けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

2013年12月

SajiloとRaamro

汎用的に使われるネパール語の形容詞ふたつ。
Sajilo     サジロ 簡単/与しやすい/(意訳)便利
Raamro  ラムロ 良い/好ましい


これは私のネパール語能力が乏しいのかもしれない。ので、掲示板やFBで思い違いをご指摘いただけると有り難い。この部分、どなたに向かってお願いしているか、分かるでしょ。その「どなたか」さん。

ネパールでの仕事では、日本とネパールの「間」に入って交渉したり調整したりという、いわゆるコーディネーション業務が、私の得意分野である。有り難いことに近年、コーディネーションに加えて、より専門性を発揮できる業務も任せてもらえるようになった。しかし、思う。日本人とネパール人。日本社会とネパール社会を「つなぐ」。コーディネーションする能力について、これまた確固たる専門職である。そう、胸を張れる自分もいる。

日本側からは、複雑怪奇で理解出来ない(理解しようとすると面倒だから)ネパール組織に対して、日本の言い分を浸透させるツールとしての私。ネパール側も、予算を握っている日本組織に対して、私を通じればネパールの希望を伝えられるだろう。という、優越感/劣等感と損得勘定混じった感情。それぞれの国側から、日本語とネパール語で伝えれば、私の中で然るべき翻訳、解釈を経て相手側にアウトプットされるであろうという期待。有り難いことである。結果は出すけどね。

専門職としてのコーディネーションは基本的に有償であり、業務として発注された時に最大限発揮できる。お金の問題が一番。そして、仕事としてそれなりの大義名分を背負わないと(首から下げたIDカードとか、名刺とか)、世の中に切り込めない。怪獣スーツを着ないと、スーツアクターがステージでウルトラマンと対峙できないってところか。もちろん金銭が絡まずとも、自分が一個人として「これはやるべきだ」と確信を持てることも出来るのだが、こんな出会いは世の中限られている(でも、たまにある)。

さて、コーディネーションを期待される時、ネパール側がよく云ってくれるのが「あなたがいるとサジロだから」というもの。このサジロ。「あなたがいるとこちら(ネパール側)に便利(簡単)だから」というニュアンスが感じられて仕方ない。自分たちは一段高いところに立ち、私を使い回そうという黒いものが感じられる。

日本側がネパール側の主張を受け入れなかった場合、「あなたがいるのに、何故日本側を説得できないのか?」と、間に入った人間=私の能力が足りない、または私の過失のような態度を取ることが多い。立派な、偉い、高い階級にいるネパールの方たちは、絶対に間違わないのだ。と、思い込んでいる。彼らは(彼ら、である。ネパールの女性たちから、このような理論で責められることは少ない)。

一方、私に空しさを感じさせないネパールの人たちは、全く同じ状況でも、サジロとは云わない

「あなたがいると、ラムロ(好ましい)から」 と云ってくれる。

ラムロと云ってもらえると、こちらの気も強くなる。これはなんとしても、頑張ろう!と思う。でも、ラムロを使ってくれる人とは沢山出会えない。ラムロと云ってくれる人は、実はその人の方が私を助けてくれることが多い。例えば、うちの息子がバンコクに留学した時。アパート探しなど、私のタイ人の友人が助けてくれた。生活立ち上げの時は私も息子に同行することになった。その時、ネパールの家族は「おまえが一緒に行ってくれれば、ラムロだし安心だ」と声をかけてくれた。特に、孫が外国に行くことを心から心配していた義母が。

サジロとラムロの違いについては、ネパール語ネイティブである連れ合いに云わせると、違うニュアンスを込めて使い分けていないと云う。ので、私の思い込みなんだろう。が、気になるんだな。


仕事で衝突すること多かったあるネパール人。業務が完了し、挨拶に行った時。こう云われた。

「あなたはネパールの言葉も状況も分かるし、理解しようとするからつい、あなたの責任ではどうにも出来ないことまで何とかしてもらおうとして無茶な主張をぶつけてしまった。ボクたちにとってはサジロ(便利)だったけど、あなたにとっては実にガハロ(Gaahro 困難)だったと思う。分かっちゃいたけど、つい、やっちゃった。でも、キミと仕事出来たことはラムロ(良い経験)だったよ。忘れないからね」

