申し訳ない。すぐに続きを書くようなことを云いながら(その1記事)1週間も間を開けてしまった。引き続き、
私がどうしても好きになれないネパール語/文化
Nata Parcha ナタ パルツァ 親戚です(縁戚です)
Bhaujyu バウジュー 兄嫁、または自分より目上の男性の妻に対する呼称「義姉さん」
について、意固地な考察を続けよう。
日本人の常識では考えられないほど、地縁、血縁、一族、家族の結束が固いのがネパール。政府、為政者や有力者が何も保護してくれない(危害を加えられる事は少なくない)社会体制が長く存在したため、自分、家族、親族での相互扶助と防衛がないと生きていけなかった為。という側面がある。
初対面のネパール人同士では、出身地や家族構成について根掘り葉掘りたずね合う。民族やカーストが同じ場合、特に伝統的に通婚が可能なグループ同士となると、広い親戚のどこかで、血縁や婚姻関係で繋がっていることも多い。
「おお、では、ナタ パルツァ(親戚)じゃないか!」
と、喜び合う。先日私もとある初対面のネパール人から「ナタ パルツァ」と云われたのだが、どういう関係かと聞くと、うちの亭主の母方の従兄弟の親戚筋とこの人の親戚が結婚している.....らしい。で、続いて
「だから、あなたのご主人はボクのダイ(兄さん)にあたるし、あなたはバウジュー(兄嫁)なんですよ。ね、ね、ねっ、ボクのバウジュー!」
はっきり云いましたわ。
「私はネパール人じゃないし、日本人としても大変変わった考え方をするので明確に云います。私の考えでは。そして多分、現代の日本人の多くも、その程度の関係は親戚とは考えません。ですから、私はあなたの兄嫁でもありません。私には名前がありますから、画一的な呼称であるバウジューと呼ぶのはやめて下さい」
「は?でもね、ボクたちのネパールでは、あなたはバウジューな訳で。ね、ね、バウジュー」
コイツから後日フェイスブックの友だち申請が届いたが、秒殺で拒否。何故、私がここまで頑ななのか。それは、ネパール人の、目上に対する絶対服従と表裏一体にある、際限ない甘えに起因している。ネパールの人間関係。特にネパール男性にとっては、
父親、父の兄弟(父方のおじ)、兄、先生に対しては、絶対服従。
母親、姉、母の兄弟(母方のおじ)は、絶対的に庇護してくれる、甘えられる存在。
でもって、甘えられる男性の妻はもちろん、絶対服従系男性の「妻」は、夫の側の厳しさをフォローすべく優しさを振りまく寛容が美徳とされている。ネパールの考え方では、
バウジュー(兄嫁)は、母親と同じ
文化、習慣、価値観、順法精神と、全く異なる常識のネパールと日本。ごく限られたネパール人と折り合っていくだけでも心身すり減るのに、全く関係ないネパール人から「親戚だ」の「兄嫁だの」云われても、対処できましぇん。し、したくないわ。
具体的事例を書くのは控えるが、単に遠縁に当たると云うだけで、丸投げのブン投げで日本に行きたいだの(就労目的がバレバレ)、ビザを取る手助けしてくれだの、就職世話してくれだの。過去、努力しないネパール人をどれだけ薙ぎ倒して、自分の怪獣の言動を確立してきたか。本当に近い親族のある人は、一流ホテルの厨房での経験を元に、私たちに相談も迷惑もかけず自分で技能ビザとって、日本で成功して、家族も呼び寄せてる。逆に、彼らがネパールに一時帰国した時はお土産もらってる。
「あのね、私の場合はね、縁戚があってもなくても。あなたと私が個人として尊敬に値する存在で、個人として確立した良き存在であれば、仲の良い友人や知り合いになれる訳。それを飛び越えて縁戚を主張する人とは、私は絶対付き合いませんからね。経験上、そういう人とは不愉快なことが多いから」
今回私にバウジューと言い続けた人は、こちらで社会的経済的に確立された立派な人であり、私に何か集ろうとか、依存しようとしていないこと。分かっていた。が、許せよ。私をこんなにしたのは、ネパールなんだから。
バウジューと同様に、またはそれ以上にズブズブの甘えの構造に浸れる相手として、「マイジュー(Maijyu: 母方のおじの妻)」と云うのがある。うちの亭主の女きょうだいの子供たちにとって、私は、(ネパールの常識から考えて)理不尽に恐くて厳しいマイジューであり、親密な関係を築いていない子供たちが多い。だって、(日本の)常識では考えられないほど甘えようとするから、拒絶。しかし、ひとり。プロの報道写真家として確立して、今、対等な大人同士として仲良く付き合える子がいる。そいつだけなのよ、社会的に自立したのが。S、君は偉いよ!
