舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

【告】大竹野正典演劇映像資料鑑賞の集い『夜会』第30〜34夜

大竹野正典演劇映像資料鑑賞の集い
「夜会」
会費:500円(初回会費無料・ワンドリンク付)
会場:天六音太小屋A(2階)
時間:各回19:30〜(開場は上映の15分前から)
予約・問合せ:予約は不要です。問合せは、くじら企画または私まで。
日程:以下の通り

第30夜
8月24日(水)
『密会』
2010年10月・追悼公演@ウイングフィールド

第31夜
9月28日(水)
『山の声』
2011年1月・追悼公演@インディペンデントシアター2nd

第32夜
10月19日(水)
『夜が掴む』
2012年7月・出版記念公演機ウイングフィールド

第33夜
11月30日(水)
『ドアの向こうの薔薇』
2013年7月・出版記念公演供ウイングフィールド

第34夜
12月28日(水)
『夜、ナク、鳥』
2014年7月・出版記念公演掘アイホール
※23時まで忘年会あり


大竹野正典が他界して今年で7年になりました。
大竹野が心血を注いで創作して来た舞台作品の中で、記録映像として現存する舞台作品を2014年9月から今日まで、28作品を毎月見て参りました。
記録映像とは思えぬ生の迫力を感じるのは、作品自体に込められた強い力が映像から溢れ出し、見る者に伝わるからだと思います。
6月までに「犬の事ム所〜くじら企画」のほぼ全作品を見終えました。
どの作品からも強く感じるのは、作品の持つポテンシャルの高さと作品から伝わって来るエネルギーの強さでした。
大竹野正典が如何に偉大な劇作家で在ったかを改めて認識すると共に、二度と新たな大竹野作品は観られないと言う事実が残念で、終わりに近付いたこのささやかな上映会が、いよいよ愛しく大切に感じられるのです。

2016年後半の7月〜12月は、大竹野の没後に催された追悼公演3作品と劇集成の出版記念公演3作品を、発表順に毎月1本ずつ上映しております。
大竹野作品の中から選り抜きの6本を、初演以上のクォリティで再現した、大竹野作品の真髄を余すことなく堪能できる、お薦めの作品ばかりです。
見逃した公演ならもちろんのこと、ご覧になった作品も是非この機会に今一度ご覧頂きたく思います。
記録映像とは言え、生の舞台を見るのと変わりのない臨場感と、観劇するに等しい感動をお約束します。
これまでに一度も大竹野作品に触れたことのない人には、切に見て欲しく思います。
人生を変えるほどの衝撃を共有して欲しいのです。
どうかお見逃しの無きよう、是非ともお越し下さいませ。
会費は僅か500円です。
初参加は無料です。

簡単に作品解説を…
『密会』はウイングフィールド主催「再演博覧会」への出典作品ながら、大竹野の希望で全面改訂され、本人の談によるとこれまでで最も上手く書けた台本で、事実その完成度は大竹野作品でも五指に挙げられる。
名優・秋月雁の演技に心酔する必見の一作。
くじら企画の公演は、本作『山の声』の追悼公演で終わる筈だった。
大竹野の遺作であるOMS戯曲賞大賞受賞作『山の声』こそ最終公演に相応しい。
僅か一坪の舞台に男二名の二人芝居。
止めどもなく雪は降り、心に染みる「街の灯り」。
これもまた最高傑作と言って過言ではない。

多くの名作をずっと見て来た。
大竹野が書き遺した脚本をこのまま眠らせるには余りにも惜しく、世に残すことが使命に思えた。
大竹野正典劇集成(全郡)はこうして産声を上げた。
毎年命日の7月19日に三年続けて出版された。
出版に合わせ、くじら企画は出版記念公演を催した。
『夜が掴む』はテアトロ・イン・キャビン戯曲賞佳作入選を果たし、大竹野正典の名を世に知らしめた作品で、くじら企画の前身「犬の事ム所」時代の代表作である。
出版記念公演のトップを飾るに相応しく、追悼公演〜出版記念公演の6作品は、初演時のクオリティを遥かに凌ぐ完成度で創作されている。
『ドアの向こうの薔薇』は犬の事ム所最後の公演で、この公演の打上の最中、大竹野は独り打上を抜け出し、一晩中行く当てもなく泣きながら街中を徘徊したと言う。
本作を世に出したコトを悔いたとも言われるが、本作の何が失敗なのか凡人には理解できない。
公演後、大竹野は犬の事務所を散解、同年自身の単独ユニット「くじら企画」を旗揚げる。
『夜・ナク・鳥』は幸いにも岸田戯曲賞の最終選考に残り、OMS戯曲賞に佳作入選した。
元は野外劇仕様で書き下ろされており、劇中に本火を使用するため、劇場内での裸火使用の解除申請に伊丹消防署へ七度通うも、なかなか許可が降りず、当日に消防署員立ち会いの下、劇場内で実演し、ようやく認可された。
くじら企画の最終公演となった。
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【観】HPF2016精華高校『さんびきのおおかみver3』8/2

