けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

2006年11月

臭ってくる、ゾ!

先日の「共同通信ニュース」につき、情報ありがとうございました。

その後、カトマンズでも、何だか、ちょっと、いろいろ「臭い」を感じている。現在国連安保理で、ネパール案件審議中。この結果を待って、粛々と、状況を見極めたいと思う。

いやはや.....一難去って.....《以下自粛》.....なのか?

共同通信、コラッ!

いやはや、共同通信が配信した記事で、一瞬仰天。

ネパールのメディアも、後追いをはじめる始末。あれこれ(英文)。

ネパール現地発信のニュースではなく、東京で取材したもののようだが、「複数の政府筋」って、誰だ?というソース探しが、日本政府筋関係者の間で為されているだろう。追々、どのような状況で取材したものか、漏れ聞こえてくると思う。

ネパールの停戦管理や選挙監視に、国連はじめとする国際社会が参加することが正式に決まれば、日本人がその要員として派遣される可能性はある。しかし、PKO案件としての派遣には、日本国内での審議や(内閣/国会)議決が必要である。共同電のような「すぐにも対応」的なイメージでは、絶対に進まない。

この記事ひとつで、オロオロするな!

と、とある方面から「喝!」を入れていただく。仰るとおりです。反省。

当該の共同電を掲載したのは、群馬の上毛新聞だけか《このあたり、日本からの情報お寄せ下さい》?他の新聞や通信社、テレビには、関連ニュースない。共同だけの勇み足なのだろうか。

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それにしても、ネパールの和平に国連が関わるとなれば、国連加盟国としての日本も、無関係ではいられない。

ネパール政府にとっても、マオ派にとっても、国民感情としても、近隣諸国(インド/中国など)や列強諸国(米/英など)が、「国連の顔」をしてネパールに入り込むことは、受け容れがたいことだろう。だから、日本や北欧諸国などにお鉢が回ってくる可能性については、ずっと、心に引っかかってきた。

ネパールの和平と民主再構築に、国連が積極的に参加するなら。ネパール国内の問題を越えた局面が今後、様々に出てくるだろう。国連の「金とブランド」は欲しいけれど、干渉は止めてください!という論理は、ちと、通らないだろうね。

思い知ることもあるだろう。ネパール政府とマオ派。

いやはや。「生温かく」見守るべきトピックスは、沢山あるね。

エマレだなぁ〜

11月21日、出来過ぎ感動的「包括的和平協定」調印があった。

その後、マオ派武装解除+国軍武力管理、暫定憲法、拡大国会を経て、マオ派も参加する暫定政権樹立に至るカレンダーも発表されていた。

が......

予想通りというか、いかにもネパール!と云うべきか、全ての予定が「ぐしゃっ」と潰れて、全面的に遅延が出ている。年内に暫定政権までたどり着けたら、上出来と誉めてあげる。と、それくらいの「生暖かさ」で見守っている、昨今。

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さて、ここに来て、最大野党である統一共産党(UML/エマレ)のお家事情がゴタゴタしている。UML党首のネパール書記長が、「(コイララ首相は)我が党を踏み台にしている」と非難の声を上げている。暫定政権に、UMLは参加せず!と、ネパール総書記は激怒しているとの、未確認情報もある。

昨夜、某UML筋と話しをしたのだが、党内では、暫定政権には参加する。しかし、閣僚として送り込む、(UML)政治家の顔ぶれを変えるべし。と、そんな声が上がっている模様。

別の未確認情報では、UML党書記長自体を「変えるべし」との、権力闘争が始まっているらしい。新しい書記長には、より知性派の△☆◇◎、なんて声がある模様。

全ての原因は、来る、憲法制定議会の「選挙」絡みだろう。

マオ派が武装解除し、ネパールにおける共産勢力として表舞台に登場した。イメージ的には、日の出の勢いもある。一方、共産主義政党を支持する「有権者」の数は急増しない(と、見込まれる)。結果、同一選挙区でUMLとマオ派の候補が並立した場合、票の食い合いとなる。

結果、共産政党は共倒れとなり、コングレス党立候補者が当選する。

現在、コングレス党も(コイララ党とデウバ党に)2つに分裂している。しかし選挙に向け、統一コングレス党への再編成が成功したら。UMLにとっては、悪夢と云える状況になるだろう。

UMLの執るべき道は?

1.マオ派と連携し、共和的共産勢力として、選挙を共闘。

2.両コングレス党の統一再編を妨害。

3.コングレス党内の「共和主義派」の取り込み。

いずれにしても、今後の和平+選挙。そして、民主主義の再構築に至るプロセスの中で、選挙危機に追い込まれるUMLが「困った存在」として、迷惑なキャスティングボートを握ってしまう恐れもある。

実に、エマレ(UML)らしい予想が立つ。政党「組織」としては、コングレスを凌ぐ「組織力」を誇るのだが、結果に結びつくことは少ない。常に2番目の立場に甘んじている、今ひとつ、「ぱっ」とするところのない政党なのだ。

組織はあるし、知識人として立派な政治家を多数抱えているのにね。

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コングレス政治家には、基本的な「共産主義嫌悪」が感じられる。

UML政治家は、(ギリジャ)コングレスが第1党である限り、共和制は実現しないという確信を抱いている。

国王独裁という共通の敵には、大連合で立ち向かえたが。今後、選挙という「党と党の戦い」に向け、不協和音が増大するだろう。

自分が負けるくらいなら、ええい!根底からひっくり返してしまえ!!

そんな事を考えるなら、4月動乱で自信をつけた「政党なき政治勢力」が、黙っていませんゾ。国連をはじめとする、国際社会も許さない。第一、有権者たる国民の審判が、厳罰を下すことになる。

だ・か・ら....遅延は覚悟の、楽観的予想なのだ。

ネパティヤよ、目覚めよ

ネパールのポップミュージックと民謡を融合させ、ネパールの老いも若きもから支持を集めてきた、「ネパティヤ」というグループがいる。

2001年からは、設立メンバーであるアムリト・グルン氏(ボーカル)の強力なリーダーシップのもと、ロック路線に転向して頑張ってきた。

惨劇

 

 

 

 

 

 

その「ネパティヤ」の新作アルバムが、謹呈という形で手元に届く。せっかくいただいたんだから、アルバム評を書こう。出来るだけ、誉めなきゃ....ね。と、聞いてみたら。

げげげっ。絶句。

アルバムタイトルは、Ghatana(惨劇)。2004年、政府軍とマオ派の武力衝突に巻き込まれたローカルバス。罪のない乗客たる一般市民6人が命を落とした、「マイナ・ポカリの惨劇」を題材にした曲が、冒頭に収められている。

