けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

ネパール文化

三本線の謎〜ネパール政府系レポート表紙

すったもんだのあげく、ネパール新憲法草案が制憲議会に提出。審議に入るところまで漕ぎ着けた。震災がもたらしたミラクルであるが、本当に公布出来るかどうかは、ぎりぎり直前にならないと予測つかないだろう。論議分かれる点については「先々ゆっくり決めるわいなぁ」と明記される可能性高く、現在の暫定憲法のままで「いいじゃないの」「ダメよだめだめ、憲法フィニッシュして、外国からの復興援助ガッポガッポもらうのよ」と、政界のイヤらしさも感じられる昨今である。

詳しくは、谷川先生の「ネパール評論」を(いつも頼りにしています)。 

さて、憲法草案の表紙に縦の三本線が見られる。
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ネパール政府系のレポート表紙には必ずと云っていいほど描かれる三本線。これ、やこれも。 以前ネパール政府と仕事していたときも、表紙は必ずこれ。

「三本線、何の意味があるの?」

と官僚諸氏に尋ねてみたが、誰からも満足いく回答は得られなかった。前例主義、考えない主義なのだろうか?この三本線を見るたびに「また、(外国人的視点では)使えない紙を作りやがって...と、内容見る前にウンザリしてしまう悪い習慣がついた。

どなたか、三本線の意味をご存じであれば教えていただきたく。みなさまにお願いする次第です。

ラトマチェンドラナート、巡幸予定

現在パタン旧市街マンガルバザールとラガンケルの中間地点Thatiに鎮座ましましているラト・マチェンドラナートさま。昨日のRadio Sagarmathaニュースに拠れば、6月19日(木)にここから最終地点のジャワラケルに巡幸される吉祥の日付が占星術により決定された。

その日から4日目の6月22日(日)、国家元首である大統領臨席の下、(宝石を縫い付けられたご神体のチョッキを見せる)ボトジャトラが行われる見込みである。この日は、カトマンズ盆地内限定の祝日となる。
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ご神体が置かれた山車現在地と、ボトジャトラ開催地の位置(地図クリックで拡大)

ボトジャトラの頃には、カトマンズ盆地にもモンスーンが到来しているはずである。ビクラム暦2071年祝祭日一覧も、ボトジャトラ日付暫定的であるが更新した。
http://japanepal.com/calendar/2071.html

パタンのクマリ

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カトマンズ旧王宮地区のクマリの館に住まわれるロイヤル・クマリだけでなく、カトマンズ盆地内には何人かのクマリが現在でも存在している。由緒正しきネワール族の、吉祥の印を持って生まれた少女が、生きている女神さまとして国家や地域の信仰の対象になっている。

女神でいる間は外出や食物に対する規制もあるが、近年では女神期間中の学校教育にも配慮が為されるようになったと聞く。カトマンズクマリのように通学できない場合は、学校の先生がクマリの元に出向いての個人教授となるようだ。

パタンのジャワラケル交差点〜クマリパティ(文字通り、クマリの東屋)は昨日今日、ストリートフェスティバル。食べ物や衣類の露天、ヘビメタバンドのコンサートという下世話な環境の中、パタンクマリのお目見えも行われていた。

祭りの最終日には国家元首も臨席するパタンのラト・マチェンドラナートをはじめ、パタンの神聖なる祭りや儀式には欠かせない、街の守り神である。

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ラト・マチェンドラナート、祭りはもうすぐ

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カトマンズ盆地に雨期の到来を知らせる、パタン、ラト・マチェンドラナートのご神体を乗せる山車が、今年も伝統通りの技法で準備されている。今年は5月3日に巡行が始まり、1ヶ月から2ヶ月にわたってパタン旧市街地各地に巨大な山車が曳かれていく。祭りの終焉の頃には、盆地に豊作をもたらすための雨期が始まる。

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マハーバーラタ、再び

ネパールで広く信仰されている宗教のひとつ、ヒンズー教。この宗教の教義や、価値観を学ぶ上で大変役に立つ宗教的叙事大河神話ストーリー「マハーバーラタ Maha Bharata」。原典を読み解くのは長大すぎるし、日本語訳は今ひとつ、抄訳の感が免れず。そうなると、テレビドラマとして作成されたものが一番取っつきやすい。

BR Film社制作による1988年テレビシリーズのオープニングとクロージングソング。



ネパールでも国営テレビで、私の記憶では1991年あたりから放送されていた。インドだけでなくネパールでも大人気となった。私もネパール移住直後、ヒンズー教徒たる連れ合いとの生活立ち上げ期であり、ヒンズー教を信仰する社会の価値観を知る上で、こんなに勉強になったものはない。

私にネパール/ヒンズー教的価値観を植え付けようと、連れ合いはそれこそ、ストーリーの意味や背景を逐一丁寧に教えてくれた。それが後日、大変な事態の原因になるとは夢にも思わず......

マハーバーラタというのは、平たく云えば古代インド王族同士の遺恨がもたらす大殺戮のお話しであり、人間だけでなくヒンズー教の神々までが入り乱れて展開する。ウィキペディアでの解説はこちら。


そんなマハーバーラタが去年秋より、インドの衛星テレビチャンネルStar Plusで再度、最新版が制作され絶賛放送中。放送後にはyoutubeにも、放送版がUPされている。これはその第1話。



四半世紀の間のCG技術の進化を感じさせるものであり、登場人物のキャラクター設定もより現代的である。1988年版では「神話ではそういうことになっているから」的で、何故親族内の遺恨が積み重なったのか?端折られている感があった。しかし現在のものは、善側の中にある弱さ。悪役側にとっての言い分がきちんと描かれている。

マハーバラタという、ヒンズー教徒にとって絶対的な真実と盲信の手垢にまみれた神話を、異教徒として冷静に解釈してみよう。一言で言うなら、

屁理屈が成立するなら、どんな悪行を行っても良い。慈愛あふれる年長者であっても、武力で倒しても良い。前世からの業であれば、どんな悪行でもそれを貫き通せば死語天国に行ける。結局人間はみんな死ぬ訳で、最後は無に帰るのだから何があっても/何をしても恐れる必要はない。

と云うものだ。善と考えられているクリシュナ神は、慈愛あふれる祖父(の世代)に弓引く事を躊躇うアルジュンにそんな事を説くし、クリシュナは妻以外に何千人もの愛人がいるし、その中で一番相思相愛なのは人妻(ラダ)だ。神さまであれば、他人の奥さんであってもオッケー!貞淑の鏡な王妃たちにも、結婚前の隠し子がいることぼろぼろ。言語道断なのは王との間の息子たちが亡くなった後、嫁たちに対し、結婚前に生まれた(王との血縁ない)自分の隠し子と子を為せ!と命令する皇太后がいたり。で、実際息子たちをもうけてこれを王位に就かせちゃう。そしてこの息子たちの甥だの嫉妬と反目が、世代を重ねるごとに深く大きくなっていく。

善の王子は実はギャンブル依存症。財産、国土だけでなく、家族や妻までも賭で取られてしまう。人身売買よ。

しかしそれら全てが、神の名の元に正当化されてしまう。

悪の王子側は、そりゃお行儀悪いけど、身分や出自に拘らず能力ある人間を認めて友情を深めるし(ドゥリヨーダンとカルナ)、ファミリーを売ったりはしない。

しかしそれら全てが、神の名の元に邪悪とされてしまう。

世の中、邪悪でイイのよ。それが神さま(=世の主流派)に裏書きされればね。反対に、どんなにイイとこあったって、神さま(=世の主流派)に認められなきゃダメなのよ。

なーんか、現代のどこかの国の社会の原型のような気がしません?こーゆー価値観を容認するってことは、今生きている人間の人生観にも反映されている。 

1988年版を逐一丁寧に説明してもらい、調べ物をして補強し、日本人の頭で考えて理論武装した。そう、かわいそうな連れ合いの教育から、こんな毒花が咲いたという訳だ。 わたくし、1988年版も最新版でも、狡猾な悪者とされるシャクニに共感するところ大なのだ。みんなが嫌うドゥリヨーダン王子の、たったひとりの理解者。しかも頭は良いし賭博の天才だし、クリシュナのようなイイ子ぶっりをしない潔さ。

よし、ガンバレ!シャクニ大先生!!と、最後に負けてしまう事は数千年の昔から決まり切っているのに、今日もまた、シャクニとドゥリヨーダン大悪王子側を応援する私は、仲良く連れ合いと一緒に最新版マハーバーラタを見るのであった。

いろいろあるが、夫婦は仲良しで。主義主張は異なれど..... 

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Star Plusチャネルにて、月曜から土曜まで、ネパール時間20:45(インド時間20:30)から。絶賛放送中。週6日放送とは!大河ドラマであり夜の連ドラでもあるとは.....

 

私の嫌いなネパールの祭り、ホーリー

アンタ、どんだけネパールが嫌いなの?って。私の嫌いな祭り、ホーリー(祭りの概要はクリックで)が日曜日にやってくる。はい、春の訪れと豊作を祈願する祭りで、仲間内で当日水や色粉をかけ合うのについては何も不満ございません。

問題なのは.....

祭りの一週間前、カトマンズ旧王宮広場に「チール」という色とりどりの布で飾られた柱が立てられます。これ以降1週間は、ホーリーの遊び解禁と相成るわけで。で、道行く見ず知らずの人に、家の屋上や窓から水をザパーッ!とふっかけようが、水風船を投げつけようがお構いなし。住宅街をジョギング中、色水をぶっかけられたこともあり。水風船だって、4階建て5階建ての家も多いカトマンズ。当たるとアザが出来るくらい痛いこともある。甚だしい場合は、汚水を投げつけてくるから。

腹が立つのは、隠れて、道行く無防備の人を攻撃するってこと。卑怯千万であるが、抗議すると「コレハ、ネパールノ ブンカ フウシュウ デース」と鼻の穴をふくらませるDQNが多いこと。

ホーリーとは、卑怯と弱いもの虐めがネパールの伝統文化であることを、子供に教え込む祭りである。 この延長線上に、バンダもチャッカジャム(交通封鎖)もあるわな。

ネパールの老人は嘆く。昔はこんなじゃなかった。もっと穏やかに楽しく、仲間同士で楽しむ祭りだったと。

しかし、今年、ホーリー前の無差別水攻撃が目に見えて収まっている。今までぬるかったネパール警察が今年は、知らない人に水や粉をかけることを厳禁。アルコールや大麻をキメてバイクや車を運転するのも厳罰に処す。やった場合は逮捕して司法手続きに送る(去年までは拘束だけで釈放していた)。家の屋上からやった場合は誰か分からなくても、その家の持ち主を逮捕する。 と。

毎年店先で売られる水鉄砲が、今年は殆ど見かけない。 

いいぞ、警察。つーか、毎年の乱痴気騒ぎに、市民が疲れたのかもね? ホーリー当日、ご家族親戚、ご近所、お友だちで楽しく、節度ある一騒ぎは良いものよ。それこそ、素晴らしいネパール ノ ブンカ デース!

ホーリー、ヘーィ(ホーリー万歳)! 

私の嫌いなネパール Nata Parcha と Bhaujyu 〜2

申し訳ない。すぐに続きを書くようなことを云いながら(その1記事)1週間も間を開けてしまった。引き続き、

私がどうしても好きになれないネパール語/文化
Nata Parcha ナタ パルツァ 親戚です(縁戚です)
Bhaujyu バウジュー 兄嫁、または自分より目上の男性の妻に対する呼称「義姉さん」
について、意固地な考察を続けよう。

日本人の常識では考えられないほど、地縁、血縁、一族、家族の結束が固いのがネパール。政府、為政者や有力者が何も保護してくれない(危害を加えられる事は少なくない)社会体制が長く存在したため、自分、家族、親族での相互扶助と防衛がないと生きていけなかった為。という側面がある。

初対面のネパール人同士では、出身地や家族構成について根掘り葉掘りたずね合う。民族やカーストが同じ場合、特に伝統的に通婚が可能なグループ同士となると、広い親戚のどこかで、血縁や婚姻関係で繋がっていることも多い。

「おお、では、ナタ パルツァ(親戚)じゃないか!

と、喜び合う。先日私もとある初対面のネパール人から「ナタ パルツァ」と云われたのだが、どういう関係かと聞くと、うちの亭主の母方の従兄弟の親戚筋とこの人の親戚が結婚している.....らしい。で、続いて

「だから、あなたのご主人はボクのダイ(兄さん)にあたるし、あなたはバウジュー(兄嫁)なんですよ。ね、ね、ねっ、ボクのバウジュー!」

はっきり云いましたわ。

「私はネパール人じゃないし、日本人としても大変変わった考え方をするので明確に云います。私の考えでは。そして多分、現代の日本人の多くも、その程度の関係は親戚とは考えません。ですから、私はあなたの兄嫁でもありません。私には名前がありますから、画一的な呼称であるバウジューと呼ぶのはやめて下さい」

「は?でもね、ボクたちのネパールでは、あなたはバウジューな訳で。ね、ね、バウジュー」

コイツから後日フェイスブックの友だち申請が届いたが、秒殺で拒否。何故、私がここまで頑ななのか。それは、ネパール人の、目上に対する絶対服従と表裏一体にある、際限ない甘えに起因している。ネパールの人間関係。特にネパール男性にとっては、

父親、父の兄弟(父方のおじ)、兄、先生に対しては、絶対服従。
母親、姉、母の兄弟(母方のおじ)は、絶対的に庇護してくれる、甘えられる存在。

でもって、甘えられる男性の妻はもちろん、絶対服従系男性の「妻」は、夫の側の厳しさをフォローすべく優しさを振りまく寛容が美徳とされている。ネパールの考え方では、

バウジュー(兄嫁)は、母親と同じ

文化、習慣、価値観、順法精神と、全く異なる常識のネパールと日本。ごく限られたネパール人と折り合っていくだけでも心身すり減るのに、全く関係ないネパール人から「親戚だ」の「兄嫁だの」云われても、対処できましぇん。し、したくないわ。

具体的事例を書くのは控えるが、単に遠縁に当たると云うだけで、丸投げのブン投げで日本に行きたいだの(就労目的がバレバレ)、ビザを取る手助けしてくれだの、就職世話してくれだの。過去、努力しないネパール人をどれだけ薙ぎ倒して、自分の怪獣の言動を確立してきたか。本当に近い親族のある人は、一流ホテルの厨房での経験を元に、私たちに相談も迷惑もかけず自分で技能ビザとって、日本で成功して、家族も呼び寄せてる。逆に、彼らがネパールに一時帰国した時はお土産もらってる。

「あのね、私の場合はね、縁戚があってもなくても。あなたと私が個人として尊敬に値する存在で、個人として確立した良き存在であれば、仲の良い友人や知り合いになれる訳。それを飛び越えて縁戚を主張する人とは、私は絶対付き合いませんからね。経験上、そういう人とは不愉快なことが多いから」

今回私にバウジューと言い続けた人は、こちらで社会的経済的に確立された立派な人であり、私に何か集ろうとか、依存しようとしていないこと。分かっていた。が、許せよ。私をこんなにしたのは、ネパールなんだから。


バウジューと同様に、またはそれ以上にズブズブの甘えの構造に浸れる相手として、「マイジュー(Maijyu: 母方のおじの妻)」と云うのがある。うちの亭主の女きょうだいの子供たちにとって、私は、(ネパールの常識から考えて)理不尽に恐くて厳しいマイジューであり、親密な関係を築いていない子供たちが多い。だって、(日本の)常識では考えられないほど甘えようとするから、拒絶。しかし、ひとり。プロの報道写真家として確立して、今、対等な大人同士として仲良く付き合える子がいる。そいつだけなのよ、社会的に自立したのが。S、君は偉いよ!

