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2016年10月18日

新堀川を守れ: 高橋先生の記事

 神戸大学の高橋昌明という先生が,高知市の新堀川について投書されている.高知新聞2010年8月6日の記事だ.

 新堀川に蓋をして道路にする,という計画について,やや批判的に述べられている.鋭いご指摘である.文字に書き起こしたいところだけれど,とりあえず記事の画像を掲載しておく.まあ読んでみてください.

新堀 高橋


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2015年06月13日

半ペンスの橋

 アイルランドの首都ダブリンを流れるリフェイ川.遠い昔ここを訪れたとき,わが高知市の新堀川に似ていると思った.さほど広くない川幅.汚れた感じの川水.ゴミゴミした感じの周囲の建物.など.

 写真はリフェイ川にかかる有名な橋 The Half-Penny Bridge(半ペンスの橋).名前の通り,いかにも安っぽい.金属製の欄干その他の装飾がアールヌーボー風で,これが造られた時代の空気を感じることができる.

half-penny bridge

 その後ダブリンは公共交通を整備して大躍進を遂げた.ネットで見る限り,リフェイ川も健全で,かの Half-Penny Bridge は観光客でにぎわっているらしい.

 一方,わが新堀川のほうも川が次第にきれいになって,アカメやシオマネキや天然ウナギなどが見られるようになった.と思ったのも束の間,川面がコンクリートで覆われて,道路になってしまった.

 新堀は私の実家にも近く,高校時代よく新堀のほとりを彷徨した.京都の「哲学の道」ではないが,歩きながら色々なことを感じ考えた.思い出多い場所だっただけに残念でならない.

 昔,徳川家から土佐一国を与えられた山内一豊公は,水上交通を念頭に置いた城下町づくりを考えた.そのため選んだ場所が川中(こうち)という場所.名前の通り2つの川に挟まれた土地で,船での交易に好都合だった.それが今の高知市だ.

 新堀川には歴史と自然があった.地方都市の個性があった.それをコンクリートで覆ってしまったのは,宝物をわざわざ捨て去るような行為だったと思う.

 写真は Half-Penny Bridge.私が撮影したのでなく,絵ハガキの写真です.

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2014年10月18日

新堀川を残そう

 高知市は,高知城を起点として東に向けて商店街や日曜市などの,いわば町の中心がある.東に行くほど,より「庶民的」な雰囲気となる.土佐一国を与えられた山内一豊は,そういう町づくりを行った.商店街の東端近くに位置する「はりまや橋」かいわいでは,京都や大阪から運ばれて来たちょっとハイカラな品々が売られていただろう.そのさらに東側の新堀〜菜園場かいわいでは,新鮮な野菜や海産物の集積場であったかもしれない.

 こうした商品の運搬を十分に意識して,城下町には水路が張り巡らされていた.特に「はりまや橋」より東側の水路は海に近く,船による食料や商品の搬入に,また土佐木材の搬出に,とびきり重要な役割を果たしていたと想像される.水路はまた南国高知の暑い夏に「涼」をもたらした.

 その水路の1つである新堀川を,いま高知県はコンクリートで覆って道路にしようと画策している.そのための「環境アセスメント」の報告書が出されている.いま新堀川で見られる程度の自然は,ちょいと光が当たる場所を作ってやればすぐ元に回復すると言わんばかりの報告書だ.

 これについて私は某地方新聞に投書したのだけれど,どうやら不採択になってしまったらしい.この投書を以下に転載する.

(以下転載)
       新堀川.調査結果の解釈は慎重に

 新堀川の道路拡幅計画には,自然保護の立場からの反対論がある(本紙9月10日夕刊).これに配慮してか,県は川を覆う駐車場の一部を撤去した地点の環境調査結果をホームページに掲載している.

 それによると,この撤去部分では,化学環境は日の当たらない駐車場下と似ているが,クロロフィル分析が示す底生微細藻類は横堀公園西と似ていて,「明環境に近い干潟生態系が形成されつつある」とのこと.