武力衝突に踏みにじられた、人々の叫びをロックに表現......だと理解できるが、なんじゃ?これ。24分28秒という長大な楽曲であり、無意味に長い前奏や間奏が延々と続く。しかも、ギターもドラムも、日本の高校学園祭のレベル。ヘタなプレイを延々聞かされ、気分悪し。

アムリトのボーカルも、一本調子。心を揺さぶられるもの、ない。

最近のネパティヤは、政治力とスポンサー集め能力がついてきた。それと反比例して、アーティストとしての輝きが失われている。

ネパールの、社会正義の欠落を、ロックに表現することには大きな価値がある。しかしこの時、チープなウケ狙い。特に、ネパール語の理解できない外国ステージでのパフォーマンスを狙っては、本末転倒。ロックという芸術表現に「昇華」していない、むやみに長いだけの「もどき」は、ダメだよ。

マイナ・ポカリの惨劇に対する、心の底から湧き上がる「怒りと鎮魂のロック」が感じられない。ただ単に、惨劇を題材に、世間(外国スポンサー)ウケしそうな駄作を作ってはイカンよ!アムリトくん。

近年、外国でのステージも多い(政治力があるから、実現)ネパティヤだけど、これが「ネパールを代表するロックです!」と紹介されるのか。ああ、情けない。CDで聞いても学園祭サウンドだが、生で聞くと、それがより強調されるんだよな。

と、ネパティヤの「マイナ・ポカリの惨劇披露コンサート」に呼ばれて、聞いて、大音響では(ヘタすぎて)聞いていられなくて、すぐに外に出て、会場の壁越しに聞いたこと思い出したわ。

長年ネパティヤのファンを続けてきた身として、敢えて苦言。

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耳直しに(真にネパールを代表する、ロックバンド)1974ADを聞く。ああ。やっぱり、ネパールのロックは、これだわ。大人の体制批判。

ドドドン、ズバッ、ドゥララン。

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さて、11/21に調印された和平協定文章(両首脳がサインしたオリジナルの)コピーを、ネパリコングレス党の筋から入手。

和平協定

だからどうした?なんだけど。最後の部分。両首脳の肉筆サインの部分。興味のある方はクリックして、拡大画像をご覧下さいな。

日本語による解説部分は、「空の下」が入れました。

プロ、不在の国

昨日は朝8時から、7時間。カトマンズの国内線空港待合室で待って、待って、待って......結局、行き先の天候不順で飛べずに帰ってきた。行くこと自体、やめにした。

あの待合室をご存じの方は、すぐにご理解いただけるのだが。とにかく、寒い。航空会社からの説明も、満足にない。いや、ネパールの流儀では「ちゃんと説明してます」なんだろうが、客を満足させるような真剣さは見られない。

「だって、天候は、僕らの責任じゃないもんね」

という態度が、航空各社を貫いている。ある面、当然。また、無理して飛ばれて事故になったら非常に困る。だから......許す。でも、客に対して、温かい茶の一杯でも出せよ!(゚Д゚ )ゴルァ!!

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体の芯から冷えて、頭痛がして、出社できずにそのまま自宅でダウンした。うつらうつらして、夜。NHKの国際放送で、大好きな番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」がはじまった。

もちろん、日本を代表するプロ中のプロばかりなんだけど.....日本という国は、プロフェッショナルをささえる「プロ集団」がいるからこそ、先鋭的なプロ・イズムが機能するのだろう。例えば、昨夜の放送を例にすると.....

コンビニチェーンの顔である看板。この色を変えたい!これに、強硬に反対する加盟店店長たち。その時、プロは、胸襟を開いて話し出した。《中略》 「分かりました。やってみましょう!」と、店長たちの気持が.......動いた。

「よぉし、新しい色で作ったモデル店を、すぐに作り上げてみせる」

経営のプロフェッショナルたる、チェーン社長は決意した。

【もし、これが、ネパールで。なら....つづき】

あの決断から、数日後。

「社長大変です!モデル店舗の開店が間に合いません」

「何ぃ?」

「実は、内装外装を請け負った会社の大工全員が、祭りだ!と、インドの実家に逃げ帰ってしまったんです。他社にも当たりましたが、みんな同様。お手上げです」

「ネパール人の大工は、手配できないのか?」

「工務店の社長が、いつもの大工でないと仕事できない!って、ゴネてるんですよ。いくらお願いしても、聞く耳ないんです。勘弁してください」

そして.....プロフェッショナルは、決断を下した。

「分かった。ネパールから、撤退しよう」

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ネパールでは、社会全体の「詰めが甘い」ため、日本のような「プロフェッショナリズム」が育たない。その代わり、「この部分、私の責任じゃありませんから」と、エベレストのような、強固な「開き直り」が蔓延する。

こんな社会で、何かを企画して実行するために必要な精神とは?とあるハリウッド映画を観ればよい。ずばり!

ミッション・インポッシブル (*^^)//。・:*:・°'★,。・:*:♪・°'☆

何が起ころうと、不可能に見えても、挫けずにチャレンジすれば、何とかなるネパール。しかしそのためには、高い精神性を共有できる、インポッシブル・ミッション・フォース(IMF)の仲間たちと、綿密な準備をして取り組む必要がある。

私には、素晴らしいネパール人IMF仲間がいる。ヤツらと一緒なら、怖くない。でも、組織だってこれを発動させるのは.....とりあえず、来年1月だわ。と、現在、仕込み中。

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ところで、ネパールで、少なくともカトマンズとポカラの国内線空港に、「うちの会社をご利用のお客さま限定」で冷暖房完備の特別待合室完備。フライト遅延時には、温かな飲み物・軽食サービス付き。な、国内線航空会社が出来たら。

少なくとも、外国人は、雪崩を打って飛びつくと思うんだけど。

寒い、冬のカトマンズ国内線待合室では、売店で買うとお湯を入れてくれる「カップ麺」(50ルピー)があるくらい。30分250ルピー(400円)の、ネットカフェも出来てた。ああ、寒かった。

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それにしても、全てにおいて「詰めの甘い」ネパールで、日本に対して責任感を持ち続けていくなら......長生きは出来ないだろうね。

「そんな事云っても、ここはネパールですから、出来ません。私の責任じゃありませんからね。反省もしないし、絶対、謝りません」と云える、ネパール人の方が正しいのかもしれない。

