けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その4

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)その3(複数の暦ごとに誕生日も複数存在) に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人の「嘘」、傾向と対策 -1
ネパール人に限らず、どこの国においても誠実な人はいるし、不誠実なヤツらもいる。日本人と比べて、ネパールの人たちの方がずっと寛容で懐が深いと思う。ネパールで、ネパールの人たちに助けられて生きてきた私が云うのだから、みなさん信頼してほしい。その上で、私が出会った/見聞きしたネパール人の「嘘」の特徴や、嘘の出処がどこにあるのか?その傾向と対策を考えてみよう。ネパール人と云っても、社会背景に幅がある。日本に来られる経済環境の、都市部中流のネパール人というのを頭に浮かべて考えてみた。

ここで突然、話は日本の明治、大正時代に飛ぶ。今年の大河ドラマ「八重の桜」を思い浮かべていただければ分かりやすいだろうか。明治〜大正時代の日本男性の、生身の女性としての相手ではなく、自分の理想としての観念的女性を自分勝手に愛することを上から目線で表現した、その時代の小説やら評論を読んでみることをおすすめしたい。例えば、森鴎外、徳富蘆花、有島武郎。現代の私たちから見ると「イミフ」な美辞麗句、自分勝手な嘆きや美文。誰も幸福にしない、破滅的行動の美化。などが見て取れる。

ネパール人男性と恋愛するのって、明治とか大正デモクラシー時代の、選民意識に裏打ちされた昔の日本男性を相手にしている。と思うと、いろいろ腑に落ちることある。ネパールの開国から近代化、民主化のうねりの中、国王親政から立憲君主制と国王クーデターを経た、共和制への無血変革。日本で云えば、明治大正時、昭和の戦前戦中戦後が、ネパールでは現在進行形。社会や国際情勢、時代は同じではないし、ネパールが今後日本のような形式の社会や経済変革に進むとは思えない。国と文化と地勢的条件が違うのだから当然の差違であろう。その差違を考慮した上で、共通項を探りたい。
 

一例として、文豪鴎外・森林太郎先生。わざわざドイツから追ってきた女性とは別離している(事実も、文学作品でも)。「舞姫」なんて、もし、ドイツ人女性側の視点で考えてみたら、トンでもない酷い話。

鴎外はあの時代の巨匠・巨人であり、当時の日本から先進諸国に行った人たちはごくごく限られたエリートだけであったと思う。今のネパールの場合、普通の人がどんどん海外に出て外国人の異性と出会っている。結果、そのお話も文学じゃなく、草の根のものになっていると実感している。

この項、つづく....

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その3

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人には、複数の誕生日がある
ネパールにおいては西暦でなく、ビクラム暦(ビ暦と略)が一般的に使用されていることは前回述べたとおり。ビ暦というのは北インドで、ヒンズー教に基づいて発展してきた暦の中の1つ。聞きかじり情報で恐縮だが、同じビ暦でも、現在のインドに伝わるビ暦と、ネパールのビ暦では差違があるらしい。起源は同じでも、ビ暦と地球の自転のズレから少しずつ季節と暦が合致しなくなっていたものをインドでは調整済みで、ネパールは調整していないようだ。

本論に戻る。ヒンズー教徒やネワール仏教徒の場合
 ◇ビ暦の誕生日
 ◇太陰暦の誕生日 (ティティ) 。月を基にする暦。1年13ヶ月の年もある。
の2つがあり、ビ暦の誕生日は公文書に。ティティの誕生日は、宗教儀礼など伝統的場面で使われる。年配の人の場合、普段はビ暦で暮らしていても、誕生日はティティで祝う事もある。ちなみに、亡くなった命日も、ティティが伝統的。

ビ暦とティティは年によっては1ヶ月近くずれる。このため、自分や家族の生まれた頃になると早めに占星術師の処に出向き、その年のティティでの誕生日がビ暦の何日か調べてもらうこともよくある。これを見る暦(パトロ)から深く読み取るためには、天文学など専門的勉強が必要だが、日の対照くらいならちょっと勉強すれば何とかなる。しかし、「知識」は力であり、それは人を支配する権力の基盤である。伝統的に暦の知識は限られた家系の男子に相伝されており、自分で勉強しようとか、女性がその知識を得ようとかしなかったと見える。

現代においては近代化の中ティティの存在価値が薄れ、知識を学習出来る人たちは増えたが、伝統的暦の学習や研究も広まっていない。


ここから先は、それぞれの民族の方々にご教示いただかなくてはならないが、私の知る限りで書く。

ネパールは数多くの民族から構成されており、その民族ごとに独自の文化が形成されてきた。文化の粋たる「暦」も、それぞれに存在する。例えば、首都カトマンズ盆地に高度な都市文明を築いたネワール族は「ネパール暦(ネワール暦、ではない。かつては、カトマンズこそがネパールであった) 」という暦があり、ネパールでは公式の暦の1つとして政府からも公認されている。

西暦2013年11月4日は、ビ暦の2070年7(カルティク)月18日であり、(ネワール族の伝統に基づいた)ネパール暦では1133年元日である。

このほか、チベット系民族にもそれぞれの暦があり、イスラム教徒にはイスラム暦がある。 このように
 a) 自分の属する民族・文化・宗教に基づく暦
 b) ネパール政府や伝統的支配階層の文化に基づくビクラム暦
 c) 諸外国とのやりとりをするため(だけ)の西暦
暦だけとってみても、異なった重層的背景がある。 ネパール国内でネパール人とだけで生活していれば、a) b) は重要だが、西暦は他人事の暦程度になってしまう。自分の文化背景に属さない西暦の日付、極論すれば西暦の誕生日なんて、そんなに重要でないよ。という気持が、(ネパールだけで暮らす)ネパールの人たちにとって本音ではないだろうか?