結論として私は、ネパール社会の目上に絶対服従にセットされている、際限ない甘えの構造が嫌いである。と云うことなのだ。ねぇ、自立しようよ。精神的に。

私の嫌いなネパール Nata Parcha と Bhaujyu 〜1

私は基本的にネパールで幸せに暮らしている。その基本には、寛大なネパールの方々に受け入れてもらっているという認識があり、感謝の念もある。が、やはりこの国で生まれ育った訳でなく、ニホンという異文化の価値観を強く強く維持している意固地なオバサンでもある。

今日は、私がどうしても好きになれないネパール語/文化
Nata Parcha ナタ パルツァ 親戚です(縁戚です)
Bhaujyu バウジュー 兄嫁、または自分より目上の男性の妻に対する呼称「義姉さん」
について紹介しよう。

近年こそ、異なる民族やカースト、宗教間での結婚も社会的に容認され、いわんや国際結婚も増加しているネパールである。しかし、あまりに「違いすぎる」バックグラウンドの男女間では、家族の圧力で結婚に至る前に交際を断絶させられることもあるし、未だ、仲人がマッチメイクしたお見合い結婚の割合が高い。

「ラブ・マリッジ(恋愛結婚)は離婚する人多いですね。ですから、恋愛結婚は良くありませんね。お見合いがいいです」

と、ドヤ顔で云うネパール人は年配者だけでなく、まだ若い人にも多い。ああ、ネパールでは未だ離婚は社会悪なのであろうか!ネパール人、しなきゃいけないガマンは出来ず、しちゃいけないガマンを強要し、みんなで不幸になって傷をなめ合う「井戸の中のカエル」は、海を知らない。 

離婚しないこと=良いこと。離婚=悪いこと。という思い込みの上に、離婚も出来ない自由のない人生のマイナスは無視し、本来異なる座標軸に乗せるべき恋愛/見合い結婚と離婚について、乱暴な論理で語る。「ネパールでは、離婚はダメですね」って、ネパールじゃなくて「ボクの考えでは」「ボクの家では」だろーが!

結婚した以上、互いにガマンしたり妥協しあったりするべき側面は大きい。年数を積み上げて、幸せな家庭を築き上げることは大きな喜びだ。でも、世の中には良い離婚もある。離婚できる自由のある社会は、人間が生き易い。と、「私は」思うよ。

あ、話がそれました。ごめんなさい。本題は、その2として今週中にUPします。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その5

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)その3(複数の暦ごとに誕生日も複数存在) 、その4 -1(ネパール人の嘘) に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人の「嘘」、傾向と対策 -2
このテーマも5回目。そろそろ結論としよう。 生年月日や年齢を詐称する/操作することは、ネパール社会ではどの程度悪いことと認識されているのだろうか?

私の個人的感覚だが、それ程大したことではない。良くないけど、すごく悪いことではない。と、考えられていると思う。これまで述べてきたように、そもそも自分の暦でない西暦での誕生日は単なる記号であって、自己のアイデンティティーに根ざしたものではない。選挙で負けたら、大政党でさえも「不正選挙だ。認めない。政治的配慮で議席を認めよ」と、ドヤ顔で主張する社会である。年齢制限ある応募なら、数年くらい年を操作してもいいじゃないか。正直者はバカを見る。ネパールで成功するためには、(狡)賢くないとダメなんだ。というのが、私が感じているネパールの価値基準である。

嘘についての基準も、文化によって差違がある。だから、ある部分の嘘は、日本人にとっては嘘であっても異文化の人にとっては「嘘じゃない」こともある。相手が嘘じゃないとして主張する部分は堂々としているので、つい、その場は凌駕されてしまうだろう。そして人間関係がある程度進めば、グレーな嘘は嘘と認められない。認めてしまうと、全てが崩壊してしまうから誰も触れられない。事態になりはしないだろうか。だ・か・ら、一部のネパール人が嘘つきなんじゃなくて、嘘に対する文化的物差しが違うことはないだろうか?

もちろん、ネパール社会と外国文化・社会の違いをきちんと理解して、外の社会での良識やルールに合わせていけるネパールの人たちは沢山いる。しかし、非難を恐れずに云うなら、良識あるネパール人の場合、外国人とビジネスや共同運営事業はすることあるが、恋愛したり結婚する機会は多くない。厳しい階級社会であるネパールにおいては、自分の属する文化・民族・階級の相手を選ぶというのが、良識のひとつ。 

敢えて異民族と恋愛したり結婚しようとする場合、そこに、「何か」が介在することは、当然。と、それくらいの気持でいるべきだ。本当に嘘のないネパール人と出会えたなら、それはあなた。そんな幸運は一生大切にして下さいね。同様に、嘘はネパール側だけですか?日本側は正直ですか?日本に良い男性はゴマンといるのに、外国人との恋愛や結婚を選択する背景や原因には「何か」あるかもしれません。相手だけでなく、自分の中にもある何かと向き合うことは、厳しいけれど大切なことかもしれませんね。

相手の嘘の背景を知り、その傾向を探り、対策を施す。自分自身、ネパール人男性の外国人配偶者として。そして、他所のうちの大切なお嬢さんと(出来れば他所の奥様とはやめてほしいが)恋愛を重ねていく年頃の、ネパール人イケメンの母親として。考えることしきりである。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その4

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)その3(複数の暦ごとに誕生日も複数存在) に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人の「嘘」、傾向と対策 -1
ネパール人に限らず、どこの国においても誠実な人はいるし、不誠実なヤツらもいる。日本人と比べて、ネパールの人たちの方がずっと寛容で懐が深いと思う。ネパールで、ネパールの人たちに助けられて生きてきた私が云うのだから、みなさん信頼してほしい。その上で、私が出会った/見聞きしたネパール人の「嘘」の特徴や、嘘の出処がどこにあるのか?その傾向と対策を考えてみよう。ネパール人と云っても、社会背景に幅がある。日本に来られる経済環境の、都市部中流のネパール人というのを頭に浮かべて考えてみた。

ここで突然、話は日本の明治、大正時代に飛ぶ。今年の大河ドラマ「八重の桜」を思い浮かべていただければ分かりやすいだろうか。明治〜大正時代の日本男性の、生身の女性としての相手ではなく、自分の理想としての観念的女性を自分勝手に愛することを上から目線で表現した、その時代の小説やら評論を読んでみることをおすすめしたい。例えば、森鴎外、徳富蘆花、有島武郎。現代の私たちから見ると「イミフ」な美辞麗句、自分勝手な嘆きや美文。誰も幸福にしない、破滅的行動の美化。などが見て取れる。

ネパール人男性と恋愛するのって、明治とか大正デモクラシー時代の、選民意識に裏打ちされた昔の日本男性を相手にしている。と思うと、いろいろ腑に落ちることある。ネパールの開国から近代化、民主化のうねりの中、国王親政から立憲君主制と国王クーデターを経た、共和制への無血変革。日本で云えば、明治大正時、昭和の戦前戦中戦後が、ネパールでは現在進行形。社会や国際情勢、時代は同じではないし、ネパールが今後日本のような形式の社会や経済変革に進むとは思えない。国と文化と地勢的条件が違うのだから当然の差違であろう。その差違を考慮した上で、共通項を探りたい。
 

一例として、文豪鴎外・森林太郎先生。わざわざドイツから追ってきた女性とは別離している(事実も、文学作品でも)。「舞姫」なんて、もし、ドイツ人女性側の視点で考えてみたら、トンでもない酷い話。

鴎外はあの時代の巨匠・巨人であり、当時の日本から先進諸国に行った人たちはごくごく限られたエリートだけであったと思う。今のネパールの場合、普通の人がどんどん海外に出て外国人の異性と出会っている。結果、そのお話も文学じゃなく、草の根のものになっていると実感している。

この項、つづく....

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その3

ナマステ掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。その1(両国の戸籍制度)その2(暦の違い)に続き、ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について。今日取り上げるのは、

3.ネパール人には、複数の誕生日がある
ネパールにおいては西暦でなく、ビクラム暦(ビ暦と略)が一般的に使用されていることは前回述べたとおり。ビ暦というのは北インドで、ヒンズー教に基づいて発展してきた暦の中の1つ。聞きかじり情報で恐縮だが、同じビ暦でも、現在のインドに伝わるビ暦と、ネパールのビ暦では差違があるらしい。起源は同じでも、ビ暦と地球の自転のズレから少しずつ季節と暦が合致しなくなっていたものをインドでは調整済みで、ネパールは調整していないようだ。

本論に戻る。ヒンズー教徒やネワール仏教徒の場合
 ◇ビ暦の誕生日
 ◇太陰暦の誕生日 (ティティ) 。月を基にする暦。1年13ヶ月の年もある。
の2つがあり、ビ暦の誕生日は公文書に。ティティの誕生日は、宗教儀礼など伝統的場面で使われる。年配の人の場合、普段はビ暦で暮らしていても、誕生日はティティで祝う事もある。ちなみに、亡くなった命日も、ティティが伝統的。

ビ暦とティティは年によっては1ヶ月近くずれる。このため、自分や家族の生まれた頃になると早めに占星術師の処に出向き、その年のティティでの誕生日がビ暦の何日か調べてもらうこともよくある。これを見る暦(パトロ)から深く読み取るためには、天文学など専門的勉強が必要だが、日の対照くらいならちょっと勉強すれば何とかなる。しかし、「知識」は力であり、それは人を支配する権力の基盤である。伝統的に暦の知識は限られた家系の男子に相伝されており、自分で勉強しようとか、女性がその知識を得ようとかしなかったと見える。

現代においては近代化の中ティティの存在価値が薄れ、知識を学習出来る人たちは増えたが、伝統的暦の学習や研究も広まっていない。


ここから先は、それぞれの民族の方々にご教示いただかなくてはならないが、私の知る限りで書く。

ネパールは数多くの民族から構成されており、その民族ごとに独自の文化が形成されてきた。文化の粋たる「暦」も、それぞれに存在する。例えば、首都カトマンズ盆地に高度な都市文明を築いたネワール族は「ネパール暦(ネワール暦、ではない。かつては、カトマンズこそがネパールであった) 」という暦があり、ネパールでは公式の暦の1つとして政府からも公認されている。

西暦2013年11月4日は、ビ暦の2070年7(カルティク)月18日であり、(ネワール族の伝統に基づいた)ネパール暦では1133年元日である。

このほか、チベット系民族にもそれぞれの暦があり、イスラム教徒にはイスラム暦がある。 このように
 a) 自分の属する民族・文化・宗教に基づく暦
 b) ネパール政府や伝統的支配階層の文化に基づくビクラム暦
 c) 諸外国とのやりとりをするため(だけ)の西暦
暦だけとってみても、異なった重層的背景がある。 ネパール国内でネパール人とだけで生活していれば、a) b) は重要だが、西暦は他人事の暦程度になってしまう。自分の文化背景に属さない西暦の日付、極論すれば西暦の誕生日なんて、そんなに重要でないよ。という気持が、(ネパールだけで暮らす)ネパールの人たちにとって本音ではないだろうか?

西暦の誕生日は、外国や外国人と付き合うための仮の日付、記号。 外国や外国人と付き合う時は本当の自分でなく、仮の自分。外国に来ている間は、フィクションの自分。

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これまで見聞きしてきた、日本人に対するネパール人の「嘘」の出処に、次回は話を進めたい。返り血浴びる覚悟で。 

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その2

昨日に続き、ナマステ!掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。ネパール人の年齢(誕生日)の不思議について考える。前回は原因として、1.日本とネパール戸籍制度の根本的違いについて述べた。今日取り上げるのは、

2.日本とネパールの「暦」の違い
明治以降の日本では、西暦が通常の暦として使用されている。伝統的祝祭などには、陰暦/旧暦も併用されているが、自分の誕生日となるとほぼ全員、西暦による日付しか知らないと思う。 ネパールではどうか?

ネパールにおいて公式な暦として一般的なのは、西暦とは異なる「ビクラム暦(以下、ビ暦と略)」である。 ビ暦も週7日間であり、曜日は西暦と同じ(文化的背景は異なるが)である。しかし、
 ◇ 新年は西暦の4月中旬から始まり、(西暦)次の年の4月中旬で終わる。
 ◇ 1ヶ月32日間ある月もある。
 ◇ 太陽暦と太陰暦のハイブリッドであり、西暦との日付は毎年ずれる。
 ◇ 現在(2014.4.13まで)ビ暦2070年であり、西暦より古い。

例えば、ビ暦今年(2070年)4月1日(サウン月1ガテ)は西暦2013年7月16日だが、10年前の同じ日を見ると、西暦7月17日と、1日ずれている。

外国とのつながりの薄い、普通にネパール社会だけで暮らしている人にとっては、ビ暦の日付だけ知っていれば生活に不自由がない。ほぼ全てにおいて、ビ暦がネパール社会の基盤(のひとつ)になっているからだ。西暦の日付など知らないことが、ネパールでは普通のこと。西暦の日付を気にしたり、西暦を元に生活しているネパール人となると、外国とのビジネスをしていたり、外国企業や事務所に勤務していたり、西暦を使う社会との特別濃い関係がある人に限られると云える。

一例を挙げると、以前ネパール国営の放送局に勤めていた人。腕時計のカレンダーが西暦の日付ではなく、ビ暦になっていた。彼曰く「32日ある月は、調整がめんどくさいんだよね。何でこのSEIKOの時計、31日までしかないんだろうね?」。その後、某外国放送局のカトマンズ支局に転職。しばらく経ってふと見たら、時計のカレンダーは西暦日付に変わっていた。グローバル基準に飲み込まれたのな。

このような社会であるから、自分の生年月日をビ暦では知っていたも、それが西暦のいつなのか?単純な換算出来ないため、ビ暦/西暦対照カレンダーなるものが売っている。ネットでも検索出来る。または、占星術師の処でも調べてもらえる。のではあるが、それをしない/出来ない人が沢山いる。世界はビ暦を中心に回っているというネパールの常識。いや、日本人も笑えないよ。役所など、在住来たばかりの外国人に対しても申請書に「平成何年」を書かせて、普通と思っていないだろうか?それのもっと強烈で広範囲の思い込み。と、考えれば理解しやすい。

生まれてこの方ビ暦の日付だけで不自由しなかった人が、外国に行く、パスポートを取る、外国の職や学校に申請する時、生まれてはじめて「西暦」に直面する。まあ適当でいいや、と、日付換算が適当であったりもする。

今はさすがにないだろうが、20年前、実際、西暦何年何月生まれ(日付記載なし)の、ネパールの正式なパスポート(しかもこの人、一般旅券だけじゃなくて外交旅券も持ってた) を見て驚いたことがある。持ち主の某氏は、驚く私を見て逆にビックリしていたが。このお方、その後、某外国の官憲から生まれた日付なしでは公文書として受け入れられません。と指摘を受け、で、「だいたい」「適当」な西暦の日付をパスポートに追記してもらったとか。結果、この人にはビ暦の正しい誕生日と、外国向けの西暦「適当」な、でも外国向けには公文書としての誕生後の2つが出来てしまった。本人、社会的地位のある人だが、全く平気で何の支障もないようである。

現在においても、ビ暦と西暦の日付換算の間違い等で、両者の日付が正しく合致していない例は少なくない。と聞くことがままある。西暦なんて、まあ付け足しだからどうでもいいのよ。という、ネパール独特のざっくり感があるような気がする。

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今日はここまで。次回、間違い勘違いなくても、ネパール人の誕生日は正式に複数存在するってホント?という、不思議なお話をしたい。

何故ネパール人の年齢は不確かなのか?その1

長らく放置していた当ブログを、久しぶりに更新したい。ネパールにどっぷり浸かり過ぎ、ネパール社会とネパール人(特に、ネパールの官僚機構)に対して疲れ果て、オバハンの心枯れ果て......であったのよ。日本で、ほぼ毎日湯船に浸かって(水と燃料不足のカトマンズでは、シャワーがやっとよ)、少し気持が回復してきた。

ということで、ナマステ!掲示板ネパール身の上相談フォーラム連動企画。 ネパール、この深き河よ!解説しちゃおうじゃん。何故ネパール人の年齢(誕生日)は不確かなのか?