私も、次に、ネパール人として生まれてきたときは、そう云おう。

でも、今回は「日本人」で生まれてるから.....云えないね。

沈みゆくもの、昇るもの

11月21日の「和平調印」から一夜明けた。

昨日、会場となったビレンドラ国際会議場大ホールにて、私の脳裏に浮かんだこと。ふたつの沈みゆくものと、ふたつの昇ってゆくもの。

ネパールの歴史上、国王というものは、誰からも行いを罰せられない存在であった。たとえ人殺しをしても、罰せられなかった。しかし今。全権を握っていた元内閣主席としての「ギャネンドラ・シャハ」氏を、訴追すべきとの政治判断が下っている。国王処罰については、立法措置が必要であるが......沈みゆく存在であることは、間違いない。

一方、この10年間武器を取り、同胞の命を奪ってでも前進すべき。との、イデオロギーと行動を取ってきた、マオ派プラチャンダ党首。人殺し、テロリストの値札が下がっていた。しかし今。プラチャンダ氏は、ネパール政界の大立て者として.........昇りつつある存在である。

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ネパールを代表する政治家一家出身。ネパール政治を、良くも悪くも象徴してきた、コイララ首相。しかし80代中盤。病身。昨日の調印式でも、明確な頑固な発言と裏腹に、老人の表情が見て取れた。

一方プラチャンダ氏は、精力みなぎる壮年。パワーの塊。

これまたひとつの、沈みゆくものと昇りゆく存在。

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人を殺すことは、絶対に許されない。日本の法律では、(特に複数の殺人を行えば)極刑に処せられる行いである。私の常識では、「人として」も「法律にてらして」も、絶対にしてはならないことだ。

しかし、政治の世界では、殺人を伴う政治手法が、結局世間に認められることもあること。そんな手法を使ってきた政治家が、評価を得ることもあり得ること。プラチャンダ氏を見ていて、そんなことを想った。

日本に暮らしていたら、出会えなかった体験と現場だ!

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さて、今のところイケイケのプラチャンダ氏が目指しているのは、もっともっと上である。それはどこだ?

世界の共産思想界における、カリスマ。

マルクス、レーニン、毛沢東、プラチャンダと、並び賞賛されること。

21世紀の偉大なる、共産主義成功モデルとしての「プラチャンダ式共産主義」が世界の評価を得ることこそが、彼の目指すゴールである。彼の表現に沿えば、釈尊に次ぐ(プラちゃんは、釈尊をよく引用して話す)、ネパールが生んだ偉大なる存在として、世界で輝くことなのだ。

いやはや。

と、そんな存在であるプラチャンダ氏を、これからも「生暖かく」観察し続けていくのだが......引き込まれないように、充分注意しよう。

そしてもうひとり。沈みゆく象徴としての国王も、観察したい。

これらは、あくまで、観察。

共感は、地に足のついた場所ですること。これは、忘れない。

歓喜のネパール

今日11月21日。ネパール時間夜8時25分。

政府代表コイララ首相と、ネパール共産党毛沢東主義派代表プラチャンダ党首の間で、包括的和平協定が調印された。

この瞬間、ネパールにおける11年間の武力衝突が終結した。

G+P

 

 

 

 

 

調印直後の、両代表の表情。ほっとした表情を見せる、高齢病身のコイララ首相。パワーみなぎる、壮年のプラチャンダ党首。

peace

 

 

 

 

 

 

調印式終了後、会場の外で歓喜の市民に囲まれる、政府側交渉チーム責任者シトウラ内相。

調印式の場に、連れ合いと共に立ち会えたこと。みんなと一緒になって、心の底から安堵し、ネパールを誇らしく想い、喜び合えたこと。

今日のところは、これ以上書くことは控えたい。

でも、この、溢れるような歓喜を伝えたい。

わたしの、ネパール。バンザイ!

千客万来の日

最近、とある理由で「ひとさがし」をしている。1月に控えたプロジェクトのため、人材が必要なのだがなかなか、難しい。

某民放テレビ局の幹部に相談したら、昨日電話があった。あ〜、ミキさん。ぴったりの人がいるから、明日紹介してあげるよ。

待ち合わせの時間ちょうどに、待ち合わせの場所に出向く。そうしたら、10分遅れるとの電話。で、結局、45分遅れでやってきたのだが......お願いしていた人材と、全然違うじゃん!!!!!

期待と現実の落差が、ナイアガラの滝のように囂々と音を立てて流れ落ちる。心臓が痛くなるほど、呆然とする。

しかしその場で、そんなことは云えない。マイルドにお話しして、プロジェクトの詳細につき、映像資料を見せながら説明。そしたらネパ・テレビマン氏。あ〜っ、そーゆーことなのね。うん。他からも人を探して、面接すべきだね。って、自分が連れてきた人間が、探している人材と違うことを理解してくれた様子。

あ゛ーーーーっ。でも、ありがとね。

教訓】

日本側の要求を、ネパール社会に説明するのは簡単じゃない。

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と、柄にもない面接などしていたら、ニュース関連で至急、某機関の担当者連絡先を教えて!と、電話が入る。この情報、某ネパール人さんが管理している。すぐに某ネパさんに電話して、電話でニュースさんに連絡してと依頼。

面接の失望を抱えて、某ネパさんの事務所を覗く。彼のアシスタントくんが、タイプを打っている。イヤな予感がして聞いてみると、至急のニュース問い合わせについてFAXすべく、連絡先一覧を作っているんだと。

がーーーーーっ。何を悠長な!

出来上がったペーパーを見ると、ニュースさんが欲しがっている情報以上の連絡先てんこ盛り。これでは、どこに連絡すべきか、ガイジンの目では全然わかんないじゃない......と思いつつ。追求すると角が立つため、黙ってFAXした。

案の定、速攻で電話来る。やはり、訳がわかんないと。はい。ごめんなさい。と、結局ペーパーを日本語で、必要な情報だけ抜き出して、自分でタイプする。私にアシスタントなど、居るはず無い。自分でやるしかない。しかもこの作業で、某ネパさん作成の一覧表に間違いも見つけて......オー、ノー。マイガッ。

教訓】

ネパールでは、かっちり、見栄えの良いペーパーにまとめる。その内容の分かり易さや正確さを求めるなら、日本向けのものは日本人が、自分で作成した方が早い.....ことがある。

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でね、今日はね、ネパールの某テレビ番組で使われていた、サンスクリット語の翻訳があったんだよね。これは某ネパさんの得意分野なんだけど。

うひょ〜っ。サウンドエフェクト強すぎで、全部は判明不明。

分かった部分だけ、メイルで東京に流す。気分は、へトヘト。

教訓】

日本人のすべてが源氏物語原文を読みこなせないように、サンスクリット語は困難。これはもう、パンディット(宗教儀式を執り行う専門家)を呼ぶしかない.......って、呼んだら呼んだで、いろいろ、手間がかかって仕方ない。

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と、たったこれだけのことをしただけなのに、既に夕方。今日は日本から来てくれた、2組のお客様に会わねばならぬ。仕事場を出ようとしたら、更にもうひと組。大変お会いしたい皆様もカトマンズに来られていたことが判明。

ひぇ〜っ。アンビリバボー!

