けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

2007年06月

11/22選挙

ネパール内閣は、11月22日を、制憲議会選挙と発表。

今後中央選管が、詳細な日程を検討するはず。全国統一投票で、治安維持が難しいとなれば、22日以降、全国をいくつかのブロック分けし、数日の間隔で順繰りに投票日が設定されるだろう。

マオ派は、もし今回も選挙が出来なければ、激しいムーブメントを起こすと警告。選挙の実施が簡単ではない現状であるため、マオ派が、抗議活動から共和制宣言に持ち込む「口実」が出来た。

コイララ首相は、今回は何としても選挙に持ち込む構えか?

布石、置きまくり

本日、ネパール時間の午後、制憲議会選挙日程が、ネ内閣から発表される見込み。もうすぐ閣議が始まる模様。

さて、11月後半〜12月前半か?

貴重な秋の観光シーズンは、どう影響を受けるのだろう。トレッキング等、ヒマラヤ山中に入ってしまえば大丈夫なんだろうけど(過去の経験では)、カトマンズやポカラなど、都市部の混乱が懸念される。

実際、今年晩秋に選挙が出来るのか?インド国境タライ地方の治安は、相変わらず不安定なままである。マオ派の実働部隊YCLと、マデシ系政治団体との衝突も散発している。

統一共産党ネパール党首は、6月に選挙が実施できなかったのはコイララ首相の責任。この時点で、首相辞任すべきであった。もし秋にも選挙が出来ないとしたら、その責任はコイララ首相だけにある!と、発言している。「バスが交通事故を起こしたら、その責任は運転手にある。車掌や乗客に、責任転嫁してはならない」という、比喩を使った。

今から、選挙が出来なかった場合の自己正当化に余念ない。

選挙が出来るのかどうか?いや、実施されるべきなのだが、きれいな選挙になるとは思えない。混乱はあるだろう。願わくば、選挙結果の正当性が失われるような事態にならないことを祈っている。

選挙日程が発表されれば、8政党の連立内閣も、内閣の中が選挙のライバルとなる。タガが外れるだろう。

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先日まで、エベレストマラソンはこんなに大変ですよぉ〜と、書き殴っていたが。世の中、上には上がある。サハラマラソン、こんなのもあった。今回のランナー仲間も、そういう話しをしていたなぁ.....

国境なきランナーズ。すごいサイトがあった。

過酷な体験を共有することで、国籍や言語文化を越えた友情が芽生える。これは、今回のエベレストでも深い経験が出来た。それにしても、過酷な、希に死人も出るレースなのに、主催者の態度如何でリピーターが出ること。この点も、深く納得した。フランス系の団体って、この手のクレイジー・レースの仕切りが上手いよね。

エベレストマラソン10

毎年5/29に行われる、テンジン・ヒラリー・エベレストマラソンの報告も最終回。

このマラソン、エベレスト登頂50周年の年からはじまり、今年で5回目を迎えた。ネパール人参加者には、常連さんがいるが。外国人は、私や私の回りの大会関係者が知る限り、リピーターは1人もいない。

こんなマラソン、一生一度で充分だ!

と、今回の仲間たちも云っていた。これには2つの意味がある。ひとつは、スタート地点にたどり着くまでに12日間も必要。その後の下山、自国からの移動も考えると、3週間程度の休暇が必要になる。また帰国後、しばらく、身体が元に戻るまで時間がかかる。結局、1本のマラソンのために1ヶ月を捧げなくてはならない。

こんなこと、何度も出来ないYO!というご意見。

もうひとつ。食事が貧弱。不必要な高所滞在を強いられる。レースのサポートが、高所で貧弱。途中の事故可能性があり、こんな体制のレースには二度と参加したくない!という意見。

レースが終わって身体も回復し、OB会まで起ち上がった今、「いい想い出」だけが記憶に残るプロセスが進んでいる。それでも、ひとつだけ。我々は5,000メートルを超える場所で、ゴクシェプ2泊+ベースキャンプ2泊の計4泊させられた。何故こんなに、消耗するばかりの場所で長期間留め置かれたか?

これは、ネパールのテレビ局や新聞の同行取材が、高所における我々の練習風景(主催者から、レースTシャツとゼッケン着用を指示される)を取材した後、レース当日までに、タンボチェ周辺またはナムチェまで、ネパール記者団が下山する時間を確保するためである。

ネパールの新聞、テレビで報道された「マラソンの様子」映像は、本当のレースの様子を彼らが取材したもの(今回は、パンボチェ〜ナムチェ)もある。一方、参加者たちが主催者の依頼により行った(レースと同じ格好をして行った)練習風景も、何も但し書き無く、レースの様子として紹介されている。

今回、ドイツとフランスの雑誌社の取材も入っており、これら外国メディアは実際レースに参加し、実際のレースの写真だけをリポートに使用した。記者やカメラマン自身、中には骨折や靱帯切断しながらレースを完走して、生々しい報告を送り続けた。

これに比べネパールの取材チームは、お手軽な方向に流れていたのではないだろうか。

レース参加者が高度に苦しみ食事も喉を通らないなど、過酷な様子の取材は全然行われなかった。それ以前に、ネ・メディアは我々の食堂テントにも来ない。数人への短時間のインタビューを除き、どんな人が参加しているのか、ランナーたちに話も聞かない。

ネパールのメディアの取材を見直せば、我々の高所滞在日数は確実に減らせる。レース参加者の、消耗が少なくなる。レーサーたちの高所滞在を長くしても、ネパールの新聞やテレビに露出することを優先した日程を組んでいるのは、主催者自身である。

この点だけは、主催者にしつこく伝え続けたい。

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それでもなお、エベレスト・マラソンに今回参加して本当に良かったと思う。ウルトラマラソンや、山岳トレイルランの愛好者だけでなく、ベテラン・トレッカーや山屋にとっても楽しめる。

サガルマータ

 

 

 

 

 

 

たとえ走れなくとも、休まず、どんどん歩けるなら、日没前に完走できること。今回、我が身で実証できた。高所に慣れたトレッカーの皆さん、参加できますよ。来年参加を考えるみなさまに、

1.トレッキングの手配  もし許可されるなら、ゴラクシェプまではロッジ泊まりの個人手配トレッキング。ロッジでの食事。これが、体力温存の秘訣。もしお仕着せトレッキング参加を強要されるなら、醤油、だしの素、レトルト日本食などお忘れ無く。アミノ酸系サプリも必須。