現代の日本人の場合、生年月日というものはほぼ間違いなく、明確に分かっている。公文書、私文書にかかわらず、自分の年齢や生年月日を詐称することはタブーであり、このようなことが発覚すると世間から非難されてしまう。許されているのは、永遠の25歳プリンセス・テンコーさんくらいだろう。 

しかし、である。ネパール社会では現在に至るまで、社会的地位と名声のある立派な、誠実な人の間でさえ、パスポート等の公文書の年齢(生年月日)と本当の年齢(生年月日)が異なる。と云う例がある。私の身の回りでは、よくある。のだが、あり得る。あって不思議ではない。時々見かける。という表現を使うべきなのかもしれない。自分の経験だけが全てではないのだから。さあ、何故こんな事が起こるのか?その原因を考えよう。

1.戸籍制度の違い
現代の日本のような、医療機関と役所が法的に連動した戸籍制度。日本のような法律遵守社会の方が、世界的に見れば特殊なのではないだろうか。ネパールでは今でこそ、医療機関で生まれれば、誕生日と時間などが記載された文章を発行してもらえる。 しかしその後、日本の常識である「役所に対する出生届け出」については、異なる事情がある。

日本の場合、一定期間内に届け出をしなかった場合は法律に抵触する。しかも届け出るのは、役所の戸籍課と決まっている。 届け出の記載事実は、全国共通の戸籍台帳に記載される。ネパールの場合、最寄りの行政事務所に届け出ることが推奨されている。が、実際的にこれをしない事もある。届け出たとしても、日本のようなレベルで確立された戸籍台帳もない。

ネパールでこれに代わるのは、ひとつは a) 学校への就学。次に、b) 10年生終了後に受ける国家統一テスト(SLC)、最後に、c) 国籍カード発行である。 

a) 初等教育学校に入学する時、都市部の私立学校の場合、出生証明書の提出を求められる。生まれた医療機関のものがない場合、最寄りの役場に発行してもらう。親による申告であり、この時、親が故意なく、または故意に間違った/事実と異なる生年月日にしてしまうことがある。ここで「故意」のひとつとして紹介したいのは、ネパールでは、学齢より早く就学させてしまうことが、時にある(あった)ということである。

都市部の、一族全体の教育レベルの高いエリート家庭の場合、うちの子は賢いから、1年2年早く学校に入れてもついて行けるわ。早く教育を受けさせれば、それだけ優秀になる筈だ。という思い込みがあることが少なくない。周囲も、学校さえこれを知っていて黙認することもある。このような恵まれた、優秀な遺伝子を持った子供の場合、頑張ってついていくだけでなく、1年2年年上と張り合って、その集団の上位になってしまう子供さえいる。エリート層がこんな感じであれば、庶民もそれに習う訳で。逆になかなか学校に通わされず、学齢を過ぎて入学することもある。ネパールにおける就学学齢には幅がある。

名前についても、就学前は適当な「呼び名」だけで、学校に入れるに際し、正式な名前をつけて登録することもある。この呼び名、伝統的なところでは「長男(女)」「次男(女)」「三男(女)」....やら、「色黒」「おちび」、はたまた「ネズミっこ」なんてのもある。ヒンズー教徒の場合、生後11日目に占星術をもとにつけてもらう秘密の名前もあり、この名前は文字通り「秘密」なのである。宗教儀式の時だけに使う。ネパール人の名前の不思議さについては、また別の機会に書きたいと思う。

b) そういう子供が、10年生終了後の国家統一テスト(SLC)を受ける時。16歳であることにしないと試験を受けられないため、年上のサバ読みが確定されてしまう訳である。SLC受験で登録した名前、生年月日はその後、一生涯変更出来ない。学歴社会であるネパールにおいて、もしその後に発行された公文書との差違があれば、その人の教育記録として認められず、高等教育や就労の機会を失うこととなる。SLCで使った生年月日は、一生それを使わざるを得ないのだ。

さて、SLC合格は鋼鉄の門と呼ばれており、合格出来ずこぼれていく子供たちも全国的に見れば少なくない。教育の機会に恵まれない子供たちさえいる。SLCの記録と関係ない人生を送るネパール人の場合はどうなのか。

c) ネパール人は全て、16歳になると、国籍カード(Citizenship Card)の発行を受ける事が出来る。自分で地方行政事務所に申請し、ネパール人の国籍要件に合致していることを申告し証明してもらい、写真入りの名刺大カードの発行を受ける。パスポート等の発行や、高等教育、就労、各種登録に、一生涯不可欠な証明書となる。乱暴ないい方をすると、ネパール人は16歳になってはじめて、国民としての正式な証明を受けるのだ。

国籍カード発行を申請するまで、出生証明を持たない人もいる。この場合、親や親族が証人となって、申請者の戸籍事実を認めてもらう。であるからして、生年月日も自己申告。ここで、故意なく/故意に事実と違う情報が登録する事が起こりうる。

私の古い友人の話。彼は現在50台。カトマンズ近郊農村の出身の長男で、14歳の時父親が他界した。父には田畑を中心とする財産があったが、14歳では国籍カードがなく、遺産相続の手続きが出来なかった。当時の農村では、彼の母親(女性)名義で不動産を登記することを村社会が認めず、ヘタをすると父親の男兄弟たちに遺産を取られてしまう恐れさえあった。これをどうにかするため、彼は2歳年上だと云う事にし、16歳ということで国籍カードを作ったうえで法的に相続をした。その当時のネパールでは、他に方法はなかったそうだ。


現在、都市部の規律厳しい私立学校の場合、子供の発達にあった教育という常識が普及し、就学年齢は厳格に規定されている。であるから、上に書いたような柔軟な運用は不可能になったと云ってよい。遺産相続についても、女性や子供名義での登録の方法もある(だろう)。

しかし、ついちょっと前まで、カトマンズにおいてもいろいろ柔軟な対処が出来たのがネパール。今でも、そういう運用が100%不可能とは、言い難い。

現在の年齢20台、30台、またはそれ以降の、日本をはじめとする諸外国に来ているネパール人のSLCや国籍カード登録時、いろいろな事情で、事実と食い違う生年月日登録がなされていることは、充分にあり得る訳である。 

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今日はここまで。次のブログ更新で、2番目の原因として「暦の違い」という側面を考える。日本人が世界共通と信じている西暦が、ネパールでは「何、それ?」な存在であるとしたら........

ついて行けない

久々に、更新します。先日、某ネパール人の友人(女性)から聞いた話。

彼女とダンナ(ネパール人)が一緒に外出したとき、ダンナが「ちょっと病院に寄って行こう」と。聞けば彼の親戚のひとり息子が先日事故に遭い、その日、某公立病院で手術を受けたそう。小児病棟の術後回復室に行くと、ドアの前の通路には、患者の父親と親戚の女性たちが10人ほど集まっていた。全身麻酔の手術が終わった直後で、母親は枕元で付き添いとか。 

で、親戚の女性たちが

「この通路は臭くて不潔で、しかも病室の中は、ここより汚い」

と、口々に不満をぶちまけ中。術後の感染の心配あるから、病室には入らないで帰るわ。という友人に

「どうせ不潔な環境なんだから、あなたが中に入ったくらいで何も変わらないよ。中に入って子供の様子を見てきなさいよ」

とすすめる。辞退して帰り際

「あなたは本当に賢い。私たちは馬鹿ばっかりだよね」

と、皮肉なのか、本音なのか分からない言葉が投げかけられた。見ると、臭くて不潔だと不満をぶちまけている通路に、誰かの肩掛けを敷いて車座に座っている中に、誰か子供まで連れてきて遊ばせている。

事故にあった子供の親や親戚なら、何故もっと清潔な病院に連れて行かないの?不潔と不満を言うなら、何故そんなところに長時間とぐろを巻くの?何故不潔な地べたに座れるの?どうして関係のない子供までそんな環境に連れて来られるの? 

今のネパールのダメさ加減を、一度に見た気がした。と、友人。加えて、自分が大病して手術でもするときはもっとマシな病院に行くけど、麻酔が覚めるか覚めないかからこの人たちが親切顔で押し寄せてきたら....と思うと、絶望した。と。

彼女は外国生活が長く、ダンナ共々専門職を持ち、育て上げた子供も外国で勉強中。ダンナも立派な職業人だけれど、親戚一同同じような家庭環境ではない。臭くていたたまれない病院の地べたに座っていられる人たちの方が、カトマンズでは多数派だ。

清潔、不潔の観念の前に、ただただ子供の様態が心配なのだ。

なら、大事な子供のために、何とかしろよ。

私はこの話。手術直後の子供が、ネパールという国そのもののような気がした。みんな国を心配しているし愛している。でも、どうしようもない絶望から救わない。やろうと思えば出来るのに、不平不満を言うだけで何もしない。

いや。親以外の親戚は、本当に子供の事なんて心配していないのかも。ただただ家にいてもヒマで、皆群れ集ってわーわー云う「ガス抜き」イベントとして、子供の手術が格好の機会なのか。私って、ちゃんと駆けつけて心配してあげてて、いい人だわ。と、世間に見せつける自己満足か。だから真剣に、誰も子供を救済しない。

いずれにしても、ついて行けない。

パタン、ボトジャートラ祝日

パタン、ラトマチェンドラナートの最終日。ジャワラケルで神さまの宝石をちりばめたベストを見せる「ボト・ジャートラ」は6月24日(日)となりました。カトマンズ盆地は、祝日です。

土曜日だけが公休日のネパールで、久しぶりの土日連休となります。

ボト・ジヤートラの日付は、山車の巡幸の様子や吉祥の星巡りを見て、直前に発表されます。 不思議な国です。ネパール。

ネパール祝祭日一覧

ビクラム暦2069年祝祭日一覧 例年通り、情報公開します。

知っているかい、モモくんを?

ネパールじもてぃ〜に、「外食文化」を持ち込んで発展させた功労者。ネパールを代表するレストラン、製パン、アイスクリーム食品企業グループ、ナングロ。

そのナングロが、カトマンズ市内各所に展開するファミレス・チェーン「ベーカリー・カフェ」全店で、この子が待ってます。みなさんのおいでを!

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モモくんです。

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モモくんだよ、よろしくね。

モモって何?広義の説明はこれ。でもって、カトマンズっ子のソウルフードだよ〜

ご利益、ありまっせ!

メリー・クリスマス!

年末、何かと気ぜわしい今日この頃と思います。今年1年の邪気を払い去り、来る年が素晴らしいものとなりますように。本日撮りたて。私が大好きな、トカのチャンデシュワリ・マイ(力の女神、カリ)さまのお姿です。

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厄でも何でも、尻尾を巻いて逃げ出すこと約束します。

ネパールに絶望したいなら

すまんことです。ずいぶんと放置してしまって。いや、いろいろあったもので。健康ですし、夫婦仲も良好なのでご心配なく。

さて、ネパールに20年以上住み着いて、ずいぶんといろんなエグいものを見てきたが。人生は死ぬまで勉強だ!と思い知るような日々を送っている。

「きゃ〜っ、ネパールってステキ。ネパールの人たちって、なんて優しいんでしょ。でもそんなこと云えるのは、私が本当のネパールを知らないからなのよね。うふふふふ」

なーんて方がいらっしゃったら、こっそり私に声をかけてくださいな。この国に絶望して、即刻荷物まとめて帰国したくなるような現場が何処にあるか?教えてあげましょう。あ゛ーー、スゴいことだ。それでも、国や組織が動いているのは、感動的ですらある。

即刻戦死してしまいそうな状況のなかでも、やっぱり理解や共感が芽生えたりして。そしてまた、次の局面では絶望のズンドコを繰り返しつつ。ネパール人と日本人が前に進んでいく姿は、感動的だったりもしています。願わくば自己満足に終わらず、ネパールという社会のために役立つ活動に持っていきたいものですわ。

解決策は、ナマステ!掲示板に相談しても出てこないね。

結局、ダサインってのは、さ

ダサインの正式休日は、昨日まで。今日明日出勤日で、火曜日再度祝日で休み。となると、飛び石の2日間も休んじゃえ!というのが、ネパールにおける、社会的に正しい態度である。あああああ。

普段うちにいてくれる書生くんも実家に帰っており、息子も今日はクラブ活動の社会奉仕の日であり(孤児院の子供たちとダサインを祝うらしい)、亭主も用事があり......ということで、私が留守番。この時期は空き巣が多く、出来る限り自宅には誰かいることが望ましい。


さて、ダサインでは、年長者から祝福のティカを授けてもらう。赤い顔料、米、ヨーグルト、水に、粘着材としてのヨーグルトを混ぜたもの(ティカ)を額につけてもらう。また、ダサイン初日に種を蒔いた大麦の新芽(ジャマラ)もいただく。ジャマラの「芽吹き」は、豊穣の「女神の力」の象徴でもある。

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うちの亭主の母方の伯父から、ティカを受けるうちの息子。ティカとジャマラが、銀の「ダサイン盆」に乗っているのが見える。このあと、「ダチナ」というお年玉もいただく。

年長者からティカを受けるのは.....いつものことだが。

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今年、私の兄の家でのこと。亭主の兄でなく、宗教儀式で兄と妹にしてもらい、結婚式も出してもらって、その後私のネパールにおける実家をずーーっと続けてくれている、得難い家族。私の方の兄。例年のごとく兄と兄嫁のティカをいただいた後、兄嫁が

「じゃあ次は、バイニ(妹)とジュワイ(婿=うちの亭主)が息子たちと嫁たちにティカをする番ね」

と、ニコニコしている。え゛え゛え゛え゛ーーーーーーっ!

この家の息子たち二人が、3ヶ月違いで結婚したはじめてのダサイン。当然、二人のかわいいお嫁ちゃんたちがいる。お゛お゛お゛お゛お゛〜っ!不肖我が夫婦が、嫁ちゃんたちにティカを授けるってかぁ?

