舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

【告】くじら「本」会議・『夜会』&『一緒に読んでみよう』


image

大竹野正典・演劇映像資料鑑賞の集い
「夜会」
会場/音太小屋A(2階)
開演/19:30〜
会費/500円(ワンドリンク付)※初回参加無料
内容/上映会+懇親会

第23夜
1/13(水)19:30〜
『動物園物語』(1995.5カラビンカ・Aプロ)
作/エドワード・オーリビー

第24夜
2/17(水)19:30〜
『サヨナフ』(2005.3ウイングフィールド・再演)

収録/劇集成

第25夜
3/16(水)19:30〜
『夜が掴む』(1988.12都住創センター・初演)
※映像初公開
収録/劇集成

第26夜
4/13(水)19:30〜
『一家団欒』(1987.2都住創センター)
※映像初公開
収録/劇集成

本年の「夜会」が終了し、来年の上映予定が決定した。
『動物園物語』は大竹野が既成戯曲に挑戦した異色作。
風太郎と武川康治の二人芝居を、配役を交代しての2つのプログラムで上演する。
迫力の会話劇。
『サヨナフ(再演)』はウイングフィールド再演博覧会への参加バージョン。
初演から多少のブラッシュアップと配役変更しての再演である。
連続ピストル射殺事件(1968〜69)の永山則夫を描く。
『夜が掴む(初演)』はテアトロインキャビン戯曲賞佳作を受賞し、大竹野の名を世に知らしめた。
ピアノ騒音殺人事件(1974)を下敷きに、家庭喪失劇を描いた大竹野の出世作。
映像では初公開となる。
『一家団欒』も今回映像初公開で、現存する大竹野作品の中では最も古いものである。
神奈川金属バット両親殺害事件(1980)を下敷きに、大竹野が初めて事件モノを扱った作品で、大竹野本人が主演を担う。
これは見逃せない!
5月以降に残す映像記録作品は残り2本となった。
7月からは追悼公演と出版記念公演で再演した完成度の高い選りすぐりの6本を順に上映予定。
乞うご期待!

image

「大竹野正典劇集成」を楽しむ
《一緒に読んでみよう》
at ウイングフィールド
開催/19:00〜21:00
会費/大人1000円・学生500円(ワンドリンク付)
内容/朗読+交流会
定員/20名以内(予約制)

其の10
2/22(月)19:00〜『サヨナフ』
収録/劇集成

其の11
3/22(月)19:00〜
『トーフの心臓』
収録/劇集成

其の12
4/18(月)19:00〜
『一家団欒』
収録/劇集成

来年2月からの第4期《一緒に読んでみよう》のスケジュールも決定した。
『サヨナフ』〜連続ピストル殺人魔ノリオの青春〜は、「夜会」と連動して同月に開催。
観てから読むか、観ないで読むか?
『トーフの心臓』は向田邦子の名作「あ・うん」の大竹野版。
元ネタを知らずとも十分楽しめる。
大竹野作品には珍しいシチュエーションコメディである。
『一家団欒』も「夜会」と連動して同月に開催される。
犬事ム最初期に書かれた戯曲であり、終生を貫くテーマが早くも描かれている。
其の12以降も《一緒に読んでみよう》は継続予定。
期して待たれよ!

【舞】芝居屋さんプロデュース『トイレはこちら』

芝居屋さんプロデュース
別役実作品80年代
『トイレはこちら』
作/別役実
演出/田口哲
出演/田口哲・日枝美香L
添え唄/天満の哲
@音太小屋A
12/11(金)19:00〜
12/12(土)14:00〜、17:00〜


田口さんに請われて久しぶりに芝居屋さんの舞監をする。
二人芝居で別役氏得意の不条理劇は、観客にその真意は判らずとも、とても面白く喜ばしいささやかな1時間であった。
演者二人が良いのは言うまでもない。
しかし80年代に別役氏が描いた作品世界はメタファーに満ち溢れ、それに気付かずに終わるのはあまりに惜しいので少々解説しておきたい。

中央にベンチ、横に街灯の明かり、その前にみかん箱が在り、その上に首吊り用のロープが吊られている。
ここは音太小屋を出て右の道を進んだ先にある公園がモデルなのだと田口氏は言う。
普段は書かないが舞台進行を記す。
上手から女が人形を抱いて登場し、ベンチに人形と荷物を置いて、線香を灯しラジカセから葬送曲を流す。
女が自殺しようとすると男が登場し、商売を始めようとする。
訊けばトイレの場所を教えて100円を貰うのだと女に話す。
女はそんな商売は成り立たないと言う。
タバコを1本、男に貰って女が一口タバコを吹かすが、男はタバコは吸わないのだと言う。
自分はガンになりたくないので吸わないが、他人がガンになるのは構わないのでとタバコを持ち歩き、タバコを振る舞うのだ。
いよいよ首を吊ろうと、ラジカセのスイッチを男に頼むとラジカセが壊れて音楽が流れない。
代わりに葬送曲を唄えと頼む女。
葬送曲の代わりに「君が代」を唄う男。
唄いながらトイレを催し始める男。
それを見て女はトイレを促すが、しかし実際はトイレは存在せず、男の商売は実在しないトイレを教える詐欺であった。
仕方なく自宅に戻る男。
帰りがけに女に商売の代理を頼む。
上手く行くはずないと思いながら、ベンチに座っていると、衣裳を換えた男が登場し、トイレの場所を訊ねてくる。
こっちだとトイレを示すと、ありがとうと礼を述べ100円を女に渡して男は下手に去る。
自殺を止めて、正しい道を説くことに生き甲斐を見いだす女。
ここで芝居は終わる。

別役作品は様々なメタファーが施され、80年代には物品税の撤廃と消費税の導入が決まり89年から施行されました。
80年代の中盤は、消費税導入が決まるかどうかの動乱期でした。
またコンピューターの名前がマイコンからパソコンへと移行された時期で、自宅にPCを措く家庭がボチボチ出始めた時期で、87年の調査ではインターネットの普及率が日本で10%に達する。
インターネットが広まり始める時期ですね。
トイレの場所を教えて儲けるのは、情報がお金を生む予兆であり、しかもその情報が本当か嘘か解らないのにお金を払わされるインターネットに警笛を鳴らす作品でもあります。
当時は日本専売公社が経営するタバコ販売が85年にJTへと代わり、TVで頻繁にCMが流された時期でもあり、ガンになる可能性はあるが、国民が吸えば吸うほどタバコ税が徴収され日本が儲かる仕組みが確立され、女性の愛煙家が爆発的に増加した時期であった。
劇中でも女にタバコを吸わせる場面が挿入される。
更に得体の知れない物品税、のちの消費税をどこかオカシイと感じながらも、導入されて払わされる日本人の姿を描いている。
言うまでもなく男は国家、女は国民のメタファーである。
国民は首を吊るほど窮しているのに、更なる税制を押し付ける日本の姿を見事に映し出した作品です。
ラストでトイレを訊ねた男がすんなり100円出す姿は、未来の日本人の別役なりの予見であり、これも見事に的中させています。
この作品を見た誰もが100円を払う訳ないと思いながら、その実すでに払わされているのです。
葬送曲に君が代を唄わせる、女性にタバコを吸わせる等、別役の皮肉に溢れた一作でした。

