東電OL殺人事件東電OL症候群 佐野眞一(以下・佐野、敬称略)のドキュメント「東電OL殺人事件」と「東電OL症候群(シンドローム)」の2冊をようやく読み終えました。しかし今の私は激しい脱力感とともに、何から手をつけたらいいのかわからないまま、ただ呆然と立ちすくんでいるということを正直に告白しなければなりません。
 文庫本で前者が約540頁、後者が約440頁という長大な文章群は、ノンフィクション作家・佐野がとてつもなく激しい情熱で、39歳で殺害された女性の孤独な<心の闇>を明かそうとした格闘の記録です。昼はエリートOL・夜は娼婦という二つの顔を持っていた彼女のあまりにも寂しい漆黒の<心の闇>。佐野はあたかもストーカーのような執拗さでその闇に迫り、そこに光をあてようとしました。
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※写真は、事件現場のアパートと部屋の前(東電OLの見た風景より)

解明されなかった東電OL<心の闇>

現場アパート しかし、結果的に彼女の<心の闇>は、はっきりと解明されることはありませんでした。佐野の言葉によれば「彼女の内面には、事件以上の迷宮が、いまだ何も解明されぬまま、深く暗く澱んでいる」というのが、現時点での総括と言えます。
 
 残されたものは、膨大な取材結果とそれに基づくさまざまな仮説、そしてそれらを伝えた佐野の豊穣なまでの言葉の集積でした。
 見方を変えればこれは、東電OLの<心の闇>を解明していくというドキュメントの形をとりながら、佐野眞一というノンフィクション作家が書き上げた壮大な文学作品と言えるかもしれません。
 
 文学というものは、人間の内面の探求という目的を持ちながらも、理科や数学と違って理論的な結果を導き出すことは「得意」ではなく、どちらかと言えば探求していく過程に重きを置いてます。明確な結論にたどり着くことができなかったこの作品は、皮肉な表現ながら、文学としての要件を備えていると言えます。

 我々の前には東電OLの<心の闇>がそのまま放り出されたままです。謎が謎として横たわっています。

次々と浮かび上がった、さらなる<闇>の存在

部屋の前 それならば、この一人の優秀な取材者の格闘は無駄だったのでしょうか。
 いや、我々は彼のこの労作がなければ、この事件を単なる興味本位の見方でしか捉えなかったであろうし、連日のように報道される一過性の殺人事件のひとつとして、この事件が持つ深く思い意味を知ることなく、そのまま忘却していったかもしれません。
 
 佐野の作品の<収穫>(不幸な事件にはそぐわない表現かもしれませんが)の一つは、大勢の女性読者に深い共感を呼び、2作目の本のタイトルにもなっている「東電OL症候群(シンドローム)」ともいうべき社会現象を生み出したことです。
 彼女たちは、自分の姿を東電OLと重ね合わせました。抑圧された<性>を、解放できないまま抱え込んでいる、と告白をする女性も続々と現れました。彼女たちにとって、「娼婦」となった東電OLは、満たされない欲望を具現化した先進的な女性であり、自分も東電OLのようになりたい、と口々に訴えているのです。
 
 これは、後に書くつもりですが、いわゆる<堕落>という問題に対しても、彼女たちは「異論」を唱えているように見えます。
※そのなかには、作家・桐野夏生もいます。彼女の作品「グロテスク」を読み始めていますが、桐野もまた単に<堕落>という視点では捉えていないようです。
 
 そして、佐野の最も大きな<収穫>は、東電OLの<心の闇>が、さらなる<闇>を次々と浮かび上がらせたということです。
 それは、佐野の言う東電OLの「磁場」に引き寄せられた人間に巣食う<闇>や、社会構造の裏に隠された<闇>の存在です。単に女性読者にとどまらず、それらの<闇>全体を「東電OL症候群(シンドローム)」と言うべきと佐野は指摘しています。

まずは事件の流れをたどってみる

 ただ呆然と立ちすくんでいるばかりもいきません。
 私はまず、佐野の2作品を基に、この事件の流れをたどってみる作業から始めたいと思います。

 (神9年(1997年)3月 渋谷区円山町の無人アパートで東電OLが殺害される

 同年3月 殺害現場隣のビルに住むネパール人・ゴビンタ(現・被告)を入管難民法の不法残留容疑で逮捕=事実上の別件逮捕

 F映5月 ゴビンタ被告を強盗殺人容疑で逮捕

 な神12年(2000年)4月 ゴビンタ被告に東京地裁が無罪判決

 テ鰻遏.乾咼鵐身鏐陲謀豕高裁が再拘留決定
  再拘留請求は当初、却下 その後、逆転決定 いずれも「買春判事」村木保裕がかかわる

 ζ隠隠卸遏.乾咼鵐身鏐陲謀豕高裁が逆転有罪、無期懲役判決

 平成13年(2001年)5月 児童買春容疑などで村木逮捕

 同8月 村木に東京地裁、懲役2年・執行猶予5年判決

 同10月 弾劾裁判で村木、裁判官を罷免

最高裁判所 平成15年(2003年)10月 最高裁、上告棄却 11月に上告棄却の異議申し立ても退けられ、ゴビンタ被告の無期懲役決定
 
※現在、ゴビンタ被告の再審請求中、結果が出るまでには2年近くかかるといわれており、早くても来年・平成17年(2005年)秋ごろと思われます

※写真は最高裁判所
 
 佐野は、こうした事件の流れにある冤罪被告や「買春判事」の問題を通して、東電OL事件によってあぶりだされた司法の<闇>を糾弾しています。 
 さらにまた、2001年9月のアメリカの同時多発テロに象徴されるように、この社会構造そのものが破壊されつつあり、社会が持つさまざまな<闇>をも糾弾しようとしています。

<心の闇>をとく手がかりは<性>の問題か

 私は、初めゴビンタ被告の冤罪について詳しく調べようと思いましたが、間違いなく、これは冤罪であり、少なくとも「疑わしきは罰せず」という近代法の精神からしても、ゴビンタ被告を有罪と認めることはできません。このネパール人は不運にもこの事件に巻き込まれた<被害者>に過ぎません。
 東電OLの<心の闇>とは直接関係はないと判断しています。

 それよりも「買春判事」村木保裕について興味があります。彼は奇しくも東電OLと同じ年齢です。懸命に勉強し裁判官として出世の階段を昇り始めた村木と、女性としてエリート街道を突っ走った東電OL。ゴビンタ被告を介して一種のつながりを持つことになった二人は、いずれもある時点で職業人として挫折し、<性>の問題でトラブルを起こしました。
 男性、女性という違いはあるものの、二人は互いに<鏡>のような存在です。
 その鏡の裏側に<性>の問題を抱えた二人の<心の闇>があります。
<性>という人間存在の根源にあるものが、ここまで人間を狂わすものなのか、非常に興味を覚えます。
 
 一方、佐野が東電OLに関心を持ったことを説明するのに「発情」という言葉を使っています。佐野もまた<性>というキーワードで、この問題に関わっています。
 ※佐野自身は彼の家族関係にまつわる「闇と哀しみ」あるいは「極北の孤独」という言葉を使っており、<性>そのものの問題があったののかどうかは、はっきり書いていません。 

 ※深く、広いこの作品について手探りながら、少しづつ考えてみます。次回は「堕落」「発情」などをテーマにするつもりです。