aamall

2021年03月23日

さわやか自然百景

NHK「ダーウィンが来た」で今も使われている「天敵」という用語.もういい加減にやめてほしいものです.
 10年以上前に書いた記事ですが,ここに転載しておきます.

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June 26, 2010
さわやか自然百景 (2)

 NHKの「さわやか自然百景」という番組がある.ネイチャーもの,というのだろうか.放映の時間やチャンネルを知らないけれど,偶然に遭遇するとつい見入ってしまうことが結構ある.
 今朝もそのパターンで,川魚やエビの映像につられて見てしまった.水俣川の生物とか不知火海の藻場が紹介されていた.その中でナレーションが「捕食者」という言葉を使った.これは大ニュースである.

 捕食者とは,生態学の用語である.
 食物連鎖,つまり「食う - 食われる」の関係を扱うとき,「食う」ほうを捕食者(predator),「食われる」ほうを被食者(prey)という.生物学では基本的な概念の1つであり,特に難しい意味付けもないのだけれど,日本語で日常的に使用される語ではない.そのせいか,テレビ番組などでは従来使われて来なかった.
 つまり「捕食者」ではなくて,「天敵」という語がしばしば使われてきた.天敵(natural enemy)の正確な意味を知らないが,害虫や害獣を駆除するために利用される動物,というような意味合いの言葉だろう.「ハブの天敵マングース」などという言い方もされることから,「あいつはオレの天敵だ」などと言う表現も発明された.この場合は「苦手な相手」という程度の意味だろうか.

 マングースはともかく,「天敵」には害虫害獣を退治するものというニュアンスがある.つまり純然たる生物学の用語というよりは,人間中心の価値観を内包する語である.具体的には捕食者だけでなく寄生者(寄生生物,parasite)をさすことも多い.たとえばトビコバチ類は農業や園芸関係では重要な天敵生物である.
 じつは寄生蜂(トビコバチなど)や寄生蠅は厳密には寄生者ではなく,捕食寄生者(parasitoid)という.が,話が面倒になるので,深入りしないことにしよう.

 とにかく,「捕食者」と「天敵」とは意味内容が少しズレている.「捕食者」は一般になじみの薄い語であり,多分それに対する抵抗感から,NHKは「天敵」という語を使うようになったのだろう.悪く言えば放送局が言葉の本来の意味をねじ曲げて使用し,一般に広めてしまった誤用である.「公害」がマスコミを賑わし,「生態学」や「食物連鎖」が耳新しい分野であった時代ならともかく,生物の生活に対する人々の興味や知識が大きく拡大してきた現在,いまだ「天敵」の語を使用することに,あまり価値があるとも思えない.「天敵」という語の使用は本来の用法に限定し,本来の用語である「捕食者」を使うようにした方がよいと思う.

 そもそも学術用語は,難しすぎたり不合理に見えるものもあるが,別の言葉を発明したり恣意的に転用したりなどということは,本来あってはならないことである.仮にプロの研究者がそういう事をしたら,大きな批判を受けるだろう.もちろん非プロないし一般人なら批判を受けることもないし,仮に批判されてもどうってことはない.しかしマスコミはどうだろう? 非プロだからといって言葉を恣意的に使い流布させて良いのだろうか? 私はおおいに疑問に思う.

 同じ趣旨のことを,かなり以前に書いたことがある.
http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/200712280000/
その時は「天敵」のほかに「受精卵」という語も問題にした.「受精卵」(fertilized egg)はマスコミでは,しばしば「胚」(embryo)と同義に用いられる.こちらの方も,そろそろ再考すべき時期だと思う.

 水俣川でカワムツを狙っているのも,不知火海の藻場にいるのも,「天敵」ではなくて「捕食者」である.その方が正しいし,それで何の問題もない.すっきりしたナレーションを聞いて,番組のタイトル通り「さわやか」な気分になった.


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2020年10月23日

埋蔵文化財センター

 埋蔵文化財センターによる現地説明会が開かれました.

 新堀川護岸_現説チラシ

 Sさんは次のように述べている.

