舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

【観】HPF2018金蘭会高校

7/31(火)HPF2018

金蘭会高校

『シレンとラギ』

作/中島かずき

演出/石本千夏・平野瑞稀

@メイシアター中ホール


HPF2018最終日、金蘭会高校は中学演劇部を巻き込んで大人数のエンタメ作品に挑む。

青と白に象徴される侍の住む北の国と、赤と黒で彩った教団が治める南の国との戦いを、金蘭会ならではのダイナミックな演出で作劇している。

舞台は間口ほどある大きな三段の雛壇舞台の両端に高さ4mほどの回転パネルを設え、それぞれの国を表す色彩を回転パネルの表裏にあしらって、ひと目で舞台がどちらの国かを判別できる。

脚本は何回も2つの国を行き来しながら進行するため、頻繁に場面転換を行うのだが、この転換のバリエーションが実に素晴らしい。

オーソドックスな暗転幕による転換に始まり、ベーシックなサス転換、ブルー場に染めてのブルー転換、ホリゾントのみを色で染めたホリ転換、後方からの明かりで人物たちのシルエットを浮かばせるシルエット転換、意図的に道具の転換を見せる明転(アカテン)、コロスの動きで転換するパフォーマンス転換、暗闇の中で場面転換する暗転、スピーディーで無駄のない転換は劇場演劇のお手本とも言える速さと正確さで、舞台・照明・音響・役者の息がピタリと合っている。

通常、1本の作品内で多種類の転換を行うのはお勧めできない。

転換のテンポが違うので本編のテンポを崩しかねないし、転換によって段取りが違うため、役者やスタッフに負担が増えてミスを誘う。

本来は作品に相応しい最低限の転換方法を選ぶのが最良と言える。

それを金蘭会は敢えて可能な限りの転換方法に挑戦し、見事に成功させている。

特筆すべきは金蘭会の照明で、多くの作品の最も印象的な場面で、ホリゾントと舞台全体を赤一色に染め、記憶にも鮮やかにその場面を焼き付けるのだが、本作では敵対する2つの国が青と赤で表されるため、さすがに今回は舞台を真紅に染めるのは難しいだろうと思っていたら、ラストの大合唱「愛だけを残せ」で舞台は徐々に真っ赤に染まり、ついには全てが赤になる。

赤は愛の色である。

舞台は愛に包まれ、劇場も愛に包まれ、観客に届けられた。

【観】HPF2018堺西高校

7/29(日)HPF2018

堺西高校

『覚えてないで 2018夏〜』

作/南陽子

演出/酒井仁志子

@ウイングフィールド


本作の上演に当たり、作者の南陽子氏は脚本の全面改稿を行い、もともとは三人芝居だった本作を二人芝居に書き換えたと言う。

役者が1人降板し、出演できる人数が2人になってしまったからだ。

1年生と3年生、初めてのHPFと最後のHPF、しかし舞台に立つ2人には年齢の差を全く感じない。

2人とも自然体で堂々としている。

役どころは同級生で、2人は演劇部で共に過ごした親友同士。

3年生になった2人が共に過ごす最後の1年、4つの季節の多くの時間の中から少しずつ、その場所で起きた出来事や、過ごした時間や会話の数々を断片的に拾い集め、時間軸に沿って丁寧に描いていく。

最も大切な友達とどのように別れるか、どのように告げて、どのように応え、どのように接するか、そんなの大人にだって分からない。

悪戯に時間だけが過ぎて行く。

きっと答えなんて無いのだ。

答えの無い問題に、正面から立ち向かう2人の姿が凛々しくて実は切ない。

二人芝居ながら、舞台には台詞のない男優が1人、アクセント的に要所要所に姿を現わす。

学校の帰り道にある公園の片隅、舞台奥に植込みがあり、中央にベンチ、その上手に大きなゴミ箱が置かれている。

ウイングには珍しく、大黒ではなくホリゾントを使用する。

奥行きのない舞台でホリゾントを使用する時、シーリングの光量に注意したい。

シーリングが強いと登場人物の影をホリゾントに落とすことになる。

これは美しくない。

地明かりを中心に明るさを整え、シーリングは表情をカバーする程度に抑えたい。

心象と重なる雨の音、時間や季節を表す効果音、ささやかな指切り、細部にまで目が行き届いている。

ラスト、雨上がりに映える虹の明かりが美しい。

【観】HPF2018緑風冠高校

7/28(土)HPF2018

緑風冠高校

『祭りよ、今宵だけは哀しげに 〜銀河鉄道と夜〜』

作/加藤純・清水洋史

演出/平田玲奈

@一心寺シアター倶楽


宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をベースに、列車に乗り降りする奇妙な乗客たちとの出会いと、親友との別れを描く。

