けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

2010年04月

メーデー、そしてゼネストか?

明日は、世界各国でメーデー。ネパールも。

新憲法作成が頓挫しつつある事を原因として、現内閣の総辞職と、マオ派総書記であるダハール氏の首班による挙国一致内閣を求める統一ネパール共産党・毛沢東主義派(マオ派)は、全国から数十万人規模の活動家をカトマンズに集結させている。政府筋の予測では、30万〜40万人。マオ派の前宣伝によれば50万人以上。

この巨大な動員を背景に、5/1は大集会。5/2からは大規模な街頭抗議行動を伴うゼネストを行うようである。

政府側は、マオ派の活動が暴力的なものになることを懸念し、今回は警察や機動隊だけでなく、国軍に対する治安発動も躊躇しない。空港などの主要施設や要人の自宅警護に国軍を動員することを決定している。

手榴弾やナイフなどを携行したマオ派活動家が逮捕されたり、カトマンズ市内から大量の火焔瓶の材料が押収される出来事も続いている。

明日、明後日以降、何が起こるのか?起こらないのか?全く予想がつかない。何も起こらないことを祈っているが、明るい話や噂は聞こえてこない。

CNNの取材チームは、既にカトマンズに到着している。BBCも、警戒中。 

この世の花

日本ではゴールデンウィークの頃、カトマンズではジャカランダの木が紫色の花で満開になる。市内中心部だけでなく、郊外周回道路(リングロード)にも並木がある。

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この時期、リングロードの自転車通勤で、ジャカランダの並木を通り過ぎるのが楽しみだ。路肩に自転車を止めて、写真を撮ってみた。しかし、さっきまで、自転車を漕ぎながら見ていた、左右に続く紫色の並木ほど綺麗に撮れない。また自転車に乗ってみると、素晴らしい景色だ。

どうやらこの風景は、幹線道路の真ん中から見るのが一番のようだ。埃まみれになりつつ、自転車に乗っているからこそ見える風景。バイクじゃ速すぎて楽しめないし。

最近、全てのことが中途半端で、自分で自分にイライラする毎日が続いていた。このブログについても、あまり正直なことを書く気が起きない。まあ、そういう時期もある。生きていれば大変な時期もあるし、生きているからこそ、桜の花見は出来なくたって、ジャカランダの花見も出来たしね。今年も。


今日は、ネパール・ヒマラヤにおける気候変動と氷河湖。ヒマラヤの地域開発についての記者会見に参加していた。ただし取材ではなく、通訳として。

氷河湖は、標高4千〜5千メートルという高地にあるし、そこに至る道は険しいことも多い。ネパール政府の特別許可がないと行けない制限地域であることもある。普通の人であれば、大変な思いをしないとたどり着けないし、(チャーターヘリでも使わない限り)半月ほどの期間とそれなりの費用や準備も必要だ。 

だから、カトマンズの、ネパール人ジャーナリストの中で、実際に自分の目で氷河湖を見たことのある人は非常に少ない。データや数字や印象を伝えても、その大きさや、存在の恐怖感を理解してもらえない。

決壊すれば、死にますよ。そこにいたら.....ってこと。

一度でいい。自分の足で歩いてたどり着いて、見てくれりゃあ理解してくれるんだろうけど。今回も自分のコミュニケーション能力に、がっくり、絶望。

まあ、いいや。そういう日もある。

ビクラム暦2067年祝祭日一覧

お待たせしました。ネパール政府公式カレンダーで確認した、今年の祝祭日一覧をアップしました。

ネパールの空の下 http://japanepal.com/ にて、ビ暦2067年祝祭日 をクリック下さい。

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因みに この政府公式カレンダー、毎年時の政権マンセー!な写真がてんこ盛りの大判である。2ヶ月1枚で、合計6枚。今回の写真は.....

