舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

HPF2017『一劇心奪』総括

HPF2017『一劇心奪』 総括
7/21(土)〜7/31(月)


28年目を迎える26校による3劇場11日間のHPF2017、今年も暑く、熱い夏の祭典であった。
第6回HPF(1995年)から講評を引受け、23年が過ぎた。
スペース・ゼロが主催の頃はHPF出場校の全ての作品を観ていた。
主催がHPF実行委員会に代わり、会場やシステムも変更され、講評はサポーター制になって全ての作品は見られなくなったが、演劇人やOB・OGの講評者が増えたことで多くの視点からの講評が可能となった。
しかし舞台技術者のサポーターは少なく、スタッフワークの進歩は牛歩になったように思う。
それは単に舞台技術スタッフの講評者が少ないからだ。
各校に最低1人は舞台技術スタッフの講評サポーターを確保することが、HPFの急務に思う。
嬉しいことにHPFの演劇の質は毎年着実に上がっている。
だがスタッフワークに進歩が見られないのは、先輩から後輩に技術が正しく伝わってないからであろう。
大切なことは文章や図にして残すようにしたい。
たった1人が苦心して図解と文章による詳細、注意点を作成すれば、末代まで残る。
今年のHPFも観劇校の半数が照明のシーリング(前明かり)を正しく扱えず、明かり作りを失敗していた。
昔、高校演劇でホリゾントが頻繁に使われていた頃があり、時間の経過や感情表現をホリゾントの色変化に使う訳だが、効果的な使い方を理解してる演劇部がほとんど無くて、大黒にした方が良い作品までホリゾントを使いたがる演劇部も多かった。
効果的にホリゾントを用いる演劇部は、総じて顧問に照明の知識がある演劇部で、知識に乏しい演劇部にホリゾントのデメリットを繰返し伝えてきた。
HPFではホリゾントを使う演劇部が減り始め、ついにはどの劇場も大黒を基本設定とし、ホリゾントは使いこなせる演劇部しか用いなくなった。
そして今はシーリングの注意ばかりしている。
繰返し伝えなければならないほど、前明かりの使い方を知らないからだ。
ホリゾントは知識と技術がないなら使わなければ済むが、シーリングを使わずに演劇は済ませられない。
地明かりは舞台の上からの照明で作るのが基本で、顔や顎の下に陰影が出ない程度に前明かりを灯す、それだけのことが上手く後輩に伝わらない。
基本的な使い方さえ覚えれば、舞台スタッフは面白く遣り甲斐のある仕事ばかりだ。
しかもその基本は、実はそれほど難しくはないのだ。
さて、今年度からHPFでは講評のやり方が変更され、講評会で観劇校一つ一つの講評を述べるスタイルが改められ、講評文を提出し講評会では総括のみを述べることになった。
私は2005年から始めたblog『舞監@日誌』で、観劇した舞台作品全ての感想を書いて来たが、年間の観劇数が300を超えた頃からブログに費やす時間が確保できなくなり、ブログを制限することにした。
依頼された講評は、コンクールや演劇祭のホームページ(space×drama等)に書き込むようにして、劇団からの要望は直接劇団に劇評を送り、劇団のホームページに掲載して貰うようになった。
だが、高校演劇の講評だけは今もブログを毎年続けている。
講評を書くことは他の講評サポーターにとっても非常に有意義であると思う。
書くことと話すことは別の脳を使う。
頭の中を整理して、違った角度から作品を見直すことを可能にする。
それに思わぬ副産物があるのだ。
ある年、他府県の高校演劇連盟より連絡があり、県大会の審査員をお願いされた。
訊けば、高校演劇の講評を書いたブログを読んで、是非とも審査員をお願いしたいとの依頼であった。
もちろんお引き受けすることにした。
その後もブログのコメント欄にご依頼を頂いたり、更には大会会場で違う地域の関係者から審査員をお願いさて次々と御縁が広がり、県大会やブロック大会の審査、分科会への登壇、演劇部顧問への顧問講習会講師、大会の舞台監督と、多くの高校演劇のサポートへと繋がった。
中でも嬉しいのは講評した作品の脚本を書いた高校生や、観劇した作品に出演した高校生が、ブログのコメントに作品の意図を解って貰えて嬉しいとか、指摘された改良点を具体的に直すにはどうしたら良いか?とか、質問や感想を頂いた時で、その都度必ず返答を返している。
最近も他府県の大会でコメントに質問をくれた高校生が、大阪の大学に進学し、卒業後劇団を旗揚げ、5年前にお世話になりましたと挨拶してくれた。
嬉しい、でも思い出せない、困った。
そんな時にブログ内を検索すれば、ちゃんと記録が残っている。
過去の自分に感謝する。
そんな訳でサポーターの皆さまに、講評文を詳細に書くことをお勧めするのだ。
出来ればウェブ上に残していけば、きっと誰かの役に立ち、それがいつか新しい出会いに繋がり、延いては自分自身に利益を運んで来てくれることになる。