西暦の誕生日は、外国や外国人と付き合うための仮の日付、記号。 外国や外国人と付き合う時は本当の自分でなく、仮の自分。外国に来ている間は、フィクションの自分。

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これまで見聞きしてきた、日本人に対するネパール人の「嘘」の出処に、次回は話を進めたい。返り血浴びる覚悟で。 

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その2

昨日に続き、ナマステ!掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について考える。前回は原因として、1.日本とネパール戸籍制度の根本的違いについて述べた。今日取り上げるのは、

2.日本とネパールの「暦」の違い
明治以降の日本では、西暦が通常の暦として使用されている。伝統的祝祭などには、陰暦/旧暦も併用されているが、自分の誕生日となるとほぼ全員、西暦による日付しか知らないと思う。 ネパールではどうか?

ネパールにおいて公式な暦として一般的なのは、西暦とは異なる「ビクラム暦(以下、ビ暦と略)」である。 ビ暦も週7日間であり、曜日は西暦と同じ(文化的背景は異なるが)である。しかし、
 ◇ 新年は西暦の4月中旬から始まり、(西暦)次の年の4月中旬で終わる。
 ◇ 1ヶ月32日間ある月もある。
 ◇ 太陽暦と太陰暦のハイブリッドであり、西暦との日付は毎年ずれる。
 ◇ 現在(2014.4.13まで)ビ暦2070年であり、西暦より古い。

例えば、ビ暦今年(2070年)4月1日(サウン月1ガテ)は西暦2013年7月16日だが、10年前の同じ日を見ると、西暦7月17日と、1日ずれている。

外国とのつながりの薄い、普通にネパール社会だけで暮らしている人にとっては、ビ暦の日付だけ知っていれば生活に不自由がない。ほぼ全てにおいて、ビ暦がネパール社会の基盤(のひとつ)になっているからだ。西暦の日付など知らないことが、ネパールでは普通のこと。西暦の日付を気にしたり、西暦を元に生活しているネパール人となると、外国とのビジネスをしていたり、外国企業や事務所に勤務していたり、西暦を使う社会との特別濃い関係がある人に限られると云える。

一例を挙げると、以前ネパール国営の放送局に勤めていた人。腕時計のカレンダーが西暦の日付ではなく、ビ暦になっていた。彼曰く「32日ある月は、調整がめんどくさいんだよね。何でこのSEIKOの時計、31日までしかないんだろうね?」。その後、某外国放送局のカトマンズ支局に転職。しばらく経ってふと見たら、時計のカレンダーは西暦日付に変わっていた。グローバル基準に飲み込まれたのな。

このような社会であるから、自分の生年月日をビ暦では知っていたも、それが西暦のいつなのか?単純な換算出来ないため、ビ暦/西暦対照カレンダーなるものが売っている。ネットでも検索出来る。または、占星術師の処でも調べてもらえる。のではあるが、それをしない/出来ない人が沢山いる。世界はビ暦を中心に回っているというネパールの常識。いや、日本人も笑えないよ。役所など、在住来たばかりの外国人に対しても申請書に「平成何年」を書かせて、普通と思っていないだろうか?それのもっと強烈で広範囲の思い込み。と、考えれば理解しやすい。

生まれてこの方ビ暦の日付だけで不自由しなかった人が、外国に行く、パスポートを取る、外国の職や学校に申請する時、生まれてはじめて「西暦」に直面する。まあ適当でいいや、と、日付換算が適当であったりもする。

今はさすがにないだろうが、20年前、実際、西暦何年何月生まれ(日付記載なし)の、ネパールの正式なパスポート(しかもこの人、一般旅券だけじゃなくて外交旅券も持ってた) を見て驚いたことがある。持ち主の某氏は、驚く私を見て逆にビックリしていたが。このお方、その後、某外国の官憲から生まれた日付なしでは公文書として受け入れられません。と指摘を受け、で、「だいたい」「適当」な西暦の日付をパスポートに追記してもらったとか。結果、この人にはビ暦の正しい誕生日と、外国向けの西暦「適当」な、でも外国向けには公文書としての誕生後の2つが出来てしまった。本人、社会的地位のある人だが、全く平気で何の支障もないようである。

現在においても、ビ暦と西暦の日付換算の間違い等で、両者の日付が正しく合致していない例は少なくない。と聞くことがままある。西暦なんて、まあ付け足しだからどうでもいいのよ。という、ネパール独特のざっくり感があるような気がする。

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今日はここまで。次回、間違い勘違いなくても、ネパール人の誕生日は正式に複数存在するってホント?という、不思議なお話をしたい。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その1

長らく放置していた当ブログを、久しぶりに更新したい。ネパールにどっぷり浸かり過ぎ、ネパール社会とネパール人(特に、ネパールの官僚機構)に対して疲れ果て、オバハンの心枯れ果て......であったのよ。日本で、ほぼ毎日湯船に浸かって(水と燃料不足のカトマンズでは、シャワーがやっとよ)、少し気持が回復してきた。

ということで、ナマステ!掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。 ネパール、この深き河よ!解説しちゃおうじゃん。何故ネパール人の年齢(誕生日)は不確かなのか?