2.英会話能力必須  基本的に、全ての指示は英語。英語で聞いて・話せて・読める基本的能力が必要。ブロークン英語でも大丈夫。

3.ストック  トレッキング、そして、レース翌日のルクラまでの下山の必需品。レース中も「使って差し支えない」と主催者から云われるが、同時に「レース中使用している姿は、メディアのカメラには見せるな」とも指示された。私は、レースには使わなかった。翌日のよちよち歩き下山の時は、ストックに依存。

4.防寒  ペリチェから上、フリースだけでなくダウンジャケットも必要。またレース当日、日の出前のベースキャンプで、待ち時間のための防寒着があると良い。スタート直前に脱いで主催者が集めて持ち帰ってくれるが、紛失しても惜しくないジャージ上下など持参すると良い。

5.レース用の靴  走れる人は、マラソンやウルトラマラソン用の靴でどうぞ。歩く方が多いなら、ビブラム底のローカット・トレッキングシューズが快適。

6.レース中の水と軽食  トゥクラまでは、給水がもらえなくても大丈夫なように、1〜1.5リットル程度、ハイドレーションで背負っていると安心。この水には、クエン酸やポカリなどを混ぜておくといい。レース中盤以降は、給水所で水や甘いジュースなどふんだんに飲ませてもらえる。カロリー補給のためには、スニッカーズなどの高カロリーチョコバー。また、柑橘系の爽やか味の飴も良いのでは。ハイドレーションザックや、ウエストポーチに入れて持参しよう。

7.レース当日のウェア  走って短時間にゴールできるなら、通常のマラソン・ウェアで問題ないと思う。そうでないなら、軽量雨具の上をくくりつけてレースに臨めば、悪天に対応できる。私の場合、上半身はハイテク繊維の長袖薄手登山下着(保温繊維/胸元ジッパーで温度調節可)+規定の大会Tシャツ。Tシャツは木綿で、後半雨に濡れて非常に不愉快だった。下半身は、ワコールのCW-X タイツとジョギングトランクスを併用した。速乾性のCW−Xは、足へのサポート効果もあって非常に良かった。通常のトレッキングにも、レースでも、CW−Xは手放せないウエアである。特に寒冷高所のレースで、こむら返りも起こさなかったのは、ワコールさまのおかげ。

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えっ?来年もキミは参加するのかい?って......正直、何とも云えない。今回と同じ、鬼のような顔をして必死にガシガシ歩くなら、一度で充分。

先週から筋トレヨガを再開したので、来月あたりから、走り込みもやりたい。そして、カトマンズかポカラの普通のマラソンを走ってゴールできたら。次は、エベレストでも「走れる」=8時間台でゴールできる自信がついたら、考えてみたいと思う。

出来たら来年は、ちゃんとした取材をするため、全行程同行できたらいいな。日本からの取材班と一緒なら、仕事第一。自分だけの同行取材なら、下山は、マラソンだろうね。

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ピーちゃんと最後に、私や私たちのマラソンを支えてくれた、現場のトレッキング・スタッフのみんな。応援してくれた地元の皆さん。ネットを通じて声援下さった皆さん。そして、ネパール各地と世界に散らばる、クレイジーなマラソンランナー仲間たちに、心から感謝します。

ありがとうございました。

そしてまた、地球のどこかで、あなたと出会えますように。出来れば、平地のマラソンにしようね。ねっ、みんな......

おしまい。

王室という、しこり

子供の王様だけが、ネパール王制存続のたったひとつの方法.....という趣旨の発言について、コイララ首相自身が否定した。

曰く、8ヶ月前(昨年11月の、マオ派との和平調印以前という意味か?)までならこのチャンスはあったが、今ではもう手遅れだ。王室の存続・廃止は、国民の総意である制憲議会選挙の結果で決まる。

と、そういう趣旨の発言をしたら、間違って伝わったと云うもの。

発言の真偽の程は、まだ分からない。

ただし、マオ派や統一共産党の反応は、王室廃止は実現すべき政治的課題であり、これに逆行する発言は容認できないというもの。あくまで「国民の信を問うたうえで判断する」という、コイララ首相との発言には、温度差がある。

一方、ギャネンドラ国王支持派のタパ前内相は、王室の存続に挑戦するような発言は許せない。王室は、思った以上に強固な組織である。という趣旨の発言を行った。

遅かれ早かれ、ギャネンドラ国王とパラス皇太子の存在について。別の見方をすれば、誰が国王・皇太子であれ、ネパールに王制という「制度」や「組織」が必要なのか否か?という問題に、答えを出さなくてはならない。

そして、王制を廃止するなら、親亀・子亀で、「王制があることが大前提の」ネパールのさまざまな宗教、社会、文化、行事が、今後どのように存続されるのか、廃止するのか?という問題に直面する。

また、国王を権威として戴くことで、社会・経済的優位に立っていた個人や組織がどのような反応を示すか?このグループには、自分たちの価値と、市井のネパールの人たちの命の価値は「違う」「重さが異なる」。それが「当然」と考える考え方がある。

この勢力は現在、深く静かに潜行している。が、一旦事が起これば、先進国では考えられないような出来事を引き起こしてきた。

ネパールは近い将来、王制についての判断を下すことになるだろう。その時、私や私の家族の命が争乱に巻き込まれないかどうか?いや、たとえ何があったとしても、まあ、仕方ない。それは、変化するこの国において必要な課程なのだから。

粛々と、受け入れるしかない。

な〜んて、今から深刻になっても仕方ないんだよね。

エベレストマラソン9

辛くて辛くて、そして、超弩級の楽しさであったエベレスト・マラソン。この多国籍組参加者の「OB会メイリング・リスト」が起ち上がった。

マラソン後、覚悟を決めて結婚したのは、テキサスの飴玉野郎、デービッド。新郎はパラシュートで降り立つ結婚式の写真を、みんなに送ってきた。一方、レースで痛めた足首が、実は骨折と靱帯切断であったと判明したドイツのクレイジーやせ我慢は、ピーター。現場で、もっと痛がってよぉ。シアトルのゲリーも、膝を手術。しばらく登山はお預けになっている。栄養不足でへろへろの身体を鍛え直し、今週末、スイスの「世界で最も過酷な山岳レース」に挑むスピード・ランニング狂は、スイス在住のニルス。「スイスの主催者は、エベレスト・マラソンの過酷さを知らないね」と、メイルしてきた。ニルス、頑張れぇ〜と、世界の仲間は半ば呆れつつ応援中。