【観】HPF2017大谷高校

7/31(月)HPF2017
大谷高校
『こどもの一生』
作/中島らも
潤色/演劇部
演出/石黒陽菜
@一心寺シアター倶楽

HPF2017最終日、一心寺シアターを締めくくるのは大谷高校である。
本年もまた潤色作に挑む。
中島らも氏の1990年初演『こどもの一生』は、当時の時代のキーワード、[テクノストレス][精神カウンセリング][ヴァーチャル・リアリティ]と言ったテーマを組み込み本作を2時間の演劇作品として創作したと言う。
もちろんその時代に起きた政治や事件、社会の話題をふんだんに組み込んで作劇されたものと思う。
反資本主義的な台詞や、88年に開通した瀬戸大橋の利権問題等、宗教的な問題も挿入されていたと思うが、大谷高校は時代にそぐわない部分を大きくカットして、物語の中枢部分をなぞる潤色で90分作品に仕上げている。
元々中盤までが面白く、終盤ホラーに変わる作品だったのだと思うが、潤色によりコメディとホラーのバランスが絶妙となり、加えてラストは大幅に書き換えてある。
オリジナルは絶望的に怖いらしい。
それはともかく、大谷の話に戻そう。
配役の妙もあるが、大谷高校は伝統的に全員が芸達者で、それぞれに個性が強く、キャラクターが見事に立っている。
音響や照明の技術はまだまだ未熟だが、決して下手ではなく、最低限の及第点は常にキープされている。
基本は役者で見せる、お客さんに自分たちを見て楽しんで貰おうと言う、おもてなしの精神が全員に行き届いているのだ。
これは全ての演劇に通じるとても大切な精神性の一つで、これが観客に伝らないとお客さん全員を味方にすることは叶わず、本当の意味で観客を楽しませることも出来ない。
大谷高校は初見のお客さんも含めて、劇終を迎える頃には観客全員に愛されている。
それが大谷演劇部の持ち味であり、最大の武器とも言える。
だから大きなミスでもない限り、特筆して言うべきことがいつも無い。
内容を掘り下げた方が良い作品なら、もちろん検証も怠らない。
だが毎年HPFで大谷を見に来る時は、いつもの大谷かどうかを確認しに来るだけになる。
皆が先輩から素晴らしい精神を受け継いでいる。
そしてそれは、来年もきっと変わることはない。