 横堀公園西側のシオマネキ生息地では,土の表面が黄土色に見える.これが珪藻や緑藻などの「底生微細藻類」だ.土の深部に侵入せず,小さな撹乱で容易に水中に浮遊分散する.それを潮の干満が起こす水流が運ぶ.そして満潮時,水の流れが停止すると,藻類は土の表面に降り積もる.これが駐車場下の暗闇でクロロフィルが検出された理由だろう.

 また駐車場撤去部分は横堀公園西という安定した生物供給源とほぼ隣接している.調査結果が示しているのは,その供給源からの生物の移動や一時定着であり,「生態系が形成されつつある」と見えたものも,この供給源が消えれば幻のように消える可能性がある.調査結果を楽観的に解釈してはいけない.
(転載おわり)

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2014年09月14日

朝日「誤報」問題は秘密保護法施行への「露払い」だ

 いや,感動しました.

 そのまま転載します.私の言葉を付け加えたら,文章の格調高さを損なってしまう.
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2014/09/post-08e2.html


(以下転載)
2014年9月13日 (土)
朝日新聞「誤報」事件  秘密保護法の生け贄

朝日新聞の「誤報」に対するバッシングは、戦後、言論機関(朝日新聞がそう呼ぶに値するかどうかは別として)に対するものとして、かつて例をみない特異な事件に発展した。

沖縄密約を暴いた西山太一記者は女性スキャンダルにすり替えられた人格破壊によって記者生命を絶たれた。
戦後初めての本格的な政権交代を成し遂げた小沢一郎は、事実無根の金銭スキャンダルによる人格破壊によって政治生命を絶たれた(ように見える)。
朝日新聞「誤報」事件も、人格破壊の域に達した。
そして、朝日新聞は、西山氏や小沢氏と異なり、人格破壊に屈して、頭を垂れた。


朝日新聞「誤報」事件は、確実に後世の歴史に残る。
「誤報」としてではなく、「暗黒の言論統制」の時代の幕開けとして、だ。

とりあえず何が対象にされたのかを確認しておくことに意味があるだろう。
「慰安婦」の「拉致」に関する吉田清治証言に関する「誤報」は、「軍」に対するものだ。
福島第一原発事故に関する吉田調書の「誤報」は、原発に対するもので「テロ」関連で軍事に通ずる。

吉田調書に関する誤報は、「命令違反」と「撤退」に関係する。
所員が、吉田所長の意図に反して福島第二原発へ移動したことを「命令違反」とするのか否か、それが「撤退」であったのか「待避」であったのか、いずれも表現の問題であり、価値評価に関わる問題だ。
事実関係の詰めに甘さがあったとしても、報道の現場では常に起こりうる問題だろう。

何より、これを問題にするのであれば、小沢一郎の金銭スキャンダルに関する執拗な報道は、「誤報」を超えて「捏造」だったと謝罪しなければならない。
TPPについて未だに農業・畜産業の関税の問題として報道し続けているメディアは全て誤報の山を築いている。
ウクライナ政権を正統政権として報道し続けているのも国民を欺く大誤報だ(革命政権であると主張するのであれば別だが、そのような評価は見たこともない)。

吉田清治証言に関わる「誤報」は30年、短く見ても20年前のものだ。
そうした遙か過去にさかのぼる報道も猛烈な批判の対象になる。
報道回数において朝日新聞が抜きん出ていたとしても、当時の国内メディアは大半が吉田証言を事実として報道していた。

吉田清治証言を除外しても、韓国の軍「慰安婦」を「強制連行」と呼ぶか、これも価値評価の問題だ。
物理的な強制力を使えば「拉致(略取)」である。
仕事の内容を秘匿し、偽って連れ去れば「誘拐」である。
いずれも立派な刑法犯だ。

自分の娘が、仕事の内容を偽った勧誘によって外国に渡らされ、性的労働に従事させられたことを想像すればわかるだろう。
この「誘拐」を「強制連行」と呼ぶか否か、これもまた価値評価の問題だ。
現に「誘拐」を「強制連行」と評価した裁判例も存在する。

その程度の問題であり、20年以上も過去のことであっても、ある日突然、猛烈なバッシングに晒されることを今回の事件は露わにした。
どこかでGOサインが出されれば、どのメディアが狙い打ちにされるかわからないことを言論に関わる全てのメディアに知らしめた。

