けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

2011年01月

武器監視と云いながら、実は

ランニングの事ばかり書いているこのブログ。ネパールの政治や社会情勢について、私自身の関心が湧かないのである。

元々、政治も、マオ派も、美味しい食べ物も、ヒマラヤも、自転車も、コマダム系情報も、全く同列な重要性であった訳で、けぇがるね?日記には高尚な内容はない。きっぱり。鉄板で言い切りたい。ブログなんて(なんて、ですよ)、日々の生活の垂れ流しであり、もっとはっきり云うと、精神的排泄物だ。どうせ出すなら、健康なウ☆コでありたい。

とまぁ、お下劣に吼えても仕方ない。


さて、先日活動を終了し、撤収した国連のネパール支援団、UNMIN(アンミン)。マオ派解放軍戦士が暮らす、全国7つのカントンメントと、カトマンズ市内チャウニーでは国軍の、武器庫のモニタリングを行っていた。同時に、紛争や平和構築の専門家によるネパール全国の調査と、政情分析も行われていた。

ここには数多くのネパール人も雇用され、我々の業界からも、英語に堪能で状況分析能力の高いネパール人ジャーナリストたちが、「公報」「分析」「翻訳」「写真/ビデオ記録」などの分野で活躍していた。チャンスをつかんだ仲間たちは、UNMIN勤務のおかげで、家を建てたり、土地を買ったり、車を買ったり、子弟の教育に力を注いだ。彼ら/彼女らが海外流出することなく、自国で、自国と自分の生活の安定のため、充分に活躍できたことは目出度いことだ。

イヤミを言っているのではない。本心から、仲間たちの活躍を心強く見守ってきた。

某筋から漏れ聞いたのであるが、撤収作業の一部として、過去4年間の全ての作成文章を、コンピュータのハードディスクから紙にプリント・アウトしてファイリングし、ニューヨークに送るという作業を行っていたらしい。これら膨大な紙資料は、何処にどうやって保管されるのだろう。このご時世だというのに、デジタルアーカイブスではダメな理由は何だろう?


これまた、とある西側情報筋から漏れ聞いた話であるが。マオ派解放軍のカントンメントで、武器庫のモニタリングが行われた理由は何か?武器、武力の監視による、和平体制の維持はもちろんのこと。しかし、裏技というか、隠されたミッションがあったのでは?という観測がある。

それは、国連が武器監視に係わることにより、マオ派解放軍の生活に関して諸外国からの援助を引き出すこと。そして、働かなくても衣食住が保証される甘〜い生活に、解放軍戦士たちを漬け込むこと。この結果、再度ゲリラ戦には戻れない。言い換えれば、昔のような苦労が出来ない人間に作り替えてしまうことだ。

政治的に何があっても、マオ派党内がどう転んでも、再度の内戦は出来ないように、武力をスポイルしてしまう。結果、ネパールの和平構築に、変化球で貢献すると云う事だ。

国連史上最大の失敗。インドの国際政治力に蹂躙されて追い出されたUNMINなどという、厳しい批判にも晒されたが、この隠されたミッション、マオ派解放軍堕落・骨抜き作戦の観点から云えば、確実な成功を収めたという、密やかな評価を無視することは出来ない......ような気がする。確信的に。

世界各国の現役バリバリのエリート軍人が終結していた訳であり、各国軍のインテリジェンス工作活動は、実は大変高度なものであったと云われても、不思議ではない。う〜む、佐藤優先生的世界であったわけか。

以上全て、あり得る与太話として、読み飛ばしていただきたい。

だって、ブログだも〜ん。

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緊迫するエジプト情勢について。中東全般について。中東の窓

このブログ作者は、アラビア語を専門とした定年退職キャリア外交官、野口雅昭さん。現役を退かれ、外務省の情報ソースの外におられるとはいえ、この情報量と分析は、日々大変興味深い。野口さんは、アルピニスト野口健くんの生みの親.....と云うか、お父さんでもある。

シルクとヘンプ(のような)

タイで9日間の休日を楽しみ、カトマンズに戻ってきた。

相変わらずの長時間停電は続いているものの、留守中に真冬の時期は過ぎ去ったようだ。朝霧が出なくなっているし、朝晩の冷え込みも若干弛んでいる。あと10日ほどで、「春の始まり」の祭り、バサンタ・パンチャミーが来る。ビクラム暦は優れもので、暦の上での季節の変わり目が、気候と毎年一致する。

