けぇ がるね?日記

ネパールの首都、カトマンズから発信しています。

ヒマラヤ/ランニング/自転車/ヨガ

毛沢東でも考えない!エベレストトンネル

日本をはじめ、世界のヒマラヤニスト、ちべ者、ネパール者を震撼させた「ちうごくエベレストトンネル鉄道大作戦」報道につき、冷静に考えてみたい。先ずは位置関係。

下の地図、クリックで拡大してご覧いただきたい。
西蔵鉄道

ちうごくが云っている「ラサからネパール国境までの鉄道延長」は、まず間違いなくシガツェを経由して、報道が正しいとすれば、吉隆(ギーロン)というネパール国境に近いチベットの街までと云うこと。この場所はカトマンズ盆地から真北。古いチベット交易ルートである。

エベレスト(サカルマータ/珠穆朗瑪)のエリアにわざわざトンネル掘るとは、現在の道路の位置から考えるに現実的ではない。チベット高原の中で比較的土木工事が可能な地理を選んで道路が作られているはずであるから、鉄道に関してもこれから大きく乖離するとは思えない。毛沢東だってそんな無茶はしないよ!

エベレストじゃなくて、今でも比較的静かな山旅が出来る「ランタン・ヒマラヤ」地域が、鉄道建設でズタボロにされる心配をしよう。ヒマラヤはエベレストだけじゃないんだから、さ。

今年もエベレスト、はじまるよ!

本日付 The Himalayan Times の記事。元情報は画像クリックで飛びます。
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昨年春、史上最悪の雪崩事故を起こしたエベレスト・アイスフォールの登山ルート。今年はより安全なエリアに設営されました。が、その分、難易度上昇。写真に出ていますが、アルミ梯子を縦に4本繋ぐ...場所もあるようです。しかもこんな場所、今年は厳格に「一度にひとり」「荷揚げシェルパの荷物重量制限」などが運用されるそうで、登山者やガイド、荷揚げスタッフたちによる大渋滞が懸念されます。

実際の登山者の声は「縦より横に渡されたアルミ梯子渡る方が恐い」ですけれど。そう、氷河の割れ目、裂け目の深いクレバスを横断する梯子の橋は.....恐いよね。これが渡れず、ベースキャンプのすぐ上で登山断念して帰国する外国人もいるとか。

ネパール政府の不手際、不誠実でスタートでもたついた今年春のエベレスト。それでも現在までに
  • エベレストに合計36登山隊、319人の登山者
  • そのうち109人は昨年の登山許可を再使用
  • 更に4隊が申請手続き中
ベースキャンプと中盤までのルートをエベレストと同一にするローツェには
  • 93人の登山者
  • うち23人は昨年の登山許可を再使用
が、ネパール政府より登山許可を取得している。

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その横の、中国政府「エベレストの下にトンネル掘ってネパール鉄道建設か?」の記事。

【may build】であり、東スポと同じ【か?】であることを、冷静に受け止めたい。第一、エベレストの下を通せばルート大回りですよ。エベレストのチベット側を含む地域での鉄道建設では、いくつかのトンネル工事が必要になる可能性がある。という程度。

誤報ぎりぎりの「角度」をつける報道で、業界では有名なAFPの記事が元であることを忘れてはいけない。AFPは、国際報道界の報道ステーションですからね...(違うか?)。

ヒマラヤ登山、カトマンズの「躓きの石」

今年春シーズンのエベレスト登山、ネパール側からの登山申請がゼロであるという。 The Himalayan Times 2014.02.16付け元記事/画像クリックでリンク
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アメリカの思索する登山家、アラン・アーネットさんのブログも興味深い。
http://www.alanarnette.com/blog/everest/

昨年春、エベレスト史上最悪の雪崩事故がきっかけとなり、ほとんど全ての登山が中止になった。このいきさつについては過去のブログにも取り上げた通り。
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/cat_50021864.html

さて、昨年の異常な事態に対する救済策として、登山がキャンセルとなった申請に対するパーミッション(登山許可)の5年間有効が検討されてきた。ネパール側からの登山許可は、登山者ひとりにつきネパール政府に支払う登山料だけで、邦貨百数十万円と非常に高額である。

実績ある商業登山隊に参加する場合、代理店への支払い金額、国際航空券、装備等合計して、ひとり5〜7百万円程度必要だと聞き及んでいる。エベレスト以前のシーズンに、チョオユーやマナスルなど他の8千メーター峰で経験を積む必要がある場合も多い。世界最高峰の夢実現には、1千万円前後の資金と、数ヶ月の休暇が不可欠という声もある(なので昨今、特に欧米からは医師、弁護士、実業家などリッチでフィットな層が集まっている印象)。いくら先進国からとは云え、これだけのものを賭けて挑む外国人にとっても切実な問題である。

また、救済措置を申請グループごとではなく、登山者個人個人に対しての権利として認めることも協議されている。登山者がハンドリング登山代理店を変更することを可能とするためである。なぜなら、2014年までネパール側でのエベレスト商業登山隊を結成していた代理店の中から、ネパール側ルートからのオペレーションから撤退するところも出ていることへの対処だ。

昨年春、エベレスト現地での混乱が終結して以降も、カトマンズの観光省、財務省等と政府閣僚の間で、外から見ると全く無責任なやりとりが続いてきた。そして、既に登山のロジスティックス手配が佳境を迎えるべき現在に至っても、ネパール政府は決済を出さずにいる。

エベレストは国の宝、国民の誇りなどときれい事を言うその実、カトマンズの政界、官界にとってのエベレストは「所詮この程度のもの」だと理解するしか、他に考えようもない。

今年春のエベレスト登山の一定の数が、ネパール側からチベット側(中国政府の許可)に流れると予測されている。また、中には、ぎりぎりまで事態の推移を見守っているチームや代理店もあるだろう。中国側の登山許可は北京の意向で突然キャンセルされることもあるし、特定の国に対して厳しい可能性もある。そんなリスクもあるし、同時に、あまり間際では許可されない恐れもあるだろう。ネパールへの申請とチベット側への転戦のタイミング。ぎりぎりまでのチキンレースを強いるネパール政府は、実に腹立たしい。

今年、ネパール側からの登山が限りなくゼロに近くなり、ネパール政府が反省するきっかけ「躓きの石」となるのか?それとも厚顔無恥を貫き通して世界の登山界から見捨てられていくのか?見守り続けたい。

同時に、ネパール側/チベット側の変更で発生する手配の大変さだけでなく、BC登山隊応援トレッキングツアーを企画されているみなさん。根本的な計画見直しを強いられるであろう事、ご苦労思うに言葉ない。登山隊BC滞在サポートトレッキング(普通のトレッカーはBC滞在が許可されないため、希少ツアーとなる)等、付随するツアー商品の成功は、商業登山本体の安全確保にも良い影響を与えるものだと思う。安定した資金確保は、安全確保の重要な要因だ。

登山、イコール生活がかかっているネパール人登山界からもどのような声があがるだろうか?引き続き注目し、経過をお伝えしたい。

ヘリパイロット「だけ」懲罰とは?

ヘリを使ったエベレスト登頂、中国女性登山家王静(Wang Jing) さんについての続報が続いている。英文紙としてネパール最大の発行部数であるThe Himalayan TimesのRajan Pokharel記者がこの件、ずっと取材を続けている。

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2014年7月3日 The Himalayan Times (画像クリックで当該記事リンク)

王静さんに対しネパール政府は、エベレスト登頂証明書を発行したこと。ネパールの観光業界紙が主催した彼女に対する顕彰式典に、登山を管轄する文化・観光・民間航空省の事務次官も来賓として出席したことはこのブログでも既に記事にしたとおりである。

一方王さんをキャンプ2まで/から、ヘリに乗せてフライトを行ったFishtail Air社のイタリア人パイロットMaurizio Folini氏に対しては民間航空局(CAAN) の指導により、調査の決定が出るまで飛行停止処分(社のフライト人員名簿からの除外)が出されている。Folini氏はその後、ネパール国内での飛行が出来ないためイタリアに帰国していることが確認された。

Folini氏は9,000時間の飛行経験があり、昨年はエベレストの7,800mからのレスキューという超人的飛行も成功させている。記事によれば彼はヘリパイロットだけでなく、登山ガイドでもあるという。Folini氏は「あのような登山には賛成出来ないが、会社に所属するパイロットとして飛行を実施しか選択肢はなかった」と、当時の状況を説明している。

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【以下、私の論評】
Fishtail Air社はヨーロッパ式山岳ヘリレスキュー技術導入に積極的である。レスキュー飛行により数多くの人命を救う可能性の高いパイロットFolini氏が、一握りの外国人登山家とこれをサポートするネパール人の行動によって飛行停止処分を受けたことは、大変遺憾なことである。

同時に、王さんに登頂証明書を発行したのも、Folini氏に飛行停止処分を出したのも、同じく文化・観光・民間航空省(の内部)であり、決定の間に矛盾がある。敢えて踏み込むなら、登山を管轄する観光産業部の動きがおかしいし、その背景について何らかの疑惑を感じている人も少なくない。

登山家の側やヘリ運航会社マネジメントにはお構いなし。外国人パイロットだけが処分を受ける事となれば。それは明確なトカゲの尻尾切り。世界的に大きなニュースにならないとしても、非常に恥ずかしい、ネパールにとって不名誉な出来事となるだろう。ネパール観光業界にとっても、汚点がまた増える。

The Himalayan Times紙とRajan Pokharel記者には、今後とも期待して報道の成り行きを注目している。 

王静さんの登頂認定、ブログ記事追記

本日UPした「すっきりしない、エベレストの結末」記事について、情報を追加する。

フランスの通信社AFPによると、ネパール政府の見解として、王さんの「キャンプ2までヘリで飛行し、登山機材をここにデポしたあと再度ヘリでベースキャンプに戻り、そこから徒歩で登山活動を開始し登頂した」という主張に基づき調査。登頂を認めたとのこと。AFP元記事(日本語)

AFPの記事を更に詳細に紹介したHindustan Times紙によれば(英語)、 上記ネパール政府見解をAFPに対して述べたのは、文化・観光・民間航空省の中で観光産業全体を統括する次官補Madhu Sudan Burlakoti氏。

王さんを顕彰したのはネパール政府ではなく、観光に関するネパールの業界紙Gantabya Nepalであり、国際登山賞名目もこの業界紙独自に作ったものである。ここに観光省の次官は来賓として出席していたようだが、賞状とトロフィーを授与したのはマオ派に属する元の観光大臣であった。当初制憲議会国会のネムバン議長が授与するという噂であったが、実際は現閣僚でない政治家となる。など、スケールダウンした模様。登山界として、評価に値しない顕彰と見るのが妥当であろう。

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「ヘリでベースキャンプに戻って歩いて登った」という話が湧いて出ていることに関し、ネパール登山界における確実な筋に確認を取ってみた。しかしそこでは、これは初耳!と向こうに驚かれる始末。王さんが行きも帰りもキャンプ2まで/からヘリを使用しこの区間を歩いていないことは、確認が取れていることであるそうだ。

政府が登頂証明書を発行したこと自体、新聞記事を見るまで知らなかったとのこと。昨日の顕彰式典についても招待されておらず、然るべきネパールの登山界とは別な人間関係で行われたものであるそうだ。

ここからは私の推測であるが、大変な異常事態の中果たした登頂であるため、ヘリの使用について(登山倫理のみならず、法令にも抵触する無断飛行も含め)黙認し政府が登頂を認めた。のであれば、いろいろなことがいろいろな方法で可能なネパールにおいて、あり得る話である。 

一方政府がまともに「ベースキャンプから歩いた」と認めたのであれば、そこには根本的に嘘で固めたやりとりが存在する。としか思えない。 

不可解は不可解なままで終わるのか? ブログには書けない話も多過ぎだ。

すっきりしない、エベレストの結末

今季エベレストネパール側から、唯一登頂を果たした登山隊を率い、ただひとりの外国人登頂者である中国の女性登山家、かつ、アウトドアブランド経営者である王静(Wang Jing)さん。しかし彼女はベースキャンプからキャンプ2の間を登山下山共にヘリコプターを使用した。この背景には、4月に起こったアイスフォールでの大規模雪崩事故とその後の現地大混乱がある。

世界7大陸の最高峰+両極点踏破最短早回り記録に挑戦中であった王さんは、長年彼女をサポートしてきたHimalayan Experience商業登山隊の撤退後、新たに自分独自の登山隊を結成。自分をサポートするシェルパチームを率いて、5月23日エベレストに登頂した。

しかし、

1.キャンプ2への/からのヘリフライトが、正式にネパール政府の承認を取っていなかったと見られること。

2.ベースキャンプから上部の登山活動にヘリを使用した事への、登山のモラルに関わる疑問。

3.下山後、ネパール政府に対する報告で当初ヘリの使用を隠匿しようとしたと見られる行動があったこと。その後ヘリ使用を認めたが、通訳の間違いと主張。

などの問題があり、彼女に対するネパール政府からの登頂証明書が発行されるかどうか?注目を集めていた。

結果としてネパール政府は登頂証明書を発行しただけでなく、王さんの(いろいろな意味で)冒険的エベレスト登頂に対して国際登山賞顕彰まで行った。これらの記念セレモニーが昨日、カトマンズ市内のホテルで挙行された。

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2014年7月1日 The Himalayan Times紙より(写真クリックで元記事リンク)

ネパール政府による登頂証明より、世界の登山界では権威を認められているHimalayan Databaseには、【航空機の補助を得た登頂】と、但し書き付きで登頂が記載されているという(米国の登山評論家Alan Arnette氏による情報)。

今年春のエベレスト登山隊全面撤退の責任がネパール政府になく、登山隊が自主的に撤退したのだ。としたいネ政府にとって、彼女の登頂は有り難かったに違いない。結論としてヘリの不正使用疑惑を不問としただけでなく、賞を贈って顕彰までしてしまった。

現在のエベレスト登山では、ネパール側ルート最大の難所となる(ベースキャンプからキャンプ2までの間にある)アイスフォール帯のルート工作はネパールの環境保全団体が請け負っている。各登山隊はこれに対して通行料を支払い、その資金が団体の活動資金となっている。このWin-Win的活動の流れは政府の許可を得て行われている筈であり、王さんの登山時このルート工作が為されていなかった時点で政府が介入し、足で歩く登山による登行/下山ルートを確保すべきであった。または、今回の特殊な状況から、キャンプ2へのヘリ使用を政府が認めるべきであった。

同時に登山隊も事前に、そして下山後もヘリ使用をオープンに認め、今季の特殊性と自分たちの正当性を包み隠さず主張すべきであった。

登山村社会の掟を破って王さんに同行したシェルパさんたちは、彼女が学校に高額の寄付を行った村の出身であるらしい。またネパールの高所ヘリ運行会社にも、投資家として出資しているという。王さんの既成概念を突き破る行動力には感嘆するが、結局、お金。という臭いも感じられる。

エベレスト登山に関しては(も)ネパール政府は、何もしない。登山料という高額な収入だけ欲している。無責任。というイメージが再確認されたと思うのは、私だけだろうか?

来年春の登山シーズンの動向は、国際的に注目を浴びると思う。この時日本からは、エベレスト/富士山同時清掃活動をひっさげ、 エベレスト/富士山姉妹山提携を推進している方たちが、エベレストの現場から忌憚ない発信をするべく乗り込んでこられること。引き続き関心を持ち続けたいと思う。

エベレスト、ヘリ疑惑?