「おどろきの発見」
~江戸時代の階段状護岸が~
10月17日の午前と午後、発掘現場(横堀公園)で説明会が開催、多くの市民が小雨のなか参加された。
まず説明会を資料をみる。
根元にコンクリートがある写真(8月末撮影)があって一見、期待できそうになかった。
けれど実際は違っていた。
そのコンクリートを破砕したところ、根石の下に太い丸太や角材‘2本の胴木が。建築用材が根石の下に敷かれていたのだ。
材木を扱う豪商の木屋、太っぱらだ。
そして亀甲づみ護岸の奥、少し後方に野面づみ(乱づみ)が発見され元々の土手も確認された。

 (以下略)




uradowan at 19:29|PermalinkComments(0)

2019年06月29日

Facebook における新堀川

 Facebook が流行している.
 ブログ等に比べ,気軽に発言できるのが良い.ただし私は Facebook のシステムに問題なしとは思っていない.それはさて措き...

 新堀川に蓋をして道路にしよう,という高知県や高知市の計画に疑問を持ち,新堀川を大切にしたいという趣旨のグループがある.その1つが「新堀川」だ.
https://www.facebook.com/groups/1672184623072050/

 最近のスレッドには,川の開けた水面は,都市化によるヒートアイランド現象の緩和に役立つ.水辺環境を楽しめる街に,というような意見が書き込まれている.

 新堀川の行方に関心をもつ,もう1つのページは「新堀川を考える新堀小ob・og有志の会」だ.
https://www.facebook.com/shinboriobog/photos/a.2078675675752026/2425104471109143/?type=3&theater

 こちらの最近のスレッドでは,学習会「高知城下は水の都だった!?〜江戸期から残る唯一の運河新堀川〜」という会の紹介記事がある.そもそも高知市は掛川(今は静岡県,かな?)から配属された山内一豊が,水運による商業都市を創ろうと,2つの川に挟まれた湿地帯に目をつけ,そこに城を築き,近畿から商人を呼び寄せて作った町だ.商都大阪のような町を念頭に置いての街づくりだったのだろう.

 私はこの学習会に出席しなかったけれど,興味深い物語が語られたのでないかと想像する.


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2019年04月04日

新堀川に和船

 いま新堀川ふきんは桜が満開.以下は某氏からの情報です.

> 新堀川に和船が浮かびました。石垣によく似合います。
> 色々な船で、石垣をバックに写真を撮る人も


 雰囲気の良い,快適な岸辺環境ができています.この川を暗渠にしないで,アメニティ空間として市民が楽しめるような,そういうまちづくりを期待しています.

DSCN5830

uradowan at 18:43|PermalinkComments(0)

2018年04月05日

人工干潟は信頼できない

 新堀川にフタをして道路にする計画は,批判が大きかったせいか,少し変更された.この新しい案では川の西側にある道路を拡幅し,同時に川の位置を少し東にズラす.これで川の自然は守れるというのが高知県土木部の主張らしいけれど,私はやはり問題があると思う.

 そこで,次のような趣旨の意見を「高知新聞」に投書してみた.

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 新堀川と周辺の整備については,今ある自然をできるだけ残して行くことを基本に考えて頂きたい.提示されている案から選ぶなら,第3案「現状のまま」を支持する.

 他の案で特に目につくのは「干潟の造成」である.このような「干潟」ではシオマネキほか,いま当該地に生息している生物相が存続する可能性は非常に低い.水の生物を多少とも扱った経験のある人なら,この計画が生物の保護に結びつかないことは容易に理解されるはずだ.

 そもそも新堀川の干潟は川の流れの変化,水の停滞などの条件により自然にできたものである.人工干潟を造っても,その後の水の流れによって,その干潟が生物に提供する諸条件は変わって行く.たとえば干潟を構成する泥土の性状(粒子径や成分)も変わる.
 シオマネキが摂食している珪藻類についても,水が運んで来る藻類の種類や量は,カニなどの生物にとっての干潟環境を作る大きな要員である.計画されている人工干潟では,そのような要因が考慮された痕跡がない.

 したがって,今の計画第1,2案で提示されている人工干潟は,シオマネキの保護に結びつかない.いま自然にある良好な環境を捨てて,わざわざ粗悪な環境を造ることになる.シオマネキ保護計画というよりはむしろ,シオマネキ駆除計画である.よって第1,2案には強く反対します.
 新堀川周辺の景観やアメニティについては,もっと別の観点から計画を練っていただきたい.とりあえず「まず道路ありき」でそればかりが先行し,自然保護をこれほど無視した計画には反対するしかない..


uradowan at 17:56|PermalinkComments(2)

2016年10月18日

新堀川を守れ: 高橋先生の記事

 神戸大学の高橋昌明という先生が,高知市の新堀川について投書されている.高知新聞2010年8月6日の記事だ.