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今月は、本当によく走った。元旦には山岳耐久50kmレース。23日はタイでのフルマラソン。出勤前の早朝ジョグに、休日の長距離走。バンコク滞在中は、夜明け前のルンピニ公園ジョグ。マラソン翌日も走り、朝と夕方、1日2回走った日もあった。帰国日は、公園開園の午前4:30過ぎから走った。そんな時間でも多くの人たちが、走ったり歩いたりしているのが印象的だった。

ルンピニ公園の夜明けと夕方。暗闇の中、朝5時過ぎになると突然鳥のさえずりがはじまる。そして、徐々に、徐々に漆黒が薄墨色になり、そこに青が入り、南国の日差しが全てを晒す時間がはじまる。日没時はこの逆。真冬とはいえの暑さが徐々に薄らぎ、夕闇と一緒に、涼しい風が吹く。

全てがスムーズで、快適で、光沢が美しい、タイシルクのようなひとときだった。


一方、ネパール。山岳レースは歩くのも大変な急坂を登り、下り。コースアウトして当然のようなマーキングがあっても、地元の人たちに尋ねながら走り、歩き。泥だらけになっても、心の底から楽しめた。

昨日土曜日は、久しぶりにハッシュ・ランに行った。たった9日間、タイの平地を走ってきただけなのに。カトマンズ郊外のトレイルは、いつもの通り激しいものだ。しっかり走り込んできた私なのに、今日は股関節の外側が両方軽い筋肉痛だ。平地とトレイルでは、使う筋肉が違うことを実感させられている。

全てが粗く、過激で、しかも洗うとシワになる、ヘンプのような面白さ。

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さあ。明日から仕事だ(今日は祝日)。

特に3月末から6月頭までは、70日間のエベレスト島流し(?)も予定されている。健康の定期預金を全て使い切ってしまうような、間違いなく元本割れになって、病気スレスレになるだろう。6月からの健康立て直し。トレーニング再開の辛さを思うと、今から大きなため息が出る。

しかし、11月27日のバンコク・マラソン+12月5日のタイ国王誕生日レース遠征のために、避けては通れないプロセスだ。

よ〜く考えよぉ〜、お金は大事だよぉ〜 仕事、仕事っ!

コンケーン・マラソン、出走記

一日の半分以上停電、水足りない、寒い、暗いのカトマンズを離れ、タイに来ている。今回「も」、マラソンに参加のためであり、しかもイサーンと呼ばれるタイ東北部。バンコクからはるばる、450km離れたコンケーンに行ってきた。
レース前日。バンコク走遊会会長さんが。会員の遠征用に購入されたというハイエースに10人で乗り込み、
途中別の車とも合流し、合計13名でコンケーンに向かった。

タイ東北部の中核都市コンケーン。そして、名門、コンケーン大学。大会受付、ゼッケン引き替え会場は、シドニー・オペラハウスとタイの寺院をミックスしたような外観の、立派な体育館だった。

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 レース前日、コンケーン大学体育館での登録風景

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 今年から、「50〜54歳」女子カテゴリーですっ!


第8回コンケーン・マラソンは、フル、ハーフ、11km強、4.5kmのファンランで開催された。11月のバンコク・マラソンに規模は及ばないが、タイ全国からランナーが集まる有名大会だ。また、年中暑いタイで、夏が来る前の比較的涼しい時期最後のフルマラソン大会として、シーズンの締めくくりとして「出なきゃ!」なイベントでもある。男女とも、フル・マラソンの総合優勝賞金は20万バーツ。日本円で50万円以上。遠くケニアのランナーたちも、大挙して押し寄せる大会として有名だ。各年代別の表彰もあり、タイの市民ランナーたちも頑張る。

レースは、1月23日(日)早朝5時15分のスタート。まだ真っ暗な中、タイのマラソン特有の緊張感ない「ぷぉ〜ん」というサイレンが鳴り響き、走り出した。

道路は立派に舗装されているし、交通規制は完璧だし、夜明け前なのに各所で生バンド入りの応援が盛大だし。気持ちよい、立派な大会だった。「タイで最高のマラソン」という前評判を、納得する。

