昨夜、国会傍聴とその後の業務を終えた後ネパールの某知識人と、今回の国会宣言において「国王が象徴として温存された意味」について話をした。

そこでの内容と、日本の憲法学者・谷川先生の評論弾よけとなった玉,玉虫色議会宣言)の論調に、興味深い共通点がある。

谷川先生の表現では、国王「弾よけ」論であり、昨夜のカトマンズで我々が出した結論は、国王は「カードのひとつ」論である。曰く、王制を廃止してしまうと復活させるのは難しい。政党は国王の権力と特権を剥奪した上で、交渉の「カード」のひとつとして存在を残したというもの。

誰との交渉のためか?そんなの明白。マオ派とだ。

政党は、政党対マオ派の「ガチンコ」既得権争いを回避したいようだ。マオ派幹部である「上位カーストの知識人」を体制内に取り込み(しかし、マオ派全体としてはそれを許さないだろう)、都市部の有産階級としての既得権を守り抜くだろう。その中で、国王というカードは、いろいろな側面で使える可能性がある。谷川先生は、「弾よけ」と表現されている。

持て余したら、捨てればよい。

このカード、噛みつくかもよ?しかし噛みつけば、かなりの確立で、破って捨てられる。だから政党側は、安全牌と判断したのだろう。

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カトマンズでは、えっ?と思うような階層から、マオ派の「政治主張」(武力闘争に対してではない)擁護論を聞くことも少なくない。王制完全廃止の共和制こそがネパールを救うのだ!と、理論的には納得しているが、感覚として違和感を禁じ得ない。

マオ派の政治理論擁護や完全共和制支持する方たちは、直接マオ派により、生活や財産の侵害を受けない人であったりもする(中には、自己犠牲を覚悟の上でマオ派へのシンパシーを表明する方もおり、尊敬できることを明記したい)。

一方、私自身を含むネパールの有産階級は、マオ派の元での財産や生命の危険を感じている。

だからついつい、革命的変革に対しては、腰が引けてしまう。

マオ派の政治的主張の中で、特に、女性の権利についての部分など、非常に優れているものがあり共感している。それでもなお、マオ派に対して警戒感を感じる。だから、私のこのブログは、決して「中立」ではないのだよ。

だからこそ、日本人憲法学者としての谷川先生の評論は、私にとって貴重だ。よりニュートラルな立場からの、グローバルな視点により、私自身の偏狭な思考に疑問を投げかけてくれるからだ。