舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

【観】HPF2024総括

 総括と言うほどでもないがまとめておきたく思う。

 第3回のHPFから講評を引き受けて33年になる。高校演劇のフェスティバルは全国的にも珍しく、30年以上続く高校演劇祭は他に類を見ない。

 大会の場合は60分以内の舞台作品であることや、出演者が高校生であることなど、様々な縛りがあるが、大阪高校演劇祭(HPF)には時間の縛りが無いだけでなく、顧問の教師や顧問コーチが出演することもあり、中高一貫校では中学生部員だって出演する。劇中でも顧問の個人名を劇中に出して部活動での顧問の失敗や愚痴を楽しく語ったりして、部員と顧問が如何に仲良く部活動を過ごしているかが窺える。HPFは本当に自由だ。

 こんなに自由で懐の広いフェスティバルをHPFの最初期から企画して、現在まで継承してる演劇祭は他に聞いたことが無い。

 開催当時からコンクールではなく、時間や順位に縛られないフェスティバルを開催する意志が、今も明確に受け継がれている。それが根底にあるからこそ、真に自由な表現の場を創り得る事をフェスティバルの創始者たちは知っていたし、その精神は今も受け継がれている。

 その事実に今更ながら驚くのだ。凄いぞ、HPF!!

 毎年必ず卒業生と新入生が入れ替わる高校演劇において、演劇部の成長は演劇の知識と技術を伝える顧問やコーチが居ない場合、先輩から後輩にしっかりと継承する事が欠かせない。

 演劇部の成長を毎年見せて貰えるのが、それをHPFで直に確認できるのが、私の毎年の楽しみでもある。今年もまた着実にHPFは進歩している。来年のHPFに期待は更に膨らむ。

【観】HPF2024美原高校

8/2HPF2024

美原高校

『トシドンの放課後』

作/上田美和

演出/平田実悠

@ウイングフィールド


 上田美和の名作脚本に美原演劇部が挑む。

 この脚本は出演者が3名と少なく、部員の少ない演劇部がこぞって上演する脚本であり、高校演劇大会でもたびたび上演されている。狭い教室が舞台であり、折りたたみ机1台とパイプ椅子2脚、黒板かホワイトボードが1つあれば稽古も本番も事足りる事が、脚本を選択する理由の一つでもある。学内にある備品で全ての大道具が揃うのは、予算の乏しい演劇部には打って付けなのだ。

 美原演劇部もウイングフィールドの程よい広さの舞台に、件の舞台装置を配置しただけの簡素な舞台で「トシドン」に挑む。

 2人の高校生が女生徒と男生徒を、担任教師を顧問の佐久間先生が演じるのはHPFならではであり、生徒を高校生が演じ、先生を教師が演じるなんて、何とリアルな作品かと思う。

 この素晴らしい脚本を選んだ時点で既に半分は成功したようなものだ。しかも生徒の2人が実に良く、純粋で自然体の演技が素晴らしい。当然と言えば当然だが、教師もまた教師らしく、3人とも全ての演技に無理がない。

 3名が3名とも作品に上手く溶け込んでいて、観客を完全に味方につけている。どのような作品も観客を味方にした瞬間に公演の成功を手にしたと言える。

 もちろん未完成な部分はたくさんある。チャイムの音量や長さ、ドアの開閉音、小道具の位置が日時を経ても変わらないこと、日中から夕方への照明変化、ホワイトボードの盤面に日数を経た変化がないこと、数えれば多くの矛盾があり改良点すべき事はある。しかし観客を味方にした時点で、これらは不思議とさほど大したことでは無くなるのだ。

 真にピュアな作品には、どんな作品も敵わない。

 こんな作品を心底見たかった。ありがとう、作品に感謝したい。

【観】HPF2024咲くやこの花高校

7/29HPF2024

咲くやこの花高校

『ハッピーバースデーディア•••』

作/亀井彩羽

演出/橋口陽香

『僕のせぶんてぃーん。』

作/浦西香戀

演出/亀井彩羽

@一心寺シアター倶楽


 今年の咲くやこの花は短編作品の2本立て。

 伝統的にしっかりと設られた舞台美術は高さのある櫓舞台、中央にはトンネルが在って登退場が出来る。櫓を上手側に少し降りて踊り場が在り、階段で舞台床面へと続く。安定感のある大道具はさすがである。