インドのパティル大統領と会談する、ネパールのヤダブ大統領
道路の着工式で、スコップやツルハシを握る閣僚とグルン軍参謀長
ネパールに棲む、野生の虎
昨年12月、エベレストの麓で開かれた閣議
ネパール観光年2011決起集会での首相と閣僚
ネパールの国花ラリグラス(真っ赤なシャクナゲ)の咲く森

前の年は、マオ派のダハール首相マンセー!版であり、多分今年の途中、「そういえば、前はネパールさんが首相だったなぁ」と、生温かく思い出す縁(よすが)になりそうだ。 

パスポートの怪

ネパールの機械読み取り式パスポート発行を、インド政府のセキュリティ・プレスに発注するというネパール政府決定は、議会、野党、市民だけでなく、与党内からも反対の声が高くなり。昨日の閣議で、インドへの発注をキャンセルし、新たに国際入札を行うこととなった。

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現行のネパール・パスポート。記載ページは 手書き であり、写真も貼り付け。

入札を無視して、インドへの任意契約に政府が固執したこと。パスポート発行に伴う個人情報が、外交旅券まで含めて隣国に流れてしまうという安全保障上の問題。などが争点であった。

担当閣僚である、スジャータ・コイララ外相の鉄仮面が批判されること多かったが(彼女は、普段の言動の問題もあり)、ある確かな筋の情報では、コイララ外相より、ネパール首相がインド政府機関によるネパール・パスポート発行に固執していたらしい。

インド政府の支持を背景に、何とか首がつながっているというネパール首相と、インド政府の間に何かがあったと推測することが出来る。同じく、昨日この問題を話し合う閣議を欠席したコイララ外相とインド政府の関係も、以前からの言動を併せると、何か臭う。

さて、機械読み取りパスポートの発行システムを、なぜ自国に導入しないのだ?という疑問が出て当然だし。国際機関であるICAOの勧告は数年前から分かっていたはずなのに、なぜ準備しなかったのか?というのが、当然の意見だと思う。が、ぎりぎりになるまで準備をしない国。ネパール。

数年のうちには、自国にシステム導入する計画でいる模様だし、以前から、紙幣の印刷を外国の印刷局に発注し続けているネパールであるから、今回も。と、タカをくくっていたのではないだろうか。

世界では、機械読み取りから、ICパスポートがスタンダードになりつつある今。ネパールのパスポートは、周回どころか、2周回遅れの迷走を続けている。

ネパールの人たちの暖かさと強さを愛し、愛されている幸せな自分であるが......日本国籍でラッキーだった!と、カトマンズの日本大使館発行のICパスポートを手に、しみじみ感じ入ってしまう。ネパール人の配偶者たる自分は、自発的に希望すれば、ネパール国籍に帰化することは難しくない。そうすれば、ネパールでの法的立場は強くなれる。

しかしこれには、日本国籍の離脱が必要だ。将来もネパールに住み続ける予定の自分であるが、国籍は、日本から離れられない。短期滞在であれば、世界の多くの国から「ビザ免除」の恩恵を受けている、日本国籍。ビザ申請が必要であっても、日本国籍なら、難しくなく「はい、どうぞ」と発行してもらえる、日本国籍のブランド力。ネパールで、ネパール国籍の家族と暮らしていると、その差を実感させられる。

民族的、宗教的、政治的に、全体としてここまで「安全パイ」と認識される日本のような国家は、良くも悪くも、非常に少ない。

「いいとこ取り」であるが、許してほしい。

ネパールのことを語りながら、自国の立場に着陸してしまった。

エベレストの標高、灰色の決着


たかが山の標高と云うなかれ。

ユーラシア大陸で拡大主義政策をとる中華人民共和国政府にとって、自国が主張する標高をネパール政府に承認させることは、エベレストという山の(ネパール側におけるサガルマータの)珠穆朗瑪(チョモランマ)化の第一歩であり、これは、ネパールに対する中華人民共和国の影響力増大のきっかけともなる。

一方、警戒心薄く中華人民共和国の浸透政策を歓迎する感のあるネパール政府にとっても、世界が注目するエベレストの領土問題については意地を見せたようだ。

この点、インド共和国の政治的影響については過敏に反応するネパールは、インドとの国境問題では「ぐずぐず」にやられっぱなしであるのに対し、ネパール側の警戒心が薄い北の隣国に対しては、逆のリアクションなのが興味深い。

国境線の学術的裏付けを担当するネパール政府測量局からは過去、エベレストの最高地点はネパール側にあるとの雑誌記事さえ出たこともあり、サムライ精神があるようだ。この記事、某山岳団体の機関誌であったため、世間の注目は集めなかったが。

