舞監@日誌 since 2005

大阪在住、舞台監督・CQ塚本修(ツカモトオサム)の日記です。 観劇の感想や舞台用語の解説、たまに日々の出来事や劇団ガンダム情報も書いてます。 コメント・トラックバックは承認制ですので、すぐには反映されません。非公開希望の方はその旨お書き添え下さい。返信用アドレスも基本的には非公開にいたします。

2008年11月

【観】大阪新撰組×妄想プロデュース『現代孤児ノ歌』

64bc3b66.JPG劇団大阪新撰組×妄想プロデュース
『現代孤児ノ歌』
作・演出/池川辰哉
@ウイングフィールド

どんな脚本をしてもアングラ劇になってしまう大阪新撰組と、若手ナンバー1のアングラ劇団である妄想プロデュースの合同公演。
アングラ×アングラ=どアングラ=大アングラ祭である。
野外やテントで演れば楽な芝居をわざわざ劇場で演ってしまうあたりが、救いようのないアングラなのだ。
舞台は団地の一室であろう室内で、食卓と椅子が4脚。
下手奥に玄関の扉がある。
普通の舞台美術かと思えば、大量の降らしモノあり、流れ落ちる血糊あり、果ては舞台奥の壁が割れ、観音扉のごとく開かれ、舞台奥から巨大な絵が登場し、更にそれが割れて悠久の闇へと退場する。
何と労力を惜しまぬ芝居であろうか!
その内容たるや、親殺しあり、近親相姦あり、妄想炸裂、阿鼻叫喚、言葉遊びの嵐、全編全力投球の超ど級どアングラ芝居である。
敢えて喩えるならば「パンドラの箱」であろう。
繰り返し湧き出る妄想と悪夢に苦しむ登場人物が、最後の最後に希望ある未来に向け歩みだす。
哀愁(=愛臭)を背中に家庭(=過程)を築く。
池川くんの凄まじい脚本を何倍にも膨らませたのは大阪新撰組の役者たちの底知れぬパワーであり、大阪新撰組の本領を発揮させたのは妄想プロデュースの世界観である。
年齢の壁を越え、相互に刺激し合い、1+1が無限の可能性を持つことを知らしめた超ど級アングラ作品であった。

※画像はフライヤー。
今どきこのタイトル!
誰も思い付かない。
凄い!
終始叫んでいるので、何を言ってるか聞き取れず理解できないのも凄い。
笠木さんの爆裂音響が凄まじく、更に台詞が聴こえないのも凄い。
もっとスモークを焚けば良いのに、適度に見える範疇に治めているのも凄い。
見えないくらいの目潰しを期待していたが、ちゃんと見られるようにセーブしてるのも凄い。
良いところも悪いところも凄い。
ひたすら凄い!

【観】インディペンデントシアタープロデュース#12『“INDEPENDENT:08”』(ebjg)

e0f742f2.JPGインディペンデントシアタープロデュース#12
『“INDEPENDENT:08”』
プロデューサー/相内唯史
@インディペンデントシアター2nd

