純な《反戦》観を根本的に揺るがします。

 それでも、彼女は、なし崩し的にアメリカに追随する祖国・日本に対し、平和国家として、また何よりも自立した一国家として、アメリカに異議を唱えることや、国際舞台で堂々と意見を述べることが必要、と苦言を呈しています。

●●「9・11」に取り組む真摯な姿勢●●

 岡崎さんの才気あふれる卓越した意見は、執筆時に高校生だったとはとても思えません。自分の意見をはっきりと主張できるのも、アメリカという風土、チョート校という環境があったようにも思えます。

 データを豊富に示し、それなりに説得力もありますが、どこか優等生の意見というような感じもします。現実の政治と言うものは単純化できないし、もっとドロドロした人間模様が背後にあると思うからです。

 それでも、この本の持つ意味は決して小さくありません。何よりもまだ十代の若い女性が「9・11」についてこれほどまでに真摯な姿勢で取り組んだということを評価したいと思います。