HPF2016
精華高校
『さんびきのおおかみver3』
作/いやどみ☆こ〜せい
潤色/鳥頭(顧問)三歩
演出/赤松麗那
@ウイングフィールド

仲の良くない生徒やクラスで浮いた存在の級友を交えた、文化祭の出し物のクラス劇を通して友情や団結を取り戻すストーリーに、歌あり、ダンスあり、群読あり、劇中劇ありで盛り上げる高校演劇のお手本的な脚本と構成。
劇中劇は「三匹の子ブタ」「赤ずきん」「狼と羊飼い」に登場する狼をクラスで浮いた存在の三人の生徒に重ね、劇中の女子生徒が創作したクラス劇で、暗転後の最終景で暗転までの物語が全て演劇であったことが明示される3重構造のメタフィクション作品になっている。
冒頭から群読・シルエット転換・歌&ダンスと盛りだくさんで、本編が始まると制服の上着を着たクラス劇賛同者8名が上手エリアに、上着を脱いだクラス劇に無関心な異端者3名は下手エリアと、明確に照明のエリア分けと衣裳の色分けで示され、その後の展開も相当数の照明変化と挿入曲があるだろうと思いきや、これまでが嘘のような地明かり芝居になる。
劇中劇の稽古の場面に音楽や照明変化が入りそうなのに、淡々と会話劇のように進行する。
途中に歌とダンスが1曲、回想シーンで照明が暗くなるものの、概ね劇中劇も地明かりだけで進行する。
激昂する場面も回想シーンの泣ける場も音楽の挿入は無い。
ここまで照明と音響を使わず進行するなら、正面向きの演技を減らし会話劇に演出を改めた方が良いだろう。
台詞のある者が舞台前、他の生徒は舞台中ほどに横一列、はみ出し者は舞台奥と配置されてからはほとんど移動がない。
役者が突っ立ちのまま動けなくなってしまう。
これは惜しい。
集団シーンで最も陥りやすいパターンなのだ。
終盤の音楽も不要である。
ここまで音楽の挿入も照明変化も無かったので異質感が強く感じられ、BGMレベルでも違和感は否めない。
音楽のキッカケも如何にもな場所なので気恥ずかしい。
BGMのINとOUTは、さり気なくが基本である。
再び照明が変化し音楽が挿入されるラストの手前は、群読の効果もあり詩的に美しくまてめられている。
暗転後の最終景は賛否の別れるところだろう。
今まで見ていた物語が唐突に劇中劇に変貌する劇的なシーンだが、どんな作品も一瞬にしてメタフィクション化する常套手段でもあり、タネ明かしにならないタネ明かしに思える。
物語自体は暗転前に終わっているので、更に本編を劇中劇にする必然性は薄い。
私は蛇足に感じる。
HPFで6校を拝見した内、精華だけが大黒幕を開きホリゾントを採用するのだが、前明かりが強過ぎてホリゾントに登場人物の影が幾重にも重なって落ちてしまう。
これは美しくない。
地明かりは上からの照明をベースに、前明かりは陰をフォローする程度の明るさに抑えると良い。
最も多いミスの一つだ。
パンフレットは顧問教師の演劇に対する愛に溢れている。
特に本作と部員たちに対する愛情は並々ならぬ深さを感じる。
次回公演『ファミリアー』の作者・瀬戸山美咲氏は、私の後輩で2009年に海難事故で亡くなった「くじら企画」主宰の大竹野正典に注目し、大竹野の人生を戯曲化するため昨年から何度も来阪して取材を行われ、私も何度か立ち会った。
戯曲は完成し、本年6月『埒もなく汚れなく』は大盛況に終わる。
私たちが出版した彼の戯曲集、大竹野正典劇集成(全3巻)を関東に知らしめた恩人である。
目の着け所が良い。
精華高校演劇部の健闘を祈る!