私にサジロを求める相手にも、衝突しながらも誠実にぶつかって、ラムロと感じてもらえる結末に持ち込むことが、大人としての自分の、ネパールに戻ってからの進む道なのだ。と、最近やっと思えるようになった。

同時に、自分で抱えるだけでなく、仕事を人に振り分けることも増えてきた自分は、他人に対してもサジロじゃなく、ラムロな関係を求めていくべきなのである。「心」があるのは、私だけではないのだから。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その5

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)その3(複数の暦ごとに誕生日も複数存在) 、その4 -1(ネパール人の嘘) に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人の「嘘」、傾向と対策 -2
このテーマも5回目。そろそろ結論としよう。 生年月日や年齢を詐称する/操作することは、ネパール社会ではどの程度悪いことと認識されているのだろうか?

私の個人的感覚だが、それ程大したことではない。良くないけど、すごく悪いことではない。と、考えられていると思う。これまで述べてきたように、そもそも自分の暦でない西暦での誕生日は単なる記号であって、自己のアイデンティティーに根ざしたものではない。選挙で負けたら、大政党でさえも「不正選挙だ。認めない。政治的配慮で議席を認めよ」と、ドヤ顔で主張する社会である。年齢制限ある応募なら、数年くらい年を操作してもいいじゃないか。正直者はバカを見る。ネパールで成功するためには、(狡)賢くないとダメなんだ。というのが、私が感じているネパールの価値基準である。

嘘についての基準も、文化によって差違がある。だから、ある部分の嘘は、日本人にとっては嘘であっても異文化の人にとっては「嘘じゃない」こともある。相手が嘘じゃないとして主張する部分は堂々としているので、つい、その場は凌駕されてしまうだろう。そして人間関係がある程度進めば、グレーな嘘は嘘と認められない。認めてしまうと、全てが崩壊してしまうから誰も触れられない。事態になりはしないだろうか。だ・か・ら、一部のネパール人が嘘つきなんじゃなくて、嘘に対する文化的物差しが違うことはないだろうか?

もちろん、ネパール社会と外国文化・社会の違いをきちんと理解して、外の社会での良識やルールに合わせていけるネパールの人たちは沢山いる。しかし、非難を恐れずに云うなら、良識あるネパール人の場合、外国人とビジネスや共同運営事業はすることあるが、恋愛したり結婚する機会は多くない。厳しい階級社会であるネパールにおいては、自分の属する文化・民族・階級の相手を選ぶというのが、良識のひとつ。 

敢えて異民族と恋愛したり結婚しようとする場合、そこに、「何か」が介在することは、当然。と、それくらいの気持でいるべきだ。本当に嘘のないネパール人と出会えたなら、それはあなた。そんな幸運は一生大切にして下さいね。同様に、嘘はネパール側だけですか?日本側は正直ですか?日本に良い男性はゴマンといるのに、外国人との恋愛や結婚を選択する背景や原因には「何か」あるかもしれません。相手だけでなく、自分の中にもある何かと向き合うことは、厳しいけれど大切なことかもしれませんね。

相手の嘘の背景を知り、その傾向を探り、対策を施す。自分自身、ネパール人男性の外国人配偶者として。そして、他所のうちの大切なお嬢さんと(出来れば他所の奥様とはやめてほしいが)恋愛を重ねていく年頃の、ネパール人イケメンの母親として。考えることしきりである。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その4

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)その3(複数の暦ごとに誕生日も複数存在) に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人の「嘘」、傾向と対策 -1
ネパール人に限らず、どこの国においても誠実な人はいるし、不誠実なヤツらもいる。日本人と比べて、ネパールの人たちの方がずっと寛容で懐が深いと思う。ネパールで、ネパールの人たちに助けられて生きてきた私が云うのだから、みなさん信頼してほしい。その上で、私が出会った/見聞きしたネパール人の「嘘」の特徴や、嘘の出処がどこにあるのか?その傾向と対策を考えてみよう。ネパール人と云っても、社会背景に幅がある。日本に来られる経済環境の、都市部中流のネパール人というのを頭に浮かべて考えてみた。