【観】HPF2017咲くやこの花高校

7/30(日)HPF2017
咲くやこの花高校
『放課後失踪クラブ』
作・演出/金本大樹
@一心寺シアター倶楽

舞台中央の奥には両側から階段で昇り降りする高さのある小舞台、作者(ではないが)がイーゼルに立てた画板に絵を描く自室となる。
高台の下はマンホール大に丸くくり抜かれていて、その穴は舞台奥へと続いている。
下手奥には小舞台より更に高い電柱が建てられ、その前と上手奥には乱雑に椅子や机が積まれていてゴミ溜めのようだ。
但し以上の舞台美術は、開演するまで舞台前に立てられた白い壁で隠されている。
壁は5枚の高い白パネルを繋げたもので、オープニングでスクリーンとなり、オリジナルのオープニング曲の歌詞が映像で映し出される。
オープニングの後、白壁は唐突に倒され、件の美術が現れるのだ。
装置も仕掛けも実に良く出来ている。
そのまま劇団として旗揚げしても大阪の小劇場で活躍する若手劇団に引けを取らない。
照明も音響も技術的には高校生以上で、まずはこれを誉めておきたい。
その内容はすこぶるアナーキーで70年代後半から80年代のアングラ臭が漂う。
実際に彼らが見たはずもない寺山修司の模倣にも思える。
構成的には咲くやこの花高校の学内劇団で既に卒業した「べろべろガンキュウ女」そのままで、その影響が窺える。
まぁ「べろべろガンキュウ女」も「がっかりアバター」の洗礼を受けた劇団なので、元を辿っても仕方がない。
演劇部の稽古場として始まった舞台は、マンホールの下に広がる地下世界へと姿を変え、そこに棲むと言う怪物を殺しに行く辺りは、怪物を創り命を与える古屋兎丸「光ライチクラブ」の真逆を突くあざとさで、更に舞台は地下にある演劇劇場へと変容する。
そこでは面白いと信じる芝居が上演されているにも関わらず、顔を白く塗った高圧的な2人の女が、つまらない、やめてしまえ、死をもっとデリケートに扱えと、罵声を浴びせるのだ。
そして舞台装置にブルーシートが被せられ、白い壁が再び立てられて、舞台は閉じられてしまう。
ついに創造者は白壁に大きく「演劇なんか やめちまえ」と書き殴り、急速に暗転して劇終する。
そのメッセージは誰かに当てられたモノか、はたまた自己に向けられたモノかは明かされないが、暗転中に演劇が大好きなのだと発して、本当の劇終が訪れる。
70年代に生まれたアングラ演劇が反体制的でアナーキーな存在であった頃、アングラ演劇から派生した「此処(ここ)ではない何処(どこ)か」へ向かう芝居が流行った頃があった。
社会や規範から逃走し、真の自由を目指して、演劇に拠り所を求める芝居が多く演じられ、今の小劇場の基盤を築いたのだ。
彼らはあの頃の私たちそのモノである。
体制からはみ出した若者が自由を探して演劇に辿り着いたら、それは違う、ヤメておきなさいと、年長の演劇人に叱られたら、彼らは何処に行けば良いのか、何を目指せば良いのだろう。
表現は本来、特定の誰かを傷つけるモノでなければ、何をどう表現しても良い筈だ。
それが我々が目指した演劇ではなかったか?
ここまで書けば、誰にもあらゆるメタファーが紐解けると思う。
社会に属さぬ自由人のホームレスが、ミンミンと喧しいセミを食べてしまう場面を思い出す。
実に痛快ではないか!

追記
私が見た本年度のHPF作品の中で、咲くやこの花高校の公演パンフレットが最も良く出来ていた。
構成や配役とスタッフの記載までが行き届いている。
何よりも衣裳の[しょう]の字が、衣装ではなく衣裳なのが、正しい演劇用語を解っていて嬉しい。
衣裳は、上半身に着る[衣]と、下半身につける[裳(も)]の意からなる日本古来からの正しい使い方で、常用漢字に[裳]の字がないため、意味の異なる[装]の文字が当てられたもので、慣例として映画や舞台では今も衣裳の文字を使う。
現代では衣装の文字が一般的になったが、演劇における衣裳は衣裳以外にはなく、衣装の文字を用いるのは誤用である。
英訳すると判りやすいが、衣装はclothesで、衣裳はcostumesに訳される。