【制】くじら企画『屋上のペーパームーン』

7f3c26a8.jpg
ca957ba7.jpg
新装版・大竹野正典劇集成欺佝乃念公演
『屋上のペーパームーン』リーディング
作/大竹野正典
演出/くじら企画
@グランフロント大阪北館 タワーC713号・都市魅力研究室
11/27(金)19:00〜
11/28(土)11:00〜、14:30〜、18:00〜
前売予約1500円、当日1700円、新装版購入で500円引

既に告知済みだが、大竹野正典劇集成鬼がほぼ完売となり、初版の残数は挟と郡の全3巻セット販売だけとなった。
鬼に収録された戯曲8編は大竹野の円熟期・くじら企画時代に書き下ろした作品で、完成度はどの作品もすこぶる高い。
関西だけでなく、東京や九州で大竹野作品を上演して頂いた各所でも、劇集成を販売して頂いた力添えもあり、幸いにも早くも鬼増刷の運びとなったが、これを機に装丁を簡素化し廉価版を製作して料金を低価格へ見直すことになった。
初版に付録で附いていた小冊子は付かないものの、収録内容を以前のまま1200円のコストダウンに成功、新装版・大竹野正典劇集成気1800円(税別)で出版することになりました。
この出版を記念して、くじら企画が再び出版記念公演を開催する。
久しぶりに生の「くじら企画」に触れるチャンスがやって来た。
上演作品に選んだのは追悼公演と出版記念公演で再演したく、再三その名が挙がり、実現を検討しながら毎回見送って来た『屋上のペーパームーン』だ。
再演の条件に、初演と同じくビルの屋上であることを強く望み、借りられそうな屋上には足を運んで下見もしたが、実現にはほど遠い物件ばかりであった。
更には屋外ゆえ夜間しか照明が使えず、悪天候の場合は中止も考えられるため、断念するしかなかったのだ。
今回は初手から完全な再演を諦め、初演時の立地や設定をト書きで補い、観客の想像にお任せし、公演形態もリーディング公演とした。
とは言え、出演者はオーディションで集められた強者揃い。
敢えて言おう、役者の頭には台詞が全て入っている。
よってほとんどの場面で役者は台本を見ない。
小道具は全て準備され、場面によっては台本も持たないハーフリーディングである。
男優7名による大竹野作品でも異色のピカレスクロマン。
本日より!

【追記】A級MissingLink『くらげなす、流体力学の基礎知識』11/9補足

A級MissingLink
『くらげなす、流体力学の基礎知識』補足


松岡永子さんからコメントを頂きました。
的確で洞察力の深い内容なので、新たに頁を設けて転載させて頂きます。
松岡さんの文章に続いて私の考察を追記します。
まずは松岡さんのコメントから。

《主に、引用されているモチーフについて》
劇中、「ライオス像」という言葉が出てくるので、「テーバイの噴水」は「ディルケの泉」ではないと思います(ディルケとライオスでは一世代違う。実物見たことがないので確実なことは言えないが)。
素直に、ライオス王とその子オイディプスを考えればいいのではないでしょうか。
エディプスコンプレックスで有名になった悲劇オイディプスは、父を殺し母と交わるという神託が、それを避けようとする人間の努力にもかかわらず実現してしまう話。
この舞台では、オープニングの後藤兄による内部告発宣言によって父親を(社会的に)葬り、エンディングの後藤弟のプロポーズ(!)によって父の愛人を娶るという形で実現します。

菜月がアプロディーテだとは考えつきませんでしたが、人物関係はその通りでしょう。
その場合、菜月の(生物学的)父親が誰なのかが気になる…

でもたぶん、直接モチーフにされているのはギリシャ神話ではなく『ゴドーを待ちながら』です。
ゴドーとは何者か。
ゴドー=Godという有名な解釈もありますが、結論としてはよくわからない。
ただ、決して訪れない、絶対者的な人物らしい。
劇中でそれに比定されるのは後藤兄でしょう。
成績優秀で野球部のキャプテン、わずか4人で起ちあげたベンチャーをあっという間に大企業に育て上げる天才。
彼がゴドーなら、決してここに来ることはない。
だから彼の被っている面は現役ヒーローではない。
彼は帰ってこなかったウルトラマンなのです。
話が展開しそうになったとたん挫折するというシーンがいらいらするほど繰り返されるのは、『ゴドーを待ちながら』をなぞっているからです。
この物語で描かれているのは、終末後の風景です。
世界のおわりが終わってしまったあとの風景。
あかるい未来なんてない。
かといって(たとえば『北斗の拳』的な)破滅もやってこない。
一時流行った言葉でいえば、終わりなき日常、というやつですね。
すでに希望はなく、もはや絶望もない。(ゴドーは来ないんです)
ある年代の者には共有できる感覚だと思います(ノストラダムスの大予言を読んで一瞬でも本気で信じ、自分が何歳で死ぬのかを計算してみた者。
放射能を吐くゴジラとかガイガーカウンターを持ったトらやんとかに思い入れてしまう者)。
こういうの、若い人はどう感じるのでしょう。
ぜひ聞いてみたいです。
その世界の中で、ヒロインには二つの生き方が示されます。
一つは、ゆるゆると退却しながら日常の中に自足する、母・環の生き方。
もう一つは、あてもなく未知の世界に出ていく娘・菜月の生き方。
この世界が「くらげなす」のだとすれば、世界はおわってしまった後なのではなく始まる前なのかもしれません。
だとすれば、未知の世界に出ていく二人はイザナキとイザナミ。
イザナキとイザナミは兄妹(姉弟かも)神です。
大災害による滅亡後、兄妹が人類の始祖となるという神話類型はアジアでは珍しくありません。
でも現代日本ではそれだけで不幸のフラグが立ってしまう。
だから兄は偽物にすり替えたのかもしれません。