ネパール側からの今季ただひとりの外国人エベレスト登頂者、王静 Wang Jing さんの登頂公認について、ネパール政府との間に疑義が生じる可能性がある。

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The Himalayan Timesオンライン版記事(クリックで本日付紙面記事にリンク)

現地報道によれば、政府に文章で提出した王さん側の報告は以下の通り。5月9日から23日までのエベレスト登山において、彼女自身はベースキャンプから上の登山活動に一切ヘリを使用していない。雪崩の危険あるアイスフォールも、自分の足で登り下りしている。ヘリの使用は、機材と2名のスタッフをキャンプ2まで運んだだけである。

一方、ネパールのヘリ運航会社Fishtail AirのキャプテンMaurizio Folini氏によれば、5月10日彼が操縦するフライトで王さんをキャンプ2まで運び、下山時も同じくキャンプ2から拾ってフライトを行ったとのこと。

ネパールでは環境保護の観点から、エベレストベースキャンプより上へのヘリ飛行は、レスキュー活動等人道的に必要不可欠かつ、ネパール政府からの飛行許可を得たものでなくてはならない。今回考えられる問題点としては、

1.彼女のキャンプ2への/からのフライトの事実
2.これが政府許可のものであったか/否か
3.許可を受けないフライトであったとしたら、これに対する罰則
4.クライマー自身ヘリフライトを使用した登頂を、政府が登頂と認めるか/否か
   (飛行許可のあり/なしによっても、判断は左右されると思う)

であろう。王さん本人はマッキンリー登山終了後6月19日に再度カトマンズを訪れ、登頂証明書を受け取る予定だという。

政府という権威の登頂公認と、登山界の「モラル」としての判断が生じるだろう。ただし、登山のモラルは流動的であり、(たとえネ政府の登頂公認を得られなくても)近い将来王さんが、「画期的登山方を確立した人」となる可能性もある。ヒラリーさんの頃は、バクタプルから歩き始めていた訳だし。それを考えれば、ルクラへの飛行やベースキャンプへのヘリ入山など、ショートカットである。現在これらが問題視されない変化を、考えたい。

反面、常識的推測から彼女はC2の登山下山にヘリを使ったことは事実と見えるが、これを隠し通しての登頂申請であれば、登山以前のモラルとして受け入れ難いものを感じる。

蛇足であるが昨年、三浦雄一郎さんが登頂下山途中キャンプ2からヘリで下山したことについて。これは、疲労困憊した三浦さんに対する「レスキュー」であり、モラルとしての問題も発生しない。と、私は思う。極端に歩行スピードが遅くなった、または歩けない三浦さんがアイスフォール帯を歩いて下山したとしたら、長時間の行動中に雪崩事故に巻き込まれる可能性が増大した。途中で歩行不可能になったら、命が危ない。ご本人のみならず、前後左右を固めるガイドさんやシェルパさんの命まで危険にさらすこととなった。

今年、アイスフォール帯のルート工作が、王さんの時期は為されていなかった可能性がある。であれば彼女も堂々と、ヘリを使用した正当性をネパール政府や登山界に主張すべきである。事実を秘匿しての登頂申請であるとしたら、これは大変に残念な事である。

中立の態度で、事実関係の公表を待ちたい。 

エベレスト登頂者、既にマッキンリー登山の途に

ネパール側からのエベレスト、今季ただ一組の登頂。ただひとりの外国人登頂者となった中国人女性登山家Wang Jingさんは5月23日午後6時20分(ネパール時間)の登頂後、昨日5月25日にヘリを使い、カトマンズまで一気に下山した模様だ。雪崩事故のあったアイスフォールを通過するキャンプ2(または、キャンプ1)からベースキャンプまで徒歩であったのか?それとも下山もC2/C1からヘリを使ったのかについては、現地報道を見るに不明である。

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The Himalayan Times 2014.5.26 (写真クリックで元記事サイトにリンク)

現地紙に拠れば、エベレスト街道最大の集落であるナムチェでは、「シェルパが今季エベレスト登山の中止を強制していなかったことの象徴」として、Wang Jingさんは地元住民からの歓迎を受けたとのこと。エベレスト登山は強制的な中止をされていない。常にオープンである。という姿勢を示し続ける(しかしそのために有効かつ積極的な介入はしない、無責任な / 括弧内、報道ではなく私の論評ネパール政府にとっても、歓迎すべき出来事となった。

過去の報道でこの登山隊が最終キャンプを出発したのが午前9時との報道があったが、本人へのインタビューでこれは間違い、前日の夜9時に出発。5月23日午後6時20分登頂し、最終キャンプ帰着は出発から26時間近くかかったとのこと。ルート工作をしながらの登頂であったため、大変に過酷な登頂となったそうである。

世界7大陸最高峰登頂+両極地踏破世界最短記録(5ヶ月)を目指す彼女は、既に昨日夜、最後の登頂目標となるマッキンリー登山のため、ネパールを出国済みとのことだ。


今回、彼女の登山スタイルについては、産業として確立された欧米商業登山隊との確執も噂されている。伝統的、と云われた極地法スタイル登山家からは「革新的、または異端」と捉えられた商業公募登山隊業界からも「異質」と感じられる、登山ルートへのヘリ使用を厭わない、財力と意志の力に基づく新しい登山スタイル。

さらに新しい登山スタイルが生まれたことは、確実である。

変革を続けるエベレスト登山が正しいものであるかどうか?の論議が巻き起こるであろう。一方、世界最高峰のいただきを目指す外国人がいる限り、これを生活の糧とするネパールの人たちと、産業としてもっと発展させたい(利益を上げたい)ネパールを含む世界中の登山エージェントが存在する限り。もっともっと、先に先に、信じられないような出来事が今後も起こっていくだろう。誰にも止められない。

何故なら、これを規制/制限すべきネパール政府の存在が「アレだから」である。 ネパールは、パラダイス。シャングリ・ラ、ではないけれど.....

Wang Jingさん、エベレスト登頂

ネパール現地報道によれば、中国の女性富豪登山家Wang Jingさんは5月23日、ネパール側からエベレストの登頂に成功した模様である

通常、標高7,900mのサウスコルに設置する最終キャンプを夜中に出発し、正午過ぎまでには登頂。日の明るいうちに最終キャンプまで下山する。しかし今回何があったのか不明であるが、午前9時に最終キャンプを出発。登頂は夕方6時20分であったと伝えられている。5人のサポートシェルパも同時に登頂した。夜を徹しての下山となったであろう。

Wang Jingさんの登山継続については、元々の所属商業登山隊Himexとの確執も伝えられている。Himexはニュージーランド出身の登山家ラッセル・ブライス氏が率い、顧客とシェルパ双方の安全かつ、優れた登山サービスを提供する著名な商業登山会社である。Himex社の登山撤退、そして中国政府からの(チベット側からの)登山許可取得出来なかった事を受け、Wang Jingさんはネパール人経営の全く別の会社から7人のスタッフを雇用した。登山許可の問題をどのようにクリアーしたか?詳細良く分からない。

アイスフォール帯を歩いて通過するのではなく、ヘリをチャーターして人員と物資を一気にキャンプ2にあげた。一説では数百万円をかけ、ヘリを20往復させたという。未確認の情報では、彼女自身、ネパールの高所ヘリ運航会社の出資者であるとも。いやはや、札束か?

Wang Jingさんは長年、エベレスト等の登山で主流となっている商業公募登山システムにおいて「多くのネパール人と外国人が尊敬する」ラッセル・ブライス氏の顧客であり、彼のシステムでサポートを受けてきた。今回この関係が、非常に深刻に決裂した模様である。下山後、5月29日のエベレスト初登頂記念日で、ネパール政府から「今季ただ一人のネパール側登頂者」として栄誉を授けられるとの噂もあるが?さて。

先ずは無事に下山することが先決であるし、シェルパさんたちの安全も願いたい。

ローツェへの単独登頂を目指しているブラジル出身のアメリカ国籍クレオさんについては、キャンプ3に到着したとのニュースのあと未だ続報ない。これまた、とにかく生きて下山してもらいたい。


それにしても、一体全体何があったのだろう?今年のエベレストは、不可解なことだらけである。

エベレスト続報; 女性登山家2名登山継続!?

驚いた!

アメリカと中国の女性登山家が、ネパール側のルートからエベレストと、(キャンプ3までの登山ルートをエベレストと同一とする)世界第4位の高峰ローツェ(8,516m) への挑戦を継続しているという。

4月18日に発生した雪崩事故に対する鎮魂と、その後ベースキャンプで発生したトラブル(関連記事リンク)を原因として、全ての登山隊が撤退したと思われていた。しかし、諦めず挑戦を続ける登山家がいた。いやはや、驚いた!

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本日のThe Himalayan Times、トップニュース(記事詳細は画像クリックでリンク)

写真右; エベレストを目指す中国のWang Jing さん(40) は7名のサポートシェルパを雇用。ナムチェからエベレストベースキャンプ入りの後、登山活動をする計画だ。彼女は"Life at Altitude"という著作があり(作家か?)、「高峰の雪の蓮 (Alpine Snow Lotus」という別名で著名だと云う。登山の経歴も8千メートル峰7つに登頂を果たすなど、見た目の美しさだけではない華麗なる登山家だ。

写真左; ローツェに挑戦する米国のCleonice P. Weidlich さん(51) は、クレオというニックネームで知られる女性登山家。エベレストには2010年に登頂しており、2012年10月には彼女にとって8つめの8千メートル峰として、マカルーにも登頂するという経歴だ。 今回は既にベースキャンプより下にあるゴラクシェップ(5,164m) からヘリコプターを使い、アイスフォールを飛び越え、6,500m前後にあるキャンプ2に到着しているという。今回の行動で特に注目すべきは、クレオはシェルパを連れず/シェルパに連れられず、たったひとり、単独での登頂を目指している。ガチや!

なお、両者ともに(別々の)商業公募登山隊の一員として登山許可を取得している。彼女たちが登頂を果たした暁には、それぞれの隊の他の隊員たちの登山許可5年間有効の特例が破棄される(隊員全員が撤退とならず同隊から登頂者が出るため)可能性について、ハンドリングエージェントとネパール観光省登山局の間で確認が行われている模様である。

同時に、クレオのキャンプ2へのヘリ飛行は(ベースキャンプより上部という飛行制限区域)運行申請や許可がないままに行われた模様で、これまた、事実関係の調査が進んでいるらしい(関連新聞記事)。


それにしても、心臓に毛の生えた登山家がいたものだ。しかも両者ともに女性。絶対に生きて帰ってきてもらいたいし、サポートするシェルパを殺さないように。出来れば登頂も果たしてもらいたい。詳細分からないが、カトマンズから声援を送る。

死ぬなよ!な..... 

ディスカバリーチャンネル エベレスト雪崩の悲劇

ディスカバリーチャンネル エベレスト雪崩の悲劇


テレビクルーの出来る事は、伝えること。

先進国メディアにより「再構築」された。様々な事実の中から「再構築」されたドキュメンタリーであることを念頭に。それでも尚、このテレビドキュメンタリーから「現場」を推測することに、大きな意味がある。

野口健さんのアクションと、ネパール登山の転換点

山をはじめとした環境保全活動で知られる、アルピニスト野口健さん(40)。今回のエベレスト雪崩事故では、過去4回登山活動を共にしたシェルパが犠牲になった。

国際的にはこの「エベレスト登山史上最悪の事故」が大きく取り上げられたが、ヒマラヤ登山と馴染みの深い日本においては「日本人が犠牲になっていない」ことが原因で、報道の扱いは非常に小さかった。ヒマラヤ登山でのシェルパの献身的活動を高く評価し、登山事故で亡くなったシェルパ遺児の教育活動も続ける野口さんは、日本円約1千万円(10万ドル)の義援金を贈る事を決定し、急遽カトマンズ入りした。

読売新聞記事
朝日新聞記事
共同通信配信に基づく、スポーツニッポン記事

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ネパール登山協会(NMA) アンツェリン・シェルパ会長(右)、サンタ・ラマ筆頭副会長(左)と共に、野口健さん 2014年5月4日 NMA事務所にて

この義援金はネパール登山協会(NMA)を通じ、シェルパに対する社会福祉基金、特に遺児の教育に対しての活動に使われる事となった。現在ネパール政府とNMAは、ヒマラヤ登山に携わるネパール人「シェルパ社会福祉基金」の設立準備を進めている。この活動に対し、外国から最初のまとまった金額支援となった。

NMA会長アンツェリン氏は

「外国からの支援金については、その金額と同額をNMA側からも拠出するパートナー資金を創設する。これにより、外国からの善意にネパールの自助努力も合わせ、倍額の資金を確保出来る。野口さんの迅速なアクションにより、ネパール側の活動に弾みがついた」

と、発言した。一方、野口さんは

「今回、ネパール国内に社会福祉基金創設が自発的にはじまったことが大切であり、自分はこれに協力する」

写真
通訳を介し、過去共に登山をしたエベレスト雪崩事故犠牲者の、お嬢さんを励ます(一般人の方に対しては、トリミングと画像処理でプライバシー保護しました)2014年5月5日 NMAでの記者会見終了後

犠牲者の家族に支給される保険金や弔慰金は一時的なもので、数年で使い果たしてしまう。継続的に、遺児の教育に対する支援が不可欠であること。個別の事故、個人に対する支援ではなく、シェルパコミュニティに対する社会福祉システムを構築する必要性について、野口さんとNMAの基本姿勢は一致している。

まとまった資金の、時を置かない支援。これを活かすシステム作りに対する人脈。これまでの地道な活動が活きた、野口さんによる効力ある活動である。


しかしネパール登山界については、釈然としない側面も垣間見られた。

事故の後、シェルパたちの理にかなった要求を政府側も認めたにも係わらず、今期ネパール側からのエベレスト登山は全面的に撤退となった。ベースキャンプにおいて特定の政治勢力が介入し、シェルパたちが望んでいない別の要求を掲げ、登山中止を暴力的に行ったこと。身の危険を感じる脅迫があったことは、下山した登山関係者複数の証言から明らかになっている。

NMAや登山業界の中では、誰と誰が脅迫行為の首謀者であったか特定もされている。

しかし、暴力装置を擁する政治勢力への遠慮があるのか、このことを触れたがらない。ネパール政府関係者も

「政府は登山活動継続を呼びかけた。もし本当に暴力的行為があったのなら、各登山隊は公式に、ネパール政府に申し立てをすべきである。これがあれば厳正に対処するが、それが提出されていないのに、一部メディアはネガティブキャンペーンを行っている」

と、メディアを悪者にしている。

今日の記者会見において野口健さんは

「シェルパの社会福祉を充実させるのと同時に、もし、特定の政治勢力による登山への介入が事実であったなら、これをきちんと解決する事が大切である。隠さず、勇気を持って事実を分析しなくてはならない。これが為されなければ将来においても、政治問題による登山撤退が起こりうる。そうなれば登山だけでなく、ネパール観光全体が致命的悪影響を受けるだろう」

と警告した。

会見に出席していたネパール政府観光省高官や、ネパール観光業界の重鎮は、この呼びかけを表立って認めようとしなかった。しかし、そこ、ここでネパール語による内輪話では、登山オペレーター業界代表と政府が早急に対応を協議すべきとの相談もしている。

外国人に知られたくない。外国人に指摘されたくない。ネパール人だけで「こっそり」対処したい。

ネパールの登山において、2014年春は大きな「転換点」として後世に記録が残る。そんな気がしてならない。「ネパール登山の終わりの始まり」として記憶されない事を願うばかりである。

シェルパの尊厳を踏みにじる、汚い政治ゴロ

http://www.thehimalayantimes.com/fullNews.php?headline=+Did+politics+climb+Mt+Everest+after+avalanche%3F&NewsID=412931

今回のエベレスト登山中止の裏に、マオ派政治勢力の存在。私も聞いていたうわさ話を裏付ける現地報道。数日前の記事で恐縮だが、ネパール人登山オペレーター筋からこれを裏付ける、信頼出来る直接情報を得られたので紹介する次第。

統一ネパール共産党・毛沢東主義、通称マオ派党首プラチャンダ=ダハール氏のひとり息子、プラカーシュ・ダハールは素行と女性関係に問題を抱えると云われる人物。しかし家族には溺愛されているようで、父親の権力を利用したとしか思えない経歴を重ねている。そのひとつとして2012年、マオ派による平和登山隊隊長として、エベレストに登頂を果たしている。

ネパールの主要なヒマラヤ登山においては、リエゾンオフィサーという政府からのお目付が、各登山隊に派遣される。通常、派遣前研修を履修するなど一定の基準を満たした公務員が任命されるのだが、有能なヒマラヤ登頂者の中からも少数選出される。今回エベレストの中国登山隊リエゾンとして、この、マオ派党首のボンボン・プラカーシュが任命されていた。彼は4月18日の雪崩死亡事故直後にベースキャンプ入りしたらしい。

現地報道や私の得た情報に拠れば、今シーズンのネパール側からのエベレスト登山隊全てへの撤退は、プラカーシュとその一味により主張された。言葉や態度による暴力、脅迫が、エベレストベースキャンプで展開された。これに反対する者には、村に残る家族に危害を加えるとの圧力もあったらしい。今はカトマンズでの安楽な生活に毒されたとは云え、10年間の内戦を経たマオ派。しかも党首の息子がその場でバックにつく勢力からの圧力は、ベースキャンプという下界から隔絶された環境では異様な恐怖となったこと。自分自身過去、そこで2ヶ月近い時間を(登山隊スタッフとして)過ごした人間として理解出来る。

ヒマラヤ登山に従事するネパール人高所ガイド、スタッフの待遇・補償体制改善要求自体は健全な、あるべき主張であった。ネパール政府もこれに、応えた。しかしその後に起こった暴力的登山活動撤退圧力は、政治的野心に満ちたものであったようだ。

マオ派政党としての党利党略に基づいた行動か?党首の息子によるスタンドプレーか?