エベレストについては、その名前自体にもドラマがある。

大英帝国植民地のインド時代、この山の標高を測量したインド測量局の元局長サー・ジョージ・エベレスト氏に因んで、1865命名された。その後、ネパールのマヘンドラ国王(在位 1955〜1972)時代、中国を訪れた国王に周恩来首相(要確認)は 「我々はあの山に珠穆朗瑪という名前を持っていますが、ネパールには名前がないでしょう」 と、領土問題に発展しかねない発言を投げてきた。名前がない、イコール、では、あの山全体が中華人民共和国の影響下にある訳ですな.....と云う事だ。これに対処するため、国王の知恵袋であった歴史学者バブラム・アチャリヤが、サンスクリット語で「世界の頭」を意味するサガルマータ Sagarmatha というネパール名を考案していたという。

チベット語のチョモランマを中国語表記した珠穆朗瑪と比べ、サガルマータというネパール名が世界的に今ひとつ通用しない背景には、中国とネパールの国力の差がある。そして、サガルマータという名前が、地元の文化ではなく、中央の権力者の文化に根ざして命名されたがある。

が、しかし、その当時の国際政治力学とネパールの国情において、現代の我々が完全否定できない状況があったことも事実である。

ネパール側に人間にとっては、これからもこのエベレストであり、サガルマータである山の標高は、今まで通り8,848メートルと主張することが出来る......んだよね。氷雪部分を含めて。

アンナプルナ山岳耐久レース、4

普通、ネパールのトレッキングでは、日没後行動することはない。

しかし、グスターボと私は下山せねばならない。何故なら、「普通じゃない」山岳耐久レースに参加してしまったから。

ゴレパニからウレリトップまでは、真っ暗闇の広がる深い樹林帯が続く。今にも物の怪が出てきそうな闇を、ライトで照らしてコースを探す。これ、ひとりだったら、絶対怖くて足が進まない。

帰路も、夜中にもかかわらず、チェックポストのほとんどに係員が残っていてくれて励まされた。実にありがたかった。大会関係者の方も、最終ランナーである我々が単独行動をせず、二人で、足は遅いものの元気な様子であることに安心してくれた様子だった。

ウレリで尾根筋に出たら、今度月明かりだ。ヘッドランプを消しても大丈夫。墨絵のような幽玄世界の中、グスといろんな話をしながら下る、下る。

彼は日本円にすると億〜数十億単位のお金を転がしている銀行マンで、普段の生活は緊張とストレスに溢れているそうだ。だから、時々、今まで行ったことのない国のウルトラレースに参加して、心と体をリフレッシュさせているのだった。

「こんな凄いレースだと分かっていたら、絶対来なかったよ。でもさぁ、内容を全然調べずに来てみて、ラッキーだった。だって、こんなクレイジーで素敵な体験できるなんて。一生忘れられないね」

「資産運用の仕事は、緻密に調査したり分析したりしてるよね」

「もちろんさ。でも、経済の世界は突然風向きが変わることもある。そんなときは、どんなに苦労して準備していてもそれを忘れて、まったく逆の流れに飛び込むことを躊躇しないんだ。要は、過去に囚われすぎないことなんだよ」

レース前日はじめて出会ったとは信じられないくらい、お互い、心から信頼できる走友だと思えた。

スダメについて、後はほぼ平坦な道を川に沿って5km進めばゴールなのに、何故か、全然ビレタンティがやって来ない。頭の中に、365歩のマーチが流れる。狐にでもダマされて、同じ場所をぐるぐる回らされてるんじゃないだろうか?と、ほとほと嫌になった頃、前方に村の明かりが見えてきた。

ビレタンティだ!