夜の回に4本を観劇。
残り5本を見れないのは残念だが、7本見てハズレなし!
脚本に安直な物はなく、本当によく考えて描かれている。
役者もそれに真剣に応えている。
イージーミスはほとんどない。
残り4本はこれ。
e.『コウチャノアリカガワカラナイ』
作・演出/片岡百萬両
出演/花田綾衣子
付き合い始めて8ヵ月、同棲していた彼氏が同性に目覚め、家を出たところから物語は始まる。
ハイテンションで繰り広げられる記憶と妄想のノンストップコメディ。
諦めきれない恋心を抱きつつ一人生活する内に、新たな恋のため一歩踏み出そうと、全てを諦めた時に初めて号泣するシーンで暗転する。
このまま終わっても良かった。
しかし片岡演出の演りたいことは、そんな芝居ではない。
暗転の中、やはり諦め切れないことに気付き、同じ生活を繰り返す。
このあとの展開は得意のパフォーマンスにより、一気に同じ芝居の動きをリプレイする。
タイトルは歌詞からの引用で、槇原敬之の「もう恋なんてしない」の歌詞通りに物語は展開している。
作品自体が「もう恋なんてしない」の舞台化であり、非常に秀逸な仕掛けが張られている。
ラストのフルコーラスでのパフォーマンスが圧巻。
b.『いまさらキスシーン』
作・演出/中屋敷法仁
出演/玉置玲央
何たる滑舌の良さ!
何たる身体能力!
底知れぬパワーに圧倒されながら、一気に作品世界に引き込まれ、切ないまでの悲惨なラストに驚愕する。
女子高生の入学から卒業までの3年間を、男優である玉置玲央が熱演する。
ラストには男優ではなく、女優として彼を観ている自分を発見する。
作演・出演ともに東京の劇団「柿食う客」の劇団員である。
クロムのメンバーから面白いとは聴いていたが、一人芝居でこの完成度!
本公演を是非見たくなった。
j.『暗くなるまで待てない!』
作・演出/土橋淳志
出演/横田江美
ヘップバーンの「暗くなるまで待って」の設定を土橋流にリメイクした盲目サスペンスホラー。
主人公を盲目にすることで、一人芝居である必然性ががぜん活きてくる。
主人公の視覚以外の感覚を紡いで物語は構成される。
よって他の登場人物は見えない。
一人芝居たがら当たり前なのだが、この仕掛けがラストのオチを完全にカモフラージュする。
土橋くんにも話したが、この作品の舞台は主人公の自宅であるアパートだけで描くことも可能な脚本なので、リライトが望まれる。
しかしそんなことしなくても十分楽しめる作品である。
盲目の主人公を演じる横田江美は、強烈な男優の登場する2作品に挟まれても、全く見劣りしない。
今後ブレイク確実な女優に成長している。
g.『牢獄模範』
作・演出/戒田竜治
出演/丸尾丸一郎
新約聖書、福音書に登場するユダヤ人の囚人バラバを題材に、牢獄に閉じ込められ明朝死罪を待つ罪人を描いた物語。
牢獄に囚われた盗賊バラバは、イエス・キリストと共に翌朝死刑を待つ身であったが、過越しの祭りの時期で、この祭りには死刑囚を一人だけ恩赦で赦す慣わしがあったため、翌日バラバは釈放される。
祭司長たちの策略により操られた民衆が、バラバの赦免とキリストの処刑を決めたのだ。
物語は二部構成で、前半はバラバを見張りに来た二人の牢番が、バラバに語り掛ける形式で状況説明が成される。
舞台照明を使用せず、ロウソク1本のみによる緊張感溢れる舞台である。
後半は明朝の死刑を待つバラバのモノローグと朝を迎えた牢獄から民衆に向かって怒鳴り散らすバラバの一人芝居で構成される。
ラストシーン、牢獄に鍵がないなら世界に囚われたも同じだと、うそぶくバラバの台詞が熱く、この台詞を思いついただけでも成功と言える。
鹿殺し東京進出後、初めて見た丸尾丸一郎の野生味溢れる剥き出しの演技には鬼気迫るものがあり、玉置玲央と対照的で非常に面白い。

※画像はフライヤー裏面。
分かりづらいプログラムが、見やすく整理されている。

【観】インディペンデントシアタープロデュース#12『“INDEPENDENT:08”』(dhf)

0e35739a.JPGインディペンデントシアタープロデュース#12
『“INDEPENDENT:08”』
プロデューサー/相内唯史
@インディペンデントシアター2nd