現代の日本人の場合、生年月日というものはほぼ間違いなく、明確に分かっている。公文書、私文書にかかわらず、自分の年齢や生年月日を詐称することはタブーであり、このようなことが発覚すると世間から非難されてしまう。許されているのは、永遠の25歳プリンセス・テンコーさんくらいだろう。 

しかし、である。ネパール社会では現在に至るまで、社会的地位と名声のある立派な、誠実な人の間でさえ、パスポート等の公文書の年齢(生年月日)と本当の年齢(生年月日)が異なる。と云う例がある。私の身の回りでは、よくある。のだが、あり得る。あって不思議ではない。時々見かける。という表現を使うべきなのかもしれない。自分の経験だけが全てではないのだから。さあ、何故こんな事が起こるのか?その原因を考えよう。

1.戸籍制度の違い
現代の日本のような、医療機関と役所が法的に連動した戸籍制度。日本のような法律遵守社会の方が、世界的に見れば特殊なのではないだろうか。ネパールでは今でこそ、医療機関で生まれれば、誕生日と時間などが記載された文章を発行してもらえる。 しかしその後、日本の常識である「役所に対する出生届け出」については、異なる事情がある。

日本の場合、一定期間内に届け出をしなかった場合は法律に抵触する。しかも届け出るのは、役所の戸籍課と決まっている。 届け出の記載事実は、全国共通の戸籍台帳に記載される。ネパールの場合、最寄りの行政事務所に届け出ることが推奨されている。が、実際的にこれをしない事もある。届け出たとしても、日本のようなレベルで確立された戸籍台帳もない。

ネパールでこれに代わるのは、ひとつは a) 学校への就学。次に、b) 10年生終了後に受ける国家統一テスト(SLC)、最後に、c) 国籍カード発行である。 

a) 初等教育学校に入学する時、都市部の私立学校の場合、出生証明書の提出を求められる。生まれた医療機関のものがない場合、最寄りの役場に発行してもらう。親による申告であり、この時、親が故意なく、または故意に間違った/事実と異なる生年月日にしてしまうことがある。ここで「故意」のひとつとして紹介したいのは、ネパールでは、学齢より早く就学させてしまうことが、時にある(あった)ということである。

都市部の、一族全体の教育レベルの高いエリート家庭の場合、うちの子は賢いから、1年2年早く学校に入れてもついて行けるわ。早く教育を受けさせれば、それだけ優秀になる筈だ。という思い込みがあることが少なくない。周囲も、学校さえこれを知っていて黙認することもある。このような恵まれた、優秀な遺伝子を持った子供の場合、頑張ってついていくだけでなく、1年2年年上と張り合って、その集団の上位になってしまう子供さえいる。エリート層がこんな感じであれば、庶民もそれに習う訳で。逆になかなか学校に通わされず、学齢を過ぎて入学することもある。ネパールにおける就学学齢には幅がある。

名前についても、就学前は適当な「呼び名」だけで、学校に入れるに際し、正式な名前をつけて登録することもある。この呼び名、伝統的なところでは「長男(女)」「次男(女)」「三男(女)」....やら、「色黒」「おちび」、はたまた「ネズミっこ」なんてのもある。ヒンズー教徒の場合、生後11日目に占星術をもとにつけてもらう秘密の名前もあり、この名前は文字通り「秘密」なのである。宗教儀式の時だけに使う。ネパール人の名前の不思議さについては、また別の機会に書きたいと思う。

b) そういう子供が、10年生終了後の国家統一テスト(SLC)を受ける時。16歳であることにしないと試験を受けられないため、年上のサバ読みが確定されてしまう訳である。SLC受験で登録した名前、生年月日はその後、一生涯変更出来ない。学歴社会であるネパールにおいて、もしその後に発行された公文書との差違があれば、その人の教育記録として認められず、高等教育や就労の機会を失うこととなる。SLCで使った生年月日は、一生それを使わざるを得ないのだ。

さて、SLC合格は鋼鉄の門と呼ばれており、合格出来ずこぼれていく子供たちも全国的に見れば少なくない。教育の機会に恵まれない子供たちさえいる。SLCの記録と関係ない人生を送るネパール人の場合はどうなのか。

c) ネパール人は全て、16歳になると、国籍カード(Citizenship Card)の発行を受ける事が出来る。自分で地方行政事務所に申請し、ネパール人の国籍要件に合致していることを申告し証明してもらい、写真入りの名刺大カードの発行を受ける。パスポート等の発行や、高等教育、就労、各種登録に、一生涯不可欠な証明書となる。乱暴ないい方をすると、ネパール人は16歳になってはじめて、国民としての正式な証明を受けるのだ。