登山との係わり薄い、低地・中間山地のヒンズー教ブラーマン族のプラカーシュ。2年前、彼ををエベレストに登頂させ、強引にヒマラヤ登山との関係性を構築。今回も事故発生以前に、政府リエゾンに任命していたあたり。ネパールの象徴たるエベレストへの、マオ派政治勢力浸透作戦の一端が垣間見られる。山岳関係者でもある、とあるシェルパの方が、絞り出すような声で、吐き捨てるように云った。

「ヤツらは、シェルパの遺体を政治利用しやがった!」

汚い。あまりに薄汚れた出来事だ。許し難い。 

エベレスト、続報 Apr. 23_12:00

未確認ではあるが、信頼できる筋からの情報。

今期エベレスト登山を全面停止に追い込みたい特定の政治勢力が「山の麓」からベースキャンプに乗り込み、オルグしているそうだ。外国メディアへの「ベースキャンプ現地情報源」も、この勢力からのものに偏っている。

本日カトマンズで再度関係者が協議し、明日、登山関係諸団体やネパール政府観光省責任者がヘリでベースキャンプに赴き、現地で直接交渉を行う計画があるとのこと。観光省次官、出来れば大臣が乗り込むとのこと。

ここ数日の事態推移に注目したい。同時に、ヒマラヤ登山も特定の政治勢力に浸食されようとしている噂の事実関係を確かめたい。高所ガイドやスタッフの安全と補償を名目に、自派勢力の資金源として絡め取ろうとする動き。これはカトマンズで、ホテル労働争議で行われたことの焼き直しだ。人の命を、同じくネパール同胞の特定政治派閥が搾取する可能性について、許し難いものを感じる。 

ネ政府の回答と、エベレスト続報

昨日4月22日。エベレスト登山に従事するネパール人高所ガイドやスタッフに対する補償改善について、ネパール政府は以下のような回答を出した。

ヒマラヤ高所ガイドの死亡保障保険金額をこれまでより50万ルピー増額し、150万ルピー(約150万円)とする。今回の事故で亡くなり、現行保険額しか受け取れない遺族には差額を政府から支給する。

怪我や病気の治療に対する補償額を30万から40万ルピーに増額。

外国人が
支払う全ての山の登山料の30%を地方開発のため郡開発委員会に拠出しているが、そのうちの5%を山岳救援基金に拠出する。救援基金は負傷者のリハビリやキャパシティビルディング、死亡遺族への援助や山岳救助に使用される。基金の運用ガイドラインを2ヶ月で作成する。

山岳事故慰霊公園建設予算を、次年度予算から支出する。


この決定を受け、エベレストベースキャンプでは今後の登山活動について協議が続いているようだ。事故で隊のシェルパを失い、既に登山活動を中止し決定したグループも若干出ている。 

現地にいる外国人登山者(家)のブログに拠れば、大多数は今後の行動について未だ協議中である模様だ。シェルパの間には不安感がぬぐい去れていない。深く信頼されている高僧が「これ以上の登山はやめるべきだ。更なる死者が出る」と発言したとの未確認情報も拾えた。同時に、命の値段の軽さや、政府側の対応に収まらない怒りが蔓延しているとも聞く。政府高官が現地に飛び、ガイドやスタッフたちと直接対面すべきだとの声もある。

また同じガイド(シェルパ)と云っても、大手登山代理店の正社員として年間雇用されている人材と、遠征ごとに臨時雇用されるフリーランスという立場の違いにより、登山継続に対する意見の違いが出ているとの指摘も出ている。 

欧米系大手商業登山隊を主催する外国人著名登山家2名は急遽ベースキャンプからカトマンズに飛び、本日政府当局と直接交渉に臨むとの情報もある(私の知る限り、シェルパからも顧客からも大変尊敬されている外国人登山家)。

昨日から外国ニュース通信社から「今シーズン登山中止」とのセンセーショナルな見出し報道が出ている。しかし実際のところ、まだまだ先行き不透明である。結論は出ていない。と見るべきだ。 

エベレストジャンプ、中止

エベレスト登頂後、ウィングスーツを着用しパラシュート降下とその生中継を計画していたディスカバリーチャンネルは、今回の雪崩事故を受け、計画の中止を発表した。公式サイト発表
ディスカバリーチャンネル・エベレストジャンプ生中継日本語サイト
計画の詳細日本語情報外部サイト


今朝UPしたネパール側エベレスト全登山隊の今後の動向であるが、BC現地情報がカトマンズにはないので、今後の見通しについては明言できない。全て中止となった場合、スタッフへの補償、外国人登山者の支払った登山料の扱い等、大きな問題となるだろう。

これは私の全くの推測であるが、商業登山隊に限れば現在の時期は高度順化の期間中であろう。6千メートルまでの順化であればエベレストでなくとも、付近の、登山料が比較的安価で許可取得も容易な山で可能である。粛々と、エベレスト以外の山で順化を行っているパーティーもあるだろう。 

世界のてっぺんに行きたい!という望みは誰にも否定できないものであり。これに向かって努力を続けてきた世界中の登山者がいる。登ってなんぼ。顧客を登らせてなんぼ。の、現場のガイドたちスタッフもいる。事故を深く悼みつつ、1週間後の登山活動再開を願う人たちも少なくないと思う。

同時に、命は安くないことを主張するのは当然の権利。カトマンズの登山代理店業界には、カトマンズの政治勢力や複雑な地縁血縁ごとの利害関係が絡んでいること。これが政府との交渉にどのような影響を与えるのか? 現場の人たちを置いてけぼりにした交渉にならないこと。現場の人たちとそのご家族の今年、来年、将来を、より確かなものとする結果が導き出されること。願うばかりである。

春の登山シーズンはまだ、始まったばかり。

エベレスト登山、停止中。中止の可能性も。

今朝の報道から
The Himalaya Times (ネパール)
e-Kantipur (ネパール)
The Gurdian (英国) 

4月18日に発生したエベレストアイスフォールでの雪崩は、13人死亡、3人行方不明、9人負傷(うち7人重傷)という、過去にない大規模な事故となった。死傷者、行方不明者は全員ネパール人高所ガイドやスタッフである。現地では行方不明者の捜索が続いていたが、現場の危険性がこの継続を難しくしている模様だ。

事故の犠牲者に哀悼の意を表し、同時に登山現場の安全確保と(外国人からの高額な登山料* を徴収する)ネパール政府による保障体制の確立を求め、昨日から1週間、ガイド、スタッフたちによる全ての登山活動を停止することとなった。要求の内容は、
 事故死亡者遺族や怪我によって今後の登山活動に参加できなくなった犠牲者に対し、1千万ルピー(約1千万円)の補償金を支払うこと。
 全ての山の登山料収入の30%を拠出し、山岳救援基金を創設すること。
 今シーズンの登山活動を辞退するスタッフに対して、基本給を支給すること。
 スタッフに対する山岳保険金の倍増
 レスキュー活動に対するヘリの活用を進めること。
などである。

4月18日を追悼の日とし、今年をエベレスト追悼の年とすることも、現地からアナウンスされた。

エベレスト・ベースキャンプだけでなく、カトマンズでも政府と登山代理店の話し合いが行われる。この内容如何では、今年春の(ネパール側)エベレスト登山全てが中止される可能性もある状況となっている。

「オレたちの命の値段を、これ以上安く値踏みするな!命がけで、エベレストという国の威信を守る現場の人間に、ネパール政府は敬意を払うべきだ」

という、現場からの、あって然るべき主張だと思う。これまで長年の不満が、大事故をきっかけに爆発しようとしている。


* 登頂の可能性が一番高い、春シーズンエベレスト登山料は、外国人1人あたり1万1千ドル。ネパール政府はこの春だけで、3億円規模の登山料収入を得ている。
 

登山の安全と、生活の問題

今朝のネパール英字新聞で、あるシェルパ族登山家/観光業事業家の意見が紹介されていた。
 
ネパール政府は今年春のシーズンだけでエベレスト登山料として3億ルピー(約3億円)の収入があった。また、登山以外の下界での様々な事故補償に1千万ルピーを支出している。しかし、命がけでネパールのイメージを世界に知らしめている登山ガイド/シェルパに対する保障はない。このままでは20年先には、高所ガイドに従事するシェルパはいなくなるだろう。

もちろん、国家による保護や保障は必要だ。同時に、現場に従事する高所ガイド個人も、高度な技能を有する専門職として確立することが不可欠なのではないだろうか?ヨーロッパのガイド同様に。この場合、高所ガイドは登山技術だけでなく、語学能力や登山に対する専門知識が必要となり、これを客観的に審査し、格付けする公平な機関と権威が不可欠である。ネパール政府やネパールの登山界に求められるのは、このようなマネジメントである。

しかし、現場でガイドたちが、命をかけて稼いだお金で師弟に高い教育を受けさせる。教育を受け、外国人と対等にやりとりできるようになった子供たちは高所ガイドにならず、街での仕事に就く。先進国に移住する。カトマンズでトレッキング手配の旅行業に就く。ヒマラヤに帰るにしても、ロッジ経営等安全な仕事に就く。という図式がある。かつてナムチェ。クムジュンは有名ガイドを多数輩出したが、既にこれら地区の経済・教育水準が上がり、若者たちは高所登山に従事したがらない。かつて登山で名声を得た父親たちは、自分の息子や娘を登山に送らない。これらの地域では危険な登山に従事しなくとも、ロッジ経営やトレッキング等、より安全な仕事で安定した生活を営むことが可能なのだ。

例えば、危険な荷揚げとなるBCからC2までを人力でなく、高所ヘリでエアリフトすることは出来ないだろうか?しかしこうなるとその代金は、危険の代償に稼ぐ現場のシェルパではなく(荷揚げ1回に付きいくら、という歩合制である)、カトマンズのヘリ運行会社に吸い上げられてしまう。

エベレスト登山ではシェルパに対する安全が叫ばれる一方、価格競争による顧客のぶんどり合戦もある。安全第一でマネジメントされる価格の高い手配で「命の安全を買う」登山者がいる一方、低価格で挑戦する人たちもいる訳だ。 

シェルパに頼る商業登山は「ダっセーよ!」と云うと、「じゃあオレたちの生活どうしてくれんだよ?」という、多くのシェルパさんや業界の声が聞こえてくる。「世界のてっぺんに行ってみたいのです」という、世界中から集まる多くの顧客(や、ごく少数の登山家)たちの願い自体にも、ケチをつけたくない。

難しい問題である。今年春の登山シーズン、始まったばかりである。残り40日間が、安全に恵まれることを祈るしかない。

エベレストでの雪崩事故

ヒマラヤの氷河とは?  

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2011年撮影

今朝夜明け前の時間、ネパール側エベレスト・ベースキャンプ(BC)からキャンプ1(C1)の途中で雪崩(氷河の崩壊?)が発生し、現地報道によれば遠征隊のネパール人シェルパ15人が巻き込まれた。現在のところ6名の死亡が確認され、行方不明となった9名の側索がつづいているという。

この事故の背景には、ネパール側エベレスト登山ルート特有の危険と、現在の商業登山の現実が感じられる。

BCからC1の間は氷河地形の中でも、特に「アイスフォール」と呼ばれる「氷河の滝」であり、氷河の底が急峻かつ狭い谷になっている。氷河はそのまま流れる事が出来ず、氷と氷の間には深い裂け目「クレバス」が生じる。そのため、氷河上のルート崩壊は頻繁。敬意を込めて「アイスフォール・ドクター」と命名された専門のシェルパチームが、アイスフォール帯の登山ルートを設営。毎日巡回し保守点検も行っている。

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2011年撮影。この写真はエベレスト氷河のものであるかどうか確証ありません。イメージ映像です。

それでも尚、アイスフォール帯の通過は、ネパール側からのエベレスト登山において、デスゾーン(標高8千メートル以上の地点)と並ぶ、一番危険な場所と考えられている。近年の商業登山隊では、顧客たる外国人登山者に対し、一番少ない回数のアイスフォール帯通過で登頂に成功出来るような措置が執られている。エベレスト直前、BCへのトレッキング途中にあるより安全な別の山での高度順化であったり、身体の負担を軽減させる酸素の有効利用であったりするわけだ。  同時に、顧客のための上部キャンプへの荷揚げ/荷下げとルート工作は高所ガイドたるシェルパの背中にかかっている。結果、何度もこの地点を通過する事となる。

誤解を恐れずに云うならば、アイスフォール帯の通過はロシアン・ルーレット。ただし、どの拳銃にタマが入っているか?予測できて、かなり回避できる(プロによるルート工作、保守管理。経験による天候や氷の状態予測。高度順化をしたうえでの迅速な行動等) 。しかし、それでも、毎年何度もそこを通過していれば、どんなに屈強かつ足の速い人であっても、不運につかまる危険性がある。

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2010年撮影。カラパタールからのエベレスト。

ざらり、とした気持になる。エベレストの頂を目指す全ての人の安全を。願うばかりである。
 

ウルトラトレイル in カトマンズ、反省記〜5

さあ、亭主が来るまで迎えに来てくれたら帰ろう。帰ってシャワーだ。と思っていたら、大会主催者とリチャードが何やら相談している。何々、え゛っ、入賞って?

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正規の50kmを走ってないんですけど.....と云うと、ネパール側主催者が驚いて

「そんなこと、内緒にしてればウルトラ完走者として認められるのに」
「いいえ、みなさんが知らなくても、私自身が知ってることですから」と、私。
「なんと誠実なんですか、あなたは!」
「.....」

リチャード曰く、50km部門じゃなくて、33km部門での入賞だから。あの状況の中、ゴールまでたどり着いたことは立派だよ。と。

有り難くご厚意をいただくことにした。メダルと賞状、そして賞金5,000ルピー(約5千円)とパタンのレストランでのペアディナー券。なかなかに豪華だ

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夜はリゾートに生バンドも入って大騒ぎ。夜明けと共に泥んこになって、夜はナイトライフで楽しもう。というノリね。何があっても、それを楽しみとしてエンジョイする、心と身体の強さと柔軟さだ。

この夜、男性参加者の中で2人と連絡が取れないと云うことであった。その後事故の報告はないから、何とか大丈夫だったと思う。しかし大雑把だなぁ。つくづく、ショートカットコースで明るいうちにゴールした自分の判断は、正しかったと思う。


最後に、入賞者の記録。男性
1st : Upendra Sunwar - 7hrs 03min oo sec
2nd : Sundar Karki - 7hrs 05mins 00sec
3rd : Hom Lal Shrestha - 7hrs 06mins 04sec

女性は50km完走ただひとり。東ネパール、オカルドゥンガ出身のMira Raiさん、23歳。記録は9時間台(誰もゴール記録を取っていなかったということ)。あのコース、あの天候、途中1時間あまりの雨宿りを考えるに、素晴らしい記録だ(詳細は写真をクリックTrail Running Nepal英文記事にリンク)。

mira-rai-kathmandu-50km
http://trailrunningnepal.org/mira-rai-nepali-young-trail-runner/ 

今後彼女には、ネパールを代表する女性トレイルランナートしてのサポートが寄せられる計画だ。ネパール国内で開催されるステージレースへの参加も決まったそうだし、近い将来、国際レースでも活躍してもらいたいものである。ネパール国内ではあまり知られていないが、トレイルランニング界ではネパールランナーは世界的レベルの男性選手が何人もいる。 次は女性ランナーが、世界に飛び出すことを願ってやまない。

これまで無名であったMiraさんの才能が発掘されたことだけでも、今回の、あまりにあまりなウルトラレースも開催された価値があった。よね。

おわり 

ウルトラトレイル in カトマンズ、反省記〜3

村の子供たちが云うに
「この先の森では、時々追いはぎが出るゼ。危ないから行くのは止めな」
「ところで、お菓子もってるんだろ 。オレたちにちょうだいよ」
って、お菓子強盗かよ、オマエら。

しばらく行くと村のおばちゃんが云う。
「ここから先は女がひとりで歩く場所じゃないわよ。誰かと一緒に行きなさい」
って、その誰かがいないんじゃない......