なぜそうした「誤報」が起きたのか。
根本的な原因は、情報が「秘密」だからだ。
吉田調書はそれ自体が「秘密」である。
吉田清治証言に関わる「誤報」がまかり通ってしまったのは、戦前の軍部全体が秘密情報の山で、多くの歴史的な証拠資料がすでに廃棄されているからだろう。

とくに吉田調書問題を見ればわかりやすいだろうが、「秘密」とされなければ、「誤報」も起こらなかったのだ。
一連の聴取結果が、国民共有の財産として公開とされ、教訓をくみ取るべく活発な議論がなされれば、このような問題は起きなかったし、議論の対象や内容も自ずから違ったものとなったはずだ。

吉田調書について、朝日新聞自身が裏付け取材が不十分であったとしている。
そもそも「秘密情報」について、裏付け取材を十分に行うなどということが可能なのか。
十分な裏付け資料がなければ報道してはならないとすれば、今後、「秘密情報」に関わる報道はできなくなる。
事実上、「秘密情報」に関わる報道は存在しなくなるだろう。

12月には秘密保護法が施行される。
政府は、取材、報道の自由を侵害しないというが、今回の事件で、報道のハードルは一挙に上がった。
十分な裏付け取材もなく、報道すれば、即、刑事処分が待っている。
誤報の後の対応が重要だ等という話では断じてない。
そして、「秘密」について、十分な裏付け取材を行うのは不可能だ。
朝日新聞は、全言論界に、秘密保護法の威力を見せつけるための、生け贄とされたのだ。

メディアは、益々、政府公認情報しか流さなくなる。
われわれは、そうした時代に入る。
それを覚悟して朝日新聞「誤報」騒動を見る必要がある。

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朝日新聞に対しては、いい気味だという思いもある。
朝日新聞は、執拗に弁護士増員を主張し、これに反対する弁護士・弁護士会に対して、バッシングを行い、今の弁護士窮乏化政策を導いた張本人だ。
経済基盤を失った弁護士は、権力に対する批判勢力とはなり得ない。
弁護士がまともであれば、おそらく、朝日新聞バッシングに対しては、強い異議が出されただろう。
日弁連会長の抗議声明も出たかもしれない。
しかし、世論の勢いに負ける今の日弁連から、そんなものは出ない。
「日弁連は秘密保護法に反対」している、にも拘わらず、だ。

小沢一郎に対する朝日新聞のバッシングも異様であった。
バッシングに積極的に加担した朝日新聞が生け贄にされた。

ナチスの暴圧を対岸の火事と見過ごした、どこかの牧師の述懐が、現実となっている。
「茶色の朝」が訪れようとしている。
(転載おわり)

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2014年05月17日

クリームソーダシティも

 「美味しんぼ」で話題になったマンガ雑誌「ビッグコミック・スピリッツ」.いま販売されている24号の次は出ないことになったらしい.

 もう1つ,この24号を最後に突然終了した連載が「クリームソーダシティ」だ.今からいよいよ本番,という感じの場面で,いかにも不自然な終わり方だ.作者の長尾謙一郎氏が,次のようにコメントしているらしい.あるブログから転載します.

(以下転載)
長尾謙一郎コメント

この度、小学館「ビッグコミックスピリッツ」誌上にて連載を続けてまいりました『クリームソーダシティ』は、ある“権力からの勧告”を受け、本日発売のスピリッツ24号を最後に未完のままで終わることになりました。

まず、楽しみにしていた読者のみなさまに心からお詫び申しあげます。

前述の“権力の勧告”に関しまして、詳細は私からは申し上げられません。
担当者も最後の最後まで作品の為に抵抗してくれたのですが、結果としてこのような事になってしまいました。