ここで突然、話は日本の明治、大正時代に飛ぶ。今年の大河ドラマ「八重の桜」を思い浮かべていただければ分かりやすいだろうか。明治〜大正時代の日本男性の、生身の女性としての相手ではなく、自分の理想としての観念的女性を自分勝手に愛することを上から目線で表現した、その時代の小説やら評論を読んでみることをおすすめしたい。例えば、森鴎外、徳富蘆花、有島武郎。現代の私たちから見ると「イミフ」な美辞麗句、自分勝手な嘆きや美文。誰も幸福にしない、破滅的行動の美化。などが見て取れる。

ネパール人男性と恋愛するのって、明治とか大正デモクラシー時代の、選民意識に裏打ちされた昔の日本男性を相手にしている。と思うと、いろいろ腑に落ちることある。ネパールの開国から近代化、民主化のうねりの中、国王親政から立憲君主制と国王クーデターを経た、共和制への無血変革。日本で云えば、明治大正時、昭和の戦前戦中戦後が、ネパールでは現在進行形。社会や国際情勢、時代は同じではないし、ネパールが今後日本のような形式の社会や経済変革に進むとは思えない。国と文化と地勢的条件が違うのだから当然の差違であろう。その差違を考慮した上で、共通項を探りたい。
 

一例として、文豪鴎外・森林太郎先生。わざわざドイツから追ってきた女性とは別離している(事実も、文学作品でも)。「舞姫」なんて、もし、ドイツ人女性側の視点で考えてみたら、トンでもない酷い話。

鴎外はあの時代の巨匠・巨人であり、当時の日本から先進諸国に行った人たちはごくごく限られたエリートだけであったと思う。今のネパールの場合、普通の人がどんどん海外に出て外国人の異性と出会っている。結果、そのお話も文学じゃなく、草の根のものになっていると実感している。

この項、つづく....

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その3

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人には、複数の誕生日がある
ネパールにおいては西暦でなく、ビクラム暦(ビ暦と略)が一般的に使用されていることは前回述べたとおり。ビ暦というのは北インドで、ヒンズー教に基づいて発展してきた暦の中の1つ。聞きかじり情報で恐縮だが、同じビ暦でも、現在のインドに伝わるビ暦と、ネパールのビ暦では差違があるらしい。起源は同じでも、ビ暦と地球の自転のズレから少しずつ季節と暦が合致しなくなっていたものをインドでは調整済みで、ネパールは調整していないようだ。

本論に戻る。ヒンズー教徒やネワール仏教徒の場合
 ◇ビ暦の誕生日
 ◇太陰暦の誕生日 (ティティ) 。月を基にする暦。1年13ヶ月の年もある。
の2つがあり、ビ暦の誕生日は公文書に。ティティの誕生日は、宗教儀礼など伝統的場面で使われる。年配の人の場合、普段はビ暦で暮らしていても、誕生日はティティで祝う事もある。ちなみに、亡くなった命日も、ティティが伝統的。

ビ暦とティティは年によっては1ヶ月近くずれる。このため、自分や家族の生まれた頃になると早めに占星術師の処に出向き、その年のティティでの誕生日がビ暦の何日か調べてもらうこともよくある。これを見る暦(パトロ)から深く読み取るためには、天文学など専門的勉強が必要だが、日の対照くらいならちょっと勉強すれば何とかなる。しかし、「知識」は力であり、それは人を支配する権力の基盤である。伝統的に暦の知識は限られた家系の男子に相伝されており、自分で勉強しようとか、女性がその知識を得ようとかしなかったと見える。

現代においては近代化の中ティティの存在価値が薄れ、知識を学習出来る人たちは増えたが、伝統的暦の学習や研究も広まっていない。


ここから先は、それぞれの民族の方々にご教示いただかなくてはならないが、私の知る限りで書く。

ネパールは数多くの民族から構成されており、その民族ごとに独自の文化が形成されてきた。文化の粋たる「暦」も、それぞれに存在する。例えば、首都カトマンズ盆地に高度な都市文明を築いたネワール族は「ネパール暦(ネワール暦、ではない。かつては、カトマンズこそがネパールであった) 」という暦があり、ネパールでは公式の暦の1つとして政府からも公認されている。