 久しぶりに観た咲くやこの花高校だが、今回も伝統的なザッピング構成で物語を描く。ザッピングとはテレビのチャンネルを素早く短時間で切り替える行為だが、演劇では短いシーンを多く繰り返す構成演出をザッピングと呼ぶ。

『ハッピーバースデーディア•••』

 学生から社会人になっても時々会って近況を確認する気の合う仲間たちの物語と、それに並行して森で暮らすウサギたちの物語。

 ツープロットの物語で構成するなら、ワンシーンを少し長くして会話で説明を加えた方が解りやすくなったかと思う。ザッピングはコラージュには効果を発揮するが、物語を追うストーリーは観客の理解に混乱を招くので、今回の作品では良くない部分が目立つことになる。

 人間の身勝手で自然破壊をしながら見て見ぬふりをするのは許し難く、環境破壊で多くの動植物を死に至らしめ自然破壊をする人間の愚かさをクローズアップしてしっかりと伝えたい。無邪気に死んでいくウサギたちがとても哀れであり、それをシニカルに描くことには成功している。

『僕のせぶんてぃーん。』

 誕生日の前日を繰り返すタイムループもの。何度も同じ1日を繰り返しながら、誕生日を迎えずに17歳のまま翌日を迎えない主人公の毎日を描く。

 タイトルの「。」が良い。おそらくHPF2024でタイトルに句読点を付けたのは本作だけに思うが、当然ながら句読点にも意味がある。

 17歳をしっかりと終わらせるために「。」で締めくくる。その思いがタイトルに表れている。

 何となく繰り返す毎日が単調になるため、何故ループを繰り返すのか、どうすればループから抜け出すのか、明確な提示が欲しくなる。

 淡々とした日々を描くのも提示の手法として悪くないが、それはそれで観客を飽きさせない構成と演出は必要になると思う。

【観】HPF2024東海大付属仰星高校

7/28HPF2024

東海大付属大阪仰星高校

『赤鬼』

作/野田秀樹

演出/中谷海良

@一心寺シアター倶楽


 創部8年目の仰星演劇部は安定期に入ったと言える。阪本先生の『赤鬼』をまた観せて貰えてとても嬉しい。

 赤鬼には全ての民族や社会に共通する普遍的なテーマが描かれており、他人に偏見を持つこと、差別することの愚かしさ、愛する人のために命を捧げることの意味、多くの生きることの意味を描いた野田秀樹の秀作である。

 2時間の物語の中には個人では捌き切れない情報量が詰め込まれているが、心にの響いた言葉や音楽を観劇後に調べると作品を紐解く助けになる。例えばキング牧師の演説や名曲「いとしのクレメンタイン」の歌詞、ハマアサガオの花言葉、浜田廣介の童話「泣いた赤鬼」、劇中はヒントだらけだ。

 文化や言葉、肌や瞳の色の違いで人は他人を自分たちと同じ人とは見なくなる。これは本当に怖しいことだ。

 阪本イズムを引継いだ仰星演劇部では、冒頭の大スペクタクルで始まり美しいラストシーンで締めくくる。エンディングのモノローグに感涙する。深遠なテーマに真っ向から真摯に臨む姿勢が潔い。稽古に稽古を重ね、練磨して完成度を極めた傑作と言える。

【観】HPF2024大谷高校

7/27HPF2024

大谷高校

『うらかたん』

作/田中沙季・清水沙羅羽・高杉学

演出/畑中寿花

@一心寺シアター倶楽


 今年の大谷はバックステージ物である。バックステージとは舞台裏の意であり、お客様から見える表舞台以外を指す。

 本番中の様々なトラブルを舞台裏の裏方スタッフが知恵と技術を駆使して、本番を止める事なく最後まで遂行する様を描く。

 タイトルの「うらかたん」は照明や音響だけでなく、大道具や小道具、衣装やメイクなど舞台裏に居る全てのスタッフを指す「裏方」からの造語であろう。ちなみに受付や観客の誘導や案内等、来場した観客に接するスタッフを表方(おもてかた)と言う。