関西最強の一人芝居フェスティバルも今回で12回目。
2001年から2005年の1stシーズンを終え、2006年から2010年予定の2ndシーズン真っ只中である。
一人芝居の可能性と未来を追い求め、英知を振り絞りひたすら進化する企画と言える。
12本の一人芝居を7本観劇。
まずは3作品から。

d.『雨と音楽』
作・演出/遠坂百合子
出演/西川さやか
これは繊細に描かれた絵画のようであり、美しい言葉で紡がれた詩のような、ただずっと眺めていたいような作品に仕上がっている。
舞台は少女の部屋であり、少女の心の中である。
外的風景と心象風景がシンクロした完全共存による進行が素晴らしい。
この作品において重要なのは、女優の存在感のみである。
やがて雨が止んで少女は一歩踏み出す。
この繊細な脚本に、女優西川さやかが緊張感と存在感を持って見事に応えている。
そしてまた無言の[間]がとても心地よい。
動きも台詞もなくとも、存在感のみで場を成立させる女優に育っている。
素晴らしい。
h.『明日に俺たちはいない』
作・演出/大塚雅史
出演/山浦徹
ドラえもんの名作「ドラえもんだらけ」をヒントに、タイムパラドックスを描いた一人芝居。
自分の部屋のドアが、時間の違う自分の部屋に繋がっている。
もちろんそこには過去の自分が…。
更に未来の自分がやって来る。
同一人物である必然性を逆手に取り、一人芝居でしか描けないものを提示する。
多分「ドラえもんだらけ」は、ロバート・A・ハインラインの「時の門」のパロディである。
本作も内容的には「時の門」に近い。
ハインラインは「夏への扉」「輪廻の蛇」等、タイムパラドックスの名作だらけ!
f.『セレンディピティ 〜神様からの電話〜』
作・演出/中井由梨子
出演/前渕さなえ
セレンディピティは、求めていたものと違う幸福を偶然手に入れることで、本作においては「素敵な偶然」の意で捉えと欲しいとある。
5つの電話に5つの役を使い分け、たくさん散りばめられた偶然が、ラストにすっきり納まり気持ちが良い。
モノトーンで構成された舞台に、劇中ただ1輪の真っ赤なバラが不意に登場する。
芝居に仕組まれた必然的な偶然を、日常にある偶然的な必然に演出する。
このシーンがこの芝居の全てを物語っている。
「素敵な偶然」を題材に、観客に「素敵な偶然」をプレゼントする。
そんな素敵な作者の意図が実を結んだ作品である。

※画像はフライヤー。
出演者揃い踏み。
裏面にはINDEPENDENTシリーズの略歴もある。
またパンフレットには各作品のあらすじやクリエーターのコメントもあり、とても見やすいのだ。

-IST[イスト]零番舘「休館に関する情報共有会」

11/12(水)にウイングフィールドで開かれた-IST[イスト]零番舘「休館に関する情報共有会」には現場のため出席出来なかったので、当日の情報共有会を記録したビデオをようやく見ることが出来た。
説明会の中でたびたび私の名前が登場するので、まず私の立場を明確にしておきたい。
アリス零番舘としてオープンした劇場が、経営方針や理念の違いから共同経営者であった連帯保証人が劇場の運営から離れ、-IST[イスト]零番舘として再オープンした際に、後になってお互いの言い分が食い違ったり備品の所有権や金銭的なトラブルを避けるため、後日誤解を生まないように中立の立場で見届け人が必要となり、私が請われて無償で引き受けたのである。
その後も-IST[イスト]零番舘は順調とは言い難いながらも存続し、本年になって滞納する家賃を支払うよう管理会社から裁判を起こされ、契約者と連帯保証人が訴えられたのだ。
運営から離れていた連帯保証人と劇場契約者との意思の疎通は計れず、再び両者の間に立つ見届け人が必要となり、事情をよく知る私が要請された訳である。
情報共有会の内容は閉館と今後の対応の説明に終始し、決して実のある説明会とは言い難い。
単に言い訳を並べただけのように、多くの方が感じたと思われる。
すでに情報共有会から2週間以上が過ぎた現在になっても、主宰者の唯一の情報公開の場である-IST[イスト]零番舘のブログは一向に更新されず、情報を真に共有する気があるのか疑わざるを得ない。
情報共有会で当日の内容をブログに発表すると明言したのだから、速やかに行わねばならない。
また、公演予定だった劇団に対して、公演予定日の対応を事前に連絡し、相談すると明言しているが、先週私が舞台監督を務めた「Micro To Macro」では、公演前日になっても一切連絡はなく、劇団側から連絡の上、会場を間違って来た観客への対応を訊ねたところ、会場変更の貼り紙すらして頂けず、当日急遽スタッフが元-IST[イスト]零番舘まで走る事態となった。
今後公演予定だった劇団は注意が必要だ。
誠意を持って今後の対応をしなければならない一番大切な時期に、更に誤解を生むようなことをしてはいけない。
せめて来年2月までは、ブログによる情報発信が望まれる。
こまめに更新して頂きたい。
そしてまた情報共有会が単なる謝罪と弁明の場ではなく、このような悲惨な事態を二度と繰り返さぬ様、教訓を込めた建設的な場とすべく次なる情報共有会が待たれている。

