以下、首相によるテープカット。その翌日からの一般公開に、現場で立ち会えた経験をご報告したい。
展示物の詳細については、実際訪問してのお楽しみ。ここでは、ちょっとしたトリビア系の話題や必要情報のみお伝えしたい。
博物館内の写真、ビデオ撮影は、ネパール政府考古局の特別許可を得ない限り認められていない。今回の写真は、ネパールのメディアが許可を取り、考古局職員の立ち会いの下撮影した画像の提供を受けたものである。
まあ、ゆくゆくは、この点ルーズになっていくような気がするが、現状そういうことなので。著作権者のクレジットなど、無粋だが入れさせてもらった。

2月26日のテープカットは、ダハール首相により行われた。首相はスピーチで、2001年の王宮惨殺事件の真相を、再度調査して究明したいとの所信を表明した......が、これ、単なる口先だけじゃないのかな?最近のダハールくん、本当にやる気もないことを、その場の雰囲気で「やる!」と云うから。首相の発言は、このところ、ティッシュペーパーのように軽い。
この日は閣僚や国会議員、各国大使なども来賓として招かれていた。式典の後、博物館の視察もあった。
多数のマオ派や、若干の統一共産党議員さんの顔があったが、コングレスやマデシの方たちの姿は認められなかった。
翌、2月27日からは、一般公開もはじまった。

入場料は、外国人500ルピー(約600円)、南アジア諸国連合加盟国+中国の外国人250ルピー、ネパール人100ルピー、ネパール人学生20ルピーである。ネパール国内の他の博物館と比較して、大変高価な料金といえる。
それでも初日は、開館の3時間前から入場者の列が出来ていた。大人気である。
開館時間は、午前11時から午後4時まで。冬期の3ヶ月間は、閉館が午後3時になる。火曜日水曜日と、祝祭日は閉館。
入場チケットカウンターは、それぞれ、閉館時間の1時間前に窓口閉まるので注意が必要だ。ここしばらくは沢山の人が押し寄せるであろうから、かなり早く出向いて、長時間待つ必要もある。
また、外国人団体観光客ツアーへの入場事前予約は、現状行われていない。これを実施すれば、新しいオプショナルツアーの目玉になりそうなのに。
ナラヤンヒティという地名が歴史に登場するのは、5世紀のリッチャビ王朝時代からである。19世紀以降は、有力貴族の居城があった。その後、ラナ将軍専制下であるプリトビビールビクラム王の時代、王の居城がハヌマンドカ王宮からナラヤンヒティに移った。というか、国王はラナ家の娘たちと結婚させられ、ナラヤンヒティに幽閉されていたと云うべきか?
現在の王宮は、王様クーデターで全権を握ったマヘンドラ国王(虐殺されたビレンドラ王、王制終焉のギャネンドラ王の父)時代、1969年に完成したものである。合計52室のうち、今回は19の部屋やホールだけが公開された。全ての部屋やホールは、ネパール全国の郡の名前がつけられている。
王権の象徴たる王冠など、宝物の公開も今後、警備体制を強化した後、段階的に行われる予定である。

建物としてのハイライトは、玉座が置かれたゴルカ大広間ではないだろうか。
玉座の脇には、王族だけのための椅子が並ぶ。ここで行われる儀式の際は、国王以下、全員正装が義務づけられていた。

広間の向こう、玉座の対面一段低くなった位置には、閣僚などが臨席する部屋が続く。そのまた向こうには、玉座側からは鏡になっていて、反対側からだけ見えるマジックミラーで仕切られた小部屋まである。ここからは、お付きの人たちなどが、王室の公式行事を眺めたという。
銀の玉座と、巨大なシャンデリアに目を奪われる。ここでネパール・フリークとしては、玉座の上の天井画に注目すべきであろう。

ヒンズー教の、力の女神たちの姿が描かれている。
シャハ王家の守り神は、力の象徴を殺戮の姿で表すカーリー女神だ。ビシュヌ神の生まれ変わりと云われた国王の神秘の源は、女性原理であったと云う事。国王の頭上に位置する、この、おどろおどろしい女神たちの姿が証拠である。
この後は、ちょっと意外な感じもする国王夫妻の寝室も見学できる。その様子は、是非、自分の目で感じていただきたい。
この博物館には、合計で28人の公式ガイドさんがいる。その中の4人は、英語にも堪能。全て元、王宮の職員であった人たちだ。王室のすぐ近くで長年働いてきた経験あるので、王宮の生き字引である。
見学者はグループごとに、ガイドさんが引率した形でのみ見学できる。なお、ガイド料金は入場料に含まれている。
視覚のお腹いっぱい感を抱いて、王宮見学は終わる。王宮を出て、ガーデンの見学に移ると、あれ?

和風の石灯籠なんかもある。皇太子時代、東大に学んだ故ビレンドラ王の趣味か?
そして、王宮見学のもう一つのハイライト。2001年の王室惨殺事件現場である、トリブバン・サダン建物跡に入る。現場の様子自体は、ここで報告するのは興ざめなので控えるが.....

この池の横で、頭部を打ち抜かれたディペンドラ皇太子(当時)が発見された。このあたりの柱や外壁をよく観察すると、今も銃痕が至るところにある。事件当夜、どれほど多くの発砲があったか想像できるだろう。
観光客の皆さんは、ネパールに来たときが行き時である。ネパール在住であれば、現在はものすごい人であるので、しばらくして落ち着いてからの見学がいいかもしれない。自分はもう見たから、こういう発言になるのかな?
数ヶ月後には、もっと多くの部屋や、宝物の展示も始まる筈だ。それを待つのも方法だろう。
ごみごみした大都会カトマンズのど真ん中にありながら、広く、(今のところ)清潔で、くつろげる広いガーデンもある。この広大な敷地と、掃除に手間のかかりそうな装飾だらけの建物の維持管理は、今後の大きな課題であろう。ゆくゆく、煤けてくるか?今のレベルを保てるか?きれいな時期を見るなら、急いだ方がいいかもしれない。
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王宮の公開直前からギャネンドラ元国王一家は、親族の結婚式出席のためインドに行っている。単なる偶然かもしれないし、敢えてこの時期、ネパールに居たくなかったのかもしれない。インドでは、政治家多数との会談も予定されているという。
国王の地位を追われ、政治家としての再出発という「目」も、ないことはない。彼と一族の、王弟時代からの裕福な実業家としての財産を守るためにも、政治力が必要だろう。そうじゃなければ、早晩、ネパール国内の財産は剥かれる可能性がある。
ネパールは、失敗しても再起できる社会だからね。
強い人だけは、再起できる。
それって、いいことだけなのかなぁ?
弱い立場の人は、浮かび上がれないんだよね。