 さて、劇中の舞台は照明と音響の操作室(オペブース・オペ室・操作ルーム・ミキサールーム・調整室等)での様子を本番の60分間を含む開演から終演までをリアルタイムで描く。目の付け所が大谷らしく、常に新たな題材にチャレンジする精神が素晴らしい。

 ちなみに劇中では分かりやすくスタッフルームと呼んでいたが、劇場でスタッフルームはスタッフの休憩室を指す事が多い。

 操作室(舞台)から見る舞台、つまり客席の奥にスピーカーを仕込んで、舞台から聴こえる音を客席の奥から流す演出が効果的でよく考えられている。舞台スタッフあるあるを笑いを交えて分かりやすく劇中で表現し、ワンパターンになりがちの展開を終盤で本来の舞台上で演じられる坂本龍馬暗殺の近江屋事件を下手に設えた障子に映る影絵のシルエットで表現。舞台上に現れる出演者は最後まで観客に見せない演出が終始徹底されている。

 客入れで客席に流す放送からパンフレットやアンケートにまで、おもてなしの精神が行き届いている。

 大谷は常に大谷らしくある。今年もまた素晴らしい!

【『(まだまだ)夜会』開催のお知らせ】

コロナ禍による感染症予防の対策で、3月以降の『ぼつじゅう』参加作品の多くが中止となりました。大竹野正典氏の没後10年の期間は過ぎましたが、何とか中止になった『ぼつじゅう』参加作品を上演したいとの声に応え、更にその期間を1年延長して『(まだまだ)ぼつじゅう』と改名して継続する運びとなりました。


「夜会」ではこれまで大竹野正典氏が関わる上演作品の記録映像を上映して参りましたが、『ぼつじゅう』の延長に伴い、既に『ぼつじゅう』に参加して頂いた多くの作品の中から、上演作品の記録映像が残るものをセレクトし、『(まだまだ)夜会』として上映会を催すことに致しました。



9月第1夜

日時:9月3日(木)

開場:19:15〜

上映開始:19:30〜

会場:天六・音太小屋T-6

入場料:無料(カンパ制)

定員:30名(要予約)

内容:上映会+アフタートーク

上映作品:エイチエムピー・シアターカンパニー『ブカブカジョーシブカジョーシ』

演出/笠井友仁@仮想劇場ウイングフィールド

トークゲスト:笠井友仁(演出家/エイチエムピー・シアターカンパニー所属)

※上映後、20〜30分のアフタートークを行います



9月第2夜

日時:9月28日(月)


開場:19:15〜

上映開始:19:30〜

会場:天六・音太小屋T-6

入場料:無料(カンパ制)

定員:30名(要予約)

内容:上映会+アフタートーク

上映作品:芝居屋さんプロデュース『トーフの心臓』

演出/黒澤隆幸@浄土宗應典院本堂

トークゲスト:田口哲(芝居屋さんプロデュース主宰)

※上映後、20〜30分のアフタートークを行います


ご予約はくじら企画HPまで

http://www5c.biglobe.ne.jp/~kujirak/




【ご報告】第17回「上方の舞台裏方大賞」授賞式 2/4

2月4日、第17回「上方の舞台裏方大賞」の授賞式が新阪急ホテル「宙の間」で執り行われ、照明デザイナーの西川佳孝氏(株式会社ハートス)とサウンドデザイナー&エンジニアの服部秀樹氏(有限会社ウィル)と共に上方の舞台裏方大賞を授かりました。
長らく舞台監督を務めて参りましたが、このような栄誉ある輝かしい大賞を賜り、とても有難く光栄であると共に、長きにわたり懲りもせず御愛顧いただいた多くの人や団体、常に温かい目で我々を見守り、時に叱咤激励して私たちを育ててくれた劇場とスタッフの面々、演劇と舞台の知識と技術を教えて頂いた幾人かの恩師や数多くの人たちと仲間に支えられ、何とか30年やって来られました。
本当に感謝に堪えません。
全ての人に、ありがとうございました。