舞台には長箱状のベンチが2台、ハの字型に設えただけのシンプルな装置。

過剰な装飾は一切なく、照明と効果音で場面を補足し編成する。

登場人物が奇妙奇天烈で面白く楽しげなので、それはそれで良いのだが、銀河鉄道で旅する人たちの役割が今ひとつ不明瞭なので、旅に明確な目的が欲しい。

列車の車両の広さを無視して舞台狭しと走り回ったり、窓の外と思える所へも自由に移動する演技と演出は、非常に自由で解放的であり、この列車に乗ることは永遠の自由が約束されていて、何をしても許されるし、誰からも束縛されず、何の決まりも規則もない空間に思えてくる。

もちろんそんな訳はない。

全ての自由と引き換えに、確実に別れの時は近づいて来る。

転換を含め、薄暗くなる場面は全てブルー場で処理しているのは意図してであろうか。

それはそれで斬新なのだが、やはり役者の表情が見て取れず、最低限の顔明かりは必要に思う。

薄くシーリングを足すだけで良い。

星明かりは調光を通すべきで、せっかくの星明かりがオンとオフで点灯し消灯するのは、あまりにも無粋である。

良い点もあり、悪い所もあるが、大切なのはそれを意図的に行ったかどうかである。

意図した行為が失敗だったなら、多くを学ぶだろうが、多くの場面でその意図が読めない部分が見受けられた。


【観】HPF2018寝屋川高校

7/27(金)HPF2018

寝屋川高校

『見上げれば鳩がいる』

作・演出/堀江竜也

@一心寺シアター倶楽


HPF初参加の寝屋川高校の作品は、鳩が運ぶ手紙が2つの時間を繋ぐタイムスリップ作品なのだが、軽いエンタメに終わらせることなく、重いテーマを内包した戦争劇に仕上げている。

夏休みの高校の体育館、演劇部の練習中に体育館内に紛れ込んだ鳩から宛名の無い手紙を受け取った主人公が戦時中の長崎に迷い込んでしまう。

87日、長崎に原爆が落ちる2日前。

現在に戻ると手紙の続きを読むことになり、翌日の長崎に舞い戻る。

これをもう一度繰り返し、とうとうその日は訪れる。

89日長崎、原爆投下。

忘れてはならないことを、知らなければならないことを、誰かに伝えることが鳩の使命であるなら、本作の作者こそが手紙を運ぶ鳩に他ならない。

真面目によく稽古されていて、胸を打つ良作であった。

スタッフワークも適切で、大きなミスもない。

矛盾が全くない訳ではない。

現代の若者が戦時中にタイムスリップしたのなら、当時の人に服装や言葉の違いを指摘されることは容易に想像できる。

長崎で暮らす姉妹を演劇部員の2人が二役するのだが、残りの部員1人や顧問の先生も長崎の住人として戦時中にも登場した方が収まりが良く配役の構成も良くなる。

だがそんなことは大した問題ではない。

伝えたいことを伝えてこその演劇である。

それが成されたのなら、作品は目的を成就している。

これ以上に飾るのは蛇足となり、それ以外を望むのも無用に思えた。


【観】HPF2018豊島高校

7/26(木)HPF2018

豊島高校

『星華火 〜昨日の夏へ〜』

作・演出/木村玲奈

@一心寺シアター倶楽


これまでHPFで他校と合同公演をしてきた豊島高校演劇部が初めて行う外部での単独公演は驚くほどの秀作である。

脚本も秀逸ながら、役者が生き生きとしていて非常に良い。

小学校と高校、過去と現在の2つの時間に起こる出来事を、交互に描きながら進行する構造の2プロット群像劇。

ただし登場人物は小学生と高校生にそれぞれ別のキャストを配役して、2人で1役で演じる。

小学校時代に所在不明になった友だちが居る。

かたや高校に転入してきた転校生。

小学生と高校生、同じ人物を1人の役者が演じるとしたら絶対に不可能な仕掛けを、21役の配役にすることで同じ人物を別々の人物にミスリードさせ、最後まで確信させないよう答えを引き延ばし、ミステリィの要素も合せ持つ作品に仕上がっている。