大変なトレッキングとレースであったからこそ、仲間たちの結束は固い。今後、世界各国のマラソンでの再会を誓い合っている。

ゼッケン035私はネパールを出る機会は少ないから、ポカラ・マラソンあたりに、仲間たちへの招集をかけねば。写真は、エベレストを背に、マラソンゼッケンを持つワシ。カラパタールで撮影。

さて今回、アイルランドから、全盲のレーサーが参加していた。南極や砂漠など、世界のウルトラマラソンを完走しているマーク。彼の伴走者は、ジョン。ジョンが先頭に立ち、互いの手首をストックで横につなぐ。マークは、これとは別のストックもついている。そしてジョンが、地面の様子を「前方、間隔狭い石段5段」「ガレ場を下る」「平坦な道、飛ばせるよ」などと、ずーっと喋りっぱなしで伝える。

マークは、ジョンを120%信頼して歩を進める。

平坦なマラソンコースなら兎も角、上り下り、石ころ、ガレ場、氷河と、目が見えていても転んでしまうコースである。しかしマークは強い。行きのトレッキングでは、健常者の標準コースタイムを上回るペースである。彼は普通のマラソンなら、4時間台で完走すると聞いた。

今回のレースでも、16時間27分と、健常者の下山コースタイムと同じか早いくらい。普通、これを3日程度に分けて下りてくる。それを一気に、真夜中までかかって完走する精神力は並大抵ではない。それを支えた、ジョン。加えて、ボランティアとして彼らと共に行動した(トレッキングスタッフの)カマル君と、イギリスの旅行会社から派遣のクリス。

今年で5回目を迎えたエベレスト・マラソンは、さまざまなバックグラウンドを持つ参加者が、それぞれ自分の限界に挑戦できるレースとなった。

次回は最終回として、来年、このマラソンに挑戦しようとする皆さんへの、お節介なアドバイスや情報で締めくくりたい。

もう1回だけ、つづく。

コイ爺が決めるのか、王制

コイララ首相が、王制について発言した。

憲法制定会議の前に、ギャネンドラ国王とパラス皇太子が(自発的に)退位するなら、王制の継続は認められるだろう。もしそうしなければ、選挙後の議会初日に、王制廃止が宣言されるだろう。

結局、王孫のリディネンドラ王子が即位することを示唆している。

あの、頑固なギャネンドラ親子が納得するのか?国王を戴くことで、既得権を死守しようとする勢力が黙っているのか?

それ以前に、もうすぐ5歳になる子供が王位に就けば「王制の継続は認められる」って.....誰が認めるのか?国民。マオ派。コイララ首相。それとも、インド?そこのポイントで、コイララ首相を小一時間問い詰めてみたいものだ。

カトマンズでは、アサール月(6/15〜7/16)の間に、社会に大変化が起こるという噂が流れている。クーデター?大地震?はたまた?

けぇ、がるね。

日々、何が起こるか分からないネパールである。

エベレストマラソン8

分岐鎖アミノ酸.....なるほど。筋肉が消費されていたのですね。t-runnerさん、ありがとうございました。

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さてさて、指定されたロッジに入り、既にリラックスして「てろ〜ん」となっている仲間たちと再会。みんなで握手を交わし合う。

ずぶ濡れで気持ち悪く、とにかくシャワーを浴びた。荷物がまだ届いていないので、大会支給の「完走者トラックスーツ」を着るしかない。気がつくと、みんなお揃いで着ている。全員、これしか着替えがない。

まるで、中学の部活合宿状態。(/ω\)ハズカシーィ

ロッジからカトマンズに電話すると、亭主が「えっ、本当に完走したの?えーっ、すごいじゃん」と、まだ半信半疑の様子。

夜はナムチェのクラブ、ダンフェ・カフェにてパーティーである。今日ばかりは、缶ビールの飲み放題である。これまでアルコールは御法度であったが、みんな、ビールを飲みまくり。普段お酒を飲まない私など、缶ビール1本でほろ酔い状態。

バーバパパのように巨大なデービッドがやって来て、「ミキが飴をくれたぁ〜」と云いつつ揺らいでいる。山羊肉のカレーがメインの、豪華ダルバートも出る。肉だ。肉だ。肉だ!なのだが、胃袋が小さくなってたようで、それほど食べられない。

翌朝、疲れているが、習慣で早朝に目が覚める。ロッジの朝食を摂り、朝9時頃から、ルクラに向かって下り始める。が、足、特に膝に疲労がたまっていて、ガニ股でヨチヨチ歩きになってしまう。

あれ?昨日、すごいスピードでゴールした仲間たちも、何だか変だぞ?

へろへろ歩き集団と化した我々は、昨日の健闘ぶりからは別人のごとく、てろてろ歩きで下ってゆくのだった。この日、ルクラは遠かった。パグディンでの昼食なんて、もう、みんな一度座ったら誰も立てない。2時間以上の大休止。その後、雨に降られてずぶ濡れになり、ルクラに着いたのは夕方5時過ぎだった。

実際、レースより、レース翌日の下山が大変だった。気が抜けると、全然ダメなのね。中には、前日膝や足首を負傷した人もいて、普通なら「歩けない!」と馬にでも乗って当然なのに、意地を張って歩き通した人たちもいた。

ルクラで、「オレたち、2週間前、ここから歩き始めたんだよなぁ.....」と、みんな感傷に浸っていた。あの余所余所しくて、牽制しあっていた多国籍チームが、共通の困難を乗り越え、今は、ハグハグが挨拶の仲良し集団に変わった。

それぞれの国に帰った今も、エベレストマラソンOB会メーリングリストまで起ち上がり、近況を報告しあっている。

翌日、カトマンズへの国内線はサクッ!と飛んだ。ネパール出国までの1〜2日は、宿泊場所のカトマンズ・ゲストハウスで、みんなでレースの余韻を楽しんだ。自宅に戻った私も、昼間は仲間たちと再会し、ごはんを食べたりおしゃべりしたり。

濃いマラソンだった。濃すぎた。

そうそう、今回、全盲のランナーも参加していた。彼のチャレンジと成功についても書かなきゃね。

つづく。

エベレストマラソン7

もうあと一息。シャンボチェまで登って、そしてナムチェまで駆け下ればゴールである。なのに、歩けない。へとへと。

そりゃそうだろう。朝から、全然休んでいない。飴玉を何個か口に入れたのと、水とジュースを飲んだだけ。エネルギー切れで、血糖値が低下したのだろう。それにしても、こういう時の人間の身体って「スイッチが切れたように」突然来ちゃうのね。