ロッジの並ぶ石畳の道がはじまって、二人で走り出して、角を曲がったら.....ビデオカメラのライトに迎えられた。亭主がカメラを構えている。ありがとう!もう少し。

「グスちゃん、あなた先に行きなさい」

「ミキ、何を云ってるんだよ。一緒にゴールさ」

手を繋いで、二人一緒に、軽やかにゴールゲートを抜けた。

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真夜中、24時17分。17時間47分に及ぶ、長い長い71kmのフィナーレだった。

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翌日は、午前中からポカラのホテル・バラヒで表彰式となった。揃いの大会ポロシャツを着た完走者全員に、メダルと記録証が授与された。

男性は1〜5位まで。女性は1位2位には、立派なトロフィーまで用意されていて感激した。男性陣上位入賞者は全員、ネパール国軍所属のアスリートたちだ。優勝者のタイムは7時間30分ちょうど。驚異だ!

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女性1位のモイラは、私より5時間半以上速い12時間14分でゴールしていた。不肖私など、ただ単に完走しただけなのだが.....これまでこのレースでは、女性の完走者が出ていなかった+ネパール女性の参加者さえいなかったこともあって、

「半分ネパール人のあなたが完走したことに、大きな意味がある」

と、主催者から温かな声をかけてもらった。

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ネパール人には7人の途中棄権者が出たものの、外国人は全員完走。外国人トップのロジャー(パタン、サミットホテル)は、10時間28分という好記録だった。

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36kmオープン部門では、北村ゆかりさんが7時間30分で、笑顔の完走を果たしていることも報告したい。

「村の人たちからの、心温まる応援がうれしかった。次の機会には是非、もっと長い距離に挑戦したい!」

と、頼もしいコメントをいただいた。

今回、こんな「あんまりな」レースに日本から参加下さったゆかりさん。そしてゆかりさんと私をバックアップしてくださった、バンコク日本人会走遊会のみなさんにも、心から感謝したい。

ありがとうございました。


この手のアドベンチャーレースではよくあることだが、深くて厳しい体験を共有した参加者たちは、タイムに関係なく仲間になれる。しみじみと、心が温かくなった。

大会主催者、特に組織委員長のラメシュ・バッタチャンさんとロジャーとはカトマンズでもミーティングをもち、来年、もっともっと多くの外国人にも参加してもらえる大会運営のため、1年かけてコースの設定からロジまで、練り上げようと話し合っている。ワンマンで、何でも自分でやらないと気が済まないタイプのラメシュさんだが、ロジャーをはじめとする経験豊かなトレイルランナーとの連携で、大会がより大きなものになることを感じてくれた様子である。私も、うれしかった。

私は、速いランナーではなく、もっともっと「強い」人間になって、アンナプルナ山岳耐久レース完走者だと胸を張れる自分になりたいと思った。


エベレスト街道でのフルマラソンは、世界的にも有名になった。しかし、それ以外の地域でも、もっと過酷な山岳レースがあることを思い知った。ネパール・ヒマラヤは登山やトレッキングだけでなく、トレイルランニングの舞台としても世界に誇れるものである。

トレッキング+α の観光パッケージとしても、有望だと思う。何故なら、この種の遊びは鉄人じゃなくても参加できることを、我が身で証明出来たから。

私は4年前まで、体重70kgを越えるメタボおばさんだった。3年前まで、走ることなんて大嫌いだった。そんな私が、大気汚染と、剥がれた舗装と、吠えかかってくる犬と、絶対道を譲らずふらふら歩く歩行者満載なカトマンズで、孤独にトコトコ。身体を動かすことを習慣にすることで、新しい世界に足を踏み入れることが出来た。

歩くことしか考えなかったトレイルで、ちょっとだけ、走ってみよう。

スピードが違えば、見える世界も違ってくる。

ヒマラヤは奥深く、まだまだ、いろんな魅力を隠し持っている。 

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このレースの模様は、4月22日発売の ランナーズ6月号 誌上でも報告します。今回このブログで使ったのとは違う写真と、切り口の記事になっています。もし宜しければ、併せてご覧下さい。

アンナプルナ山岳耐久レース、3

さて、ビレタンティからは片道距離20kmで、標高差2,140メートルを駆け上る。アンナプルナ山群やダウラギリ・ヒマラヤの展望台として有名なプーンヒルを折り返し、同じ道を下って、ビレタンティにゴールする。

普通、ポカラからナヤプル−ビレタンティまでは車で移動して、ここからこのコースを往復トレッキングするとすれば3日半の行程だ。もしポカラから歩くとすれば、5日間だろう。これを一気に終わらせちゃおう!と云うわけで、トレッカーから見れば「アンビリーバボー!!」だ。