西暦2013年11月4日は、ビ暦の2070年7(カルティク)月18日であり、(ネワール族の伝統に基づいた)ネパール暦では1133年元日である。

このほか、チベット系民族にもそれぞれの暦があり、イスラム教徒にはイスラム暦がある。 このように
 a) 自分の属する民族・文化・宗教に基づく暦
 b) ネパール政府や伝統的支配階層の文化に基づくビクラム暦
 c) 諸外国とのやりとりをするため(だけ)の西暦
暦だけとってみても、異なった重層的背景がある。 ネパール国内でネパール人とだけで生活していれば、a) b) は重要だが、西暦は他人事の暦程度になってしまう。自分の文化背景に属さない西暦の日付、極論すれば西暦の誕生日なんて、そんなに重要でないよ。という気持が、(ネパールだけで暮らす)ネパールの人たちにとって本音ではないだろうか?

西暦の誕生日は、外国や外国人と付き合うための仮の日付、記号。 外国や外国人と付き合う時は本当の自分でなく、仮の自分。外国に来ている間は、フィクションの自分。

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これまで見聞きしてきた、日本人に対するネパール人の「嘘」の出処に、次回は話を進めたい。返り血浴びる覚悟で。 

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その2

昨日に続き、ナマステ!掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について考える。前回は原因として、1.日本とネパール戸籍制度の根本的違いについて述べた。今日取り上げるのは、

2.日本とネパールの「暦」の違い
明治以降の日本では、西暦が通常の暦として使用されている。伝統的祝祭などには、陰暦/旧暦も併用されているが、自分の誕生日となるとほぼ全員、西暦による日付しか知らないと思う。 ネパールではどうか?

ネパールにおいて公式な暦として一般的なのは、西暦とは異なる「ビクラム暦(以下、ビ暦と略)」である。 ビ暦も週7日間であり、曜日は西暦と同じ(文化的背景は異なるが)である。しかし、
 ◇ 新年は西暦の4月中旬から始まり、(西暦)次の年の4月中旬で終わる。
 ◇ 1ヶ月32日間ある月もある。
 ◇ 太陽暦と太陰暦のハイブリッドであり、西暦との日付は毎年ずれる。
 ◇ 現在(2014.4.13まで)ビ暦2070年であり、西暦より古い。

例えば、ビ暦今年(2070年)4月1日(サウン月1ガテ)は西暦2013年7月16日だが、10年前の同じ日を見ると、西暦7月17日と、1日ずれている。

外国とのつながりの薄い、普通にネパール社会だけで暮らしている人にとっては、ビ暦の日付だけ知っていれば生活に不自由がない。ほぼ全てにおいて、ビ暦がネパール社会の基盤(のひとつ)になっているからだ。西暦の日付など知らないことが、ネパールでは普通のこと。西暦の日付を気にしたり、西暦を元に生活しているネパール人となると、外国とのビジネスをしていたり、外国企業や事務所に勤務していたり、西暦を使う社会との特別濃い関係がある人に限られると云える。

一例を挙げると、以前ネパール国営の放送局に勤めていた人。腕時計のカレンダーが西暦の日付ではなく、ビ暦になっていた。彼曰く「32日ある月は、調整がめんどくさいんだよね。何でこのSEIKOの時計、31日までしかないんだろうね?」。その後、某外国放送局のカトマンズ支局に転職。しばらく経ってふと見たら、時計のカレンダーは西暦日付に変わっていた。グローバル基準に飲み込まれたのな。

このような社会であるから、自分の生年月日をビ暦では知っていたも、それが西暦のいつなのか?単純な換算出来ないため、ビ暦/西暦対照カレンダーなるものが売っている。ネットでも検索出来る。または、占星術師の処でも調べてもらえる。のではあるが、それをしない/出来ない人が沢山いる。世界はビ暦を中心に回っているというネパールの常識。いや、日本人も笑えないよ。役所など、在住来たばかりの外国人に対しても申請書に「平成何年」を書かせて、普通と思っていないだろうか?それのもっと強烈で広範囲の思い込み。と、考えれば理解しやすい。