 新堀川に蓋をして道路にする,という計画について,やや批判的に述べられている.鋭いご指摘である.文字に書き起こしたいところだけれど,とりあえず記事の画像を掲載しておく.まあ読んでみてください.

新堀 高橋


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2015年06月13日

半ペンスの橋

 アイルランドの首都ダブリンを流れるリフェイ川.遠い昔ここを訪れたとき,わが高知市の新堀川に似ていると思った.さほど広くない川幅.汚れた感じの川水.ゴミゴミした感じの周囲の建物.など.

 写真はリフェイ川にかかる有名な橋 The Half-Penny Bridge(半ペンスの橋).名前の通り,いかにも安っぽい.金属製の欄干その他の装飾がアールヌーボー風で,これが造られた時代の空気を感じることができる.

half-penny bridge

 その後ダブリンは公共交通を整備して大躍進を遂げた.ネットで見る限り,リフェイ川も健全で,かの Half-Penny Bridge は観光客でにぎわっているらしい.

 一方,わが新堀川のほうも川が次第にきれいになって,アカメやシオマネキや天然ウナギなどが見られるようになった.と思ったのも束の間,川面がコンクリートで覆われて,道路になってしまった.

 新堀は私の実家にも近く,高校時代よく新堀のほとりを彷徨した.京都の「哲学の道」ではないが,歩きながら色々なことを感じ考えた.思い出多い場所だっただけに残念でならない.

 昔,徳川家から土佐一国を与えられた山内一豊公は,水上交通を念頭に置いた城下町づくりを考えた.そのため選んだ場所が川中(こうち)という場所.名前の通り2つの川に挟まれた土地で,船での交易に好都合だった.それが今の高知市だ.

 新堀川には歴史と自然があった.地方都市の個性があった.それをコンクリートで覆ってしまったのは,宝物をわざわざ捨て去るような行為だったと思う.

 写真は Half-Penny Bridge.私が撮影したのでなく,絵ハガキの写真です.

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2014年10月18日

新堀川を残そう

 高知市は,高知城を起点として東に向けて商店街や日曜市などの,いわば町の中心がある.東に行くほど,より「庶民的」な雰囲気となる.土佐一国を与えられた山内一豊は,そういう町づくりを行った.商店街の東端近くに位置する「はりまや橋」かいわいでは,京都や大阪から運ばれて来たちょっとハイカラな品々が売られていただろう.そのさらに東側の新堀〜菜園場かいわいでは,新鮮な野菜や海産物の集積場であったかもしれない.

 こうした商品の運搬を十分に意識して,城下町には水路が張り巡らされていた.特に「はりまや橋」より東側の水路は海に近く,船による食料や商品の搬入に,また土佐木材の搬出に,とびきり重要な役割を果たしていたと想像される.水路はまた南国高知の暑い夏に「涼」をもたらした.

 その水路の1つである新堀川を,いま高知県はコンクリートで覆って道路にしようと画策している.そのための「環境アセスメント」の報告書が出されている.いま新堀川で見られる程度の自然は,ちょいと光が当たる場所を作ってやればすぐ元に回復すると言わんばかりの報告書だ.

 これについて私は某地方新聞に投書したのだけれど,どうやら不採択になってしまったらしい.この投書を以下に転載する.

(以下転載)
       新堀川.調査結果の解釈は慎重に

 新堀川の道路拡幅計画には,自然保護の立場からの反対論がある(本紙9月10日夕刊).これに配慮してか,県は川を覆う駐車場の一部を撤去した地点の環境調査結果をホームページに掲載している.

 それによると,この撤去部分では,化学環境は日の当たらない駐車場下と似ているが,クロロフィル分析が示す底生微細藻類は横堀公園西と似ていて,「明環境に近い干潟生態系が形成されつつある」とのこと.

 横堀公園西側のシオマネキ生息地では,土の表面が黄土色に見える.これが珪藻や緑藻などの「底生微細藻類」だ.土の深部に侵入せず,小さな撹乱で容易に水中に浮遊分散する.それを潮の干満が起こす水流が運ぶ.そして満潮時,水の流れが停止すると,藻類は土の表面に降り積もる.これが駐車場下の暗闇でクロロフィルが検出された理由だろう.

 また駐車場撤去部分は横堀公園西という安定した生物供給源とほぼ隣接している.調査結果が示しているのは,その供給源からの生物の移動や一時定着であり,「生態系が形成されつつある」と見えたものも,この供給源が消えれば幻のように消える可能性がある.調査結果を楽観的に解釈してはいけない.
(転載おわり)

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2014年09月14日

朝日「誤報」問題は秘密保護法施行への「露払い」だ

 いや,感動しました.

