2011年01月

レース前日、コンケーン大学体育館での登録風景

今年から、「50〜54歳」女子カテゴリーですっ!
レースは、1月23日(日)早朝5時15分のスタート。まだ真っ暗な中、タイのマラソン特有の緊張感ない「ぷぉ〜ん」というサイレンが鳴り響き、走り出した。



すぐに回復!? バンコク日本人会・走遊会のみなさんと

合計3回、3ヶ所での身元照会のあと、トロフィーと賞金5,500バーツをいただきました。

賞金はちゃんと、タイ国税金天引きとなっていた。
*-------*-------*-------**-------*-------*-------*

レース後、バンコク日本人会走遊会のみなさんと。


さてさて、アンナプルナ山岳耐久レースの報告を締めくくらなくてはならない。何故かって、この週末日曜日に次のレースがあり、今、レースの場所に移動するための機内にいる。今度は、標高低い場所での、平らなコース。その分、歩いたりすることは出来ない。真面目に走らねば。
あ゛、スッチーのおねえさんにノンアルコールのバージン・マリーをお願いしたのに、しっかり、ブラディー・マリーが来てしまった。ははははは。まあ、いいか。
*-------*-------*-------**-------*-------*-------*
真夜中までかかった去年の70kmとは違い、午後の温かな日差しの中、余裕を持ってレースを完了できた今年の50km。9時間10分という記録は、素晴らしい!とは云えないが、自分としては充分に評価できるものだ。少しであるが、トレイルでの走力が上がっていた。
出迎えてくれた石川さんご夫妻、うちの亭主、友人たちと談笑し、水分補給して、ビレタンティーに数多いタカリ族経営のロッジで美味しいダルバートを食べた。50kmとはいえ、山岳ウルトラを終了直後にごはんを食べられる胃腸の状態であるというのは、非常にめでたい。何も喉を通らなくても、全然不思議ではない。
ゆっくり休んだあと、まだ通過してこない(100kmに挑戦の)佐藤さんのことを気にかけつつも、亭主運転の車で、仲間たちとポカラに戻ることにした。
途中、100kmコース最後の30km前半の車道部分。ルムレのチェックポストを過ぎたあたりで、逆送して戻ってくるリジーに出くわした。
「何があったの?コースは逆方向よ」
「コースアウトしちゃって、チェックポイントを過ぎちゃったの。きちんと記録してもらうために、戻らなきゃ」
と、トコトコ走り去るリジーの背中には、フェアプレイ精神が満ちあふれていた。既に山岳トレイルを80km近く走り続け、疲労のピークにあるはずなのに。彼女は多分、余計に数km走ったことになる。
ポカラに帰り着き、ホテルの部屋で、まずはシャワー。なんだけど、無情にもお湯は非常にぬるかった。体の芯からほてっていたから、なんとか我慢できた。その後、またまたモナリザのタカリ・ダルバートを食べに行き、夜、ホテルに戻ったら。夜になって帰ってきた70km組のランナーたちがホテルの食堂に行ったところ、既に閉まっていた。この日は真夜中まで、ホテル食堂が営業しているという説明だったのは、大嘘だった。せめてココアを飲ませて.....という、ゴール後腹ぺこランナーのか細い声を無視しようとするホテル従業員たちに、我々ネパール組は真剣に怒った。キッチンを開けさせて、ココアを作らせた。
営業妨害になるので名前は書かないが、ポカラ空港近くムスタン・チョークの某ホテル。二度と泊まらないぞ!
そのうち、警察官がやってきた。何があったの?50kmレースに参加した英国人女性が意識を失い、市内の病院に担ぎ込まれたらしい。何?集中治療室に入ったって?え゛、意識不明だって!ポカラ警察・観光客保護チームのオフィサーが、彼女のパスポート情報を上司に報告していた。
「Expired(死んじゃいました)」
ひぇ〜っ!嘘でしょう!!全員が悲鳴を上げた。
「安心してください。今、パスポートの Expire Date(有効期限)の話をしていただけですから」
腰が抜けた。
佐藤さんは70kmだけを完走し、夜遅くに帰ってきた。石川さん同様、しかし彼の場合はガンドルン以降でコースアウト。余分に走る羽目になって、70kmの関門で引っかかってしまったそうだ。う〜ん、残念。既にホテル食堂も、外のレストランも閉まった時間帯で、腹ぺこのまま部屋に引き上げる彼が気の毒だった。
「いえ、これで、体重減りますから。いいんですよ、ははははは」
と、しかし、彼の笑い声に力がなかった。
翌日午前中、表彰式である。
ここで分かったのは、私は50km外国人女子カテゴリーで3位入賞していたこと。ビックリした。いやはや、めでたいことだ。記録証、賞状と、完走メダルももらった。
そうしたら、会場の一角から怒鳴り声が聞こえてきた。
100kmカテゴリーで最初にゴールした3人の、不正行為が発覚。入賞取り消しになったらしい。最後の30kmの前半は車道で、ここでタクシーやバイクに乗ったらしい。複数の外国人がこれを目撃したり、挙げ句の果ては、70kmでゴールし、タクシーでポカラに帰る途中の外国人ランナーの車をヒッチハイクした剛の者(というか、アホ)までいたらしい。リジーと比べて、月とナンとか!
これら3人は全員、ネパール国軍所属のアスリート。この結果、正式な100km入賞者は全員、民間人ランナーとなった。
「オレたちゃ、泣く子も黙る国軍だゼ」
と、すごんでみたって、ダメなのだよ。
世界の耐久レースを経験した石川さん曰く
「こんなの、はじめてです」
表彰式が、殴り合いの大乱闘になるか?と、逃げる準備までしてしまった。
つづく.....






私の記録は、9時間10分。亀は亀なりに、まずまず。

外国人の参加費用100ユーロ、または9千5百ルピー(ネパール人は、無料)を現金で支払って、ゼッケンをもらう。今年はネパール数字で、シャレている(隅に小さく、英数字)。サムライ佐藤選手75番。プリンス石川選手85番。オババわたくし86番。よゐこのみなさまには、読めませんよね。この数字。


スタートは、夜明け前の5時半。5時過ぎから続々と、選手がゲートに集まってきた。

石川選手のガッツポーズが、後ろ姿でも素敵っ!