手書きの概念図見ながら考えた。この先、樹林帯の強烈な上り坂だ。その横に、傾斜はそれ程じゃないけどものすごく遠回りのジープ道がある。よし、地元のバイクが行き来するだろうジープ道を行こう。遠回りでも安全だ。

IMGP1302

GPSウォッチの表示を標高に切り替えて、2,500mの高さの峠を目指して歩く。予想通り時々バイクが通りかかるが、みんな二人乗り。ネパール人は山道を行く時歩きじゃなくて、バイクや車であっても出来る限り誰かと一緒に行く。それが安全対策なのだ。1台だけひとりのバイクがやってきて、ヒッチハイクしたくなる気持をランナーの理性で押さえた。 

標高表示はまだ2,300m だ、まだ登りだな。と、前を見ると、チトランバンジャン峠のチェックポストがある。あれ?

コース説明ではやっと半分過ぎの距離(遠回りルートをした私のGPSでは、既に32km)。ここからウルトラコースはチトラン村に下り、山脈の麓を回り込み再度稜線まで登り切り、その後はゴールまで稜線を行く。 時間は午後2時。このままでは明るいうちのゴールは無理だ。チトランに下らず真っ直ぐ南下すれば、33kmのショートカットコースが設定されている。

残念だけど、ショートカットしよう。

そう決めて行こうとするが、チェックポイントの係員からチトランに行け!としつこく云われる。ショートカットコースのことを効いていないようで、33kmコースならこの下のチトランが30kmだからその先まで行けばいいじゃないか。と云う。そこから先にエスケープルートは全くないのに。お話にならない。

村の人に尾根筋ルートを確認するが、ここでもまた「女ひとりでは行くな」で辟易。地元の人の言うことは正しい。実に正しい。しかし今日の自分は、トレイルランナーな訳で。元々無理なことをやりに来た訳よ。って、説明しても理解してもらえないのは当然だ。 

本日最後の無謀な頑張り!と足を先に進めた。あれ、ゴロゴロとかいう音が聞こえるのは気のせいかな?あれ、心なしか空が暗い。あれ、あれ、え゛ーーーっ

つづく 

ウルトラトレイル in カトマンズ、反省記〜2

事前の連絡では、スタート地点たるカトマンズ盆地北西部までのシャトルバスは、始発のパタン午前6時発。だが6時半になっても全然来ない。コースセッターのナランが電話で確認したところ、13.5km参加者の直接ハッティバン(ウルトラコースではゴール)に行くバスしか手配されていないという。あ゛、こんなにいっぱい人がいたのは、殆どみんな13.5の方だったのか!ウルトラ組は6人。すぐに路線運転の乗り合いマイクロバスを止め、みんなで代金シェアでチャーターしてスタート地点に向かった。出だしからこれかよ。参るなぁ。

バラジューの北側にあるナガルジュン国立公園ゲートには、合計16人のランナーが集結。そのうち女性は私と、もう一人の(ネパール人)女の子。薄いコットンの半袖Tシャツとジャージのスラックス。手に1リットルの飲料水ボトルという超軽装の彼女はスリムで、いかにも走れそう。一方彼女の母親世代のオバハンたる私は、日本から買ってきた折りたたみ超軽量ストックを久しぶりに使うぞ!な、フル装備。

スタート前のコースブリーフィングが始まった。

IMGP1292

説明するのはコースセッターのナラン(写真中央横向きの男性)。前夜届いたメイルとほぼ同様の内容に引き続き、注意事項。

「ヒョウに注意して下さい」

「は?」

「コース上には野生のヒョウが出る可能性あります。事実ボクたち、マーキングで走ってた時、ゴール手前の樹林帯で大型犬ぐらいの大きさのヒョウに、結構至近距離で遭遇しちゃってもう。恐かったぁ〜」

ええい、ままよ!と、午前7時45分スタート。最初は石段の上りが4km弱続く。最初はゆっくりと、今回はスィーパーをつとめてくれる世界的にも有名な女性プロトレイルランナー、リジー・ホーカーさんといっしょに最後尾につける。リジーは何度もネパールで走っているが、今回は結構深刻な故障中で走れず、歩いてスィーパーをしてくれていた。

IMGP1297

仏塔のあるジャマチョはポカポカと暖かく、この天候がこのまま夕方まで続いてくれることを祈った。2km程ジープ道を下り西に折れる。分岐点には国立公園内を警備する国軍兵士が立っていてくれて、誘導があった。結構ちゃんと、レースマネジメントしてるじゃない......

IMGP1298
 
ここからは、絵に描いたように美しく、走れて身体にも優しい五つ星のトレイルだ。ここを快適に飛ばさないなら、トレランをする意味がない。「やっほ〜」と、歓声上げて走る。きっとリジーも走るだろうと思ったら歩き続けたようで、後ろから彼女の気配が消えた。

樹林帯を抜けたところで、軽装の国軍兵士から「こんにちは、ニホンジンですか?」と、日本語で声をかけられた。ビームドゥンガ上の駐屯地にいる太尉殿で、カトマンズの日本語学校で身につけたらしい。 更に下って、カトマンズ郡とダディン郡の境界線上にある村、ビームドゥンガ。ここで最初のチェックポイント。何度も行きつけの村の茶屋に設置されていたが、ここにはレース係員ゼロ。茶屋のオバちゃんがコーラと水をくれる。ゼッケン確認なし。しばし休憩し、再スタート。バトバンジャンの峠までひと登り。そして、トリブバン国道上のタンコットまで下る。のだが、人の気配濃い村落部に下るに従い道はいくつも分岐していて、マーキングは見つからない。村の人たちに道を尋ねながら下って、国道が見えて、どんどん走って、あれ?

タンコットより更に西のナーグドゥンガ方面に出る道に迷い込んだみたいだ。引き返し、方向転換して、地形に当たりをつけながらタンコットに着いた。しかし、あるべきチェックポイントの場所には何もない。あれ〜?ここで主催者から携帯に場所確認の電話があった。チェックは無視して良いとのことなので、そのまま次のポイント、チトランバンジャン峠へ向かった。この登りが今回、最大の急傾斜である。

タンコット警察脇の、人家が点在するジープ道をどんどん先に進む。とにかく進む。このどこかで、尾根筋まで一気に登る樹林帯トレイルに入る筈なんだが......

「おーいオバちゃん、そっちはヤバいぜ」

突然背後から、呼び止める子供の声が。

つづく 

ウルトラトレイル in カトマンズ、反省記〜1

今年で3回目となったHimalayan Outdoor Festival。カトマンズ盆地の外輪山南側の景勝地、ハッティバンリゾートをメイン会場に、マウンテンバイク、ボルダリング、キャンピング、トレイルランニングなどのアウトドア関係が一堂に会し、昼間は泥んこ、夜は生バンドとビールでダンス!というお祭りである。近年カトマンズには、欧米のアウトドア用品の正規代理店や販売店も増え、それらがスポンサーとして名を連ねている。今年のメインスポンサーは、The North Face。協賛企業一覧バナーはこちら。
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さて、トレイルランニングについては穏健に13.5kmの周回トレイルと、今回から50kmウルトラトレイルレースが加わった。ウルトラはカトマンズ盆地の外輪山北西部にあるナガルジュン国立公園ゲート(バラジューからカカニに向かう道路の途中)をスタートし、ビームドゥンガ〜(トリブバン国道上の)タンコット〜チトラン・バンジャン〜チトラン村〜ファケル〜ダンラ〜チャンパデビ〜ハッティバン。

8km

過去、アンナプルナのトレッキングルートで行われた71kmと50kmのウルトラトレイルを走ったが、それらよりずっと厳しい今回のコース。アンナプルナの50km冒頭8kmはロードで、ちゃんと走れる。しかし今回は全て上り下り。加えて、外国人トレッキングのためのルートは出来る限り急傾斜を避けて、穏便な設定で形作られている。カトマンズの場合、地元で生まれ育った人たちの(車道がなかった時代に作られた)生活のためのトレイルだ。ものすごい急傾斜でも、最短距離で結ぶことを至上としている。

加えて、トレッキングルート上の村は、村の観光経済に寄与する外国人に優しい。一方それ以外の場所では、地元の人たちと明らかに違うランナー。特に外国人を見る目は冷たいことがある。何故なら村の経済に外部の人間が寄与することは殆どないし、地元の人たちが苦労して、本当は車やバイクで移動したいところに、快適な生活をしていると思われている格好の部外者が、脳天気に遊びで走って乱入してくるからだ。

もし、生まれた立場が逆だったら......私だって。

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自分の実力から考えると、当然13.5kmの方に行くべきだったが。今回は思うところあって、敢えてウルトラに挑戦することを決めた。コースの概要はメイル添付で送られてきたGPSログのみ。さすがに不安になって自分の手書きでコース概念図を作ったレース前夜。夜9時半になってやっと、コース説明のメイルが届いた。以下、届いた文面をそのままコピーしたい。

Hello everyone, 
Sorry for late email. 
Bus 6am from St Xaviers Jawalakhel >  Rangasala > Sorakhutte > Balaju Chowk > Nagarjun Gate Army post. 

If you are lucky, chiya at hotel there, then when everyone is there, start. The course is marked with holi powder paint (注釈: ホーリー祭りで使われた色の付いたパウダー), yellow, red. And material in trees. If you have google earth, study the route with the attached file. There may or may not be race numbers. If not, give your name to check point people. Please take enough money to buy extra food/water for the journey - limited food/water will be available. 

Checkpoints:
CP1: Bhimdunga chia pasal
CP2: Thankot Traffic Checkpoint
CP3: Chitlang Bhanjyang
CP4: Chitlang village
CP5: Danda - after the climb from Phakel on the pass before Champadevi. 
Finish: Hattiban. 

Description: 
  1. Start to Jamacho - climb direct from start to summt. 
  2. Continue on ridge and road for 2km. Look for turn to right, west on small road. Marked with yellow powder paint. Don't continue down main jeep road too far. 
  3. Follow that road to army checkpoint on edge of valley overlooking Dhading. 
  4. Turn left at army camp, follow top of ridge to Bhimdunga chiya pasal CP1.
  5. Climb up from CP1 following markings climbing up but not to tower. Pass around hill on east side, descend to Thankot checkpoint. 
  6. Pass police post on left around hill, then continue right, out of valley on jeep road for 1.5km.
  7. Then climb up ridge, up to chitlang bhanjyan on jungle trail. 
  8. From chitlang bhanjyang, to take shortcut 33km route, continue over the hills. To take 50km route, go down into valley. Checkpoint is there somewhere 9803982339
  9. Continue around east to phakel, climb up to danda - water / biscut available - continue to hattiban .
この程度の説明で、50kmを走れと云う。文章を日本語にして、さっき作った概念図の下に手書きで加えていたら。外からものすごい水音がする。あ、雨だ。しかも、ものすごい豪雨。マズいぞ!雨でマーキングの粉なんか流れて消えちゃうじゃないか。が、まあ、仕方ない。とにかく寝よう。

当日早朝、集合時間、集合場所によく知った顔、新しい顔が続々集結。結構な人数じゃん。女性も何人もいるし。だが我々ウルトラ組は、のっけから強烈な仕打ちを受けることとなる。

つづく

エベレストを巡る、うれしい快挙

渡邉玉枝さん。73歳。女性の世界最高齢登頂記録を更新しました。10年前にご自身が到達した記録の自己更新です。 前回はネパール側から、今回はチベット側ルートからの登頂成功です。
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               写真提供 村口徳行さん

これだけではありません。エベレストの登頂請負人として絶大な信頼を集める、村口徳行さん。玉枝さんに同行し、7回目の登頂。これは日本人としての登頂最多記録であり、自己記録更新!
DSCN1993
10年前の玉枝さんの記録更新も、村口さんが同行されていました。昨年、NHKの大型番組グレートサミッツ取材チームの登頂も、村口さんのおかげでした。

この快挙に、登頂回数21回で世界最高記録保持者のアパ・シェルパさんもお祝いに駆けつけました。
DSCN1981

国の利益ではなく、個人の野心や自分たちだけの利益に奔走するネパール政治の荒野の中で、一輪咲いた花のような。清しい気持ちにさせていただきました。

人生山あり谷あり。玉枝さんは、背骨の骨折とその後の大手術を乗り越えての、2度目のエベレスト登頂です。

静かに長く継続した努力が必要だし、報われて花が咲くことを教えていただきました。成功を掴むことも大切で貴重ですが、目標に向かって夢を諦めず努力していくことで、素敵な人間になれるのですね。お二人の笑顔が、そう語ってくれます。

ありがとう、玉枝さん。村口さん。 

NHKニュース(ビデオあり、数日後リンク切れとなります)

世界遺産保全ハーフマラソン

本日朝、カトマンズ王宮通りをスタート/ゴールとする、ハーフ/10K/5Kのマラソン大会が開催された。主催はネパールの大手民間銀行 Investment Bank。カトマンズの歴史的建造物修復のための資金を集めるためのチャリティ・ランである。
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参加費用は無料で、全てのカテゴリーを併せて4千人ほどが参加した。

チャリティーであるが、この大会に賛同したネパールの大手企業や、VISAクレジットカード等の協賛各社からの大口寄付を確保するというシステム。数千万円規模の寄付が集まっているらしい。

ランナーは走ることで大会の規模を大きくし、寄付が集まりやすくすることで、保全活動に貢献するのだ。と、主催者側からの説明。さすが!銀行さんは頭がいいね。

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まずはハーフマラソン21kmが、午前6時45分頃スタート。これはネパール人/外国人カテゴリーの男子のみ。女子は参加出来ない。

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続いて、車いす1km。

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続いて10kmは、ネパール人/外国人女子。と、銀行各社職員部門の男子。

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いってきまーす!

最後に5kmなのだが、こちらは小中学生と、50歳以上シニアの男性と、銀行各社職員女子。とまあ、いろんなカテゴリーはあるのだが、参加資格が複雑。

高校生以上50歳以下男子の場合、ハーフマラソンしかない。私のような50歳以上女子でも、出走出来るのは10kmのみ。うちのダンナはシニア5kmなのに、私には10km走れ!でもハーフマラソンはダメよ!!という不思議さ。

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走り終わって、余裕の亭主殿。本日、我が家は22回目の結婚記念日。

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そして、ザンビアからの女性ランナーと私。

でもって、へへへへへ.....