【観】HPF2017箕面東高校

7/29(金)HPF2017
箕面東高校
『星の華』
作・演出/横野優希
@シアトリカル應典院

毎年創作劇でHPFに挑み、大掛かりな舞台装置を組んできた箕面東だが、段差のある二重舞台だけなのに驚き、3人芝居と言うことに更に驚く。
随分と部員が減ったのだね。
性別の違う双子の姉に対する弟の劣等感から、誰もが持つ他人に対するコンプレックスを描き出す。
劣等感だけでなく、本来なら優越感を抱いて当然の姉も、自分に貼られた他人からの先入観、経歴と言うレッテルに悩み、弟への依存症に悩む。
物語は2人を傍観する友人の目線で描かれて行くのだが、3人芝居ゆえか世界観が狭く、こじんまりしてしまい、世界に広がりがないのが残念だ。
家族の存在や大学での生活描写が浅いため、多くの設定が安直に受け取られてしまう。
劣等感だけでなく心の傷を描く時に大切なのは、何が原因で心に傷を負うことになったか、その傷と主人公がどう向き合い、どのようにその傷と寄り添い、或いは克服し、そして何がどう変わったかを見せて欲しいのだ。
弟が姉に劣等感を持ったのは、成績優秀な姉の存在そのものではなく、姉と自分を比較する存在があった筈で、それらの人間関係をしっかりと描きたい。
冒頭が絵本を読む友人のモノローグから始まるので、ラストも同じく友人のモノローグで締めくくるのが構成的にも収まりが良い。
ラストシーンで観客が冒頭のシーンを思い出すからだ。
今のラストも悪くないが、姉弟の象徴として最後は青と赤の2色だけを残し溶暗した方が印象深くなる。
舞台は両端に高台を設けた二重舞台を舞台奥に配置したシンプルな構造で、様々な場面を上手く使い分けて演出されている。
高台への段差があり過ぎて、昇り降りが見苦しくなるので、階段を一段増やすか、高台を少し低く設えた方が楽になる。
姉と弟を暖色と寒色の照明でイメージさせるのは良いアイデアだ。
だが、前明かりが強過ぎるので、せっかくの色合いが薄れてしまう。
特に弟の立つ台上を照らすライトブルーは他の照明色の干渉を受けやすく、色が混ざってグリーンに近くなるため注意したい。
効果音の素材が見つからなかったのか、音楽に比べ効果音の使用が少なく、時間経過や場所を表すのに効果音を使う場面を増やしたい。
音楽や照明の入れ方と消し方は大変上手く適切なのに、ラストだけ余韻を残さず消してしまったので、ラストは音楽をもっと引っ張った方が良い。
前明かりに対して斜めからの生明かり2灯だけでは、地明かりの数が少な過ぎる。
舞台の両端まで地明かりが確保されず、両端に登場人物が立つと顔が極端に暗くなる。
せめて4灯は地明かりに使いたい。
地明かりの数が少ないと舞台は暗くなり、光量の確保に前明かりを用いてしまい、前明かりが強くなると舞台に色が乗らなくなり、2次的な不具合が出てくることになる。
まずは地明かりをしっかり作ることだ。