まずはタメルにて、ずっとお会いしたかったPさんに会う。想像していたとおり、素敵な方でした。トレッキングから帰ってこられたら、一緒にランチ行きましょうね。その後ラジンパットのホテルにて、別のお客様と会って、もろもろ相談大会。よし、了解ですわ。そしてキングスウェイの別のホテルに移動し、某グループの皆様夕食の席に乱入する。わっ!えっ!!あっ、ご無沙汰しています。やら、ずっと以前からお会いしたいと思っていました。はじめまして。諸々。

最後の席には亭主殿も合流。非常に楽しい時間を過ごさせていただく。

普段はカトマンズで、悠長な日々を過ごしているのだが。今日は実に、惑星大直列のような、千客万来の楽しい締めくくりとなった。みなさん、バタバタしていて申し訳ありませんでした。でも、超うれしかったです。

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さて明日、暫定憲法は出てくるのか?和平協定に署名はあるのか?

今日までの処、見通しは不透明である。

振り回され、を楽しむ

11/16の「和平協定署名延期」は、茶番としか思えない。

ニュースを出す立場としては、コイララ首相とプラチャンダ党首が並び、予定通りに調印式が完了していたら、近年にない「美しい」ネパール・ニュースになったのに......と、つくづく残念である。

これから新憲法作成と、国政・地方選挙を経た民主主義の再構築プロセスの中では、「美しくない」出来事ばかり起こることは予想がつく。それでもなお、ああ、ネパールは和平に向かっている!と、嘘でもいいから(嘘じゃ困るが)、象徴的な出来事が予定通りに行われてほしかった。

まあ、そういう「振り回され」を、楽しむしかないね。

今週、

11/21 包括的和平協定署名+暫定憲法公布

11/24 マオ派人民解放軍兵士・武器、キャンプに集結

11/26 マオ派からの議員を含む、暫定国会召集

と、予定、目白押しである。これらを経て、12月1日、マオ派も参加する「暫定政権」が樹立される......筈。本当に予定通り進むか否か?今から心配しても仕方ない。

それにしても、国交樹立50周年祝賀「ネパールにおける日本週間」と、モロに重なってしまった*。しかも私は、現在山場を迎えている「某番組」の仕事で、11月末のゴールに向け、日々、ひた走っている。

日本週間の方には、全然顔を出せそうにない。申し訳ない。

そして12月に入ったら、次の番組に「がっぷり四つ」に取り組みだぁ!みなさん、来年早い時期に、ネパール関連諸々、行きまっせ!年末は、ラジオもある予定。ふふふっ。

平和に向かうネパールを、日本にお届けしまふ。

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 * 祝賀行事や、この期間中のネパール旅行には、全然影響ないと思います。ご心配なく、ネパールにお越し下さい。

それにしても太郎ちゃん、APEC終わった後に、ちょっと顔出してほしかったね。カトマンズ。日本とフィリピン50周年には、マニラまで行ってたのにね。

アキバ系のノリで、太郎ちゃんに「萌え〜」てみたかったわん♪

呉越同舟ランチ

包括的和平協定の署名は、暫定憲法が発布される11/21になりそうだ。やれやれ。

それにしても、時間はあったのに、なぜ事前に準備が出来なかったのか?しかも、インド、米国EUからの「立会人」までカトマンズに呼んでおいて、この始末。ネパールは不思議な国だ。

今日も朝から、バクタプール郊外のリゾートで、文章摺り合わせの交渉は行われていた。努力はしました...って、見せたかったんだろうが。今日のカンティプールTVニュースが、面白い映像を披露してくれた。

交渉の途中か?マオ派プラチャンダ党首とシタ夫人(彼女は交渉団のメンバーではない)。その他のマオ派交渉団。そして、政府側交渉団メンバーが、会場であるリゾートの日向においた同じテーブルで、仲良くダルバート・ランチを食べている。険悪な雰囲気もなく、ピクニックのように和気藹々。

隠し撮りした映像のようで、本来、ニュースとしてはお下品。しかし今日に限っては、評価したい。諸外国からの賓客が来ていても、政府、マオ派のなあなあ交渉で署名がお流れになった様子が見て取れた。

とにかく、今日はもう、寝る!

和平調印、延期か?

今日予定されていた、政府とマオ派の「包括的和平協定」調印式は、とりあえず、今日のところは延期となった。

11月21日の「暫定憲法公布」に併せて調印すると云う説もある。また、今日午後、ニューデリーに向かう予定であったマオ派プラチャンダ氏の予定が、明日午後の便に変更になったことから、明日にも仕切り直しで署名。パンパカパ〜ン、という、希望的観測もある。

今回の調印式のため、インド共産党の大物政治家、米国外務副大臣(国務次官補)、EUのミッションなどがカトマンズに来ている。ネパール政治の不透明さには、国際的VIPも参っただろう。

いずれにせよ、どうなるか、分からない。多少時間はかかっても、ベクトル的には「和平」方向に進むと信じたい。

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マオ派人民解放軍、公称3万5千を確保するため、新兵リクルートがダイナミックに実行されている。これまた、実に、もう。

ネパールの和平は、「生温かく」見守るしかないね。

健康スナックと、電話

パタン市内、サネパ(ジャムシケル)にある、カフェUさん。

丁寧に優しく作られたごはんは、心を幸せにしてくれる。また、これまた、愛情たっぷりに作られた手作りデザートもナイス!な、秘密の花園、カフェ・レストランである。因みに、11:00〜18:00営業。火曜定休。

このカフェUでは、様々な季節の食材も手にはいる。現在は、スイートポテトとアボガドなど。そんなカフェで、ひっそりと、目立たず販売中の絶品を紹介したい。

ずばり!ドライ・ジンジャー。乾燥生姜。一袋、25ルピー。

ハードドライタイプと、半生タイプがある。両方とも、砂糖で甘く味付けされていて、お茶請けにぴったり。またちょっと肌寒いとき、生姜の薬効で身体がぽかぽか温まる。食べ出すと止まらない、小袋食べきりサイズである。