国籍カード発行を申請するまで、出生証明を持たない人もいる。この場合、親や親族が証人となって、申請者の戸籍事実を認めてもらう。であるからして、生年月日も自己申告。ここで、故意なく/故意に事実と違う情報が登録する事が起こりうる。

私の古い友人の話。彼は現在50台。カトマンズ近郊農村の出身の長男で、14歳の時父親が他界した。父には田畑を中心とする財産があったが、14歳では国籍カードがなく、遺産相続の手続きが出来なかった。当時の農村では、彼の母親(女性)名義で不動産を登記することを村社会が認めず、ヘタをすると父親の男兄弟たちに遺産を取られてしまう恐れさえあった。これをどうにかするため、彼は2歳年上だと云う事にし、16歳ということで国籍カードを作ったうえで法的に相続をした。その当時のネパールでは、他に方法はなかったそうだ。


現在、都市部の規律厳しい私立学校の場合、子供の発達にあった教育という常識が普及し、就学年齢は厳格に規定されている。であるから、上に書いたような柔軟な運用は不可能になったと云ってよい。遺産相続についても、女性や子供名義での登録の方法もある(だろう)。

しかし、ついちょっと前まで、カトマンズにおいてもいろいろ柔軟な対処が出来たのがネパール。今でも、そういう運用が100%不可能とは、言い難い。

現在の年齢20台、30台、またはそれ以降の、日本をはじめとする諸外国に来ているネパール人のSLCや国籍カード登録時、いろいろな事情で、事実と食い違う生年月日登録がなされていることは、充分にあり得る訳である。 

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今日はここまで。次のブログ更新で、2番目の原因として「暦の違い」という側面を考える。日本人が世界共通と信じている西暦が、ネパールでは「何、それ?」な存在であるとしたら........

ついて行けない

久々に、更新します。先日、某ネパール人の友人(女性)から聞いた話。

彼女とダンナ(ネパール人)が一緒に外出したとき、ダンナが「ちょっと病院に寄って行こう」と。聞けば彼の親戚のひとり息子が先日事故に遭い、その日、某公立病院で手術を受けたそう。小児病棟の術後回復室に行くと、ドアの前の通路には、患者の父親と親戚の女性たちが10人ほど集まっていた。全身麻酔の手術が終わった直後で、母親は枕元で付き添いとか。 

で、親戚の女性たちが

「この通路は臭くて不潔で、しかも病室の中は、ここより汚い」

と、口々に不満をぶちまけ中。術後の感染の心配あるから、病室には入らないで帰るわ。という友人に

「どうせ不潔な環境なんだから、あなたが中に入ったくらいで何も変わらないよ。中に入って子供の様子を見てきなさいよ」

とすすめる。辞退して帰り際

「あなたは本当に賢い。私たちは馬鹿ばっかりだよね」

と、皮肉なのか、本音なのか分からない言葉が投げかけられた。見ると、臭くて不潔だと不満をぶちまけている通路に、誰かの肩掛けを敷いて車座に座っている中に、誰か子供まで連れてきて遊ばせている。

事故にあった子供の親や親戚なら、何故もっと清潔な病院に連れて行かないの?不潔と不満を言うなら、何故そんなところに長時間とぐろを巻くの?何故不潔な地べたに座れるの?どうして関係のない子供までそんな環境に連れて来られるの? 

今のネパールのダメさ加減を、一度に見た気がした。と、友人。加えて、自分が大病して手術でもするときはもっとマシな病院に行くけど、麻酔が覚めるか覚めないかからこの人たちが親切顔で押し寄せてきたら....と思うと、絶望した。と。

彼女は外国生活が長く、ダンナ共々専門職を持ち、育て上げた子供も外国で勉強中。ダンナも立派な職業人だけれど、親戚一同同じような家庭環境ではない。臭くていたたまれない病院の地べたに座っていられる人たちの方が、カトマンズでは多数派だ。

清潔、不潔の観念の前に、ただただ子供の様態が心配なのだ。

なら、大事な子供のために、何とかしろよ。

私はこの話。手術直後の子供が、ネパールという国そのもののような気がした。みんな国を心配しているし愛している。でも、どうしようもない絶望から救わない。やろうと思えば出来るのに、不平不満を言うだけで何もしない。

いや。親以外の親戚は、本当に子供の事なんて心配していないのかも。ただただ家にいてもヒマで、皆群れ集ってわーわー云う「ガス抜き」イベントとして、子供の手術が格好の機会なのか。私って、ちゃんと駆けつけて心配してあげてて、いい人だわ。と、世間に見せつける自己満足か。だから真剣に、誰も子供を救済しない。

いずれにしても、ついて行けない。

破壊予告の恐怖

パタン市の至宝、通称「腹ぺこ通り」、または、レストラン・ストリート。カトマンズのタメルに引っかけて、ジャメルとも呼ばれるこの通り。最近レストランの塀に、意味不明な数字がペイントされている。

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あそこにも、ここにも。何だこれは?