一体、今作のどの部分がひっかかったのか、詳細は知らされておりません。

確かに『クリームソーダシティ』は、反倫理的で反道徳的な作品だという見方はあります。
ある意味『悪徳のすすめ』を扇動してるようにも見えます。
しかし、私個人としては、創造とは“数字”も”言語”も超越したいわゆる『善悪の彼岸』に立たざるをえないものだと考えております。
どんな反社会的な作品も、創造的で斬新なものは結果的に世界に対し平和的な効果を持っていると、私は考えております。
つまり、この事態を不当であり理不尽だと感じております。

近頃、『表現の自由』の『自由』の範囲が、狭くなり、日本という国が、きな臭くなってきてるような気がしています。
言論統制などという恐ろしい言葉も日常的に耳にするようになりました。
私に降りかかったこの事態が、あくまで私個人の問題であり、社会全体の問題ではないことを願います。

長尾謙一郎
(転載おわり)


 日本の未来に赤信号が点灯している.言論弾圧をするような社会に,明るい未来があると思えない.

 「そのような大げさな」という意見はあるだろう.しかし「言論弾圧をします」と言って言論弾圧をする人はいない.何だかだと理由をつける.なるほど理由は色々あるだろう.傾聴に値しないだけだ.理由は何とでもつけられる.わざわざ聴くまでもない.

 圧力をかけて出版物を人目に触れないようにさせるという行為が,「やってはならないこと」なのだという基本が守られてない.もはや日本は北朝鮮と比べられるほどの言論統制国家に堕落してしまった.こういう国にどういう未来が期待できるのだろう.

uradowan at 22:36|PermalinkComments(68)TrackBack(5)

言論弾圧

「しろくまブログ」
http://ameblo.jp/kumazake2010/entry-11852280335.html
から転載します.


(以下転載)
図書販売協会が美味しんぼを「店頭に置くな」と指示!!
テーマ:ブログ
2014-05-16 23:56:38
酷いな! 完全な言論弾圧だな。 こんなことがこれからどんどん増えて行くのだろうな。
何も言えない社会、政府に反する意見を言えばたちまち弾圧、身の危険をひしひしと
感じる冷たい暗いいつか来た道か…。



図書販売協会が美味しんぼを「店頭に置くな」と指示!!


ビッグコミック・スピリッツは、事実上の『閉架処置』で 『販売粛清』


【美味しんぼ】を掲載している話題の『ビッグコミック・スピリッツ』は、近所のスーパーマーケット『グルメシティ』の雑誌棚には無くて、既に売り切れかと思っていました。


今日、全国展開している『大手の書店』に行ってみたら『ビッグコミック』と『ビッグコミック・オリジナル』の最新号は棚に並べてありましたが、話題の『ビッグコミック・スピリッツ』は、ありませんでした。


さすがに話題になるだけあって、『売り切れ』かと「ガッカリ」したのですが、もしかすると、棚にある分は売れてしまったが、バックヤードには残っているか も?と思って、カウンターまで行って、『ビッグコミック・スピリッツ』は売り切れでしょうか?と尋ねた処、カウンターの後ろから、おもむろに取り出してき て買うことができました。



処が、ここからが肝心な所なのですが、その書店の店員さんが言うには、(所在地と書店名を原稿では書いていたのですが、その書店と店員さんに類が及ぶとい けないので、ブログUP前に固有名詞を『伏せ』ました;笑)「『ビッグコミック・スピリッツ』は、【美味しんぼ】の問題があるので、店頭での販売はしない ように、上からお達しがあって、お問い合わせのある方にだけ販売しております」 とのこと。


私が、上からというと『書店組合』か何かですか?と訊くと、店員さんは⇒「『書店組合』より、もっと上の協会か協議会からと聞いています」と。


私「○○書店(その書店の名前)だけで行われているのですか」⇒「おそらく、全国全ての書店で行われていると思います」


驚きました!政府の『指導』が有ったのかどうかは、この会話だけでは解りませんが、業界団体上げて、【美味しんぼ】の問題があるので、『ビッグコミック・スピリッツ』は、図書館で言えば『閉架処置』とするよう指導しており、末端でも実行されている訳です。


これは、もう『自粛処置』とは、到底言えません。


大きな圧力による『粛清』と言わなければなりません。


これだけ、大きな政治的圧力が言論の自由の『橋頭堡』でもある出版業界に掛けられていると云う事は、当ブログで「書店名」を明らかにすると、その書店や店員さんが弾圧される可能性もあるので、書店名を伏せましたが、これはフィクションではありません!