-IST[イスト]零番舘「休舘!」(PCのみ)
http://ist-ist-ist.blogspot.com/

【観】旧劇団スカイフィッシュ『適切な距離』ワークインプログレス2

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旧劇団スカイフィッシュ
ワークインプログレス2
『適切な距離』
作/松山健史
演出/小嶋一郎
@ウイングフィールド

「適切な距離」2回目のワークインプログレス。
前回(08'7.)、かなり実験的な手法により、観客と作品との[距離]と、役とプレイヤーとの[距離]を曖昧にし、演劇における「距離」についての試行を行い高評価を得た小嶋演出が、今回挑むのはフェイクドキュメンタリーである。
フェイク・ドキュメンタリーは劇場版も製作されたTVドラマ『放送禁止』で広く知れ渡った言葉で、このTV作品では「ある事情で放送禁止となったVTRを再編集し放送する」という設定の一見ドキュメンタリー番組だが、実はフィクションであり、この手法をフェイク・ドキュメンタリーと呼んでいる。
これは映像作品におけるモキュメンタリーに分類される。
モキュメンタリー(Mockumentary)は、1950年代に開発された映画やテレビのジャンルの一つで、架空の人物や団体、虚構の事件や出来事に基づいて作られるドキュメンタリー風表現手法で、モック・ドキュメンタリー(Mock Documentary)とも呼ばれる。
モキュメンタリーでは、あくまで事実を伝える「ドキュメンタリー」映画として構成していく為、虚構のインタビューやニュース映像、関係者の証言などが織り交ぜられる。
社会問題や実在の事件を題材にしたり、それらをヒントに脚色した作品を扱うことの多い小劇場演劇においても、しばしば用いられる手法である。
さて、本作『適切な距離』では、劇中劇に今までの本編と言える母娘の関係を描いた小説を配し、その演劇作品を作る大学生の物語として二重構造で構成されている。
いつものように音響は一切使用しない。
照明も生明かりのみを使用する。
ウイングの中割りを使い、劇中劇は中割りを開いた奥舞台で、演劇を作る学生としての芝居は中割りを閉めた前舞台で行われる。
劇中劇はほとんどが舞台奥でモノローグとして語られ、観客との接点を省いた一定の距離を保った演出法で演じられる。
対照的に学生演劇は役名も役者の本名のまま、舞台前面で観客に語りかける口語調の台詞により、劇中劇に対する意見や感想を交えながら物語を進行させる形式で、素の役者に近い演劇として提示される。
これはメタフィクションでありながらフェイクドキュメンタリーとして作られた作品と言える。
虚構(演劇)と現実(素の役者)の間に、現実と虚構の入り混じった中間的な演劇を挿入し、限りなく現実に近い芝居を役者にさせることで劇中劇と本編の[距離]と、素の役者と一人二役の[距離]をより明確にさせる。
前回、曖昧だった[距離]が明白に提示されている。
これは観客からは具体的な距離として、半現実的な演劇との距離が客席から舞台前部まで、劇中劇の演劇らしい演劇との距離が中割りより後部の舞台最奥までの視覚的な距離として表される。
刺激的で大変面白い試みである。
ところがラストシーンになって、この法則はいきなり裏切られる。
これまで劇中劇として使用されていた空間である中割りの奥から登場した作演出役の学生が、虚構と半現実の境界を破って舞台前まで歩み寄り、明確に提示されて来た[距離]はあっけなく破壊される。
全ては演劇であり、演出なのだと言わんばかりに。
この衝撃的な演出に、いったい何人が気付くのか?
何の説明もなく、物語は終演する。
潔く、清々しい!
何より素晴らしいのは、そんな難しいことを深読みしなくても、一本の魅力ある物語として作品が成立し、最終的に『適切な距離』を演劇の中で提示していることだ。