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外国人女子部門一位。快挙。部門に何人参加していたかは?聞かないでぇ〜

2名のみ(爆)

邦貨約2万5千円という(ネパールでは)立派な賞金は、表彰式の壇上多くの人たちの前で、このマラソン歴史的建造物保全基金に全額寄付させていただきました。

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私にとっては、ずっしり重い、女神(多分、マハラクシュミー)石像のトロフィーと賞状で充分でございます。

50歳以上シニア部門で優勝したネパールのトップ市民ランナーであるラムクリシュナ兄さんは、これまた賞金を全額、ネパールマラソン界の長老であるバイクンタ・マナンダールさんにプレゼントした。表彰式の壇上で。

ネパール社会では高額賞金を獲得すると、友人知人にご馳走しなくてはならないという不文律がある。ラムさんなんて外国のレースで年代別入賞したときなんか、世間からのプレッシャーで大パーティーをやったし。毎朝・夕汗水垂らして鍛錬して賞金ゲットしたら、なぜ、何にもしていないメタボな奴らにタカられるのだ!?みんなの目前で、名誉は自分にもらってもお金は寄付という方法をとるのも、社会的地位を確保したネパール市民ランナーの生きていくための智恵だ。


自宅に戻ってリラックスしていたら......ポカラの大洪水のニュースが飛び込んできて。外国人女性も流されたとの未確認情報もあり......氷河湖決壊か?それともゲリラ豪雨で地崩れが起こり流出した土砂がダムを造ってその後大決壊を引き起こすFlash Floodか?あいや〜っ、ニュース対応だ。 

疾走、ジョムソム街道

このビデオ、説明は要りません。とにかく、ご覧ください。



ライダーのマンディールくん。こんな素晴らしいちゃり野郎が友人だなんて、私は幸せなヤツであります。あああ、私も走りたい。脚で.....

Jamacho 888 レース

4/21土曜日、カトマンズ盆地北西の外輪山の国立公園、ナガルジュンの森でのトレイルランニングレース。Jamacho(ジャマチョ)ピークまで標高差888Mを登り、駆け下るわけだ。
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ワシは11.5km部門に出走したのであるが(このほか、5km部門)、途中で集団でごっそりコースアウト。急斜面を木登りして正規のコースに合流する羽目となり、脚じゃなくて胸筋が筋肉痛。

ゴール前の直線。男性ランナーと抜きつ抜かれつのチキンレース。が、直前で
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「レディファースト、お先にどうぞ」「えっ?いえいえ、ご一緒に」

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ということで、お手々つないでグリコのポーズ。

それにしても、この胸筋の痛みは筋肉痛じゃなくて。もしかすると肉離れ?と、思索するレース翌日である。

この私を天も憐れみ、明日は突然の国民の祝日となる。ほんとよ、マジで。


※昨年まで祝日であったロクタントラ民主化の日が今年は平日であったところ、前日の今日になって「やっぱマズいんじゃねーの」つーことで、政府が突然の決定をした次第。らっき〜 ♪

おしりの山になった、エベレスト

NHKみんなのうた〜 おしりの山はエベレスト。某所で見ました。わっはっは。
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1番の途中、おしりかじり虫と一緒にトレッキングしているヤクさん一家が、個人的に大変気に入りました。お父さんヤクの角の先端の、ちょこっと外曲がりが「たいへんよくできました」賞ですね。

がんばってエベレストの頂上にたどり着いたおしりかじり野郎。しかし、そこで滂沱の涙を流します。

わかっているよで わかってない
見えているよで 見えてない

大変に意味が深い歌詞です。で、日本に飛んで帰る虫くんなんですが、ここで良くないことをしています。エベレストの頂上に、背負ってきたリュックなど全てを捨ててきている。これはいけませんね。持ち込んだものは全て持ち帰る。ゴミを残さない。そうあるべきなんですが.....って、アニメに文句つけてどうする?

昨今のエベレストの商業主義登山の現場については、唖然としている不肖わたくしであります。おしりかじり虫さんにまで登られたエベレストには、今年、ネパールのマオ派親分のご令息さままでが挑戦します(やれやれ、やってらんねーよ)。

ここまで来ましたら是非、ガチャピンさんにもご登頂いただきたく。過去、ヤラピーク登頂という輝かしい登山歴のあるガチャピンさんでありますので、エベレストなんか軽い?かも(中の人、乙であります)。ガチャさんがアイスフォールの裂け目に渡された水平ハシゴを渡る図なんてもう....想像しただけで涙が出てきます。


でもね。今年もまた。春の登山シーズン。ネパール側から、チベット側からエベレスト(サガルマータ/珠穆朗瑪)に挑戦するみなさま。ご健闘と無事の登頂、安全な下山と、シェルパさんたちスタッフのみなさんも全員みんなが、笑顔でおうちに帰れることを、心からお祈りし、応援しています。

新年度ですので、宣言いたします

これまで地味に準備してきたことが、やっと公表出来る状況になりました。

世界で一番過酷な....と銘打つウルトラレースがいくつかある中で、本当に、泣く子も黙って逃げ出す過酷さ。全長222kmを制限時間60時間内に。しかもコースはインドヒマラヤの山岳地帯。標高5,300メートル以上の峠越えが2度あり、コースの平均標高は4,500メートルというクレイジーなウルトラマラソン。

LA ULTRA THE HIGH

に出場します。この最終準備のため、ネパールでの仕事は年度末で全て辞めました。本日の航空便でインドに入国し、明日早朝、レースの舞台となるラダック地方の中心地レーに入ります。現地での高所トレーニングを続け、8月のレースに臨みます。

私のチャレンジをインド共和国外務省もサポートくださり、特別な長期滞在ビザの発給を受けました。

人間としての生き物の限界に挑むようなレースに、普通のオバサンである私が挑戦します。その結果はいかに?レースに至るまでのプロセスをめいっぱい充実させ、楽しみます。結果は自然とついてくるさ!


これ、4.1の記事ですからね。エイプリルフールですよ!
@後日追記、釣られてくれる方続出のため

ポカラ近郊で、トライアスロン

主催者撮影の写真、追加しました.....


ポカラから車で1時間あまり。ベグナス湖とその周辺で開催されたトライアスロンに参加した。
Himalayan Rush 公式サイト

種目はスタンダード(1.5kmスイム 40kmバイク 10kmラン)と、スプリント (750mスイム 20kmバイク 5kmラン) 。

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ベグナス湖の水は、泳いで心配ない程度にきれいだった。

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ネパール人、在住外国人だけでなく、マレイシアやインドからのトライアスリートも集まった。その数35人。第一回の開催でもあり、アットホームな大会だ。

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水からあがったアスリートたちは、次の種目バイクに。ネパールらしいのは、ロードバイクではなくマウンテンバイクであるところ。

今回はリサーチ目的でやって来た私。スイムはパスして、バイクとランのバイアスロンに参加した。 快調にスタートしたが.....
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バイクのコースはMTBらしいダートと、舗装道路、未舗装道路のミックス。なかなか手強い。 急坂登りで、ばてばて。

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下りは石ゴロゴロで、借り物の乗り慣れないバイクでは、押して下る方が早かったりする。情けない。

ランは湖のダム上から、上り坂のトレイル。折り返してゴール。 こちらはお手のもの。快調に飛ばすよ。びゅ〜ん♪
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遊びをせんとや、生まれけむ....年甲斐もなく、もう。

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今回のイベントは、トレイルランやMTBを趣味としたり、仕事としたり、観光業に従事する20台のネパール人若者たちが主催した。

旧世代のスポーツシンジケート(ネパールでは、伝統的にスポーツと政治は表裏一体)が運営するイベントでは、不正行為、賞金稼ぎ、国際的な大会とするために外国人を誘致しても結局はネパール人を優勝させるための小細工。参加者に対する敬意のなさ。と、悲しくなる出来事が多いネパール。

そんな中で、若者たちが、実に爽やかなイベントをやってくれた。旧世代に属する、アマチュアスポーツ愛好家として、心から感謝と拍手を送りたい。ありがとう、パワンと仲間たち!こういう人たちと知り合えたのも、週末のトレイルランニングのおかげだったりする。

さらに若者が立派だったのは、ポカラを縄張りとするスポーツシンジケートのおやぢ(アンナ100参加者のみなさん、苦笑してください)をきちんと招待して、彼の顔を立てて、気配りしていたこと。なかなか出来ることではない。おやぢが鼻の穴を膨らませて自慢話を吹きまくってる様子は、見ていて悲しかったけど。

大会では、ネパールとインドのスポーツドクターとそのチームが、救急体制を準備してくれていた。インドの先生は自身が、ラダックの高地で行われる222kmのウルトラレースの主催者でもある。なんとまあ、スゴい世界もあるもので。 

普段のマラソン大会の緊張とは違って、リラックスした楽しさであった。来年は是非、日本人トライアスリートたちも誘致したいと思う。いかがですか?

THE BIG FIGで川遊びキャンプ

我々を乗せた車は、国道を西に向かう。カトマンズと反対側。今回、ラージの友人が経営するラフティングキャンプに、トレラン組と車移動組の数家族合同で1泊しようという計画なのだ。

さーすが、ラージさま。

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プリトビ国道をカトマンズから西に80km。ベニガート近くにある、Himalayan Encounters社のラフティング基地、THE BIG FIG ビッグ・フィッグ(大きなイチジクの木)。 

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国道沿いに、古い街道沿いの商家の佇まいの家が数軒かたまっている。BigFigを作るとき、周辺の民家まで、同じデザインで修復したんだとか。

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その中心にあるのが、ラフティング基地。

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いい感じ。ここに泊まるのかな?

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BigFigの裏には、トリスリ河にかかる吊り橋がある。

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街道沿いの小集落の裏手にも、自然石のスレートで屋根を葺いた家が並ぶ。ここを入って

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さっきの吊り橋

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対岸の河原に、テント村が見える。

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アフリカのサファリキャンプのような、中にベッドもある常設型のテントや厨房、トイレ、シャワー施設がある。ここが、BigFigの宿泊施設であった。

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さあ、川遊びだ!

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夜は、焚き火でバーベキュー。

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もちろん、ビールも冷えている。ランニングの疲れで、この日は熟睡。

翌朝、朝食後
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らららら、ラフティング。


トレラン用の防水・耐ショックのスチルデジカメ(のシリーズで一番安いやつ)で撮ったビデオ。このサイズなら、まあまあ大丈夫だねぇ。

今回はお子たちのため、テント村の前のボート遊び程度。大人だけであれば川の上流まで移動して、急流下りでテント村まで1時間ほどのスリルもあるラフティングが楽しめるそうだ。そのあたりは、さすが、ラフティングの専門会社が経営する宿泊施設。万が一、客が川に転落したときの救助用として、カヌーも付いてきてくれる。


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遊んだ後は、美味しいごはんだ。

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シンプルだけれど、美味しいダルバート。

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とまあ、土曜日走って、食べて、飲んで、おしゃべりして、川遊びして、泊まって。日曜日はラフティングして、夕方カトマンズに戻ってきたのだった。

時には喧噪の街を離れて、のんびりするのもいいもんだ。と、しみじみと楽しかった。筋肉痛を除けばね。久しぶりのトレイルランニングで、もう、油の切れたロボットのようですわ。涙。

BigFigについては、こちらが公式HP(英語)

トレイルランナー、復活か?

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Spring has come.....カトマンズに春がやってきた。芽吹き時。

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そして、年中クレイジーなカトマンズ・トレイルランナーズは、浮かれて走る走る。

今回のコースは、スワヤンブーから西に、カトマンズ郡とダディン郡の境に位置するビームドゥンガまで運転手つきの車で移動し、そこからトレイルを30km前後走って、カトマンズ/ポカラを結ぶプリトビ国道のガルチ近辺に下りてこようと云うもの。そこからは、車道で先回りさせた車に拾ってもらおう....という、なかなか、意欲的な計画だ。

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カトマンズの数少ない女性市民ランナーのシャサ。

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ネパール極西部ジュムラ出身で英国生活長かった(嫁は英国人)ネパールを代表するマスターズ・トレイルランナーであるナラン。英国人ウエブデザイナーで、カトマンズ在住のリチャード。シャサのダンナであり、富豪ランナー(しかも速いし強いし、ゴルフやったらホールインワン!)ラージ。

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そして1月に2本も長距離レースを走り、そのツケで1月後半から2月前半まで、高熱でノックアウトされていた私。まだジョグぐらいで、ほぼ1ヶ月まともに走っていなかったのに。ラージの

「下り坂ばっかりだし、シャサもいるし、ボクたちもゆっくり走ろうと思ってさ」

という甘言に乗せられて参加。リハビリラン。だが、10kmでもう、ご覧の通り目線が宙に浮いている。ガルチに下りてくるはずが、もっと手前のガジュリ周辺で国道に出てしまう。ここまでトレラン13km。

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まあ、茶をのみませう。

私はもう充分!という感じであったので、ここから国道を走る乗り合いバスを捕まえてガルチまで行くよ。と主張したのだが。茶店のオヤジの目の前のひと山をトレイルで超えたら国道のガルチに出るからさ。という言葉で、ヤーヤーヤーと結局。 

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吊り橋を渡って

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カトマンズ首都圏に出荷する野菜畑広がる、ダディンの景色を見ながら緩やかに登っていくと

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ガネシュ・ヒマールがよく見える。

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ラージ余裕の富豪走り。きゃ〜っ!

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でもって、このおにぎり山も越えなきゃならない。え゛っ?

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迫り来る急坂で、幼気な私はバーンアウト。てっぺんの木の下にへたり込み、パワージェルを2本一気のみ。アスリートソルトでミネラル補給。

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この写真はクリックで拡大。コース上では西はマナスルから、東にガネシュ、ランタンと、ヒマラヤのパノラマが楽しめた。

ラージもナランも、単独であれば大変紳士的かつ分別のある奴らである。が、この二人が一緒に走り出すと、爆走化学反応が引き起こされてしまう。「もっと行こう、もっと行こう」と、完全にイっちゃってるのはアンタらだよ!と、私とシャサは途中で別れた。一路、国道のマダブベシを目指して駆け下りる。

遙か下の方に、国道に架かる橋の両側に茶店や商店が並ぶマダブベシが見えているのだが、もう「本日売り切れ」状態の私の脚はなかなか進まない。病気で寝ていた間筋力も落ちているがそれ以上に、心肺機能が普通の人に戻ってしまったようだ。ちょっと走るとすぐに心拍数が上がる。

いわゆる、心臓バコバコってやつね。情けなや〜 (T_T)

とまあ、這々の体でやっとマダブベシにたどり着き。ハイドレーションで背負っていた水も尽き果て、お店で買ったボトルの水とファンタをむさぼり飲み。で、走るのはパスだけど....と、ラージの車とは別に自分で運転してきた我が亭主殿に電話して拾ってもらって一息ついた。

私にとっては復活に向けたリハビリとなったし、シャサにとってははじめての30kmランとなった。二人とも、大満足。
EveryTrailによる、GPS記録

普段ならこれで カトマンズに戻っておしまいだが、連休中の今回。お楽しみはまだ続くのであった

マナスル・マウンテンマラソン

今年の秋、静かなトレッキングを楽しめる(=今ひとつブレークしていない)マナスル山群に、新しい山岳マラソンが誕生するらしい。カトマンズ・トレイルランナーズ同盟のIT担当、リチャードから連絡があった。

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7日間のステージレース+2日間のトレッキング(高度が高すぎたり、ルート的にレースが実施できない部分と見える)で、マナスル山群を周遊し、チベット国境にまで脚を伸ばす計画だ。興味のある方は、

マナスル・マウンテンマラソン公式サイト

をご覧いただきたい。

気になるのは、主催者が明記されていない点。リチャードに尋ねたところ、昨年秋、フランス系のエベレスト・スカイレースのネパール側ハンドリングをした(ネパールの)会社が計画しているとのこと。参加費用もまだ、算出されていない。多分、参加見込みの人数により変動するのでまだ出せないのでは?