[追記]
お返事が遅くなりました。
先週は高校演劇の神戸大会のため、早朝から神戸に日参し、深夜に帰宅でしたので、毎日少しずつ書き溜めて居りました。
全く松岡さんの仰る通りです。
私は「ライオス像」を聞き逃しましたね。
聞き逃すはずのないキーワードですが、私が観劇した31日のソワレに、私の座った2列奥の最後尾の座席に、お風邪を召した観客が居られ、劇中のほとんどの場面で咳込んで居られて、大きく咳込むと役者のセリフが掻き消され、幾つかのキーワードを聞き逃しているのです。
記憶に残る「テーバイ」から分析を始め、比定を重視して関係性を探ったため、ギリシャ神話に至りました。
「ライオス像」は最重要のキーワードですね。
[ゴドー=後藤]は、しばしば用いられるアダプトなので、その線も頭は在りましたが、同様に[ゴッド=後藤]もしばしば使われるので、神話の系譜から登場人物の関係性を対比選択させています。
これにこだわり過ぎると、しばしば誤読してしまいます。
モチーフ(着想・動機・元ネタ)ではなく、ベース(基盤・土台・基部)と書くべきですね。
ご指摘の通りです。
でもその誤読のお陰で、登場人物に比定するギリシャ神話に行き着いたなら、それはそれで興味深い発見です。
「くらげなす→古事記→日本神話→イザナギ・イザナミ」は、タイトルから順当に辿り着く連想です。
これもモチーフの一つになっていますが、古事記の冒頭付近の「くらげなす」をタイトルに使用してるので、初めは日本神話の神々の系図をベースに劇中の人々との関連性を考えました。
ですが、日本神話のエピソードには諸説あり過ぎて、関連する神々の逸話の数に著しく偏りがあり、特定するには強引すぎるのと、系譜に比定しようにも近しい関係の登場人物が無かったりで、ギリシャ神話に考えを改めて再試行したのです。
もともと日本神話とギリシャ神話には似たような話や設定が数多く存在するので、研究者によって類似性を分析した文献が数多く出版され、「比較神話学」として研究されています。
メタフィクションを解析する糸口としては、ギリシャ神話の系譜から比定を試みるのも、悪くない選択かと思います。
もっとも最初の取っ掛かりは劇中に登場しない二人のキーパーソンに注目しました。
商店街の屋根にアーケードを架けて、確固たる一つ屋根の共同体を造った西野の父。
商店街の有力者で、実質上の統治者として君臨した後藤(父)。
日本を創った国産みの神と、日本を統治する初代の君主ですね。
古事記に則り国産みの神をイザナギとすると、西野の息子(貴司)はツクヨミか、スサノオとなる。
統治者の後藤(父)は天孫降臨のニニギノミコトか、初代天皇の神武天皇か、どちらにせよ全体的に系図と比定せず、[後藤=ゴッド]からも逸脱するので選択肢から外しました。
[後藤=ゴッド]とする比定を試みて、後藤(父)をイザナギとするなら、G(兄)はツクヨミ、純也(弟)はスサノオ、菜月(娘)がアマテラスに対応するものの、環や西野との関係が比定できず、日本神話から離れ、ギリシャ神話からアプローチしました。
しかし本質は前頁で述べた通り、古事記になぞらえて地盤が緩く頼りなくて、ともすれば大国に足元を掬われそうな現代の危うい日本を描いた作品である。


松岡さま
モチーフとしては、確かに『ゴド待ち』と『オィディプス』ですね。
パンフレットに、空から恐怖の大魔王が降って来なかったあの日からの事が、この作品の出発点のひとつと明示してありました。
オイディプスは、[テーバイ]から気付くべきでした。
ですがライオス王の系図では登場人物と比定できないので、ストーリーラインに対応する下敷きにした題材が気になります。
元々、下敷きにした神話や史実や物語など無いと言ってしまえばそれまでですが、メタフィクションに人一倍こだわり入念に入れ子構造を構成する土橋作品で、それは無かろうと思うのです。
まぁ、無くてもどのみち誤読や変読してしまうのですが…

後藤兄弟を二人で一人のオィディプスと捉えるのが面白いですね。
兄が父親を社会的に抹殺し、弟が父親の愛人を娶ることで、オィディプスと父母の関係が象徴的に示されます。
オィディプスの物語では、実父と知らずに殺してしまい、実母と知らず契ってしまう運命の残酷さが、痛々しくも滑稽です。

アプロディーテはウラノスの男性器に付いた泡から生まれ、その美しさを称賛してゼウスが養女にしたと言われますが、ホメロスはアプロディーテをゼウスとディオーネの娘と述べており、私の解釈も後藤(父)と環(愛人)の間に出来たのが菜月(娘)と思いました。
劇中では後藤の父と菜月が、ただならぬ関係であるとほのめかされるだけで、観客の想像に委ねられますが、後藤(父)の性格と話の流れから、後藤(父)が菜月の実父であるか、後藤(父)と菜月の間に肉体関係があるか、またはその両方であろうと思われます。
兄弟とも関係はありそうに思われ、ごく狭い地域で近所の誰もが知る公然の秘密が、この商店街にはたくさん在りそうです。

次回、小劇場観劇講座は11月25日(水)パシフィック・シアターに於いて、19:30から。
受講は無料。
↓予約はこちらまで!

butaikouza@gmail.com

※氏名・所属・連絡先を明記して、ご予約お願いいたします。

【観】A級MissingLink『くらげなす、流体力学の基礎知識』10/31

A級MissingLink 第22回公演
『くらげなす、流体力学の基礎知識』
作・演出/土橋淳志
@ウイングフィールド

9月からパシフィック・シアターで始めた無料講座「小劇場観劇講座」の課題作品ゆえ、先月の「空の驛舎」に続きこの作品を解析する。
今回は感想よりも解析のアプローチを主軸に考察してみたい。
一風変わったブログになるが、このような順で作品を解体、整理して行くと、難解な作品の理解に繋がる糸口が見つけられる。