そうだ。そうだ。こんな時のために、ナムチェのアヌーさんにもらったスニッカーズがあったんだ。お腹が空いたらスニッカーズ!である。

アヌー・シェルパさん。1998年にテレビの仕事で、カラパタールまでの撮影行のガイドさん。これをきっかけにその後、ずーっと、家族ぐるみでお付き合いいただいている。アヌーさんの娘さん家族とも仲良しで、アヌーさんの孫たちとうちの愚息は、同じ全寮制の学校にいる。今回は偶然、スイスからの友人と一緒にトレッキングするアヌーさんと、エベレスト街道で何度も出会えた。またマラソンの実行本部は、娘さん夫婦の経営するロッジに置かれている。

ゴラクシェップで休養日、テントで昼寝して起きて、ああ、お茶でも飲みたいな..とテントのジッパーを開けたら、目の前にアヌーさんがいた。

「ミキさん。マラソンは大変だなぁ。このチョコレートを持って行くだなぁ。お腹が空いたら、食べるんだよ」

と、日本語が流ちょうで、だなぁ....が優しいアヌーさんが、にこにこ笑って手渡してくれた。

気がつくと、荷物を担いだチベット人のおじさんが、心配そうに見てくれている。彼の手に持ったこうもり傘を、「これを杖にしろ」と差し出してくれる。有り難い。でも、ここまで自力でやって来たから、最後まで頑張るわ。そうしたら今度は、手を引いてやるから....と。みんな、ものすごく優しい。でも、自力で頑張るわ。

スニッカーズを齧りつつ、とぼとぼ登る。20分くらい経っただろうか、突然身体の中に豆電球が灯った。力が、少し出てくる。ちょうど登りも終わり、これからは下り。突然小走りに下りだした私を、チベット人のおじさんは不思議そうに見送ってくれた。ありがとう。

シャンボチェ滑走路を横切り、ピンジョーロッジのところから下る。そのままゴンパの方にではなく、村の北西方向に向かう新しい道を下る。ナムチェの村が見える。もうすぐだ。ゴールは村の上部、国立公園事務所下の「チョール・キャンプ」という広場である。

最後の水平道に出た。大きなマニ石。ここを回り込むんだ。2頭のゾクピョ(牛)を追い越し、ガイドさんに教えられたコースを行こうとする。と、レース係員から「こっちから回り込むのがコースだよ」と教えられ、えっ?と一瞬躊躇したら、牛に角で突かれそうになる。ぎょ!と小走りに回り込むと.....

見えた。

見えた。

ゴールだ。

やったぁ。

ヘトヘトだったが、最後は走って、グリコのポーズで決めた!

ゴーーーール!

突然、涙が溢れてくる。この1年間。この瞬間を夢見て、トレッキングに出発するまで本当に参加できるのか不安で、レースがはじまっても完走できるのか全然自信なく。でも、やったぁ〜

ゴール地点にいたみんなが、「おおい、どこか痛いのか?そんなに辛かったのか」と、心配して集まってくれる。「うぇ〜ん、うれしくて泣いてるのよぉ。マラソン、楽しかったぁ」

10時間25分58秒。117人中、103番目。

マラソンと云うより、大いなる下山という感じのタイムだけれど、全力を出し尽くした。朝7時、氷河の上からスタートして夕方5時25分。ナムチェに着いた。

ゴールでは、カタ(チベット式のスカーフ)と完走メダルをかけてくれ、椅子に座らせてくれて、コカコーラのハーフリットル・ペットボトルをもらう。メインスポンサーのコーラさま。完走者へのご褒美。普段炭酸飲料は飲まないのだが、ごくごくごく!と飲み干した。マラソンロゴのついた、トラックスーツももらう。

さあ、ロッジに行ってシャワーを浴びて、夜はパーティーだぁ。

と、この時、マラソンはまだ終わってないことを忘れていた。何が残っているんだ?ええっ!

つづく

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ところで、マラソンに至るトレッキングでの栄養欠如のせいなのか?それとも、高所で消耗したためか?

普段は殆ど肉を食べない、食べたくない私なのですが、カトマンズ帰着後半月経つのに、未だに欠食児童のようです。日に1回は、肉や魚が食べたい。身体が要求するんです。ガツガツガツ。しかも、減った体重はそのまま。全然太れません。

そーゆーことって、あるんでしょうか?

共通テーマ/気をつけたい、ネパール雨季の病気!

ネパール在住邦人ブログを横断する、共通お題。毎月1日と15日です。今回から、不肖わたくしも参加させていただけることとなりました。宜しくお願いします。

さて、記念すべき最初のお題は、《気をつけたい、ネパール雨季の病気!》 と云うことでして.......

一生忘れない。ネパールに住みついて1年ちょっと経ったあの頃。私は雨期のカトマンズで、腸チフスに罹ってしまったのです。日本でなら法定伝染病。即刻隔離で、新聞ネタですね。高校の保健体育の教科書に

「腸チフスになると高熱で髪も抜け、最悪、腸からの出血で死亡する」

と書いてあったような記憶が。ああ、わたし、死ぬのね.....と、ほとほとと涙を流したらお医者さん+亭主に大笑いされました。ネパールにおける腸チフスは、インフルエンザ程度の病気っ!と、断定されました。もちろん入院ではなく、自宅療養です。

大人しく寝込んで数日後、今度は、台所から漂ってくるごはんが炊けるニオイが耐え難く、吐き気を催すようになりました。そして、白目が黄色くなり、お腹の皮膚まで真っ黄色。

そう。肝炎を併発してしまったのです。

肝炎......辛かったです。指を1本動かすだけで、ゼーゼーハーハー。寝返りを打つ力も湧きません。しかもネパールでは、肝炎の患者にはブドウ糖を溶かした水とパパイヤしか食べさせないのです。お腹が空いて、ひもじくて、死ぬか?と思いました。ネパール人の医者も「ここはネパール。他のものは食べてはいけない」と豪語し......