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(c) Rob Spencer

もっと信じがたいのは、ネパール人エリートランナーたちの走り方。転げ落ちそうな下り坂でも、足元は見ていない。顔は真っ直ぐ、進行方向数メートル先を見定めて、鳥が飛ぶように軽やかに走り去っていった。

私の他、たった一人の女性71km参加者であるアイルランドのモイラはヨーロッパ女性としては小柄な体躯と逞しい太ももで、ガシガシ走り下っていた。よし、自分も完走して、女性2位を目指そう。

私は過去、このトレッキングコースを2度歩いたのだが、嫌な思い出しかない。

20代の頃、朝ビレタンティをスタートして、一日でプーンヒル手前のゴレパニまで登った。ロッジに到着する1時間ほど手前の樹林帯で、足がつって痙攣を起こして酷い目にあった。その次は10年ほど前。某旅行会社のトレッキングリーダーとして行ったとき。ゆっくり、2日間に分けて登ったにもかかわらず、お客さんが次々ダウン。

今回倒れるとすれば、それは自分だ。

上り坂の核心部が終わるウレリ・トップに、午後3時までに到着のことという制限時間も、レース前日突然発表されていた。私が到着したのは、午後2時45分。

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(c) Rob Spencer

給食のラーメンを食べていたら、3時ちょうどにコロンビア人投資アドバイザー、グスターボがやってきた。彼はチュニジアのサハラで開催されるウルトラ・マラソンなど歴戦の強者なのだが、山岳レースははじめてとのこと。年を聞いたら、私より一回りも若い青年だった。

「オレ、弱くなっちゃったの?それともキミはスーパーウーマンなわけ?」

このまま先を進めば、下りは確実に日没後になる。聞けば、ヘッドランプも懐中電灯も持っていないという。私は自分の強力ライトの他、念のためにもう一個、ポケットライトも持っている。

「よし、ここからは一緒に行こう。二人で最終完走者になろう」

と、美しき(?)談合成立。私としては、真っ暗な森林帯を一人で下るのは心細いしね。

彼も私も、パワージェルやパワーバーを食べ続けていたので、お脳や血液には栄養が足りていた。しかし、胃袋には全然溜まらない流動食である。胃の空腹感に絶えきれず、バンタンティのエイドでは、ロッジの家族が自分たちのために茹でていたジャガイモをもらってかぶりついた。

ウルトラレースでは、胃袋のケアも大切であることを実感した。

トレッキングロッジの建ち並ぶゴレパニを経て、プーンヒルまで最後の坂を登る。真っ赤やピンクのシャクナゲが満開だ。

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(c) Gustavo Carvajal

ここで、世界記録おじさん。オランダのヨーゼフが青い顔をしてふらふら下ってきたのにすれ違う。話を聞くと、どうやら高度障害らしい。海抜ゼロメートルに住む人だし、山岳レースははじめてだそうだ。

途中棄権を考えたが、どうせまた歩いて下るしか方法がないわけで、気を取り直してプーンヒルまで登ったという。レース最後尾を担当するロブが、ヨーゼフを連れて下ることになった。これでグスターボと私は、ますます、一致協力して二人で下りきる必要性に迫られた。

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(c) Gustavo Carvajal

プーンヒルに到着したのは、日没直前。どうせここまで来たんだから!と、鋼鉄製の展望台の上にも登った。急に風が強くなり、体感気温が下がる。グスターボがぶるぶる震えだし、唇は紫色。陽のあるうちに、急いでゴレパニに下った。

ここのエイドステーションでもあるロッジのダイニングでは、薪ストーブが燃え、信じられないほど温かだった。ここで熱々のスープをもらい、二人ともヘッドランプを装着し、

「よし、下ろう!」

と気合いを入れるも、先は絶望的に長い。外は真っ暗。さて、どうなるんだ?自分たち。大丈夫なのか?