今まではこちらがティカを受けるだけだったので、予想外の展開にうろたえる我が夫婦。嫁たちに渡すお年玉の準備をしてこなかった。兄嫁に封筒をもらい、こっそり、お金を入れて準備。ピン札を何枚か、財布に入れておいて良かった。

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長男嫁ちゃん。とっても美人で、料理が上手。既に長男の嫁の風格漂い、頼りになるお嫁ちゃん。今の時代、こんなに立派な子がいたなんて!と、感心するほどのよい子です。

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末っ子の方の嫁ちゃんと。この子の実家は、亭主の親友の親戚筋であり。嫁パパ・ママは、私にとっても長年知り合いの家から嫁いできた子。MBAを持つ才媛で、明るいよい子です。

こういう素晴らしいお嫁ちゃんたちに恵まれたのも、甥っ子たちが立派だし、うちの兄と兄嫁の人徳。で、これまでは兄一家とはざっくばらんな付き合いが続いてきたのだが......お嫁さんが来ると、結婚してすぐこちらもお祝いを渡すし、お嫁ちゃんからも「よろしく、おつきあいください」な儀礼がある。

が、ほぼ親子ほどの年の差がある私たちだから、こちらからのプレゼントは当然渡すが、向こうからの儀礼は、そこまでしなくていいよ。うちはガイジンだし。気を遣わずに、お金も使わず、気持ちだけでいいのよ。と、これまで逃げ回ってきたが......ティカの後、しずしずと、両方の嫁ちゃんから、きれいに包まれた贈り物が手渡された。パーティー用のサリーや、亭主には紳士服の布地だった。

真心こもった「見栄の張り合い」に、ついに、捕まってしまった。

今回は、嫁ちゃんたちの実家の名誉をかけた戦いに、最後に白旗!な我が夫婦。

こちらからのダチナ(お年玉)をケチらず、相場の数倍包んでいて良かった。そうでないと、恥をかくところだった。


嫁が来たら、甥っ子たちも一家を構えたと云うこと。近年、親戚づきあい、特に「姻族」との儀礼が華やかになっているカトマンズ。こりゃ、これからは、こちらも覚悟を決めないとならぬぞ。一生かかっても返せない恩のある兄と兄嫁の顔を立てるため、嫁ちゃんたちや、これから生まれてくる子供たちの通過儀礼には、それ相当のことをしないと.......

で、本来頼りになるべき亭主の方は(兄と同じカーストなのだが)、儀礼は簡素!な生き方のため、我々にとっては未体験ゾーン。こりゃ、折を見て、兄嫁にこっそり相談に行かなきゃ。

一度はじめたら、一生続く親戚づきあい。家の体面を保つため、ケチくさいことは絶対にしたくない。他の身内に対してはシンプルを押し通す我が家であるが、甥の嫁たちに対してだけは「別」だもん。兄と兄嫁に対する、ささやかな恩返しだね。

で、近い将来、うちの息子も結婚するだろうが。こちらの方は是非、背伸びしないライフスタイルでやりたいものだ。お願いしますよ、息子さん。涙目。

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最後に、今年のダサインを象徴する一枚を。

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うちの義母は三姉妹。三人とも連れ合いに先立たれたものの、息子や嫁、孫に囲まれ悠々自適である。普段は車で数時間ずつ離れた場所に住んでいるため、全員が出会える機会は限られている。

向かって右から、次女がうちの義母。慎ましい人で、歯を見せての笑顔は滅多に見せない(のに、満面の笑顔)。 真ん中が長女。我が家では「手乗りばあさん」と呼ばれているくらい小柄。80歳前後のはずなのに、今でもとても美人。いつもニコニコ。アニメのキャラクターのような、目をきょろっとさせた笑顔がたまらなくカワイイ!左は末っ子。バイタリティあふれるおばあちゃんで、発言も強烈。未だ、お肉が大好き。若い頃は、女性福祉の活動家だったそう。

三婆の笑顔に、ダサインの意味を深〜く感じ入る。のであった......

引き続き、ダサイン2011

本日その後、我が家のダサインの様子。

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亭主が真面目にプジャをします。我が家のプジャ部屋。

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サンスクリット語の経文の中から、女神を讃えるものを読んでいるらしい。

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念入りに洗車した車に、安全祈願。力の女神の恩恵を願う。

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自転車にもプジャ。「うちのバアさん、転びませんように」と祈念しているのだろう。

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生け贄の「卵」を割る。本来、山羊の首を生きたまま切り落とし、生き血をかけるのだが。そんな殺生、やりません!買ってきた肉は食べるけど。

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神聖なティカと、ご供物の花。洗車した自転車を、よごしている訳ではありません。

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丸ごとのココナツも割ります。これも生け贄。

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上手に、ぱっくり割れた。これぞ縁起物。

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最後に、額にティカをつけます。洗車を手伝ってくれた息子に、ありがとう。


さて、明日はダサイン大祭の中でメインの祝祭日。あ゛〜、真っ赤なサリー着なきゃ。赤い腕輪とか、装身具とか、ジャラジャラさせなきゃ。う゛〜。

でも、年に一度真っ赤なおべべ着るだけで、義母やみんながニコニコしてくれるので。お安いもんでござんす。はい。それは、もう.....

ダサイン2011

一昨日から、ダサインの休暇に入った。

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不正に打ち勝つ「力の女神」を讃えるこの祭り。カトマンズ市内のシャクティ(力)系女神のお寺は、善男善女で大賑わいである。この写真は、霊験あらたかなバドラカーリーさまのお寺。

逆を云えば、不正に打ち勝つ女神を祝うということは、ネパールの世の中は「不正」だらけで、「正義が勝てない」「強い者が不正を押し通し、弱い者の正義は踏みにじられる」ことが、歴史的に続いてきたからではないだろうか。望んでも得られないものだから、神の名の元に祈願するのではないだろうか?


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そしてこの時期、子供だけでなく、いい年こいた大きな坊やまでが熱中するのが凧揚げである。ネパールの凧はシッポをつけないので、コントロールが非常に難しい。それが、凧揚げの醍醐味なんだとか。

写真下の方の、おばちゃんたちの左右にあったり左の子供が持っているのが、伝統的なネパール凧。すぐに破れそうな薄〜い紙や、セロファン紙が張られている。最近、中国製らしい新型凧も売られていて、写真の右上に見えている。

バタンの下町に、突如登場の凧やさん凧自体は安いものだが、糸巻きと糸が高価だ。ドラム状の糸巻きの中心に通した可動軸を、水平に両手の親指と人差し指の間に乗せてくるくる回して糸の長さを調整する。上昇気流に乗せるためには、糸の長さをそのままで糸巻きを手前に、しゃくるように引く。

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街の商店街は、シャッターを閉めて休業中。道路もガラガラ。

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今日は、我が家では、車にプジャ(儀礼)をする。車、バイク、自転車まで朝から念入りに洗車して、一年間の交通安全を祈願して女神に生け贄を捧げる。(肉は食べるが)家では殺生をしない我が家の場合、生け贄は「卵」であるが......

我が愛馬(?)、革命的クロちゃん同志号をピカピカに磨き上げ、オイルもさして整備済み。こうして見ると我が愛馬、なかなか精悍。

雨期の最後の雨降り続く

今日から秋祭りダサインがはじまり、そろそろ雨期も終焉を迎える頃。なのだが、今週は雨降りが続いている。月曜日は終日強い雨が続き、カトマンズでは24時間の雨量が89.7mmを記録した。

これはこの時期として、過去26年間で最高の記録だそう。

昨日火曜日は、午前中は晴れ。午後から夕方は雨で、自転車での帰宅ではカッパを着ていたが、ずぶ濡れになった。今日も午後、にわか雨。泥だらけになっていた自転車を洗車して外出したところで、雨。帰宅したあと、再度の洗車となった。

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私の自転車は、亭主からはひんしゅくを買っている。いわく、通勤は事務所の車で送り迎えしてもらうべき(今月から、これが可能な勤務体系になった)。立場によって付与された「正当な便宜」を使わないから、キミは世間から「小物」だと矮小評価されるのだ!と。自転車は危ないとか、そーゆー話ではない。

さもなくば、普段の足にも便利なスクーターを買うべきとも。または、「オレさまの車に乗せてくださいと、オレに対して意思表示しろ。出来る限り送り迎えしてやるから」、と。 有り難い限りであるし、実際、必要なときはお願いしている。

が、しかし。うちの亭主は、この業界ではネパールを代表するNGOのひとつ「ネパール環境問題ジャーナリスト集団」 の会長でもある。エコ・フレンドリーな自転車を、自分の妻が足にしていることに対して、正当に評価すべきだ。世間に対しても、誇りにすべきなのだ。

まーどーせ、ネパールの環境問題とかって、口先だけだしね。

現在亭主殿は、世界規模の環境保全団体IUCNのアジア太平洋国際会議のため、ソウルに行ってますわ。偉い人ですから。

私は変わり者のガイジンだけれど、自転車は私の主張であり、アイデンティティであり、移動の自由を確保するために身体を張って漕いでいる。私が、ネパールという社会の中で、ネパールに埋没しながらも自分で居続けるための「最後の聖戦」に必要不可欠な、リーサル・ウエポンなのだ。

おおげさぁ〜!

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さて、雨期の最後の雨降り続きも、今週末には終わるだろう.....との予報。

カトマンズが一年で一番美しく輝く秋が、もうすぐそこに来ている。

甘い憂鬱

中世から続く都市文明を築いてきたカトマンズ盆地には、お菓子の文化がある。近年勢力を拡大しつつある西洋菓子以前から、インド菓子、そして今日取り上げる(盆地の先住民族文化)ネワール菓子は、砂糖が貴重品であった時代は特に、ネパール人のあこがれの的であった。

ネワール菓子は、かりんとうに似た「ラカマリ」や、脳天が突き抜けるような甘さの「グッパ」が有名だ。グッパは文字で書くとグッドパックであるが、発音を聞くと「グッパ」。植物性の油脂、砂糖で練り上げ、表面にナッツを散らした日本にはない様式の菓子であり、文字で説明するのは非常に難しい。が、一度食べていただくと、その凶暴な甘さを痛感していただけるだろう。

普通の日本人の舌には、甘さと油脂のくどさが過激すぎ。しかしこれを我慢して食べていると、数ヶ月後、あるいは数年後、突然「美味しい」と感じるようになる。そうなるともう、病みつきである。


さて、このグッパの有名店店主が逮捕されてしまった。売れ残りのグッパを新しいグッパに混ぜていたり 、衛生的に容認できない水を使用していたりという嫌疑がかかっている。報道の内容から見るに、賞味期限の改ざんとかのレベルではない。健康被害を引き起こしかねない事例のようである。

カトマンズ、パタンの何カ所もグッパやさんがあるが、人気店の製品は回転が速いから安心だ。と、我が家も買い物に行っていた店のようで、ショックを受けている。私自身はあまり食べないが、義母をはじめとするネパール家族の大好物なのだ。

名の知れたインド菓子店のひとつも、同様の嫌疑かかけられて逮捕者が出た。


カトマンズのソウルフードである「モモ」も、下町の店の場合、人目につかない場所にあるキッチンを見たら、食欲を完全に失ってしまうことがある。暑い時期はネパール人も、足の速い挽肉を使ったモモは食べることを控える。晩秋から真冬のシーズンも、回転の速い店を選ぶ。もしくは、こじゃれたレストランのモモを選ぶ。


8月東京で、代々木公園と日比谷公園の2つの「ネパール・フェス」に行った。 ここでは東京の、沢山のネパール料理店の出店で、美味しいチキンモモを堪能した。真夏の気候の中でも、安心して食べられるモモを提供できる。それを安心して楽しめる。日本の衛生環境を思い知った。

保健所の許可や指導のないネパールでは、自分の健康を守るためには、目に見えるキッチンで作られたものを優先すべきなのだ。とは云え、カトマンズB級グルメの魅力も捨てがたい。

結局は、自己の免疫能力を高めることにつきる。

ネパール in 代々木公園

代々木公園で行われた、ネパール・フェスティバルに行ってきた。今年はじめての企画らしい。ユルい感じが、ネパールっぽかった。

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長年日本で、ネパールとの文化交流に尽力されている方もお見かけした。お話しできず残念だったが、とてもうれしかった。懐かしい友人たちとの再会もあった。

出店のネパール料理店、2店の「モモ」の食べ比べも出来た。両店とも、文句なくおいしかった。

味付け、形ともに、ネパールのモモなのだが。カトマンズのものに比べると大きめで、サイズも揃っていて、丁寧できれいな仕上がりで。いーかげん、でも、ワイルドに美味しいカトマンズとは一線を画したものである。日本のものは、モモでさえ、きちんとしていた。

蒸し暑い中、心配せずに躊躇なくモモを食べられるのも日本だから。清潔。

ネパールでは、モモは「冬限定」の食べ物だ。暑い時期は、あの国の衛生状況では、肉の衛生管理が心配。特にミンチ肉は、時々、ヤバイぜ!

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来週末は、日比谷公園でも同様のイベントがあるようだ。こちらは、これまで続いてきたものと聞いているが。名前が変わったのと、主催者の一部が9月に、別のイベントを企画している模様。

うーむ。ネパールは、軌道に乗ってくると分裂するのが「文化」だからね。日本のネパール社会も、本家ネパールの伝統を受け継いでいるのだろう。どこに住んでも、ネパール人はネパール人。

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ネパールのビールやお酒も勢揃い。頑張っているね。

ゴルカ・ビールの小瓶に注目。カトマンズではゴルカを「一番うまいネパールの地ビール」と評価する人が、私の周りには多い。小瓶は、輸出限定かも。


ということで、明日は朝4時起きで仕事。やれやれ。今回の日本滞在は、仕事だから忙しない。でも来週も、今度は日比谷に行くかな?土曜日のお昼頃、出没する予定。やほ〜!

大好きな、目黒のラクシュミー。今回は行けないかな?残念。でも、時間が空いたら、速攻で行きたいものだ。

大臣とKFCの英語が理解不能な件

今日は朝から、とある国際的な会議に顔を出していた。オープニング・セッションの主賓は、カナール首相。朝9時、ちゃんと時間通りに来場してくれた(ネパールの政治家は、偉くなるほど時間に遅れたがる人が多い)。そして、誰一人、むやみに長大な演説をぶつ人もおらず、素晴らしく予定通りの時間にお開きとなった。

仕切っていたのはホスト国であるネパールの某公社だが、なかなかやるもんだ。感心した。 

さて、ここで、この会議に関係する省の大臣もスピーチをした。国際会議であるから、英語で。が、その英語が訛すぎていて、たどたどし過ぎで、しかも、内容が正反対になる言い間違いもあった。

「この大臣、内容わからずに、誰かに書かせた英語原稿を読んでるだけ?」 

彼の母語であるネパール語で立派にスピーチして、通訳に翻訳させたり、英訳を紙にして出席者に配るという方法が採れるのに。政治家だから、母国語でしゃべっても全然恥ずかしくないはずだ。 最近、彼と同じ政党から出ている別の省の副大臣が、ニューヨークの国連本部でブロークンを通り越した滑稽な英語でスピーチして(用意された原稿を読むこともできない)、それがFacebookで動画を広められて大恥かいたばかり。 

よほどブレーンがいないのか?本省の役人たちが、特定の政党の大臣たちに恥をかかせるため、わざとやっているのか?不可思議である。

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カトマンズのケンタッキー・フライドチキン。KFCのカウンター。ネパール人の青年男女が、にこにこ、マニュアル・スマイルを振りまいている。彼ら、彼女らはネパール人なのだが、ネパール人の客に大しても英語で「ご注文は?」「追加注文は?」「お持ち帰りですか?」などと聞いてくる。で、その英語が、全く聞き取れない。

抑揚ないしゃべり方で、口の中だけで発音して、しかも早口。

「はぁ?」

私の英語力だけの問題ではないような気が........する。ねぇ、カトマンズ在住のみなさん。KFCの英語接客、云ってることが分かりますか?苦戦しているのは、私だけ?