ネパールでも、日本隊によるマナスル初登頂は有名で、日本人の興味が期待されている様子だが。思うに、マナスルに特別の思い入れを持つ世代は既に高齢で、トレイルランニングを楽しんでいる人は少ないだろう。トレラン世代は働き盛りであり、秋、2週間以上の休暇が取れる人は限られているとも思う。

それでも、マナスル。特にチベット国境まではなかなか行く機会のないコースである。トレランで回れば、普通のトレッキングより効率よく短期間で周遊できる。また、不思議なことに、歩く以上に記憶に残る出会いや出来事に恵まれるのもトレイルランニングの醍醐味のひとつだ。

特別 日本人に対する便宜はないので、参加申し込みから現場でのクレーム。参加者との交流など、全てに渡って英語力も必要となる。興味ある方は覚悟を決めて、直接主催者に問い合わせされたし

私.....99%、参加しません。今のところ。残り1%が、結構困りもの。 

アンナプルナ、続きはNHK BS1にて

すいません。アンナプルナ終了後、仕事とプライベートがたて込みまして。ブログのUPがなかなか出来ませんでした。それを、えい、やっ!と片付けまして。

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某所での(普通の)マラソンを完走。タイムは今ひとつでしたが、年代別2位入賞。

アンナプルナで70kmに突っ込めなかった自分の弱さを許さない!と、今回のマラソンでは、自分なりに自分を締め上げて走りました。終盤、給水の水が喉を通らない。糖分補給のあめ玉もはき出してしまうほど、ギリギリまで踏み込みました。真冬のカトマンズから、真夏の気候に来てしまった....つー事もありましたが。

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アンナプルナの最終報告ですが、実は1月30日。NHK BS1の番組「ほっと@アジア」で報告することとなりました。全てブログに書いてしまうと、リポートすることなくなる事態が発生しまして。すいません。続きはTVで。と、相成ります。

いろいろ、いろいろあった今年のレースですが、それで却って、人と人のつながりの温かさ、心強さを感じさせられました。全ての皆さんに、例年以上に、心から感謝申し上げます。

ありがとうございました。

そして、また、来年もお会いしましょう.....

今年のレースは、サバイバル 〜4

漆黒の闇に包まれ、寒さが身体の芯まで入り込んでくる夜9時過ぎ。3名の日本人ランナーがまだゴールしていません。2名は70km。ひとりは100kmに挑戦中。

そればかりでなく、引き取り手のいない荷物を見るに、参加者全体では十数名から二十名あまりが、雪の稜線上でまだ格闘しているようです。

「日本人、あと何人来てませんか?」

と、ネパール人の坊やが聞きに来て。大会本部に確認してくださいと云うと、何と、彼は、本部役員たちから言いつけられて聞きに来たんだという!すわ。と、ゴール脇の本部に駆け込みました。

そこで見たものは、混乱。混乱。大混乱。

参加者の名簿には、ゼッケン番号が記入されていない。同じ名前が二重に記載されていたりする。ゴールしているランナーの中に、ゴールした記録から漏れている人もいます。

そのうち、ルート上のロッジから本部の固定電話に、何人かのランナーたちが宿泊して朝を待っているとの連絡が入ってきました。しかしここで伝えられたのは、名前ではなく、ゼッケン番号のみ。地元の人たちにとって、難解な外国人の名前は伝わらないのです。

ゼッケンと、氏名の照合が始まりました。

こんなことなら、日本人参加者だけでも、私の手元にある名簿にゼッケンを事前に聞き出して、記入して持参しておくんだった。と悔やんでも後の祭り。ここで役立ったのが、レース中に取り合った写真。デジカメのモニターで確認し、未到着者の番号が判明していくのです。


心強かったのは、数名の若いランナーたちが、はじめて会った他のランナーのため、自分も疲れているのに宿に引き上げず、自発的に情報収集に動いて助けてくれたこと。誰にも命令されず、でも、自然と連係プレーが出来上がっていく。

日本の未来は、決して暗くないよ。

真夜中12時過ぎ。このまま待っていても消耗するだけだ。助けに行くとしても、夜明けを待たないと。体力を温存しよう。と、私が無理に呼びかけて眠ることにしました。


翌朝。

丑三つ時、夜通し走っていた2名の日本人がゴールしていました。

もうひとりは昨夜のうちに、数名のグループでゴレパニのロッジにいることが判明していました。この人も、朝、元気にゴールを決めました。

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他の国のランナーたちも、続々、下りてきます。一緒にガンドルンへの坂を登ったピーターもいます。

彼には「一緒に行こう」と誘われていたから、私も70kmに突っ込んでいたら、一緒に下山していたはずです。自分は50kmに変更して正しかったと思う反面、ほんの少しだけ、彼の勇気がうらやましくもあり。

稜線上は真冬の吹雪で、ルートがホワイトアウトしていたそうです。幸いなことに、コースを熟知する英国人ランナー(彼も主催者のひとり)が全員をまとめて、ゴレパニのロッジまで連れて行ってくれたとのこと。この幸運がなかったらと思うに、背筋が寒くなります。


大会手配のバスや、個人手配のタクシーで、一路ポカラに向かいます。暖かで、お湯と清潔でふかふかのベッドの待つポカラへ。

表彰式を待つ間、私は思わず、レイクサイドのステーキハウスに飛び込み、肉、肉、肉〜とがっつきました。タンパク質の補給を、身体がどうしようもなく要求していました。

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表彰式には、23の笑顔が無事揃いました。日本人だけではありません。参加ランナー全員の生還です。

さて、これで「めでたし」と区切って良いのですが、最後にもう一回。来年に向けての課題と、自分自身のこのレースに対する取り組み方を、静かに深く、そして少しだけ激しく考え、まとめてみたいと思います。

つづく

今年のレースは、サバイバル 〜2

2012年元旦。夜明け前の午前5時。スタート地点に集結した、バンコク走遊会の面々です。普段は私がタイに遠征して、皆さんに大変お世話になっております。
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今回はその恩返し....というか、「アンナプルナ、一生忘れられないレースになりますよぉ〜」という私の甘い誘いに乗って、今回、8名もの方たちがやってきてくれました。ふふふふふ。ダマされたな、お主ら!どういう意味で忘れられないか?は、保証するものではない。

では、セイコウヲイノル.....

5時半かっきりに、号砲です。

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最初の11キロは、真っ暗なロードを一路、ミランチョークまでひた走ります。この道は、ノーダラやナヤプルというトレッキング街道の起点に向かう舗装道路です。普通なら、車で一走りのものです。

途中、ぽつり....と水滴が落ちてきました。雨?昨日はあんなに快晴だったのに。嫌〜な予感です。

ミランチョークからトレイルに入り、ヘムジャが最初の給水です。ここからは、日系エコロッジとして有名な「はなのいえ」のあるアスタム村に向かって、緩やかに登っていきます。

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不肖わたくしも、まだまだ元気で走っております。

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走友と写真を撮る余裕もかませています。

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まだまだ走れます。

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そして、登りがキツくなると歩きまして.....

で、この区間で1カ所。大会のつけたマーキングが間違っていました。わざとコースアウトさせる意図が感じられます。私たち幼気なビジターたちは、2〜30分の回り道です。毎回、コースを熟知している地元ランナーを勝たせるためにやってくれる!こう毎回だと怒る気持ちより、また出たか.....という、タメイキです。

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23.5km地点のダンプスに到着です。2番目の給水ポイントです。私はここで、背負っていたおにぎりを食べました。むしゃむしゃ。ウルトラ・トレイルでは、胃腸がダメージを受ける前に食べられるだけ食べないと。

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彼、転倒して膝をすりむきました。何でも、泊まっていたホテル近くで夜中まで年越しカウントダウンの団体がうるさく、眠れず、ボーッとなってしまったとか。敵は意外なところにもいますね。

ここからは樹林帯を行きます。
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ピタンデオラリ峠まで、ぐりぐり登ります。そして、石が敷き詰められた急坂を、どひゃ〜っと下らされます。雨が降っていたらしく、嫌らしく濡れた石畳は滑ります。

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途中、走遊会の健脚いしし君と出会いました。ロードでなら、途中出会うはずのない走力を持つ彼ですが、そこが山岳トレイルの面白いところ。ランドルンまで、一緒に走ってくれました。オバサンはとても勇気づけられました。ありがとう、いしし!

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トルカ村にて。霊峰マチャプチャレの足元だけが見えています。

緩やかな石畳の下りで、後ろでドスン!と大きな音がします。振り返ると、後続ランナーが滑って大転倒。幸いケガはありません。今回私が履いていたのは、ノースフェイスのシングルトラックというトレイル用シューズ。グリップが良いと聞いていましたが、噂に違わず。濡れた石畳でも安心して走れました。

ランドルンからは、モディコーラの川底まで駆け下り、対岸を1時間ほどで標高差600メートル弱登ってガンドルンです。この先が一つの関門。汗で失った塩分を補給するため、茹でたジャガイモにたっぷりの塩をつけてほおばりました。チーズも食べます。今年の給食は、なかなか、いいぞ。自前のアスリートソルトも摂りますし、水はもちろん、各種アミノ酸やクエン酸ミネラル豊富なスポーツ飲料です。この日のために、日本から持ってきました。

ここからは、「先に行ってください」といういししくんを残し、ひとり旅。と思いきや、

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ベルギー人のピーターたちと一緒になりました。オランダ語圏、フランドル地方の出身の彼は、オランダ人である我が盟友ロジャーの友人でもあります。キツい上り坂を、励まし合って先に進みます。それにしても、毎回、口から心臓が出そうになりますわ。この上り坂。

難所として知られるウレリの坂よりきつい!のは当然。普通のトレッキングでは逆コースをとります。ここを下り、そして距離が短いランドルンに登り返す訳です。レースのコース設定は、悪魔です。これを楽しんでいる私たちは、黒ミサに参加する魔法使いでしょうか?デーモン閣下も逃げ出すでしょう。

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やっと、やっと、ガンドルンの給水・給食ポイントに到着しました。

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どんなに疲れていても、食べられなくなったらおしまいです。

ここで、ひとつの大きな決断が待ち構えていました。私たち世界中から集まったクレイジーなランナーたちは、どんな運命に翻弄されるのか?

つづく

今年のレースは、サバイバル 〜1

今年もやりました。元旦恒例の、アンナプルナ山岳耐久レース。

しかも今年は 過去最多の25か国165人もの参加者が集まり、しかも日本人は23人! これ、地元ネパールに次ぐ、国別最多。何が起こるんだろ〜、どーなるんだろ〜、と、ドキドキしつつ、ポカラに移動しました。

例年は自分の車で移動していましたが、今回はバンコク在住日本人ランナーご一行さまと、グリーンラインのバス移動。カトマンズから昼食のクリンタールまで、朝靄で陽が差さず、とにかく寒かった!夏の冷房はあっても、暖房はないのか?

数年ぶりに、長距離バスの移動を思い出しました。痛いほどの寒さでした。

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ポカラに近づくにつれ、ぽかぽかと暖かくなってきました。ヒマラヤも見えます。

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レースの公式説明会は大晦日ですが、今回はその前日、日本語による、日本人参加者のための説明会も企画しました。コースの詳細や装備について、情報交換です。昨年も参加された、サムライ・ランナー佐藤さんからのアドバイスが心強かったです。

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そのまま、夜のレイクサイドに繰り出しました。年末年始、歩行者天国のストリート・フェスティバルも開催され賑やかでした。

私も大好きなレストラン、ムーンダンス。チーム・ジャパンの二十数名が勢揃いしての夕ごはんでした。


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翌朝は、バンコク走遊会の皆さんとサランコット。ヒマラヤの雄大な日の出を楽しみます。

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良く晴れて、明日のレースも好天だ.....と、確信しました。


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午後からは、ゼッケン受け取りと最終登録です。時間通りには始まりません。

それは、ネパール人の大会委員長であるラメシュ兄々が全ての書類を自分ひとりで管理しており、しかもコースのエイド設定や人員配置も彼だけが責任者であり、物理的に間に合わないからです。

ネットによる参加登録やコースの設定は、我々ネパール在住の外国人ランナーが担当し、秩序ある管理をしています。しかし、大会本番の仕切りはネパール側が担当しているため、我々も手が出せません。

何故、ネパール人の大会委員長が「全て自分でやろうとするのか?何故仕事を振り分けないのか?」については、追々、お話しします。

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レイクサイドの某ホテル庭で、やっとの事でゼッケンを受け取った参加者は1時間ほど待たされて。そして、ホールでの説明会がやっと始まりました。

技術委員長である、在ネパール外国人トレイルランナーの中心人物、ロジャーがコースを説明します。全て、英語でのやりとりです。その後ろではラメシュ兄々が携帯電話で、大声でなにやら電話を続けています。準備が切羽詰まっている様子ですが、毎年なので驚きません。


一夜明けて、元旦の丑三つ時。続々とランナーが集まってきます。

あれ?毎回走るはずのロジャーが、普段着で預け荷物の受付をしています。え゛?すぐに着替えるのでしょうか。彼は今回も、人一倍トレーニングをしてきました。レースの技術的部分を一手に引き受けているのも、自分も走りたいからなのに.....

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スタート時間が迫ってきました。今回はご夫妻で参加したサムライご夫妻と。

早朝5時半。ラメシュ兄々の吹くホイッスルとともに、ヘッドランプの明かりを頼りに、真っ暗なロードに飛び出しました。

つづく

アンナプルナ、無事完了

みなさま、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

新春恒例、元旦のアンナプルナ山岳耐久レース。今年は雨と雪で大変でしたが、全員無事にレースを終了することが出来ました。素晴らしい出会いに、今回も恵まれました。山岳レースは、これだから止められません。

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ゴール直後、アンナプルナ山中のビレタンティ村にて。大会技術委員長であり、カトマンズ・トレイルランニング集団の中心人物ロジャーに迎えられました。

取り急ぎ、無事のご報告。詳細は追ってUPします。


レースの様子は、NHKでも報道されました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120102/k10015010251000.html

【緊急】アンナプルナレース、登録を急げ!

元旦開催のアンナプルナ山岳耐久レース出場希望者で、まだ登録していないみなさま。登録済みのみなさま。至急の連絡です。

今年はアンナプルナ保全地域への入域のため、事前にパスポート番号登録が必要となりました。締め切りは12月25日です。

出場登録フォーム
パスポートナンバー登録フォーム


これから、日本人参加者のみなさまへの事務連絡等を公式BBSに掲載しますので、こまめにご確認ください。みんなで揃って、楽しいレースにしましょう。

イェイ p(^^)q

走るより、歩くのはタイヘ〜ン!

カトマンズに真冬がやってきた。晴れて気温も暑くなく寒すぎない昨今は、トレイルランニングにぴったり。つい、毎週末、仲間たちと繰り出してしまうのだ。

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朝7時。濃い霧の中、パタン市内をスタート。まだ薄暗く、カメラのフラッシュに大気中の埃が乱反射する。

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パタンからカトマンズに入ってすぐのサンカムル。聖なるバグマティ河の、汚れきった護岸を走る。

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そして、やってきたのは、世界遺産でもある名刹パシュパティナート寺院。「走って通り抜けるだけで〜す!」と説明したら、入場料無料になった。

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本日のオールスター。

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パシュパティ境内、ラム寺院からグジェシュワリ方面へ向かう。

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そして、これまた世界遺産のボーダナート。スタート地点から14kmほど。仲間たちについて行き、私にとっては速いスピードで来てしまった。これがあとあと、怖いことになるのだが。

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チベット系信者のみなさんと一緒に、コルラ(仏蹟を右回りに回る)する。ボーダ裏の、下町の、どローカルな茶店では、えっ?と驚くほど美味いシェルロティ(米の粉で作ったドーナツ)と、甘いミルクティで朝ご飯。暖まるぅ〜。


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ボーダからは緩やかに駆け上り、仏教瞑想で世界的に有名なコパン僧院。正面入り口横に、銀行キャッシュコーナーが新設されていた。うーん、さすが、金満寺院。

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尼寺であるナギ僧院まで、森の中を走る。

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とにかく走る。

のだが、このあと、シバプリ山の急登。とっても走れる坂ではなく、早歩きで登った。街中の高速ランのためか、臀部とふくらはぎの筋肉がダルくて死んだようになっている。全然、全く歩けない。うそ?私って元々は山屋で、歩くのは得意なはずなのに。最後尾でついて行くのもタイヘンで、泣きそうだった。

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やっとこ、シバプリの尾根展望台に着く。ここからはグループを2つに分ける。シバプリの頂上を経て、チソパニ〜スンダリジャルに至る50km弱コースには、超健脚のロジャーとポール。それ以外のよゐこたちはここから下山することにする。

一番近いのはブラニルカンタだが、帰路の交通費が高くなると云うことで却下。え゛ーっ、いいよ。私もう、きっと走れないよ。と云う声は無視され、来た道をコパンまで駆け下ることとなった。

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泣きべそで走り出す。と、何故?走れちゃうじゃん!