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こちらはもっと分かりやすい。

そう。現在カトマンズ首都圏内で進んでいる、道路拡張のための取り壊し。数字は【この塀から何メートル内側まで壊しますよ】であり、矢印は【ここまで破壊】。

道路の中央から計って、法律で決められた規定の距離以内に作られた違法建築という政府側の主張であるが、では何故、市役所からの建築確認の許可が下りたのか?という疑問も残る。

中には、新築・改築したばかりのレストラン施設もある。

私が大好きなChaiChai Cafeも、出来たばかりのピザ窯が壊されてしまう。作る前きちんと道路局に確認したそうで、2年間は道路拡張ありません!2年間なら、作ってていいよ。とお墨付きをもらっていたそうなのに。 腹ぺこ通りの老舗、だんらん さんも、ガーデンの塀が壊されてしまうと聞いた。 

撤去が始まったら、埃と騒音と混乱で、しばらくはレストランの営業も出来ないだろう。と、オーナーさんたちも困り果てている。

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カプチーノのクマちゃんも、悲しんでいるぞ!

市内既に拡張された通りは、ブルドーザーで無茶苦茶に破壊されたレンガの瓦礫がそのまま。先ずは壊して、きちんと道路を広げて。ほら、キレイで便利になったでしょ.....と、市民が自発的に協力出来る成功例を見せずして、わっしょい、わっしょい。壊せや壊せ。後押ししているバタライ政権があるうちに、急いで、急いで。なんだろうか?

壊した後の塀や家屋の作り直しが発生する建設業界が、利益団体として糸を引いてないかい?バタライさんたちに大量献金などしていないかい?と、つい、疑ってしまう今日この頃。

噂によれば今週末から、腹ぺこ通りの強制撤去が始まるそうだが。さて。経緯を見守りたい。

パタン、ボトジャートラ祝日

パタン、ラトマチェンドラナートの最終日。ジャワラケルで神さまの宝石をちりばめたベストを見せる「ボト・ジャートラ」は6月24日(日)となりました。カトマンズ盆地は、祝日です。

土曜日だけが公休日のネパールで、久しぶりの土日連休となります。

ボト・ジヤートラの日付は、山車の巡幸の様子や吉祥の星巡りを見て、直前に発表されます。 不思議な国です。ネパール。

羽田への夢が近づく

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報道機関への正式リリース前であるため情報元を明記出来ませんが、伝言ではない確かな筋に確認しました。

在日ネパール人ビジネスマンBhaban Bhatta 氏が経営する投資ファンドが経営する、ネパールの民間航空会社BBエアウェイズの就航が決まった模様です。

今年9月13日から、カトマンズとドーハー、クアラルンプールを結ぶ路線からオペレーションを開始します。10月からは、バンコク、シンガポール、香港路線就航も決定しました。

羽田については未だ交渉中ですが、10月就航を目指しているとのこと。一部ネット情報で、羽田も9/13就航と速報が流れましたが、これについてはカトマンズ側情報は明確に否定しています。

ネパールの事ですから、最後の最後まで情報を盲信せず。引き続き追いかけていきたいと思います。

エベレストを巡る、うれしい快挙

渡邉玉枝さん。73歳。女性の世界最高齢登頂記録を更新しました。10年前にご自身が到達した記録の自己更新です。 前回はネパール側から、今回はチベット側ルートからの登頂成功です。
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               写真提供 村口徳行さん

これだけではありません。エベレストの登頂請負人として絶大な信頼を集める、村口徳行さん。玉枝さんに同行し、7回目の登頂。これは日本人としての登頂最多記録であり、自己記録更新!
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10年前の玉枝さんの記録更新も、村口さんが同行されていました。昨年、NHKの大型番組グレートサミッツ取材チームの登頂も、村口さんのおかげでした。

この快挙に、登頂回数21回で世界最高記録保持者のアパ・シェルパさんもお祝いに駆けつけました。
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国の利益ではなく、個人の野心や自分たちだけの利益に奔走するネパール政治の荒野の中で、一輪咲いた花のような。清しい気持ちにさせていただきました。

人生山あり谷あり。玉枝さんは、背骨の骨折とその後の大手術を乗り越えての、2度目のエベレスト登頂です。

静かに長く継続した努力が必要だし、報われて花が咲くことを教えていただきました。成功を掴むことも大切で貴重ですが、目標に向かって夢を諦めず努力していくことで、素敵な人間になれるのですね。お二人の笑顔が、そう語ってくれます。

ありがとう、玉枝さん。村口さん。 

NHKニュース(ビデオあり、数日後リンク切れとなります)

世界遺産保全ハーフマラソン

本日朝、カトマンズ王宮通りをスタート/ゴールとする、ハーフ/10K/5Kのマラソン大会が開催された。主催はネパールの大手民間銀行 Investment Bank。カトマンズの歴史的建造物修復のための資金を集めるためのチャリティ・ランである。
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参加費用は無料で、全てのカテゴリーを併せて4千人ほどが参加した。

チャリティーであるが、この大会に賛同したネパールの大手企業や、VISAクレジットカード等の協賛各社からの大口寄付を確保するというシステム。数千万円規模の寄付が集まっているらしい。

ランナーは走ることで大会の規模を大きくし、寄付が集まりやすくすることで、保全活動に貢献するのだ。と、主催者側からの説明。さすが!銀行さんは頭がいいね。

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まずはハーフマラソン21kmが、午前6時45分頃スタート。これはネパール人/外国人カテゴリーの男子のみ。女子は参加出来ない。

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続いて、車いす1km。

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続いて10kmは、ネパール人/外国人女子。と、銀行各社職員部門の男子。

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いってきまーす!