【観】HPF2017東海大付属仰星高校

7/28(金)HPF2017
東海大付属仰星高校
『空から降ってくるのは、愛』
作/阪本龍夫
演出/塩見友唯
@シアトリカル應典院

昨年できたばかりの演劇同好会が僅か8人で、しかも1人は中学生で他全員が高校1年生と言うあまりにも若い8人が、90分4人芝居の舞台作品を顧問と共に作り、奇跡のような芝居を見せてくれた。
敢えて暴言を吐くならば、高校演劇の真髄はクオリティでもスタッフワークでもなく、まして演技の上手い下手でも演出の出来不出来でも無い。
もちろんそれらは演劇を作る上で重要な要素であることは百も承知だ。
板の上に立つ魂の純粋に輝ける美しさを久しぶりに見せて貰った。
これこそが高校演劇の真髄と言えるのではなかろうか!
如何に優秀で長年演劇部の顧問を務め、名門と呼ばれる演劇部を作り上げたとしても、新しい赴任先の何の下地もない演劇部で、部員ゼロから始めて、昨年ようやく2名の中学生が入部し、僅か2年で斯くも素晴らしい演劇部を築けることの奇跡に驚きを隠せない。
キャストの4名は中学生と1年生が3人、内半分は初舞台だと言う。
終始緊張したことだろう、生演奏もある、歌だって唄うし、ダンスまで踊る。
素直で真っ直ぐな、嘘のない自然体の演技が素晴らしい。
舞台には別空間としても使える二重舞台(幅3.6m・奥行き1.8m・高さ30cm)が舞台奥にあるだけのほぼ素舞台で、かつての阪本先生からは考えられない簡素な舞台である。
舞台装置がないと言うことは、登場人物の演技だけで勝負すると言うことだ。
その重責に見事に応え、素晴らしい作品を見せてくれた8人を誉めてあげたい。
脚本は阪本先生の書き下ろしで、ほぼ事実に基づき描かれている。
今と昔、戦争と平和、花火と爆弾、桜と焼夷弾、生きる辛さと死ぬ辛さ、つまりは生と死が見事に描かれている。
現在と対比して終戦間際の日常が、演劇部の部員たちの合宿中の日常と非日常である稽古に対比させて作品の随所に散りばめられている。
衣裳や小道具にまでしっかりと目が行き届いており、きめ細やかな音響と照明のスタッフワークも申し分ない。
気になったのは稽古に使うラジカセの色と花火の照明で、ラジカセは白ではなくグレーか黒にすれば、次の場面でラジカセが二重舞台の上に残っても、舞台前だけを使う次場面で、さほど目立たないで済む。
花火の照明アクセントは、舞台奥からではなく、舞台前方からの照明で、顔をほのかに染めるのが良い。
欲を言えば、桜を降らせる仕掛けの完成度を上げ、ギシギシと揺らせることなく美しく降らせたい。
話は脱線するが、舞台で火薬を使用することが時々あるため、私は花火師の免許を持っている。
最近は不景気で地方での花火大会が少なくなり、全く声が掛からなくなったが、以前は毎年夏になると関西一円の花火大会に駆り出されていた。
打上花火は、実は真下から見るのが最も美しい。
頭上で開いた花火が全天空に広がり、火の粉となって辺り一面に降り注いで来るのだ。
その素晴らしい光景を皆に見せてあげたく思うのだが、残念ながら一般人は定められた安全保安距離の中には入れない。
それに美しいからと魅了されてばかりも居られない。
火の粉が枯れ草に引火しないよう、消火しに廻るのだ。
以前、母から戦時中に焼夷弾の中を逃げた話を聞いたことがある。
母はそれを炎の雨と比喩した。
花火の火の粉が降ってくると、その話を思い出す。
花火の音が戦時中の空爆を思い出させ、花火が怖くて見られないと嘆く老人が今も居る。
空から降ってくるものが、二度と誰の命も奪わぬよう、それが出来れば愛であることを心から祈りたい。

【観】HPF2017阿倍野高校

7/26(水)HPF2017
阿倍野高校
『たまねぎ』
作/演劇部
演出/高本修伍
@ウイングフィールド

演劇部の創作作品。
2枚の立てパネルの裏表と配置替えを組合せ、様々なシーンを演出する。
現実世界で友達から仲間ハズレにされた主人公の少女が、小学校の学芸会で演じた野菜と虫の戦争の世界に紛れ込むファンタジー作品。
全員が楽しんで演じているのが大変良い。
転換の配置はよく考えてあるものの、一つ一つのシーンが短く転換が慌しいので、幾つかのシーンを膨らませ、幾つかのシーンは省いて修正すれば、より見やすくなるだろう。
タイミング良く登場人物が現れたり、偶然にも地下牢を発見したり、小学生の頃の台本を見つけたりと、都合良く物事が進み過ぎると嘘くさく感じられるので注意したい。
例えば台本はラストに唐突に登場させるから不自然なのであって、冒頭で自宅に帰った主人公が何らかの理由で昔の持ち物の中から偶然台本を見つけたのなら自然に感じるし、その後ファンタジー世界へ迷い込むのも納得しやすくなる。
更にはラストで再び台本を手にするのも必然的になってくる。
地下牢の入口も、突然発見するのではなく、それを見つけるまでの過程や必然性が欲しいのだ。
また、地下への入口を舞台前方に位置決めすると、客席最前列のお客さんの身体が壁になり、客席の後方からは座った演技が全く見えない。
客席と舞台が同じ高さの劇場では、座り芝居や寝転び芝居を出来るだけ舞台奥でした方が良い。
それでもウイングフィールドの舞台の奥行きでは、客席後方から舞台奥の床面は視認できないのだが、舞台前にするよりは幾分見やすくなる。
他の高校の感想でも述べたが、前明かりが強過ぎてホリゾントがキレイに染まらない。
パネルの影もホリゾントに映るので、美しくない。
前明かりは顔の陰影を消す程度の明るさに抑えると良い。
花道の照明機材は上手く曲吊りし、ホリゾントに影が出ないよう処理されている。
とても素晴らしいのは野菜と虫をモチーフにした衣裳の出来映えで、それぞれに野菜の色と形を上手くデザインし、皆が上手に着こなしている。
惜しいのは美粧(メイキャップの意)で、野菜と虫をモチーフにしたメイクをできたなら更に面白かったと思う。
また終盤で明かされるタイトルの秘密、たまねぎの野菜言葉が「不死」であることが、この作品の根底にあり、野菜と虫が持ちつ持たれつの関係なのだと物語をまとめる辺りはとても上手くできている。
ひょっとしたら虫たちにも虫言葉の裏設定があるのかも知れないと、キリギリスの虫言葉を調べたら、なんと虫言葉は「勝負パンツ」でズッコケた!
ちなみに他にも果実言葉や鳥言葉、石言葉、星言葉、等々たくさんのモノを象徴する言葉がある。
しかし「勝負パンツ」って、そんな虫言葉、あり?