生まれてこの方ビ暦の日付だけで不自由しなかった人が、外国に行く、パスポートを取る、外国の職や学校に申請する時、生まれてはじめて「西暦」に直面する。まあ適当でいいや、と、日付換算が適当であったりもする。

今はさすがにないだろうが、20年前、実際、西暦何年何月生まれ(日付記載なし)の、ネパールの正式なパスポート(しかもこの人、一般旅券だけじゃなくて外交旅券も持ってた) を見て驚いたことがある。持ち主の某氏は、驚く私を見て逆にビックリしていたが。このお方、その後、某外国の官憲から生まれた日付なしでは公文書として受け入れられません。と指摘を受け、で、「だいたい」「適当」な西暦の日付をパスポートに追記してもらったとか。結果、この人にはビ暦の正しい誕生日と、外国向けの西暦「適当」な、でも外国向けには公文書としての誕生後の2つが出来てしまった。本人、社会的地位のある人だが、全く平気で何の支障もないようである。

現在においても、ビ暦と西暦の日付換算の間違い等で、両者の日付が正しく合致していない例は少なくない。と聞くことがままある。西暦なんて、まあ付け足しだからどうでもいいのよ。という、ネパール独特のざっくり感があるような気がする。

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今日はここまで。次回、間違い勘違いなくても、ネパール人の誕生日は正式に複数存在するってホント?という、不思議なお話をしたい。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その1

長らく放置していた当ブログを、久しぶりに更新したい。ネパールにどっぷり浸かり過ぎ、ネパール社会とネパール人(特に、ネパールの官僚機構)に対して疲れ果て、オバハンの心枯れ果て......であったのよ。日本で、ほぼ毎日湯船に浸かって(水と燃料不足のカトマンズでは、シャワーがやっとよ)、少し気持が回復してきた。

ということで、ナマステ!掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。 ネパール、この深き河よ!解説しちゃおうじゃん。何故ネパール人の年齢(誕生日)は不確かなのか?

現代の日本人の場合、生年月日というものはほぼ間違いなく、明確に分かっている。公文書、私文書にかかわらず、自分の年齢や生年月日を詐称することはタブーであり、このようなことが発覚すると世間から非難されてしまう。許されているのは、永遠の25歳プリンセス・テンコーさんくらいだろう。 

しかし、である。ネパール社会では現在に至るまで、社会的地位と名声のある立派な、誠実な人の間でさえ、パスポート等の公文書の年齢(生年月日)と本当の年齢(生年月日)が異なる。と云う例がある。私の身の回りでは、よくある。のだが、あり得る。あって不思議ではない。時々見かける。という表現を使うべきなのかもしれない。自分の経験だけが全てではないのだから。さあ、何故こんな事が起こるのか?その原因を考えよう。

1.戸籍制度の違い
現代の日本のような、医療機関と役所が法的に連動した戸籍制度。日本のような法律遵守社会の方が、世界的に見れば特殊なのではないだろうか。ネパールでは今でこそ、医療機関で生まれれば、誕生日と時間などが記載された文章を発行してもらえる。 しかしその後、日本の常識である「役所に対する出生届け出」については、異なる事情がある。

日本の場合、一定期間内に届け出をしなかった場合は法律に抵触する。しかも届け出るのは、役所の戸籍課と決まっている。 届け出の記載事実は、全国共通の戸籍台帳に記載される。ネパールの場合、最寄りの行政事務所に届け出ることが推奨されている。が、実際的にこれをしない事もある。届け出たとしても、日本のようなレベルで確立された戸籍台帳もない。

ネパールでこれに代わるのは、ひとつは a) 学校への就学。次に、b) 10年生終了後に受ける国家統一テスト(SLC)、最後に、c) 国籍カード発行である。 

a) 初等教育学校に入学する時、都市部の私立学校の場合、出生証明書の提出を求められる。生まれた医療機関のものがない場合、最寄りの役場に発行してもらう。親による申告であり、この時、親が故意なく、または故意に間違った/事実と異なる生年月日にしてしまうことがある。ここで「故意」のひとつとして紹介したいのは、ネパールでは、学齢より早く就学させてしまうことが、時にある(あった)ということである。