 そのまま転載します.私の言葉を付け加えたら,文章の格調高さを損なってしまう.
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2014/09/post-08e2.html


(以下転載)
2014年9月13日 (土)
朝日新聞「誤報」事件  秘密保護法の生け贄

朝日新聞の「誤報」に対するバッシングは、戦後、言論機関(朝日新聞がそう呼ぶに値するかどうかは別として)に対するものとして、かつて例をみない特異な事件に発展した。

沖縄密約を暴いた西山太一記者は女性スキャンダルにすり替えられた人格破壊によって記者生命を絶たれた。
戦後初めての本格的な政権交代を成し遂げた小沢一郎は、事実無根の金銭スキャンダルによる人格破壊によって政治生命を絶たれた(ように見える)。
朝日新聞「誤報」事件も、人格破壊の域に達した。
そして、朝日新聞は、西山氏や小沢氏と異なり、人格破壊に屈して、頭を垂れた。


朝日新聞「誤報」事件は、確実に後世の歴史に残る。
「誤報」としてではなく、「暗黒の言論統制」の時代の幕開けとして、だ。

とりあえず何が対象にされたのかを確認しておくことに意味があるだろう。
「慰安婦」の「拉致」に関する吉田清治証言に関する「誤報」は、「軍」に対するものだ。
福島第一原発事故に関する吉田調書の「誤報」は、原発に対するもので「テロ」関連で軍事に通ずる。

吉田調書に関する誤報は、「命令違反」と「撤退」に関係する。
所員が、吉田所長の意図に反して福島第二原発へ移動したことを「命令違反」とするのか否か、それが「撤退」であったのか「待避」であったのか、いずれも表現の問題であり、価値評価に関わる問題だ。
事実関係の詰めに甘さがあったとしても、報道の現場では常に起こりうる問題だろう。

何より、これを問題にするのであれば、小沢一郎の金銭スキャンダルに関する執拗な報道は、「誤報」を超えて「捏造」だったと謝罪しなければならない。
TPPについて未だに農業・畜産業の関税の問題として報道し続けているメディアは全て誤報の山を築いている。
ウクライナ政権を正統政権として報道し続けているのも国民を欺く大誤報だ(革命政権であると主張するのであれば別だが、そのような評価は見たこともない)。

吉田清治証言に関わる「誤報」は30年、短く見ても20年前のものだ。
そうした遙か過去にさかのぼる報道も猛烈な批判の対象になる。
報道回数において朝日新聞が抜きん出ていたとしても、当時の国内メディアは大半が吉田証言を事実として報道していた。

吉田清治証言を除外しても、韓国の軍「慰安婦」を「強制連行」と呼ぶか、これも価値評価の問題だ。
物理的な強制力を使えば「拉致(略取)」である。
仕事の内容を秘匿し、偽って連れ去れば「誘拐」である。
いずれも立派な刑法犯だ。

自分の娘が、仕事の内容を偽った勧誘によって外国に渡らされ、性的労働に従事させられたことを想像すればわかるだろう。
この「誘拐」を「強制連行」と呼ぶか否か、これもまた価値評価の問題だ。
現に「誘拐」を「強制連行」と評価した裁判例も存在する。

その程度の問題であり、20年以上も過去のことであっても、ある日突然、猛烈なバッシングに晒されることを今回の事件は露わにした。
どこかでGOサインが出されれば、どのメディアが狙い打ちにされるかわからないことを言論に関わる全てのメディアに知らしめた。

なぜそうした「誤報」が起きたのか。
根本的な原因は、情報が「秘密」だからだ。
吉田調書はそれ自体が「秘密」である。
吉田清治証言に関わる「誤報」がまかり通ってしまったのは、戦前の軍部全体が秘密情報の山で、多くの歴史的な証拠資料がすでに廃棄されているからだろう。

とくに吉田調書問題を見ればわかりやすいだろうが、「秘密」とされなければ、「誤報」も起こらなかったのだ。
一連の聴取結果が、国民共有の財産として公開とされ、教訓をくみ取るべく活発な議論がなされれば、このような問題は起きなかったし、議論の対象や内容も自ずから違ったものとなったはずだ。

吉田調書について、朝日新聞自身が裏付け取材が不十分であったとしている。
そもそも「秘密情報」について、裏付け取材を十分に行うなどということが可能なのか。
十分な裏付け資料がなければ報道してはならないとすれば、今後、「秘密情報」に関わる報道はできなくなる。
事実上、「秘密情報」に関わる報道は存在しなくなるだろう。