つづく

アンナプルナ山岳耐久レース、2

レース前日の午後、オフィシャルホテルであるバラヒで参加者の登録がはじまった。

小柄だが、引き締まった体つきのネパール人ランナー。「ボク、地元です」という感じの、朴訥な青年たち。「トレーニングしてないけど、イケルぜ、オレ」という雰囲気を漂わせる挑発のにいにいたち。

外国人はイギリス、オランダ、そして遠くは中南米コロンビア出身で、現在マイアミの大銀行で資産運用アドバイザーとして辣腕をふるっているという謎のウルトラ・ランナーまで。合計で10人いた。うち女性は4人で、どこから見ても高速山岳ランナーに見えるアイルランドのモイラと、ウルトラ・マラソン(フルマラソン以上の距離)初挑戦の私が71kmに挑戦。バンコク在住の日本人女性ゆかりさんは、半分の36km部門に参加。ロジャー夫人で、元スイマーのマルヤンはビレタンティまでの31kmをゆっくり歩いて楽しむという。

外国人男性6人は、全員71kmだ。銀髪、長身で痩身のヨーゼフは、オランダを代表するシニア・ランナーだ。55歳以上の6時間長距離走で、世界記録保持者でもある。

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登録用紙のとりまとめはアシスタントに任せているものの、参加費用の徴収からゼッケンの手配。ブリーフィングの司会、ネパール語/英語の通訳、コースの説明まで、運営委員長のラメシュさんがひとりで担当している。う〜ん。ワンマンショー。

日没直前、突風が吹いたと思ったら激しい雷雨。明日のレース中、こんな天気になったら厳しいなぁ.....と、積乱雲のような不安が心に巻き起こるのだが。ここまで来たら、何を心配しても手遅れだ。

3月27日の早朝6時半。ホイッスルと共に、時間通りにレースはスタートした。

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朝に弱い私は「ぼーっ」とした頭で、「何でこんなことしてるんだろう?自分のバカぁぁぁぁぁ」と思いつつ、ゆっくりスタートした。

コースは3kmほど、湖畔のロードを走る。そして、標高差800メートル弱のトレイルを一気に登って、ポカラ近郊のヒマラヤ展望台サランコットに至る。ネパール人ランナーたちは、ロードを走る勢いそのままで駆け上っていく。私はもちろん、早歩き程度にスピードを落とした。持参のダブルストックも使いながら。

withJo
(c) Jo Schoonbroodt

ナガルコットからノウダラまでは、自動車道路と併走するトレイルが続く。村と村を結ぶ道で、水牛が水浴びする貯水池を見て、大昔、某旅行会社のトレッキングリーダとしてお客さんたちと歩いたルートであることを思い出す。

イギリスのフィットネストレーナーであり、ウルトラ・ランナーでもあり、今回は参加者の最後尾を走る「お助けマン」の役割を引き受けていたロブから、

「ミキ、先は長い。飛ばすな。歩きを交えるんだ」

と声がかかる。はい。そうします。と、上り坂ではさっくり早歩きに切り替える。20km地点のノウダラまでは、あっさり到着。

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しかしその後、ほとんど車道を走ってルムレに至る道は遠かった。途中何カ所か、車道と村を結ぶトレイルの分岐点では、どちらがコースなのか分からない。村の人たちに「ランナーたちはどっちに行きましたか?」と尋ねつつ前進したが、心配で、実際の距離よりずっと長く感じた。「コースアウトしたんじゃなかろうか?」と思った頃やっと、ルムレの給水ポイントが見えた。

ここで食べさせてもらったスープは、コンソメを溶いただけでなく、野菜も入れて丁寧に作った味で美味しかった。持参のブドウ糖パウダーも水に溶いて、ごくごく。ごっくん。

リフレッシュして、チャンドラコットに向かう。確か大昔、車道がノウダラまでしかなかった頃、1泊目はチャンドラコットだったよなぁ。と、昔のトレッキングを思い出す。

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車道がナヤプル−ビレタンティまで延びた後は、トレッキングコースから外れたチャンドラコットは、静かな村だった。石畳の上を走っていたら、車で先回りした亭主がカメラを構えて待ってくれていた。

ありがとう。

ここからはモディ・コーラ川に向かって、標高差500メートル以上を駆け下る。昔は立派な石段が続いていた記憶があるが、トレッカーの通らない今は落ち葉が暑く降り積もり、石積みが壊れた場所は放置されたままだった。