私は全身の力を振り絞り、お前は人殺しだぁ〜どこで取ったんだ、医師免許!このヤブ医者のバカ野郎〜と叫んだらコイツ、カナダですと。錯乱した私に恐れをなした亭主は、インターナショナル・クリニックっちゅー、ガイジン専門のクリニックに駆け込み。

ここで、仏のブッダ・バスネット先生。私を見るなり

「あーあ。ひもじいんでしょう。ネパールの医者はああだからね。もう安心なさい。チョコでもコーラでも、何でも食べさせてあげますからね」

「あ゛〜、びぃ〜、亭主とアホ医者が、私に何にも食べさせてくれなくて。辛くて辛くて、うぇ〜ん」

誇り高きネパール男である亭主にとって、妻が第三者の前で「ひもじいと泣く」なんて、面子丸つぶれ。バスネット先生、きっぱりと亭主に向かい

「この人はね、ガイジンなの。あなたたちの文化を無理強いしても、心細くなるだけなの。食べたいものは何でも食べさせなさい。ガイジンにはね、ネパール人の常識は拷問なのよ!」

帰り道、食べさせてくれたアイスクリーム。美味しゅうございました。田村の幕の内弁当。美味しゅうございました。めきめき、回復したでございます。

ネパールでは、過労などで抵抗力が低下しているとき、重篤な伝染病が近寄ります。疲れたら、休むこと。また、腸チフスのワクチンなど、日本では認可されていないワクチン接種も(私の場合は)有効でした。

そして、ネパール人特有の親切心で、病人にネパールの常識を強要することに耐えられなくなったら。迷わず、大騒ぎして暴れましょう。あの人たちの身体と、みなさんの身体は違うのです。第一、病人食だの、栄養食などと云うものが存在しない文化の中で、外国人が耐えるのは無理。外国人専門のクリニック、日本大使館医務官の先生などにSOSを出しましょう。

命あって、こそ。

ところでその後、在住17年目となった今では。すっかり体質が変わり、病気の時は「山羊の足の骨スープだわ」だの、アユールヴェーダの薬だ!の、ネパール人と同じ療養で効くようになりました。

第一、変な病気にも罹らない体質になりました。

でもね、パパイヤは......もう、キライっ!

 

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エベレストマラソン6

マラソンを走る人にとっては常識なのかもしれないが、今回、私が初マラソンで強く感じたこと。それは.....

ランナーにとって沿道の声援は、涙が出るほどうれしい。

ってこと。今回、すれ違うトレッカーのみなさんが、拍手で声援してくれたこと。そして、村の子供たちが手をさしのべて、「ランナーさん、握手しよう!」と、何人も云ってくれた。小さな手のぬくもりで、疲れがぱあ〜っと消えて、歩いていたのが少しだけでも走れちゃったりした。

また、ゴールに近くなればなるほど、ネパール・スポーツ委員会のマラソン委員の方たちが給水所にいてくれて、温かい声をかけて勇気づけてくれる。水やジュースも、ふんだんに飲ませてくれた。

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さて、タンボチェからプンギタンガへの下りは急である。かなり疲れた足には、特に膝に負担がかかって辛い。ここで怪我でもしたら、30勸幣紊療慘呂パーになる。慎重に下らねば......

と、必死で下っていたら、「おお、姐さん!ミキじゃないか」と声がする。見ると旧知のクライミング・シェルパさんたちではないか!「えーっ、姐さんもマラソンに参加してたのか」とビックリされ、そして、私の足並みを見て、よしっ!とばかりに、屈強のみんなが前後を固めてくれる。

「ねえ、私、早く歩けないから先に行っていいのよ」と云っても、「いや、おしゃべりしながら行こうよ」と、気遣って伴走.....というか、一緒に歩いてくれた。これは、うれしかった。下り終わったら、今度はゾクピョ(ヤクと牛の交雑種。荷物運搬に使役する)が10頭くらい連なった、荷物キャラバンが前にいる。

折からの上り坂で、牛軍団はのろのろと進む。あ゛ーっ。

「姐さん、上り坂で苦しいだろうけど、ちょっとガンバだぜ。オレたちに付いておいで」

と、シェルパ軍団に前後を固められ、牛のキャラバンに突っ込んだ。ゾクピョは、ヤクほどではないが、前方にカーブした長い角がある。これで突かれると、怖い。シェルパさんたちは手にしたストックを巧みに操り、「キョキョ!」と牛をどかせながら左右に飛んで走る。私も必死で突いていく。時々、お尻や腰を角で攻撃されそうになると、後ろのシェルパさんが「キョキョ!」と牛をドツいてくれる。

やっとの思いで、牛キャラバンを追い越した。私ひとりだったら、途方に暮れていただろう。実際、私の後ろのランナーたちは苦労したようだ。サナサまでは、嫌になるような登り返しが続く。でも、行くしかない。歯を食いしばって歩く。

と、みるみる土砂降りの雨になる。あっ。雹まで降ってきた。寒い。蝉のように小さなハイドレーション・ザックにくくりつけてあった、軽量雨具の上を着るが、全身ずぶ濡れである。泣きそうになりながら、でも、歩くしかない。

「姐さん、今日は一緒に歩けて楽しかったゼ!」

クライミング軍団は白い歯を見せて笑う。ありがとう。サナサから直接ナムチェに向かう彼らとは、途中でお別れなのだ。何故?我々のマラソンコースは、最後の試練の回り道。クムジュン、クンデ村を走破してからでないと、ナムチェに行けない設定なのだ。これは、虐めか?

いや。42.195kmのコース設定にするためなのだが、去年まではよりなだらかに、ターメ村方向の回り道だったのに......今年から、コースは酷な変更をされていた。

一歩一歩、ずぶ濡れの身体で、棒のようになった足で登る。あ゛ーーっ。と、その時。ぬ〜っとオバケが出たぁ!ぎゃーっ!!と、よく見たら、巨大な身体で高度障害のためフラフラ歩きが特徴だった、テキサス在住のイギリス人Dちゃんだった。それにしてもDちゃん。顔面蒼白で怖い。足元もふらついている。

「おーい、Dちゃん。飴食べな。飴、一緒に食べようゼ」

と、ポケットにあった飴をわたす。しばらくしたら飴で元気が出たようで、「ミキ、サンキュ〜っ」と、すごいスピードで抜かれてしまった。

その後、クムジュンの僧院、クンデの病院を回る上り坂は、きりがないくらい遠かった。そして、またクムジュンのヒラリー・スクールまでなだらかに下る。ここから、シャンボチェ滑走路までは最後の登りである。頑張ろう。

がんばろー、がんばれー自分。な・の・に、電池切れである。朝から水だけで、何も食べていなかった。既に時間は、夕方4時半過ぎ。突然、目の前が霞んでくる。倒れそう。命運、これまでか?