最後に5kmなのだが、こちらは小中学生と、50歳以上シニアの男性と、銀行各社職員女子。とまあ、いろんなカテゴリーはあるのだが、参加資格が複雑。

高校生以上50歳以下男子の場合、ハーフマラソンしかない。私のような50歳以上女子でも、出走出来るのは10kmのみ。うちのダンナはシニア5kmなのに、私には10km走れ!でもハーフマラソンはダメよ!!という不思議さ。

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走り終わって、余裕の亭主殿。本日、我が家は22回目の結婚記念日。

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そして、ザンビアからの女性ランナーと私。

でもって、へへへへへ.....


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外国人女子部門一位。快挙。部門に何人参加していたかは?聞かないでぇ〜

2名のみ(爆)

邦貨約2万5千円という(ネパールでは)立派な賞金は、表彰式の壇上多くの人たちの前で、このマラソン歴史的建造物保全基金に全額寄付させていただきました。

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私にとっては、ずっしり重い、女神(多分、マハラクシュミー)石像のトロフィーと賞状で充分でございます。

50歳以上シニア部門で優勝したネパールのトップ市民ランナーであるラムクリシュナ兄さんは、これまた賞金を全額、ネパールマラソン界の長老であるバイクンタ・マナンダールさんにプレゼントした。表彰式の壇上で。

ネパール社会では高額賞金を獲得すると、友人知人にご馳走しなくてはならないという不文律がある。ラムさんなんて外国のレースで年代別入賞したときなんか、世間からのプレッシャーで大パーティーをやったし。毎朝・夕汗水垂らして鍛錬して賞金ゲットしたら、なぜ、何にもしていないメタボな奴らにタカられるのだ!?みんなの目前で、名誉は自分にもらってもお金は寄付という方法をとるのも、社会的地位を確保したネパール市民ランナーの生きていくための智恵だ。


自宅に戻ってリラックスしていたら......ポカラの大洪水のニュースが飛び込んできて。外国人女性も流されたとの未確認情報もあり......氷河湖決壊か?それともゲリラ豪雨で地崩れが起こり流出した土砂がダムを造ってその後大決壊を引き起こすFlash Floodか?あいや〜っ、ニュース対応だ。 

疾走、ジョムソム街道

このビデオ、説明は要りません。とにかく、ご覧ください。



ライダーのマンディールくん。こんな素晴らしいちゃり野郎が友人だなんて、私は幸せなヤツであります。あああ、私も走りたい。脚で.....

Jamacho 888 レース

4/21土曜日、カトマンズ盆地北西の外輪山の国立公園、ナガルジュンの森でのトレイルランニングレース。Jamacho(ジャマチョ)ピークまで標高差888Mを登り、駆け下るわけだ。
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ワシは11.5km部門に出走したのであるが(このほか、5km部門)、途中で集団でごっそりコースアウト。急斜面を木登りして正規のコースに合流する羽目となり、脚じゃなくて胸筋が筋肉痛。

ゴール前の直線。男性ランナーと抜きつ抜かれつのチキンレース。が、直前で
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「レディファースト、お先にどうぞ」「えっ?いえいえ、ご一緒に」

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ということで、お手々つないでグリコのポーズ。

それにしても、この胸筋の痛みは筋肉痛じゃなくて。もしかすると肉離れ?と、思索するレース翌日である。

この私を天も憐れみ、明日は突然の国民の祝日となる。ほんとよ、マジで。


※昨年まで祝日であったロクタントラ民主化の日が今年は平日であったところ、前日の今日になって「やっぱマズいんじゃねーの」つーことで、政府が突然の決定をした次第。らっき〜 ♪

偉大なるMAHAと、些細な心配

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画像クリックで拡大  原典 Sanima Bank

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画像クリックで拡大  原典 Dish Home

ネパールには国王親政パンチャヤト体制時代から、1990年民主動乱、立憲君主制時代、マオ派の武力蜂起内戦時代、ギャネンドラ国王クーデターによる国王親政時代、第二次民主動乱、和平協定、王政廃止・連邦共和民主政体制と、激動に翻弄されつつも、一貫して民主主義と平和と協調の社会体制を訴え続けてきたコメディ・デュオ「マハ」がいる。

ふたりの名前マダンクリシュナの「マ」と、ハリバンシャの「ハ」からつけられたマハ。

厳しい言論統制が敷かれていた時代のマハは、時の政府や王室内の人々による不正を風刺するコメディ演劇を続けていた。ギリギリの表現で、キツい風刺をコメディにした危険な演劇は、今(DVDで)見てもひやひやするようなきわどさで、かつ面白さである。