まずは構成を把握する。
序章、冒頭4人が一列に座しての会話だが、上手側の2人と下手側の2人を交互に対話させるツープロット。
それぞれの一人が退場し、残された2人が初めて会話を交わす。
4人中の一人はウルトラマンのお面を被っていることにも注目。
短い暗転を挟んで本編へ。
寂れた商店街の空き店舗を集会所として利用する「商店街を盛り上げる会」の面々が集い、明日の夏祭りの準備をしている。
本編は明転を挟んで小道具の入れ替えがあり、同じ商店街の別の空き店舗を利用している別の会の集会所へと場面転換される。
先の盛り上げる会に対抗する「商店街を守る会」の集会が行われ、同じく明日に企画した夏祭りの話をする。
この2つの集会所を明転処理し、小道具だけの交換で場面転換を繰り返す構成だ。
劇中に電灯を消して暗闇にするシーンがあるが暗転ではない。
劇中で消灯し暗闇にする場面も、時間経過と共にストーリーは進行するが、この景の場所は変わらず元の集会所のままである。
本編は2つの集会所を交互に見せるだけの非常にシンプルな構造だ。
再び小暗転を挟み、終章へと向かう。
明かりが灯ると舞台に居るのは3人だが、これもツープロットの同時進行で、駆け落ちする二人と、素振りをする男は別空間に居る。
駆け落ちの二人が去るとマトメの最終景に入る。
ボヤ騒ぎの顛末が明かされウルトラマンのお面が再び登場、終演となる。
終始全ての構成をツープロットにまとめたメタフィクション構造で、序章と終章とを同時進行にさせることで、作品構造自体が前後で対称なシンメトリーとなっている。
音楽のソナタ形式は、メロディ構成が大変シンプルで美しく、主題(A+B)→展開(C〜C')→再現(A+B')の3パートで構成される。
この作品の構成も、二人による対話をA、2つの集会所をCとC'とすると、序章(A+A')→本編(C⇔C')→終章(A"+B)となり、演出的にソナタ形式を成す。
実に美しい。

次に構造を掴みとる。
閉店し休業に追いやられた店舗も少なからず在りそうな寂れた商店街に、2つの似通った店主会が在り、意見や方針に食い違いがあって、相容れることはない。
だが、さし当たって共通の問題は、明日の2つの夏祭りをどうするかだ。
合同開催するのならと、盛り上げる会に提示した守る会の条件は3つ。
アーケードの解体中止・盛り上げる会の解散・山瀬ベーカリーのレシピを開示。
2つの団体の小競り合いが続く商店街を通り抜けて大きな橋を渡ると、川向こうは歓楽街や繁華街、大型量販店があり、大手スーパーもあるだろう、きっと賑やかに違いない。
小さな商店街の2つの団体の小競り合いの陰に、登場しないが大きな街(或いは都市)が在ることを知っておかねばならない。
見える物語の後ろに、見えない大きなモノが潜んでいる。
これがこの作品の構造であり、主題の一つでもある。

更に脚本のメタフィクションを考察する。
作品のあちこちに散らされたメタファーのヒントを拾い集める。
商店街の泉に関連して、ギリシャ神話・テーバイの泉・事実上この商店街を取り仕切る独裁者だったスーパーの経営者、プロ野球の話題から、仙台・楽天イーグルス・ライブドアのバファローズ買収騒ぎ・田尾監督・オマリー、コンピューターの話では、4人でコンピューター会社を設立・最新のSNS開発・インターネットから広がったデモ騒ぎ・暴動が起こり大型量販店襲撃、政治の話題、アベノミクス・安保法制反対・デモ集会・反日デモ・暴動・略奪、ヒーローの面、味の違うサンドイッチ、解体の決まったアーケード、高校の野球部で最後の試合、夏祭りのかき氷、商店街に見向きもせず素通りした暴徒の群、自分で火を点けた店のボヤ、等々。
最も大きなモチーフは、商店街に在る泉から紐解けるギリシャ神話で「テーバイ」の名が登場するのでディルケの泉であろう。
商店街がオープンするや独裁者の実権を握ったスーパーの経営者(後藤の父)がゼウス(後藤=GOTo=GOT)である。
ゼウスとヘラ(妃)との間に二人の息子、アレス(兄=G)とヘパイストス(弟=純也)。
スーパー内の山瀬ベーカリーはゼウスの愛人ディオーネ(菜月の母=環)が経営し、ゼウスとの間にアプロディーテ(娘=菜月)が生まれる。
神話ではアプロディーテの美しさに兄弟のみらならずゼウスまでもが惚れてしまう。
周りの神々も同様、内気なヘルメス(井手口)も思いを寄せる。
ヘルメスの妻アンティアネイラ(仁美)も気が気じゃない。
アプロディーテはアンキセス(西野)に一目惚れし、やがて二人は結ばれる。
商店街のメンバーの最後の一人、勇敢な出で立ちや服装、持ち物、自宅が薬局であることからアポロン(拓海)であろう。
かなりこじつけもあるが、大体の関係性は合っている。
同じ商店街の中でいがみ合う2つの会の関係も、様々な関係にメタフィクションされる。
パソコン教室を営む西野が、かつて同僚(加奈)ら4名と立ち上げた弱小コンピューター会社は、自らがプログラムしたSNSが大ヒットし一躍有名企業へとのし上がる。
パンフレットの挨拶文もヒントになるが、20世紀末に経営不振に陥ったアップル社に戻ったスティーブ・ジョブズが改革を始め、意見を違えてぶつかる両陣営の争い、その動向を冷ややかに見詰めるマイクロソフト社、商店街の構造と重なる。
2004年、近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併でライブドアと楽天がプロ野球参入を表明。
ライブドアはトーマス・オマリーを、楽天は田尾安志を監督に据え、どちらも本拠地を仙台市に定めた。
両者とも阪神地域での参入を望んだが適わなかった。
日本プロ野球組織が許さなかったのだ。
この構図もまた、本作の構造に相似する。
東北の一都市で新規プロ野球球団参入を賭けて争う両球団、それを抑制する形で利権にまみれたプロ野球オーナー会議は、全会一致で楽天の参入を決定する。
アベノミクスに端を発した安倍内閣た安保法制や戦争法案、或いは原発再稼働の問題、やれ反対だ賛成だと東洋の小さな島国の中で争っているが、その間に東西から大国の見えない魔手が迫り来ることを忘れてはならない。
これもまた同じ構造だ。
探せば作品中に、まだたくさんのメタファーを見つけられるだろう。
本作はとても良く出来ている。
表層に見える過疎化に向かう商店街の問題、掘り下げればギリシャ神話の世界が現れ、同じ構造の社会問題を幾つも上に重ねに重ね、多層構造を形成する。
土橋作品は常に最新作が最高傑作と言える域に達しつつある。