【観】HPF2016箕面東高校『追う女追われる男』8/1

HPF2016
箕面東高校
『追う女追われる男』
作・演出/志水直樹
@シアトリカル應典院

いつも通りにしっかりと設えた舞台装置は舞台中央奥に高台が在り、その両側は階段で中段の踊場に降りられる。
上手と下手の両脇に在る中段から舞台外側に床面に降りる陰段、舞台内側には舞台中央に向かう階段が施され、舞台奥には天井から4枚の吊り物が吊られた左右対称の舞台美術。
中央の高台の下部には紅白の布がX型にクロスして張られている。
アングラ色の強い照明プランも普段通りだ。
内容はアングラファンタジーだが、演技は既にアングラから脱却してきたので、アングラやファンタジーや復讐劇や色々な要素を含む挑戦作である。
だが今回はストーリーに疑問が残る。
世界を旅して廻る貧乏サーカス団の団長が、どこかの国のスラム街で出会った女と恋に落ち、サーカス団はその地を去ってしまったが、女は身ごもっていて女の子を出産したが、女の子が8歳の時に母親が死んでしまう。
ここから彼女の父を追う旅が始まるのだが、死んだ母親の肉をスラムの貧民たちに喰い始め、8歳の娘も飢えを凌ぐため母親を食するのだ。
ハンニバルかと思った。
これが元で彼女の人格に影響を来し、発狂するでもなく、父親に復讐するため研究員から惚れ薬を買ってサーカスへ向かう。
何故に惚れ薬!?
夏の夜の夢?
食人の設定は必要と思えず、惚れ薬もどうかと思うぞ。
研究員も団長に惚れ薬を渡して何故に自ら暴露する?
特に後半に入ってからは、サーカスを辞めると言う女性団員を辞めさせないなように惚れ薬を飲ませ、それを見たスイも惚れ薬で毒牙に掛ける。
スイのサーカス団での存在意義って何だったの?
スラム街で生まれた娘が一体どこで大金を?
記者よ、惚れた女に惚れ薬飲んでどうする?
記者ともあろう者が、安直に惚れ過ぎ、仕事しなさ過ぎ!
サーカスで貧乏なのに世界を廻れる?
客が無くても律儀に挨拶。
15歳からサーカスを始め、一体何歳で団長に?
団長になってからスラム街の興行で女と出会い、娘が大人になって復讐に来たとして、団長は少なくとも40歳以上?
夢の中に現れる謎の女、謎のまま終わる衝撃!
どう考えても母親だろ!!
等々とツッコミどころ満載で、狙い通りならお見事である。
せっかくのサーカス団なのだから、冒頭もサーカスのパフォーマンスをすれば良いのに、何故に花一匁(もんめ)?
前半、団長と女の物語を交互に見せる2プロット構成の展開で、前半をマジメに作り過ぎて後半が乱雑になってしまう。
照明もその煽りを受けてか、2プロット進行で2パターンの地明かりを作り、場面転換をブルーで繋ぐまでは良かったが、中盤から異なる転換明かりになってしまう。
登場のために一瞬暗転を何回か使用するが不要である。
2パターンの地明かりと転換明かりも2通りにしてラストまで構成出来れば良かったが、脚本が途中から迷走を始めると、照明も一緒に崩れ始める。
統一感のある転換を心掛けたい。
音響は総じてレベルが大きく、音楽が流れるとスピーカー近くの席はセリフの声が聞き取れない。
スピーカーのmaxレベルは観劇に支障を来すので、必ずチェックすること。
演出では高低差のある舞台装置に手こずり、転換時の移動や板付きに時間を要し、間延びしてしまう。
この作品に、この大道具は合わなく思う。
サーカスのパフォーマンスがあるなら、最大限の効果が期待できるが、今回の脚本なら中段までで十分に思う。
高台下の紅白の布、天井から吊られた4枚の板、特に意味のない美術は必要ない。
それを仕込むために要した時間を、場当たりや稽古に充てた方が良い。
ここまで一読すると、ずいぶん酷評に感じるかも知れない。
しかし、それほど気に病むことはない。
元々演劇に必要な全ての項目に於いて箕面東は平均以上の実力を持っているし、演出や演技力も劣る部分は何もない。
講評はダメ出しではないが、たくさんダメがあると言うことは、改良点や改善策がたくさん試せると言うことで、それだけ多く伸び代があることに他ならない。
少なくとも私にとっては、勧善懲悪でミスのないお利口さんな舞台作品よりも、どれだけ未完成で未熟であっても自分たちで考え工夫して、試行錯誤の挑戦の末にできた失敗作の方が、時として輝いて見えることがある。
箕面東には常に挑戦者であって欲しい。