昨年3月に舞台監督の引退を決め、最後の仕事を務めた劇団から、公演の終了後に大々的な引退セレモニーまで企てて頂いて舞台監督を辞した筈が、頼まれると断れない性分から幾つかの公演の舞台監督を務める内に、このまま舞台監督を続けるのも良いかと思えたり、元より完全に辞める心算は無かったのです。
大学を卒業して就職する手堅い人生より、小劇場が好きで演劇に携わりながら食べて行けるなら、役者でも裏方でも何でも良かったのです。
食べさせてくれて生活の面倒まで見てくれる稀有な劇団が身近に在り、ならば就職せずに入団すると決め、維新派(当時、劇団日本維新派)に入って11年、その頃にまた小劇場ブームが再燃し、小劇場での公演には舞台監督が必要とされるようになり、維新派を退団して小劇場演劇専門の舞台監督が生業となって30年、思えば高校演劇から舞台に魅了され、それ以来ずっと舞台表現を人生のテーマにして生きている。
今も変わらず舞台に居て、舞台と演劇に食べさせて貰ってる。
何と幸福な人生であろうかと我ながらに思う。
舞台監督は引退したが、それでも誰かに望まれるなら、感謝の心で有難くお引請けしようと思う。
引退には成らなかったが、完全復帰と言う訳でもなく、自分でも肩書きに窮するのだ。
だから暫くはこう名乗りたい。
「元舞台監督」と。
チラシやパンフレットのスタッフ欄にも、是非そのように表記して欲しい。

文末に何枚か昨日の画像を残しておく。
授賞式と賞状や記念品、賞状は「上方の舞台裏方大賞」実行委員会の委員長から授かった大賞の賞状の他に、後援団体から授与される賞状が3枚在り、後援の関西・大阪21世紀協会と関西観光本部から1枚と、同じく後援の大阪市と大阪府から各1枚。
もちろん大阪市長のあの人と、大阪府知事のあの人の名前が賞状に明記されてて、大阪府知事賞との記載がある。
授賞式の後、会場を変えて関西テクノ&アート2020「新年賀詞交歓会」で受賞者の御披露目。
この数年で最もゴージャスな一日であったが、私にはやはり広くて豪華で明るくて、大勢の人たちに囲まれながらスーツ姿で金屏風の前に立つよりも、狭くて暗くて人数も少なくて、決して豪華では無いけれど、それでもやはり小劇場に在るのが好きで、そこが最も居心地良くて、自分に似合って居ると思えます。
だからまた、どこかの小劇場で逢いましょう。

元舞台監督/ツカモト オサム

【観】2019HPF箕面・豊島高校

8/3(土)2019HPF
箕面・豊島高校
『ヒーローズ・オーバータイム』
作/塩切千春×山
演出/春次未希
@一心寺シアター倶楽

HPF2019の最終日、一心寺シアター倶楽を締めくくるのは豊島と箕面の合同チーム。
舞台奥に中央を高くした二重舞台、二重舞台の両側に台上に昇る階段、前舞台の中央に机と椅子を設える。
内容は得意のドタバタコメディである。
学園の56周年記念祭にヒーローショーを企画する面々。
小ネタとギャグとボケ満載でサクサク進行するのは良いが、内容が薄くて浅いため、もう少し作り込んでも良いと思う。
かつてこの町を守り抜いた旧ヒーローたちの現在の落ちぶれた姿と新シーローの対比から、物語は幾らでも膨らませられる。
ワンシーンが短く、挿入曲が多過ぎる。
ワンシーンは短くてもサクサク進行すれば良いのだ。
だが転換を挟む場面では、転換がそこそこ複雑で、舞台中央の机や椅子を移動させるのと上手のカウンターを組むのを同時に行うのは困難で、悪戯に転換時間を費やしてしまう。
そのため進行がテンポ良く進まず停滞気味である。
ドタバタコメディでは転換を極力省き、装置を移動させることなく前シーンと同じ配置のまま、異なる場所だと観客が解る工夫を施したい。
出演者は全員が元気いっぱいで、心底演劇を楽しんでる姿がとでも心地よい。