BBCニュースの方が、ずっと聞き取れるぜ。ほんと。

カトマンズの歩行者よ!

カトマンズの道路では、自分に向かってくる車の流れをまったく見ずに、ふら〜っと道路に飛び出てきたり。身体から数センチのところを車が通過していても、全然平気だったり。手を引いている幼児をまず、自分より先に車道側に出してきたりする。命知らずの歩行者がここそこで見られる。

見ているこっちがひやりとしても、本人は全然平気な様子だ。

その、ネパール人のメンタリティの秘密が、最近、少し分かった。

ネパール人は、車にぶつかっても普通は平気だと思っている。

それは、ある面事実だ。

ネパールの車道は、路面をローラーで固めて、砂利と砂をまいて、その上を軽く舗装しただけ。だから、舗装とは名ばかりで、アスファルトの路面には細かいでこぼこがある。だからタイヤ面への抵抗が高く、アクセルを踏んでもすぐにスピードが出ない。結果、歩行者とぶつかっても死亡事故に結びつかないことが多い。

一方、例えば日本の道路は.....こちら、クリック 

現在、カトマンズ市内のティンクネと、バクタプール市内のスルヤビナヤクまでの幹線道路の拡張工事が、外国の援助事業で進んでいる。完成している区間では、先進国基準の舗装道路として開通している。これが、すごい。ネパールでは唯一のまともな舗装道路で、路面がスムーズ。特に夜間など車が少ないときは、アクセルひと踏みで時速80km以上が出てしまう。ちゃんと整備している車であれば、勝手に車が高速走行になる感じだ。

日本の道路では当たり前なのだが、ネパールでは、コペルニクス的大変革だ!

この道路で走っている車に引っかけられたら、かなり怖い。

だから、歩道も整備されている。普通のネパール道路には、整備された歩道はないからね。2車線ずつの合計4車線だから、横断するのには勇気もいる。先日はここで、先輩の息子さんが交通事故で亡くなってしまった。


新聞報道によれば、今度は別の外国政府の援助で、カトマンズ郊外の周回道路全体を整備してしまうのだそう。。これが完成したら、怖くて自転車乗れんがな。

ちゃんとした道路には、まともなマナーのドライバーと、車に対する恐怖心持った歩行者でないと、危なくて仕方ないと思うのは私だけではないはず。カトマンズの歩行者も、車がとても怖い存在であることを、これから徐々に、ものすごく痛い目を見ながら学んでいくことになるのだろう。

快適な道路は、恐ろしい。

ちゃんとした車社会って、本来そういうものなのだ。

ビバ、結婚式!

今夜は、甥の結婚式。花婿行列でバンドを先頭に、親戚一同うちそろって花嫁の家へ。

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いょっ!三国一の美男美女!!

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今日は私も、サリーでおめかしです。愚息と。

儀式は夜を徹して続きます。お嫁さんを家に迎える儀式は、明日の午後。披露宴は、来週月曜日。

ネパールの結婚式は、延々と続くのです。

至る処に、ミニ・キング

カトマンズで、結婚式の手配に携わる友人(ネパール人)がいる。最近、彼が放ったひとこと。

「今のカトマンズ。金持ち、小金もちの家の結婚式が、王族の結婚式の真似事になってるんですよ。いやはや。至る処に、小さな王さまですね。こっちは商売繁盛ですけど」

元々、冠婚葬祭にお金をかけるのは、カトマンズ都市文明を築いたネワール族と、元王家や将軍家を含む上位武士階級。

結婚の贈り物でも、キンキラのゴールドが大好きなネパール人であるが、最近は誰が流行を持ち込んだのか、ダイヤモンド・ジュエリーが大人気である。伝統的に、ダイヤや宝石、真珠の宝飾品は王族、将軍家などの貴族だけが身につけるものであったが。現在は、庶民も、それぞれの懐具合に見合ったダイヤを身につけたり、結婚の持参品にするのが流行している。

結婚の式次第、会場の飾り付け、花婿・花嫁の衣装など、金銭的に余裕のある市民が、王族・貴族の風習をコピーする実例が、私の身の回りで多い。

政治的に王政が廃止されて以降、冠婚葬祭、特に王族スタイル結婚式が増えたような印象である。

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さて、こちらは本物の元王族。元皇太子のパラス・シャハ氏のご乱行が、世間を騒がせている。

先日土曜日、チトワン国立公園の中にある「超」高級ジャングルリゾートで、シャハ氏がピストルで一般人を脅迫したとの報道だ。しかも脅迫されたと云われるのが、ネパール政界の名門コイララ家の、バングラデシュ人の婿。元首相ギリジャ・コイララ氏の娘で、なりふり構わぬ権力志向で有名な、現外相/副首相のスジャータ・コイララ女史の娘婿。

シャハ氏の主張では、ネパールや自分の家族を侮辱され、耐えきれなくなったため、自分一人で外に出て、あまりの怒りに1発、空に向けて発砲してしまった。脅迫などしていない。とのことだ。

ピストルを携行していたシャハ氏も法律を無視している可能性が高いが、ビジネスマンと云われるコイララ家の娘婿氏にも、色々な噂もある。姑たるスジャータ女史の言動も、物議を醸すことが多い。

事件の舞台になったリゾートは、1泊、数百ドルもする、ネパール離れした世界。本物の元王族や、政治権力エリートは、庶民離れした場所で、かなり特殊なオイタをするものだ。海老だか何だかの坊やも、こりゃ負けるね......と、感心している場合か? 

シャハ氏の行動や、ピストルが合法的に登録されていたかどうかなど、警察の捜査も進んでいる。以前は法の罰則にかからなかった王族が、現体制の元で、然るべき法の規制を受ける初ケースになるのか?注目されている。

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一方、首相辞任後5ヶ月も後継が決まらず、政治も空転しているネパールで、象徴的国家元首であるべき大統領の動きが活発化している。

大統領の権限で、臨時国会が、12/19に招集されることが決定した。国会の召集は、議会が政治的に決定するもの。しかし、政党間の話し合いが全くまとまらない現状。大統領が乗り出さざるを得ない環境がある。

このまま政治が空転を続けた場合、大統領の強権発動がより大きくなっていく可能性がある。これはなかなか、危険な賭になるかもしれない。大統領による全権掌握などと云うことになれば、人はそれを「クーデター」と呼ぶだろう。

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もろもろ、もっときちんと報告したいのだが。先週から3年計画の仕事がはじまってしまい、14年ぶりに、フルタイムの普通のお仕事をしている。しかも、以前からのニュース業務も継続して続けることになっているため、時間的余裕が少なくなった。

趣味のランニングは、夜明けにしか時間なく。自他共に認める寝坊助の私が、朝5時に起きる毎日となってしまった。

日本での生活なら、普通のことなのかもしれないが。

ガマン、を巡る異文化

仕事が忙しいときは、空腹を我慢できる日本人。大事な仕事前には必ず腹ごしらえするものの、宗教儀礼の時は、どんなに長くかかろうが空腹を我慢し続けることが出来るネパール人ヒンズー教徒。

たった数分停電するだけで、ヘタをすると死人が出てしまう先進国。一方、毎日10時間以上停電でも、平気なネパール。だが、ネットは通じなくても、うわさ話は千里を走る迅速なのがネパール。

そんなネパールで、ネパール人に埋もれて暮らす私が、毎年今の季節。必ず亭主と衝突するのは.....暖房を巡る攻防!である。例えば、これ(過去記事)

ネパール人は、寒さを我慢する能力が高い。女の人なんて、真冬でも裸足にサンダルだし。家の造りも、暑さ対策が第一。本当に寒いのは、年間2〜3ヶ月。暖かな下着を着込むわけでもなく、夏と同じ衣装にセーターを着るかショールを巻くだけで、乗り切ってしまうのだ。

家の中の暖房も、ないことが多い。

それが、私には、我慢できない!

毎年、冬に一度は、家庭内で大暴れしてしまう。

去年の冬なんて、11月下旬から1月下旬まで所用で私だけ日本に行っていたら、ネパール人家族は、真冬なのに、 石油ストーブも使わずに過ごしていた。私が帰ってきてから、最後の2〜3週間の寒さを我慢できなくて、例のごとく暴れて、青くなった亭主が早速ストーブ用の灯油を買ってきた。

この時は我慢問題だけでなく、いろいろ、ここには書けない大人の事情がいろいろあって、なかなか灯油を買う気持になれなかった事もあって。心の底から、世間を恨んでしまった。もうちょっとでダークサイトに墜ちて、ダースベーダーになってしまうところだった。

明けない夜はない。人生楽ありゃ苦もあるさ。涙の後には虹も出る♪ という巡り合わせで、やっとこ人生薄明かり。頑張って仕事の出来る環境に立ち戻れたことを祝賀して、今年からは、ちょっと暖かな冬でいこうよ。人生短いんだからさ。と、亭主の説得に大成功。

数年前から仕事場に放置されていて、全然使っていなかったガスストーブを、本日、自宅に持ち帰り成功。灯油ストーブでは暖房能力が足らなかったのが、さすがガス。すぐに温か。部屋全体が温か。 

それにしても、ストーブを新しく買おうよ.....てな話ではなく。ストーブも、ガスシリンダーもあるのに、それを使うか/否かで、数年単位の、ネパール人と日本人の面子を掲げた駆け引きが必要だった。

あああ。ここまで長かった。

日本のみなさんには、ご理解いただけないでしょう。

でも、カトマンズの普通がまかり通る我が家の亭主を説得し、ちょっとだけ温かな冬を過ごすために。私の数年来の、論理とささやかな暴力を伴う地道な社会変革活動が、やっと、やっと花開いたと云う事。

冬の間、ガスシリンダーが安定供給されることを祈る。 

何て悲しい、ネパール人生よ。

ネパール全体から見れば、ガスストーブを家で使えるなんて、大変な贅沢だ。でも、寒さを我慢して、早死にするのは嫌です。我が家のストーブが排出することになる、ささやかなCO2については、神さまもお許しいただけると願いたい。

儀式は続くよ、結婚式!

甥っ子の結婚式が、先日来続いている。

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数ヶ月前に、まず「婚約式」が、カトマンズ市内のホテル宴会場を借り切ってあった。先日金曜日は、「花嫁さんによる婿選び(わたし、この男性と結婚します!)の儀式」があった。

そして今週は、水曜日の夜、花婿一族が行列をして「花嫁を迎えに行く儀式」があり、一晩中「聖火を証人にした結婚の儀式」がある。木曜日の午後から夜にかけては、「花嫁さんを婿の家に連れ帰り、家に入れる儀式」があり、これでめでたく、若い二人が夫婦として両家から認められる。

でもって土曜日は、多分数百人を軽く越える招待客を招いての「披露宴」がある。

この全ての儀式には、毎回宴会もセットされている。嫁と婿(両家の親が準備する)が取り交わす金や宝石類。本人同士のみならず、近い親戚にまで振る舞われるプレゼントなど、いったい、幾らの予算がかかっているんだろう?まあ、両家共に経済的に豊かだから.....

この結婚、お見合い結婚。こういう結婚式を見ていると、つくづく、家の釣り合い。両家のライフスタイルのすり合わせが大切だと思う。どちらかが「ジミ婚でいいじゃないですか」なんて考えていたら、絶対できないものね。

我が家の息子が将来結婚するときは、こんな豪華なことは絶対できないな。お金以前に、我が家の場合、価値観が違うもんね。冠婚葬祭にお金をかけすぎるより、もっと、活きた使い道は別にあるはず。って、お金もないけど。


とはいえ、家族に優しいネパール人。仕事を休んで長時間の儀式に、毎回違う衣装で参加するのは大変だけれど、それ以上の温かさや楽しさがある。

「ミキ ディジュゥ〜!(ミキおねえたまぁ)」

と、ボーイソプラノで叫んでいたあの坊やが、立派な花婿さんになった姿に、ちょっとうるうるしてしまったりもする。お嫁さんも、すごくきれいだ。

そして、この甥っ子の結婚が完了したら.....ちょうど2ヶ月後。今度はその弟の、甥っ子その2が、またまた同じプロセスで結婚する。そちらはお嫁さんの家族も古くからの知り合い。親同士が親友で、息子と娘をマッチングさせた。

どネパールである。

混乱と混迷が続くネパールではあるが、一方に、そういう世界もある。その両方を見ることが出来るのは、ありがたいことだ。 

ダサイン、アヨー(ダサインが来た)

誰も呼んではいないのに、ネパール最大の祭り「ダサイン」がはじまってしまった。明後日10/14からは、どちらさまも1週間、きっちり休みになる。

ああああああ。この時期、仕事が重なる時期なのに。

うちの亭主も、スパークする、炸裂するダサインで、日々パーティーと、友人集まってのトランプと、一族郎党を誘ったお寺めぐり。この時期のネパール人は、手元にあるお金を全て使い果たしても、借金してでも、家族、友人と楽しまなくてはならない。美味しいものを食べて、新しい着物を着なくてはならない。

そういうのが「何で楽しいの?」と、醒めた目で見てはいけないのだ。

最近風邪気味で、身体も心もスッキリできず、悪い頭でいろんな事を考えすぎて胃が痛い私には、今年も酷な祭りがやってきた。と、ただそれだけのこと。 問題は、自分にあるわけだ。

みなさま、ダサインおめでとう!

ダサインが来た

誰も呼んではいないのに、ネパール最大の祭り「ダサイン」がはじまってしまった。明後日10/14からは、どちらさまも1週間、きっちり休みになる。

ああああああ。この時期、仕事が重なる時期なのに。

うちの亭主も、スパークする、炸裂するダサインで、日々パーティーと、友人集まってのトランプと、一族郎党を誘ったお寺めぐり。この時期のネパール人は、手元にあるお金を全て使い果たしても、借金してでも、家族、友人と楽しまなくてはならない。美味しいものを食べて、新しい着物を着なくてはならない。

そういうのが「何で楽しいの?」と、醒めた目で見てはいけないのだ。

最近風邪気味で、身体も心もスッキリできず、悪い頭でいろんな事を考えすぎて胃が痛い私には、今年も酷な祭りがやってきた。と、ただそれだけのこと。 問題は、自分にあるわけだ。

みなさま、ダサインおめでとう!

セミナー文化

ネパールでは、国連、欧米系援助団体、研究機関などが主催するセミナーが非常に多い。そしてそのオープニングや、クロージング・セッションに、我々メディアが招かれることも多い。

ありがたいことである。

が、その全てに出席していたら、仕事にならない。

何故我々を招待するのか?それは、セミナー自体がニュースとして取りあげられることを期待しているからである。ネパールの地元新聞、テレビ局ならニュースになるが、我々国際メディア、特にTV業界にとっては、カトマンズの立派な会場に人が集まっているだけでは、ニュースネタとして「全く」使いようがない。

それでも、時々、顔を出してみる。何故か?