生姜は胃腸の活動も活性化する。身体に良さそうな、健康スナック。

毎回少量入荷のため、確実にゲットしたいなら、事前に電話予約しておくと良いだろう。でも、今日買えなくても、まっ、いいか。だって、カフェUの美味しいランチを楽しめたんだもの......と、思わせる和み系。

お買い物を口実に、またまた来ちゃう楽しみがある。

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話は変わるが、我が自宅の固定電話は雨期以降調子が悪かった。雑音が酷く、ダイヤルアップのネットは全然繋がらなかった。電話局に修理を依頼したが、改善されなかった。

その後2週間ほど前からは、不通になってしまった。「ツー」という、発信音も聞こえない完全ブラック・アウト。電話局に確認すると、付近一帯の電話線大元が盗難にあったそうだ。純度の高い銅だそうで、世界的に、盗難多発しているんだとか。しかも、電話交換機の変更も作業中のため、しばらく「気長に」待っててくださいとのこと。

それが昨日、突然、復活していた。ネットもすいすい繋がるぞ!

だけど.....外から電話が全然かかってこないんだけど。えっ!何!!電話番号が変わってるってぇ〜ギョッ。

ネパールでは時々あるのだが、電話局の交換機変更により、強制的に電話番号が変わってしまう。「ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」なんて、通知は一切ない。国際電話発信等のオプション契約も、再度申し込まねばならない。

日本では、番号ポータビリティとか。ははははは、ネパールでは、顧客の不便なんてもう、全然考慮されましぇん。そういう文化。

仕事関連、日本の実家には変更通知メイルを出したが。その他は、しばらく、電話の鳴らない静けさも良いか......って、その分携帯が鳴っちゃうんだね。今日のニュース取材(和平調印)が一段落したら、大使館領事部と日本人会に連絡しなきゃ。

そんなこんなの、カトマンズの秋。

ララ湖、旅行記〜5

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ルクラやジョムソムのような有名ルートであっても、天候不順になれば数日、航空路が閉ざされることも珍しくない。それだけ、ネパールの山岳飛行路線は不確定要素がある。

しかも今回の「タルチャ」は、普段、定期便の飛ばない場所。

ネパールでのトレッキング。短期間で奥地に行こうとすれば、空の路線を利用することは欠かせない。だからこそ、時に、悩ましいのだ。

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ツアー最終日。

ララ湖畔のキャンプでは、早朝4時半起床。5時朝食。5時15分出発という、素晴らしい予定だった。が、朝食の準備が遅れたこともあり、実際にララ湖から歩き始めたのは30分遅れ。

夜明け前のララ湖畔を1時間半歩き、その後、針葉樹林帯のひと山超えて、朝8時にはタルチャ飛行場に着いた。

第1便は、朝9時に到着と聞いていた。が、なななななんと、RAの飛行機がカトマンズに行っているそうで、第1便は正午頃到着。その後、3便に分けてネパールガンジに飛ぶという。

何のために早起きしたの?カトマンズへの乗り継ぎ便を考えると、第2便はギリギリだし、第3便は間に合わない。しかも午後、ホントに飛ぶの?と、全員不安になったが、主催者のNTB若手オフィサーHさんがひと言。

「心配ご無用!」

どういう魔法を使ったのか知らないが、第1便は朝10時にやってきた。

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私が乗れたのは、正午発の第2便。この調子なら、最終便まで全員、カトマンズへの乗り継ぎに間に合うゾ!

タルチャを飛び立って、一瞬ララ湖を見下ろして、山の上をうねうねと飛び続け、45分後には亜熱帯のネパールガンジに着陸した。

ララ湖への山旅は、終わった。

同時に、携帯電話圏内となった途端、ひっきりなしに電話とメイルが入ってくる。え゛〜っ、前の日の深夜、和平交渉まとまってたのぉ!?ぎゃ〜っ、と、突然、仕事モードのスイッチが入る。

空港から市内に移動し、ネパールガンジのホテルで、シャワーを使わせてもらい、遅い昼食をとる。夕方また空港に戻り、行きと同じくイエティ・エアのカトマンズ行き便に乗り込んだ。

カトマンズへの飛行では、西ネパールの山々が美しく見えた。

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どっしりした容姿が特徴の、ダウラギリ。

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アンナプルナ連山。ちょこっと「マチャプチャレ」がカワイいね。

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今回の山旅がスムーズに行ってこられたのは、ひとえに主催者のNepal Tourism Board (NTB)ご尽力によるものである。NTBの皆さんに、記して御礼申し上げたい。ありがとうございました。

また、実際のツアー運営にあたった旅行会社、R社の辣腕ぶりにも脱帽である。カトマンズの本社だけでなく、ネパールガンジに支店を持つR社は、韓国からのツアー・トレッキング客のネパールハンドリングでは、トップシェアを誇る会社だという。

また、遠路はるばる歩いてララ湖までやってきて、寒いテント村に泊まって、我々に素晴らしい民俗芸能を見せてくれたムグ郡、ジュムラ郡の皆さん。ララフェスティバル主催者の皆さんにも感謝したい。

そのうえでひとこと、付け加える。

次回のフェスティバル実行時には、環境に対する配慮をお願いしたい。

我々招待客のテント村は、R旅行社の手配で、キャンプも食事も、トイレテントの設置まで完璧であった。しかし村からやってきた一般ネパール人用のキャンプには、トイレの施設はなかった。あったとしても、足りなかったようだ。

一般用テント村近くの湖畔には、人間さまの排泄物が、妙に一定間隔で並んでいた光景。

透き通るようなララ湖の水質や、周辺の自然を守ること。同時に、ララ湖を観光資源として開発し、地元の生活向上を計ること。これは、避けては通れないチャレンジである。簡単なことではないが、ネパールにとって不可能なチャレンジでもない。と、思いたい。ネパールにおける環境保全には、地元住民の経済・生活向上が不可欠である。そのためにも観光開発が必要であり、そのためにも、観光の目玉となる自然に対する保護が必要。

観光開発と環境保全は、車の両輪なのだ。切り離せない。

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近年、有名なトレッキングルートでは、電気・電話のみならず、ネットカフェなども利用できる。エベレストのナムチェなど、(カトマンズの外国人街)タメルの様相である。

便利になった反面、静かな山旅の度合いが薄れた感がある。

もし、10年前のトレッキングを味わいたいなら、マナンにどうぞ!と、ひとに勧めてきた。今回、確信したことのひとつ。

もし、20年前の、不便だけれど静寂な、心震える山旅が望みなら。是非行ってほしい。ララ湖へのトレッキングに!