コースは、コンケーン大学からはじまり、市街地、お寺、郊外、湖畔、そしてまた大学構内に戻る周回である。今大会は賞金レースであり、総合だけでなく、男女別5歳刻みの年代別表彰もある。後半、見た目に年の近そうなランナーたちが、互いのゼッケンをのぞき込んで併走したり追い越したり。タイ人に限らないだろうが、賞金がかかってくると鼻息が荒くなる。

私は、前半快調に飛ばしすぎ、後半、しかも30km過ぎてから何度も出てくる緩い登りでやられてしまった。終盤、知り合いの何人かに追いつき追い抜き、しかしそれよりもっと多い数の知り合いがうしろからやって来て、背中を見せて抜き去っていった。

特にセキタローさん。「がんばって、ボクについてきて」と、追い抜いたあとも随分、振り返って、私を気にしていてくれて、本当にありがとう。でも次回は、リベンジしますっ!あなたに、私の背中を見せますからね。

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 使用前              使用後、ゴール直前へろへろへろ〜 腰が落ちて、カッコ悪すぎ!

今回は4時間切りを狙っていたが、記録は4時間00分44秒。むむむむむ。惜しい。
フルマラソンを完走した634人中、192番。

マラソンは、最後に追い込む。
前半、中盤に速く走っても、終盤ペースダウンしては意味がない!

でも、楽しかったから、いいや。記録は11月の、バンコク・マラソンで狙う。


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 すぐに回復!? バンコク日本人会・走遊会のみなさんと

レース後、預けてあった荷物を受け取ったり、豊富に用意されている無料の食べ物・飲み物をまったり堪能していたら、見知らぬタイ人オバサン・ランナーに手をつかまれた。

「アナタ、3バンデスカラネ。ニュウショウ、トウロク シナキャ」

と、有無を云わせず、本部テントに連行(?)される。彼女はタイの有名女性ランナーだそうで、しかし現在は腰だか足を故障していて、私と同じ年代で5位に入賞している人だった。4位のランナーと二人で

「オメデトー」

と、不慣れな私の手続きを手伝ってくれた。タイでは入賞すると、自分で表彰登録しなくてはならない。今回のような賞金レースでは、身元確認も厳格になる。写真付き、政府発行の身分証明書やパスポートのコピーを提示しないと、入賞が認められなくなる。私は、パスポートのコピーを準備してあった。まあ、もしかしたら、チャンスはあるかな?って感じで。

自分より下位の入賞に対してなら兎も角、パッと出のガイジンに心から親切にしてくれる、タイのおぱちゃんランナーたちに感動した。レース中も暗いロードで、障害物があったりすると知らせてくれるランナーもいたりして、タイ人ランナーは思いやり深く、親切な人が多い。


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 合計3回、3ヶ所での身元照会のあと、トロフィーと賞金5,500バーツをいただきました。
 女性50 - 54 歳カテゴリー第3位。

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 賞金はちゃんと、タイ国税金天引きとなっていた。


今回のレースでも、バンコク日本人会走遊会のみなさまにお世話になりました。ありがとうございました。これからもカトマンズで、トコトコ練習しますので、よろしくお願い申し上げます。

また、同年代のタイ人女性ランナーたちとも知り合え、(去年のレース以来の)顔見知りになり、次回への約束なんか交わしちゃったりして。次回も彼女たちと競り合うことを思えば、カトマンズで一人でのトレーニングも孤独ではない。

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今回は追い込んで走ったため、太ももの前後だけでなく、上腕部や腹筋まで筋肉痛になった。レース翌日は、世の中の階段に「手すり」がついている意味を、深く、深く、深〜く理解できた。それでも、走遊会谷本組の早朝練習に参加させてもらい、筋肉をほぐせたおかげ。2日目の夕方からは、筋肉痛が消えていた。

3日目の今朝は、朝、寝坊。すいません。夕方、ルンピニ公園走ります。

コンケーン・マラソン、完走

元旦の山岳耐久に続き、今年最初のロードレースを、昨日タイ東北部の中核都市コンケーンで走りました。

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レース後、バンコク日本人会走遊会のみなさんと。

とにかく、楽しかったです。次回への課題と、大きなご褒美もいただきました。報告は追って、すぐ。

5th Annapurna 100 参戦記〜完結編

100kmカテゴリーでは、最後の30kmの半分が車道であり、そこで、疑惑の出来事が起こってしまう。ネパールの職業アスリートたちが出場する限り、毎年、これを避けることは難しい。
主催者のラメシュ兄さんは業を煮やして、来年はこのコースを変更するようだ。車道をなくす。どうするのか?