最終景、星空の下で出会う小学生のヒカとスズ、それにリンクして再び出会う現在のヒカとスズ。

このラストが素晴らしい。

最後に残る星明かりが実に美しい。

【観】HPF2018東百舌鳥高校

7/25(水)HPF2018

東百舌鳥高校

『見えないモノ』

作・演出/木寺萌夏

@ウイングフィールド


夜間学校に通う生徒4人と1人の教師が、5人で幽霊屋敷の探索に出掛けるホラー作品。

袖幕と大黒で囲まれた舞台上に、腰掛けに使う木箱を3個置いただけのシンプルな舞台。

夜間学校を移動して幽霊屋敷に入ってからは屋敷内の部屋から部屋へと移動しながらストーリーは進むのだが、ワンシーンが短く展開はいささか強引である。

とは言えホラーの定石は押さえられていて、冒頭の前説では客席内の女性客が突然悲鳴を上げて立ち上がり舞台に登場する奇抜な演出を見せ、劇中ではお決まりの停電、明滅する照明、逆光、不気味な時計の音、扉の開閉音、散りばめられた定番のホラー要素が観客を大いに楽しませた。

惜しいのは幽霊屋敷の設定が今ひとつ説明不足で、空き家であろう屋敷内の電気系統の問題や暗転を繋ぐ柱時計の所在、大きさや部屋の数や広さが全く判らない謎の屋敷、舞台の説明が不十分で不親切である。

殺人の動機も安直ですんなり納得はできないのだが、何となく楽しめてしまう。

暗転中や停電の中、映像で舞台に揺らめきを投影しているのだが、映像が暗い上に大黒幕に投影されるので明瞭には映らず、効果的とは言えない。

舞台を大黒ではなく部屋の壁面のようにグレー幕を吊るとか、グレーのパネルを組んで壁のように建てると壁面をスクリーンにした映像効果が得られるだろう。


【観】HPF2018箕面高校

7/23(月)HPF2018

箕面高校

『ぶたおWA!

作/西村知生

演出/村上理紗

@浄土宗應典院本堂


舞台は文化祭でクラス劇のための装置を作るスタッフが集う放課後の教室。

以前拝見した同作の枝葉を払い構成がシンプルになり、幾分洗練された作品に仕上がっている。

部員数の問題か、今回は担任教師は登場せず、マイク処理で教師の声だけを聞かせる演出で、生徒たちだけの人間関係を際立たせている。

放課後から始まり、下校するまでの毎日を繰り返して見せるシンプルな構成で、オープニングとエンディングは変化をつけた場面を挿入して、上手くまとめている。

何よりも、のびのびと生き生きと役者が動くのが良い。

鬼ヶ島の吊り上げや、桃の仕掛け、果物の小道具、手作り感が溢れるモノばかりだが、とても良く出来ている。

基本的な約束事は、音楽が入って夕方の明かりに変わり、明かりが戻ると翌日の放課後になる。

分かりやすい繰り返しながら、下校のチャイムがあったり無かったりするので、統一感は欲しい。

チャイムや電話等、効果音の入れ方が雑である。

大団円と思わせて、観客の予想を裏切るブラックなラストは意表を突かれて面白い。

【観】HPF2018信太高校

7/22(日)HPF2018

信太高校

DOLL

作/如月小春

演出/芳賀ちひろ

@一心寺シアター倶楽


1977年に愛知県で起きた女子中学生集団入水自殺を題材に、1983年に如月小春氏が女子高生5人の集団入水自殺を結末に書き下ろした戯曲『DOLL』は、現在も色褪せることなく頻繁に上演される人気の高い戯曲となった。

学校では規則に縛られ、家庭内では親に逆らえず、人形のごとく他人の言いなりになって今まで過ごしてきた5人の少女が、純粋に美しい死に憧れて理由なき集団入水自殺をするに至るまでの経緯を描いた物語である。