多くの方が、近所の書店で、このような事態を御確認頂きたいと思います。


そして、雁屋哲さんと花咲アキラさんにエールを送りましょう!


また、店頭の棚に置いてなくても諦めずに、店員さんや御勘定場で在庫が無いか確かめてみましょう!


内容を読んでみましたが、確かに「真に迫っています」




アマちゃんだ @tokaiama

「美味しんぼ」売り切れではなかった! 図書販売協会が「店頭に置くな、売るな!」と指示していたのだ ありえない言論弾圧!まさに狂人国家 http://blog.goo.ne.jp/junsky/e/cdf584843381e4430b3fbcba46670016
2014年5月16日 5:10 AM
ビッグコミック・スピリッツは、事実上の『閉架処置』で 『販売粛清』 - JUNSKY blog 2014
JUNSKY @junsky2010 から

2014年5月14日(水)  【美味しんぼ】を掲載している 話題の『ビッグコミック・スピリッツ』は、 近所のスーパーマーケット『グルメシティ』の雑誌棚には無くて、 既に売り切れかと思っていました。  今日、全国展開している『大手の書店』に行ってみたら『ビッグコミック』と 『ビ...

(転載おわり)

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2014年04月20日

負けるな土佐電鉄

 高知市内を走る路面電車の横腹にメッセージを書いた土佐電鉄(土電)の「憲法9条号」.それを今年は実施しないということが問題になっている.

(以下転載)
土電に抗議と応援を

〇昨年、「憲法9条号」を走らせ、全国から大きな反響をいただいた。
 県労連、県原水協、県憲法会議の3者で取り組んだもの。
 「さすが自由民権の地の高知だ」「うちでも走らせたい」「勇気がわいた」…。
 これは、平和運動センターなどの「平和憲法号」と対を成すもので、平和を守る共同の取り組みの一環だった。
 
〇ところがである。今年も取り組むべく3月後半に土佐電気鉄道(土電)に電話連絡を入れると、「今年は引き受けかねます。実は昨年からいろいろと意見が寄せられていまして」と営業担当者が口を濁す。

 「ハイそうですかとはいかない。苦情何件、激励何件というようなデータを示してほしい」「文言も“守ろう憲法9条 世界の宝”というごく当たり前のこと」「いつどういう機関でどういう理由で決定したのか役員の口からじかに説明をしてほしい」と申し入れた。

 これを受けて、4月8日に3者の代表が土電に出向き、取締役3人から説明を受けた。
 「昨年の7月ごろからメール等で意見が多く寄せられるようになった。これは政治問題化したなと言う判断であったが、昨年は最後まで頑張った」「反対何件、賛成何件と言うような集計はしていない。意見が寄せられるようになったことで公共交通機関としての中立性が損なわれたという認識だ」「何時の役員会で決定したということではなく、打ち合わせの中でそうなった」。

 こちらが「昨年以前も意見はあったのではないか」と質すと、「確かにあった。しかし、昨年ほど多くはなかった」「その時は、おっしゃる通り憲法は偏ったものではなく国の基本。守るのは当たり前のことと答えていた」と。
 「意見があったとしてもそのように答えれば済むことではないか」「特定の団体から意見とか圧力があったのか」と質すと3人が一斉に「それはありません」と大慌て。

 「それなら尚更、きちんと従来の説明を丁寧にすれば済むことではないか。非社会的勢力との関係でトップの交代があったばかり。こういう時だからこそ特定団体からの圧力を疑われることのないよう、全てを明らかにし、こういう姿勢で土電としては広告を受けていると胸を張って説明すべき。それでこそ土電は変わったと県民が納得するのではないか」「“はだしのゲン”の問題もある。特定の団体や個人からの圧力に屈していては、社会が右へ右へと行ってしまう。こちらは何ら変わっていないのに、社会が右に行ったためにあたかも左に偏ったように思われてしまう。