バカげたようなオーバーアクションで笑う観客もいれば、二重三重の意味深なセリフの考えオチで、知識人も腹を抱えて笑い転げる。劇場を封鎖されたり、自宅に軟禁状態に置かれたこともあるふたりは、コメディーという文化の武器で武装した政治的闘士でもあった。政治家への転身の誘いもあった筈だが、一貫してコメディアンという立場を貫いてきた。同時に、コンビ別れや分裂が当然のネパール社会において、分裂しないマハはネパールの数少ない良心と云ってもいい。

ネパール社会の裏側を知る人にとっては、ネワールのマダン氏と、バウンのハリ氏という、カトマンズの長い歴史の中で熾烈な足の引っ張り合いを繰り広げてきたネワールとバウンという2つの民族のカップリング自体がブラック・ジョークであり、それが長年続いていることは驚愕でもある。


さて、いろいろ問題はあるが連邦共和制の民主主義のご時世で、すっかりおじさんになったマハが大ブレークしている。何処で?

テレビCMで!

ざっと見る限りでも、銀行、(合法的)海外送金業、生命保険、セメント、鉄骨、衛星放送システム.....と、信頼性が大切な業界のCMに多数起用されている。別の会社だがマハ出演のCMが連続して放送されることも少なくない。こうなるともう、企業のCMじゃなくてマハのCMって感じがする。企業のメッセージ性が低下してないか?と思うほどだが、マハの快進撃は止まらない。

思うに、混乱の政情のネパールでは、間違いのない人物。発言と行動にブレのない人物。みんなが大好きな人物。が、他に見つからないのだ。

ライバル社がマハのスキャンダルを捏造したりして追い落としを図るのも、ここまで国民的人物となると難しい。この点から云えば、マハの存在は日本で云うところの長嶋茂雄氏の域に達している。

マ氏、ハ氏の人柄を知る機会に恵まれた私にとっては、このふたりの兄さんたちをどうこう云う気持ちはない。が、ここまで、批判することがタブーに感じられる存在になっていること。CMへの露出のはじけぶりを見るに、心配が先に立つ今日この頃なのである。

正直なだけでは生きていけないネパールで、健全な風刺コメディで社会的、経済的にも成功をつかんだマハのふたりは、おとぎ話の世界の人物ではない。それが今、ネパールの商業主義でこんなに(経済的には儲かっているだろうが、社会的にという意味で)安売りされていいんだろうか?


最後にひとつ。私がマハの兄さんたちを信頼している理由の1つ。彼らは元々、ネパール統一共産党のシンパとして有名だった。共産主義者。

それがどうしたことか、イデオロギー的にはちょっと違う感じのする北朝鮮における国際行事に招待されたそうだ。そこで彼らはお膳立てされたキレイな北朝鮮の裏にある、国民の窮状を感じ取り......共産主義がこんなにも、国民を疲弊させるとは!と、衝撃を受けたそう。それを期にすっぱり共産主義に決別し、政治的には中立に徹するようになったという。

これ、本人たちから直接聞いた話。

ネパールでは政治的に中立な人は少ないし、有名人になればなるほど政治的背景が強まるし、マハほどの人であればそのまま共産政党のシンパを続けていたら、それなりの利益も得られたはず。

そんなマハだからこそ、これからもネパールの輝く星であり続けてもらいたい。だから、心配なんだな。余計な心配ってことは、よくよくよーーっく分かってます。はい。

ドミノピザ、来るの?

twitterの@indo.toさん からいただいた情報。

インドにダンキンドーナツ 好調のジュビラント、5年で100店計画
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の記事内に、ドミノピザ・インドが
 現在ではスリランカにもドミノ・ピザ2店舗を出店、ネパールやバングラデシュへの進出をうかがうなど、インドから南アジア諸国に活動の場を広げている。 

ネパールにも進出?  ネパールにも進出?  ネパールにも進出ぅ?

住所表記に問題があるネパールでは、個人宅への宅配はそう簡単ではないが、事業所などへのランチやケータリングには一定の需要があるはず。宅配だけでなく、イートイン・レストランなら、現在のカトマンズ首都圏。空前の外食ブームという、追い風が期待出来る。ピザと一緒に、ドーナツも来るとmore betterね。

多国籍企業なファストフードについては批判も多いが、カトマンズのような健全な娯楽が少ない社会に暮らす私としては、たまに食べるジャンクフードくらいつべこべ言うな!という気持ちである。 食の世界の世界的ジャイアントの進出は、ネパールの地元レストランにとっても競争という刺激を与える。

限られた顧客を食い合うという図式でなく、これまで外食に消極的であった層にも外食の楽しさを広めて、市場の枠を拡大していくような健全な競争を期待したい。

ダハール氏の党内クーデター?