ビレタンティで70km。ここから、50kmコースが下りてくるガンドルンまで、トレイルを登る。そして下りる。その後再度ビレタンティから川沿いをスダメまで行って、またまたビレタンティまで戻って100km。これなら、車に乗りようがない.....筈である。が、来年になれば、ビレタンティからガンドルンに向かうシャウリバザールまで、車道が完成しそうだ。むむむむむ。組織的不正をやろうと思ったら、出来ないことはない。

今回、50km70kmのゴールはビレタンティになり、100kmはポカラであった。ゴール地点が二つになることは、主催者側にとっても困難であったようだ。事実、全ての責任を握っているラメシュ兄が、夜中にゴールした70km外国人参加者を迎えに行っている留守に、ポカラでは、参加者の入院騒ぎが起こって騒ぎになった。

また、ラメシュ兄が睨みをきかせていないと、ホテルの対応もいい加減になる。来年はゴール後、全員ビレタンティのロッジで宿泊した方が、万障都合が良くなるとの判断だ。これまた、良いではないか。

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今回、石川さん、佐藤さん、リジーという一流のウルトラ/トレイル・ランナーの方たちからは、感じることが多かった。みなさん、自然体なのだ。自分がコースアウトしても、ホテルの対応があんまりでも、それを全て「あるがままに」受け入れてほほ笑んでいる。

普通の、平場のマラソン・ランナーから感じる攻撃性というか、尖った感じが感じられないのだ。心身の能力の限界に挑戦し、しかも、自然には絶対に打ち勝てない状況の中で競い合う人たちには、一種の神秘的オーラがあった。

自分自身は、単なる市民ランナーでしかない。しかし、今回の写真を見返すと、本当にうれしそうだ。

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こんな笑い顔、カトマンズでいるときは出来ないよ。

感謝の気持ちで、今年のレース記録を終えたい。


最後に、レース直後緊急入院した女性ランナーは回復し、無事帰国することが出来た。倒れた原因は、レースによる急性の過労ショックであった模様だ。血糖値も、非常に低下しいたという。レースの給水は普通の水しかない。経口補水塩や、スポーツドリンクを自分で背負って、サプリも摂取しつつ走るのが肝要だ。

もうひとつ。今年からアンナプルナ山岳耐久レースが、世界最高峰の山岳耐久レース「ツール・ド・モンブラン」の出場資格認定レースとなった。世界の、一流レースとして認証されたわけだ!50kmでポイント1、70kmで2、100kmで3ゲットとなる。不肖私もポイント1をいただき、CCC /98kmカテゴリー出場資格を満たせた。

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素敵な出会いにも、ありがとう。来年は、ちなつさんもお待ちしています。が、私は来年も、またまた50kmですよぉ〜、チャンドラさーん......多分ね。はい、控えめに。今のところ。

さあ、明後日は、次のレースだ!

5th Annapurna 100 参戦記〜3

さてさて、アンナプルナ山岳耐久レースの報告を締めくくらなくてはならない。何故かって、この週末日曜日に次のレースがあり、今、レースの場所に移動するための機内にいる。今度は、標高低い場所での、平らなコース。その分、歩いたりすることは出来ない。真面目に走らねば。 

あ゛、スッチーのおねえさんにノンアルコールのバージン・マリーをお願いしたのに、しっかり、ブラディー・マリーが来てしまった。ははははは。まあ、いいか。 

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真夜中までかかった去年の70kmとは違い、午後の温かな日差しの中、余裕を持ってレースを完了できた今年の50km9時間10分という記録は、素晴らしい!とは云えないが、自分としては充分に評価できるものだ。少しであるが、トレイルでの走力が上がっていた。 