都市部の、一族全体の教育レベルの高いエリート家庭の場合、うちの子は賢いから、1年2年早く学校に入れてもついて行けるわ。早く教育を受けさせれば、それだけ優秀になる筈だ。という思い込みがあることが少なくない。周囲も、学校さえこれを知っていて黙認することもある。このような恵まれた、優秀な遺伝子を持った子供の場合、頑張ってついていくだけでなく、1年2年年上と張り合って、その集団の上位になってしまう子供さえいる。エリート層がこんな感じであれば、庶民もそれに習う訳で。逆になかなか学校に通わされず、学齢を過ぎて入学することもある。ネパールにおける就学学齢には幅がある。

名前についても、就学前は適当な「呼び名」だけで、学校に入れるに際し、正式な名前をつけて登録することもある。この呼び名、伝統的なところでは「長男(女)」「次男(女)」「三男(女)」....やら、「色黒」「おちび」、はたまた「ネズミっこ」なんてのもある。ヒンズー教徒の場合、生後11日目に占星術をもとにつけてもらう秘密の名前もあり、この名前は文字通り「秘密」なのである。宗教儀式の時だけに使う。ネパール人の名前の不思議さについては、また別の機会に書きたいと思う。

b) そういう子供が、10年生終了後の国家統一テスト(SLC)を受ける時。16歳であることにしないと試験を受けられないため、年上のサバ読みが確定されてしまう訳である。SLC受験で登録した名前、生年月日はその後、一生涯変更出来ない。学歴社会であるネパールにおいて、もしその後に発行された公文書との差違があれば、その人の教育記録として認められず、高等教育や就労の機会を失うこととなる。SLCで使った生年月日は、一生それを使わざるを得ないのだ。

さて、SLC合格は鋼鉄の門と呼ばれており、合格出来ずこぼれていく子供たちも全国的に見れば少なくない。教育の機会に恵まれない子供たちさえいる。SLCの記録と関係ない人生を送るネパール人の場合はどうなのか。

c) ネパール人は全て、16歳になると、国籍カード(Citizenship Card)の発行を受ける事が出来る。自分で地方行政事務所に申請し、ネパール人の国籍要件に合致していることを申告し証明してもらい、写真入りの名刺大カードの発行を受ける。パスポート等の発行や、高等教育、就労、各種登録に、一生涯不可欠な証明書となる。乱暴ないい方をすると、ネパール人は16歳になってはじめて、国民としての正式な証明を受けるのだ。

国籍カード発行を申請するまで、出生証明を持たない人もいる。この場合、親や親族が証人となって、申請者の戸籍事実を認めてもらう。であるからして、生年月日も自己申告。ここで、故意なく/故意に事実と違う情報が登録する事が起こりうる。

私の古い友人の話。彼は現在50台。カトマンズ近郊農村の出身の長男で、14歳の時父親が他界した。父には田畑を中心とする財産があったが、14歳では国籍カードがなく、遺産相続の手続きが出来なかった。当時の農村では、彼の母親(女性)名義で不動産を登記することを村社会が認めず、ヘタをすると父親の男兄弟たちに遺産を取られてしまう恐れさえあった。これをどうにかするため、彼は2歳年上だと云う事にし、16歳ということで国籍カードを作ったうえで法的に相続をした。その当時のネパールでは、他に方法はなかったそうだ。


現在、都市部の規律厳しい私立学校の場合、子供の発達にあった教育という常識が普及し、就学年齢は厳格に規定されている。であるから、上に書いたような柔軟な運用は不可能になったと云ってよい。遺産相続についても、女性や子供名義での登録の方法もある(だろう)。

しかし、ついちょっと前まで、カトマンズにおいてもいろいろ柔軟な対処が出来たのがネパール。今でも、そういう運用が100%不可能とは、言い難い。

現在の年齢20台、30台、またはそれ以降の、日本をはじめとする諸外国に来ているネパール人のSLCや国籍カード登録時、いろいろな事情で、事実と食い違う生年月日登録がなされていることは、充分にあり得る訳である。 

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今日はここまで。次のブログ更新で、2番目の原因として「暦の違い」という側面を考える。日本人が世界共通と信じている西暦が、ネパールでは「何、それ?」な存在であるとしたら........
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