Go! RaRa Lake.......... ララ湖報告、おしまい。

ララ湖、旅行記〜4

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旅に出ると人は、「本来の立場や肩書き」から、ちょっと自由になれる。

今回も、そんな出来事があった。在ネパール、タフネゴシエイターたる私にとっては、貴重な人脈が広がる結果となった。

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ツアー3日目、11月7日。

標高2,990Mのララ湖畔から、片道2時間半で740M程登り詰める、ムルマ・トップ(3,731M)という展望台に向かう。エベレスト街道で云えば、ジョサレの先の最後の吊り橋から、ナムチェに向かうよりちょっとキツいかな?という感じか。

ツアー参加者の大半は「そんな大変な場所、行かない!」と、パス。

「何とかと煙は高いところにのぼる」の例えに従い、我々、10名に満たない精鋭部隊(?)は、ムルマトップへの道を行く。

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30分ほど登ると、湖とフェスティバル会場が見えてきた。

手前の広場が開場で、その横、向かって左手に(地元住民用)テント村が見えている。ブルーシートをかけたテントの下で、雑魚寝している。寒いだろうな。

普段は国立公園と駐屯する国軍部隊しかいないララ湖畔に、数千人の村人が押しかけている。娯楽の少ない地域の人たちであるから、今回のフェスティバルは、「一生の想い出」になるイベントなんだろう。

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道はすぐに、深い針葉樹林の中となる。

歩く足元が、何だか、ふかふかして気持ちいい。人に踏み固められていない、自然の中の道。実に、膝と腰に優しい。木々の作る日陰は涼しく、急な登りなのに苦しくない。

と、思っていたのは健脚組だけ?

ふと立ち止まって振り返ると、某観光振興団体の大幹部と我が亭主が、ゼーゼーしつつ立ち止まっていた。いやはや、普段全然運動しない人たちは、仕方ないね。ほら、これ食べて元気出してよ!と、キャラメルみたいな飴を何個か、疲れ果てた表情の二人と、彼らに付き合って歩いていたポーターさんに渡した。

しばらくすると、某大幹部氏が元気になり、私と並んで快調に飛ばし出した。実は彼のこと、ずっと、苦手だったのね。だって私の顔を見るといつも

「ネパールに観光客が来ないのは、君たちメディアのせいだ」

と、怒ってばかり。ネパールの政情不安自体に対しては、ほっかむり。強きに弱くて、弱きに吼えるネパおやぢだな......と、敬遠していた。しかし、歩きながらいろんな話しをしてみると、ヨガという共通の趣味があったり、4月の民主化以降、彼のスタイルも変わってきたりと、話しが盛り上がった。

さっきの飴玉で、某幹部氏は大いに元気が出たようで、

「うむ。トレッキングに飴が必需品だという事を、君から教わったゾ!よし、これからはいつも、山道では飴を手放さないぞ」

「じゃあいつも(トレッキングには)私と亭主を誘ってくださいな。私のザックには、トレッキングの必需品がいつも完璧に揃ってますからね」

「がはははは」「わはははは」と、すっかり、仲良しさんになる。

実に貴重な人脈を、作らせてもらったね。

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ふと、木の根元を見ると......吉田戦車のマンガキャラのような木像が、私たちのやり取りを「生温かく」見守っていた。

昨日の踊りと云いこの木像と云い、ネパール中西部の文化はキッチュさに満ちているね。何とも表現しづらいけど、嫌じゃないね。

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ぐぃ〜んと登って、ムルマトップの頂上に着く。

ララ湖の全体像を見下ろす、絶景なり。

ここで、持参の軽食をみんなで分け合った。最近話題のTRCを取り扱っている、ネパールのトレッキング業界組合TAANの幹部氏も一緒。TRCについて、ネパールのトレッキングの将来についても、熱く語る機会があった。

今後のニュースネタ収集に、新たなネットが広げられたね。

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素晴らしい景色も、堪能しましたですわ。亭主+私。

肌寒くなってきたので、湖畔のキャンプに向かい来た道を戻る。帰路はぐんぐん下って1時間半。キャンプ地では、温かいお昼ごはんが待っていた。感謝。

さて、遂に明日は、ララ湖から一挙にカトマンズに戻る。それにしても、タルチャ飛行場まで、ホントに飛んでくるのか?小型機。

一抹の不安は、現実のものとなるのか。どーなるんだぁ?

つづく。

ララ湖、旅行記〜3

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今回往復とも、ララ湖まで徒歩3時間の「タルチャ飛行場」まで小型機で飛べたため、3泊4日という短い期間でも堪能できた、ララ湖である。

カトマンズに住んでいても仕事を抱える身では、なかなか長期間のトレッキングに出られない。寂しいことである。だからこそ、時間のある若いうちに、ガンガン旅に出ておくべきなのだ。

若者よ、旅に出よう!

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ネパール共産党・毛沢東主義派(マオバディ)は、ララ湖フェスティバルにご来場された皆さんを歓迎します!と書かれた門にビックリしつつ、会場に入った。

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あっ、優しい歓迎でよかった。

と、写真の皆さんはマオ派じゃありません。たぶん。

4月の停戦以降、このようなイベントを開催する際には、マオ派も協力するようになったのだろう。いや、周辺の村役場とマオ派の間で、いやはや、へぇ〜っ。なるほどね。という、様々なネゴネゴがあったそうだが.....書かないわ。

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国立公園指定で村が強制退去されて以降、普段は人のいないララ湖である。しかし、5年ぶり第2回目の「ララ湖フェスティバル」に呼ばれて、湖畔には何千人という人々が集まっていた。

今回、主賓は、カトマンズからヘリで飛んできたマハト財務相である。車が走る道路のない、ネパールの中で最も取り残された地域のひとつであるムグ郡。ここに、財務大臣はじめとするカトマンズのお歴々が集結したことは、フェスティバルの大きな成果だった。地域の人たちにとって、ね。

「ここにお集まりいただいた、国内外のお客さまたち!」と、来賓のスピーチが続くのだけれど、正しくは「国内内」の客ばかり。私が見た限り、外国人は二人だけ。そのうち一人は「私」という。いやはや、全く。

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そしてプログラムは、ララ湖周辺住民の皆さんによる民族舞踊。

ネパール中西部、極西部の名物「デウラ」民謡と踊りも披露された。男女のグループが交代で、即興歌で掛け合いをする「歌垣」の一種である。びよ〜ん、と、悠長な感じのメロディーを歌いつつ、ゆっくりと弧を描いて舞うのだ。

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踊り手も観客も、ララ湖まで数時間から、数日かけて歩いてやってきた。開場横には、村人のための臨時テント村が出来ていた。ここで雑魚寝して泊まり、有料炊き出しのごはんを食べるのね。大変な思いをして、祭りに参加する皆さんだった。《私たちカトマンズからのツアー客には、別の場所に、快適なキャンプと食事が用意されていた》

歌と踊りのグループは、全然途切れない。と、突然.....