出迎えてくれた石川さんご夫妻、うちの亭主、友人たちと談笑し、水分補給して、ビレタンティーに数多いタカリ族経営のロッジで美味しいダルバートを食べた。50kmとはいえ、山岳ウルトラを終了直後にごはんを食べられる胃腸の状態であるというのは、非常にめでたい。何も喉を通らなくても、全然不思議ではない。 

ゆっくり休んだあと、まだ通過してこない(100kmに挑戦の)佐藤さんのことを気にかけつつも、亭主運転の車で、仲間たちとポカラに戻ることにした。 

途中、100kmコース最後の30km前半の車道部分。ルムレのチェックポストを過ぎたあたりで、逆送して戻ってくるリジーに出くわした。

「何があったの?コースは逆方向よ」
「コースアウトしちゃって、チェックポイントを過ぎちゃったの。きちんと記録してもらうために、戻らなきゃ」 

と、トコトコ走り去るリジーの背中には、フェアプレイ精神が満ちあふれていた。既に山岳トレイルを80km近く走り続け、疲労のピークにあるはずなのに。彼女は多分、余計に数km走ったことになる。 

ポカラに帰り着き、ホテルの部屋で、まずはシャワー。なんだけど、無情にもお湯は非常にぬるかった。体の芯からほてっていたから、なんとか我慢できた。その後、またまたモナリザのタカリ・ダルバートを食べに行き、夜、ホテルに戻ったら。夜になって帰ってきた70km組のランナーたちがホテルの食堂に行ったところ、既に閉まっていた。この日は真夜中まで、ホテル食堂が営業しているという説明だったのは、大嘘だった。せめてココアを飲ませて.....という、ゴール後腹ぺこランナーのか細い声を無視しようとするホテル従業員たちに、我々ネパール組は真剣に怒った。キッチンを開けさせて、ココアを作らせた。

営業妨害になるので名前は書かないが、ポカラ空港近くムスタン・チョークの某ホテル。二度と泊まらないぞ! 

そのうち、警察官がやってきた。何があったの?50kmレースに参加した英国人女性が意識を失い、市内の病院に担ぎ込まれたらしい。何?集中治療室に入ったって?え゛、意識不明だって!ポカラ警察・観光客保護チームのオフィサーが、彼女のパスポート情報を上司に報告していた。

Expired(死んじゃいました)」 

ひぇ〜っ!嘘でしょう!!全員が悲鳴を上げた。 

「安心してください。今、パスポートの Expire Date(有効期限)の話をしていただけですから」 

腰が抜けた。 

佐藤さんは70kmだけを完走し、夜遅くに帰ってきた。石川さん同様、しかし彼の場合はガンドルン以降でコースアウト。余分に走る羽目になって、70kmの関門で引っかかってしまったそうだ。う〜ん、残念。既にホテル食堂も、外のレストランも閉まった時間帯で、腹ぺこのまま部屋に引き上げる彼が気の毒だった。 

「いえ、これで、体重減りますから。いいんですよ、ははははは」 

と、しかし、彼の笑い声に力がなかった。
 

翌日午前中、表彰式である。 

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ここで分かったのは、私は50km外国人女子カテゴリーで3位入賞していたこと。ビックリした。いやはや、めでたいことだ。記録証、賞状と、完走メダルももらった。

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そうしたら、会場の一角から怒鳴り声が聞こえてきた。

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100km
カテゴリーで最初にゴールした3人の、不正行為が発覚。入賞取り消しになったらしい。最後の30kmの前半は車道で、ここでタクシーやバイクに乗ったらしい。複数の外国人がこれを目撃したり、挙げ句の果ては、70kmでゴールし、タクシーでポカラに帰る途中の外国人ランナーの車をヒッチハイクした剛の者(というか、アホ)までいたらしい。リジーと比べて、月とナンとか!

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これら
3人は全員、ネパール国軍所属のアスリート。この結果、正式な100km入賞者は全員、民間人ランナーとなった。

「オレたちゃ、泣く子も黙る国軍だゼ」 

と、すごんでみたって、ダメなのだよ。 

世界の耐久レースを経験した石川さん曰く 

「こんなの、はじめてです」

表彰式が、殴り合いの大乱闘になるか?と、逃げる準備までしてしまった。

つづく.....