【観】HPF2016千里高校『妥協点P』7/30

HPF2016
千里高校
『妥協点P』
作/柴幸男
演出/佐々木菜緒
@ウイングフィールド

既成戯曲を上演する際の脚本選びは、完成した作品と同じくらい重要なことで、上演までの多くのプロセスをプラン立て、脚本が自分たちの技量に相応しいモノかどうか、十分に検討しなければならない。
千里高校が選んだ『妥協点P』は誠に素晴らしい選択センスで、出演者のキャラクターを活かし、自分たちの技量や演出の方向性を上手く捉えた見事な選択肢であった。
異なる考えの者たちが正反対の意見を一つにまとめなければならない時、然るべき話し合いが必要で、どれだけ多く時間を費やし、幾たび討論の場を重ねても決まらないモノは決まらない。
口論の末、互いの意見を聴かず、如何に相手を言い負かすかの争いとなる。
文化祭の出し物が演劇に決まったこのクラスでは、教師と生徒の恋愛を描いた台本の内容を問題視する担任教師と、担任の要求に応じず言葉で語らず台本の改訂で対抗する作者の女生徒との1ヵ月間の討論の顛末を描いた作品である。
討論と書いたが、担任教師が女生徒の台本に反対するだけで、実際に舞台で討論するのは担任教師と副担任になる。
論点は教師と生徒が交際する演劇作品を文化祭で上演しても良いか、上演するべきでは無いかだ。
正反対の意見が対立している時、そこでの討論をディベートと言うが、ディベートは今や論理的弁舌を競うちゃんとしたルールの在る競技にもなっていて、年2回の大会や中高生の全国大会が開かれている。
どちらとも言える微妙な問題の判断は非常に難しく、価値観や道徳観の異なる他者と対峙した時、どのように妥協点を見いだすかと言う表面上のテーマだけ扱っても、作り方によっては重厚な討論しない討論劇にも仕上がる。
軽快で愉快な台詞とストーリーに隠されているが、作者が本当に言わんとすることは、劇中のほんの短い場面に垣間見られ、たった一つの単語「検閲」から紐解かれる。
検閲は憲法第21条で禁止されているにも関わらず、表現の自由および知る権利は公権力によりしばしば脅かされて来た。
本作で対峙する両者は、明らかに表現者と公権力であり、女生徒は沈黙のレジスタンスで公権力と闘っている。
女生徒はモノローグで初めて声を出す。
その後は担任教師との会話のみだ。
これは未来のための思考実験だと言う。
そして皆が表現の自由と公権力について考えると。
新しい台本には実在の登場人物が、生きて話した言葉が全て記されている。
つまり本作『妥協点P』こそが、この台本そのものなのだ。
3度に渡る台本の書き直しと最後の改稿で5重に組まれたメタフィクション構造を持ちながら、観客には全く複雑さを感じさせないストレートな構成で、ライトな印象と裏腹の深さを秘めた実に素晴らしい脚本だと思う。
舞台は図書室の横に設えられた図書準備室、埃っぽくてカビ臭い。
部屋の電灯を点けるまでの照明が明る過ぎる。
明暗を強くして電灯を点灯したことを明確にしたい。
また、地明かりは上からの照明をベースにすること。
前明かりが強過ぎので窓から差すアンバーが前明かりに消されてしまい全く染まらない。
前明かりは陰をフォローする程度の明るさで良い。
音響は効果音を幾つか増やしたい。
セミの声は夕方ならヒグラシが良い。
窓の開閉音、放課後のクラブ活動の声、電灯のスイッチの3つは欲しい。
舞台上には下手の前に生徒用の机と椅子が1組措かれているのみ。
部屋が埃っぽくので、机の上と椅子の座面に薄く埃を敷いておくと良い。
担任教師が、独りきりで台本を読む場面で、エリア明かりとなり音楽が挿入され女生徒が台本を交換する演出は見事だ。
本来は照明変化も音楽も女生徒の登場も、何も脚本指定はないので、この演出の採用で画期的に解りやすい作品となった。
役者は全員個性的でキャラ立ちしており面白い。
特に女教師二人の演技には釘付けにされた。