つづく。

エベレストマラソン5

さて、そろそろ肝心のレースについて語ろう。

我々外国人はレースの2日前。5/27に、エベレスト・ベースキャンプに集結させられる。2泊し、休養をとって.....と説明されるが、平地から来た人間が5,300メートルを超える地点で休養できるわけがない。「消耗」するばかりである。

それなのに何故、主催者がこの日程に拘るのか?

主催者と、ネパール報道機関の「馴れ合い」がその原因である。これについては、項を新たに糾弾したい。

脅威のネパール人ランナーネパール人参加者はもっとリラックスし、前日のお昼頃までに三々五々、集まってくる。

真剣に勝負に来るネパール人は、ロブチェ〜ゴラクシェプあたりで走り込み訓練をした上で来る。写真は、ゼーゼー登るオーストリアPちゃんの横を、足元軽く走り抜けるネパール人ランナー。基本的な心肺機能が、軽自動車とF1カーくらい違う。

レースの数日前の写真である。

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レース当日、我々の脳裡にあるのは「ナムチェ。肉。シャワー。暖かなロッジ」であり、そのためには、何があっても完走するしかない。

「お昼ごはんはナムチェでね。午後2時までに着いた人だけ食べられるから。そこんとこ、ヨロシク。あ゛ー、みんな、元気でね」

と、我らがトレック・リーダーのダムチェ兄さん。気力なく言い放つ。

有り難いことに天候は、ここに至るまでずっと晴れていた。朝7時ちょうど、ホイッスルと共にレースがスタートする。

ザ・氷河が、こんな氷河の上。しかも空気が薄い。薄い。どーやって走れ!っちゅーねん。あっ、ネパール人のみなさまは、飛んで走って見えなくなっちゃった。

もう仕方なく、モレーンの上までは早歩き。上に出てからは、ちょっと走ってみるも、すぐ息が上がる。歩くしかない。

私自身は、10時間台でのゴールが目標。日没前ということ。暗い中は、悲しいからね。夜7時過ぎから、ナムチェのクラブでパーティーがあるのが恒例。それまでに、シャワー浴びる時間もほしい。

最初の給水ポイント、ゴラクシェプまでは1時間10分。が、水がない。えっ?

次のポイントロブチェには、更に1時間10分かかった。ここも水がない。フランス人の女性ランナーNちゃんに、給水所にいたシェルパニおばちゃんが1リットルのミネラル・ウォーターを差し出す。Nちゃん一口飲んだら「にーーっ」と笑ったおばちゃんが

「200ルピーね」

と、手を差し出した。これをNが拒否したら、おばちゃん、ボトルを投げつけたらしい。

後で聞いた話だが、今年は水(ミネラル・ウォーター)の荷揚げが非常に少なく、上部の給水所ではレース前半で水が枯渇した。なおかつ、上部の給水所でレース参加者を世話すべきボランティアの給与を、誰かが着服した模様である。これは、主催者が悪い。こんな過酷なレースなのに、チョコレートや飴もなく、単なる水さえ出せないとは!ランナーを馬鹿にしている。

悪い予感があった私は、ハイドレーション(チューブで行動中も水が吸える水筒)を背負っていたため助かった。

トゥクラの給水所は、最初のドクター駐在ポイントでもある。ここではドクターが「水もないとは、どういうことだ!」と立ち上がり、ロッジから水を買ってくれて、ジュースも作って飲ませてくれた。地獄で仏。

ここでハイドレーションにも給水したのだが......寒さでプラスチックが収縮し、水筒のふたが噛み合わない。えい、ままよ!と出発したら水漏れで、背中からお尻までびしょ濡れ。太股の後ろまで冷たい。コースは、寒風吹きすさぶ台地。しばらくしたら乾いたものの、気分はブルー。

ここで特筆すべきは、下半身、速乾性のワコールのCW-Xサポートタイツ(足首までの長さのスタビライクス・モデル)+速乾素材のジョギングパンツだったから助かったという事。木綿素材のものであったら、冷えで筋肉が痙攣を起こしていた可能性が高い。

CW-Xは、筋肉や関節、腰までしっかりサポートしてくれる。スタート地点までのトレッキングにも欠かせないウエアであったし、特にレース日は、CW-Xなしには完走できなかったのでは?と思えるくらい、信頼できる優れもの。

みなさん、最新の科学に裏打ちされたウエアは、効きますよ!

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最高の風景

ディンボチェまでの数劼蓮⊆命燭里茲Δ弊箏覆涼罎箸覆襦ここで天然キャリフォーニャーのSと一緒になり、前になり後ろになりつつ、軽く走る。

レースでは、この道を手前から向こうに、緩やかに駆け下る。

「この大地、自然、風、わお!」とSのテンションあがり、ディンボチェ村の入り口では、コースを外れて走り始める。おーいS、見つかったら失格ダゼ!と声をかける。トゥクラから下では、要所要所に係員がいて、コースの逸脱を監視しているのだ。

レースの中間地点ショマレをお昼頃通過。パンボチェでは2回目のドクター・ポイント。甘いジュースをふんだんに飲ませてくれた。元気が出る。

タンボチェに向かう途中、ぽつぽつと雨が降り始める。デボチェからタンボチェへの登り返しは、シャクナゲの森の中。スタート地点から30辧このまま、天上まででも歩いて行けそうな恍惚感に包まれる。ランナーズハイってやつか?

僧院で有名なタンボチェに着いたときは、完全な霧雨。ここのチェックポイントからは、ナムチェの大会本部と無線が繋がっている。ゼッケン番号が伝えられ、ここからは、何かあった場合救助してもらえそうな雰囲気である。

言い換えれば、これより上で倒れていた場合、速やかなレスキューは望み薄である。

タンボチェからは、つづら折りの急な下りとなる。疲れた足には、辛いものがある。とぼとぼ歩くペースの私。ランナーも離ればなれで、みんな、孤独な中のレースはこびとなっていた。

そんな時、意外な出会いが待っていた.......