5th Annapurna 100 参戦記〜2

ああ、寒い。今年のカトマンズは、例年より冷え込んでいる気がする。先ほどから、ストーブをつけているのに自宅がしんしんと冷え込んでいる....おかしい。これは寒すぎる。と思ったら、踊り場のベランダに出るドアが空けっぱなしだった。
真冬なのに、朝から、家中の窓やドアが開け放たれるネパール文化。それを、閉めてまわる私。

ネパール人の平均余命が短いのは、寒さに無頓着だからだ!

誰が何と云おうと、真実、真理、鉄板の事実だ。反論あるなら、いつでもかかってきなさい。斬り捨ててあげる。きっぱり。

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夜明けまであと1時間以上ある、真っ暗闇にスタートしたアンナプルナ山岳耐久レース。前日のポカラは、まさか!の真冬の雨降り。悪天候が心配されたが、空には星が輝いていた。

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ヘッドライトがないと、足元も見えない。バグルン・バスパークから、ノーダラ、ナヤプルに向かう車道を10kmほど走る。暗闇のロードはルート標識もなく、前を行くランナーたちの後に続かないと、暗くて、寒くて、怖い迷子になってしまう。ミランチョークから、トレイルに入る。日系エコロッジ、「はなのいえ」のあるアスタムに向かう道。なつかしい。ミランチョークから40分ほどで駆け上り、こりゃ、ジープで上がるのより速いわ!

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村と村を結ぶ生活道路であり、分岐点には、大会が設置したマーキングもある。

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快晴の朝。銭湯の壁に書かれたペンキ画のような景色が広がっている。平坦、または緩やかな登りで、気持ちよく走ることが出来た。途中の村では、歓迎の真っ赤なティカを顔中に塗られたり。これまた、楽しい。

そして、ダンプス。

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カメラを構えた亭主が、車で先回りして待っていてくれた。

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「お〜ぃ、そんなに急いでどうするの。写真でも撮ろうや」と云う事で、ぱちり。

ここまでは私も、小型デジカメをポケットに入れていたが。少しでも軽くしたくて、亭主に預けた。そこからがレース核心部であり、写真で報告もしたかったが。自分の走力と相談した。

マイル表示で恐縮だが、参加者計測のGPSデータである。
ダンプスから、次のチェックポイントは、ランドルン村。この10kmちょっと(私の亀走りで2時間半ちょっと)が、実に長かった。ポタナ、デウラリと登ってゆく。このトレッキングコース。所々に、紛らわしい分岐点がある。土地感のある私も時々不安になり、行き交うトレッカーや地元の人たちに

「走っている人たち、見た?」

と尋ねながら。外国人ランナーの何人かは、このあたりコースアウトしてしまったらしい。こうなるとまた元の道に戻って、何キロも余計に走る事態になってしまう。

ダンプスまではこまめなルート・マーキングがあったものの、ダンプス以降は、意図を感じるほど、あるべき場所にマーキングがなかった。外国勢にとって圧倒的に不利であり、地元ランナーには断然有利だ。

デウラリからは急降下。途中、大転倒したというネパール人男性ランナーが「しょぼ〜ん」と佇んでいたりして、気の毒だった。前日の雨で湿って、滑りやすくなった石畳の下り坂を慎重に、気をつけて。下りきって、トルカ村に入ったら、グルン族のおばあちゃんが「食べなさい」と、口にあめ玉を入れてくれた。

ランドルンまで、整備された石畳を快適に走れた。もちろん、所々の上り坂は歩きを交えつつ。朝の残りのおにぎりも、歩きながら食べて美味しかった。ランドルンのチェックポイントは、モディコーラ(河)への下り口。村はずれ。河まで20分ほど下り橋を渡る。ここからは、標高差600メートル以上を、1時間弱でガンドルンまで駆け登る。実際は、とぼとぼ早歩きでしかなかったのだけれど。

ああ、厳しい。辛い。ガンドルン、永遠に着かないんじゃないの?