【観】HPF2016淀川工科高校『カノン』7/27

HPF2016
淀川工科高校
『カノン』
作/野田秀樹
演出/柴田純
@シアトリカル應典院

今年の淀工は野田秀樹2000年の作『カノン』に挑む。
最近のHPF出場校の中でも出演者・スタッフワーク・演出がバランス良く、完成度の高い作品を見せてくれる演劇部の一つだ。
舞台美術は舞台中央に円形のメイン舞台、その両側は奥の二重舞台に繋がる曲面のスロープで、二重舞台の最奥に開閉する4枚の障子戸が設えられ、シルエットを浮かばせるスクリーンとなる。
淀工が最も得意とする舞台美術の構成で本作も演出されている。
初回でも安心して見ていられる安定感と、及第点以上の完成度は見事である。
暗転処理も素晴らしく、学内で大道具を組んで暗転中の動きまで入念に稽古されているのが窺え、大人数の登退場と舞台上の動線が上手く交通整理されている。
セオリー通りの照明は美しく、あらゆる場面に対応でき如才がない。
場面によってはシーリングを全く使用せず、シーリングの使い方をよく心得ている。
色遣いはアングラ色が強いが脚本には合致しており、正にお手本にすべき照明であるが、少しばかり冒険があっても良い。
想像以上の照明プランを見てみたい。
音響の選曲センス、効果音の選択、きっかけの取り方、劇場外で出来る作業は完璧に近い。
拝見した初回は音のレベルが大きく、両サイドのスピーカーに近い客席両端では音楽・効果音ともにセリフの声以上に音量が大きく、残念なことにセリフが聞き取れない。
音響のmaxレベルはスピーカーに最も近い座席で、minimumレベルはスピーカーから最も離れた座席でレベルを採るのがセオリーだが、淀工が知らない筈はないので時間的にサウンドチェックが出来なかったのであろう。
28日の本番には修正済みと思われる。
本作は野田秀樹の前世紀に培った様々な技法を集大成したような脚本で、野田秀樹のエッセンスが至る所に見受けられる。
ストーリーラインは平安時代を描いた芥川龍之介の「偸盗」を忠実になぞりながら、それの意味するモノは1960年代から72年あさま山荘事件までの学生運動とその鎮圧を図る公安警察との闘争の顛末である。
60年安保闘争から70年安保闘争へ向けて真の自由を求め加熱する学生運動は、60年代の終わりには全共闘や過激派による学園紛争へと発展し学生運動は最盛期を迎える。
国家権力を行使して学生運動の鎮圧を図る公安警察は、68年の三億円強奪事件を期に学生運動のアジトを根絶やしにすべくローラー作戦に出る。
三億円事件は犯人逮捕に至らぬまま時効を迎えた未決事件で、諸説ある犯人説の中に公安の自作自演説があり、学生運動鎮圧のためのローラー作戦を行うに当たり、三億円事件を大義名分に用いたと言う説で、盗まれた三億円には保険が掛けられていて、その保険会社も更に海外の保険を掛けてあるため、結果的に日本国内では誰一人も損をしなかった事件で、事件後に発見されたケースの中身は見事に空っぽで、最初から空だったのではとの噂が立った。
野田秀樹はこの説を劇中で上手く処理している。
かくして勢力の弱まった学生運動は次第に鎮火を始め、70年安保では反対運動も盛り上がらないまま収束し、いよいよ統括と称して仲間のリンチ殺人を行った連合赤軍の山岳ベース事件を経て、72年に山荘に人質を捕って立てこもり銃撃戦に至る、連合赤軍あさま山荘事件へと繋がる。
当時13歳で中学二年の私も、連日テレビで見たあさま山荘の映像を鮮明に覚えている。
68年に日大・東大全共闘結成・超高層ビル霞が関ビル完成・川端康成ノーベル文学賞・三億円事件。
69年は東大安田講堂事件・東大入試中止(68年から一連の東大紛争)・赤軍派結成・大菩薩峠事件。
70年には日米安保条約・大阪万博・よど号ハイジャック事件・三島由紀夫割腹自決。
71年に連合赤軍結成・72年まで続く山岳ベース事件。
72年に札幌オリンピック・あさま山荘事件。
高度成長第二期(65〜73年)の真っ最中にある日本を照らす光と陰を見るようで、世界的な祭典の裏側に世界的な大事件が起きている。
お互いを打ち消すかのような現代の明暗をハッキリと分かつ70年付近の日本は、非常に強烈かつ刺激的で興味深い。
野田秀樹も自らの原風景は60年代に在ると言う。
書き出すとキリが無いのだが、野田作品を紐解くのはそれほど難しくない。
作品のほとんどが何らかかの事件か歴史的事実や人物のメタファーであり、多くはどの時代にも通じる普遍的なテーマを軽快で巧みな言葉遊びに乗せて、幾通りにも解釈できるように創作されている。
しかし作品の端々にたくさんヒントが散りばめられていて、何作か野田作品を体験した観劇者なら何を取っ掛かりにしても必ず作者の言わんとすることに行き着く筈である。
本作ならドラクロワの名画「」から、或いは「じゆう」と「じゅう」の言葉遊びから、その時代に在るはずのない小道具や舞台美術、パンフレットの「60年代」と言うキーワード、等々。
話は変わるがパンフレットを見ると淀工は2月に大谷高校と合同で後藤ひろひと大王の『FOLKER』を演ったそうじゃないか!?
何故、誰も教えてくれない?
見たかったなぁ。