【観】HPF2017工芸高校

7/25(火)HPF2017
工芸高校
『サンタクロース・コンプレックス』
作・演出/南希美砂子
@シアトリカル應典院

2年生による創作劇。
舞台奥に高台(二重舞台と言う)があり、ベンチが1脚置かれている。
主人公が老人とベンチで会話するお芝居で、会話の内容である主人公の回想が舞台前部で劇中劇として描かれる。
このように劇中劇を持つ構造の演劇をメタフィクションと言う。
ここがどこなのか、いつなのか、説明しないまま物語が進行するのが大変良い。
主人公の淋しさが観客に伝われば問題ないので、くどくど説明を加えれば加えるほど嘘くさくなる。
効果音で風の音や、遠くから聞こえる街の賑わいを流しても良い。
主人公の独りぼっちの淋しさがより一層深まるはずだ。
二重舞台の淋しさに対比して、劇中劇は明るくカラフルに幸せな時間が描かれ、やがて恋人との別れが訪れる。
二人の出会いから別れまでの全てを描く必要はない。
回想シーンには楽しく明るく幸福な場面を作れば作るほど、二重舞台上の淋しさがどんどん際立つ構成になれば、静と動、淋しさと楽しさが明確に対比されてより良くなる。
ダンスを挿入しても良いかも知れない。
ラストシーンで主人公が悲しくなればなるほど、恋人との突然の再会を誰もが祝福し、サンタクロースの優しいプレゼントが輝いて見える。
工芸高校のスタッフワークは上出来である。
何より前明かりを抑え、無駄な光量を照らさないのが良い。
二重舞台を暗いブルーに染め、淋しさを上手く表現している。
もし前明かりを強くしていたら、舞台はあのように美しくブルーに染まらなくなってしまう。
途中、何ヶ所か照明変化してから音楽が流れる場面があったが、キッカケとして逆の方が望ましい。
人が感じる情報の9割は眼で視認する情報で、演劇の鑑賞にも同じことが言える。
劇中にで突然照明が変化すると、無意識にそちらに眼が向いてしまいかねないし、違和感を与える事もある。
先に音楽を流すことで耳から音の情報が先行して入り、それから照明変化すると眼からの情報が緩和され、照明変化が緩やかに感じられる。
音楽の挿入時のほとんどが音楽先行、のちに照明変化である。
覚えておいて損はない。