とても丁寧に描かれていて入念な稽古が見て取れ、とても好感が持てる。

5つの箱を転換で組み替えたり、配置替えして様々な場面を表現するシンプルな舞台装置は、最低限の装置だけ機能するよう工夫されている。

二重舞台の使い方も良い。

小道具はマイム処理されるものと、クッションやノート、本などのように実物が使われるものがあるが、大半の小道具がマイム処理で実物がほとんど登場しない作品では、劇中で実物の小道具を用いると、その小道具に特別な意味が生じるので注意したい。

転換は脚本上、サス明かりの中のモノローグ転換が多用されるが、それ以外の転換はブルー場による青転(ブルー転換)なので、劇中の夜や海のシーンで同じブルーの照明を併用するなら、せめて転換の明かりは同じブルーを使うのを避けたい。

この作品は海のシーンを最も美しく見せたいので、海のシーンにのみブルーを使い、夜は紫、転換はシルエットと、異なるプランを準備すると良い。

自室と教室も同じ地明かりでなく、自室を少し狭めたエリア明かりにすると、より分かりやすくなる。

音響効果で場転時に効果音を用いて舞台の状況を表す時は、ある程度効果音を劇中も聞かせて、フェードアウトで自然に音が無くなるよう留意したい。

セミの声や虫の声が、短く急速に消えてしまうと違和感を強く感じてしまう。

ラストシーンは白い衣裳の少女5人と、奥舞台に立つ黒服3人のコントラストが美しく素晴らしい。

ラストは誰も居ない舞台に、劇中で語られた遺留品の5足の靴とアルバムだけを残し、波の音と共に消して行きたい。

少女たちが死んで居なくなる作品なので、舞台から少女たちが完全に消え去って終わるのが正しい結末に思う。

【観】HPF2018精華高校

7/21(土)HPF2018

精華高校

『大阪、ミナミの高校生3

作/オノマリコと精華高校演劇部

演出/小松陽介

@一心寺シアター倶楽


今までのHPFに類を見ない作風で、新しい風を感じさせられる。

本作は「大阪、ミナミの高校生」シリーズ3作目なのだと言う。

是非、前作を見てみたい。

作品のテンポや緩急を意図的に排除し、淡々と進行するフラットな構成を基礎にしながら、作風とは裏腹に強烈でダイレクトなメタファーが施され、作品構造と内容がミスマッチで、ミスマッチゆえに余計に違和感を感じさせる海やサメのメタファーがより際立って感じられる。

登場人物の心象風景を具象化した、海中海底のイメージシーンが印象的であった。

前半は高校時代の日常を、後半は30歳に成長した自分たちの生活を、2つの時代は対照的に描かれる。

しかし自分たちが30歳になった時の姿は、不十分で未成熟な高校生の知識と想像力で創作したものの域を出ず、高校生活の場面に比べてリアリティに欠ける。

前半に負けず劣らぬリアルな30歳の日常を後半にも描き出せたなら、更に魅力的な作品になるに違いない。

舞台装置は上手に椅子やガラクタを積み上げた一群が有り、演劇部の部室として使われる。

ガラクタの中に立派で大きな柱時計があり、妙に立派で美しく、悪目立ちして浮いている。

下手の宙空には窓枠が吊られているのだが、空間のバランスを重視し過ぎ、かなり高い位置に設定してしまい、高い位置の窓は違和感が強い。

8灯の電球を天上からランダムに吊り下ろした照明は、場面によって様々な点灯のバリエーションを見せ、アイデアと工夫が見られる。

最も印象的な場面は、海底に深々と塵や芥が雪のごとく降るシーンで、このシーンは本作の中で最も美しい場面として見せたい。

海を表すブルーの照明はこの場面のために温存しておき、他の場面では敢えて使わないようにすれば、より印象的な場面となる。

転換にはブルー場を用いるのではなく、ブルー転換以外の転換方法を採用した方が良い。


HPF2017『一劇心奪』総括

HPF2017『一劇心奪』 総括
7/21(土)〜7/31(月)