歩けないけれど、走ることは出来る身体になってしまったと云うことか。ああ、もう、山屋には戻れない。

結局37km程のランニングとなった。休憩時間も含めて、6時間ちょっと。平地のラン以上に、トレイルは全身の筋肉を酷使する。特に腹筋や肩の辺りに、心地よい疲労感が残った。トレイルラン、記録


夜は夜で、満月恒例の夜ハッシュ・ラン。しかも皆既月食と云う事で、仲間たちが集い、パタンの旧市街を8kmちょっと。月に吠える遠吠えを発しながら駆け抜け、そして、飲み会。暖かなラムのカクテルが美味しくて、つい飲み過ぎ。前後不覚で熟睡した。ハッシュ、記録

生きる幸せとは、こういう日のことを云うのだ!私にとっては。

最高の誕生日

今日は私の誕生日。しかも、仕事と仕事の間の休暇期間。そして毎週金曜は、ソフトなトレイルランニングをする仲間たちがいる。普段は仕事で参加できないが、今日は是非!と、亭主も一緒に行ってみた。

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冬晴れの朝、カトマンズ盆地の南端から走り始めた。

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吊り橋を渡る。

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100年以上昔に作られた、ファルピンにあるネパール最初の水力発電施設への急坂。ゼイゼイ、はぁはぁ。

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そしてハッティバンからチョーバルへ、尾根筋を快走する。

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今日のランニング・オールスターたち。

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お昼に帰宅し、シャワーして。午後は、パティシエ修業中の息子が、バースディケーキをプレゼントしてくれた。はじめて、彼の作ったケーキを食べた。今まで食べたどんなケーキより美味しかったが、でも、まだ、ちいと、修行が足りぬかな?

がんばれよ、息子。

今日は懐かしいお客様も、はるばるご到着。夜も楽しいひとときを過ごした。

大人になってから、久しくなかった、最高に楽しい誕生日をありがとう。みんな、みんな、本当にありがとう。これからも、宜しくお願いします。

犬バカ日誌+α

まずは、ひとまわりディディさんに業務報告(?)っス。

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日々お腹いっぱい食べ、よく眠り、出すもの出して健康です。

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ここ2〜3日、動きも活発です。

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おいおい、棘に注意!

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目前の障害も.....

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果敢に飛び越えます。

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ネパールの憲法制定議会は、6ヶ月の任期延長となった。これが最後の延長にすべし!と、最高裁が司法判断ギリギリ(半歩、政治に踏み込んだとも云える)の判決を出したこともあり、これで本当に、本当に最後の延長とも云える。が、識者の本音を聞くと

「あ゛〜、そんなもん、主要政党が合意すればまだまだ延長できないことはないよ」

と、回りくどいことも云う。次の締め切りは、来年5月末と云うことだ。


11月は、かなり頻繁に出勤すべき勤務態勢だった。ひと山、ふた山、大変なこともあったが成果も大きかった。そんな中でも、月間走行距離は250km強。頑張って走ったね。
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最後の週末の、強烈なトレイルランの疲れはまだ残っていて、いつもの鍼灸院の先生から「背中と腰の筋肉、パンパンですよ」と驚かれたが。これが癒える頃、超回復と出来るようしばらくイージーな走りで調整しよう。


次の勤務まで数日のギャップがある。たまっていて家事を片付ける日々である。

ビバ、トレイル!

今週は何となく、身体の芯から怠かった。週の中盤、スシル先生の鍼灸治療院に行き疲れを抜いてもらった。こんなときは、一度身体をクタクタになるまで酷使するとリセットできる。

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休日の今日、早朝から仲間たちとトレイル・ランニングに行った。チャウニーのラージ宅に集合し、彼の先導で走り出した。ラージは走力が高く、キツいコース設定をすることで有名だ。ついて行けるか、私はかなり心配しつつスタート。

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暑くなく寒くなく、カトマンズはトレランに最高の季節を迎えた。

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ダハチョークのトレイルを、ガーンガン飛ばす。ラージとロジャーは大変に強いランナーであるが。トレランをはじめたばかりのパワンと、女性のサラと私は、ほぼ同じくらいの走力だった。急に気持ちが軽くなる。

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おりしも、快晴。西はアンナプルナ、マナスルから、ガネシュ、ランタン山群のヒマラヤがくっきり見えた。

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ついつい、写真タイムが多くなるのも仕方なし。

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カトマンズ郡とダディン郡の境界線にあるビームドゥンガでは、ネパール人マウンテンバイク集団とも遭遇した。総勢10人以上いた。みんな、ピカピカの外国製自転車。こういうものが最近、カトマンズやパタンの専門店で買えるようになったところが、最先端のネパールと云えよう。

家にバイクも車もある層のネパール人たちが、休日、自転車でトレイルに繰り出すのだ。一方ランナーの世界は投資額が自転車ほどかからないため、裕福な人もそうでないネパール人もいる。

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ナーグドゥンガの茶店で、ミルクティ。街中では最近ちょっと出てこない感じの、昔ながらの激甘茶。普段なら「うわっ!」と思う味が、疲れた身体に染みわたる。

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さて、進路をナガルジュンの森方面にとる。

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トレイルでは、走れないような上り坂も出てくる。そういうときは、さっくり歩くのだが。そのスピードも早いこと!走力の近い仲間がいると、これまた楽しいものだ。

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走り出して18kmあたりからは、快適な広いトレイルの下りが続く。途中、小型の鹿も見かけた。鳥の声も四方から聞こえてくる。美しい森。豊かな森。ネパールは街中を少し離れただけで、本当に美しい。

自分も森の生き物だぁ〜、なんて思いながら飛ばしていたら、石につまずいて転んだ。右肩から大変上手に受け身をしたので怪我もなく。見ていた仲間たちの方がビックリしていた。これまた、トレイルの醍醐味。

結局、ラージの家に帰り着いたら、30kmちょっとの結構な距離を走っていた。時間にして、4時間以上。ロード以上に、トレイルでのランニングは全身の筋肉を使うものだ。明日は上半身に筋肉痛が出そう。これまた、生きている証。

どんよりしていた身体と心が、すっきりした。また日曜日から、元気に働けそう!

こういうバカな人たちが、元旦ポカラに群れ集い。アンナプルナのトレイルを駆け抜ける。本当に、ヤな友だちに引っかかってしまったものだ.....

と、つい、にやついてしまう。


実は、大阪マラソン

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え〜、大阪城でございまして。

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10/30開催された、第1回大阪マラソンでございます。

日本でのマラソンはまだいいかな?と思っていたのに、ひょんなことで大阪への参加枠をいただきました。もちろん、正規の参加料を払ってですが。海外からの参加ということで。これもご縁と、のこのこ、大阪まで飛びました。

四国にある実家への用もあり、ティハールとチャートの休暇も重なり。いやはや、勢いですね。

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走り込みを2ヶ月しかやってなく、スピードも出ず。この秋冬シーズンの「通過点」のレースとして、4時間15分でいいや.....と、追い込みませんでした。

3万人の大群衆の中で走ること。くいだおれ太郎さん、ウルトラマンさん、ドラえもんさん、サザエさんいろいろ、不思議な人たちともご一緒できました。ずーっと、女子高生のコスプレさんと抜きつ抜かれつ。スタート地点にいた橋下さん。途切れない応援、御堂筋、京セラドーム、道頓堀、西成のおばちゃんたち。ブラスバンドは水戸黄門のテーマを吹奏してくれて。飴ちゃんはグリコ。ごぼうの漬け物食べて「ごぼう抜きやでぇ〜!」で、最後の南港大橋の登りはカトマンズの坂道で鍛えた足ですい〜っと、いっぱい追い抜き。

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ゴール直前でもこの余裕。

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ゴール!4時間14分30秒。

自分の走力を予測できたというか、追い込む気持ちがなかったらそれなりのタイムしか出なかったというか。楽しかったから、まあいいや。

今回は、これで許したるわ。オオサカ。

立派な完走メダルと、スポーツタオルと、飲み物と食べ物とエアサロンパスと、いっぱいもらう。預けた荷物もすぐ返却され、着替えて、歩いて、地下鉄でホテルに戻ってシャワーして洗濯して。夜はバンコクから遠征してきた仲間たちと宴会。ぐっすり寝て、翌日の夜行便で関空を発ち、洪水騒ぎのバンコクで乗り継いでカトマンズに帰って来ちゃいました。

そんな、夢のような出来事から、早や半月。どっぷりネパールで、喜んだり落ち込んだりの日常です。だいぶ寒くなり、走り込みも続けていて、結構スピードも戻ってきました。元旦の山岳耐久レースと、そのあと、記録を狙いたいレースもあります。

本日、レースの写真を購入しまして。著作権処理したサムネイルを使えることになりましたので、ご報告。

アンナプルナ山岳耐久レース続報

アンナプルナ100レースにつき、追加の情報です。

【コース詳細と、関門時間】 

英語のページで恐縮ですが、http://ow.ly/6KmI2 ここに、次回大会の100kmコースを中心に紹介されています。レースダイレクターたちによる現地調査のGPS記録もありますが、途中、ごく一部だけコースを省略しての踏査になっています。 

70kmのコースは、前回大会参加者のGPS記録が、
http://www.everytrail.com/view_trip.php?trip_id=930776


50kmコースも同様に、http://ow.ly/6KmLZ

今まで100kmコースは、70kmコースが(トレイルの)ビレタンティで終了後、ここからロードと一部トレイルで、スタート地点のポカラに戻ってゴールでした。しかし、このロード部分で、タクシーやバイクに乗ってキセルするネパール人ランナーが続出。これが問題となり今年からは

 
1.42km地点から、14.5kmほどの上り下り激しい回り道ルート追加 
2.ビレタンティに着いてから、再度15.5kmのトレイル上り下りが追加

次回の100kmは、超弩級の厳しいルートになります。そのため、朝5:30にスタートしてから、約40kmのガンドルン・チェックPで12:00(6時間半)の関門が設定されます。その次は、60kmのタダパニで17:00 (11時間半)、84.5kmのビレタンティが21:30(16時間)という、厳しい関門をクリアしなくてはなりません。


70kmについては、朝5:30にスタートしてから、約40kmのガンドルン・チェックPで14:00(8時間半)の関門が設定されます。
 

50kmについては、関門時間は今のところ設定されていません。


【コース途中の荷物預かりについて】 

これについては、トレイル部分は車での荷物搬送が出来ないため、基本的に「出来ない」と覚悟してください。例年これにトライするのですが、実際問題として出来ずにおります。またチェックポイントで脱ぎ捨てた衣類などの回収と、ゴール地点への搬送もほぼ不可能です。

 
ゴール地点であるビレタンティへの着替え等の送付は、毎年やっています。問題ありません。100km参加者のビレタンティへの途中荷物デポも、多分大丈夫と思います。100%の確信はありませんが。
 
レースの前半、ミランチョークとダンパス。そしてゴール地点であるビレタンティについては、車をチャーターすれば先回りできます。個人サポーター同伴の方の場合は、この3点での荷物受け渡しや応援、スペシャルドリンクの受け渡しが出来るでしょう。現地での個人的サポート社の借り上げについては別途、大会指定旅行会社に申し込んでください。借り上げ料金も発生します。

 
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この大会ですが、コースの設定や外国人参加者の募集は、我々カトマンズ在住のランナーたちがボランティアで行っています。このボランティアたちも全員、 当日はランナーとして大会に参加します。


大会コースのマーキング、給水・給食・救護チェックポイントの運営と、ポカラでのホテルや説明会、表彰式のアレンジは、ポカラ在住のネパール人篤志家がボランティアであたります。
 
今のところ国際的スポンサーなどもなく、経済的にも我々の手弁当や持ち出しですが、真面目な道楽です。ただし近年、参加者が急増してきました。ですから今年から、英語以外の言語については、それぞれの言語専門の指定旅行代理店とも提携することにしました。


そんな大会ですので、至れり尽くせりではありません
 
しかし、ツールド・モンブランの参加ポイント大会に認定されるなど、国際的に評価されるようになりました。 


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100kmコースは、特に次回からのコースは大変に厳しいです。先鋭的なトレイルランナーの方だけが挑戦できるものです。コースの厳しさだけでなく、真っ暗で、何が出てくるか?という恐怖心に打ち勝ってヒマラヤのトレイルをたったひとりで走るためには、強靱な精神力が必要です。


一方50kmコースはそれほどの困難もなく、普段から走っている方たちなら間違いなく日没前にゴールできます。ヒマラヤの展望も堪能できます。私自身、走ってみて、心から楽しかったです(2回目の参加時)。心臓破りの急坂もありますが、歩いて登ればいいんです。急な下りも、よい子は歩きます。快適に走れる平坦な場所や緩やかな下り坂も多いです。

http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52735062.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52736739.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52737538.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52745983.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52746384.html
 
70kmは、その中間。歯ごたえあります。私自身、やっとの思いで完走しました(はじめての参加時)。一番難しかったのは、最後の20kmが日没後になってしまい、ヘッドランプはありましたがとても怖かったことです。運良く、ブービー仲間の屈強なコロンビア人男性ランナーと一緒に走れた(歩けた)ので完走できました。2回目の時くらいの走力があれば、日没までにはゴール近くの人里に下りてこられたような気がして......次回、70kmに再度挑戦してみたい気持ちがむくむくと。 

http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52581770.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52591082.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52591535.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52591772.html
http://blog.livedoor.jp/upreti/archives/52591774.html

今後も時々、追加情報をお伝えしたいと思います。

国際会議はエコだった

先日、エコなコンセプトの感じられない環境ジャーナリスト某氏(またの名を、我が亭主殿)をブログ上でおちょくったが、続報。

昨夜、彼は1週間の韓国滞在を終えて帰国した。私へのお土産は、これ。

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国際会議公式、飲み物保温タンブラー。 ステンレス製で、飲み口も片手操作できる。スタバのタンブラー同様のもの。保温タンブラーを買おうとカトマンズで思っていたため、ナイス!な土産である。で、亭主曰く

「喜んでもらえてうれしいけど、これ、結構大変だったんだよ」

聞くと、会議の初日に参加者全員にこれが配られたそう。会場に飲み物コーナーがあり、「ご自由に自分のタンブラーに注いでお飲みください」というシステムだったとか。飲み物は豊富にあるけれど、カップは用意されていない。で、自分は、コーヒーも飲めなかった!と。 

これ使えばいいのに。何で?と聞くと、使ってしまうとお土産にならないじゃないか!と。

環境に配慮して、むやみに沢山のカップを使わせない主催者もエコだが、むやみに外国で買い物をせず、もらい物を立派な土産にする我が亭主殿もエコじゃないか! イヤミではなく、褒めてます。ホント。だって、夫が妻に買う土産物って、大外れなことありませんか?

まあ、自分が行ったのなら、韓国名物各種美肌グッズとかコチジャンとか買いたいものもあるけれど、それを夫に「見繕って買ってきて」とお願いしても無理があるし。ふふふふ。 タンブラーは早速、昨日から使ってます。

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ところで、9月は私なりにまじめにランニングをした。月間200kmを軽く超え、月末までそのペースを続けたら250kmに到達しそうだった。しかしその前は、月間150〜180km程度の走りだった。練習量を急に増やすと、故障が出る。月末はペースダウンし、223km強。

通勤の足にしている自転車は、月間走行315kmを超えた。

そんな風に気をつけているのだが、左足の足の裏に違和感が出てきた。足裏アーチに、鈍い痛みを感じる。こういうことは、秋から冬の走り込みシーズンの「お約束」であり、身体が変化するうえで避けて通れない。先日帰国してしまったT姐さんにもらった、ロキソニンの湿布。これが効くのですよ。 ありがとう、ディディ!