【観】2019HPF東海大付属仰星高校

8/2(金)2019HPF
東海大付属大阪仰星高校
『赤鬼』
作/野田秀樹
演出/塩見友唯
@一心寺シアター倶楽

仰星演劇部を初めて拝見したのは2年前の應典院、もちろんHPFへの参加作品だ。
生まれて僅か1年の演劇部はとても初々しく、精一杯の頑張りで公演を乗り切っていた。
あれから2年、仰星演劇部は『赤鬼』に挑戦するほどの成長を遂げている。
もちろん演劇部の名顧問、阪本龍夫先生の育成の賜物であろう。
かつて阪本氏が追手門学院高校演劇部の顧問時代、演劇部の公演で幾たびも本作を上演しており、高校演劇のみならずみ自らが主宰する劇団の公演でも同演目を上演している。
私が最も最近に拝見したのは、HPF2005の精華小劇場で上演した『赤鬼05』で、もちろん追手門学院高校の作品であった。
仰星演劇部の『赤鬼』は、阪本イズムを継承した正統派の作品となった。
客電が消えると、いきなりブルーのライトカーテン。
大音量の嵐の中、舞台奥から巨大な水布が津波のごとく現れ、舞台を覆い尽くして荒れ狂う大海原となる。
アンサンブルキャストによる見事なオープニングの大スペクタクル。
このダイナミズムこそ、阪本氏がこれまで多くの作品で魅せてきた最も特徴的な演出の一つで、冒頭から阪本イズムを象徴するオープニングで、一気に観客は作品世界に誘われる。
舞台中央には海に浮かぶ舟に見立てた形状のメインステージが設えてあり、その奥に二重舞台、舞台の両脇には舟のぐるりを囲むように二重舞台への上り口を設えている。
入江に入る舟のようにも見え、浜に停泊した舟のようでもあり、湾岸にある洞窟のようにも見える。
適切に組まれた照明と臨場感を煽る音響、目の行き届いた小道具と衣裳、安定したスタッフワークに支えられて伸びやかに且つしなやかに舞台を駆け巡るキャストには既に堂々とした風格さえ感じられる。
2時間ある長尺の作品を、緊張感を緩ませることなく最後まで見事に演じきる。
素晴らしい、見せてくれてありがとう。

【観】2019HPF 咲くやこの花高校

8/1(木)2019HPF
咲くやこの花高校
『終焉ブルー』
作/野呂果乃莉
演出/野呂果乃莉・上田朋佳
@一心寺シアター倶楽

咲くやこの花高校は2年ぶりの観劇となる。
これまで過去に何度も複雑な多重構造のメタフィクションを見せてくれた演劇部が本年のHPFで公演する作品は、またしてもメタにメタを重ねたメタフィクションである。
毎年毎年、複雑な重構造の戯曲を描いて、それを作劇する才能が途絶えずに続くのは驚愕に値する。
しかも今年も良く掛けている。
舞台には中央に高く組んだ山台が在り、黒い舞台の中でこの山台だけが白の空間となる。
台上には個性を衣裳の色で表す人物たちが出入りし、ここで描いた物語が白い台の前舞台に表出する。
本舞台上は台上で書かれた世界、つまり構成上は劇中劇となるが、ここが現実世界に最も近く、日常のメタファーとして描かれて行く。
この作品は終わりから始まる。
そしてラストはオープニングとなり、エンドレスで繰り返す構成になる。
女子高生が自殺を配信する内容はショッキングながら、この非常にネガティブな日常を雨や泡の水音と統一してブルーを基調とした照明で美しく見せていくのが上手い。
終盤に入ると劇中劇の高校生は劇場を目指し、その劇場とは一心寺シアターそのもので、劇構造は現実にまではみ出して来る。
劇中の日時も8月1日の18時、場所や時間もメタフィクションさせながら進行し、いよいよ物語の核心へと向かう。
死とは何か、死ぬとはどう言うことか?
死なない、終わるだけ。
終わらない、始まる。
そう、この作品が終わりから始まる物語で、終焉が生の終わりではなく始まりなら、終演は劇の終わりではなく始まりなのである。
終わりは始まりとなり、死は生へと繋がる。
重いテーマを最後までライトに描き、舞台は放り投げられた台本が空を舞うと舞台空間は真っ白になり、黒かった床面は散在した台本で白く染まる。
美しいラストであった。
合唱、ダンス、パフォーマンス、転換、全て良く稽古されており、様々な部分を細部まで作り込んだ秀作である。

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