※画像1枚目はフライヤー。
2枚目は『適切な距離』ツアーガイドブック(A5サイズ16ページ)。
『舞監@日誌』からの抜粋だが、1ページを割いて私のレビューを載せてくれている。
前作までをご覧になってない方は参考にして頂きたい。
前作に比べ、萩原宏紀くんの演技がかなり神経質になり、とても良くなった。
また井上竜由さんの母と学生の演じ分けがかなり良い。
これはかなりの秀作である。

【舞】走れメロス(Micro To Macro『セイ透明ハロー・セイ金色グッバイ』千秋楽)

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石井さんはずいぶん脚本が上手くなった。
演出力も備わり、どんどん小劇場の芝居らしくなっていく。
しかしまだまだ説明過多で、不必要に長いシーンも多い。
プロデュース公演にありがちな、全員の見せ場が作品の本質を希薄にしてしまう。
作品の完成度を上げるならば、見せるべきシーンと本当に演りたいシーンに絞り込む勇気が必要だ。
それでも1時間40分に収まるならば、ギリギリのラインと言えるだろう。
体感的には1時間30分が理想的である。
もっとも観客の感想は概ね好評である。
更に良いモノをと願うのは、作り手にそれだけ力が付いて来たからだ。
少年期に母親が居なくなった上に、父親に遊園地で見捨てられ、少年の時間は父親を待ったまま6時5分前で止まってしまう。
6時には遊園地が閉園するのだ。
少年は孤児院に入れられるが孤児院を脱走し、いつしか精神病院で患者として暮らしている。
心を病み、今も父親を待ちながら。
少年の頃に読んだ「走れメロス」を精神治療のため演劇療法として取り入れられる。
彼が与えられた役は、メロスの親友、セリヌンティウスである。
少年時代と青年期が「走れメロス」を中心にオーバーラップしながら進行する。
メロスを信じて待つセリヌンティウスと、父親を待つ我が身が重なり混乱し、次第に取り乱す。
しかし目の前に現れた父親との再会に、止まった時計は動き出し、青年はようやく新たな一歩を踏み出すことが出来る。
本作では「信頼」と「待つこと」がテーマとして描かれる。
メロスではなく、メロスを信じて待つ身のセリヌンティウスを主格に、物語を描いていく。
痛みを伴うことを成さねばならぬ時に、避けては通れない道がある。
それでも一歩前に歩み出すこと。
それがこの作品の最大のテーマである。
枝葉を省いて、このテーマをしっかりと見据えなければならない。
あらゆる表現手段に言えることだが、観る側の視点に立たねば決して見えて来ないものがある。
たとえ遠回りしても、素晴らしく輝く作品が観られることを信じて、観客は常に待っている。
Micro To Macro、公演終了なれど未だ疾走中。
走れ、テル子!

※画像は舞台写真。
舞台美術は西本卓也。
歯車が動くギミックが素晴らしい。
3枚目は集合写真。

【舞】Micro To Macro『セイ透明ハロー・セイ金色グッバイ』

746fd305.JPGMicro To Macro
『セイ透明ハロー・セイ金色グッバイ』
作・演出/石井テル子
@ロクソドンタブラック
11/22(土)20:00〜
11/23(日)15:00〜、19:30〜
11/24(月)13:00〜、17:30〜

2回目のプロデュースを迎えるMicro To Macroは、-IST[イスト]零番舘閉館で、会場をロクソドンタブラックに移しての公演。
劇場が変わることによって、様々な変更を強いられる。
建端と間口が違う。
特に建端が違うと仕込みの仕方が全く違う。
更に必要人員数が大幅に違う。
また客席の有無も仕込み時間に関係してくるし、更にはオペ席を組んだり、袖幕を吊ったりの手間も相当違ってくる。
そんな訳でかなり押している。
だが悪戦苦闘する分、とても素敵な舞台が完成しつつある。
今回は音楽に生バンドの演奏を取り入れ、歌あり、ダンスありの総勢15名の出演者が奮闘する。
「走れメロス」をモチーフに、交錯する二つの時を通して描く再生の物語。
本日初日!