【観】HPF2017箕面・豊島高校

7/24(月)HPF2017
箕面・豊島高校
『K3 〜たたけ!TA・NA・KA・SAN!〜』
原案/荒木佑珠
作・演出/野邊茉優子
@シアトリカル應典院

“みのてし”恒例の創作劇はキャスト17名+古川先生の総勢18名が出演する学園モノで、キャストのほとんどを1・2年生に配し、技術と知識の必要なスタッフを2・3年生で担う大所帯である。
これは高校演劇では正しい役割配分で、実際のところスタッフのミスが極めて少なく、安心して見ていられる。
ストーリーはホラーかと思いきや、演劇部の伝統と自分たちの本当にやりたい事の狭間に立った現役生が、悩みながら自分を見つめ直す群像劇になっている。
ホラーテイストの不気味なノック音の伏線がちゃんと回収されずに終わるのは残念だが、多くの登場人物のキャラクター分けもしっかり為されていて、生き生きとしたダンスシーンや特別出演の古川先生の出番等、見どころの多い作品に仕上がっている。
部室にある装置として措かれたドアからノックの音が聞こえ、扉を開けると誰も居ない不気味なシーンは、扉を半開きにせず客席のどこからでも中が見えるように全開した方が良い。
観客に扉の向こうを見せることで、誰も居ないことを強調できる。
照明は関大一高と緑風冠に同じく、前明かりが強過ぎる。
何度も言うが、地明かりを前明かりで作ってはいけない。
アクセントに足したアンバーやブルーの照明が前明かりで消されてしまい、明確に舞台に色が着かないのだ。
音楽は過剰に入れ過ぎである。
場面に合った音楽を入れるばかりが音響効果の仕事ではなく、音楽を入れないのも音響の仕事である。
音楽を多用すると最も音楽を聴かせたい場面や印象付けたいシーンが、音楽を聞くことに観客が慣れてしまい効果が半減してしまう。
その場面に本当にその音楽が必要かどうか、シーンに合う合わないだけでなく、全体を通しての音楽や効果音のバランスや流れも考えてみよう。
音楽のジャンルがバラバラに挿入される作品より、ジャンルが統一されている方が収まりも良く完成度も高くなる。
ボーカル曲と演奏のみの音楽を混ぜて使ったり、意図せず1曲だけボーカル曲やインストメンタルを挿入しても、その曲のみが浮いてしまう。
また、音楽が流れることで、その場面の雰囲気も音楽に引きずられ、音楽の曲調に雰囲気が限定されてしまい、作品の印象も左右される。
演出者は全てのスタッフワークを検証し、舞台監督とも相談し、敢えて照明や、音響をカットする英断も必要である。

【観】HPF2017緑風冠高校

7/23(日)HPF2017
緑風冠高校
『うさみくんのお姉ちゃん』
作/中原久典
演出/浅羽始
@ウイングフィールド

関大一高に続き、緑風冠高校もまた脚本の選択が良い。
しっかりと設えた教室の舞台装置も良く、特に花道を使って教室の広さを具体的に表現した演出は眼から鱗であった。
キーパーソンとなる溝呂木役を10年振りに舞台に立つ顧問の木村先生が演じるのだが、これがまた実に良く、高校生にしか見えない。
ウイングフィールドは下手の大臣幕(舞台の一番前にある客席から見える袖幕)の幅が意外に広く、客席の下手端から3列目までは大臣幕が視界を遮り、舞台の下手側が全く見えない。
講評席の下手端からは、せっかく設えた扉のある壁が全く見えないのが実に惜しい。
舞台奥の壁の下手側を90cmほど短くして、下手側の壁を下手の客席からも見えるように斜めに建てるか、下手側の壁の最も客席寄りを中心点にして、下手奥の壁の合わせ目を直角に保ったまま時計回りに回転させ、壁の合わせ目が90cmほど内側になるように配置すれば客席全体から視認できる。
こうすれば上手側の壁が無いアンバランスさも解消できる。
照明変化のほとんど無い演出はこの作品に良く合っていて、ラストに舞台が夕焼けに染まるだけの変化はベストチョイスと言える。
ただ変化が急過ぎて情緒も美しさもなく、それがとても惜しいのだ。
終盤から徐々にゆっくりと夕焼けに染まり始め、ラストもゆっくりと溶暗したい。
ラストのみに音楽を用いるのは会話劇の常套手段だが、この作品に関しては音楽が無くても成立するので好みの別れるところだ。
僅か1曲の音楽で、現実感を無にすることもあるので、音楽の挿入は本当に必要かをよく吟味したい。
照明は関大一高でも述べたが、前明かりが強過ぎる。
花道を照らすため吊り足した灯体が前明かりに照らされて、大きく奥の壁に影を落とし非常に見苦しい。
前明かりの機材よりも舞台寄りに照明機材を追加する時は、機材をバトンの下ではなく、バトンの横に曲吊りすると良い。
カーテンコールの音楽が、コールの挨拶と長さがドンピャでとても気持ちが良い。