突然出没した、ゼッケンをつけたランナーたちに、村人は驚いた様子だった。「ビレタンティはこっちですよねぇ」と尋ねつつ、脚を進めた。ネパール語がしゃべれて、助かった。

71km参加者の中では、どう見ても途中棄権しそうな長髪のネパール人坊やたちを除けば最後尾であるはずの私だったが、コロンビア人のグスターボに追いつき、追い抜いた。

予定では午前11時に通過するはずだったビレタンティに着いたのは、11時40分頃。ここで先送りしていた荷物を受け取り、シューズをロード用からトレイル用に履き替えた。慌ただしくヌードルスープの給食をいただき、持参のブドウ糖を水に溶かして飲み、再スタートを切ったのは正午ちょうど。

レース31km地点のビレタンティまでは、コース料理に例えれば、前菜とスープ。魚料理のメインディッシュ、口直しのシャーベット、こってり肉料理のメイン、ガツンと重いたっぷりデザートとダブルエスプレッソというお楽しみは、実はここからはじまるのである。

先は長くて、絶望的なまでに厳しいのだった......

つづく。

アンナプルナ山岳耐久レース、1

サランコットの手前にて、ポカラの象徴フェワ湖を眼下に喜色満面だが。3月27日に行われたアンナプルナ山岳耐久レースは、この後、超弩級の展開となった。

withJo
(c) Jo Schoonbroodt

一緒に写っているのは、55歳以上の6時間長距離走世界記録保持者で、ヨーロッパを代表するベテラン・ウルトラランナーである、オランダのヨーゼフさん。

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思い起こせば去年の秋。週末恒例のハッシュランニングで、ひとりのオランダ人と知り合った。彼の名はロジャー・ヘンケ。パタン市内のホテル、サミットの支配人。

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私がネパールの英文紙に書いたヒマラヤでのランニング記事を読んでくれていたようで、携帯の番号を交換した。そうしたら、会おう、会おうと連絡が入る、入る。何でも、ポカラを起点とする山岳レースを計画しているそうで。聞くと、去年までは山岳100kmレースとして実施され、ほとんど完走者の出ない過酷なレースであるそう。

「あ゛〜、私に云ってもダメ、ダメ」

と逃げ回っていたものの、おじさん、誠実にしつこい。今年1月、今回はコースをトレイルを多くして、71kmに変更して実施すること。日没後は、エスコート要員をつけてくけることなど、口説かれ続け......不肖私、身の程知らずにも陥落してしまった。

しかし、それでも不安だったのは、

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このおじさん。

これまで3回、クレイジーなウルトラ山岳レースを決行し続けてきた男。ポカラ在住の元英軍グルカ部隊オフィサー、ラメシュ・バッタチャン!むやみにエネルギーに溢れたおやぢで、本当にこの人を信用して、この人の仕切りに飛び込んでいってもいいんだろうか?まあ、あの、誠実な骨皮筋右衛門ロジャーが信頼している人物だから、良しと思うしかない。

遠隔地会員としてお世話になっている、バンコク日本人会走遊会からも、私より20歳も若いゆかりさんが、半分の行程である36km部門に参加を表明してくれた。レースの2日前、ゆかりさん、亭主、私の3人は陸路ポカラに到着。ラメシュさんが予約してくれていた、フェワ湖半のホテル・バラヒ*に到着。チェックインをしたところ......

目の回りに、歌舞伎の隈取りのような奇っ怪な化粧をした女性マネージャーからひとこと。

「お部屋はありません。ラメシュさんの予約ミスですね。こちらで、近くのホテルを手配しますからお待ち下さい」

え゛っ?と、ラメシュさんに電話したら、今度はホテルの落ち度だと云う。結局ランナーの半分はバラヒの斡旋で、この近くの、ずっとクラスの落ちるゲストハウスに落ち着いた。無理して押しとどめていたネパール側主催者に対する漠然とした不安が、むくむくと膨らんでいった。

つづく


* その後の状況から考えて、やはりホテル側対応に不信感が残る。ホテル内の情報共有が不十分で、最後まで気持ちよくできなかった。私自身今後、ホテル・バラヒに近づくことはないと思うし、来年以降の当イベントは、別のホテルを使うことになった。
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