ここからは深読みに入る。
それぞれの意味を考え、物事を拡大解釈し、整合性に則した答えを導き出す。
それは多分に作者や演出家の意図から外れ、自分でも予想しない結論を導くことがある。
目の前に居ない人たちと簡単に繋がることが出来て、世界中の誰とでも繋がり、欲しい情報がすぐに手に入り、皆が苦しむことなく助け合えて、世界中が幸福になる夢のようなマシンとシステムは、使い方を誤ると怖ろしい兵器となり、自らを滅ぼす両刃の剣であった。
どんなモノにも必ず二面性が在り、何かを選ぶと言うことは、何かを切り捨てることに他ならない。
政治や法律もまた然りである。
新たな法制が良いか悪いか、確かに始めてみないと判らない。
新しい食材が発見され、かつて味わったことのない素晴らしい料理が作られて、これは美味いから食べてみろと言われた時に、別の誰かが割って入り、ちょっと待て、この食材大丈夫か?調べてみたらかなりヤバい、食べたら死ぬかもよ!と言われて、食べる奴は居ないだろう。
だから、反対いや賛成だと、国民が論争してる間に、あっさりと決めてしまうのだ。
あれほどの人数のデモも署名も、反対の声は何も聞き入れられず、国民同士が揉めている隙に、騒動の主は国民の前を素通りして行った訳だ。
まるで誰も居ないかのように。
原発再稼働の時もそうだった。
今に始まった訳ではない。
戦後、今もまだ、便利だからと添加物や発癌性物質を否応なく食べさせられ、多くの人がアレルギーに悩み、癌の死因率は35年間トップのままだ。
利権が絡むと、この国はすぐに誤魔化す、騙す、嘘をつく。
更に拡大解釈すると、日本が世界に、或いはどこかの大国に正当なことを訴えても、世界や大国にとって都合や具合の悪いことだったなら、話も聞かず無視されて何度も素通りされて来たではないか!
暴徒にとってあの商店街が、盗むモノもなく、襲う価値すらないモノであったかのように。
ギリシャ神話の神々が、人間のことなどほとんど考えないように。
日本には、全能なる正義のヒーローは居ないのだ。
正しいことを言うと煙たがられ、無視され、素通りされる。
だからせめて、誰もがかりそめのヒーローの面を被り、本当のことを語らねばならない。
ヒーローの面を手離してはならないのだ。
それこそが全ての人が持つ「良心」そのものなのだから。
どれたけ画一化した教育を受けて、同じモノを食べ、同じ環境に育てられ、全く同じに成長しても、一人一人は違って当たり前なのだ。
同じ食材と同じレシピ、全く同じに作っても、微妙に味の違うサンドイッチのように、誰も他人と同じにはなれないし、同じにはならない。
古い制度や法律や、自分の意志に反して作られた環境や、自分に適さない仕事場や、生まれ育って家さえも、全て燃やしてさよならしよう。
ヒーローの面だけ在れば良い。
「くらげなす」とは、『古事記』に記された一文で「久羅下那州」と書く。
前後の文脈を合わせると、国土の地殻が海に浮いた脂のように整っておらず、くらげのように漂っていたと、日本誕生の最初期の様子を表している。
しかし現在もまだ、地盤が固まったとは到底思えない。
私たちは日々をクラゲの上で暮らしている。
この作品が、日本とその上に住む我々を描いた物語に思えて来る。
不可解で理不尽なこの国に古くから伝わるその遣り方が、示されているように思う。
その渦中に在って、偽りのない正しい心で真実を見極め、常に良心と共に生きることは、誰にでも今すぐに始められる世直しの方法に間違いない。
随分、脱線した答えに辿り着いた。
しかし、悪くない。
誰もが見えないヒーローの面を被るなら、本物のヒーローは要らないのだから。

【観】空の驛舎『一握の夢』10/9

空の驛舎
『一握の夢』
作/中村賢司・高橋恵・北村想
演出/空ノ驛舎
@ウイングフィールド

全編を通じて組換え式の黒い装置に囲まれる中、ワンポイントだけ赤い小道具(花にまつわる)が飾られる。
3本の小作は、最初に北村氏が深津氏のために書き下ろして生前に贈った戯曲『human lost』のスタイルを踏襲する。
則ち、実話を下敷きに構成された私戯曲である。
幕間には暗転幕が引かれ、客席通路で詩の朗読が行われ、幕裏で装置の転換を施す。
以下、各話を紐解いていく。

第一話『朝顔』作/中村賢司
奥に通路、中央より上手側が室内(開帳場)、下手に狭い庭、赤い植木鉢から朝顔が伸びる(客席後方からは視認できず)。
男女の二人芝居。
二人の関係は劇中で明かされない(役名も男と女と記されるのみ)が、親密な会話の口調から夫婦と誤解させるよう工夫されている。
実に丁寧に書かれていて、中村氏の深津氏に対する思いがひしひしと感じられる。
戯曲だけでなく作品の隅々まで細かに演出の目が行き届いている。
普段の作品より会話ベースなのは深津作品を意識してのことであろう。
猫(姿は見えない)、朝顔(赤い植木鉢に咲く)、この2つのメタファーを主軸に中村氏が得意のメタファーは続く。
カレンダーに描かれた青い朝顔の絵と、赤い鉢に咲く青い朝顔(実は赤い)、ありきたりの言葉、邯鄲の枕(人生は夢のごとし)、夏、蝉の声(今は聞こえない)、青い空(見えないがある)、煙は立たない(空は高く青く)。
居ない筈の猫の声(明確に聞こえる)。
延々と続く昨日と今日のさり気ない対比がそこはかとなく哀しい。
ぶらんこの引用がとても良い、泣ける。
全て計算されている。
が、あくまでもさり気なく、とても上手い。
あの日、何も出来なくて、ただそこに居るしかなかったありきたりの男が、僅か一年とそこそこで強く立派な作品を描くほどに成長する。
これもまた、深津氏からの贈り物なのだと思う。
最期の時、いのちがけで手をつなげたから、きっとできたのだ。
すてきなこととおもう。
鉢に咲く青い朝顔、姿の見えない猫、見えない空の青。
見えないが確かにそこに在る。
離した手の先には、見えないあの手が、今も繋がっている。