 これを許せば、社会がおかしな方向に行ってしまう」「憲法を守るというのは、特定の政治課題とは違う。私たちも特定の政治課題を公共交通機関を通じてアピールすることは慎重でなければならないと考えている。しかし、憲法は国の基本であり、不偏不党の公務員も憲法を守ると宣誓して公務員になる」「意見があったから中立性が保てない。政治問題化したという考え方は受け入れられない。憲法順守は偏った主張ではない」と反論した。

 3人の取締役は「言われることはごもっとも。ここは、容赦願いたいと頭を下げる以外にない」と泣き落とし。
 「益々、特定団体の圧力を感じる。到底納得できない」と物別れになった。
 平和運動センター側には、某政党の議員を通じて断りを入れており、今のところ会う予定はないとのことであった。

 この問題でも平和運動センター側とも緊密に連携を取っており、民主主義を守るためにも世論を喚起して土電側に態度変更を迫りたい。
 「戦争放棄を定めた憲法9条を持つ日本国民がノーベル平和賞の候補になった」と言うニュース。土電の役員は、このニュースをどう受け止めるのだろうか。
 また、候補になった国民として、同じ国民の一人一人である土電の役員を粘り強く説得し、励ましもしたい。

〇土電のHPは次の通り。
http://www.tosaden.co.jp/mail/
電話、FAX、メールで抗議と「激励」のメッセージを集中してください。
Tel.088-833-7111 Fax.088-833-7150
https://www.facebook.com/tomomitsu.taguchi.3/posts/474801182654019?stream_ref=1

(転載おわり)

http://mainichi.jp/feature/news/20140416k0000m040182000c.html

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2014年04月13日

論文の「取り下げ」について

 今回もブログ「高知に自然史博物館を」からの転載です.

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 小保方博士の論文騒動に関し,すでに発表された論文の「取り下げ」は「不思議な行為」だと前回書いた.間違いが判明したら素直に「取り下げ」るのが社会常識であるが,この常識は科学論文には当てはまらない.このことについて少し書いてみたい.

 科学上の発見には,重要な事実を誰が発見したのかをめぐり,深刻なトラブルが起こることがある.その1つの典型例が生物の「新種」の発見である.たとえば生物の1新種が,2人の学者によって相次いで発表されたとする.両者が同一種であることが判明したら,2人のどちらが提唱する学名を採用すべきか,という問題が生じる.これを解決する1つの原則が「先取権」(priority)である.つまり,より先に発表された学名が採用される.

 この原則が成り立つためには,新種を発表した日付けが明確でなくてはならない.従って分類学には,1つの暗黙のルールがある.すなわち,1つの新種の発表は1回しか行ってはならない,というルールだ.ある新種を学会で発表し,次に学術誌Aで発表し,さらに学術誌Bでも発表したら,発表の日付けが3つできてしまう.どれが本当の「発表」なのかによって,競争相手よりも早かったか遅かったかの判定が違ってくる,という可能性が生じる.こういうトラブルを避けるため,新種発表は1種につき1回きりにしようというルールだ.違反しても罰則のようなものはないが,分類学の基本ルールを知らない半人前という評価は免れないだろう.

 これと関連して,「学名の訂正はできない」というルールもあって,これは命名規約にも書かれている.学名を訂正したら,最初の発表と訂正論文とのどちらが本当の「新種発表」なのかで,トラブルの原因になりうるからである.遠い昔のこと,「ペルーの木」は熱病に効くとして,その利用を熱心に推進したチンチョン伯爵夫人(Countess Chinchon)という人がいた.その木は現在はキナノキと呼ばれる.言うまでもなくマラリアの特効薬キニーネの原料である.キナノキの学名はCinchona officianalis である.チンチョン伯爵夫人を顕彰する趣旨の命名であったが,命名者のリンネはつづりを間違えてしまった.明らかな間違いであるから訂正すれば良さそうなものだけど,それは規約上できない.