1.ネタが拾えることがある
ごく希であるが(可能性としては数%?)、セミナーで得られる情報が、ニュース企画の元になることがある。その問題の現場を取材するための、取っ掛かりになる可能性を否定できない。

2.出会いがある
各分野の専門家たる、専門性や人格が素晴らしい人たちと知り合えることがある。ここから、ニュースの仕事に結びつくこともあるが、仕事は関係なくても、知的刺激系の出会いは私個人の財産になる。

3.私の守備範囲の要所との、普段からのお付き合い
これが一番多い。私の場合、環境問題、自然保護、文化保全、観光というのが守備範囲(亭主は、政治経済)。これらの分野のニュース業務にあたることが多く、この場合の取材先、情報源となる機関とは、普段からのお付き合いが大切なのだ。


今日も午前中、山岳環境問題の研究機関主宰のセミナーに行ってきた。この機関は、多国籍の研究者の現地リサーチと、国際的に認められたデータの蓄積がある。ニュースについての学術的裏付けをとる場合、ネパールでは唯一の機関である。

しかも会場は、我が家と仕事場の中間にある。小ぎれい、カジュアルな恰好で、自転車でびゅ〜ん♪ と行けるんだよね。ふふっ。

ここの広報担当者と良好な関係を保つことは、私にとって大切なのだ。広報官にとっても、どこのメディアの誰が顔を出していたか?毎回名簿をチェックしている。それが、組織内での担当官に対する評価に結びつく。集客力というのは、広報担当官の能力評価のポイントだから。

必要となればこちらの無理も聞いてもらうため、普段から、あちらの顔を立てておくのだ。

我々はメディアというのは、こちらの都合だけで見ず知らずの人に突撃取材しなくてはならない事もある。しかし出来るだけ、普段からの人脈を広げておくことで、イザの時の仕事がスムーズに行く。

出来るだけ、仕事は「調整型」でいきたいのが私のスタイルだから。


明日は朝っぱらから、国連の小銃器(ピストルや手榴弾など)コントロールに関するセミナーに行ってみよう。私にとってはまったく 新しい分野であるが、それだけに、今までになかった世界と出会えるかもしれない。という、淡い期待。砂金取りのような確立で、ほぼ空振りになるのは覚悟の上で。ごくごく希にヒットするし。

会場は友人のホテルで、久しぶりに彼にも会えるしね。しかも、自転車で行ける距離。あははは、動機が不純かな?

カトマンズのすごく外れにある高級ホテルとか、呼ばれたら困るんだよね。タクシーで行ったら、往復でバカにならない出費になる。小ぎれいな恰好で行くためには、自転車での長距離移動は厳しいしね。

ネパールではメイルや電話じゃなくて、人と人が会って、顔見知りになっておくことが非常に大切というお話しだ。セミナーなんて云う「洒落た世界」だけじゃなくて、現場の地道な活動の中でもね。

緊急入院、コングレス新党首

ネパールにおける主要政党のひとつ、ネパリ・コングレス党の新総裁に、スシル・コイララ氏(68) が選出された。

スシル氏は、有名なコイララ一族の出身。1950年代以降、コングレス党政治家として地道な活動を続けてきた。

良くも悪くも「突出したキャラクター」の出るコイララ一族の中では、地味な存在である。もっとはっきり云えば、影が薄い。健康状態は、頑強とは云えない。しかし、悪い噂を聞かない。生涯独身で妻子がおらず、自己の権力を家族に継承させようというギラギラした側面がない。 

現在の国会には議席がないため、コングレス党からの首相候補にはなっていない。選挙に落選しても、比例枠で国会議員になり首相になったり。落選して議員でないのに、主要閣僚になっただけでは満足せず、副首相になっちゃったりする政治家が幅をきかせるネパールでは、まともな人間に見える。少なくとも、表面的には。

そんなスシル・コイララさんなのだが、党首になった途端、肺炎で入院してしまった。

伝統的権力者の利益を代表する筋から、マオ派も真っ青のラディカルな政治家までを擁する、混沌の政党ネパリ・コングレス。この党首は激務であること、想像に難くない。スシルさん、大丈夫か?それとも、単なる御神輿に徹するのか?だとしても、寝技、腹ワザは必要だろう。


さて、今日のインドラ・ジャートラであるが、今のところ不穏な様子はない。事前に動きがある場合、カトマンズの日本大使館からの注意喚起メイルも入るが、今のところ届いていない。

私の心配のし過ぎ。になってくれることを、祈っている。 

インドラ・ジャートラ、混乱か?

政府により、元国王の元クマリに対する顕彰式典出席が禁止された今日。ヒンズー教支持青年団が9人の元クマリたちを、夕刻、元国王シャハ氏の私邸に連れて行き、そこで顕彰式典を行っている模様である。

同組織は、明日、クマリの山車巡幸初日儀式に国家元首として出席するヤダブ大統領や、政府のトップとして臨席するネパール首相の来訪を阻止する!との気勢をあげているらしい。

一方政府は、元王室メンバーの宗教・文化儀式への来賓出席をしばらく禁止する閣議決定を計画中との未確認情報がある。

インドラ・ジャートラについては過去にも、世俗国家を主張する時の政府と、祭を国家的規模で存続を願う住民が衝突。レンガを投げ合い、機動隊が催涙弾を発射する事態になったこともある。

明日のクマリの出現には、ネパールの善男善女だけでなく 、多くの外国人観光客も見学のため集まる。明日の予定に入れている日本人のみなさん。状況をよく見て、情報を集めて判断してください。

信教の自由に対する線引きは難し

インドラ・ジャートラ祭がはじまった。

明日からは、クマリ(国家守護神の女神が宿ると云われる、女児の活神さま)の乗る山車巡幸もはじまるカトマンズ。今日は、過去、子ども時代にクマリを勤めた9人の女性たちを顕彰する式典が、クマリの館のあるバサンタプル(カトマンズ、ハヌマンドカ旧王宮地区/世界遺産サイト)で行われたそうだ。主催者は、ヒンズー教支持青年組織。

ここに主賓として、ギャネンドラ・シャハ元国王が招待されていた。しかし直前になってネパール政府内務省は、「警備上の理由」で、シャハ氏の出席を禁止したそうだ。FMラジオのニュースによれば、元国王の警護にあたっている武装警察に対し、シャハ氏の外出を認めないよう命令が下ったとのこと。


カトマンズをはじめとする、かつての国家宗教であったヒンズー教や一部の密教は、王政と分かちがたく結びつき、双方の権威発揚のために、渾然一体となってきた側面がある。王政が廃止されたから、では、新しい国家元首たる大統領では.....認めがたい!という人たちがいる。

世俗国家になったネパールでは、信教の自由が認められている。今でも、元国王を「神の化身」と信じる人たちの信教の自由は認められるべきである。同時に、元国王派の動きが、純粋な宗教上のものであると信用できない人たちがいるのも当然のこと。ネパールに限らず、宗教は権威と結びつきやすい。しかも、伝統的国家の家長から、政治的強権発動を厭わない権力者までの「過去の顔」を持つ、ギャネンドラ・シャハ氏であるから。

共和制の導入後、インドラ・ジャートラ祭に対する政府の態度が引き金となり、衝突も起こっている。シャハ氏の行動規制については、事前に危険性を回避するための措置とも見える。


このような、ややこしい論争とは全く別に、純粋に自分たちが敬ってきたクマリ女神の祭を心待ちにしている多くの人たち。そんな人たちの気持ちが踏みにじられることがないよう。祈るばかりである。

ネパールの結婚は、鮮度が高い!

つい先ほど、ネパールにおける私の親代わりとして20年以上お世話になっている、私の(ネパール人)兄から電話があった。

「明日の朝 、家族揃ってうちに来てね。息子の婚約式だから」

ひぇ〜っ!チビッコの頃からよく知っている、長男が結婚する。

「昨日、縁談がまとまったんでさ。突然だけど、みんなで来るんだよ。絶対」

ということだ。お嫁さんがどんなに可愛くて素敵なお嬢さんか、楽しみである。何たって私の弟(正しくは甥だが、ネパールでは甥=弟)は、なかなかハンサムで素敵な青年なのだ。

ヒンズー教では、結婚に係わる儀式が出来る日付が限られている。今年前半はもう、残り少ない。ということで、良縁が決まれば、あれよあれよと結婚の儀式になることも良くある話。

今回は、取り急ぎ婚約をして、結婚式は秋に執り行うらしい。日本との手広いビジネスを稼業とする一家なので、招待客はネパール国内に限らないとも思う。数ヶ月の準備期間を置くのは、良い判断だと思う。


それにしても、ネパールの結婚は、恋愛だろうがお見合いだろうが、一度決めたらもう躊躇したりしない。結婚するのは当然!という、人生の図式に迷いがないのだとも思う。当人たちも。親や親族も。 

潔くないと云う、美学

昨日、ネパール時間12:10に亡くなったG.P.コイララ元首相/ネパリ・コングレス党総裁の国葬が行われている。

現在ご遺体は国立競技場に安置され、国家的リーダーや外交団たちのみならず、一般市民が最期のお別れのため長い列を作っている。ネパール時間午後2時から葬列となり、パシュパティナート寺院のガートで火葬に付される。

コイララ氏には何度か、お目にかかってお話しをしたり、インタビューをさせてもらったことがある。今から6年ほど前の単独インタビューでは、政情にかかわる項目が全て終わったあと、雑談として、ひとつの質問をした。

「コイララさん、あなたはもう充分にご高齢です。充分すぎるほど、ネパールの民主化のために貢献されました。そろそろ後進に道を譲り、悠々自適の生活になられてもいいのではないですか?」

「ははははは。本当にそうなんですよ。私は、この国に新の民主主義が実現したことを見極めたら、きっぱり引退したいと思います。その日を待っているんですよ」

外国人だから出来る種類の質問に、楽しそうに笑顔で答えてくれた。が、彼の政治的表現を、我々の言葉に翻訳するなら、 

「この国の民主化の道は遠く、私は死ぬまで引退できません」

と、理解すべきだ。 

事実、コイララ氏は亡くなるその日まで、ネパール和平実現と新国家創造の鍵であり続けた。信念に殉じた、見事な人生だ。


同時に、国家的英雄として国葬の礼を受けた彼に対して誰も云わないが、過去、疑獄事件への関与も噂された。権力への固執もあった。それだけでなく、人に愛されない言動の多い娘を後継者にすべく、晩節を汚した。本当に娘と国家を愛するのであれば、娘に政治的経験を積む機会を与えて教育すべきであるが、他の真っ当な若手活動家の頭を踏みつけて上に登らせるような方法を執った。

また、王制打倒を掲げて国内内戦を戦ったマオ派と云われているが、マオ派と最初に対立したのは王室ではなく、コイララ氏率いるコングレス政権・政府である。

病身で、政治の世界に積極的に関われなくなっても引退せず、最期までネパール国政の上皇であり続けた。コングレス党の次世代リーター育成への貢献は、非常に薄い。

この点、非常に潔く「ない」人生であったと云えよう。

しかしこれはコイララ氏個人の資質だけによるものでなく、この国の社会構造にも原因がある。ネパールは個人と個人の信頼関係で物事が進んだり/遮断される。組織や集団としての秩序は、まったく期待できないことが普通である。であるから、偉大なる個人の存在が不可欠だ。

このような社会の中で、コイララ氏は引退しない生き方を選択したのだと思う。同時に、彼のこのような生き方が、コングレス党やネパール政界の、組織としての発展に制限をかける一因となった。

コイララ氏は、ラナ将軍家独裁の打倒、国王親政、二度にわたる民主化動乱、10年間の内戦とその終結という激動の時代を、見事に生き抜いた政治家である。

同時に、コイララ氏の死去は、強力な個人が個人の資質の及ぶ限りで国家に対処する時代の、終焉にもなるだろう。

コイララ氏のご冥福を祈りたい。合掌。 

ネパールでも、言葉狩り?

ネパールのテレビで、以下のような公共CMが放送されている。

落ち込んでひとり座っている男子生徒(高校生風)。女性教師が見つけて
「授業にも出ないで、ひとりで何をしているの?」
「先生、昨日テレビで見たんですけど、政治家たちが今の政情を【かたわ】とか【めくら】って比喩していたんです。ボク、それを聞いて悲しくって」
「何云ってるの、あなたは障がい者じゃないでしょ。こんなことで悲しまないで、さあ、教室に戻りなさい」
「先生!あなたのような立場の人が、こんな差別を見逃して恥ずかしくないんですか!!」 
正義の味方風の男性が
「公共の場所で、障がい者を引き合いに出すような否定的表現で発言するのは、社会に対する深刻な犯罪行為です」 

街角のティーショップで 客1+2と女主人の会話
「ミルクティーちょうだいな」
「ごめんなさい。ちょうどミルクを切らしているの」
「あ゛ぁ〜、片目の見えないおじさんでも、いないよりまし!(ネパールの伝統的諺)ミルクなしの紅茶でいいよ」 
「おい、そんな障がい者を見下すような諺使って恥ずかしくないのか!」 
正義の味方風の男性が
「人前で、障がい者を引き合いに出すような否定的諺を使って発言するのは、社会に対する深刻な犯罪行為です」  


ティーショップでのシークエンスは納得できるが、学生と教師のシークエンスには、ちょっと行きすぎというか、靴の上から足を掻いている感じ。集会でこういう発言をする政治家に、群衆から非難の声があがるという、シンプルな作り方で良かった。

しかし最後に、正義の味方の男性=ネパール社会の強者の象徴が正論を振りかざす部分には、ものすごく違和感を感じる。云っていること、主張は正しいのだが。

云い方を変えれば、差別される側の「痛み」とか「悲しさ」が感じられないのだ。このような上から目線では、単なる言葉狩りとして反発を受けるのではないだろうか?もしくは、無視されて終わり。 

この公共CMは、ネパール障がい者人権協会のもので、資金援助は英国国際開発省(DFID)と、最後にアナウンスとロゴも出る。イギリス政府の外国援助のお金で制作されたわけだ。

社会正義を実現させるために、素晴らしいドラマ風CMや啓蒙TVドラマが数多いネパールであるだけに、見ていて残念な気持ちがする。

ロサールは同じだが

昨日はチベットの暦で、2137年寅年のお正月。ロサール。

ネパールでは、亡命チベット難民のみなさんや、チベット文化を共有するシェルパ族のみなさんなどがお祝いする。カトマンズ市内チベット仏教の寺院では、賑々しく祝賀ムードに包まれていたと云うし、ヤダブ大統領も「ロサールおめでとう」のメッセージを出した。国家の祝日で、お休みにもなった。

が.....今日、カプセというロサールの揚げ菓子のお福分けに来てくれたチベット人の知り合い曰く

「中国治世下のチベットにいる同胞の苦難を思って、静かなお祝いにすべしってムードだったし、ロサール直前にジャワラケルの居住地域ではお葬式が続いたし。ただ、みんな、お家で静かにお祝いするだけ。以前のような祝賀行事もなかったのよ。そんなに楽しくなかったのよ」

と、残念そう。

ロサールのお祝いムードは、ネパール国民たるシェルパ族のみなさんが担っていたようだ。大統領のメッセージだって、「シェルパ族をはじめチベット文化のネパール人のみなさん、おめでとう」な趣旨だし。ネパールに暮らすチベット人に対しては、北の隣国に対する遠慮があるのだろう。

カトマンズから発信するブログなもんで、「遠慮」という表現にしておくが。 

いずれにしても、ロサールおめでとう!

シバラットリーの、へぇ〜

今日はヒンズー教の3大神のひとつ。大麻が大好きで、踊りの名手で、知らない間に出来ていた息子の首を刎ねちゃって奥さんに叱られて象の首とすげ替えてガネーシュ神を生み出して、奥さんとはラブラブなんだけど一度は妻のひとりを魔物にあげちゃって他の神さんが「それはイカン!」と取り戻してくれたり、信者の奥さんたちが夫を捨ててついてっちゃうくらい素敵な男性で、いつも行者の姿をしてヒマラヤのカイラス山で瞑想している.....という、とーってもフリークでナイスな神さま(一応、褒めてるつもりです)、シバを栄光をたたえるシバラットリー大祭。

ジャイ、シバシャンカール!
ジャイ、ジャンブー、ボムボム、ボーレ!