※画像のフライヤーは、ロクソドンタ用に新たに製作したもの。
-IST用のB5サイズから、少し小さめのA5サイズに。
宣伝美術は作・演出の石井テル子。
石井さんは作詞・作曲も手掛けている。
もちろん出演もしている。
ソロで歌も唄う。
代表も制作も、小道具作りなんかの雑用もこなす。
凄い!

【観】ガバメンツ『ROPE』

83a78106.jpg劇団ガバメンツ
『ROPE』
作・演出/早川康介
@インディペンデントシアター2nd

この作品はチラシに書かれた設定が面白い。
明かりが点くと、14人の男女が1本のロープに繋がれている。
彼らの目的は脱出することである。
2ndの剥き出しの舞台をそのまま使い、舞台奥に高いダンボールの壁を据えただけの装置は大きな倉庫を思わせる。
明かりは地明かりとサスが1本。
音楽もラストの1曲のみ。
非常に好ましい構成で作られたワンシチュエーションコメディだ。
内容は「思い込み」をテーマにした心理サスペンスコメディである。
ストーリーラインは面白いのに、設定を活かしきれてないのが惜しい。
登場人物の勝手な思い込みで人間関係が崩れていくまでは面白いのに、繋がれたロープを解いてからの話が長い。
繋がれた身体と裏腹に、結ばれない気持ちの対比を見せて欲しい。
よって繋がれた1本のロープは簡単に解けるのではなく、一旦より複雑にもつれ合い絡まって、ますます繋がらない気持ちを最高潮に高めてからロープと共に氷解する人間関係を描いて欲しい。
そしてロープが解けてからは、一気にラストに向かいたい。
この構成においては冒頭の案内人も不必要である。
一幕だけで十分成立する。
敢えて冒頭にモノローグを挿入するならば、その意味を考えたい。
それは観客がお芝居を見ていると言う思い込みを裏切ることにある。
如何にも演劇として始まった物語を、演劇として終わらさない工夫があればより面白いはずだ。
そこは倉庫ではなく劇場であり、きっと本番ではない何かなのだ。
観客の「思い込み」を大きく裏切るほど面白い。

※画像はフライヤー。
ガバメンツのフライヤーはよく目立つ。
非常に印象深い。

【舞】チカンあかん(クロムモリブデン『テキサス芝刈機』千秋楽)