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何じゃ、これ?子どもの落書きから、抜け出てきたのかい。

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わっ!これまた、キッチュな。夢に出てきそうな、何だ、これ。

中西部、極西部の民族舞踊は、何だか、不思議なんだか、気味悪いんだか、カワイいんだか、よく分かんない。とっても、フォークロアだって事だけは確か。

と、感心して見とれていた私に、ツアー主催者であるNTB職員のHさんが、通りすがりに声をかけた。

「明日は、もっとスゴいところに行ってもらいますよ。覚悟しといてね」

え゛〜っ、何なのぉ!!!!!

つづく。

身の上相談、再開

あまりのスパム攻撃に負け、しばらく休止していた「ネパール身の上相談掲示板」を、新たなレンタル掲示板にて再開しました

ネパールの空の下、冒頭メニューからお願いします。

ネパールに関わり合ってしまった。ネパールを背負い込んでしまった。ネパールに溺れそうな。そんなあなたの、深刻だけど前向きな問題解決のため、少しお役に立てたら。

みんなで、しあわせに向かいませう!

ララ湖、旅行記〜2

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カトマンズからララ湖のトレッキングは、従来、最低でも10日間以上の時間が必要だった。しかも、経済的に厳しい村々を巡る。トレッカーは、自前のテントや食料持参で望む以外方法がない。

本来は、近づきがたいララ湖であった。

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タルチャ飛行場周辺には、数軒の民家があるだけ。ムグ郡の郡長所在地までは、片道2時間程度歩かないとならないらしい。

我々は、ララ湖への道を行く。飛行場からすぐ、紫外線降り注ぐ、日陰のない急な上り坂を30分。それが終わると、一転、森林の中の涼しく快適な道になる。緩やかな上り坂で、歩くのはそれほど辛くない。

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進行方向右手に、パラマウント映画タイトルのような山が見えてくる。

これは「チャンケリ」という山で、ネパールのルピー紙幣図柄になっている景色として有名である。

と、同行してくれた国立公園ワーデン氏の説明では「1ルピー」紙幣図柄とのこと。でも1ルピーは、アマダブラム。2ルピー札かな?でも最近、小額紙幣がコインに変わっていて.....確認できていない。

飛行場から起算して、森林の道を1時間半ほど進む。突然.....

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目前に、湖が現れた。機内から見下ろした、ララ湖との再会である。

ララ湖は標高2,990メートルに位置し、長さ5.1辧I2.7辧水深167メートル。湖畔を一周すると14辧8个魎泙犲辺は、「ララ国立公園」に指定されている。

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ネパール「最大」の湖であると同時に、ネパール「最小面積」の国立公園としても、国内では有名なのだ。

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1976年、ララが国立公園に指定されたとき、湖畔にあった村は撤去され、住民は公園外に強制移住させられた。以来、湖には駐屯する国軍部隊と国立公園事務所。時折訪れる旅人をのぞけば、人の生活はない。

湖の水は、信じられないほどクリアーだ。

国王独裁パンチャヤト時代。御上のご意向で如何様にも出来た時代の名残としての静寂さは美しくあり、また民人の声なき声が聞こえてくるような寂寥感もある。

湖と出会ってから、湖畔の道を1時間半歩く。

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今回の視察ツアー一行のため、設営されているテント村に着いた。

前日、ララ湖入りした関係者も多い。ネパールガンジを拠点とする、旧知のジャーナリスト仲間とも再会した。すぐにランチとなる。湖を渡ってくる風は冷たく、ダウンジャケットを着てしまった。

午後の予定は、ララ湖フェスティバル開会式だ。カトマンズから国軍のヘリで飛んでくる、マハト財務相が主賓だそう。テント村から歩いて10分程度の会場に向かった。

あれ?

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マオ派の歓迎ゲートだ!

つづく。

ララ湖、旅行記〜1

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11月5日〜8日の3泊4日、ネパール中西部、チベット国境にも近い「秘境」。ムグ郡にあるネパール最大の湖、「ララ湖」に行ってきた。

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今回の旅行は、ネパールにおける観光振興を司るNepal Tourism Board (NTB)が主催した「ララ湖視察ツアー」であった。

美しく静かな自然で知られるララ湖だが、アクセスの悪さとマオ派問題が原因となり、トレッキングルートとしての開発が立ち後れてきた。今回、5年ぶりに(第2回)ララ湖フェスティバルが開催されるのを機会に、ララ湖をプロモーションしようという計画である。

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旅行初日。カトマンズから午後一番の便で、ネパール中西部の中核都市、ネパールガンジまで快適に飛ぶ。イエティ・エアの中型プロペラ旅客機Jetstream機内では、缶ビールのサービスもあった。

同一路線のブッダ・エアでは、ソフトドリンクだけだったと記憶している。イエティ・エアの独自サービスなのか。乗客全員が、NTBの視察メンバーだったからなのか。はたまた、観光省次官はじめとする、VIPが搭乗していたからなのか?

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カトマンズから飛び立って1時間。亜熱帯の都市、ネパールガンジに到着。気温29℃と、真夏。秋深まるカトマンズとの気温差に、全員「うへっ」という感じ。

山に囲まれた盆地であるカトマンズから来ると、大平原の広々感に包まれる。今日はネパールガンジ市内のホテル・バティカに泊まる。翌、早朝。ここから小型飛行機で、ララ湖に近い「タルチャ飛行場」に飛ぶ。

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翌朝、夜明け前に起床。5時にインド風の朝食(プリ・タルカリ)を採り、5時半ホテルを出発。夜明け前から生温かいタライ平原の空気をきって、バスは一路、ブィン、ぐぃぃーん、とネパールガンジ空港に向かう。

昨日と違って、今日はツインオッターという小型機で飛ぶ。親方ネパール政府の、ネパール航空(RA)便。いやぁ〜RAの飛行機に乗るのって、数年ぶり。民間会社が出来てからは、ずっと乗らなかったRA。だって、飛ぶのかどうか分からないんだもの。RAって。しかしここネパールガンジから、儲けにならない山岳路線の運行は、未だRAが主要キャリアである。

最大19人の乗客を乗せるツインオッター機だが、高地への飛行のため、乗客は16人だけ。ツアーご一行、2回のフライトに分けて飛ぶ。私は最初の便に乗り、朝7時離陸。

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ネパールガンジの大平原から、緑豊かな山地が見えてきて、だんだん山が高くなってきた。離陸して40分くらい経った頃、突然、眼下にターコイズブルーの湖が見えた!