途中で、欧米人のトレッカーさんが、応援のあめ玉をくれた。ありがとう。ほとほと、泣きたい気持になった頃、ガンドルン村入口のゲートに到着した。50kmコースはここから下り道。70km挑戦者は、ゴレパニに向かうこととなる。関門の午後1時の2分前に到着した私だが、「行け!」と命令されても、70kmコースには行きたくない気持。給水をもらって、ひと休みして、さっさと下りはじめた。ここからゴールのビレタンティまでは、逆の登りなら、トレッキング1日行程だ。そこを亀走りで、温かな午後の日差しを浴びながら、2時間かからずにおりた。

途中、俊足ランナーで、100kmに挑戦しているはずの走友ナラヤンと出会ってびっくりした。彼は途中で足を痛めたそうで、拾った木の枝を杖に歩いていた。実は、1月下旬に次のレースが控えている私も、無理は禁物と、ナラヤンに付き合うことにした。って、俊足の彼の早歩きは、普通の小走りの速さだ。

「ゴールの直前だけは、カッコよく走ろうぜ!」と相談していたとおり駆ける。またまた先回りの亭主がビデオを構えていた。ナラヤンと手をつないで仲よくゴールを決めたら、

「おつかれさまっ!」

と日本語で、明るく声をかけてもらってビックリ。

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なな、なんと、石川さんだ!

途中でコースアウトして、20kmほど余計に走ってしまったそうで、50kmコースでレースを終了されたそうだ。とはいえ、合計で70kmも走った後なのに、トレイルの貴公子石川さんの爽やかな笑顔はまぶしいばかりだった。

私の記録は、9時間10分。亀は亀なりに、まずまず。

完走して、普通ならこれでお終いになる筈なんだけれど。アンナプルナのお楽しみは、まだまだ続いてしまったのである。が.....つづく。

5th Annapurna 100 参戦記〜1

2010年の師走は、忙しかった。新しい仕事がはじまり、慌ただしかった。12月29日の午前中までみっちり仕事をして、午後からは別の方の仕事を片付けて。12月30日は、朝カトマンズを車で出発して、暗くなる前にポカラに入る予定であったが.....朝、起きられませんでした! ( ̄▽ ̄;)!!ガーン

まあ、仕方ない。カトマンズを出たのはお昼となり、ポカラ到着は夜7時ちょっと前。大会指定のホテルに行くと.....ロビーで、武士の風格を漂わせる日本人強豪ウルトラランナー、佐藤良一さんと出会えた。1時間ほど前から、私たちの到着を待っていてくださったそうで。申し訳ありませんでした。

初対面のご挨拶を交わした後、では、ホテルにチェックイン。と、アンナプルナ山岳耐久レース名物が、出た。今年も。

「お客様、お部屋はございません」
「予約してあったんですが」
「聞いておりません」

と、そこで、横から別のホテルマンが割って入り

「ホラ、ここに予約の記録があるじゃないですか。こっちのインド人ゲストを、他のホテルに送るんですよ」

ということで、なんとか、かび臭い部屋を確保できた。去年の、レイクサイドの某ホテル(スイミングプールがある、あそこ)では、歌舞伎の隈取りのような化粧をしたおねーちゃんに、近くの格下のゲストハウスに送り出されたことを考えるに、まあ、今年はまだマシと納得した。

この日は佐藤さんと、亭主と私の3人で、ポカラに来たら絶対食べたい!ダムサイト、モナリザの、タカリ・ダルバートを食べに行った。そば粉のディロに、熱々にしたギーをじゅっ!!と。あ゛〜、ウシャ・バウジュー(兄嫁)のダルバートは、いつ食べても絶品だ。美味しすぎて、食べ過ぎて。カーボローディングと言い訳して、ぐっすり眠った。

翌朝、30分だけレイクサイド方面を軽くジョグして、シャワー浴びて朝食。亭主は朝メシ食べずに、ずーっと寝ていた。運転で疲れたのね。おつかれさまです。

私だけ、再度レイクサイドに行って、ポカラ在住の友人とランチをして(MoonDanceは、なかなか美味い)、午後2時からの大会登録と説明会。ここで、トレラン王子さま石川弘樹さんご夫妻と出会う。クリスマス・イブの夜、突然メイルで申し込み。びっくりしましたわ。大会主催チームにとって、最高のクリスマス・プレゼントで、みな大喜びだった。