 何と不合理な,と思う人が多いだろう.生物学者の中でも分類学者は,特に頭の固い,融通のきかない人種だと思われている.しかし,「固さ」には理由がある.すべては先取権の原則を有効にするため,トラブルを避けるためのルールである.間違いに気付いたら訂正すれば良い,などという融通を「きかさない」ことが肝要なのだ.大学で生物学を学んだ人であっても,こういう原則を知る人は少数である.しかし新種を発表したことのある人には常識だ.

 別の角度から考えてみよう.
 科学の専門誌において,「正誤表」というものを,私は見たことがない.仮に正誤表があったとしたら,どういう事が起こるだろうか.専門誌を読む人は,全体を読むわけではない.自分の研究と関係する特定の論文(Aとしよう)を読むだけだ.その箇所をコピーしたりダウンロードして読む.そして必要なら自分が書く論文(Bとしよう)に引用する.

 その引用元の論文Aに間違いが見つかったとする.そして編集者が,雑誌の次の号に正誤表を掲載したとする.この正誤表は,よほど大規模に宣伝しない限り,論文を引用した人は気付かないだろう.仮に気付いたとしたらどうなるか? この人はひょっとしたら,自分が書く論文Bの主要な骨組みに,その間違い論文を組み入れているかもしれない.ところが元の論文Aは正誤表によって「間違い」であったと宣言された.では,この人はどうすれば良いのだろう.論文Bをまだ執筆中なら何とかなる.すでに印刷されていたら,今度はこの人が「正誤表」を出すのだろうか?

 小保方論文は理研の偉い先生方によって「取り下げ」られた.ことは正誤表どころの騒ぎではない.起こりうる連鎖反応の大きさ,この行為が他の研究者に与える混乱は,あまりに大きい.

 であるから,すでに発表してしまったものを,取り下げるようなことをしてはいけない.わざわざ著者が取り下げなくても,間違いがあればそれは,やがて衆人の知ることとなる.科学とはそういうものである.

 間違いに気付けば率直に訂正すれば良いという常識は,科学論文に関しては通用しない.そのような事をお気軽にされたら,科学そのものが成り立たなくなってしまう.大切なことは間違いを発表してしまわないよう,出版に至るまでのプロセスで著者自身が,著者全員が,最善を尽くすことである.

 いまマスコミが喧伝しているような「管理の強化」だとか「研究機関としてのチェック機能」などは論外.この人たちはどこまで的外れな議論を重ねるのだろう.

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2014年03月24日

STAP細胞

March 16, 2014
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STAP細胞

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 ブログ「高知に自然史博物館を」から転載します.3月16日の記事です.

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 「STAP細胞」として有名になった論文に問題があった,と報道されている.著者らは論文を「取り下げる」のだという.事ここに至って,ちょいと「やり過ぎ」ではないかという印象を強く持った.

 ネイチャー論文の1つの問題点は,掲載されている写真が3年前の博士論文(小保方,2011)に使われている写真と酷似していること,朝日新聞(3月13日)によると,博士論文は「動物の体内から万能性のある幹細胞を見つけだす内容」であって,「STAP細胞に関する論文ではない」.ただし,この記事が問題にしているのは別件(下記)であって,写真には触れてない.

 無理を承知であえて小保方博士の肩をもつならば,同じ写真を何度も使うことは,あまり勧められたことではないけれど,それほど悪いこととも思えない.異なる脈絡で再使用されたのなら,なおさら問題は少ない.あまり勧められない理由は,画像の「著作権」の問題が起こりうるからだ.今回の場合それは起こりえない.写真について問題にすべきは,写真の再使用の可否ではなく,ネイチャー論文中の写真の説明文に嘘が含まれているかどうか,という点だ.嘘が含まれているのなら弁明の余地はない.

 これとは別の写真,すなわち電気泳動の写真に明らかなコピペの痕跡があることも指摘されている.これはルール違反である.弁護すべきでないと思うけれど,ネイチャーは審査が非常に厳しい雑誌である.想像であるが小保方博士は,業績を上げたい周囲からの圧力で,少し背伸びをさせられたのではないだろうか.

 上記の記事(朝日新聞)は,これらの写真について書かれたものではない.記事がやり玉にあげているのは写真ではなく本文のほうだ.