12月には秘密保護法が施行される。
政府は、取材、報道の自由を侵害しないというが、今回の事件で、報道のハードルは一挙に上がった。
十分な裏付け取材もなく、報道すれば、即、刑事処分が待っている。
誤報の後の対応が重要だ等という話では断じてない。
そして、「秘密」について、十分な裏付け取材を行うのは不可能だ。
朝日新聞は、全言論界に、秘密保護法の威力を見せつけるための、生け贄とされたのだ。

メディアは、益々、政府公認情報しか流さなくなる。
われわれは、そうした時代に入る。
それを覚悟して朝日新聞「誤報」騒動を見る必要がある。

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朝日新聞に対しては、いい気味だという思いもある。
朝日新聞は、執拗に弁護士増員を主張し、これに反対する弁護士・弁護士会に対して、バッシングを行い、今の弁護士窮乏化政策を導いた張本人だ。
経済基盤を失った弁護士は、権力に対する批判勢力とはなり得ない。
弁護士がまともであれば、おそらく、朝日新聞バッシングに対しては、強い異議が出されただろう。
日弁連会長の抗議声明も出たかもしれない。
しかし、世論の勢いに負ける今の日弁連から、そんなものは出ない。
「日弁連は秘密保護法に反対」している、にも拘わらず、だ。

小沢一郎に対する朝日新聞のバッシングも異様であった。
バッシングに積極的に加担した朝日新聞が生け贄にされた。

ナチスの暴圧を対岸の火事と見過ごした、どこかの牧師の述懐が、現実となっている。
「茶色の朝」が訪れようとしている。
(転載おわり)

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2014年05月17日

クリームソーダシティも

 「美味しんぼ」で話題になったマンガ雑誌「ビッグコミック・スピリッツ」.いま販売されている24号の次は出ないことになったらしい.

 もう1つ,この24号を最後に突然終了した連載が「クリームソーダシティ」だ.今からいよいよ本番,という感じの場面で,いかにも不自然な終わり方だ.作者の長尾謙一郎氏が,次のようにコメントしているらしい.あるブログから転載します.

(以下転載)
長尾謙一郎コメント

この度、小学館「ビッグコミックスピリッツ」誌上にて連載を続けてまいりました『クリームソーダシティ』は、ある“権力からの勧告”を受け、本日発売のスピリッツ24号を最後に未完のままで終わることになりました。

まず、楽しみにしていた読者のみなさまに心からお詫び申しあげます。

前述の“権力の勧告”に関しまして、詳細は私からは申し上げられません。
担当者も最後の最後まで作品の為に抵抗してくれたのですが、結果としてこのような事になってしまいました。

一体、今作のどの部分がひっかかったのか、詳細は知らされておりません。

確かに『クリームソーダシティ』は、反倫理的で反道徳的な作品だという見方はあります。
ある意味『悪徳のすすめ』を扇動してるようにも見えます。
しかし、私個人としては、創造とは“数字”も”言語”も超越したいわゆる『善悪の彼岸』に立たざるをえないものだと考えております。
どんな反社会的な作品も、創造的で斬新なものは結果的に世界に対し平和的な効果を持っていると、私は考えております。
つまり、この事態を不当であり理不尽だと感じております。

近頃、『表現の自由』の『自由』の範囲が、狭くなり、日本という国が、きな臭くなってきてるような気がしています。
言論統制などという恐ろしい言葉も日常的に耳にするようになりました。
私に降りかかったこの事態が、あくまで私個人の問題であり、社会全体の問題ではないことを願います。

長尾謙一郎
(転載おわり)


 日本の未来に赤信号が点灯している.言論弾圧をするような社会に,明るい未来があると思えない.

 「そのような大げさな」という意見はあるだろう.しかし「言論弾圧をします」と言って言論弾圧をする人はいない.何だかだと理由をつける.なるほど理由は色々あるだろう.傾聴に値しないだけだ.理由は何とでもつけられる.わざわざ聴くまでもない.

 圧力をかけて出版物を人目に触れないようにさせるという行為が,「やってはならないこと」なのだという基本が守られてない.もはや日本は北朝鮮と比べられるほどの言論統制国家に堕落してしまった.こういう国にどういう未来が期待できるのだろう.

uradowan at 22:36|PermalinkComments(68)TrackBack(5)