でもって、孤独なガイジンの寂寥感を分かってくれる愛車。マウンテンバイクの「革命的クロちゃん同志」号も、金曜日の帰宅時、突然、左側のペダル(足で踏む部分)内部のペアリングが壊れたようで。回転できなくなった。おおおおお。おかーさんの左足が痛むときは、お前の左のペダルも壊れるのかい?

さすが、愛し合っている仲だ...... 

今日直しておかないと、明日からは数日自転車屋も閉まる。出勤途中、早朝の修理となった。最初についていたペダルは、一目見て分かるくらいの安物で。3年以上仕事をしたのだから、寿命ですよ。と、自転車屋と双方納得。日本円で2千円ちょっとの、まあまあのペダルに交換した。1万円近くするペダルも見せられたけど、そりゃ無理だよ。

明日からの休暇中は、郊外にサイクリングに行きたいなぁ。

世界最低、でも最高っ!

さてさて、今年もやってきました。9月24日(土)開催、第5回カトマンズ・マラソン!

第4回大会
第3回大会
第2回大会   
第1回大会   

世界最低のロードレース(のひとつ)、と、評判の高いレースの詳細は、過去の記事をご覧あれ。

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今年は直前になっても、大会ホームページが去年のまま放置されており。ゾンビのようにめげない主催者のニレンドラ兄兄(にいにい)も、ついにギブアップしたのかな?と、ちょっと寂しく思っていたら.....レースの3日前に、走友ナランからの電話。「今年もやるってさ。国立競技場で、地味に受付始まってるみたいだよ」

ひぇ〜っ!とたまげて、昼間は勤務で動けないため、愚息を斥候(?)として送り込み、手続からゼッケン受け取りまで全てを代行させた。

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レース当日は、朝5時半集合6時スタートと云っていたが、そんなもの、なんのなんの。と、6時に国立競技場に着いたら、やっぱり、まだ始まる気配がない。

毎年給水がいい加減のため、アミノバイタル・ウォーターをハイドレーションバックに入れて背負う。埃と排気ガスの中を走るため、自転車用のサングラスも。今年は写真撮りながら走ろうと、日本で買ってきた防水デジカメもスタンバイさせた。

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5kmの部にエントリーしておいた亭主は.....逃げました。

そして、6時半頃、号砲とともにフルマラソンとハーフマラソンが同時にスタート!広報活動がなかったため、例年に比べて非常に少ない参加者であるものの、カトマンズの走友たちはいつもの半分くらい顔を揃えている。

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走友たちは学習効果高い人たちなので、ハイドレーション装着率が高かった。

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ネパール人女性市民ランナーも、確実に増えています。

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姐さん、強そうです。

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これは、英軍ネパール部隊(グルカ連隊)およびお友だち軍団の皆さん。

デコボコだらけ、水たまりだらけの路面。交通規制されていない。しかも、平坦な場所が全然ないコース。上り坂、上り坂。ちょっと下って、また上り坂。

それでも、これがカトマンズのマラソンだ!

今年は参加者が極端に少なかったため、給水の紙コップは足りていた。普通の水なので、私は飲まずに頭や身体に浴びせて、水冷のために使わせてもらった。水はハイドレーションの、自前のスポーツドリンクをちゅーちゅー吸う。

今年はGPSをつけて走った。で、あれれ?

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ハーフだから21kmちょっとのはずなのに.....1km多い22km200mあった。タイムは2時間15分。写真を撮ったりして、のんびり走りすぎたかな。いや、このコースでは、今の私ではこれが精一杯。

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カトマンズのマラソン・ガールズ+大会委員長のニレンドラにいにい+ネパール伝説のランナーであるバイクンタ先生と記念写真。

にいにいは今年、ネパール・アマチュアアスリート協会の会長選挙で忙しく、マラソンの準備が全然出来なかったそう。運良く会長に当選したため、協会を総動員して、たった1週間で「えいやっ!」と準備して開催したそうだ。

「来年こそメガ大会にして、世界中からランナーを集めた素晴らしいイベントにするよ....って、オレ、毎年そう云ってるんだよね。進歩ないよなぁ。がははははは」

って、にいにい。いや、あなたは進歩してますよ。自分のいい加減さを(やっと)気負いなく認めて笑えてる訳だし、1週間で、曲がりなりにも大会やっちゃうし。しかも今年は参加者少なかったから、混乱もなかったし。5回目にして、主催者も、私たち参加者たちも成熟してきた感がある。

我々にとっては、どんなに最低でも、これしかない!貴重なカトマンズでのマラソン大会だ。だから毎年、結局走ってしまう訳だ。

来年6回大会は、2012年10月13日(土)。次は何が出てくるか?

エベレストとバンコクの狭間で

昨日は、とても悲しかった。

登山家・栗城さんの登山隊に同行し、エベレストベースキャンプ(BC)に滞在していた日本人カメラマンの方が、突然倒れて亡くなったとの一報が入った。今月からはじめたプロジェクトの仕事に出勤しようとしていたときで、急遽午前中は、ニュース業務となった。プロジェクトの抜けられないミーティングもあり、何とか間に合わせ、夜帰宅してからは、顔も洗う余裕なく朝まで気絶するように寝てしまった。

肉体的には何とかなる業務量なのに、何故そんなに疲れたのだろう?

思うに、フラッシュバックを起こした。精神的に辛かったのだと思う。


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私自身も今年春、昨日の出来事と同じ場所に1ヶ月半滞在した。山に入った期間は2ヶ月を超え、辛かった。元々山が大好きな私でさえ、凹んでしまった。

エベレスト登頂を目指す登頂隊も大変だが、BCに居残って「待つ」私の業務も、精神的に重かった。氷河の上のBCは、歩きづらい岩と氷に囲まれている。自分たちのキャンプは、バレーボールコート2つ分くらいの広さ。基本的には24時間、ここに閉じ込められる。

もちろん、近隣のキャンプに出向いて取材することもあったし、知り合いの隊を訪ねて、コーヒーを楽しむ時間もあった。しかし、人間関係が狭すぎて、しかも、我々と同様撮影隊を同行している隊がほとんどで、話題には常に気をつけなくてはならない。でも、顔色と眼で理解してくれる友人がいてくれた。

個人テントは一人にひとつだが、常に屈んでいないとならぬ低さと狭さ。息抜きの場所になるべきダイニングテントが、残念なことに貧弱て寒くて居心地悪かった。30分も座っていると、辛くなる。

しかも、私以外、全員男性。向こうも気を遣ってくれて大変だったと思うが、こちらも気が重かった。気軽にシャワーも浴びられない。という生活だから、テントに複数の人間がいられる時間にも限りがある。

私は、精神疲労で倒れてしまった。今回の出来事が起こったのと、ほぼ同じ場所。

私はまだ自分の足で歩けるうちに標高差1,000メートル下って休養し、3日後に戻ってきて乗り切れた。生きて下山することが出来た。「下ります。休ませてください」と自分から主張した。一晩酸素を吸わせてくれ、助けてくれた先輩たちもいた。


山から下りてきて3ヶ月以上たった今も。あの時のこと。助けてくれた人への感謝。そうでなかった残念な事に対する、恨めしい気持ち。立ち直れていない。

滞在するだけで消耗してしまう、5千メートルを超える標高を補うように、低地に行きたくて堪らない。今年の夏、仕事も兼ねて日本里帰りと、数日バンコクで過ごせたことは大変に有り難かった。

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バンコク、ジョガーの楽園。1周2.5kmのルンピニ公園。

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街の中心部にある、市民のオアシスだ。

バンコクの走友たちとの朝練に。毎日夜明け前に行く。時間あるときは、夕方もゆっくり走る。ルンピニに帰ってこられた喜びが、背筋から全身に広がる。


戦場や災害地で取材するジャーナリストのトラウマについては、業界でも広く認識されている。でも、そんな場所じゃなくても、心に澱が堪ってしまうことがあること。日本に帰れば、安定した快適がある人たちとは、共有できないんだろうな。

大丈夫。これまでも、乗り越えてきた。数ヶ月とか、数年かかるけれど。

今の私には、ランニングという「神さま」がついているから、大丈夫だ。

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亡くなられた方のご冥福を祈ります。心から、自分のこととして、あなたのことを想っています。

同時に、今回は特に大きな仕切りを抱えてエベレストに挑戦している栗城さん。押しつぶされそうな今だと想います。遠くからですが、応援しています。皆さんのご無事を、祈っています。

甘美な15歳か、パンチパーマか?

ネパールでは、マオ派のバッタライ氏が新首相に選出された。留守番中の亭主は、ニュース業務に忙しいんだろうな。申し訳なし。


さて、パナットニコムなるタイの田舎町。ここで日曜日のレースがあるよ。行かない?と、声がかかったのは金曜日。スーパーミニということで、13kmと云うことなのだが、一方サイアム・ランニング誌には、ハーフマラソンと載っていたらしい。行ってみるまで、実態は分からず。レース登録も当日(大規模レース以外では、タイで一般的)スタート前で大丈夫。

緩いと云えば緩いが、それでレースが成立してしまうところが、ランナーも主催者も偉いと思う。

ほとんどタイ語しか通じない受付では、年齢を聞かれる。男性は5歳刻み。女性は10歳刻みで、年代別表彰があるためだ。

受付のタイ人おじさん 「タオラーイ(何歳ですか)?」
私 「フィフティ(50)」
受付 「?!、タオラーイ?」 
私 「フィフティ(50)」
受付 「!???!!!!」 
私 「へっ?ふふふっ、私は50歳には見えないのだな。ふふふふふ」

困惑満面のおじさんが、紙切れに数字を書いた。

15(フィフティーン)

だ・か・ら、フィフティ!50!!と書いたら、安心したように受け付けてもらえた。参加費200バーツ(邦貨500円強)也。参加賞は、Tシャツ。

ちなみに、私は今年12月に満50歳を迎えるが、タイの年齢カウントでは、今年の元旦から50歳と云う事で大丈夫なのだ。これ、今年1月のコンケーン賞金レース表彰など、各方面で確認済み。


朝6時スタートと云うことだが、数分早く、突然「ぷぉ〜ん」とホーンが鳴り響きレース開始。コースは最初、通行規制した幹線道路。そして、のどかなタイの田園地帯を巡る道に入っていく。所々水たまりはあるが、田舎道であるもののきちんと舗装されていて走りやすい。2km過ぎからは、高度はごくごく微妙に下り気味となり、快調に飛ばせる。が、今日は「ゆっくり入って、後半ビルトアップ。最後はスパート」と決めていた。1kmあたり5分50秒のラップで刻んでいった。小型GPSを腕につけていたので、管理しやすい。日差しは柔らかだが、蒸し暑い。無理は禁物だ。ハーフより短い短距離レースは苦手だし、入賞なんて出来るはずないから。と、併走するタイ人の皆さんと、カタコトタイ語会話なんかしながらのんびり走った。

前方、白いシャツと黒っぽいショートパンツ。白いキャップがさわやかで、どう見ても20台か、30なったばかりという、若々しさにあふれた女性ランナーがいた。「わー、素敵だな」と、追い抜きつつ、ついお顔を拝見。

どひゃ〜っ!ほうれい線深い、典型的タイ人おばちゃんだ。私と同じ50-59カテゴリのゼッケンをつけていた。

後半に入ってすぐ、今度は後ろ姿で分かる、西原理恵子の漫画に出てきそうな、典型的パンチパーマのおばちゃんを追い抜く。「タオライ(何歳)?」と声がかかったので、「ハーシップ(50)」と答えると、頑張って早く行きなさい。入賞できるよ!と云われた。が、ここで調子に乗ったら後が怖い。多分、年代別で10番前後(女性は7位まで表彰)なのだと思っていた。ひたすら、1kmあたり5分50秒で、我慢する。それでも何人も、男女を追い抜く。

GPSで9kmを指したところで、10kmの表示が出た。回りも、残り3km!と騒いでいる。よーし、では。と、
1kmあたり5分40秒と、キロあたり10秒ラップをあげてみる。レースの公式距離表示が1km短いから、GPSで12kmがゴールなんだろう......と思ったら、12kmちょっと手前で、距離表示 12km!が出たっ。

おいおい。

幸い余裕があったので、あと3秒ほどペースアップ。

スタート直後と同じ幹線道路に飛び出し、よし、もう少し行って左折したらゴールだ!というところで、少し前にピンクのレースウェアを着たパンチパーマのおばちゃんが走っていた。これは、もしかすると、同年代?と、俄然スパートして追い抜き、ぶっちぎり。

計測係員が「2番」と叫んでいる。ゴールしたとたん、首に「2」の札をかけてくれた。

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思いもよらず、年代別2位。焼き物の、ずっしり重くて大きなトロフィーで表彰いただいた。ゴール前で抜いたおばちゃんは、予想通り同年代の3位。 

よく分かりました。

タイにおける私のライバルの見分け方は、パンチパーマでございます。サイバラ画伯のマンガから抜け出してきたようなおばちゃんたちが、多数、結構なスピードで走っているタイ市民ランナー界というのは、非常に奥が深そうである。

不思議なのは、タイの40代の女性ランナーには、パンチパーマがいないと云う事。 う〜む。 と、考え込みつつ

つづく.....

バンコク潜伏中

怒濤の日本を何とか完了し、バンコクまで来ている。

3週間東京で仕事をした後、実家に戻って、ここ10年以上なかったのでは?という感じで倒れてしまった。絵に描いたような、過労。いやはや、長年、ネパールで楽をさせてもらっていたからだ。日本の忙しさには、ついて行けない。

いや。日本の中で、ネパールという社会のコアなごく一部に、深く深く絶望してしまったせいかもしれない。通じない人たちには、何をしても通じないものがある。両方の文化に属していて、両方の言語が理解できるという立場は、結局、どっちにも属していないと云う事。絶望的に孤独でしかない。

そして、これからも、この立ち位置で生きていく自分。

誠心誠意取り組むという美徳は忘れず。しかし、どうしようもない部分は抱え込まない。誰になんと言われても、自分に棘をつけてでも、守るべきものがある。そんなことを感じた。

社会的な生き物として、戦死してはいけない。ね。

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さて、私のバンコク滞在お約束。サバーイ(タイ語で楽ちんの意)ランニングである。毎朝夜明け前から、ルンピニ公園を仲間たちと走っている。

しかし今回、昨日土曜日。バンコクでお世話になっているランニング・クラブの「ガチ系」練習会に参加して、砕けた。暑くなる前、早朝の、タイ国立競技場。公式陸上トラックである。ここでの、ヤッソ800。アメリカのヤッソさんという人が考案した、鬼のようなインターバル・トレーニング法である。このインターバルというのは、陸上競技者の方たちなら、当然取り組むべき課題だろう。競技者なら。

しかし、ワレは、市民ランナー。しかもオバサンやし。スピード練習なんて、やったことないわ。

でも、やってみよ.....

結果、惨敗。ここまで走れない自分と向き合うのは、はじめてだった。ある面、ヒマラヤでの耐久レースよりきつかった。(自分の走力なりの)スピードで引っ張れるような心肺でないこと。泣きたいほどに理解できた。

ホテルに帰って、シャワー浴びてふて寝して。で、気分転換にスクムビットにネイルしてもらいに行って。ぼろぼろだった手と足を、キレイキレイにしてもらって。タニヤで日本食食べて、早く寝た。なぜって?

日曜は午前4時に仲間と待ち合わせて、バンコクから2時間の場所のレースに行くから!つくづく、懲りないオバサンである。困ったものだ。


行った先は、Phanat Nikhomというところ。日本企業の拠点となっているシラチャー方面の内陸部。バンコクのランニング・クラブに入れてもらっていなければ、一生絶対行くことのない場所であっただろう。走友の皆さんに、感謝!である。

つづく....
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