 博士論文の,研究の背景を説明する部分が,米国NIHの文章(ネット上の文章)とほぼ同じなのに,引用元は書かれてない.と記事は述べている.これのどこが問題なのか私には理解できない.研究の背景なんて,誰が書いても同じような内容になる.文学作品ではなくて科学論文である.一言一句まったく同じで何がいけないのか.

 そもそも日本人が英語論文を書く場合,英語圏の著者の文章を模倣することは,いわば当然の作業である.日本人オリジナルの変な英語表現を使うよりは,むしろ模倣する方が良い.それは引用ではなく模倣であるから,引用元などは書かない.それに博士論文とは要するに学生が書いたものであって,世界に広く公表流布させることは意図されてない.審査をする側も,英文の一部がどこかからのコピペであるという理由で博士号を拒否したりなどは考えられない.

 博士論文の「参考文献リスト」も,他の研究者の論文の一部とほぼ一致していた,と上記の記事は述べている.これも言いがかりに近い.テーマが似ていれば,同じような文献を引用するだろうし,文献リストの一部も当然一致する,その箇所をコピペして何の問題があるだろうか.

 朝日新聞の記事については以上です.このほかネイチャーの論文では,実験方法の記述に,他の人の書いたものや小保方さん自身が過去に書いたもの,と酷似している箇所があるとか言われているらしい.実験方法なんて,何度書いても同じような文章になります.それに英語の堪能な人の著述から一部を借用するなどは,日本人の研究者は普通に実践しているのでないだろうか.

 STAP細胞の作製方法について理化学研究所が発表した内容が,ネイチャーに書かれている方法と違う,という「問題点」も指摘されているらしい.これも特に不思議と思わない.実験の手技は日々変化するし,その時々で本人が最良と思っているやり方も変わる.料理のレシピを書くような作業である.以前書いたものと微妙に違っていたとして何の問題があるだろうか.

 科学論文を評価するものは,時の流れである.こういう大きなテーマであれば,世界中で追試実験が行われるだろう.半年もすれば,良かれ悪かれ評価はほぼ定まるのでないか.科学とはそういうものであり,論文の欠陥を言い立てるような雑事は,真の評価とは全く関係ない.

 著者たちは論文を「取り下げる」のだという.これも不思議な行為だ.科学論文というものは一度発表されたら,もう「取り下げる」ことは不可能だ.間違いが見つかったからと言っていちいち取り下げられたら,科学そのものが成り立たなくなる.科学はそれ自身の論理に従って動き発展する.今回のようにマスコミの喧伝や政治的配慮によって左右されるようなことの方がむしろ,あってはならない事のように思う.

 この問題.まだ少し掘り下げる必要を感じる.それは大学法人化を含む小泉改革の「成果」である.これについては別の機会に書いてみたい.

uradowan at 17:19|PermalinkComments(0)TrackBack(1)

2014年03月09日

信じちゃいけない! NHKの報道

 街頭配布のパンフから転載します.

(以下転載)
信じちゃいけない! NHKの報道

 NHKの籾井(もみい)会長の発言が問題になっています.会長に就任したときの記者会見(1月25日)では,「政府が右ということを左というわけにはいかない」などと発言.

 また就任時に,NHKの理事10人全員に,日付を空白にした辞表を出させていたことが発覚し,「一般社会では,よくあることだ」と発言.

 これらの発言が国会その他で大きな問題になっています.次のようなことが指摘されています.

1.政府から距離をおいて公平中立な報道を,というジャーナリズムの基本が守られてない.

2.辞表を預かるのは一般社会でも「よくある」ことではない.違法の疑いが強く,堂々とできることではない.

3.ジャーナリストは独自の自由な立場が守られねばならない.一般社会で普通のことだからNHK社内でも言論統制をして良いとは言えない.

 今はっきり言えることは,もはやNHKは公共放送ではなく,政府の広報機関だということです.テレビの報道は政府に好都合な内容にされています.

 昔,ラジオや新聞の報道を信用したために,日本国民は戦争に突き進んで行きました.こういうことを今はとても警戒せねばなりません.
(転載おわり)

uradowan at 17:38|PermalinkComments(2)TrackBack(3)