fragment
「霧笛」レイ・ブラッドベリ
第二話へのプロローグ。

第二話『海底の動物園』作/高橋恵
舞台は屋上(八百屋舞台である)、大黒が開かれバックは白壁に。
舞台端に手すりが設えられる。
やや奥に低い出っ張りの箱があり、炊飯器が置かれる。
舞台奥に赤く塗られたプランター。
その奥の白壁に赤のパイプが一本、空に向かい雄々しく立つ。
アイと、ひとみが、夕方、海の見える屋上に居る。
ひとみは生まれる前に亡くなったアイの妹で、他の登場人物には見えない存在である。
高橋作品に時折登場する。
遅れて登場する男もまた幾度か高橋作品に登場する男で、名前はなく単に男と表記される。
女性には許し難く理解しえない男性特有のエゴの象徴と言える。
作家は転んでもタダでは起きない。
どんな痛ましい過去の出来事も、しっかりと作品に反映させる。
納得はできなくても、自分の中である程度の整理が着いた証なのだと思う。
以前、卒塾公演で見た同題材の高橋作品に比べ、当然ながら格段に上達し、優しく、穏やかで、けれど逞しさを併せ持つ戯曲を書ける作家に成長している。
「のたり、のたり」の引用。
そこに二つの意味を持たせる。
海の底から訪れたのは、得体の知れぬ巨大な怪物だった。
敢えなく灯台(自分自身)は潰されてしまう。
見方を変えてみると、大きなキリン(怪物のような存在)が、自分の殻を破り捨て、新たな生きる望みと、歩むべき道を示してくれた。
あの人が居たから救われ、あの人が在ったから今の自分が在る。
いつか自分も、誰かのキリンになろう。
恩師への感謝を作品にして贈る。
何と美しく素晴らしい返礼だろう。
見えなくてもそこに確かに存在する。
いくら繋がりを求めても、二度と繋がることのない運命もある。
だが今は、二度と会えない人に、もう一度会う方法を知っている。
ものがたりを紡ぐ。
港に日が暮れてゆく。
霧笛の音。
どこまでも眼前に広がる青い海。
遠くに見えるクレーンのキリン。
夕陽に照らされて赤く染まり、たくさん群れを成している。

fragment
「コトバ」中村賢司

『human lost』作/北村想
〜きみはあの青き草原を歩く〜
太宰治の同名短編小説をほぼ全編引用し、閉鎖病棟に入院中の男(シュウちゃん)をエス氏が面会に訪れた数十分を描く。
幕が開くと、床に使われていた開帳場が舞台の両側に建てられ、舞台奥に向かって狭くなるよう配置された黒壁となり、大黒の前に窓枠と小物置きが付けられた黒い壁が措かれている。
小物置きに赤い一輪挿しの花瓶が一つ(花は無い)。
舞台中央に病院のベッドを思わせる小舞台(大きさは3尺×6尺)、この小スペースが主にシュウちゃんの居所となる。
冒頭、シュウちゃんの病室に看護婦長がやって来る。
面会禁止の病室に面会客が来ると言う。
エスは婦長と違った出入口から現れる。
そもそもこの病室に、ドアは在るのだろうか。
ところが最後にやって来た婦長に訊ねると、面会禁止の閉鎖病棟に面会客などあり得ないと告げられる。
何たる不条理!
不条理劇の体を成す構成と散文のごとき台詞、だが深読みする必要はそれほど無いように思える。
会話のほとんどは後年に発表される「人間失格」の原形となる「human lost」の引用で、この小説の世界観(太宰治の現実)は、北村氏と深津氏の境遇に奇妙にも一致する。
三人は同じモノ書きであり、戯曲を書く人でもあった。
病は違えど大病を患い長期間の入院生活を強いられ、退院しても完治することのない病を抱えながら余生を送ることになる。
プライベートではそれぞれに離婚を経験、病中や病室での出来事を作品化あるいは文章にしている。
同じような境遇の三人は、誰がシュウちゃんでも全く違和感がない。
面会に訪れたエス氏もまた、三人に共通するイニシャルの「S」である。
エス氏が誰なのかも、さほど問題ではない。
三人の中の誰かかも知れないし、主人公の妄想で初手から存在しないのかも知れない。
未来の自分がメッセージを運び現れたのかも知れない、或いは死後の自分が生前の最も苦しい自分に逢いに来たのかも知れない。
面会の終わり、去り際の刹那、唯一のメッセージを預言のように吐いて立ち去る。
きみはいずれ、あの青き草原に、誰もが賞賛する真紅の花を咲かせると。
君はこの世界に、後世に遺る素晴らしい作品を、たくさん書き遺すのだよと。
この作品は自由度が高く、解釈のしようは幾重にも可能で、見た人の数だけ答えが在るとも言える。
エス氏がそもそも存在したのか、しないのか?
見えていたのか、いないのか?
そんなことを悩むのはお止めなさい。
明確な答えのない問いもある。
答えの欲しくないことも、たくさんあるのだ。
見えないが確かに存在するモノは、空の青、海の青、草原の青と同じく、舞台には登場しない。
黒と赤の世界の彼方には、見えないけれど無限の青が広がっている。


3編とも、それぞれに素晴らしい。
まず、深津氏の生前に贈られた北村氏の戯曲が在り、それを受けて中村氏と高橋氏がそれぞれ新たに書き下ろしたと言う。
中村氏と高橋氏はお互いの戯曲を知らずに書いた訳だ。
完成した3編の戯曲を読んで舞台美術の岡一代氏がデザインしたのが今回の舞台だ。
見えないがそこに在るモノの「ものがたり」を三人が書いたのは必然である。
まず北村氏の戯曲が在るからだ。
中村氏と高橋氏が作中のエピソードとして書いた空と海の話は具体的に舞台劇では見せることは出来ないが、実際には見せられない舞台劇の限界を敢えて舞台に出さないことで、空と海と草原が舞台の外に現れた。
空と海と大地で、図らずも一つの世界が生み出される。
それを示し合わせることなく、偶然にも成し得る奇跡に身震いする。
もし中村氏と高橋氏が幾つかのモチーフを共有することを相談して執筆したなら、高橋作品にも赤いプランターに咲く花のエピソードが入っただろうし、植木鉢と一輪挿しが赤いのに、2話目のプランター以外にパイプを赤くすることも無かったように思う。
だが、実話に嘘を入れると詰まらない。
深津氏の見えない手を介して、つなげた四人の手によって、成し得た奇跡を素直に喜びたい。