【観】HPF2017関西第一高校

7/22(土)HPF2017
関西大学第一高校
『走れ、あの日のヒーローみたいに』
作/楽静
演出/西村まりな
@シアトリカル應典院

自分たちが演じるに相応しい脚本は、それを見つけ選んだ時点で公演の50%が成功したと言える。
既成戯曲を演劇作品として上演する時、脚本選びは最も重要な作業の一つである。
関大一高が選んだこの脚本は構成が素晴らしく、短い時間に上手くまとめられている。
冒頭の印象的なヒーローの登場。
三者三様の異なる考えを持つ3人の主人公。
傷付き、悩み、励まし合い、時に仲違いし、苦しみも喜びも共に分かち合い、同じ時間を共有する。
誰もが学生時代に当たり前に経験した事の数々が描かれている。
高校生にとっては現在がその真っ最中で判らないかも知れないが、既に後戻りできない年齢になって初めて、その時その時間が如何に素晴らしく輝いていたかを痛感するのである。
3人に対比して、それぞれに近しい関係の大人や先輩に、励まされ、叱られ、時に厳しく、時に悪者になり、常に見守ってくれる存在がある。
彼らもまた、若い頃に同じように励まされ、叱られて、常に見守られていた事を今はよく解っているのだ。
終盤に入り、公園を屋上に見立てるくだりがとても良い。
冒頭のヒーロー登場の場面で、実は3人が子供の頃に既に出会っていたことが判明する仕掛けも面白く、ラストの屋上に上がり鍵を開けてドアを開けると、意外にもよごれてきたない屋上が広がっている劇終が非常に良い。
これは彼女たちの未来を表わすメタファーである。
卒業したあと彼女たちが出会う社会は、決して希望に満ち溢れたものではない。
社会には、時に矛盾と不条理が横行し、諦めたり妥協したり、間違いを間違いと言えない場合だってある。
でも、そんなことは彼女たちも何となく知っている。
きたない屋上のドアを開いた彼女たちの顔は、曇ることなく輝いている。
美しく、素晴らしいラストであった。
HPFはコンクールではない。
だから基本的にはホメ出しをする。
ホメ出しはダメ出しの逆さまで、良かった所をたくさん誉めてあげたい。
だが、私は舞台監督を仕事にしている関係上、スタッフワークの改善を図らねばならない。
だから幾つかダメ出しもする。
終わった演劇作品は今さら修正できないが、改善点を後輩に代々伝えていけば、それはきっと未来の演劇部の財産となるだろう。
照明は前明かりが強過ぎる。
地明かりをベースにして前明かりは顔の陰影を消す程度の明るさにすると良い。
場所ごとに違う照明プランをしても、前明かりの明るさに色が消されてしまい、全て同じ地明かりになってしまう。
懐中電灯の場面も総じて明るいので、懐中電灯に違和感を与えてしまう。
一旦暗い照明の中で懐中電灯を強調し、そのあと徐々に明るくすると良い。
効果音は台詞に被るとすぐに落とすのではなく、台詞が始まったら音量を少し落とし、30秒ほど待って徐々に消すよう努めたい。
セミの声やチャイムが急速に消えるのは気持ち悪い。
冒頭に次の場面の小道具が既に置かれているのも変だ。
場面転換時の暗転で出すべきであろう。
音具の鳴子(鳥威し[トリオドシ]とも)をテルミンと言い切るのは無理がある。
もう少し良さげな名称を。
衣裳は場面によって、着替えても良い。
バイト先ではバイトの服に着替えるのに、他の人物が着替えないのも変だ。
女性の先生が毎日同じ服を着ることはないだろうし、母親も自宅では部屋着に着替るはず。
着替えなしで行うなら、先生はスーツ、母親は外出時も自宅内でも不自然にならない衣裳にすると良い。
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