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東京公演から数えて全10ステージ。
ここ数回のクロムとしては少ない上演回数だが、伊丹AI・HALLの千秋楽は非常に素晴らしい作品に仕上がり、終演後も鳴り止まぬ拍手に急遽ダブルコールとなった。
本作が観客に如何に絶賛されたかを物語るようで、劇場全体が熱い思いに満たされた。
これは我々裏方スタッフが、最も喜びを感じる瞬間である。
最近のクロム(=青木作品)にしては、かなり分かりやすい内容であるが、やはりクロムの醍醐味はリピーターとしての2回目以降の観劇にある。
特に私などは、台詞や設定、展開にいちいち意味を探りがちなので、この脳内作業が至福のひと時でもあるのだ。
列車脱線事故の唯一の生き残りが、実は脱線事故の犯人で、事故前日に痴漢被害に遭った腹いせに翌日の同じ時刻の電車の線路に置き石をし、その罪悪感から自らも死ぬ気でその電車に乗り込んだものの、結局脱線転覆した電車から自分独りだけが奇跡的に助かってしまう。
しかし事故の後遺症から本人(ミク)はその記憶を失ってしまい、別人格として現れた事故の生き残りであり置き石をした犯人である自分(カッコ)と、自らの記憶の中を探索する。
そこは事故を起こす電車の車内であり、内部はふぬけて無害となった男性しかいない去勢の森(=ゴルフ場)となっている。
そこには記憶の池があり、池の底には池ポチャして忘れ去られた記憶が静かに眠っている。
あたかも無かったことにされたゴルフのロストボールのように。
過去の事実を変えるため、置き石(意思または意志)を拾おうと、頭の中で記憶の反芻(=タイムマシン)を繰り返す。
それらは紛れもなく、自己を護る脳の働きである。
やがて脱線した車両の壁は開かれる。
閉じ込められ延々と繰り返される脳内の記憶のループに出口が開く。
車両は崩壊し、カッコ(過去)とミク(未来)は切り離される。
これは記憶の忘却を意味する。
痴漢に遭ったことも、脱線事故の記憶も、何も覚えていないミクには、電車に乗れない後遺症が身体に刻まれた記憶として残り、ミュージカルによるリハビリで更生する。
タイトルは痴漢ミュージカル『永久(とわ)にチカン』。
またこの作品全てが『永久にチカン』となっている二重構造も見逃せない。
前進するのに躊躇して二の足を踏んでいたミク(未来)が、ラストシーンで笑顔で前進する。
文字通り未来に向かって。
そこは人々が語り合い、譲り合い、助け合う優しさに満ちた理想の世界だ。
歌い、踊り、歩み、進む。
二度と二の足を踏むことのないように、願いと祈りを込めて。
現代社会において、PTSDは深刻な問題の一つである。
すでに時間薬だけでは癒やされぬ痛切な心の傷として認識され、更生のための施設やエキスパートの必要性も問われている。
もちろん物語のように簡単に解決出来るものではない。
他人に無関心となり、見知らぬ人との会話をなくした現代の都会人に対して、せめてもの救いとして本作は作劇されている。
この作品は面白さだけでなく、哀しさや切なさや優しさを内存している。
もし本作品に込められた願いや祈りが理解出来ないならば、二度とクロムを見なくて良いだろう。

※画像1枚目は駅のポスター。
2枚目はAI・HALLの舞台全景。
3枚目、噂のプラレール。
列車が直径6mをループする。
役者たちもループする動きを多用し、時間がループする内容を暗喩している。
リピーターでも気付いた方は少ないかも知れないが、ミクは通常の動きでもしっかり前には進めず、2歩歩いては立ち止まり二の足を踏んでいる。
スリのアジミがフミヒコから一瞬でiPodを盗んでいる。
スリのコジマがタイムマシンのダイヤルをアジミから盗んでサキの衣服に隠すシーンは、リピーターでなければ確認出来ない。
このように、青木作品はリピーターに新たな発見が成されるような構成が常に存在する。
4〜5枚目は大入り袋の代わりに配られる「大入り記念カード」(東京・関西公演各1枚)。

【舞】クロムモリブデン『テキサス芝刈機』

4d670199.JPGクロムモリブデン
『テキサス芝刈機』
作・演出/青木秀樹
@伊丹AI・HALL
11/14(金)19:30〜
11/15(土)15:30〜、19:30〜
11/16(日)15:30〜

さて、東京公演が終わって3日後にはAI・HALLで仕込みを始めています。
再びてんやわんやの二日仕込みを終え、クロムモリブデン関西公演の始まりです。
痴漢と列車脱線事故を題材に、その後遺症を癒やすためのリハビリをテーマにした作品です。
劇中最大の見どころ、直径6mのプラレール、過去最高級のラストパフォーマンス、とても完成度の高い作品に仕上がりました。
伊丹で脱線事故の話はどうかともお思いでしょうが、AI・HALLで演るからこそ意味のある作品であると思っています。
是非ご覧下さい。
そしてどうか最後まで見て下さい。
真意は伝わると、信念を持ってお誘いします。

※画像はフライヤー裏面。
既に東京公演を終えているので、完成度の高さはネット上でも数多く伺える。
ネタばれしない程度にご参考あれ。
怒涛の1時間40分!