もう少しだけ解説する。
死者を扱う作品で、傾斜のある舞台を見ると、必ず黄泉比良坂(よもつひらさか)を思わせる。
黄泉比良坂は島根県に実在する黄泉の国への入口で、この世とあの世の境目にある坂とされる。
演劇でもしばしば用いられる題材で、坂を降りた先は死者の国、演出的には登場人物が死んだことを表す。
それは誰が決めた訳でもなく、線引きや色分けされた境界線が在る演劇作品に於ける暗黙のルールで、暗転すると時間や場所が変わるのと同じく、舞台空間が生んだ独創的な叡智と言える。
1話と2話では開帳場(傾斜のある平面の舞台・スロープ)を使うので、自ずと坂が舞台上に現れる。
登場人物が、その場面で、その時に、何故その場所に居るのか、演出に於いて普段から詳細に意味付けにこだわる中村氏の作品で、傾斜のある縁側から庭に出ることには大きな意味がある。
ところが本作では、全くそれにこだわらない。
それは第3話にも言えることで、閉鎖された病室内の扉は通常一カ所とイメージされるため、別の場所から登場したエス氏を異質な存在として見せながら、中盤まで境界内と思えるベッド(或いは海に漂うイカダ)を表す小舞台に主人公を留めながら、後半いともたやすくベッドから降りてしまうのだ。
エス氏の登場は、出捌け口のルール(観客が理解しやすいように登退場する出入口の場所を一つに定める)を逆手に取りつつ、主人公の境界線ルールがあると見せかけて、その実ないと言うトリッキーな見せ方、実に巧妙である。
このようなアンソロジーでは前作『追伸』で見せたように、3編を違った演出で見せるのが通例で、それは演出家の観客に対するもてなしであり、腕の見せ所でもあるのだ。
1話2話と開帳場がある舞台で、境界線ルールなしの会話劇を見せ、異質感の強い第3話で境界線ルールを捨て去る潔さ、見事であった。
そうなのだ。
観客の100人に1人しか気づかないような意味付けやルールなど、本来不要なのだ。
人は何となく庭に出て、何の気なしに空を見上げるモノなのだ。
意味付けやルールを否定する訳ではない。
私は元々ロジカルな作品は大好きだし、作品に仕組まれた仕掛けを見つけ出し、ロジックを解析することに喜びも感じる。
だがそれは初めからそのよう意図されて作られた作品だから面白いのであって、この作品には全く相応しくないと思えた。
そこが最も良かったと中村氏に伝えると、台詞や表情には普段以上にこだわったが、今回は役者の動きたいように自由に動いて貰いました、と言って少し笑った。
はにかんで微笑む顔があの人に似ていた。

【無料】2015『小劇場舞台技術講座』開講します!

image

この度、花園町パシフィック・シアターにて、『小劇場舞台技術講座』を催すことになりました。
9月から12月までの4ヵ月間、7つの講座を毎月1回ずつの全28回、全て無料にて開講します。
この機会に舞台の知識と技術に触れて頂き、正しく安全な舞台作品の創作をお手伝いします。

image

会場:
[大阪/花園町]パシフィック・シアター
『小劇場舞台技術講座』
受講料:無料(要予約)
全講座19:30開講・各2時間前後
ご予約・問合わせ:
butaikouza@gmail.com

日程:
9/2(水)
演劇音響講座「演劇で使う音響機材」講師:須川忠俊(ALTERNAIT)
9/8(火)
舞台照明講座「舞台照明の機材について」講師:溝渕功(一心寺シアター倶楽/CQ/浪花グランドロマン)
9/10(木)
大道具仕掛け講座「降雪を仕掛ける」講師:谷本誠(CQ)・塚本修(CQ)
9/16(水)
小劇場観劇講座「芝居の見方」講師:三田村啓示(空の驛舎/C.T.T.大阪)・塚本修(CQ)
9/24(木)
舞台美術講座「舞台美術とは」講師:佐野泰広(CQ)
9/28(月)
小劇場制作講座「企画・スケジュール」講師:尾崎雅久(尾崎商店)
9/29(火)
小劇場制作講座「広報・助成金」講師:尾崎雅久(尾崎商店)
9/30(水)
舞台監督講座「まずは正しい舞台用語から」講師:塚本修(CQ)・谷本誠(CQ)

10/1(木)
大道具仕掛け講座「引割幕を仕込む」講師:谷本誠(CQ)・塚本修(CQ)
10/6(火)
舞台照明講座「明かりの作り方」講師:溝渕功(一心寺シアター倶楽/CQ/浪花グランドロマン)
10/7(水)
演劇音響講座「舞台音響の情景描写」講師:須川忠俊(ALTERNAIT)
10/13(火)
舞台照明講座「LED照明・ムービングライトの使い方」講師:溝渕功(一心寺シアター倶楽/CQ/浪花グランドロマン)
10/21(水)
舞台監督講座「遅れないタイムテーブルを組む」講師:塚本修(CQ)・谷本誠(CQ)
10/22(木)
舞台美術講座「舞台美術の進め方」講師:佐野泰広(CQ)
10/28(水)
小劇場観劇講座「観劇した作品を紐解く」講師:三田村啓示(空の驛舎/C.T.T.大阪)・塚本修(CQ)

11/4(水)
演劇音響講座「舞台音響の仕事」講師:須川忠俊(ALTERNAIT)
11/11(水)
舞台監督講座「新旧舞台道具工具類を使いこなす」講師:塚本修(CQ)・谷本誠(CQ)
11/12(木)
大道具仕掛け講座「昇降幕を上げ下げする」講師:谷本誠(CQ)・塚本修(CQ)
11/25(水)
小劇場観劇講座「演劇作品を解析する」講師:三田村啓示(空の驛舎/C.T.T.大阪)・塚本修(CQ)
11/26(木)
舞台美術講座「美術プランを立体模型にする」講師:佐野泰広(CQ)
11/30(月)
小劇場制作講座「現場学」講師:尾崎雅久(尾崎商店)

12/1(火)
舞台照明講座「照明の仕事」講師:溝渕功(一心寺シアター倶楽/CQ/浪花グランドロマン)
12/2(水)
演劇音響講座「演劇的な音響の仕込み方」講師:須川忠俊(ALTERNAIT)
12/16(水)
舞台監督講座「メタシアターに対応する」講師:塚本修(CQ)・谷本誠(CQ)
12/17(木)
大道具仕掛け講座「色々な降らし物を降らしてみる」講師:谷本誠(CQ)・塚本修(CQ)
12/21(月)
小劇場制作講座「必要な素養とスキル」講師:尾崎雅久(尾崎商店)
12/22(火)
小劇場観劇講座「肯定的観劇術のススメ」講師:三田村啓示(空の驛舎/C.T.T.大阪)・塚本修(CQ)
12/24(木)
舞台美術講座「大道具製作のコツ」講師:佐野泰広(CQ)

大竹野正典・演劇映像資料鑑賞の集い「夜会」19夜〜22夜

大竹野正典・演劇映像資料鑑賞の集い
「夜会」
会場/天六・音太小屋
開演/19:30〜
会費/500円(1ドリンク付・初回参加無料)
内容/上映会+懇親会

第19夜・9/9(水)19:30〜
『サラサーテの盤』(2004.8芸術創造館:再演ver.)