シバ神を祀る、カトマンズのパシュパティナート寺院には、ネパール全国のみならず北インド各地からも行者や信者が大集結して祝っている。

今日はネパールのTV各局も、パシュパティ寺院からの生中継を続けている。今朝のカンティプールでは、局お抱えの占星術の先生が司会で、ヒンズー哲学専門家をゲストに招いたトークを繰り広げていた。

普段、ヒンズー教徒に囲まれて、ヒンズー教徒からマイルドな宗教的プレッシャーを受けている私は、ヒンズー教に対して醒めた考え方しかしないのだが、そんな私をも感心させるお話し。 曰く

ニールカンタ(青い喉の者)の異名を持つシバ神は太古、悪魔が世界にまき散らした猛毒で絶滅の危機に瀕していた生きとし生けるもの全てを救うため、全ての毒を飲み下された。このため、シバ神の喉は毒にやられて青くなってしまったほどである。

今、行きすぎた工業化が、同じように、世界に猛毒を吐き出し続けている。地球温暖化、気候変動の原因となり、世界の驚異になっている。現在、再度、シバ神の「我が身を危険にさらしてまで世界の毒を飲み下す」自己犠牲の精神が必要なのではないだろうか。コペンハーゲンなどでの国際会議は、条約の言葉に対する論議に終始し、何も具体的成果が出ていない。

ネパールは世界に向けて、シバ神の自己犠牲哲学を主張すべきである。これが、気候変動から地球を救うための大きな役割を果たす。私はそう確信している。


おおおおおお。素晴らしい。

ここまで立派な考え方が、ネパールのヒンズー専門家にもあるんだから。入れろよ、パシュパティ寺院に。外国人や異教徒も。

そうです。パシュパティ寺院はガイジン(インド人は可)と異教徒は入れてくれません。私たちガイジンは、宗教的に穢れていると云う事でしょう。

そーゆー考えは、受け入れられますか? 

感覚の違いという事

先日の暖房についてであるが、カトマンズと日本両方の生活体験があり、両国の文化についても高い見識ある、某ネパール人Bhai(年下の男性)より、興味深いご指摘をいただいた。曰く、

「カトマンズでの生活では、冬も格段寒いとは思っていなかった」
「上に何枚か着込むだけで、暖かかった」 

うーむ。我が亭主にしても、我が家の状況を「それほど寒くない」と感じていた様子。だから、私が逆上したとき、大変驚いていた。

例えば「肩が凝る」って、日本人はよく感じるが、外国人、特に欧米の人は感じないそうだ。例え実際には 、バリバリに肩が凝っていたとしても。文化によって、感覚の感じ方が異なるという事なのだろうか?

日本人は、一般のネパール人よりずっとよく働くし、周りに気を遣いまくっている。この点、ネパール人は鷹揚だと思う。「ニホンジンッテ、コンナニ ハタライテ、ダイジョウブナノハ ナゼデスカ?」 と思うネパール人も多いだろう。往々にして、日本人が日本で働く場合、何とか頑張れてしまうことが多い。

しかし、しかし、日本人が、その日本のペースで外国、特にネパールのような国で仕事をしてしまうと.....

1.ネパール社会との融和に失敗し、孤立する。
2.無理がたたって、多くの場合病気になって倒れる。

日本は、仕事に没頭して頑張れる社会システムで回っているが、総ての国や文化が同じではない。ネパールのような、障害物競走のような社会で生きているネパール人には、日本人のような機敏さや繊細さはなくても、日本人には真似の出来ない「強さ」があるのだ!

毎日11時間電気来なくても、何とかやっているのがネパール。

別な側面を考えると、例えば日本人は仕事のために空腹を我慢するのに耐えられるが、ネパール人はそうでない。食べないと仕事できない。でも、ネパール人は宗教儀式が終わるまで何時間でも空腹を我慢できるが(ヒンズー教では、宗教儀礼前の飲み食いはしないことが多い)、我々には出来ない相談。

一般的に信仰心の薄い日本人にとっては、勤労に神が宿るのかも?

などと、落ち着いて、異文化の面から考えると、夫婦喧嘩もまた、興味深いものとなり得る。ならないこともあるが...... 

暖房を巡る攻防

今、ある原稿を書いていて、カトマンズの冬の過ごし方について東京とやりとりをしている。ネパール人の生活習慣をご存じの方は「ああ、そうそう」と納得していただけると思うが、ネパール人はとにかく、寒さを我慢する

暖房器具を使うことは少なく、使ったとしても、手元足元をちょっと暖める程度。部屋全体を暖めることはしない。真冬でも、靴下もはかない。暖かな下着も着ず、上に着込むばかりだ。そのくせ、頭は毛糸の帽子などで防寒していることが多い。

カトマンズでは真冬が2ヶ月程度と短いことと、灯油などの燃料が高価なこと(1リットル70円ちょっとと、物価から考えると、なかなか気軽に買えない値段)。そして、快適な生活を「知らない強さ」が、カトマンズの人たちにはある。

以前、冬は極寒となるポーランド、ワルシャワ出身の女性が近所に住んでいた。彼女のネパール人ダンナが、うちの連れ合いの友人であったため行き来があった。で、彼女曰く

「カトマンズノ イエノ スキマカゼ、マフユノバイク、ダンボウヲ ツカワナイ セイカツ。クレイジー デス。ワタシ、サムクテ ナキマシタ。ワルシャワハ、ソトハ フブキデモ、イエノ ナカハ アタタカイデス。モウ、カエリタイデス」

まあその後、彼女はダンナをシバキつつ、ちゃんと子供を育てて、カトマンズ国連系の職場で頑張っているのだが。ここのダンナは、国際政治学の博士号をもち、カトマンズの知識階層の家庭出身というちゃんとした御仁だが、それでも結婚直後のネパール人としてのメンタリティに、冬の暖房という概念はなかった。いわんや、我が亭主.....

仕事場には立派なガスストーブがあるが、今年はまったく使わない。自宅の石油ストーブも、1月中旬まで私がいなかったため、今年は使っていなかった。暖冬傾向でもあったため、そのまま暖房なしでいたのだが。平たく云えば、暖房を使わせてくれなかったわけだ。しかし最近、夜になると私の頭は寒さでキリキリと痛みだし、停電で真っ暗で、私が愛用している電気ストーブも使えず、気が狂いそうになった。で、

今年我が家が灯油も買えなかったのは、★●◆のせいだ。ぐわーっ!★◎▲に☆▽●◆、◎◆◇してやるぅ!

と暴れたら、今朝、亭主が石油ストーブの芯を掃除して(灯油の質が悪いため、使い始めに分解掃除が必要)灯油を買ってきた。ああ、石油ストーブをつけるために、ここまでの暴挙に出る必要があるとは。ネパール人、いい加減にせんかい!

で、東京の担当さんに聞かれた

「何でそこまで、我慢するんですか?」

「さあ、この人たち、▼◆なんじゃないですか」 

悲しき伏せ字である。

貧しくて買えない。または、売っていないなら理解できる。しかし、それくらいのお金は何とかなるし、売ってるし、病気になりそうに冷え込んでいて尚、暖房器具をつけようとしないのはクレイジーだ。私の立場では。

亭主の言い分としては、ちゃんとキミの凍えた手をボクの手のひらで温めてあげたり(結構、仲良し)、いろいろ、ボクなりの誠意は見せたじゃない。

と、彼の側の正義があるわけで、昨日以来、怒って口をきかない。しかしそういうことを恐れていては、我々西側諸国からやって来た人間が、この地で永らえることは大変難しくなる。

寒さが半端でないヒマラヤに住むシェルパの人たちなど。昔はいざ知らず、今は台所で煮炊きする熱を上手に使って家族で暖まるし、冬はカトマンズなどの温暖な地方に降りてくる。ちゃんと防寒してる。

寒さに対処できないのは、うちの亭主を含む▲◇★ーの輩たちだ。元々、温暖〜亜熱帯の地域の文化だからな。コノヤロー!

あっ、そうか。あの文化の人たちを動かすためには、道路でタイヤを燃やすくらいの抗議活動が必要なんだ。そうか。だから、私も時々、家庭内で大暴れすればいいんだ。なーるほど。

と、そこまで正当化してもいいのか、ちと不安であるが。これでいいのだ!石油ストーブ、暖かいしね。

ネパールTVの25年

正式には、ネパール・テレビジョン公社なのだが、時代時代の政府に(報道の方針まで)コントロールされている局であるため、敢えて、ネパール国営放送テレビと表現したい。
 
ネパール・テレビジョン、略してNTVが昨日、設立25周年を迎えた。私がネパールと係わっても今年で25年目。自分のネパール人生と、NTVの歴史はシンクロしているし、亭主はNTVの開局立ち上げからの職員として12年間報道や番組制作に係わっていた。その後独立してフリーのジャーナリストになり、私まで巻き込まれて現在に至っている。
 
亭主は昨日、NTV本社で行われた記念式典で、NTVの発展に寄与した功労者のひとりとして表彰され、ガラスケースに入った記念のオブジェをもらって、大変機嫌良く帰宅した。NTV出身のビデオ・ジャーナリストや作家は数多いが、離職して尚、古巣と良好な関係を継続している人は多くない。

あの時代。情報が非常に厳しく、統制されていた時代。政府ご用メデイアの規制の中で精一杯、前例も先輩もいない環境の中で、何かを伝えようとしていた「若い頃の未熟な自分」を思い出してたんだろうな。彼。

現在のように、外国の衛星放送がケーブルで簡単に見られる状況と違い、昔のNTVは、ネパール国民にとって唯一、ネパール語のテレビ放送だった。

しかし現在、ネパールのように小さな市場の国であっても、複数の民放テレビがひしめいていている。番組の面白さ、報道の立ち位置共に、民放の方が見ていて楽しいし情報量も多い。

NTV、誰が見てるのかな?という感じもする。今となっては。
 
NTV25thCoin
写真は昨日、NTV本局で行われた記念式典で販売されていた、記念の25ルピー硬貨。ネパール造幣局の硬貨のようで、純度の低い銀貨である模様。硬貨としての仕上げも非常に雑で、記念品としてごく少量、ハンドメイドで製作された可能性がある。額面と同じ25ルピー(320円)で販売されていたそうだ(亭主談)。

ネパール郵政局は記念切手も発行しているそうで、こちらはカトマンズの中央郵便局Philatelic Sectionなどで買えるだろう。

大統領府、王宮化か?

私が密かに私淑する、谷川先生のサイト。ネパール大統領府の職員に、勤務中の民族服着用の大統領令の記事

かつてこの国に王室があった頃、王宮の敷地内に足を踏み入れるネパール人は、民族服の着用が強制されていた。最大限譲歩しても、男性はトピーという民族帽は必須であった。

王室職員は全員、上から下まで民族服。オレたちは、庶民とは違うんだよ!的に、王さまの威を借りて、肩で風を切って歩いていた。まあ、そういうものが権威であろうし、心正しい人は正しく権威で世間の尊敬を集め、そうでない人はそうでない。どこの国でもあり得ること。

さて、おっちょこちょいの私は、大統領府をかつての王宮のような「服装コード」で権威づけるための動きか?と勘ぐり、早速、大統領直属の某補佐官(プロトコールとしては国務大臣と同格)の携帯に電話してみた。彼は、こんなに偉くなるずーっと以前からの仲良し。

「ねーねーダイ(兄さん)、兄さんも民族服着てるの?」

「がはははは。それは、公務員たる職員だけだよ。彼らは毎年、服装費を支給されているからね。ボクたち特別職は、以前のまんまだよ。民族服じゃないよ。それにしてもバイニ(妹)、何でそんなこと気にするの?」

「大統領府が、昔の王宮化してきたのか?と気になったからよ」

電話の向こうで、一瞬、ギクッ!とした雰囲気を感じた。


ヤダブ大統領は元々、コングレス党コイララ党首の懐刀のアシスタントくらいの役割を、誠実に務めてきた政治家であった。議会から選出された選任国家元首として、当初は「安全パイ」と目されてきた。

それが、国軍参謀長の解任取り消し以来、政府を超越し、当時のダハール首相を辞任に追い込むなど、政治的手腕が急速に、凄みを増してきている。政府や、コングレス党コイララ派との力関係に変化を感じる。

元々医師であり、国内外のことをよく理解する知識人であったヤダブ大統領に、潜在的能力があった。加えて、地位は人間を作り上げるもの。かつてのヤダブ氏と、今のヤダブ大統領は同じ人間であり、違う立場と権力を手中にした存在である。これに仕上げを加えるとすれば、権威付けであろう。

権威は形式を生み、服装コードという形式がまた、権威を再構築する。そうしてぐるぐる回っていた王室と王宮権威に取って代われるのは、大統領と大統領府が、現在最前列にいる。

現在マオ派が「大統領の権限を見直すべく国会で審議すべし」と主張しているのも、こんな背景がある。

シンガポールで病気療養中のコイララ元首相と、急遽彼の地に飛んだダハール前首相は、コイララ氏の帰国直後に対処すべく妥協点の合意に達したとの報道もある。しかし、これ以外の政治勢力がどう云うか?

マオ派政党の活動家以外、市民からは冷ややかな目で見られているマオ派の街頭抗議活動第三波も、来週から再開されると云われる。マオ派自身、市民の支持なしに続けていくのは辛かろう。このまま街頭と国会が空転を続けると、予算も承認されず、来年5月末の新憲法公布も不可能となりつつある。

いつものネパール式に、最後の最後のギリギリで、今回も辻褄を合わせるのだろうが.....もやもやとして、不安である。
 

出稼ぎネパール人社会って?