【観】HPF2016大谷高校『十二人の怒れる女たち』7/26

HPF2016
大谷高校
『十二人の怒れる女たち』
作/Reginald Rose
演出/三井玲奈
@メイシアター中ホール

1958年初演、レジナルド・ローズの名作『十二人の怒れる男』を大胆に十二人全員を女性に変更し、改題潤色する。
大谷高校得意の遊びを挿入できる箇所はいくらでもあるが、敢えて重厚な台詞を最低限の潤色に抑え、正統派の演技演出で構成し、90分の濃密な作品に仕上げている。
舞台美術は中割を閉じて広過ぎるアクティングエリアを狭くし、中央奥に黒板、黒板の前に広い間口を活かして横一列に並べられた十二脚の椅子、両袖に少しばかりの装飾を施すものの、机や扇風機と言ったお決まりの美術をカットして、本当に必要な最低限の装置だけが措かれている。
原作の持つ密室感や暑苦しさ、机や筆記具を省くことにより実務性を無くしてしまうことは否めないが、全員の顔と身体と演技を客席から最も観やすい状態に配置した斬新な演出プランである。
よって本作は原作のような現実味の溢れるリアル感や、討論劇に見る一触即発の危機的状況を作り出すのでは無く、役者を見せるための正面向き演技を基本として、演技力で物語を築き上げるように演出された作品となっている。
演技力勝負ゆえスタッフワークも最低限に抑えられ、美術・小道具を大幅に省略、大きな照明変化はラストまで無く、挿入曲も冒頭とラストに限られる。
付け鼻をすることで西洋人であることを明示し、冒頭で付け鼻も外してしまうので全てはお芝居ですよと観客に示される。
十二人を全員女性にした時点で既に演劇的なのだ。
登場や退場はコミカルでリズミカルにショーアップされていて、前説部分を含め大谷高校本来の持ち味を上手く活かしている。
照明変化も同じく、よく見かける最後の退場者がスイッチを触り室内の灯りを消すような演出は行わず、実に演劇的に照明変化し、ラストは舞台センターの小道具に単サスを残す超オーソドックスな照明プランで締めくくられる。
音楽の選曲も誰もが知る有名な刑事ドラマやミステリ・サスペンス映画のテーマ曲で統一され、それぞれに個性を強調する衣裳を纏い、全てに於いて実におしゃれ。
さすがに台詞が重いので中盤で少し中だるみするが、問題視するほどのことは無く、終盤でしっかり巻き返して来るあたりが大谷高校の底力の強さなのだ。