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外国人の参加費用100ユーロ、または9千5百ルピー(ネパール人は、無料)を現金で支払って、ゼッケンをもらう。今年はネパール数字で、シャレている(隅に小さく、英数字)。サムライ佐藤選手75番。プリンス石川選手85番。オババわたくし86番。よゐこのみなさまには、読めませんよね。この数字。

手前の黄色いベストが、大会総責任者、ラメシュ・バッタチャンさん。佐藤さん、石川さんの後ろに、自身もウルトラランナーである、レースディレクター・ロジャーの顔も見える。100人を超える参加者の中、外国人は30名ちょっと。

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元100km走女性チャンピオンで、TheNorthFace所属のプロ・ランナー。英国のリジー・ホーカー選手も。小柄で、穏やかな物腰の女性だ。しかし、100kmのコース詳細地図を見る彼女の顔は、真剣そのもの。プロの一流選手オーラが出ていた。

ささやかな、こぢんまりとした去年のレースに比べると、強豪選手が世界中から集まって、人数も倍増して、華やかでワクワクしてきた。

この日の夜はレース前日であり、チーム・ジャパンの面々は早々とレイクサイドの日本料理「古都」に移動。一流選手の、レース直前の炭水化物食べっぷりに触発され。私はすき焼きセットを食べ、のり巻きをテイクアウトしてホテルに帰ってから食べ、朝ご飯用のおにぎり4個も確保した。

亭主は、ネパール人ランナーの友人たちと、庶民派で美味しいダルバート屋に行っていた。ふふふ。これが翌日、大変な出来事を引き起こすのだが。

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レース当日は、朝3時半起き。ゆっくりおにぎりを3個食べて(亭主と2個ずつのつもりだったが、前日の豆料理で消化不良の激しくお腹を壊した亭主は何も食べず。残り1個は、レース中の補給食とした)、テーピングや皮膚の保護クリームを丁寧に塗り、レースウェアに着替え、4時半からのホテルの朝食も食べた。

去年の経験で分かったのは、ウルトラ、山岳、耐久という形容詞がつくレースは、「いかに食べられるか?水分補給できるか?」が、走ること以上に大切なのだ。レース終盤は胃腸が荒れて、何も喉を通らないこともある。食べられるときに、エネルギー源を詰め込んでおくのが肝要だ。

食べても走れること。レース中は、走りながらでも食べられること。これは、結構難しい。

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スタートは、夜明け前の5時半。5時過ぎから続々と、選手がゲートに集まってきた。

サムライ佐藤選手と、同い年の亀ランナーわたくしの走力の違い、鍛え方の違いは、体つき以前に、この日焼けの違いで一目瞭然ですわ。

予定より5分ほど遅れて、ラメシュさんの吹くホイッスルを合図にスタート。

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石川選手のガッツポーズが、後ろ姿でも素敵っ!

いよいよ、はじまってしまったレース。どうなる、そのあと? つづく.....

5th Annapurna 100 参戦記〜まえがき

みなさま、新年おめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

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元旦に、ポカラを起点に、アンナプルナ・ヒマラヤのトレッキングルートを舞台に開催された山岳耐久レース。第5回アンナプルナ100は、(やはり)いろいろあったものの、参加者全員生還しました。

「生還なんて、大袈裟な....」

という声が聞こえてきますが、イギリス人女性ランナーがゴール後入院。意識を失い、集中治療室で一夜を過ごすという出来事がありました。レース前日には、まさかの雨。コース最高地点のゴレパニ周辺では雪となりました。そして、今年から大きく変更されたコースは、あっ、そんな、まさか、あ゛〜っ!と、叫び声が出そうなものであり。

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そんなこんなだったのに、なんだか、みんなうれしそうに笑っているのは、何故?

レースの模様は、追ってブログでご報告します。


カトマンズに戻って、体調も悪くないのですが。定期的に身体のメンテをお願いしているパタンの鍼灸治療院、スシル先生に本日針治療をお願いしましたら。いつも優しい先生が、今日は真面目なお顔で、

「せめて今日だけでも、家で休んでくださいね。絶対、休むんですよ。鍼をうった感じで、分かるんですからね」

ということで。はい。云うことを聞きます。明日からは仕事も再開です。


つづく.....
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