すぐに、山ひとつ超えたタルチャ飛行場が見えてきた。

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わぁ!山にへばりつくような飛行場だ。

舗装されていない、離着陸ギリギリの長さの滑走路に、がががん、と土埃をおこして着陸。乗客全員、ブラボーと大拍手。まるで、大昔のルクラ便みたい。

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タルチャ飛行場は、ヒマラヤ高地独特の清涼な空気に包まれていた。

むわっとしたネパールガンジから45分のフライトで、肌寒さを感じる高度にまでやって来た。私たちと荷物を下ろしたRA機は、次のフライトのため、さっさと飛び立ってゆく。

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ふと回りを見渡すと、沢山の目に、じぃ〜っと見つめられている私たち。

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中西部独特の歌と踊り「フルキャ」軍団が、視察団を歓迎してひと舞してくれた。鼓のような太鼓で調子を取る、塩辛い節回しの即興歌とダンスである。

コショウの入ったお茶もふるまわれ、ひと休みして。さあ、ララ湖だ!

つづく。

ここはどこでしょう?

3泊4日でカトマンズを留守にしていたら、和平交渉、まとまっていた。これに関しては、追々考えたい。

今日のところはとりあえず、写真。この場所はどこでしょう?

ここはどこ?

クリックで拡大します。

 

 

 

どこだ、ここ?

この踊りは?衣装は?

 

 

 

2枚とも、同じ場所(地域)の写真です。ナマステ!掲示板に回答をお寄せ下さい。一番最初に正解を寄せてくださった方には......

賞品は何も出ませんが、ネパール物知りとして、ちょっと、鼻が高くなります。

しばらく、失礼

あ゛〜っ、もう!という感じで、日々、いろんな出来事が起こっている。

今朝も家を出がけに、マオ派絡みの非常に身近な出来事があったりして。在ネパール日本大使館、領事部の皆さまには心より感謝申し上げています。いつもいつも助けていただき、ありがとうございます。

でまぁ、今週は、平日ブログの更新が出来ないと思う。許されたし。

元気で、安全に、楽しく仕事して暮らしていますから、ご安心を。

活き神クマリの、人権問題

ネパールの伝統か?宗教か?幼児虐待か? ←クリックされよ

成り行きを、注目。

この結果如何では、王室を「根拠」に続いてきた伝統が、雪崩をうって変化する。かもしれない。

いや、コペルニクス的変革の瀬戸際なのは、王室の方か。

ザ・タフネゴシエーター 〜5

ネパールで、少なくとも、カトマンズ首都圏では、自分の業務範囲内の<不可能を可能にしてきた>。と、ちょっとした自負のあるわたくし。

だが、こんな私の「歯が立たない」聖域が、2つだけある。ひとつは「王室」で、もひとつは「国軍」だ。

この2つの組織は、基本的に「生まれついてのネパール人以外、来るべからず」のポリシーが貫かれている。うちの亭主は記者会見に呼んでもらえても、私は絶対呼ばれない。ごく希に、外国人に来てもらいたい!種類の発表があるときは、今日だけ来てね......と云われることがなくもないけど。

私だけじゃなく、在カトマンズの外国メディア、外国人は、基本的に横並びで無視されている。インド人については、まあ、出来れば呼びたくないが、拒否するとうるさいので、黙認している感もあるが.......

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昨日、国軍の新しい「報道担当官」たる准将閣下が着任されたという事で、軍本部の将校クラブに呼ばれた。どうせラクシュマンだけでしょ。と、全然心の準備をしていなかったが、一緒に連れて行かれた。

国軍から「王立」の冠が取れてから、ゲートのチェックが紳士的になった。しかし、亭主の名札はあっても私のは「ない」。やっぱり。しかし、見上げるような大男の准将閣下は紳士的で、ささ、ご夫婦でどうぞ。ようこそいらっしゃいました。と、にこやかに招き入れられてしまった。

中にはいると、カトマンズの国内外の報道機関関係者が揃っていた。やあやあ、と、業界トーク。国軍の偉いさんも混じって

「軍も民主的、開放的になりましたから、そこんとこヨロシク」

的なムード満載。記者会見かと思ったら、ランチが用意されていた。懇親会。にこやかに軍幹部諸氏とお話ししていたが、中に、私の顔を見て、不審そうな眼差しをする人がひとりいた。そのうち、カトワル参謀総長も現れ、招待客全員と親しく話しをして回る。参謀総長も紳士的......だが、私が日本人だという事はしっかりチェックしていた。

そこで気付いた。招待客は全員、生まれついてのネパール人。外国人記者は、誰もいなかった。やはり、国軍とパシュパティ寺院は、「外人来るな!」の聖域だ。

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ビュッフェランチとなり、私もごはんをいただく。立食で美味しいネパール料理をいただき、水が飲みたいな......と思ったら、私の目の前に、水の入ったコップをトレイに乗せた給仕さんがいた。

おっ、ラッキー!と、コップを掴もうとすると、

「ダメです」

と、きっぱり拒否された。えっ?と、よくよく周りを見回すと、給仕さんは軍服姿である。国軍トップのカトワル参謀総長が食事中で、彼の皿が平らげられ次第

「閣下、お水です」

と差し出すべく、給仕兵士くんは、参謀総長の背中にびたっ!とくっついて、水を用意して立っていた。ごめん、ごめん。この成り行き、参謀総長閣下は、全然気付いてなかった。

とまあ、ガイジンはその場の空気が読めないから、呼ばないのだね。分かったよ、国軍。頑張って、民主化してよね。先は長いよね。

紳士的な広報担当准将の名刺には、携帯の番号も刷り込まれていた。いつでも連絡してくださいね。と。偉い軍人なのに、腰が低い。

いや、まあ。ヨロシクね。国軍さん。

権力に対しては、人脈は張るが「取り込まれない」。批判精神を堅持!

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