第20夜・10/14(水)19:30〜
『夜、ナク、鳥』(2003.4南港ふれあい港館横駐車場・特設野外テント・ラフレシア円形劇場)

第21夜・11/18(水)19:30〜
『海のホタル』(2005.2精華小劇場)

第22夜・12月9日(水)19:30〜
『山の声』(2008.12ウイングフィールド)

大竹野正典劇集成気ほぼ完売となり、同内容の新装版を1800円(税別)で刊行されました。
新装版の発刊に伴い、11月末に出版記念公演が催されます。
詳細は、くじら企画HPをご覧下さい。
それらに連動して「夜会」も今回から少し変更されます。
変更 Р饐譴パシフィック・シアターから天六・音太小屋1に移ります。
変更◆Г翰縮鵝Δ問合わせが、くじら企画に一元化されます。
今後の予約は、以下までお願いいたします。
kujira@dsk.zaq.jp
(くじら企画HPからも予約可能です)
変更:予約特典の100円割引を中止し、一律500円の当日精算になります。
初回参加無料の初回特典、参加者への1ドリンクサービスは継続です。
音太小屋は地下鉄天六駅から徒歩2分の近さ!
音太小屋(ねたごや)へのアクセスは、音太小屋HPをご覧下さい。

さて、今回の4作品は完成度も非常に高く、見逃した作品があるなら絶対にオススメだ。
「サラサーテの盤」は追悼公演を含め過去3回上演しており、脚本の改訂はほとんど無いものの、3作品の舞台美術の変貌ぶりは驚くものがあり、回を増す毎に著しく簡略化されていく。
この再演版では中間的な舞台美術が窺える。

初演の『夜・ナク・鳥』は、ラフレシア円形劇場祭の野外舞台で行われた。
『屋上のペーパームーン』と並ぶ、ただ二つの野外公演である。
初演ではラストシーンで大きな青白い炎が立ち上がり、野外ならではの演出が効果的に活かされた。
この作品は岸田國士戯曲賞の最終選考に残り、OMS戯曲賞佳作入選も果たし、全国に大竹野正典の名を知らしめた作品となった。

『海のホタル』も『夜・ナク・鳥』と同様、大竹野作品には珍しく女性の犯罪に注目した作品で、女の事件簿を扱った作品はこの2作のみである。
どちらも保険金殺人が劇中で描かれるが、共犯者が居るものの犯人の女性が一人ゆえ、犯罪の焦点がよりフォーカスされ、あまりにも痛々しい。
本作と同年公演した『サヨナフ』で、主演の川田陽子が関西現代演劇俳優賞女優賞を授賞した。
鬼気迫る演技に釘付けとなること必至である。

『山の声』初演。
OMS戯曲賞大賞受賞作。
大賞受賞の報を聞くことなく他界した大竹野正典の遺作であり代表作である。
観客動員数は僅か180名ながら、全ての観客の心に深く残る作品であった。
追悼公演の『山の声』再演後も、多くの演劇人に愛され、くじら企画による再々演の他、リーディング公演、潤色しての公演、完全版の公演と、今も山の声のこだまは続く。image

【観】HPF大谷高校『新羅生門』8/4

HPF2015/8/4
大谷高校
『新羅生門』
作/横内謙介
演出/三井玲奈
@シアトリカル應典

HPF2015最終日。
1988年、劇団善人会議初演の本作は、翌年に岸田國士戯曲賞候補作品となっていただけあって、とても奥深い普遍的なテーマを扱いながら、大人から子供まで老若男女が楽しめるエンターテインメント作品になっている。
大谷高校演劇部が既成戯曲を演じるのを初めて見たが、オリジナルであろうと既成戯曲であろうと、やはり大谷高校の持ち味が変わることはなく、戯曲の世界を見事に自分たちのフィールドへ落とし込んでいるばかりか、演劇部の顧問教師や小劇場の役者までもが見事に大谷に嵌め込まれ、壮大なテーマの御伽噺の世界の住人となってしまう。
通常ならダメと指摘する場面すら、そこが大谷高校は良いのだよと、真逆の事を感じてしまうのが大谷高校の底力と言える。
だが今回は舞台をしっかり作り過ぎている。
上手側にL型の二重舞台を組んで、鬼が穴を掘る盛り土と言うか、土手を設えたが、どう見ても土手には見えないので、全体を大きな茶色の布やシートで覆ってしまい、平台と箱馬で作られた感を消してしまいたい。
更にツルハシやショベルを数本転がしておけば、更に雰囲気も出せるので、是非試してみて欲しい。

【観】HPF工芸『Spare』7/27

HPF2015/7/27
工芸高校
『Spare』
作・演出/河上和紀
@シアトリカル應典院

舞台はここではないもう一つの世界。
その世界ではクローン技術が進み、臓器移植や欠落した部位のためのスペアとして、多くの代用人間が育てられている。
舞台となる施設では、オリジナルのスペアとして生み出された5人のクローンが育てられている。
名前を与えられず、代わりに1〜5の番号を与えられ、特にこれと言った仕事もなく、今からどんな色にでも染める事ができる真っ白な衣裳を身に付け、自分たちの未来に夢を膨らませる5人の男女。
5人をこちらから傍観する0番の男が随所に現れ、ストーリーテラーのように状況説明を行う。
0番の男は5人と異なる黒と白のまだらな衣裳を身に付けている。
物語の世界観が掴みにくく、若干説明不足ではなかろうか?
作品の意図が見えにくく、意思を持ったクローン人間を代用品として扱うことで、何を描きたいのかが解らない。
この世界では、万人がクローンを持つことを許されていて、オリジナルに何らかの欠落が生じた際に代用品として命を投げ出すのであれば、オリジナル自身が死んだ時にクローンがオリジナルとして代用の人生を生きる意味が掴めない。
衣裳が純白で、どの部分もスペアとしてオリジナルの代用品となる美しさを持っている。
0番がプロトタイプで、黒の部位はオリジナルの代用として用いられであろうことも解る。
事故や病気で2番〜5番は代用品として亡くなり、1番のオリジナルが死んでスペアだった筈の1番が施設から出た時に、1番がオリジナルとしてどう生きるのか、かつて一緒に過ごして今はオリジナルの一部となってしまった2〜5番のオリジナルと再会した時に、どう感じて、どのような言動を見せるのか、そこが重要と思われる。
或いは、それぞれがすんなりと運命を何故受け入れるのか、そこをはぐらかしてはいけない。
記事検索
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