五十にして天命を知る(東京あれこれ)

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上京ついでに色々行きました。
クロムの公演の合間に『さいたま市立漫画会館』(画像1)へ。
ここはさいたま市ゆかりの近代漫画の先駆者「北沢楽天」の居宅跡に建てられた日本初の漫画に関する美術館で、入館は無料なのだ。
北沢楽天は明治から昭和に掛けて活躍した漫画家で、当時の呼称「ポンチ絵」「おどけ絵」から「漫画」の名を使い始め、世間に定着させた人物である。
今回の目的は特別展示室の『コミカライズの匠・一峰大二原画展』(画像2)だ。
一峰大二(かずみねだいじ)はオリジナルのヒットにはあまり恵まれなかったが、原作映像から漫画本化する作品に恵まれ、多くの作品をコミカライズしている(画像3・パンフレット)。
当時子供だった私も、夢中で読みふけったものだ。
スーパージャイアンツから七色仮面、ナショナルキッド、黄金バット、ウルトラマン、ウルトラセブン、スペクトルマン、ライオン丸、…。
共通して言えるのは、実写では表情のない仮面を被ったキャラクターに、目玉を入れ口を開閉させ、表情を付けた独自の手法にある。
さらに誕生日には東京タワーにある『ギネス世界記録博物館』へ。
ここはスゲーぞ!
必ず行け。
あのいかがわしい秘宝館と同じ匂いを味わえること請け合いだ。
さて、私もいよいよ五十路へ突入。
二十歳とか、三十歳とか、区切りの誕生日を迎える時「もう青春も終わりだな」とか「明日から三十路か…」とか、思いましたよね。
四十くらいから、あまり何も感じなくなり、半世紀を迎えても、いつもと変わらぬ一日でしたね。
そろそろ天命を知らねばなりません。
見上げれば天高くそびえ立つ東京タワー(画像4)。
昭和33年建立、高さ333m。
私と同い年である。

【観】ゆう・ゆう・カンパニー『愛の四部作 〜笑ってはいけない。これも真剣な愛の形〜』

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ゆう・ゆう・カンパニーu-you.company 7th STAGE
『愛の四部作』
〜笑ってはいけない。
これも真剣な愛の形〜
作/すぎやまゆう
@池袋・小劇場ゲキバ

五十歳最初の観劇は、池袋に今年オープンしたばかりの小劇場、ゲキバへ向かう。
上京した友人が私財を投げ打って造ったこの小劇場は、池袋駅西口から8分、東京芸術劇場近くの雑居ビルの3階に在る。
ワンフロアーを楽屋と劇場に仕切った小劇場・ゲキバは、キャパシティ80名の小さな空間だ。
まだオープンしたてで、とにかく安い。
3日間10万円、1週間20万円(設備費込み)!
これから益々の発展を願うばかりだ。
詳しくはこちら↓
http://www.gekiba.com
さて、芝居は愛に関する4本立てのアンソロジー。
「忍ばずの池殺人事件」
演出/すぎやまゆう
男女二人芝居。
「恋する楽屋」
演出/すぎやまゆう
男女二人芝居。
「二人のあいランド」
演出/すぎやまゆう
男性二人芝居。
上の3作品は会話と言葉の勘違いから起こるドタバタコメディ。
総じて正面芝居が多く、普通の会話劇として作った方が面白いだろうと感じる。
勘違いから生じる愛のバリエーションだが、同じテイストの芝居を3本連続してするならば、納得出来るオチが欲しい。
「ブル」
演出/中山浩
女性三人芝居。
この作品のみ演出が違う。
しっかりと会話した絡みの強い芝居となっている。
演劇に対する愛情を描いた快作。

※画像はフライヤー。
乗り打ちで始まり、何と1週間で全15回公演!
一日3回廻しが2回ある。
スゴい!
2枚目はゲキバの特価キャンペーンチラシ。
来年までかなりお得だぞ!
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