つづく。

エベレストマラソン4

さて、英語圏、ドイツ語圏、フランス語圏、日本語という多言語・他文化から寄せ集まったランナーたちが、最初から仲良く出来るわけは.....ない。

「何とかマラソン完走者」と書かれたTシャツを毎日、とっかえひっかえ着ている人もいる。そうか、マラソン完走記念にもらえるTシャツって、この業界では「勝負Tシャツ」なのね......と、認識を新たにする。

一緒に歩きながら、過去の戦歴を小出しにしつつ、相手の走歴を聞き出しつつ。それでも、トレッキングの高度が高くなるにつれ、何となく、母国語グループが仲良し化していく。

ピーちゃんと私の場合、何故かドイツ語の人たちと気があった。写真は、標高5,550メートルのカラパタールに登る途中。ドイツ人のピーターと、オーストリア人のピーター。Wピーちゃんとわたし。彼らはレースのTシャツとゼッケン着用し、コスプレ状態。

私の服装と比べ、彼らの軽装は?実はこれ、写真撮る直前に着替えて、撮ったらすぐ「寒い〜っ!」と、元の厚着に戻っていた。

ドイツ語組には、「オレは今回、140回目のマラソンなんだ!ふふん」と、威張りの効いたGちゃん。「ボクってさぁ、5,000メートル超えても、脈拍62なんだ」と、自分の心肺機能に酔いしれるHちゃん。独身中高年コンビもいい味出していた。

日の丸走行隊

今回は日本人1人だけだろうと思って参加したら、他にお二人のベテラン日本人ランナーの方がいて、大変お世話になった。向こうも、え゛っ?日本人が他にもいたの?という感じだったらしい。

お二人とも、世界を転戦する有名なアマチュア・ランナーで、マラソンについて教えていただくことばかりだった。休養日の高度順化トレーニングの時など、鉄人のお二人に誘っていただき、みっちり稽古をつけていただいた。

英語圏の人たちも、面白いヤツらがいた。「ボク、キャリフォーニャーから来たんだよ」が口癖の、天然ボケのS。美術品の収集が趣味だそうで、日本の浮世絵に詳しかった。シアトルから来た、ベテラン・クライマーのGおじさんは、高度がどうあれ行動中は半袖シャツの前を明けて、おへそを見せつつドシドシ歩く。彼はレースには不参加で、最初から、カラパタールまでのトレッキング参加。

面白かったのは、我々多国籍組全体の雰囲気として、「打倒、オランダ組!」が溢れていたこと。オランダ組は自国から、揃いのシャツやジャケットを作り、シューズもメーカーの提供品などを履いていた。ナムチェで既に体調を崩す人続出。ドクターストップで、レースに参加できなかった人もいたらしい。

その点多国籍組は頑強で、多少の頭痛があっても、みんなやせ我慢。歩くペースも全然落ちず、「オレたちって、強いよなぁ」という、集団ナルシズムに浸っていた。例えば、普通2時間はかかるタンボチェへの上り坂を、1時間でぴゅ〜っ!と駆け上がり、みんなでゲラゲラ笑ったり。よい子は、真似をしてはいけません。

天地無用BCに至るまで、誰も、高度障害で倒れなくて良かった。

そういう、型破りな、神風トレックランナーたちについて行けた。先頭集団で、いっしょにガシガシ歩けたことは、私にとって大きな自信と喜びにもなった。

写真は、4,500メートルでヒマラヤバックに、ヨーガするわし。空気が薄くて、さすがにこの後、サソリのポーズへの展開は自粛したけど。

さて、肝心のレースはどうだったのか?

つづく。

育児中...

土曜日、我が家に生後2ヶ月半の娘がやってきた。

ランの爆睡

 

 

 

 

 

 

 

白目をむき、腹を丸出しで爆睡するヤツ.....嗚呼。

結局、夜は添い寝ですわ。人間さまの布団に入ろうとする。怒る。ヤツは諦めて、布団の横で寝る。賢い子なので、トイレは1日で覚えた。

名前は、ランちゃん。ヨロシクです。

エベレストマラソン3

標高2,840メートルのルクラから歩き始め、5,364メートルのエベレスト・ベースキャンプに至るトレッキングルートは、私自身、過去3回歩いたことがあった。今度で4回目である。

パグディン毎回思うことは、高度が5,000メートルを超えると身体が消耗するばかりで、寝ても食べても、回復の度合いが非常に少ない。ヒマラヤの登山なら兎も角トレッキングの場合は、4,910メートルのロブチェ以降は「速攻」を心がけるのが得策だ。

しかし今回は、5,140メートルのゴラクシェプで2泊。ベースキャンプで2泊と、高所の滞在が長い計画となっていた。

トレッキングが始まって知ったのが、テント泊であった。テントしかないベースキャンプは仕方ないが、快適なロッジがあるエベレスト街道を、ずっと、夏山用のキャンプテント泊である。暖かなロッジと比べて、消耗度が高くなる。

加えて、「えっ?ナンダ、コレハ」と思うほど、食事が貧弱であった。朝は毎回オートミール。2週間、毎朝同じメニューというのは。また昼も夜も、米を殆ど食べさせてもらえなかった。パスタでは、力が出ないよ!メニューも、判で押したような繰り返し。タンパク質の極端に少ない食事で、参加者の多くは、疲労と体力の低下を訴えていた。

近年、ネパールのトレッキング料理は栄養豊富でバラエティーに富んできている。主催者のHimalayaExpeditions社の食事が貧弱なのか?今回のシェフが、ダメだったのか?それとも、会社がスタッフに渡す経費をケチったか?スタッフが、自分の懐に入れる金を多くしようと画策したのか?

昨年、記者チームとして同じ会社の仕切りでナムチェまで行ったときは、ロッジ泊まりで食事も豪華だった。メディアの待遇は良くて、レース参加者は冷遇する主催者の姿勢が非常に腹立たしい。敢えて云うなら、主催者が最も優遇していたのは、身内と主催者自身であった。

非常に、不愉快に、ネパール的。

だからこのレース、外国人参加者は、一度参加したら二度と戻ってこない。もちろん、2週間の時間が必要であり過酷な高所レースという側面はある。しかし、レーススタート前.....