【観】HPF2016清風南海高校『まつまちへ』7/23

HPF2016
清風南海高校
『まつまちへ』
作/中辻英恵
演出/小林留奈
@シアトリカル應典院

OGの書き下ろした脚本がとても良く書けている。
登場人物6人を時系列に沿った二人芝居の連続で構成し、「待ち合わせの町」の物語を語り継ぐ会話劇によるライトファンタジー。
短い二人芝居の各場面には必ず「待ち合わせの町」のテーマ曲が流され、一人が舞台から去ると転換曲が挿入されてブルー場となり明転(あかてん)される。
このセオリーに従って最終景まで進むので、3場あたりにはこの構成が解るように作られている。
友から友へ、姉から妹へ、先輩から後輩へと二人芝居で語り継がれた「待ち合わせの町」が、最終景で最初と最後に登場した2名による二人芝居になるのは予想通りなのだが、ほんのタタミ1畳ほどの「待ち合わせの町」が実際に舞台に登場するのは秀逸なアイデアと言える。
脚本上で惜しいのは、1場と最終場が公園なのか空き地なのか場所がはっきりと判らないのと、この世界そのものが「待ち合わせの町」であることを劇中で語ってしまう部分で、台詞で語るではなく劇中の会話から観客に空想させ、想像を膨らませ、この町が、この国が、この星が、この世界そのものが「待ち合わせの町」なんだなと、答に行き着く台詞構成に出来れば最良であった。
舞台美術はシンプルで良いのだが、舞台奥に立てた4色の柱が意味を成さないので単色の方が良い。
白かグレーなら照明も映える。
照明は場面ごとに工夫して地明かりのパターンを変えてあるのだが、シーリング(前明かり)が強過ぎて色明かりを消してしまい、同じ場所の1場と最終場だけを同一の照明プランにしたアイデアが、ほとんど効を成さない。
地明かりは頭上からの照明をベースにして、シーリングは陰影を消す程度に抑えると良い。
会話の内容から場所が違うのは明白なので、全ての場面明かりを変えずとも室外や校内を全体明かりで、狭い自宅の自室を中央部だけのエリア明かりに、この2パターンあれば十分で場面により明暗を付けて夕方や夜の場面はアンバーやブルーを足せば良い。
場景を助けるために音響で効果音を足すべきかと思う。
オーソドックスだが、夏の場面にはセミの声を、道路脇なら車の行き交う音を、公園なら子供らのはしゃぐ声を、朝方には鳥の鳴き声を、室内でドアの開閉音等、効果音を挿入する余地は多い。
演出は同じ構成の場面が続くので単調になりやすく、会話の間(ま)を大切にする余り、間延びしてしまう。
採るべき間は重視しながら、テンポ良く演技が進むよう会話を流すことも留意したい。
稽古は十分に成されていて、役者のミスはほとんど無く、非常に好感の持てる作品だった。

『夜会』-final season-

「夜会」からのお誘いです。
大竹野正典が他界して今日で7年になりました。
大竹野が心血を注いで創作して来た舞台作品の中で、記録映像として現存する舞台作品を2014年9月から今日まで、28作品を毎月見て参りました。
記録映像とは思えぬ生の迫力を感じるのは、作品自体に込められた強い力が映像から溢れ出し、見る者に伝わるからだと思います。
先月の上映作品で大竹野正典が生前に遺した作品の記録映像は全て終了し、「犬の事ム所〜くじら企画」のほぼ全作品を見終えました。
どの作品からも強く感じるのは、やはり作品の持つポテンシャルの高さと作品から伝わって来るエネルギーの強さでした。
大竹野正典が如何に偉大な劇作家で在ったかを改めて認識すると共に、二度と新たな大竹野作品は観られないと言う事実が残念で、終わりに近付いたこのささやかな上映会が愛しく大切に感じられるのです。

2016年後半の7月〜12月、いよいよ最後の作品群となる大竹野の没後に催された追悼公演3作品と劇集成の出版記念公演3作品を、発表順に毎月1本ずつ上映して行きます。
大竹野作品の中から選り抜きの6本を、初演以上のクォリティで再現した、大竹野作品の真髄を余すことなく堪能できる、お薦めの作品ばかりです。
見逃した公演ならもちろんのこと、ご覧になった作品も是非この機会に今一度ご覧頂きたく思います。
記録映像とは言え、生の舞台を見るのと変わりのない臨場感と、観劇するに等しい感動をお約束します。
これまでに一度も大竹野作品に触れたことのない人には、切に見て欲しく思います。
人生を変えるほどの衝撃を共有して欲しいのです。
どうかお見逃しの無きよう、是非ともお越し下さいませ。
会費は僅か500円です。
初参加は無料です。


大竹野正典演劇映像資料鑑賞の集い
「夜会」
会費:500円(初回会費無料・ワンドリンク付)
会場:天六音太小屋A(2階)
時間:各回19:30〜(開場は上映の10分前から)
予約・問合せ:特に予約は不要です。問合せは、くじら企画またはご返信を。
日程:以下の通り

7月20日(水)
『サラサーテの盤』
2010年8月・追悼公演@精華小劇場

8月24日(水)
『密会』
2010年10月・追悼公演@ウイングフィールド

9月某日
『山の声』
2011年1月・追悼公演@インディペンデントシアター2nd

10月某日
『夜が掴む』
2012年7月・出版公演@ウイングフィールド

11月某日
『ドアの向こうの薔薇』
2013年7月・出版公演@ウイングフィールド

12月
『夜、ナク、鳥』
2014年7月・出版公演@アイホール

『古賀かつゆきに集う会』7/12

757f5e63.jpg7月12日(火)、大阪天満宮の近くに在る朝陽会館に於いて、来場者多数のため15時から2時間毎の3部構成で行われた古賀かつゆき氏とのお別れ会『古賀かつゆきに集う会』は、大勢の参加者に支えられ無事終了いたしましたことをご報告申し上げます。