結論として私は、ネパール社会の目上に絶対服従にセットされている、際限ない甘えの構造が嫌いである。と云うことなのだ。ねぇ、自立しようよ。精神的に。
私がどうしても好きになれないネパール語/文化
Nata Parcha ナタ パルツァ 親戚です(縁戚です)
Bhaujyu バウジュー 兄嫁、または自分より目上の男性の妻に対する呼称「義姉さん」
について、意固地な考察を続けよう。
日本人の常識では考えられないほど、地縁、血縁、一族、家族の結束が固いのがネパール。政府、為政者や有力者が何も保護してくれない(危害を加えられる事は少なくない)社会体制が長く存在したため、自分、家族、親族での相互扶助と防衛がないと生きていけなかった為。という側面がある。
初対面のネパール人同士では、出身地や家族構成について根掘り葉掘りたずね合う。民族やカーストが同じ場合、特に伝統的に通婚が可能なグループ同士となると、広い親戚のどこかで、血縁や婚姻関係で繋がっていることも多い。
「おお、では、ナタ パルツァ(親戚)じゃないか!」
と、喜び合う。先日私もとある初対面のネパール人から「ナタ パルツァ」と云われたのだが、どういう関係かと聞くと、うちの亭主の母方の従兄弟の親戚筋とこの人の親戚が結婚している.....らしい。で、続いて
「だから、あなたのご主人はボクのダイ(兄さん)にあたるし、あなたはバウジュー(兄嫁)なんですよ。ね、ね、ねっ、ボクのバウジュー!」
はっきり云いましたわ。
「私はネパール人じゃないし、日本人としても大変変わった考え方をするので明確に云います。私の考えでは。そして多分、現代の日本人の多くも、その程度の関係は親戚とは考えません。ですから、私はあなたの兄嫁でもありません。私には名前がありますから、画一的な呼称であるバウジューと呼ぶのはやめて下さい」
「は?でもね、ボクたちのネパールでは、あなたはバウジューな訳で。ね、ね、バウジュー」
コイツから後日フェイスブックの友だち申請が届いたが、秒殺で拒否。何故、私がここまで頑ななのか。それは、ネパール人の、目上に対する絶対服従と表裏一体にある、際限ない甘えに起因している。ネパールの人間関係。特にネパール男性にとっては、
父親、父の兄弟(父方のおじ)、兄、先生に対しては、絶対服従。
母親、姉、母の兄弟(母方のおじ)は、絶対的に庇護してくれる、甘えられる存在。
でもって、甘えられる男性の妻はもちろん、絶対服従系男性の「妻」は、夫の側の厳しさをフォローすべく優しさを振りまく寛容が美徳とされている。ネパールの考え方では、
バウジュー(兄嫁)は、母親と同じ
文化、習慣、価値観、順法精神と、全く異なる常識のネパールと日本。ごく限られたネパール人と折り合っていくだけでも心身すり減るのに、全く関係ないネパール人から「親戚だ」の「兄嫁だの」云われても、対処できましぇん。し、したくないわ。
具体的事例を書くのは控えるが、単に遠縁に当たると云うだけで、丸投げのブン投げで日本に行きたいだの(就労目的がバレバレ)、ビザを取る手助けしてくれだの、就職世話してくれだの。過去、努力しないネパール人をどれだけ薙ぎ倒して、自分の怪獣の言動を確立してきたか。本当に近い親族のある人は、一流ホテルの厨房での経験を元に、私たちに相談も迷惑もかけず自分で技能ビザとって、日本で成功して、家族も呼び寄せてる。逆に、彼らがネパールに一時帰国した時はお土産もらってる。
「あのね、私の場合はね、縁戚があってもなくても。あなたと私が個人として尊敬に値する存在で、個人として確立した良き存在であれば、仲の良い友人や知り合いになれる訳。それを飛び越えて縁戚を主張する人とは、私は絶対付き合いませんからね。経験上、そういう人とは不愉快なことが多いから」
今回私にバウジューと言い続けた人は、こちらで社会的経済的に確立された立派な人であり、私に何か集ろうとか、依存しようとしていないこと。分かっていた。が、許せよ。私をこんなにしたのは、ネパールなんだから。
バウジューと同様に、またはそれ以上にズブズブの甘えの構造に浸れる相手として、「マイジュー(Maijyu: 母方のおじの妻)」と云うのがある。うちの亭主の女きょうだいの子供たちにとって、私は、(ネパールの常識から考えて)理不尽に恐くて厳しいマイジューであり、親密な関係を築いていない子供たちが多い。だって、(日本の)常識では考えられないほど甘えようとするから、拒絶。しかし、ひとり。プロの報道写真家として確立して、今、対等な大人同士として仲良く付き合える子がいる。そいつだけなのよ、社会的に自立したのが。S、君は偉いよ!
結論として私は、ネパール社会の目上に絶対服従にセットされている、際限ない甘えの構造が嫌いである。と云うことなのだ。ねぇ、自立しようよ。精神的に。