「早くナムチェに下りて、まともなメシが食いたい!ロッジでシャワーを浴びて、ロッジで寝たい!!」

と、参加者が口々に叫んでいる状況は、異常である。

ちなみに完走者には、ご褒美として、レース終了後はテントでなくロッジに泊めてくれる。

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厳しいトレッキングであった反面、それだけに、参加者の間には、国籍と言語を越えた連帯が生まれた。

つづく。

エベレストマラソン2

今年で5回目を迎えるマラソンの外国人参加者は、タメルのカトマンズ・ゲストハウスが指定宿泊ホテル。この中庭で、主催者による説明会が行われた。私は自宅から、ちょっとドキドキしつつ向かう。

ざっと見渡すと、50人くらいの外国人。殆どは欧米人だが、中に2人の日本人男性ランナー、大森さんと石原さんもいた。お話を伺うと、日本だけでなく、世界各地のウルトラマラソンや鉄人レースなどにも参戦経験豊富な剛の者。お二人とも60代で、参加者の中で最高齢デュオとしてメディアの注目を集めることになるのだが、ご本人たちは飄々とした雰囲気でおられた。

これまで日本人ランナーの参加はなかったが、今年の大会で、一挙に3名(もうひとりは私)の日本人が来た!と、主催者が喜んでいた。ネパールでは何かに因らず、日本人が来ると喜ばれる。

外国人の半分弱は、オランダの旅行会社が主催した「マラソン・ツアー」ご一行さま。残りは、10カ国からより集まった「多国籍軍」である。マラソンのスタート地点になるエベレスト・ベースキャンプまでは、便宜上「オランダ組」と「多国籍組」で2つのグループに分けられ、別々のリーダーとキッチンチームの元、トレッキングすることとなる。

言語で分ければ、英語、ドイツ語、フランス語、オランダ語、日本語圏の参加者たちは、それぞれ何となくよそよそしい。だいたい、友だち同士2人以上で参加している様子なので、単独の私は非常に居心地悪く感じていた。

その後、トレッキングとマラソンの艱難辛苦を乗り越える中で、多国籍組の中に奇妙な連帯と、高校の部活のような友情が芽生えていくなんて.....この時は予測できなかった。

同時に、レース以上に、トレッキングで「辛い目」に遭わされることも。思いもしなかったのである。

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5月16日。カトマンズからルクラに飛ぶ日である。この日の予定は、ルクラ着後ルクラ泊.....えっ、歩かないの?主催者曰く

「いきなり歩いたら、海面より低い場所から来たオランダ人、ひっくり返っちゃうじゃない。ルクラ、標高2,840メートルだぜ」

ルクラしかしこの日、ルクラの天候不順で、空港で8時間待たされて結局フライト・キャンセルとなった。とぼとぼホテルに戻り、私はそこから自宅に戻る。「へへーん」と亭主に鼻で笑われる。

翌17日は早朝5時半に空港着。朝7時にはサクッ!とフライトが飛ぶ。ルクラに着いて、昨日の遅れを取り戻すべく、トレッキングが始まる。

魔のトレッキングが。

つづく。

エベレストマラソン1

カトマンズに戻ってきて、ほっ!として、タイミング良く再開した仕事を片付け。でも、高度5千メートルを超える場所での身体の酷使は、やはり、ダメージとして残っていたようで。いくら食べても体重が減ったり、身体が怠かったり。

見かねた亭主が、ネパール栄養補給の最終兵器!「山羊の足の骨スープ」を作ってくれて.......めーめー山羊さんの、骨のゼラチン質とコラーゲンを摂取して、やっと身体が「しゃきっ!」としつつある、今日この頃。

記憶が鮮明なうちに、エベレストマラソンの記録も書いておこう。

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そもそも何故、世界で最も標高の高いコースのマラソンに参加しようと思ったのか?マラソン、はじめてですわよ......

前年の様子第一に、前年のマラソンをゴール地点に取材に行き、参加者の溌剌とした様子を見て、こりゃ、面白そうだ!と直感した。野生のカンが、ビビッと反応した。人間、四十を過ぎたらいつ倒れるか分からない。強く感じたことは、前倒しでやってしまうに限る。(写真は、前年の入賞者たち)

第二に、エベレストBCへの街道は、過去、3回歩いていたこと。コースが、初見ではなかったこと。しかも、ゴールのナムチェには、シェルパ族の知り合い・友人が沢山いて、故郷に帰るような気持ちであること。

第三に、ここ2〜3年、常に緊張させられるような仕事が続いていたこと。ヒマラヤに入れば2週間、何があっても誰も私を呼び戻せない!ってことに、大きな魅力を感じた。

1年がかりで、出来るトレーニングをして、体重は8キロ絞った。走る練習が不足していたが、えいままよ。歩いても下りてこられる。という、山屋的な確信だけが頼りだった。

当初は「え゛ーーっ?」と、顔いっぱいに疑問が広がっていた亭主。しかし出発間際になり、私が本当に参加したいことが分かった後は、一番の支援者になってくれた。とにかく、無理するな。怪我するな。で、完走することだけを考えよ!というのが、亭主のメッセージ。後で分かったのだが、亭主は、私が完走出来るかどうか?半信半疑であったらしい。

去年12月、学校の修学旅行で(って、そーゆー学校もネパールにある)タンボチェまでトレッキングに行ってきた愚息は.......そのマラソン、ボクが走りたいと思ってたのに、何故、母さんが先に行っちゃうの?う゛ーーっ、ジェラシィ!

とまあ、我が家もユニークだ。

6月の制憲議会選挙も延期され、ニュースの仕事もやりくりが付き。いよいよ、出発前日の「外国人ランナー顔合わせの説明会」の日がやってきた。

つづく。

ゲットバック、日常

サガルマータ

 

 

 

 

 

 

エベレスト・ベースキャンプという、標高5,300メートル余り、空気中の酸素含有量、平地の約半分の場所をスタート。きっちり42.195km(またはそれ以上)になるべく遠回りして、標高3,400メートル余りのナムチェをゴールとするフルマラソン。

この、レースコースの標高として世界最高のフルマラソンを完了し、5/31カトマンズに戻ってきました。ヒマラヤでは健康体でしたが、真夏のカトマンズで、何故か、速攻で風邪をひいてしまった私です。「阿呆」という事なのですね。

普通のトレッキングとは比較できないくらい、脚と腰にも負担をかけたようです。カトマンズでのタンパク質摂取で、急速に改善しつつあります。また、トレッキング+レースでは体重が減りませんでしたが、カトマンズ帰着後、食べても食べても「あれ?」という感じの体重減。

しばらくは、自愛ですね。

昨日までは、東京からの出張者の方も居られてバタバタ。これをしっかりアテンドしてくれていた亭主殿も、今日は疲れで起き上がれない様子。夫婦揃って、日常のリズムに戻るべく、今日は調整日。

レースの報告も、ぼちぼちはじめさせて下さい。

まずは、きっちり日常に戻り、仕事をしなければ.....

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