朝陽会館には3階に能舞台が在り、この日は特別に通常ステージとしての使用許可を頂き、多方面からの参加出演者により延々6時間に渡ってメインステージに手向けられた作品群は、弾き語り、口上、記録映像、紙芝居、一人芝居、朗読、スピーチ、対談、映画、義太夫、独鼓・謡、連吟、等々と、実にバラエティに富んだ短編集で、かつてスペース・ゼロで様々なジャンルの小作品を集めて、2度ほど企画開催されたゼロプロデュース『アイドラーズ』そのもので、図らずもこの集う会は、古賀かつゆき氏に呼ばれて集まめられた『アイドラーズ掘戮任△辰燭里世隼廚┐襦
これこそはプロデューサー古賀かつゆき氏による、最後のプロデュース作品に違いない。
スタッフも出演者も、古賀氏にまたもや騙されて、ノーギャラで働かされた訳である。
まんまとしてやられた!
実に古賀さんらしい遣り口だ。
集う会最後の締め括りに古賀氏の奥さまがご挨拶をされ、アイドラーズ靴亘襪鯤弔犬拭

会場各所に置かれた古賀さんと奥さまから皆さまに宛てたメッセージが在るので掲載します。
肺癌と診断され僅か3ヶ月で古賀さんは逝きました。
筆まめな方でしたから、さぞかし別れの挨拶を遺したかったろうと思います。
病魔に容赦はなく、凄まじい速さで体力と気力を奪い取っていく様が、お二人の文章から窺えます。
記しておきたいコトや思い出を綴り始めるとキリがなく、いつかの機会に委ねましょう。
取り急ぎ、ご報告まで。

【告】大竹野正典・演劇映像資料鑑賞の集い「夜会」第27〜30夜

38f6b929.jpg大竹野正典・演劇映像資料鑑賞の集い
「夜会」
会場/音太小屋A(2階)
開演/19:30〜
会費/500円(ワンドリンク付)※初回参加無料
内容/上映会+懇親会
主催/くじら「本」会議

第27夜
5/25(水)19:30〜
『怪シイ来客簿』(2006.10・アイホール)

第28夜
6/22(水)19:30〜
『極めてガンダム〜玉造編〜』(2009.12・一心寺シアター倶楽・劇団ガンダム)
収録/劇集成
併映 『緑の奴ら(作/深津篤史)』(2014.8・インディペンデントシアター2nd・劇団ガンダム)

第29夜
7/20(水)19:30〜
『サラサーテの盤』(2010.8・精華小劇場・追悼公演)
収録/劇集成

第30夜
8/24(水)19:30〜
『密会』(2010.10・ウイングフィールド・追悼公演)
収録/劇集成


「夜会」の最新情報なのだが、5月が猛烈に忙しくて更新できないまま6月も半ば過ぎている。
いかんなぁ。
5月の『怪シイ来客簿』で生前の大竹野演出による記録映像は最後となる。
色川武大の同名小説をモチーフに、主人公の部屋を訪れる怪シイ人々との不思議な時間を描く。
第28夜の『極めてガンダム』と『緑の奴ら』は大竹野と深津氏の劇団ガンダムへの書き下ろし短編。
2009年7月に他界した大竹野正典を悼み同年12月の劇団ガンダム本公演で追悼再演、2014年7月に永眠した深津篤史氏に見て欲しくて8月に企画した再演が奇しくも追悼公演となった。
本年7月からは追悼公演3作品と出版記念公演3作品を発表順に上映する。
追悼公演の第1弾『サラサーテの盤』は再々演で、3公演の舞台美術は大きく異なる。
初演の池田ともゆき美術は具象と抽象を掛け合わせた背景で三面を囲むデザインで、再演時の武川康治美術は単色のグレー幕で三面を囲んだシンプルな美術となり、今回の再々演は私が美術プランで更に美術を簡略化して基本舞台に大きく円を描いただけの舞台美術である。
ちなみに追悼公演3作品も全て美術プランナーを違えて居て、2作目『密会』は谷本誠が、3作目『山の声』は初演と同じく武川康治が務める。
8月の『密会』は再演時に全面改訂され、本作は再演時の改訂版で大竹野が最も上手く書けたと自負するだけあって、完成度はすこぶる高い。
追悼・出版記念公演の6本は、大竹野を知らずとも見逃すには惜しい作品ばかり。
是非ご覧あれ!
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