28年目を迎える26校による3劇場11日間のHPF2017、今年も暑く、熱い夏の祭典であった。
第6回HPF(1995年)から講評を引受け、23年が過ぎた。
スペース・ゼロが主催の頃はHPF出場校の全ての作品を観ていた。
主催がHPF実行委員会に代わり、会場やシステムも変更され、講評はサポーター制になって全ての作品は見られなくなったが、演劇人やOB・OGの講評者が増えたことで多くの視点からの講評が可能となった。
しかし舞台技術者のサポーターは少なく、スタッフワークの進歩は牛歩になったように思う。
それは単に舞台技術スタッフの講評者が少ないからだ。
各校に最低1人は舞台技術スタッフの講評サポーターを確保することが、HPFの急務に思う。
嬉しいことにHPFの演劇の質は毎年着実に上がっている。
だがスタッフワークに進歩が見られないのは、先輩から後輩に技術が正しく伝わってないからであろう。
大切なことは文章や図にして残すようにしたい。
たった1人が苦心して図解と文章による詳細、注意点を作成すれば、末代まで残る。
今年のHPFも観劇校の半数が照明のシーリング(前明かり)を正しく扱えず、明かり作りを失敗していた。
昔、高校演劇でホリゾントが頻繁に使われていた頃があり、時間の経過や感情表現をホリゾントの色変化に使う訳だが、効果的な使い方を理解してる演劇部がほとんど無くて、大黒にした方が良い作品までホリゾントを使いたがる演劇部も多かった。
効果的にホリゾントを用いる演劇部は、総じて顧問に照明の知識がある演劇部で、知識に乏しい演劇部にホリゾントのデメリットを繰返し伝えてきた。
HPFではホリゾントを使う演劇部が減り始め、ついにはどの劇場も大黒を基本設定とし、ホリゾントは使いこなせる演劇部しか用いなくなった。
そして今はシーリングの注意ばかりしている。
繰返し伝えなければならないほど、前明かりの使い方を知らないからだ。
ホリゾントは知識と技術がないなら使わなければ済むが、シーリングを使わずに演劇は済ませられない。
地明かりは舞台の上からの照明で作るのが基本で、顔や顎の下に陰影が出ない程度に前明かりを灯す、それだけのことが上手く後輩に伝わらない。
基本的な使い方さえ覚えれば、舞台スタッフは面白く遣り甲斐のある仕事ばかりだ。
しかもその基本は、実はそれほど難しくはないのだ。
さて、今年度からHPFでは講評のやり方が変更され、講評会で観劇校一つ一つの講評を述べるスタイルが改められ、講評文を提出し講評会では総括のみを述べることになった。
私は2005年から始めたblog『舞監@日誌』で、観劇した舞台作品全ての感想を書いて来たが、年間の観劇数が300を超えた頃からブログに費やす時間が確保できなくなり、ブログを制限することにした。
依頼された講評は、コンクールや演劇祭のホームページ(space×drama等)に書き込むようにして、劇団からの要望は直接劇団に劇評を送り、劇団のホームページに掲載して貰うようになった。
だが、高校演劇の講評だけは今もブログを毎年続けている。
講評を書くことは他の講評サポーターにとっても非常に有意義であると思う。
書くことと話すことは別の脳を使う。
頭の中を整理して、違った角度から作品を見直すことを可能にする。
それに思わぬ副産物があるのだ。
ある年、他府県の高校演劇連盟より連絡があり、県大会の審査員をお願いされた。
訊けば、高校演劇の講評を書いたブログを読んで、是非とも審査員をお願いしたいとの依頼であった。
もちろんお引き受けすることにした。
その後もブログのコメント欄にご依頼を頂いたり、更には大会会場で違う地域の関係者から審査員をお願いさて次々と御縁が広がり、県大会やブロック大会の審査、分科会への登壇、演劇部顧問への顧問講習会講師、大会の舞台監督と、多くの高校演劇のサポートへと繋がった。
中でも嬉しいのは講評した作品の脚本を書いた高校生や、観劇した作品に出演した高校生が、ブログのコメントに作品の意図を解って貰えて嬉しいとか、指摘された改良点を具体的に直すにはどうしたら良いか?とか、質問や感想を頂いた時で、その都度必ず返答を返している。
最近も他府県の大会でコメントに質問をくれた高校生が、大阪の大学に進学し、卒業後劇団を旗揚げ、5年前にお世話になりましたと挨拶してくれた。
嬉しい、でも思い出せない、困った。
そんな時にブログ内を検索すれば、ちゃんと記録が残っている。
過去の自分に感謝する。
そんな訳でサポーターの皆さまに、講評文を詳細に書くことをお勧めするのだ。
出来ればウェブ上に残していけば、きっと誰かの役に立ち、それがいつか新しい出会いに繋がり、延いては自分自身に利益を運んで来てくれることになる。
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