本日4月10日火曜日。マオ派党首ダハール氏とバッタライ首相は、解放軍/国軍統合特認委員会で他政党と組み、解放軍宿営地、保管している解放軍武器、残っている元戦闘員を国軍の管理下に置く決定をした。事前に通告のない、突然の出来事であった。

直後、速攻でに国軍が駐屯地等を管理下に置いた。

統合問題ではマオ派内部で深刻な意見の対立が続いていた。対抗勢力であるバイディヤ派が抗議するのは明白であり、明日の昼間からの街頭の様子には注意が必要となる。

「党を割ることも辞さない」とのバイディヤ派の揺さぶりに対して、ダハール氏の鮮やかな党内クーデターという印象がある。強烈な男プラチャンダという別名に恥じない、ダハール氏の胆力が発揮された。 

褒めているとは思わないでほしい。

命をかけて革命に投じた元戦闘員の心情を汲み、彼ら、彼女らの献身に心から敬意を持った行動であるか?否かについて、大きな疑問は解決されていない。今日のところは時間なくて端折って書くことをお許しいただきたいが、結局は「銭ゲバ」だという印象が強い。もしくは、政党リーダーとしての保身。

新憲法の締め切りは5月27日に迫っているが、まだまだ紆余曲折があるだろう。

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と、そんなこんなの中であるが、水曜日4/11は、NHK BS ほっと@アジアに出演。ネパールの暦の不思議についてお話しする予定。 夕方5時からの放送。

おしりの山になった、エベレスト

NHKみんなのうた〜 おしりの山はエベレスト。某所で見ました。わっはっは。
おしり1

4527427760950

1番の途中、おしりかじり虫と一緒にトレッキングしているヤクさん一家が、個人的に大変気に入りました。お父さんヤクの角の先端の、ちょこっと外曲がりが「たいへんよくできました」賞ですね。

がんばってエベレストの頂上にたどり着いたおしりかじり野郎。しかし、そこで滂沱の涙を流します。

わかっているよで わかってない
見えているよで 見えてない

大変に意味が深い歌詞です。で、日本に飛んで帰る虫くんなんですが、ここで良くないことをしています。エベレストの頂上に、背負ってきたリュックなど全てを捨ててきている。これはいけませんね。持ち込んだものは全て持ち帰る。ゴミを残さない。そうあるべきなんですが.....って、アニメに文句つけてどうする?

昨今のエベレストの商業主義登山の現場については、唖然としている不肖わたくしであります。おしりかじり虫さんにまで登られたエベレストには、今年、ネパールのマオ派親分のご令息さままでが挑戦します(やれやれ、やってらんねーよ)。

ここまで来ましたら是非、ガチャピンさんにもご登頂いただきたく。過去、ヤラピーク登頂という輝かしい登山歴のあるガチャピンさんでありますので、エベレストなんか軽い?かも(中の人、乙であります)。ガチャさんがアイスフォールの裂け目に渡された水平ハシゴを渡る図なんてもう....想像しただけで涙が出てきます。


でもね。今年もまた。春の登山シーズン。ネパール側から、チベット側からエベレスト(サガルマータ/珠穆朗瑪)に挑戦するみなさま。ご健闘と無事の登頂、安全な下山と、シェルパさんたちスタッフのみなさんも全員みんなが、笑顔でおうちに帰れることを、心からお祈りし、応援しています。

ネパール祝祭日一覧

ビクラム暦2069年祝祭日一覧 例年通り、情報公開します。

ベタですが、エイプリルフール

ということで、本日午前中にUPした記事は、4月1日お約束のウソでございますよ。

そーんな、高所の222kmなんて、やりませんわよ!きっぱり。でもね....今年はね.....もう走るの止めます。って、ウソつくな。

新年度ですので、宣言いたします

これまで地味に準備してきたことが、やっと公表出来る状況になりました。

世界で一番過酷な....と銘打つウルトラレースがいくつかある中で、本当に、泣く子も黙って逃げ出す過酷さ。全長222kmを制限時間60時間内に。しかもコースはインドヒマラヤの山岳地帯。標高5,300メートル以上の峠越えが2度あり、コースの平均標高は4,500メートルというクレイジーなウルトラマラソン。

LA ULTRA THE HIGH

に出場します。この最終準備のため、ネパールでの仕事は年度末で全て辞めました。本日の航空便でインドに入国し、明日早朝、レースの舞台となるラダック地方の中心地レーに入ります。現地での高所トレーニングを続け、8月のレースに臨みます。

私のチャレンジをインド共和国外務省もサポートくださり、特別な長期滞在ビザの発給を受けました。

人間としての生き物の限界に挑むようなレースに、普通のオバサンである私が挑戦します。その結果はいかに?レースに至るまでのプロセスをめいっぱい充実させ、楽しみます。結果は自然とついてくるさ!


これ、4.1の記事ですからね。エイプリルフールですよ!
@後日追記、釣られてくれる方続出のため

ネパールのニュース、放送。今夜。

急な話で恐縮ですが、本日3/23(金)日本国内NHK BS1 夜10時からのワールドWave Tonightにて、一流シェフを目指して世界に飛躍しようとしているネパールの若者たちを追った特集が放送されます。ニューデリー支局依田カメラマンのリポートで、私はリサーチを担当しています。

本当に久しぶりに、ネパールのイイ話題をお伝えします。是非ご覧ください。

海外在住のみなさまには後日、NHK国際放送の英語リポートでご覧いただけると思います。これにつきましては、追ってお知らせします。
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