一時期、在日ネパール人とのトラブルに関する質問が続いた時期がある。その時ぼんやり感じたのは、どうやら、ネパール人が日本で働いている「業種」の中で、日本人との恋愛絡みの問題が発生しやすい「業種」があるんじゃないのか?ってこと。

言い換えれば、日本人と結婚して日本に住んでいるネパール人を別にすれば、日本で働くネパール人(いわゆる、日本への出稼ぎ)の業種別分布に偏りがあるのではないか?ということ。そしてその、従事人口の多い業種は、日本人との出会いの機会が多いであろうこと。

最近カトマンズで、日本で長年、事業主(経営者)として成功を収めている在日ネパール人の方たちとお話しする機会に恵まれた。そこで私が感じたことをひとことで表現するなら、

階級社会のネパールを、日本在住のネパール人社会も、そのまま引きずっている。日本の中で、小さな、ネパールの階級社会を形成しているようだ。

いろいろな情報が正しく、多方面から伝わり、母国ネパールと日本とのネットワークも広げられるのは、多くの場合、ネパールのエリート層出身の方たち。大使館や、大学・大学院留学生や研究者。または、母国や外国で高い教育を受けて専門職をもち、いろんな理由で日本に住み着き成功した人たち(日本人との結婚を含む)。または、ネパールでは非エリート層出身であっても、持ち前の賢さとバイタリティで日本で成功し、エリート層の人たちに対しても臆することなくつきあえる、サクセスストーリーなネパール人の方たち。

一方、それほど熟練を要しない業種。本来専門職であるはずなのに、そうじゃなくてもビザが取れてしまって来日している人たち。例えばコックさんの中には、ネパールやインドの一流レストランやホテルで研鑽を積んできた立派なシェフもいるが、(私が聞いた話では)インドの中級、またはそれ以下のレストランで働いてきた人たちが、コネを使って日本に来ている例も多いとのこと。中には、全然料理の出来ない人さえいるらしい。これらの人たちの場合、東京にあるネパール大使館や、社会的地位を築いた在日ネパール人社会との付き合いは、ほぼ皆無のようだ。

階級意識の高いネパールだから、サクセス・ネパール人の方でも、一線を引いているのだろう。

人間はみんな同じと教育される日本から見ると腹立たしいだろうが、階級があって当然の社会もある。近年では、教育や社会的地位から落ちこぼれると、伝統的優位層から転げ落ちるため、ある面厳しい競争社会のネパールには、ネパールの考え方もある。

さて、母国の社会に守るべき地位のある人たちの多くは、家族も一緒に日本で住んでいる。これと違って出稼ぎの場合、単身が基本だろう。若くて独身であっても、母国に妻子がいたとしても、数年単位で異国で暮らす身は淋しい。身近に、日本人の温かな肌があれば、寄り添いたくなる気持ちも人間として当然であろう(海外に単身の日本人でも、同様に起こりえることだ)。

しかしその後、社会的、法的にどう責任をとるのか?という点になると、日本とネパールの倫理観や法律のしばりには大きな差がある。ネパール母国や外国で責任ある立場にいるネパール人には、自制心や自己規制もある(そうじゃない、困った人もいるけれど)。比べて、日本には数年。お金を稼ぐだけのつもりのネパール人の場合、背負っているものが全然違うのではないだろうか。

階級によって、住む世界の違うネパール。

国が守ってくれないから、時には法律に反しても、自分や家族を守らないと生きていけないネパール。

まず人を疑ってかからないと、失敗してしまうネパール社会。


普通のネパール人に、いきなり刺身を食べてもらっても美味しさが伝わらないのと同じで、普通の日本人に、ネパール料理の本当の美味しさは分からない。その多くは、レストランの雰囲気やサービスで「美味しい」気分にさせられている。カトマンズでも、旅行者に人気のネパール料理店は、雰囲気やアトラクションが良ければよい程料理は美味しくない。

それと同じように、ネパール社会の経験なく、ネパール語も理解できない日本人が、どのネパール人が信頼できるのか?分からなくて当然だと思う。そこに恋愛が介在するなら、余計に、何も見えなくなってしまう。

社会的な地位が高い人の中にも、人間として卑劣な人がいる。厳しい生活をしている人の中にも、心正しい人がいる。ネパールだって同じこと。

ただし、それを、あなたは見抜けますか?

「私の彼は、そうじゃありません。誠実な人です!」

って、10年後でも胸を張れたら、とても素敵なことですが。

人間を見るとき、本人をしっかり見極めることが大切です。しかし同様に、相手の属する文化や倫理観、社会の中でのポジションを冷静に判断することが必要なのではありませんか?

傾向と対策があり、その上で、例外も存在するのです。 

ネパール料理の可能性は?

私のツーリスト時代からの古い友人で、ネパール人で、私がネパールに移住してきた同じ時期に、逆にカトマンズから東京にやって来て、知る人ぞ知る、美味しいネパール料理で有名なインド・ネパール料理店を経営するUと、数年ぶりに会った。いゃぁ〜、いろんな話をして、心の底から楽しかった。

私が、今の私になる前からの親しい友人だからね。

さて、友人曰く、

「常連さんはネパール料理を食べに来てくれるけど、それ以外のお客さんは、インド料理を注文する人が多い」

とのこと。友人の店では、インド料理は、インドで修行してきたネパール人コックさんが作る。しかしこれらのコックさんは、ネパール料理は得意じゃないようだ。ネパール料理については、オーナー自らが腕をふるっている。

多民族国家ネパールでは、民族ごとに料理の味付けが違う。国民食ダルバート(ネパール風の香辛料料理+ごはん+レンズ豆のスープ)であっても、カトマンズのネワール族。タコーラのタカリ族など、特に料理が美味しい民族のダルバートは美味しいことが多い。ネパール風お好み焼きのチャタマリなど、ネワール族だけが作る料理だってある。であるからして、インド料理を修業したネパール人コックさんでも、民族が違えば「彼の作るネパール料理はイマイチ」という現実があり得るわけだ。

現在まで、ネパール料理をひとつの料理文化として修行する文化は、あまり聞いたことがない。たまたま料理上手の民族の、料理上手な家庭に生まれた人だけが体得できる。この点から見ると、ネパール料理。特に主食であるダルバートについては、偉大なる家庭料理の域を出ていないのではないだろうか?

本場カトマンズであっても、ネパール人が食べて「これは、美味い」と感じるネパール料理レストランは、高級店になればなるほど少ない。軽食たるモモやチャタマリ、ウォーなどになると、庶民的な店こそが美味しい。

この点、インド料理は、世界に誇るインドの食文化として堂々たる地位を誇っている。カトマンズのインド料理も美味しいが、インドに行けばもっとスゴイ。舌が極楽!とうっとりするインド料理店があり、カトマンズの味とは比べものにならない。ただし美味しい店は高級であり、値段もとびきりである。またバターやクリームを多用するため、夕食に食べると翌日のお昼過ぎまで胃もたれがする。

インド料理を修業するって道も、確立している。

一方インド人の家庭で食べている料理は、ネパールより多少オイリーで香辛料も強いが、レストランよりあっさりしたものである。家庭食とレストラン食の落差が大きいし、あの外食のカロリーを家庭でも再現したら、長生きは出来ないだろう。この落差については、日本だって、家庭の味と料亭の料理は別物だし、フランス料理、中国料理など、食文化として確立している料理ってえのは、そういうものではないかな?

この点、ネパール料理は(ネワールの軽食料理など、軽食や酒の肴系をのぞけば)ダルバートである限り、レストランと家庭の差が小さいような気がする。

お叱りを覚悟で云うなら、ネパール料理ってのは、食文化としてまだ確立していないって云うか、発展途上の食文化ではないだろうか。 

そんな流れの中で、日本におけるネパール料理店が「ネパール」だけでなく、インド料理やチベット料理とのコラボレーションメニューを提供しているのではないだろうか。ネパール人のほとんどが毎日食べているダルバートでは、日本で勝負できない......という部分はないだろうか?

それはレストランの姿勢だけではない。ダルバートの美味い/不味いを判断できる日本人だって、数は少ないぞ。ネパール旅行に来てまあ、一度くらいは経験として食べてみるけど、心から美味しいと思っているかな?観光客に人気のネパール料理屋の料理には、不味いところも多いよ。超有名店でもね。店の雰囲気とか、ダンスでごまかしている。もちろん、本当に美味しい店もあるが、特にツアーの場合、味よりもビジネス上手な店に予約を入れられちゃうこともある。

レストラン激戦の日本では、より多くの客に味が分かってもらえて有名なインド料理に流れてしまうのは、ビジネスとして仕方ない部分があるだろう。東京の現場で確認していないのだが、ネパール料理を売り物に人気あるレストランの場合、しつらえがネパール風で立派だったり、各種イベントに力を入れているような印象がある。もちろん、味も美味しいと思う。

次回日本に行ったときは、東京のネパール料理店にも行ってみたいのだが......6〜7年に一度、しかも短期間しか行かないため、毎日友人たちとの約束で、結局、日本食になっちゃうんだよね。


と、本日、この記事の下書き書いていたら、急激にインド料理が恋しくなって。すいませんです。タパタリのインド菓子店併設のインド菜食料理屋でインドカレーを食べてしまいました。ダルバートは毎日、自宅で食べてますから許してください。 

恐るべし、登山政治の世界

ネパールと云えばヒマラヤの国であり、エベレストを盟主とする高峰は、ネパールにある世界のブランドである。

そのネパールの登山界を国際的に代表する、某団体。1990年民主化より以前、国王親政パンチャヤト体制では、王族がその団体のトップであった。

「登山なんて、ネパール人は外国人の荷を背負う3K業界」

と、ネパールの登山界が自国内で見下されていた時代には、当時、最も高貴な血筋と認められていた人がトップの座にいることに意味があった。

その後、アーリア系ヒンズー上位カーストと、山岳系諸民族の間での権力闘争の時代があった。結局、ヒマラヤ登山の一番近い場所出身の山岳民族系の会長が続き、それより標高の低い山岳民族の人たちが脇を固める黄金期があった。

なのに、ここ2年ほど、山岳民族同士による、まるで南北朝の争いのような状況に落ち込んでいる。より北の方の民族は人格者のリーダーをいだくが、より南の民族は誠実な智恵もの揃い。南朝の方が当初、世間の同情や支持を集めていた感じがある。

この件は、政府観光省の仲裁が入り、マオ派政権時代には団体がマオ派に乗っ取られ、で、南北朝の間では、ネパール最高裁に裁判として提訴され、互いに非難合戦。嗚呼。

しかし北朝の皆さん。したたか。この団体の上部組織。アジアの国際的団体の会長を輩出。で今回、その会長は、更にその上の世界的団体の中心的ポストに推薦され.....アジアの団体には北朝から彼の支持者を会長に押し上げることにしたらしい。

それを、こっそりやるのではなく、本日記者会見を開いて発表するという大胆さ。いやはや......ホントに上手くいくのかいな?日本をはじめとする、アジアの加盟団体のみなさん。ネパールの内紛について知ってるぞ。

今年6月のイムジャ氷河湖決壊防止イベントは、南北朝の政治対立とは関係なく、このおじさんたちの息子や息子世代の若者が立ち上げた。若者たちの志に打たれて、私も、たった一人の外国人ランナーとして走った。いろんなメディアにリポートも出した。頑張った。

今日の記者会見では、

「氷河湖イベントは、我々が開催したものです。ここに来ているミキさんも、一番最初のランナー登録者として、001のゼッケンで完走してくれました。来年も参加してくれます。来年も、彼女は001です。来年は、アジアや世界の団体も主催者として参加してもらいます」

と紹介されてしまった。おいおい、おっちゃんたちの団体じゃなくて、息子たちがやったでしょ!まあ、父ちゃんたちがスポンサーだったけど。この件については息子たちがやってて、いい活動だと南朝側も認めてくれてるのに、父ちゃんたち、イベントを政治化するのか?来年も走りますって、私、まだ云ってないぞ!辛いんだよ、あの高度で走るのは。勘弁してくれよぉ。

前日、偉いさんから直接、記者会見に来てくれますよねと電話あったのは、ランナーとして紹介する腹づもりがあったからかぁ?してやられたり。 

南朝、北朝側どっちも、ずーっと家族で仲良く付き合ってくれている兄さんたちばかりだ。喧嘩されると、私は悲しいのだ。困るのだ。第一、登山を政治化してほしくないのだ。

この手の団体の場合、日本や先進国の場合、かつて第一線で登山を実践していた方たちが中枢を閉める。しかしネパールでは、登山家ではなく、登山やトレッキングをアレンジする会社の経営者が中心なのだ。ネパール人登山家は、第一線を退いたあと、登山隊ガイドの総監督として現場に係わり続け、業界団体とは一線を画すことが普通。

ネパールの団体で偉くなる人たちは、皆さん英語が堪能。山岳民族特有のにこにこ笑顔とホスピタリティだけでなく、抜群に頭もきれる。アジア人同士でなく、アメリカやヨーロッパの登山家、議員、貴族の方々なんかとも仲良くなれるグローバル・ネパール人なんだが。

自国の団体がゴタゴタしているのに、そんなに世界の頂点を目指して大丈夫なのか?

「心配いらないよ。問題ないよ。ミキはボクたちの仲間だからね。一緒にネパールの登山界を盛り上げようね」

と、にこにこ笑顔で優しくしてくれる、大好きな兄さんたちなだけに、すごく心配なのだ。登山政治は、程々にしてほしいのだ。

南北朝の皆さんがもう一度手に手を取り合い、みんなで一緒にネパール登山界の発展に邁進してくれるなら、気候変動からヒマラヤを守る活動に取り組んでくれるなら。不肖、オバサン。もう一度肝臓ぶちこわしても、イムジャのレース走りますけどね。それがネパールのためになるなら。

でもなぁ.....今のままでは。 

ダサイン、楽しんでますか?

今日から1週間は、ダサインの休暇である。亭主の会社も休業。一昨日あたりから喉が痛かった私は、昨夜、自転車で帰宅途中、突然のどしゃ降りにつかまり全身ずぶ濡れ泥だらけ。泥よけを外したばかりのマウンテンバイクは、泥はねマシンだもんね。帰宅後シャワーを浴びてココアを飲んで身体を温めたにもかかわらず、敢えなく発熱。沈没している。

さて、亭主は仲間たちとの恒例行事で、今朝、山羊をつぶして肉を持ち帰る。

「オレ、山羊肉だけじゃなくて、キミのための鯖も、マグロも、日本米も、海苔やカレールーだって、用意したよね。

と私に確認を求めた後、現在台所を占拠し、亭主自ら、山羊肉料理中。多分今夜から明日にかけては、ウプレティの母が菜食のため、母と同居で自宅で肉が食べられない弟家族などを呼んで、一族郎党での山羊肉カレー大会を催すであろう。

一方私は毎年、今年も、山羊肉大会は傍観。

息子はおとなしく、山羊料理を手伝っているが、実のところ「母ちゃん、オレたち二人でこっそり、手巻き寿司やろうゼ」モードに入っている。子供の味覚は、母から伝わることを実感ね。

明日土曜日は多分、亭主は車に一族郎等を乗せ、カトマンズから片道2時間くらいのところにある一族の寺に行くだろう。毎年、私は丁重にスルーしている。行ってもつまんないから。

斯様に、ネパール人には楽しいダサインも、異教徒である私には全然楽しくない。そーゆー人間が家族にいることで、亭主も大変な思いをしている。ちゃんと魚を買ってきたりして、気も遣っている。うちの亭主は、みんなに気を遣う、素晴らしい家長だ。私には過ぎた亭主。

ただし同様に、カトマンズで過ごすお正月。家族とはいえ、日本での生活経験のないネパール人と一緒では、私は全然楽しくないんだよね。

と云う事で我が家では、互いの祭りや文化にはタッチしないという和平合意が形成されている。もちろん、心優しい義母を悲しませないよう、ちゃんと祝福をもらいに行くし、最低限の親戚回りはする。でも、必要以上に互いを引っ張り回さない。

さあ、今日一日で風邪を治して、明日からまた、走り込みをしなくては。お正月の東京のごとく車も減る時期なので、ゴダワリ植物園まで往復ランニングをしたい。これが私にとって、ダサイン休暇の楽しみだもんね。

ネパールのみなさんにとって、年に一度のダサインが楽しいものでありますように。日本に暮らすネパール人の皆さんにも、心からお祝いをお送りします。

そして同時に、ネパール人家族と長年、ネパールで暮らす日本人の皆さんのダサインも、心安らかなものでありますように。「山羊肉、勘弁してくれ!」「ダサイン、いつまで続くの?」「ネパ親戚と、全然話があわねー、どーしよー」と、心密かに思う方がいたら。勇気を出してください。私もそうですから。

ダサイン、何が楽しいんですか?

ネパール人の皆さん、怒らないでぇ〜 
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